岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日から愛鳥週間だ。山に入っていると「野鳥」と声で出会ったり、「姿」で出会うことがある…

2009-05-10 05:22:13 | Weblog
 (今日から愛鳥週間だそうだ。…ということなので、今日は先日、出会った野鳥の写真を紹介して、野鳥のことについて少し書いてみようと思う。写りが悪くて申し訳ないが、今日の写真は「ツツドリ」である。)

 写真のほぼ中央、太いダケカンバの前の「ミネザクラ」の若枝に停まっているのがそれだ。その時、鳴き声を聞いたのが標高1200mほどの高さである。
 積雪があり、周りの木々も疎らで、大凡「緑」らしいものはない。ただ、今季は少雪ゆえに「根曲がり竹」がすでに顔を出しているところはあるが、樹木の梢はいくらか「花芽」や「葉芽」の部分にかすかな色づけを見せてはいるものの、まだまだ「葉」を出す時季ではなかった。
 「あれ、あの声はツツドリだなあ。どこで鳴いているのだろう」というのが最初に抱いた「感慨」である。私はこれまで、ツツドリの鳴き声を、このような標高の高い、しかも、木々に緑の葉が全くない場所で聞いたことはなかった。だから、最初は「空耳」かと思った。しかし、確かに聞こえるのだ。今年は「渡り」の時季が早いのだろう。きっと、山麓辺りで鳴いている声が、谷を吹き上がる「南風」に運ばれて聞こえてきているのだろうなどと考えていた。
 だが、「鳴き声」は「滝ノ沢」右岸の縁辺りの近いところから聞こえてくるのだった。
この鳥の鳴き声をよく耳にするのは毎年6月頃であり、場所はミズナラの林か、または高いところではブナ林であった。岩木山ではよくそんな場所で聞くのだ。
 高校で山岳部の顧問をやっていた時期があった。山岳登山というものを「点数化」して高校生たちを「競技」させることに嫌気がさして、部員を引率して山歩きや山登りはしていたが定年前の10年近くは「高校総体」山岳競技には参加しなかった。
 参加していた頃、八甲田山箒場の森や「雛岳」の登りで、よくこの「鳴き声」を聞いたものだ。ここ数年は、観察会で、同じ仲間の「カッコウ科」の「ジュウイチ」などの声や「ホトトギス」の鳴き声と併せてよく聞く。
 その中でも「この鳴き声」はいつの時も深い森の中からのものであった。

 写真が鮮明でないので少し「ツツドリ」について説明をしよう。
「ツツドリ」はカッコウ科カッコウ属の野鳥で全長約33cmで、「キジバト」くらいの大きさだ。体の格好は「カッコウ」などと同じく、結構スマートな鳥である。だが、体色がやや濃く、眼球の角膜と水晶体との間にあり、中央に瞳孔をもつ円盤状の薄膜である虹彩(こうさい)は茶色っぽい。これは眼球内に入る光の量を調節するもので、色素を持っていて、「眼の色」といわれるものだ。日本人は一応茶褐色である。
 「ツツドリ」は日本には、ニューギニアやオーストラリア大陸北部から夏鳥としてやって来て、北海道、本州、四国で繁殖する。九州では観察例が少ないと言われている。
 とにかく、低山帯の落葉広葉樹林や、亜高山帯の針葉樹林内に、単独で生活するため姿を見る機会の少ない野鳥なのである。「声はすれども姿が見えず」という野鳥でもある。「カッコウ」のように、空中をけたたましく鳴きながら飛ぶようなことはしないのだ。
 しかし、「渡りの時期」には市街地の公園などにも姿を現すことがあるそうだから、この写真の「ツツドリ」も案外「渡りの途中」のものかも知れない。樹上の昆虫類を主食とし、特にチョウ類の幼虫「ケムシ」を食べている。
さて、「ツツドリ」という名前の由来だが、漢字で書くと「筒鳥」となる。「声はすれども姿が見えない」ことの多い野鳥ゆえに、名前の由来は、その「鳴き声」にあったのだ。
 地鳴き『「さえずり」に対し、鳥の日常的で単純な鳴き方のこと』やメスの鳴き声は「ピピピ…」と聞こえるが、繁殖期のオスは「ポポー、ポポー」または「ボボ、ボボ」と繰り返し鳴くのだ。この鳴き声が、「木製の筒」を叩くような柔らかい響きがあり、本当に耳に心地いいのである。まるで、木製の打楽器の響きである。「ツツドリ」という和名は、これに由来するのである。
 私は、この鳥の「鳴き声」は大好きだが、他のカッコウ科の鳥類である「カッコウ」、「ジュウイチ」、「ホトトギス」と同じように、「自分で卵や雛の世話をしない」で、森林内で繁殖するウグイス科の鳥類に托卵するということは大嫌いである。不届き千万、許し難い行為であると常々思っている。
 日本では特に「センダイムシクイ」への「托卵」が多いといわれ、他に「アオジ」、「ビンズイ」、「メジロ」、「オオルリ」、「コルリ」にも行うそうだが、何と小型の猛禽類である「モズ」にまで「托卵」するというから驚きである。
 「托卵」された「仮親」の方は気の毒というほかない。彼らの雛は、仮親の卵より早く孵化する。早く孵化すると、仮親の生んだほかの卵を巣外に、次々と落とし、仮親が運ぶ餌を自分だけのものにする。仮親は「ツツドリやカッコウ」の雛を自分の子供だと思い、必死に育てるのだ。そして、約19日で巣立つといわれている。
 いくら、DNAのなせる業とはいえ、「托卵」という習性は悪魔の習性であろう。
 このように彼らは別の鳥の巣にこっそりと卵を産み、後は「知らぬ顔のはんべい」を決め込む。子育てをしないのだ。まあ、人間世界にも似たような親がいないわけではない。

 かつて、ある人から「ホトトギスは夜も鳴くのですが、どうしてですか」と訊かれたことがあった。正直、その理由は分からなかった。
 しかし、「托卵」という習性を許し難いものだと思っている私は「子育てをしないのだから暇なのでしょう。だから、夜昼問わず鳴くことしかすることがないのでしょう」と、かなり「皮肉ぽい冗談」で答えたものである。
 だが、日本人にとっては、「カッコウ」は夏を告げる鳥として親しい存在だし、「ホトトギス」は「死出の旅の案内」者ととらえられるなど、「許し難い」野鳥ではない。
 私は、森の中からほのぼのとした感じで聞こえてくる「ツツドリ」の声も、「ジュウイチ(十一)」と聴きなしされる「ジュウイチ」の声も、みな好きだ。
 午後遅く下山してくる時に、山麓の雑木林で「テッペンカケタカ、テッペンカケタカ」と鳴いているホトトギスの声には「登山者」として、特別に心惹かれる。「テッペンカケタカ」とは、「無事に山頂に行ってきたのか」という意味だ。