岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

昨日、特別企画「岩木山の野鳥たち」写真展ほぼ設定完了

2007-03-16 06:21:17 | Weblog
 昨日15時30分から始まった設定は18時少し前に終わった。この作業に参加してくれた人は飛鳥、土岐、竹谷、斉藤各氏と三浦であった。毎年実施している写真展「私の岩木山」設定時に参集してくれる会員の数に比べると非常に少ない。なぜだろう。
 終わったと書いたが、私には「見出し票」の訂正と若干の新規制作が依頼されて、帰宅後にそれをした。さらに今日「ワイド4つ切り」の額縁を1枚用意しなければいけなくなった。
 
 今日の陸奥新報に掲載されているかも知れない。実は昨日17時過ぎに取材があったのだ。早めに「報道」したいので「前日の準備・設営段階で取材に行きたい」との電話が前日にあったのである。私としては、そのこともあったので出来るだけ大勢で協力して早めに「準備・設営」を終わらせたかったのだ。
 その取材の前にNHKのH記者がひょっこり顔を出して、「もう設営が終わったかと思って来ました。」と言ってやって来て、「まだですね。」ということで、「明日(今日のこと)改めて取材に来ます」と言って帰って行った。いずれにしても、マスコミの反応は上々といったところだろう。
 
 話しは変わる。街を歩いていると、あちこちに市会議員選挙立候補予定者の事務所が目立つ。同じ街並み2つもあったりする。議員本来の仕事もこのくらい先々と熱心であってほしいものだ。
 政務調査費の改正についても「白紙」にしてしまうような市議のみなさんには無理であろうか。自己の行動や心情を内省的に見直すことが出来ない人は心理的な成長が遅い幼児である。そのような人がまたもや多数立候補すらしいというから、市民にとっては悲しく「不毛」であるとしか言いようがない。

 本会ではこの選挙でも市長選への対応と「同じスタンス」に立つことが基本だろうと考えている。
そして、『金銭的な束縛のない中で自由に「本丸に上がり、岩木山に向かい合掌して岩木山を拝む」という信仰的な行為は、弘前市民にとっては長い長い歴史的な慣習なのである。だから、このような歴史的な慣習に対して、一方的にまるで拝観料を取るような入園有料化には反対』している。
 反対している理由はこれだけではなく、他にも沢山ある。近々本会のホームページに掲載する予定だ。

 ところで、本会では、2007年度の活動方針で「弘前市が岩木山に対する自然保護行政に積極的に取り組むように働きかける」として次項を掲げている。…

1.囲いのない郷土精神形成として本丸を含めた公園から見る「岩木山」風景を取り戻すために弘前公園の有料化には賛成しない。
2.「岩木山弥生地区自然体験型拠点施設」跡地に森林が回復するように運動を進める。

 そのために、近々行われる市会議員選挙では次に掲げることを政策で訴えている人を応援したいと考える。…

・「岩木山と本丸(公園)」を自由な精神のよりどころとして入園料はとらない。
・ 弥生跡地は出来るだけ自然治癒にまかせて原生に戻す。
・ すぐに損得中心の「活性化」的な価値を求めるよりも、何が善なのか何が悪なの  かで行動する。
・ 議員報酬を引き下げ、政務調査費をやめて、それらを公園(有料化の理由は公園  の整備にお金がかかるから受益者負担的に入園料を徴収することであるから)の  整備にあてる。

 

自然が教えてくれる様々な知恵を…

2007-03-15 06:45:06 | Weblog
 ここ数日、暖冬とは縁のない「寒い」日が続いている。今、外の気温はマイナス1.2℃だ。だから、寒いといってもまあ、大したことはない。しかも、積雪は殆どない状態だ。
 昨年は1,2月と少雪だったが、里では3月に入ってからかなり降った。
岩木山では4月になっても降り積もって、毎年5月に入ると見られる「雪形」(残雪が特定の形状で麓や遠隔地から見えるもの・それを頼りに農作業の日取りを考えた・弘前からは「ツバメ、山羊、田植えじっこ」などが見える)が形成されなかった。    もし、昔だったら農家の人は、このような「雪形」の現れない年には、何を尺度に「田植えの開始時期」などを決めたのだろう。
 ちょうどその頃、弘前と黒石で「岩木山の自然」という題で「県民大学」の一環として講演をしたのだが、話しの中に「雪形」が出てきても、まだ見えない「雪形」では説得力のあるはずもなかった。その時からずっと、「作業開始の指針となる雪形の現れない年に農家の人は、何に指針を求めたのだろうか」という思いを持っていた。

 ところで、気象庁が「桜開花予想に間違いがあった。コンピュータに入力するデータに不備なものがあったため。」と昨日発表した。過去の開花日と平均気温の統計から休眠打破可能日の割り出しをすべて「コンピュータ」任せにしたことが間違いなのだろう。
 このこと、つまり「コンピュータに頼る開花日」と「雪形に頼る農作業の開始日」とはまさに今昔、それぞれ対極に位置することである。この気象庁の発表は、昔の農民が「雪形の現れない春の農作業」を何を指針として、その開始日を決めたのかという疑問に回答を与えてくれた。
 現代は便利だ。手っ取り早く、何でもコンピュータだ。昔はそんなものがないから、自然の事象、森羅万象にその指針を求めた。これが駄目なら、次はこれでいこうというわけだ。「雪形」が頼りにならなければ、別な指針を自然の中に見つけ出してそれを利用したのである。
 何しろ「自然万象」が対象だから選択肢は多かった。現代よりもずっと自由だったのである。「何でもコンピュータ」という択一では世界は狭くなる一方だし、何と不便で不自由なことであろう。私の疑念はただの取り越し苦労であり、このような疑念を持つこと自体、私も現代の文明にすっかり侵されている証拠なのであった。
 今年もこのままだと、これまで現れていた「雪形」が、現れるべき場所に出なかったり、早く現れて瞬く間に消えてしまうということになるかも知れない。
 「心配はない。行政等が発表する農事情報に従っていれば大丈夫だよ」と仰る方がいるとしたら、それは「気象庁の開花情報」に振り回される人たちと同じだと言いたい。その農事情報もコンピュータ頼みかも知れないからだ。
 我々はもっと周囲の自然万象を厳しく観察して、その中から自然が教えてくれる様々な知恵を見つけ出していかねばならないだろう。
 明日から始まる特別企画「岩木山の野鳥たち」写真展からも多くの「自然が教えてくれる様々な知恵」が発見できると思う。

準備は今日、15時30分NHK弘前ギャラリーに集合して始めます。時間のとれる会員は設営のお手伝いをお願いします。

まだ、あった「岩木山の野鳥たち」展の準備

2007-03-14 08:09:43 | Weblog
 もう準備はすっかり終わって、あとは始まるまでにパンフレットの増刷を若干すればいいだろうと考えていた。ところが、開催中、会場で静かに「野鳥の声」を流し、また、特定の野鳥の鳴き声を「実際録音した声」で皆さんに聴いてもらうという企画があったことを忘れていたのだ。
 
 昨日の朝から、その作業が始まった。会場でただCDを差し込んで聴かせればいいわけではない。
まずは、「岩木山にいる」鳥に限定しなければならない。それが「音楽CD」の編集作業になるのだ。私が持っている「野鳥の声」シリーズCDは3枚である。それを開いて1つずつのファイルにして、岩木山にいる野鳥だけをピックアップしてコピーし、1つのフォルダにする。
 さらにそれをパンフレット記載の、大体の順序に並べるために、ファイル名の変更をする。ここまでが大変で、時間もかかるのだ。
 また、CDには単独な野鳥単位でなく森とか草原とか、広い生息地全体で聴かれる様々な野鳥たちの全総合的な「鳴き声」部分もある。バックグランドには風の音あり、滝の激しい音あり、渓流のせせらぎありで、まさにそれは自然と野鳥たちが織りなすシンフォニーなのだ。またまた欲が出てきた。コラボレーション、写真と文章だけでなく、野鳥の声とクラッシック音楽とのコラボレーションはどうだろうと考えた。
 「全体的、総合的な鳴き声」ファイルにクラッシック音楽ファイルを連結させていけばそれは出来る。またまた、鳴き声CDとクラッシック音楽CDからファイルの取り出し、音楽を聴いては「よくハーモニー」するファイルを探して、コピー・連結して1つのフォルダにまとめていった。
 まさに一日がかりであったが完成した。CDにして、さらに2台のパソコンに取り込んでおいた。
会場のNHKギャラリーにはすばらしいアンプと音響機器がある。何と、あの「BOSE」ボーズ製品である。おそらくうん十万円はしたであろう。それを使わせてもらえることになっているので、いい鳴き声とすばらしい音楽のコラボレーションを楽しんでもらえると思う。是非、お出で下さい。
 特別企画「岩木山の野鳥たち」写真展は16日から18日まで、10時から17時、ただし最終日は16時で終了。NHK弘前ギャラリーで。すでにNHKやマスコミ各社から報道されています。

雨返しは強力だ

2007-03-13 07:12:10 | Weblog
 「雨返し」という言葉が津軽地方にある。日本海で発達した低気圧が前線をともない雨を降らせて西から東に移動する。その後に大陸性の高気圧が寒気を運んでくると雪になる。
 これを「雨返し」という。すなわち、「雨が雪を返してよこす」とでも言おうか。テレビのニュースでも、気象情報でも大雪、強風、寒波だと大騒ぎ、かなりの時間をその報道に割いている。
 だが、賢明な「津軽」の人は、「この時期に雨が降れば、その後は大荒れ、大雪だ。雨返しだでばな。こんなことに大騒ぎをしてバカでねが。」と考える。もっと賢明な「津軽の人」は、「ああ本来の季節になった」とほっとして元気に雪かきをする。普通の「津軽人」は「テレビの気象情報やニュースに応える」ように心配する。極めて普通の「津軽人」は、これで少しはスノータイヤの摩耗が減少するだろうと考える。どうしようもない「津軽人」は、慌ててスノータイヤに換える。

 そして、私はその大荒れの中を「徒歩」で、ノートパソコンを肩に担ぎ、オーバーヘッドプロジェクターをザックに入れて背負いNHKの講座に出かけ、また、「徒歩」で帰ってきてから、会長宅に徒歩で出かけた。
 会長と約1時間、「野鳥たち」展の説明やら本会の当面の課題について話し合いをして、帰路につき、途中量販店で「印刷用紙」などを購入して16時に帰宅した。この間約3時間、「徒歩」とは時間のかかるものだ。
 だが、歩くことは苦にならない。登山の基本は「歩くこと」なので、とにかく「歩く」のである。歩くことは楽しいし、たいぎだと思ったことは一度もない。何しろ私には自動車がない。もちろん、自動車運転免許もない。
 だから、歩くしかないのだが、「…しかない」という状況をマイナス的には受けとめていない。それをより、積極的に進めて楽しんでいる。吹雪の中、頬を刺すような冷たい風を車の中にいたのでは体験出来ないだろう。久しぶりに舞い戻ってきた本来の「季節」を肌で感ずることの幸せを持てないのだ。
 私は十分、その幸せを体感した。

(ここからは会員向けの記事)
「会長は14日から31日まで、ミャンマーならずボルネオに蝶の研究のため出かける・今年は5月中旬から6月末までの外国行きも予定されている。」

(ここからは管理人・葛西さんに向けた記事)「3月3日、5日、7日に送った原稿と画像を早く掲示して下さい。特に、特別企画・岩木山の野鳥たち写真展と総会の案内は扉に目立つようにお願いします。」

やはり、素人・門外漢では…

2007-03-12 07:16:21 | Weblog
 私の「勝手」な体験と知識で抽出した「岩木山にいる」はずの鳥リストには間違いがあった。その道数十年という小山・菊地・飛鳥三氏が点検した結果、「コノハズク」「アオバズク」などの四種が岩木山では確認されていないのだそうだ。
 さすがだなあと驚嘆すると同時に尊敬してしまった。やはり、「先達」である。その道一筋の人たちはすばらしい。深く感謝している。
 結局、岩木山でこれまでに確認された鳥は91種、これにハシブトガラス、ハシボソカラスを加えると93種になる。

 展示写真の見出し票(解説票)、受付名簿用紙の印刷も完了した。昨日飛鳥さんからFaxで「用語解説」の原稿も届いたので当日用の「パンフレット」(全6ページ)に書き込んで、一応30部だけ印刷してみた。両面印刷なので「プリンター」まかせに出来ないところが、かなり厄介である。
「月刊弘前」12冊の表紙をA3ノビ2枚に印刷もした。

 「ああ、これで当日を待つばかりだ」とほっとしたら、飛鳥さんの「当日会場でオーバーヘッドプロジェクターを使い、展示されていない岩木山の野鳥を本会のファイルで映して下さい。」という言葉がよみがえった。
 そこで、そのファイルを開いて見たところ、「確認されているが写真のないもの」が22種もあった。数種類はインターネット検索で写真を取り込んだが、昨晩はすでに時間切れ、就寝時間になっていた。

 今日はNHK文化センター「山野・路傍の花を愛でる」講座の開講日で講師をつとめる。忘れていたわけではない。準備は「岩木山の野鳥たち」写真展の事務的な作業に入る前に終わっていた。
 その後の予定は、午後阿部会長のところに「岩木山の野鳥たち」写真展のパンフレットを持参、作業の進捗状況を説明することである。会長は15日から今月末まで、また外国にライフワークの蝶の研究のために出かける。今度もまたミャンマーだろうか。
 印刷用紙とインクの購入もしなければいけない。それらを終えてから「確認されているが写真のないもの」を、昨晩に引き続きインターネット検索で写真を取り込み、スライドショウが出来るようにしよう。
 

今朝のブログに続けて…ちょっと補足

2007-03-11 11:47:11 | Weblog
 これまで開催した写真展(岩木山トレイルセンターとか本会の「私の岩木山」)の出展リストとか、本会の「野鳥ファイル」とか、あるいは私の体験や知識をもとにして「リスト」漏れのものを探してみた。連番で85から94に増えた。専門家や通称「鳥やさん」たちだと、もっと正確に生息種類を把握出来ているだろう。
 100種類の大台に乗せたいと「岩木山おたく」の私はひとり興奮している。「岩木山は生き物の楽園である」を永遠に不変たらしめるためには、より多くの鳥を含めた生き物が存在すべきなのだ。だから生息する鳥も多い方がいいと考えてしまうのだ。これおかしいかな。

コラボレーションということ

2007-03-11 07:10:32 | Weblog
 「岩木山の野鳥たち」写真展に出展される鳥種が56なので、「岩木山」とする以上もっとあるはずだと私なりに探してみた。もちろん、撮影したわけでない。鳴き声を聴いたり、見たりしたものである。それらを加えたら85種になった。昨日、飛鳥さんに私が調べたものをFaxして、妥当かどうか、またこれら以外にもあるかどうかの確認をしたがまだ返答はない。
 
 例えば…「ヤブサメ」。かなり前だが岩木山環状道路、約60kmを自転車で走った時のことである。道ばたにウグイスに似た鳥が死んでいた。外傷はなくきれいなままだった。自動車に「跳ね飛ばされて殺された」ものである。この「跳ね飛ばされる」ことを「接触」すると言うらしい。こう表現すると実態状況が「緩和」される効果があるのだろう。ひとのいい「反省」を含んだ表現なのだろうか。はなはだ疑問だ。「敗戦」を「終戦」と表現しなおすどこかの国でのことだからさもありなんか。
 脇道にそれた。本題に戻ろう。まだ前本会事務局長の三上正光さんが元気だったころの話しである。私はその鳥の死骸を小さなビニール袋に入れて三上さんのところに持って行った。三上さんはその死骸を悲しそうに見つめて「ヤブサメ」という名前を口にした。藪の中で暮らすのでなかなか人目につかない鳥なのだろう。写真に撮る機会が少ないこともうなずける話しだ。
 藪の中、藪から藪へと移動する、地面からあまり高くない空間を飛ぶのである。その高さを道路向かいの藪に移動した時に自動車に跳ねられたのだと三上さんは説明をしてくれた。
 夏場、午後遅く岩木山から降りて来ると、山麓で「テッペンカケタカ」と鳴く声を耳にする。これはカッコウの仲間であるホトトギスだ。これも出展写真リストにはない。以下、主なものを挙げてみる。ヒガラ、コガラ、ミソサザイ、キジバトなどである。

 昨年一年間「月刊弘前」の表紙写真を飾った菊地さんと飛鳥さんの写真と巻末にある「表紙の弁」とのコラボレーションをやるのだが、その案内と掲載文章が出来上がった。印刷も終えた。案内がA3で文章がB4である。
 他にパンフレットの表紙をカラー版でレイアウトしてみた。結構上手くできたと思っている。中身(全6ページ)も95%完成している。あとは飛鳥さんからの「用語解説」に関わる原稿が到着次第、付け加えて完成となる。印刷が問題なのだ。
 

「岩木山の野鳥たち」写真展見出し票出来る

2007-03-10 07:21:13 | Weblog
 午前中かけて「岩木山の野鳥たち」写真展の見出し票が完成した。とはいっても昨日のことであり、まだ印刷はしていない。さらに鳥名・鳥種・解説・撮影者名を一覧にした「岩木山の野鳥たち」写真展のパンフレット(小冊子)の作成に入った。A4版で6ページになる。昨日は以上の作業で、朝から夜の10時までかかってしまった。
 今日はそのパンフレットのレイアウトに取りかかる予定だ。
 昨日の作業の中で気になったことがある。それは「岩木山の野鳥たち」と銘打っていながら、留鳥・渡り鳥・漂鳥を問わず確実に岩木山に生息しているはずの「野鳥」が鳥名・鳥種リストに出てこないことだった。
 夏場、岩木山の登山時に、ブナ林の中で「ヒヒーン カラカラ」という鳴き声を聴くことがある。澄み切った声、可愛らしい声である。姿も見えないし、何という鳥なのかは分からなかったが、その鳴き声「聞きなし」から図鑑で調べたら、駒鳥「コマドリ」であることが分かった。
 駒は馬のことであるし、馬の鳴き方は、確かに「ヒヒーン」だった。静かな森に、静かに流れる鳴き声を耳にしたことは一度や二度ではない。しかし、姿を見ていない、耳によるだけの記憶は間違いであるかも知れない。聞き違いかも知れないが、とにかく、コマドリは「岩木山の野鳥たち」写真展のリストにはなかった。
 もちろん、写真展だから写真の「出展」がなければリストに載せようがないのだが、どうも「物足りない」という感じは消えない。そこで、パンフレットに「ここに掲載されている以外で、岩木山で確認されている野鳥たち」という項目を付け加えて補足しようと考えた。
 私は野鳥に関しては門外漢なので、飛鳥さんや菊地さんなど「日本野鳥の会弘前支部」の人に相談して、出来るだけ早く情報の提供を受けて、16日の開催までに完成させたいものだ。今日10日も、山に行くこともせず、この仕事(作業)に没頭することになるだろう。
 

「岩木山の野鳥たち」写真展、その入力トラブル

2007-03-09 08:05:09 | Weblog
 昨日から表記の「作業」が始まった。飛鳥さんがCDにコピーしてくれたファイルは簡単に私のPCに取り込めた。あとは開いてコピーと貼り付けを繰り返して、「見出し票」にレイアウトして完成だと、はなから簡単にいくだろうと考えていた。
 ところが、最初の問題が出た。飛鳥さんが使っているのは「Word」である。私のPCにもWord2004が入っているので別にソフト的には問題がない。ところが、「見出し票」枠にコピー・貼り付けしたら、字間が密着過ぎて、字と字がダブってうまく読めない。これだとそのままはでは使えない。
 私は日常、殆ど「他人」の書いた原稿を「入力」しないし、「他人」の書いた原稿をコピーしない。このような作業は私の一番苦手とするところだ。
 いかなる場合も直接、キーボードに向かい、キーを打って画面に「自分の文章」を書く。推敲しながら書くのだから、キー入力のスピードは問題にしない。遅い方が「推敲」するのにはいいのである。だから、私が一番読みやすい、いつも固定の「字間」である。設定もそうなっている。
 ところが、飛鳥さんの原稿「字間」は私の日常のそれとは、違っていたのである。いつもそのままの「設定」で使用しているわけだから「設定の変更」などに敏感ではない。はたと困ってしまった。
 変にいじくるよりは、私が長年、使ってきた「ATOKと一太郎」でと、Windows XP Pro PCに移動して、「Word」ファイルを「一太郎」に変換して、挑戦した。
 …うまくいかないものだ。ますます、混乱状態が広がり、深くなってしまった。その混濁とイライラ作業が午前中続いた。
「先達はあらまほしきものなり。」とは兼好が徒然草で言うことだが、「先達」がいたら、こんな問題なぞ瞬時に解決するだろう。私のPCに関わる「先達」はHP管理人・葛西さんなのだが、このようなことまで「訊いた」ことは一度もない。

 なにはともあれ、結果から言うと、時間はかかったが「適切な字間」で見出し票の作成が出来るところまでは辿り着いたので、めでたしめでたしである。だが、作業は予定よりも半日遅れている。

昨日の日記を…今日。

2007-03-08 09:45:18 | Weblog
 昨日、HP管理人・葛西さんに、ある会員から『「日本の天然林を救う全国連絡会議」が行っている署名を50人集め、送った。朝日新聞にC・W・ニコルさんが天然林の伐採の経緯や今後の課題、私たちの取り組みの意義や重要性について書いていたので読んだ。この問題の真の意味がよく分かった。』という電話があったということをHPに掲載してもらうためにメールを送った。
 送る前に、その朝日新聞の切り抜きを読みやすいように編集・枠取りし、画像に変換し併せて送付した。
送った後で「日本の天然林を救う全国連絡会議」のHPを見たら、すでにアップされていて、何だか無駄な努力をした感じがしてきたが、「読みやすさ」という点では勝っているから、葛西さんはこちらを貼り付けてくれるだろうと思っている。

 夕方、幹事・飛鳥さんが特別展示「岩木山の野鳥たち」写真展用の「見出し票(解説票)」原稿と出展リストのひな形とそれをコピーしたCDを持ってきた。時間をかけて入力した原稿であろうと想像する。非常にありがたく、ご苦労さまと言いたい。
 早速、リストを見て、そこにない鳥種で、私が持っている野鳥ファイルにあるものを検索した。その結果、ウグイスとキセキレイが出てきた。
 リストの中の「ハリオアマツバメ」欄には「原版紛失につき展示不能」とあった。これは昨年1年間、「月刊弘前」の表紙を飾ったものの1種である。この展示がないのは写真展の主題上非常に困ることなので、本会が所有している「岩木山の野鳥」ファイルを検索したら、幸いにもあったのである。
 その他に「群れて飛ぶ」写真もあっていいなと考え、「早春の岩木山・大鳴沢源頭を越えて渡る群れ」と「岩木山、弥生上空の北帰行」の合計5枚をA3版でプリントすることにした。

 今日から忙しくなる。まず、63枚の写真「見出し票」の作成と印刷だ。それが終わると「月刊弘前」表紙写真とのコラボレーションに関わる解説・鑑賞文の作成、印刷である。これはすべてA3版である。工夫を凝らそう。
 その他に、種々の貼り付けポスターやパンフレットなどの作成と印刷がある。事務局長兼事務局員1人の事務局は15日までフル稼働の大忙しさが始まる。

春は光りから

2007-03-08 08:14:29 | Weblog
 今朝も、昨日の朝も鳥たちのさえずりを聞きながら目が覚めた。今朝はスズメたちの何やらとても優しいさえずりとアカゲラの木肌をつつくドラミングである。昨日はカワラヒワだと思うが、聞きながら一寸早い訪れかなとは感じた。昨日も今朝も寒い。昨日は雪が降っていたし、気温も氷点下4℃ぐらいだ。
 私の家は弘前市内の、とある神社のすぐ裏手にある。「鎮守の森」という言葉通り、かなりの樹木が繁っていて、春夏秋冬色々な鳥がやって来ては、じなきやらさえずりを聞かせ、子育てをしている。やって来る多くの鳥たちによって私は明確に「季節」の到来と退去を知るのである。このような幸せなことはないだろう。
 「暖かい春の訪れにあわせて野鳥たちがさえずり鳴き交わして…」というフレーズをよく見たり、聞いたりするが、それにしては、昨日の朝も今朝も氷点下4℃と寒かった。しかも、昨日は雪が降っていたし、今朝は北風が冷たい。決して「暖かい」とは言えない。となれば、「暖かい春の訪れにあわせて」ということは説明がつかなくなる。
 詳しいことは分からないが、野鳥たちにとって、春は「光り」から始まるらしいのだ。地球は23度なにがしかの傾きを持っていて、それ故に中緯度帯では季節変化がある。傾き加減は太陽からの距離を長くしたり、短くする。それは地球上に、いわば私たちの生活空間に、気温の高低と光り「明るさ」の強弱という違いを与える。
 文明の利器やエネルギーによる暖房や冷房、それに四六時中点けられる照明に慣らされている人間はその違いをすっかり忘れているだろう。鳥たちは光りに鋭く、「本能的」に反応する。光りの強さで春を知るのだ。
 自然の中で生きる生命として、極めて自然な営為であろう。
 文明に依拠して生活している私たちが、すっかり失ってしまった感覚を、鳥たちは教えてくれる。目覚めながら、私は「ありがとう。春なんだね。」とそっと呟いた。
 「岩木山の野鳥たち」写真展(16~18日・NHKギャラリー)にお出で下さい。どんな「自然」に触れることが出来るか、楽しみですよ。

春の雪か、冬の再来か

2007-03-07 07:51:28 | Weblog
 今朝は、5~7cmほどの雪が積もっていた。しかも外気温はマイナス4℃であった。何故かほっとした。しかも結構細かく、乾いた感じで、しまった雪である。今も降り続いている。
 これは西東三鬼(さいとうさんき)が「垂れ髪に雪をちりばめ卒業す」と詠んだ、髪に付着するような淡い春の雪ではない。もちろん、岡山県津山生まれの三鬼が見た雪は、北国弘前に降る雪と違うだろうと想像する。「ああ、まともな冬がやって来た。」という待ち望んでいたものに会えた感慨から、何だか嬉しくなった。
 それはともかくとして、私はこの俳句「垂れ髪に雪をちりばめ卒業す」が好きである。3月の卒業期になると毎年、髪に付着するような湿っていながらも、大きめでふわふわと舞い落ちてくる、風のない雪景色を期待したものである。
 「垂れ髪」の主である女子学生たちが、この穏やかな雪景色の中を巣立って行くのである。舞い落ちてくる雪のひとひらひとひらが、天から女学生たちの前途への祝福であるかのように思えるのだ。「紙吹雪の中を」という風景を時々見るが、「舞い落ちる淡雪の中を」という風景に比べたら何と俗なことか。前者は人工的な淺知恵の所産、後者には天の配剤と自然の神の慈しみが感じられてならない。

市内FM局にFax、新聞支社に原稿と写真

2007-03-06 06:04:03 | Weblog
 少し遅くなったが、FMアップルウエーブ局とその他マスコミ社に、特別展示「岩木山の野鳥たち」写真展の開催要項をFaxした。これまでは本会が開催するイベントの数週間前に直接訪問して、解説や案内をした上で「放送と掲載」をお願いしてきた。そちらの方が各社に対する礼儀だろうと考えたからだ。だから、本当はFaxで済ませることにはかなり抵抗がある。
 事後に会長と一緒に出向いてお礼をしなければいけないだろう。
 東奥日報弘前支社に「極少積雪の岩木山」の実態とそれに関わる懸念(不安)についての写真と原稿を届けた。編集部長に説明をしてきた。記事にしてくれるかどうかは、あくまでも新聞社が決めることだから静観しよう。

 ところで、昨晩から今朝にかけて「大荒れ」という予報だが雨、風ともに大したことはないようだ。日本海を台風が進んだり、前線が西から東に移動するとき、いつも岩木山の存在を確認して、その役割に感謝をしている。
 つまり、岩木山は風よけの衝立なのである。昔の人は自然現象を身近にとらえ、直接、鋭く観察した。だから、「岩木山の有意義性」もしっかり把握していた。
 さて、現代人の我々は、弘前市を中心にしたこの津軽地域における「岩木山」と「八甲田山」が果たす気象的な役割・恩恵をどの程度理解しているだろう。
 知識やマスコミ等から与えられる情報に頼らず、体感することから学ぶ方が地域理解には早道のような気がする。

日記ということ、ブログということ

2007-03-05 07:58:56 | Weblog
 ずっと日記を書いてきた。日記というのはジャンル的には「自照文学」と言われているらしい。確かに自分の内面を書いてみたり、自己沈潜の傾向が強い。他人のことを書くがあくまでも自分はどう思うかなどと方向は内向きのような気がする。だから、時々、自分のいやな面にも気づいて「書くこと」がいやになることもある。しかし、そのような自己の我慢ならない嫌らしさに反省を加えるきっかけにはなる。また、Aという問題についてあの頃は「こう考えていたのか」ということを何年か後に読み返してみて知ることになったり、「全然変わっていないなあ」とほっとしたり、がっかりしたりすることもある。とにかく、日記は自分との語り合い、自分と向き合って書くものなのである。他人が登場しても、その内容を他人に伝えることはない。あくまでも「非公開」が原則なのである。
 ところが、ブログなるものは「公開」が原則で、「公開」しない限りブログは存在しない。ブログを書き始めて10日くらいになっただろうか。今、私は悩んでいる。公開するだけでなく、「コメント」という形で他人が入り込んでくる。私はそれに対処できるのだろうか。「日記」を書く気分を棄てないといけないと理解しつつも、現在書いているものは私の「日記」になってしまった。
 今日は確定申告に出かける。ついでに東奥日報社に寄ってくる。岩木山の「極少積雪」の話しをしてくるつもりだ。

岩木山の積雪状況に関する補足

2007-03-04 11:16:56 | Weblog
 言葉が足りなかった。この分だと「岩木山では今後積雪期が終わるまで雪崩発生はない。」と受け取るむきもあるような気がしてきたので、次のことを補足したい。
 仮に、このまま降雪がなく残雪期を迎えると、雪庇崩落等による雪崩は少ないだろう。また、今季の季節風の吹き出しが弱かった所為もあり、西から東に向かって下る沢斜面での雪崩の発生回数も少ないだろう。
 その代わり、南面ないし南東面に開けた尾根では底雪崩(全層雪崩)の発生は十分予想されるし、これまで発生したことのない斜面でも発生するかも知れない。
 昨日や今日の岩木山上部(標高1200m以上)では、雪面は固く、氷化した状態であるから、今後降雪をみれば、鏡の面に「雪が積もった」のと同じ状態となり、表層雪崩の発生頻度は極端に高くなる。里に降雪がなくても「山の上」は降雪がある。そのような時は入山を控えるべきだ。
 その降雪後、数日間様子をみてから登山行動(スキーやスノーボード行動も含む)をするべきである。好天で暖気が続くと溶けて、下の雪層と接合し、氷化・凍結するので表層雪崩の発生は少なくなるからである。
 また、昨年やその前年では、「積雪があった場所」も今季は積雪がないので「あるつもり」や「過去の経験」だけを頼りにして登山、スキー、スノーボードをすることは絶対避けなければならない。
 
 なお、岩木山の雪崩については本HPで雪崩発生地図などを提供しているので、コピーなどして参考にしてもらいたい。
 雪崩発生地図に関しては、未記入の箇所もある。それは大黒沢中部である。そこを降りるスキーヤーは十分注意してもらいたい。