岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

新聞記事とは…

2007-03-18 07:09:15 | Weblog
 昨日の陸奥新報紙と東奥日報紙に特別企画「岩木山の野鳥たち」のことが掲載されていた。
 まずは感想から、昨日のブログとダブるが…
「こちらの述べたことがあまり反映されていない。」
「かなり時間的には長い取材であるにもかかわらず掲載内容が少ない。」
「かなり量的には多項目に渡って話しているが掲載記事はその中の一部であることが多い。」などである。
 どうしてこうなるのかは…
「心の窓の開き方と広がり、深まりなどがそれぞれ違う」ことと「紙面割り付けが(ギャラリーだよりとか紹介)などという固定された部分」であり、「それに割かれる紙面のスペースがあらかじめ、決められている」ことによるのだろう。

 問題は後者にある。
 この各紙が持つ「ギャラリー」という欄で、市内に多く存在する「ギャラリー」の展示内容を、一派一絡げ・一視同仁的に紹介するというところに問題がある。
 私がNHKの企画展として依頼されて1月の10日から25日まで開催した「厳冬の岩木山」写真展も展示場所は同じである。ところが、その内容はまったく違う。

 昨日会場を訪れた弘前大学名誉教授M氏は「この内容を1回の写真展として終わらせることはもったいない。単なる写真展として片づけられるだけの内容ではない。学術的な意味合いが非常に強い。」というような意味のことを語ってくれた。その他にも数名の人から、同じような意味の言葉をもらった。

 この点に注目すると、「あそこのギャラリーでこういう催事がありますよ」というお知らせ的な内容を越えて「報ずる」ことがあってもいいのではないかと考えるのだ。
 つまり、固定された枠組みを越えて、紙面の別なスペースで、今回のことであれば「学術的な意味」という視点で取り上げて報道するという姿勢が各紙にあってもいいということである。残念ながら、今回その姿勢はまったくなかった。
 「何々」写真展といっても、その質的な内容はそれぞれまったく違うものだ。だから、一視同仁的に扱うところに無理があるということに気づいてほしいのである。

 先に述べた「厳冬の岩木山」写真展には各紙が取材に来た。M紙は「ギャラリー」云々というコーナーで紹介した。しかし、T紙はそのような扱いはしなかった。展示内容から「ギャラリー」云々欄で紹介する質的な範囲を超えていると判断した(という言い方を担当部長が言った)ようで、後日2週間にわたって別面での掲載報道となったのである。
 今回の特別企画「岩木山の野鳥たち」写真展は私の「厳冬の岩木山」を質的にも学術的にも遙かに超えるものである。取材時間も長かった。
 にもかかわらずT紙のあのような狭いスペースと少ない掲載内容での扱いには、ひどく失望した。
 もう一つの失望は、取材の時に応対してこと細かく説明をした催事の実質的な責任者「飛鳥和弘」さんのことが、ただの一字も載っていないことである。
 記事のソース提供者の指名を掲載することは「取材の礼儀」であるはずだ。

 それに、M紙が紹介した記事には、私がしてほしくない「三浦章男」という活字がまた刷り込まれていた。こちらは失望ではなく「残念」という一語に尽きる。


*ご案内*

 ・会場では個別に野鳥の「鳴き声」を聴くことが出来ます。受付係か機器担当者に鳥の名前(たとえば「ホオジロ」)を言って申し出て下さい。5秒後には聴くことができます。ただし、「岩木山にいない野鳥」は出来ません。

 ・野鳥の名前を知りたい方は、その特徴を具体的に説明して下さい。写真があればベターです。昨日は写真を持参した人がいました。それは「ヤブサメ」でした。
 また、『昔、ずいぶんと家の近くで聴いた「チュイーンチュイーン」と鳴く鳥が、最近は姿を見せなくなった。あの鳥は何ですか。』という質問もありました。それは「カワラヒワ」です。
 というやりとりが自由に出来ます。本日は16時で終了です。