昨日もNHK弘前文化センターの講座であった。月二回のこれは私が講師をつとめている。
昨日も数種の草花について勉強したが、その中の一つは「蝦根・海老根夷・他倫草(エビネ)」である。
「北海道、本州(山形県以北)に分布していて、低山から高山の湿った草地、山地や丘陵の林下に生える。」と図鑑などにあるが最近は滅多にお目にかかれない。根っこが海老に似ているのでこの名がある。
「感性で草花を愛でる」ということが講座の主なテーマなので、その草花を歌題にした短歌や句題にした俳句などを例として挙げながら、鑑賞することもある。
エビネに関しては次の俳句を中心に考えてもらった。
・杉山に燭をかかげて海老根咲く (青柳志解樹)
『春先の杉山、その薄暗い林床にまるで燭台の明かりを掲げたかのように海老根が淡い臙脂の群れをなしてが踊っていた。』というのが句意であろう。
何も杉山でなくてもいい。岩木山山麓の雑木林で次のような出会いをしたことがある。
『…春、残雪を伝って岩木山を下りてきた。沢水の音が近づいてきた。行く手の右上空から差し込む陽光が筋をなして、雑木林の林床の一点を照らし出した。淡い臙脂の群れが踊った。それは光浅き早春の林下に掲げられた群れなす燭の彩りとでも言える海老根の小群落だった。ふと、青柳志解樹のこの句が脳裏をよぎった。』
今日の題目で言いたいのは次の俳句である。
・足音がきてすれちがふえびね掘 (飴山 実)
『海老根を掘りとっていたら、人の足音が近づいてきて、そばを通って去っていった。きっとあの人も海老根掘りに違いない。』が句意だ。
「…すれちがふ」と旧仮名遣いで表記されているところからすれば、この句は最近のものではない。戦前かあるいは少なくと戦後間もなくであろう。この俳句の句意は述べたとおりだが、これから解ることがもう一つある。
それは、咲いているエビネを掘り採るに多くの人が山に入っていたということである。つまり、日本人にとってエビネの咲きだす頃、「里山に入って海老根を掘りとって来ることが極めて普通の感覚であり、一般的だった」ということである。
しかし、「これだから、絶滅や絶滅が危惧される状況になるのは当たり前なのだ。」とすることは早計であろう。そうではない。好事家(こうずか「風流を好む人」)だけの、直接の掘り採りであれば、その数はたかが知れているだろう。好事家はいつの世にもいた。江戸時代にも明治、大正、そして昭和という世にも沢山いた。 けれども、特定の山野草が絶滅の憂き目をみたという歴史はない。
江戸時代には、福寿草の植栽が盛んになったが、これは自生のものを掘り採ってきて栽培したものだ。それまで、俳句や和歌の世界に「福寿草」は登場しない。江戸時代から登場するのだが、おもしろいことに、主題はすべて庭に咲いた「福寿草」であり、鉢植えの「福寿草」である。
多くの家々で「福寿草」を植栽していたが、山野の「福寿草」が絶滅したという記録はない。
山野草の中でも、特に「蘭科」の植物は山野から激減している。
岩木山では「サルメンエビネ」などは見ることが出来なくなってしまった。毎年咲いている場所に「会い」に出かけていたが、ある年に、見事に掘り採られていた。その後、その場所からは「サルメンエビネ」が完全に消えた。
岩木山に自生している花々をこよなく愛している友人のTさんに、そのことを話したら「あれが最後の一本だったかも知れない。岩木山からサルメンエビネはなくなってしまったのだろう。」と悲しそうに言った。
ではなぜ、このように「消えてしまう」のか。好事家だけの採集では絶滅することはあり得ない。これは歴史が照明している。
となれば、それは「自分で採集しない、または出来ない人が、お金でほしい山野草を買うことで、手に入れる」ということに起因しているのだろう。
「金」のある人にとって金を出すことは、苦労を伴うこともなく簡単なことだ。その簡単なことには人は群がるものだ。希少な山野草にはより多くの人が群がり「値段」をつり上げる。もはや「山野草」は立派な商品であり、投機的な側面すら持つようになってきている。
ここ数年、「山野草店」が増えている。そうなれば、そこに展示される山野草の数は膨大であり、そのニーズを埋めるほどに山野から「掘り採られて」くるのである。
絶滅の原因は、ひたすら利潤のみを追求する商業主義である。法律もそれを規制していない。採ることは規制しても売ることを規制しないという明らかな矛盾。岩木山に見られる山野草で、法律的に「採取」すると罰せられるものはあるが、「それ」を売買すると法律で罰せられるとするものはないのである。
悲しいかな、日本の法律は商業主義(資本主義)に立脚しているから、「商業、商売擁護」が主であり、「自然擁護」は常に後回しなのである。
昨日も数種の草花について勉強したが、その中の一つは「蝦根・海老根夷・他倫草(エビネ)」である。
「北海道、本州(山形県以北)に分布していて、低山から高山の湿った草地、山地や丘陵の林下に生える。」と図鑑などにあるが最近は滅多にお目にかかれない。根っこが海老に似ているのでこの名がある。
「感性で草花を愛でる」ということが講座の主なテーマなので、その草花を歌題にした短歌や句題にした俳句などを例として挙げながら、鑑賞することもある。
エビネに関しては次の俳句を中心に考えてもらった。
・杉山に燭をかかげて海老根咲く (青柳志解樹)
『春先の杉山、その薄暗い林床にまるで燭台の明かりを掲げたかのように海老根が淡い臙脂の群れをなしてが踊っていた。』というのが句意であろう。
何も杉山でなくてもいい。岩木山山麓の雑木林で次のような出会いをしたことがある。
『…春、残雪を伝って岩木山を下りてきた。沢水の音が近づいてきた。行く手の右上空から差し込む陽光が筋をなして、雑木林の林床の一点を照らし出した。淡い臙脂の群れが踊った。それは光浅き早春の林下に掲げられた群れなす燭の彩りとでも言える海老根の小群落だった。ふと、青柳志解樹のこの句が脳裏をよぎった。』
今日の題目で言いたいのは次の俳句である。
・足音がきてすれちがふえびね掘 (飴山 実)
『海老根を掘りとっていたら、人の足音が近づいてきて、そばを通って去っていった。きっとあの人も海老根掘りに違いない。』が句意だ。
「…すれちがふ」と旧仮名遣いで表記されているところからすれば、この句は最近のものではない。戦前かあるいは少なくと戦後間もなくであろう。この俳句の句意は述べたとおりだが、これから解ることがもう一つある。
それは、咲いているエビネを掘り採るに多くの人が山に入っていたということである。つまり、日本人にとってエビネの咲きだす頃、「里山に入って海老根を掘りとって来ることが極めて普通の感覚であり、一般的だった」ということである。
しかし、「これだから、絶滅や絶滅が危惧される状況になるのは当たり前なのだ。」とすることは早計であろう。そうではない。好事家(こうずか「風流を好む人」)だけの、直接の掘り採りであれば、その数はたかが知れているだろう。好事家はいつの世にもいた。江戸時代にも明治、大正、そして昭和という世にも沢山いた。 けれども、特定の山野草が絶滅の憂き目をみたという歴史はない。
江戸時代には、福寿草の植栽が盛んになったが、これは自生のものを掘り採ってきて栽培したものだ。それまで、俳句や和歌の世界に「福寿草」は登場しない。江戸時代から登場するのだが、おもしろいことに、主題はすべて庭に咲いた「福寿草」であり、鉢植えの「福寿草」である。
多くの家々で「福寿草」を植栽していたが、山野の「福寿草」が絶滅したという記録はない。
山野草の中でも、特に「蘭科」の植物は山野から激減している。
岩木山では「サルメンエビネ」などは見ることが出来なくなってしまった。毎年咲いている場所に「会い」に出かけていたが、ある年に、見事に掘り採られていた。その後、その場所からは「サルメンエビネ」が完全に消えた。
岩木山に自生している花々をこよなく愛している友人のTさんに、そのことを話したら「あれが最後の一本だったかも知れない。岩木山からサルメンエビネはなくなってしまったのだろう。」と悲しそうに言った。
ではなぜ、このように「消えてしまう」のか。好事家だけの採集では絶滅することはあり得ない。これは歴史が照明している。
となれば、それは「自分で採集しない、または出来ない人が、お金でほしい山野草を買うことで、手に入れる」ということに起因しているのだろう。
「金」のある人にとって金を出すことは、苦労を伴うこともなく簡単なことだ。その簡単なことには人は群がるものだ。希少な山野草にはより多くの人が群がり「値段」をつり上げる。もはや「山野草」は立派な商品であり、投機的な側面すら持つようになってきている。
ここ数年、「山野草店」が増えている。そうなれば、そこに展示される山野草の数は膨大であり、そのニーズを埋めるほどに山野から「掘り採られて」くるのである。
絶滅の原因は、ひたすら利潤のみを追求する商業主義である。法律もそれを規制していない。採ることは規制しても売ることを規制しないという明らかな矛盾。岩木山に見られる山野草で、法律的に「採取」すると罰せられるものはあるが、「それ」を売買すると法律で罰せられるとするものはないのである。
悲しいかな、日本の法律は商業主義(資本主義)に立脚しているから、「商業、商売擁護」が主であり、「自然擁護」は常に後回しなのである。