岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

赤トンボ(アキアカネ)を思う / 日本人はトンボをどのように見てきたか(5)

2008-11-07 05:18:29 | Weblog
(今日の写真は「コメツガ(マツ科ツガ属の常緑針葉樹)」に止まるアキアカネだ。葉っぱが米粒のように小さいので「米栂」というのだ。
 時季は真夏、7月中旬だ。その日は赤倉登山道を登っていた。暑い日だった。伯母石を過ぎた辺りの岩稜帯からコメツガは出て来るが、直近で見られるようになるのは「鬼の土俵」を過ぎてからのほぼ直線状の登山道である。この辺りになると、まさにコメツガの「トンネル」となる。その辺りで出会ったものだ。もうすでにアキアカネはこの高さまで登ってきていた。)

 以前、この「トンネル」はコメツガ自体が陽光を遮るほど密生していて、内部は薄暗かったが、現在はかなり、「透け透け」である。赤倉講の一信者の「不法整備」のためにかなり伐られてしまったからである。
 この「不法整備」を始めた時から、その過剰で、しかも自然にまったく配慮をしない「仕方」に対して注意し、整備の適正な程合いなどについて、助言をしたが「神のお告げ」という一言を楯にその信者は、耳を傾けようとはしなかった。
 私は国定公園を管理する県自然保護課、「里道」としてこの登山道を管轄している当時の岩木町、それに「コメツガ」伐採ということから森林を管理している林野庁津軽森林管理署に「不法整備」の実態を報告した。
 だが、いずれの行政も「腰」は重かった。実際「不法整備」の実態の調査に入ったのは私が通告してから6年後のことだった。その間何回も私はその信者に「整備の中止」をお願いした。しかし、その信者はそれを無視して整備を続けた。
 整備中止という「行政指導」があった時には、すでに「整備」は「完了」に近い状態になっていた。
 今日のアキアカネはメスだろう。コメツガの柔らかく若い葉はその感触が優しい。その優しさをまるで独占しているようなアキアカネ。登ってきた疲れをとるための「一休み」ということだろうか。
 このような穏やかな生き物のいる情景を見ながらも、私はこのコメツガ林を登る時、いつも悔しい思いに捕縛されてしまう。それは「不法整備」であり、その「不法整備」を「止められなかった」ということなのである。

■ 日本人はトンボをどのように見てきたか・日本人とトンボの付き合い方(5)■

    7.「秋の季は赤とんぼに定まりぬ」それは季節のシンボル(その2)

(承前)
 「秋の季は赤とんぼに定まりぬ(白雄)」という句にあるように、「トンボ」と秋の結びつきは、赤トンボ(アキアカネ)の存在による。
 日本に百八十種余りいるトンボのほとんどは秋に飛ぶことはなく、春から夏の虫である。それにもかかわらず、イメージ的に「トンボ」が秋という季節に結びついたのは、赤トンボ、とりわけ「アキアカネ」に由来することは明らかだろう。

 しかし、「トンボ」のあの直線的でさわやかなイメージは、とくに「カワトンボ(川トンボ)のイメージは、清流と結びつき、夏の季語としても登場するし、扇子や団扇のデザインにも使われる。
 浴衣の柄に花や蝶と共に「トンボ」も多用されるが、このことなどからも「トンボ」は人々の身近な「生き物」であったことがよく分かる。また、「トンボ」は大人びた印象を与える虫であるとする人もいる。
 もちろん、浴衣の図柄に使われるのは、「勝ち虫」すなわち「幸運の虫」としての意味合いも合まれているには違いない。
 さらに言えば、正月の遊びである「はねつき(羽根突き)」の羽根が「蚊を食うトンボを擬したもの」であるという言い伝えもある。その季節柄、「蚊除け」としての意味合いもまた込められているのかも知れない。

     8.「トンボ」は精霊‐霊的な存在である

 「トンボ」をモチーフにした昔話に「だんぶり長者」がある。働き昔の貧しい夫婦が居眠りをしている時に、尻尾に酒をつけた「だんぶり(トンボ)」が飛んできて、寝ている夫婦の口に止まる。その美味しさに目を覚ました二人がだんぶりの後を追って酒泉を見つけ、長者になるという筋書きである。
 言うまでもなく、「だんぶり」は東北地方での「トンボ」の方言であり、東北地方に広く伝承されている昔話のようである。
 おそらく、「トンボ」が腹部を水面に打ち付けて、産卵する様子にヒントを得てこのような昔話が出来上がったのであろうが、その背景には、「霊的」な存在としての「トンボ」の超能力を信じる部分もあったのかも知れない。
 柳田国男が紹介した「奥州南部の田山のダンブリ長者」の話では、この「だんぶり」は眠っていた夫の体から抜け出した魂となっている。
 もっとも、透明な羽を持った「トンボ」の中で唯一黒い羽を持ち、飛び方もひらひらとした「ハグロトンボ」は、神社や寺など薄暗いところを好むこともあって「カミサマトンボ」の呼称のほかに、「ホトケトンボ」、「ユウレイトンボ」などの呼称もあり、むしろチョウのイメージとよく似ている。
 これはトンボについても当てはまるかも知れない。
 死者の霊魂に対し、人々は二通りの受け取り方をする。無気昧さや不吉さを感じる一方で、祖霊として自分たちを守ってくれるもの、敬うものという受け取り方である。
 このような違いは、おそらく御霊(ごりょう=怨霊)信仰に由来する霊魂の二面性をそのまま反映したものと思われるが、同じ霊魂を運ぶとしてもチョウは御霊を、「トンボ」は精霊を運ぶという違いがあるようにも思われる。
 盆の頃の「トンボ」は先祖の霊(精霊)を運んでいるから捕ってはいけないという「禁忌伝承」が西日本を中心に今でも残っており、それに関連した「ショウリョウトンボ(精霊とんぼ)」とその変形した方言も存在する。
 もちろん、盆の頃は一般に殺生を忌む傾向がある。精霊トンボの場合は、旧盆の八月中旬頃に数が多くなる「ウスバキトンボ」に由来する。(明日に続く。)

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