(今日の写真はキク科アキノキリンソウ属の多年草「深山秋の麒麟草(ミヤマアキノキリンソウ)」だ。
本州中部以北、北海道、に分布する。亜高山帯から高山帯の乾燥した草地、砂礫地に生育する。
低標高地に多い「アキノキリンソウ」の高山型で、背丈は20~30㎝とアキノキリンソウより小さいが、平地に普通に生育するアキノキリンソウによく似ており、花が咲いていても区別しにくい。
外見的からの判断は「アキノキリンソウの花序は縦に長く伸びてまばらに付く傾向があるが、ミヤマアキノキリンソウは茎の頂端にまとまってつく」ことによってする。
茎の頂端に、この写真のように、まとまって咲くので「緑の葉」を背景に非常にあでやかに見える。別名の「コガネギク(黄金菊)」はそれに因ったのだ。
詳細に見ると、「総苞片」が3列のものがミヤマアキノキリンソウ、4列のものがアキノキリンソウとなる。
「総苞(そうほう)」とは「タンポポ」などキクのなかまの頭状花の基部にあり、全体を包むような構造物のことだ。総苞のうち外側にあるものを「総苞の外片(そうほうのがいへん)」といい、総苞のうち内側にあるものを「総苞の内片(そうほうのないへん)」という。
花は葉のもとに短い穂になってつき、舌状花は黄色で小さい。根元の葉は群がってつき長い柄があるが上の葉の柄は短い。
北米原産で日本で猛烈に繁殖している「セイタカアワダチソウ」もこの「アキノキリンソウ」の仲間である。
キリンンソウの名前の由来は、鮮やかな黄色い花が風に吹かれて揺れている様子が「麒麟が首をかしげている」ようだとする書物もあるが、どうだろう。
名は秋に咲くキリンソウの意味と、頭花が「酒ができるときのあわだつようす」に似ることによるとされている。
これらに、「深山」という意味の「ミヤマ」、それに秋に咲く「キリンソウ」に似ているということで、命名されたのである。
別名を泡立草(アワダチソウ)、または黄金菊(コガネギク)という。
「ミヤマアキノキリンンソウ」を主題にした短歌も俳句も見つからない。深山や高山帯に咲く花を詠じたり吟じたりするものは少ない。「写生」の歌や俳句では「現場」で実際に「出会わない」ことには「作歌・作句」は出来ないのだろう。次の短歌も俳句もすべて主題は「ミヤマアキノキリンンソウ」ではない。
・地球を吹く秋風きたりキリンソウの黄の荒れしまま澄める口笛 (井辻朱美)
難解な歌だ。「自由律」の短歌なのだろうか。「地表や山稜を秋風が吹き渡る。それを受けながらキリンソウたちは慌ただしく荒々しく動く。黄色の花ゆえにその動きがよく目立つのだ。そんな風の中、どこからともなく口笛が響いた。何という澄み切った音だろう」とでも解釈出来そうだ。視覚、聴覚を最大限使った写生短歌であるといえるだろう。
・キリンソウの黄色をキャンバスに塗りこめぬ黒峠はいよいよ遠し(小林看空)
絵を描く気持ちで眺めたら「…辺り一面、しかも見晴らせる遙か彼方までキリンソウの黄色で埋め尽くされている。これだとキャンパスから溢れてしまいそうである。…
ああ、これだと目的の黒峠がますます遠いものとして実感させられるなあ」という心境だろうか。
・風を受け秋の麒麟はしなやかに伸ばした首を揺らせておりぬ(詠み人知らず)
これは「アキノキリンンソウ」である。歌意はいたって簡単だろう。
・ブルドーザーの惰眠錆噴く麒麟草(伊丹三樹彦)
『そのままそこに置かれたブルドーザー。周りにはキリンソウ。動くわけでもなくただただ惰眠をむさぼっているに過ぎない。しかもところどころに錆がふき出ている。それに引き替え、キリンソウはなんと元気のいいことだ。黄色の花の生き生きした風情は何なのだろう』という句意だろう。
…対比的な描写と心情移入がいい。
・山脈を風がのりこえきりん草(榎本冬一郎)
『山脈、やまなみと詠む。秋風が対岸の山稜を乗り越えて吹き渡って行く。それを受けて大きく姿を揺れ動かすキリンソウであることよ』
見えない風をキリンソウの動きで躍動的に描いているところが何と言えないほどにいい。
・霜の中ほの温かき日のきりん草(村田脩)
『秋もすっかり深まった。今朝は霜が降りた。寒い朝だ。しかし、太陽の日射しを受けてキリンソウの花は何となくほんのりと温かそうである』
キリンソウに対する思いやりがにじみ出ている秀句だろう。
「キリンンソウ」と「アキノキリンソウ」の短歌と俳句をみてきたので、最後に拙著「岩木山・花の山旅」から、本物の「ミヤマアキノキリンソウ」との出会いを紹介しよう。
…「暑気の止息するなり」という処暑(しょしょ)が過ぎたと思ったら朝と夕に涼しさを覚えるようになった。週末の登山日和を待ったが、夏台風の北上で荒天続きだった。
二週間ぶりで山に来たのは白露に近い9月の上旬。朝露が草々の先っちょや藪中と登山道を横断して張られた蜘蛛の巣などにまだ付いていた。天高い青空にはひつじ雲が浮かんでいる。
この時季になると花はめっきり少なくなる。尾根取りつき近くの草原にオミナエシを見てほっとした。これは年を追うごとに減っている。
尾根に上がり雑木の道を行く。花の種数が少ないからだろう、野紺菊(ノコンギク)がやたらに目につく。ぶな林を抜ける頃から登行速度がかなり上がって、沢の道に既に入り標高も1200mを越えていた。
水音が聞こえ両岸は、まだ深い緑に埋め尽くされていた。私の視線は一面の緑に嵌め込まれた黄金色に瞬時飲まれてしまった。「万緑の中や吾子の歯生え初むる」の比ではない。「コガネギク」というこの花の別名の由来を知った気がした。
間もなく足許には山母子(ヤマハハコ)が群れだしたが、鮮やかな色彩は私の目を覆ってなかなか消えない。「草陰に揺れる鮮やかな鬱金襲(うこんがさね)」、ミヤマアキノキリンソウだった。…
本州中部以北、北海道、に分布する。亜高山帯から高山帯の乾燥した草地、砂礫地に生育する。
低標高地に多い「アキノキリンソウ」の高山型で、背丈は20~30㎝とアキノキリンソウより小さいが、平地に普通に生育するアキノキリンソウによく似ており、花が咲いていても区別しにくい。
外見的からの判断は「アキノキリンソウの花序は縦に長く伸びてまばらに付く傾向があるが、ミヤマアキノキリンソウは茎の頂端にまとまってつく」ことによってする。
茎の頂端に、この写真のように、まとまって咲くので「緑の葉」を背景に非常にあでやかに見える。別名の「コガネギク(黄金菊)」はそれに因ったのだ。
詳細に見ると、「総苞片」が3列のものがミヤマアキノキリンソウ、4列のものがアキノキリンソウとなる。
「総苞(そうほう)」とは「タンポポ」などキクのなかまの頭状花の基部にあり、全体を包むような構造物のことだ。総苞のうち外側にあるものを「総苞の外片(そうほうのがいへん)」といい、総苞のうち内側にあるものを「総苞の内片(そうほうのないへん)」という。
花は葉のもとに短い穂になってつき、舌状花は黄色で小さい。根元の葉は群がってつき長い柄があるが上の葉の柄は短い。
北米原産で日本で猛烈に繁殖している「セイタカアワダチソウ」もこの「アキノキリンソウ」の仲間である。
キリンンソウの名前の由来は、鮮やかな黄色い花が風に吹かれて揺れている様子が「麒麟が首をかしげている」ようだとする書物もあるが、どうだろう。
名は秋に咲くキリンソウの意味と、頭花が「酒ができるときのあわだつようす」に似ることによるとされている。
これらに、「深山」という意味の「ミヤマ」、それに秋に咲く「キリンソウ」に似ているということで、命名されたのである。
別名を泡立草(アワダチソウ)、または黄金菊(コガネギク)という。
「ミヤマアキノキリンンソウ」を主題にした短歌も俳句も見つからない。深山や高山帯に咲く花を詠じたり吟じたりするものは少ない。「写生」の歌や俳句では「現場」で実際に「出会わない」ことには「作歌・作句」は出来ないのだろう。次の短歌も俳句もすべて主題は「ミヤマアキノキリンンソウ」ではない。
・地球を吹く秋風きたりキリンソウの黄の荒れしまま澄める口笛 (井辻朱美)
難解な歌だ。「自由律」の短歌なのだろうか。「地表や山稜を秋風が吹き渡る。それを受けながらキリンソウたちは慌ただしく荒々しく動く。黄色の花ゆえにその動きがよく目立つのだ。そんな風の中、どこからともなく口笛が響いた。何という澄み切った音だろう」とでも解釈出来そうだ。視覚、聴覚を最大限使った写生短歌であるといえるだろう。
・キリンソウの黄色をキャンバスに塗りこめぬ黒峠はいよいよ遠し(小林看空)
絵を描く気持ちで眺めたら「…辺り一面、しかも見晴らせる遙か彼方までキリンソウの黄色で埋め尽くされている。これだとキャンパスから溢れてしまいそうである。…
ああ、これだと目的の黒峠がますます遠いものとして実感させられるなあ」という心境だろうか。
・風を受け秋の麒麟はしなやかに伸ばした首を揺らせておりぬ(詠み人知らず)
これは「アキノキリンンソウ」である。歌意はいたって簡単だろう。
・ブルドーザーの惰眠錆噴く麒麟草(伊丹三樹彦)
『そのままそこに置かれたブルドーザー。周りにはキリンソウ。動くわけでもなくただただ惰眠をむさぼっているに過ぎない。しかもところどころに錆がふき出ている。それに引き替え、キリンソウはなんと元気のいいことだ。黄色の花の生き生きした風情は何なのだろう』という句意だろう。
…対比的な描写と心情移入がいい。
・山脈を風がのりこえきりん草(榎本冬一郎)
『山脈、やまなみと詠む。秋風が対岸の山稜を乗り越えて吹き渡って行く。それを受けて大きく姿を揺れ動かすキリンソウであることよ』
見えない風をキリンソウの動きで躍動的に描いているところが何と言えないほどにいい。
・霜の中ほの温かき日のきりん草(村田脩)
『秋もすっかり深まった。今朝は霜が降りた。寒い朝だ。しかし、太陽の日射しを受けてキリンソウの花は何となくほんのりと温かそうである』
キリンソウに対する思いやりがにじみ出ている秀句だろう。
「キリンンソウ」と「アキノキリンソウ」の短歌と俳句をみてきたので、最後に拙著「岩木山・花の山旅」から、本物の「ミヤマアキノキリンソウ」との出会いを紹介しよう。
…「暑気の止息するなり」という処暑(しょしょ)が過ぎたと思ったら朝と夕に涼しさを覚えるようになった。週末の登山日和を待ったが、夏台風の北上で荒天続きだった。
二週間ぶりで山に来たのは白露に近い9月の上旬。朝露が草々の先っちょや藪中と登山道を横断して張られた蜘蛛の巣などにまだ付いていた。天高い青空にはひつじ雲が浮かんでいる。
この時季になると花はめっきり少なくなる。尾根取りつき近くの草原にオミナエシを見てほっとした。これは年を追うごとに減っている。
尾根に上がり雑木の道を行く。花の種数が少ないからだろう、野紺菊(ノコンギク)がやたらに目につく。ぶな林を抜ける頃から登行速度がかなり上がって、沢の道に既に入り標高も1200mを越えていた。
水音が聞こえ両岸は、まだ深い緑に埋め尽くされていた。私の視線は一面の緑に嵌め込まれた黄金色に瞬時飲まれてしまった。「万緑の中や吾子の歯生え初むる」の比ではない。「コガネギク」というこの花の別名の由来を知った気がした。
間もなく足許には山母子(ヤマハハコ)が群れだしたが、鮮やかな色彩は私の目を覆ってなかなか消えない。「草陰に揺れる鮮やかな鬱金襲(うこんがさね)」、ミヤマアキノキリンソウだった。…
わたしの句を引用していただいてありがとうございます。
黒峠は、むろん葛原さんの名句からです。
黒峠とふ峠ありにし あるひは日本の地圖にはあらぬ
『原牛』 葛原妙子
広島県にあるそうな。
では。