岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

雪に埋まった焼け止り小屋でのこと

2007-12-29 05:03:16 | Weblog
(今日の写真は23日にTさんが撮したほぼ「全体像」を見せる焼け止り小屋である。
26日の写真と比べてほしい。そしてから、本日の文章を読んでいただくとより話しが「見える」だろう。
 さて、今日の話しは、小屋全体がすっぽりと雪の下に埋まっている中で、その小屋の止まり、時々その「屋根」の上と「思しいところ」に「上がって」友の名前を呼んだということだ。
 その前に写真の説明をしておこう。この写真は小屋の南面から撮している。いつもなら、この時季は、小屋に入るための「通路確保用のスコップ」が下の入り口左側のブロックに打ち込まれた留め金にぶら下がっているのだが、この日は見あたらないのではたと困ったが、入り口庇の上に置かれていた。庇の黒い部分がスコップである。
 みんなが使用するものは「置き場所」を特定しておかねばならない。必ずいつものところに置くということが「山」における鉄則だ。勝手に移動されては、次に使うものが「探さねば」ならないので不都合である。
 その庇の上の「アルミ製のドア」が上の出入り口である。下の板製の引き戸が下の「出入り口」である。その手前の積雪が盛り上がって多くあるように見えるが、「引き戸」の前は数十㎝、20~30cmというところだろう。)

 真冬である。しかも標高1000mを越えている山岳地帯である。私はその晩、焼け止り小屋で「一人寂しく」Oさんがやって来るのを待っていた。そうだ、酔っぱらいながら待っていたのであった。
 酔った勢いで、「冬山」でこのような行動するのは「無謀を越えて、無知蒙昧でアホなこと」である。病的酩酊には何を言っても、なんとかに念仏である。恐ろしいことだ。
 上の入口から外に出る。そして、大沢の縁に向けて、ふらふらしながらも一歩一歩踏み跡をつけながら、気持ちの上では直進した。
 「スキ-場尾根のル-トが一番解りやすい。自信を持って登れるのはここだけだな。」とOさんは常々言っていた。そのとおりで、来るル-トはいつも決まっていたのである。
 雪の中にすぽっりと埋まっている状態だから、小屋の中では、屋根のトタンがバタつく音も、軒や庇をかすめ飛ぶ雪の音も、小屋全体が軋む音も、風の音も聞こえなかった。
 ところが、外は強い西風が吹いていた。吹雪である。その中で、大沢左岸の小屋ル-トとして使っている岳樺が見える辺りに立っていた。
 ヘッドランプを消して、斜め下方の対岸をじっと見詰める。Oさんのランプの明かりを確認しようとしたのだが、まったく見えない。
 大声で叫ぶ。「Oさ~ん。」10数回の絶叫も風に消された。もちろん応答はない。                                      
 9時前だろう。早いよ、この時間じゃ、ぶな林にはいったかどうかのところだろう。ひょっとすると、出発が遅れたのかも知れないし…。
 羽毛服を着込んではいるが、それでも寒い。それに、ちょっと前に小用をたしたので、その時の身震いがまだ続いていて、体の震えが止まらない。後ろを覗くと踏み跡が、大分埋まっていた。後藤伍長になる前に、埋まらない前に一旦戻ろう。

 雪を払って、再び棚の中である。今度は、靴を履き、スパッツを着け羽毛服を着たままだ。外の冷気によって酔いが醒めた感じがする。それが空腹感を誘った。
 Oさんが来れば、一緒に飲むのだ。その前に腹ごしらえをしておこう。待つ時間とは長いものだ。
 騒音発生器に紛う「オプチマス8R」に点火をする。十分に時間をかけてラ-メンを作り、ゆっくりと食べてス-プもすべて飲み干した。
 その後で、冷蔵庫からかすめ盗ってきた炭火焼きのチャ-シュがこたえられなく美味しかったので、ブツブツ切って頬張る。
 …これは下の娘が好きなんだ。それを知って、妻が土手町のマ-ケットから、焼き立てのものを買ってきておいたんだ。それをごっそりと持って来てしまった。残した分は少なかったよな。子供の食い物まで奪いとって食うなんて、私は…悪魔だ。

 またまた外である。場所も行動も先刻と同じである。時間は十時に近かった。本当にそろそろ来てもいい時間であったが、大沢の滝の上部で待つことは、空しさだけを残し、徒労に終わった。…また、小屋に逆戻りである。

 それにしても遅い。来ないのだろうか、急用が出来たのだろうか。いや、Oさんには急用などはない。Oさんにとって急用とは「酒を飲むこと。」なのである。それ以外には、急用などあり得ない。
 急な「病気」、冗談じゃない。Oさんに寄り添う奇特な病気などは存在しないのだ。取りとめのない御託を言いながら、私はさっきと同じいでたちのままで、再び酒を飲み始めたのである。
 私はいったい何をしているんだろう。語り合う相手がいないとなれば、ただ飲むためだけに来たようなものだ。いや、きっとOさんは来る。「来ることに誓って飲むぞ」。来ることに乾杯だ。
 もはや、論理も何もない「病的酩酊」そのものになっていた。
 そうだ、コップに注ぐ前にもう一度見てみよう。小屋を発見出来ないでいるのかも知れない。小屋の上に登って叫んでみよう。
 上の入口から山側へ少し登る。深いラッセルであった。そこを抜けて横へ数歩動いて、また逆の方に戻ると、そこが屋根の上と思しいところである。
 酔眼朦朧の状態で屋根に登るとは狂っていると言いたい人もいるだろう。そうだ、酩酊なのだから、まさに狂っているのは既定のことなのだが、積雪に埋もれているのだから、「登ると言っても上ることにはならず」、大したことはないのである。
                         (明日に続けていいだろうか)                       

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