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(今日の写真は、「追子森」山頂だ。標高は1139mだ。山頂方向には右に巻くように下降しながら、白沢源頭の吊り尾根状の稜線を行く。
この稜線はしばしば、北からの風雪によって大きな雪庇になっている。雪庇の「踏み抜き」と「雪崩」を恐れる余りに、赤沢よりから白沢に「寄り過ぎる」と、絶壁状の「爆裂火口」外輪の頂部から真っ逆さまに落ちることになる。
それを心配して「赤沢」側に入り過ぎると、今度は雪庇崩落と道連れだ。一気に赤沢まで流されて、気がつくと真上に「スカイラインターミナル」が見えたなんてことになる。いずれにしても、積雪期に、この吊り尾根を登ることは「嫌」である。
だが、文明の利器、「機動力」に物言わせる連中は、この吊り尾根の真下、つまり「大きな雪庇」が突き出ている斜面を山頂方向にトラバースして行くのだ。
文明の利器に「跨った」彼らは、鈍いエンジン音を「唸らせ」、いつ崩落するかも知れない「雪庇の真下」を堂々と行くのである。
見上げた「度胸と勇気」を讃えようといきたいところだが、左右に気を配り、出来るだけ震動を与えないようにして、雪庇を愛しい人のように大事にしながら「吊り尾根」を進む小心者の私からすると、余りにも「畏れ多くて」、讃える気分にはなれないのである。
彼らとは「スノーモービル」に跨って、自然公園法で、進入が「規制」されている「保護区」にやって来る者たちのことだ。
ここは、夏場も難儀なところだ。赤沢に落ち込んでいくことはないが、白沢の爆裂火口には簡単に落ちてしまうところでもある。幅30cm足らずの極端に狭い「稜線」は生えている樹木によってようやく支えられている。
しかし、その樹木は根を生やす場所が狭いものだから多くはない。木と木と間が広く、支えがないと足が抜けて、宙を舞う。片足だったら何とかなるが、両足が宙に舞ったら、そのままの格好で、「漫画」ならば「ザック」をパラシュートにして降りていく。
だが、「漫画」ではない。現実は飛び降り自殺に等しいのだ。ああ、嫌な場所だ。)
◇◇ 今日は「追子森」まで行くつもりだ… ◇◇
…追子森には今年の2月にも行った。相棒の他にMさんが一緒だった。今日もまた同じメンバーである。
一昨年も、その前の年も11月にこの尾根を登っている。だが、去年は、11月に行けずじまいだった。そして、その年の内には結局行けないで終わったのだ。
昨年の11月24日に「相棒」は1人で…『トレーニングもかねて、去年「かんじき」で難儀した追子森のルートの勉強。スキーを用いて、追子森のピークに向かう尾根に取り付く手前まで(絶壁のところまで)、様子見に行く。途中の道筋が今ひとつピンと来ていないので、一度行って確認する』などを山行目的として、行っているのだ。
私が一緒に行けなかった理由は…「帯状疱疹」で、数日間は激しい運動は避けなければいけないと医者に言われていたからである。「帯状疱疹(帯状ヘルペス)」を発症したのは、「岩木山・花の山旅」出版記念の集いが、成功裏に終わった翌日、15日の朝である。その日は5時に起床した。
そしたら、突然「右目」に激しい痛みが走り、涙が出て止まらないのだ。痛くて目を開けていることが出来ない。無理に開けて見たが「霞んで」よく見えない。もとより「左目」の視力は弱いのだ。
ブログを書き始めたが「右目」は針で突き刺されるような痛みが続き、目を開けても殆ど見えない状態だ。右目をつぶり、視力の低い「左目」だけでの「原稿書き」が続いた。発症した原因は「ストレス」であると眼科医も言った。
実は、「帯状疱疹」のウイルスは、身体の中の神経節に隠れていて、ストレスや疲れや風邪、加齢などで免疫力や抵抗力が落ちた時に、再度増殖(再活性化)を始め、神経を伝わって皮膚や各器官に現れるのだそうだ。
そのような「アクシデント」のために、昨年は「年内の追子森登山」は出来なかったのだ。今年はようやく「年の瀬」になっての登山となった。
スキー登山だ。未だ積雪は締まっていないし、雪面に出ている雑木などにスキーが「とられ」て、難儀しないことを願っている。「年の瀬」登山はその意味で、スキーにしろ「ワカン」にしろ、楽ではないのである。
◇◇ NHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねて」が17日で1年が終わった(7) ◇◇
(承前)
…その次は「野外観察」は7月30日だった。「受講者全員参加」を原則にしているので、6月は受講者の都合で「全員」がそろう日がとれなかったから「中止」にしたのである。
6月に実施出来ていれば、この「場所」で野外観察を行おうとしていたのだ。場所は一般的には殆ど知られていない「古い爆裂火口」の岩木山湯ノ沢の中腹部一帯だった。
「湯ノ沢」は「硫黄採掘の名残」を、そして、「岩木山では他に見られない特異な景観」を見せてくれる場所である。湯ノ沢一帯での「野外観察」に目的は4つある。
1つは「今は採掘していない藩政時代から硫黄が掘られていた場所を訪ねて、その名残を発見・観察する」だ。
2つは「そこから見える鋭峰岩木山と臭気とガス噴出という特異な景観を味わう」である。
3つは「草木の殆ど生えていない場所に植物や動物が生息している痕跡を探す」である。
4つは「崩落を繰り返している自然地形と地質について体感する」であった。
弘前から自動車で移動し、さらに林道も車で移動し、工事用道路の終点に駐車した。堰堤の工事が終わったので、かなり悪路になっていたが、自動車は十分進入が可能だった。そこから、現場までは、事前調査の時に補修したし、登山道の刈り払いもしておいた。歩く距離は1Km程度だが、気になることは「観察地」での落石だった。(明日に続く)
この稜線はしばしば、北からの風雪によって大きな雪庇になっている。雪庇の「踏み抜き」と「雪崩」を恐れる余りに、赤沢よりから白沢に「寄り過ぎる」と、絶壁状の「爆裂火口」外輪の頂部から真っ逆さまに落ちることになる。
それを心配して「赤沢」側に入り過ぎると、今度は雪庇崩落と道連れだ。一気に赤沢まで流されて、気がつくと真上に「スカイラインターミナル」が見えたなんてことになる。いずれにしても、積雪期に、この吊り尾根を登ることは「嫌」である。
だが、文明の利器、「機動力」に物言わせる連中は、この吊り尾根の真下、つまり「大きな雪庇」が突き出ている斜面を山頂方向にトラバースして行くのだ。
文明の利器に「跨った」彼らは、鈍いエンジン音を「唸らせ」、いつ崩落するかも知れない「雪庇の真下」を堂々と行くのである。
見上げた「度胸と勇気」を讃えようといきたいところだが、左右に気を配り、出来るだけ震動を与えないようにして、雪庇を愛しい人のように大事にしながら「吊り尾根」を進む小心者の私からすると、余りにも「畏れ多くて」、讃える気分にはなれないのである。
彼らとは「スノーモービル」に跨って、自然公園法で、進入が「規制」されている「保護区」にやって来る者たちのことだ。
ここは、夏場も難儀なところだ。赤沢に落ち込んでいくことはないが、白沢の爆裂火口には簡単に落ちてしまうところでもある。幅30cm足らずの極端に狭い「稜線」は生えている樹木によってようやく支えられている。
しかし、その樹木は根を生やす場所が狭いものだから多くはない。木と木と間が広く、支えがないと足が抜けて、宙を舞う。片足だったら何とかなるが、両足が宙に舞ったら、そのままの格好で、「漫画」ならば「ザック」をパラシュートにして降りていく。
だが、「漫画」ではない。現実は飛び降り自殺に等しいのだ。ああ、嫌な場所だ。)
◇◇ 今日は「追子森」まで行くつもりだ… ◇◇
…追子森には今年の2月にも行った。相棒の他にMさんが一緒だった。今日もまた同じメンバーである。
一昨年も、その前の年も11月にこの尾根を登っている。だが、去年は、11月に行けずじまいだった。そして、その年の内には結局行けないで終わったのだ。
昨年の11月24日に「相棒」は1人で…『トレーニングもかねて、去年「かんじき」で難儀した追子森のルートの勉強。スキーを用いて、追子森のピークに向かう尾根に取り付く手前まで(絶壁のところまで)、様子見に行く。途中の道筋が今ひとつピンと来ていないので、一度行って確認する』などを山行目的として、行っているのだ。
私が一緒に行けなかった理由は…「帯状疱疹」で、数日間は激しい運動は避けなければいけないと医者に言われていたからである。「帯状疱疹(帯状ヘルペス)」を発症したのは、「岩木山・花の山旅」出版記念の集いが、成功裏に終わった翌日、15日の朝である。その日は5時に起床した。
そしたら、突然「右目」に激しい痛みが走り、涙が出て止まらないのだ。痛くて目を開けていることが出来ない。無理に開けて見たが「霞んで」よく見えない。もとより「左目」の視力は弱いのだ。
ブログを書き始めたが「右目」は針で突き刺されるような痛みが続き、目を開けても殆ど見えない状態だ。右目をつぶり、視力の低い「左目」だけでの「原稿書き」が続いた。発症した原因は「ストレス」であると眼科医も言った。
実は、「帯状疱疹」のウイルスは、身体の中の神経節に隠れていて、ストレスや疲れや風邪、加齢などで免疫力や抵抗力が落ちた時に、再度増殖(再活性化)を始め、神経を伝わって皮膚や各器官に現れるのだそうだ。
そのような「アクシデント」のために、昨年は「年内の追子森登山」は出来なかったのだ。今年はようやく「年の瀬」になっての登山となった。
スキー登山だ。未だ積雪は締まっていないし、雪面に出ている雑木などにスキーが「とられ」て、難儀しないことを願っている。「年の瀬」登山はその意味で、スキーにしろ「ワカン」にしろ、楽ではないのである。
◇◇ NHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねて」が17日で1年が終わった(7) ◇◇
(承前)
…その次は「野外観察」は7月30日だった。「受講者全員参加」を原則にしているので、6月は受講者の都合で「全員」がそろう日がとれなかったから「中止」にしたのである。
6月に実施出来ていれば、この「場所」で野外観察を行おうとしていたのだ。場所は一般的には殆ど知られていない「古い爆裂火口」の岩木山湯ノ沢の中腹部一帯だった。
「湯ノ沢」は「硫黄採掘の名残」を、そして、「岩木山では他に見られない特異な景観」を見せてくれる場所である。湯ノ沢一帯での「野外観察」に目的は4つある。
1つは「今は採掘していない藩政時代から硫黄が掘られていた場所を訪ねて、その名残を発見・観察する」だ。
2つは「そこから見える鋭峰岩木山と臭気とガス噴出という特異な景観を味わう」である。
3つは「草木の殆ど生えていない場所に植物や動物が生息している痕跡を探す」である。
4つは「崩落を繰り返している自然地形と地質について体感する」であった。
弘前から自動車で移動し、さらに林道も車で移動し、工事用道路の終点に駐車した。堰堤の工事が終わったので、かなり悪路になっていたが、自動車は十分進入が可能だった。そこから、現場までは、事前調査の時に補修したし、登山道の刈り払いもしておいた。歩く距離は1Km程度だが、気になることは「観察地」での落石だった。(明日に続く)