岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

十数年ぶりの雪洞一泊、そして、山頂アタック (4)

2009-01-22 05:40:53 | Weblog
(雪洞での一夜が明けた。…
 今日の写真は南に偏って昇る優しい太陽だ。18日の朝に標高1100mの「雪洞」サイトから撮ったものだ。
 太陽は県境の山並みより僅かに高い程度だ。少なくとも、私たちがいる標高よりも低いところにあり、まだ、「眼下に眺められる」太陽である。
 それにしても、何という円やかで優しい太陽だろう。雪洞内の燈火、「ローソク」の灯りを思い出させるような優しい微光にすべてが包まれている。そして、すべてが、静かに移ろう。
 優しい微光を浴びて、低木ブナも目覚めたかも知れない。例年ならばこの「ブナ」も梢の一部しか積雪の上に出していない。今季の少雪によって「ブナ」もほぼ全身で微光を浴びているのだ。
 白い雪面も微妙な淡い臙脂色に染まっている。だがこれも、一瞬だ。間もなく白一色の世界に変わる。上空を雲が西から東に流れていく。好天の兆しだ。
 「里」の家庭では、朝餉の支度が始まっているだろう。静かな朝から、騒然とした日中に向かって「里」が動き出す時でもある。
 18日の「日の出」は6時57分だった。「日の出」から遅れること約20分後の7時18分に写した太陽だ。)


     ※ 十数年ぶりの雪洞一泊、そして山頂アタック(4)※

(承前)・相棒Tさんとの雪洞造り・

 「冬至」からほぼ、1ヶ月、「日の出」は早くなり、「日の入り」は遅くなった。特に「日の入り」は16時過ぎとなっている。これは、「冬山を登る者」にとっては嬉しいことである。何故ならば、それだけすべての、明るいうちの「行動」時間が長くなるからである。
 「日の出」も本当に早くなった。「日の出」の瞬間を撮影しようと一応「日の出」時間を確認してはいたのだ。だが、4時に小用のために起き出した時に、そのまま起床してしまおうと考えたものの、傍で「熟睡している」相棒を起こしてしまうのも可哀想だと思い、もう一度「シェラフ」に潜り込んだのである。
 それが災いだった。それから2時間30分、私自身も「熟睡」したらしいのだ。起床したのは6時30分を過ぎていた。これは「山行計画」の「起床6時」を大幅に遅れたことでもある。
 私には「自分で計画したことを自分の手で壊したこと」が許されないように思えた。そこで、起床後直ちに「撤収と収納」作業に入ったのだ。
 「シェラフ」やその他の衣類や「マット」などを収納袋に詰めて、ザックに入れる。靴を履き、スパッツを着ける。
 雪洞の中にあるものは火器とコッヘル類、それに食料だけとなった。そして、その慌ただしい作業に集中する中で、私は「日の出」時間とその「日の出を撮影する」ということを忘れてしまっていた。

 4時に外に出た時は晴れていた。風は殆どなく、鳥海山の稜線上には「半分以上欠けた月」が出ていた。月は白かった。それはまるで、岩木山全体の真っ白な雪面を「映じて」いるかのように見えたのだ。
 私はいつも登山する場合は「気象情報」を参考にして「自分で天気予報」をする。その「予報」どおりの天気になっていた。「よしいいぞ。今日は楽しい山行になるぞ」と呟いて雪洞に戻ったのである。

 「ガスコンロ」に火をつける。雪洞の内壁の雪を掻き取り、それを「コッヘル」に入れて「ガスコンロ」に掛ける。先ずは「飲料水」を作る。その飲料水を使って各自が「朝食」を作る。作った「朝食」を食べながら、併行して「飲料水」をまた作る。お湯を沸かして「お茶」をつくり、「サーモス (THERMOS) 魔法瓶」に容れる。
 このようなプロセスの中で、突然私は思い出したのだ。「日の出」のことを…。
そして、写したのが日の出から21分後の、この太陽なのである。

 …雪洞の「天井」は殆ど「沈降」していなかった。しかし、側壁は幾分、奥まったように見えた。前述したが「フォースト・ビバーク」の場合は、天井も下がってきて「口」を塞ぐほどになっていることもある。
 「あらかじめ計画された雪洞」であってもそのことが全くないわけではない。
そこで、「雪洞造り」で注意したことは、第一に「雪洞」の「屋根部分」になるところに「掘り出した雪」を積み上げて、それをスコップとスキーを使って上から叩いて固めたことである。雪は互いに「くっついて凝固する性質」があるから、隙間をなくしてやると「硬く」なるのである。
 その補強でも「沈降」と「崩落」の心配はあるのだ。そこで、第二に、より「屋根や天井」部分に厚みを出すために「入り口」を深いところにする必要があった。
「ビバーク・プラッツ」の沢中央部分の積雪は約3mであった。
 緩やか「雪庇」の厚みは2m程度である。そこで、その部分を垂直に1m以上の直方の穴を掘る。出た雪は「屋根部分」の補強に使う。その穴「溝」を「雪庇」の底部まで掘り進んで、そこを「雪洞」の入り口にするのだ。これで「雪洞の屋根と天井」部分は約3mの厚さになり、しかも固められている。崩落はないだろう。
 さらに「雪洞」内部の高さも1m程度にする。「空間」が広いと「圧力」に弱い。加えて、4本のストックを斜交(はすか)い状に差し込んで「補強」した。「バランスは1mgの重さで崩れる」を私はいつも大事にしている。

 これらの注意が奏功したのだろう。朝を迎えた「雪洞」は、ほぼ「造営」した時の形態をそのまま保っていたのである。
 相棒Tさんとの「雪洞」造りの作業もスムーズに進んだ。スコップを2つ背負って来た意味はここにあったのだ。
 作業手順を指示した後、私は掘り出された「雪塊」を運び出しては積み上げたり、周りに捨てることに専念した。時々、掘られた横穴に潜り込んで、大きさや幅、高さ具合を確認して、次の作業の指示を与えた。
 相棒Tさんは「イメージ」の再現に必死だった。そして、ほぼ「イメージ」どおりの「横穴式」雪洞が出来上がっていったのである。
 私と相棒の「イメージ」の共有、そして、その「イメージ」の構築がかみ合っているのだ。それは作業の、あるいは作業工程の「コンビネーション」のよさにもなっていた。「掘り出す」相棒、それを掻き出し積み上げ、捨てる私。
 私はふと、思った。この相棒Tさんとはひょっとして「若い頃からの仲間」ではないのかと。だが、事実は、一緒に年に数回、同行し始めたのは3年前からである。

 この「雪洞」造りに要した時間は、1時間足らずであった。速い。これもすべて、「コンビネーション」の良さがなせる業であるだろう。(明日に続く。)

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