岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

昨日の東奥日報夕刊・「明鏡」欄に「風水的見地と公園の有料化」が掲載

2007-05-20 20:05:54 | Weblog
 昨日の東奥日報夕刊・「明鏡」欄に「風水的見地と公園の有料化」が掲載

 今日は自然観察会の報告の続きを書く予定だったが、昨日の「明鏡」欄に「弘前公園の有料化」問題についての投稿が掲載されたので、そのことについて書いてみたい。
 一連のこの「問題」に関わる投稿掲載はこれで4回連続となった。次にこの4回分を掲載する。

        弘前市議選と公園有料化(1) 4月14日付

 市会議員選挙で、争点となるだろうと考えていた「政務調査費」が「支給しない」という議会決議で、あっさりと争点でなくなってしまった。選挙目当てのパフォーマンスでなければいいと考えている。現市長は「新しいまちに新しい風を」というスローガンを掲げた。市民の殆どは「何か金澤市政とは別な新しいこと」と考えて期待に胸をふくらませたはずだ。私もその一人である。風は目に見えない。市民は肌で感じ、耳で聞ける金澤市政では吹かなかった「風」を期待している。「政務調査費なし」は新しい風であった。
 ところで、「弘前公園入場料問題」は「無料」という方向でなければ新しい風にならない。入場有料化であれば、それは前市政の継承に過ぎないからだ。
 立候補予定者に言いたい。市民にとって「弘前公園」とはその歴史的、自然生態系的背景はどのようなものであったのかを「すべての市民からの付託に応える」という使命を持って勉強してほしい。
「弘前公園」が持つ歴史的遺産と里山としての自然的な遺産、および本丸で岩木山を拝むという市民感情が有料化とどう結びついているかを学習してほしい。そうしたら、きっと、選挙公約に「弘前公園有料化反対」という一項が登場するはずである。あなた方はそこで市長の言う「新しい風を吹かせる」ことになるのである。

      岩木山信仰と公園の有料化(2) 4月24日付

 弘前出身でジャーナリストの鎌田慧は、講演会「私の岩木山」で「囲いのない郷土精神を取り戻すためには、公園入場有料化は撤廃すべきだ。」と語った。同年、A紙に「故郷の風景カネにかえるな」という題で次のように書いている。 
『…これまで、市民がこころのふるさととしていた風景を、だれかが勝手に囲いをつくって出入りを禁じ、カネを要求するなどできないはずだ。それは故郷を売る行為でもある。カネ、カネ、カネ。郷土の精神を形成してきた風景までカネにかえようとする貧しさが悲しい。』(抜粋)
 金銭的束縛のない中、自由に「本丸に上がり、岩木山に向かい合掌する」という信仰的な行為を、きわめて当たり前にしてきた。これは弘前市民にとって廃藩置県以来の長い歴史的な慣習、無形の文化でもある。
「我が町の象徴である岩木山を弘前市は本丸から見せてお金を取っている。許されることではない。」という岩木町民の発言からも分かるように「入場有料化」に対する反対や批判は岩木町でも根強かった。これは「拝観料的入場料徴収に対する羨望」ではない。
 対価を超えた崇高な存在である岩木山を拝ませて金を取るということが許せないのだ。この発言には、岩木山を金銭の対象とした冒涜的な行為に対する憤りが籠もっている。岩木山を誰にも売り渡したくないという深い愛情の吐露だ。やはり、「本丸に上がり岩木山を拝む」という行為には、金銭という囲いは馴染まない。

       有料化の議論と弘前公園の自然を (3) 5月7日付

 弘前公園は自然的な遺産でもある。有料化の議論にはこの視点が必要だろう。
弘前市は都会よりも「緑」が多いといわれるが、周辺の緑は大半が生産量全国一を誇る「りんご園の緑」である。春にはクロモジの花が咲き、秋にはどんぐりをつけ、竹やぶが繁茂する「里山」は弘前には殆ど存在しない。「里山」となると首都圏近隣の自治体の方がはるかに多いのである。こうした中で、唯一、弘前旧市街地に残っていた貴重な「里山」が弘前公園であったが、そこの「緑」は首都圏の公園より少ない。首都圏のみならず、国内の大都市で、自然を護れという時、それはほぼ「里山を護れ」であり、行政が積極的に取り組んでいるという報告も多い。
 ところが、弘前市は金澤市政から都市公園的な方向に走り、里山的な自然史や植生を無視した過剰な整備を年々続けてきた。その結果、里山の風情が失われ、緑が減少したのである。弘前公園には、ラショウモンカズラなど五十種以上の植物が豊かな植生として自生していた。しかし、最近毎年咲いていたラショウモンカズラまでが竹藪ごと剥ぎ取られ消滅した。過剰な整備と入場有料化はセットである。皇居の森にならい、整備をやめながら自然の回復につとめ、入場無料で自然観察会の出来る「自然あふれる里山公園」として楽しんでもらってはどうだろう。

         風水的見地と公園の有料化 (4) 5月19日付

 有料化の議論には「都市公園」的な視点が中心にあって、「観光・集客」という面に傾斜し過ぎているように思える。公園の持つ「風水」に基づいた歴史的、文化的遺産という面なども議論には必要である。本丸のある公園は風水をうつしとっている。風水では東北が鬼門なので、その方角の天守閣周辺の堀は「角」になっている。ただ、その東だけは「角」があまり目立たない「鬼門くずし」となっているそうだ。
 「有料化による隔絶化」を考える時、「鬼門くずし」の東北に「茶畑町」のあることが非常に重要な意味を持つであろう。本州最北の地にどうして「茶畑」なのかと訝る人もいるだろうが、ここでは茶が栽培されていた。その昔「茶」を「邪」(じゃ)と読み、「茶を摘む」は「邪を摘む」に転訛し、「茶畑町」はお城に降りかかる「邪悪」を摘み取る役目の町並みであったわけである。このようにお城と町並みはしっかりとつながっていた。 この「風水説」からも「本丸」は町並みとしての旧市街から「隔絶」された場所でなく「公園」を含んだ連なりとしての「同一区画」であることは明らかである。
市民にとって風水的精神や都市的な構成性からも公園は「有料化」という隔絶的な「鬼門」で区切られるものではない。この「鬼門」を撤廃して出入りを自由にしておかないと「邪を摘み取る」ことが出来なくなるかも知れない。

 今日はNHK弘前文化センターの講座「津軽富士・岩木山」で、野外観察として岩木山麓にある寄生火山・森山に「春の雑木林とその樹下に咲く花々の散策」に出かけた。終日風は冷たかったが、日差しは強く晴れの天気だった。先週の日曜日もせめて、今日の半分でいいから日差しがあったならと恨めしい気持ちを起こさせるような「晴れ」だった。
 今日から新しく受講者が2名増えた。本会の「自然観察会」参加者は年々減少傾向にあるが、この文化センターの講座は健在である。定員を越える勢いである。受講生の居住地区も弘前市だけではなく、つがる市、藤崎町などと広がりを見せている。
 
               注:寄生火山…
 火山本体が成長するにつれてその山腹に噴出した火山のこと。この寄生火山の配置によって東から見る見事な円錐形の岩木山も、岩木山では西側に偏在しているので場所によっては歪んだ円錐形になってしまう。森山の北にある小森山も寄生火山といわれている。なお、岩木山の寄生火山は、なぜかしら「森」という一字を山名に持っているものが多い。「黒森」「一つ森」「若木森」「追子森」「笹森山」「鍋森山」「森山」「小森山」などである。

(自然観察会の報告の稿は、明日書くことにする。)

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