岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

エゾタンポポ見あたらず、「在来種古来に馳せる懐かしさ」

2007-07-26 06:22:46 | Weblog
 先日、岩木山の百沢登山道を登った。ある目的があったからで、その目的が達成されると「山頂」には行かないと最初から決めていた。
 それに、私は「夏場」の山頂は嫌いだ。特に次のような「日」が嫌いである。
土曜日、日曜日、祝日で天気がよく、スカイライン・リフトが運行している日で、それを利用した登山客の集団が山頂にいる場合や、または、スカイラインやリフトを利用しない登山者が多数登っている時である。
 つまり、何ということはない。「山頂に大勢の人がいる時」また「いるとの推測が可能な時」は山頂に行きたくないということなのだ。
 近頃はどこの山に行って、人、人、人である。これだと、登る前から疲れてしまい、「ヒトヒト」になってしまう。
 21日に行った高田大岳は、その点「ヒトヒト」になるほどの疲れはなかった。なぜならば、「誰にも会わなかった」からである。「人」に会うために「山」に行くわけではない。

 前置きが長くなった。本題に入ろう。その目的は、雪どけが終わった大沢に咲くミチノクコザクラの生育範囲とキク科の多年草である蝦夷蒲公英(エゾタンポポ)の生育の確認であった。
ミチノクコザクラはその生育場所を広げている。彼女たちは、その「可憐」さゆえに「弱々しい」印象を与えるが、実は結構、強靱で崩落地や表土の剥離された場所にいち早く移動して根付く植物なのである。サクラソウ科の植物は総じて生命力が旺盛である。大沢のミチノクコザクラは99年の底雪崩(全層雪崩)以来、その生育範囲を下部に拡大している。現在は、焼止り小屋の上部100m付近の右岸辺りまで広がってきている。
 ……恐れていたことが現実となった。それは蝦夷蒲公英(エゾタンポポ)を「いつもの場所」で確認出来なかったことである。
 日本には在来種のタンポポが二十種ほど自生している。総苞片に角状の突起があり関東に多いカントウタンポポ、北海道や本州中部まで分布し花が大きいエゾタンポポ、関西から西に分布して白花のカンサイタンポポなどがある。
 しかし、明治の初めに持ち込まれたヨーロッパ原産のセイヨウタンポポが勢力をどんどん拡大している。
 もはや、弘前の周辺ではエゾタンポポは見られず、すべてがセイヨウタンポポとなっている。その中で、唯一「岩木山の百沢登山道沿い」に数株のエゾタンポポを確認していたのだ。そして、それを確認するために毎年何度も足を運んでいるのである。私は、その毎年出会うエゾタンポポを「懐かしい古(いにしえ)を伝える在来の孤高」と心密かに呼んでいた。その「孤高」の輝きが見あたらないのである。

 何年前だろう。彼女たちとの最初の出会いは…。その出会いを次のように書き留めてある。『遅い出発だった。悪いことは重なるもの。その上バスにも遅れてしまった。バスに代えて自転車で登山口までやって来ての登りとなった。登山にはできるだけ早めに下山することが望まれる。早立ちが常識なのだ。だから、脇き目を振りながらも、かなり急いでいた。標高千メートルを越えるあたりまで登って来た。
 熔岩性の黒々とした岩肌が眼前に迫って来る。その下部には、白く輝く緑の小宇宙、別世界があった。エゾノヨツバムグラが群れていた。
 顎に流れ落ちる汗を拭く間もなく、出発だ。また土の道に変わった。
 尾根を横切る傾斜のない登山道の向こうに黄色い花が目にとまる。在来種のエゾタンポポがぽつりぽつりと丈を短くして咲いている。
 ある図鑑では帰化植物のセイヨウタンポポの例として、岩木山山麓の林檎園に咲き誇る写真を掲示している。そこまで、セイヨウタンポポは岩木山山麓のみならず「タンポポ界」を席巻し、我が国を乗っ取る勢いである。
 在来種はこれに追い立てられ細々と命をつないでいる。孤高を保ち今、風に全身を震わせて咲くこの一輪も追い立てられてこの高みまで登って来たのかと思うといじらしい。「在来種古来に馳せる懐かしさ」であり、まるでアマゾンの密林で少数民族の原住民に出会ったような感慨を覚えるのだ。
 エゾタンポポは中部地方から北海道にかけてよく見られるものと各種図鑑では言うが、最近はめったに出会えない。』
 それが、確認出来なかったのである。その代わりにセイヨウタンポポがどんどんと標高の「高い」ところに登ってきていた。在来種が岩木山から、西洋の彼女たちに「駆逐」されるのは、時間の問題なのかも知れない。
ついでだから、在来種とセイヨウタンポポの見分け方について触れておこう。
 頭花を支える緑の部分(総苞片)を見て、それがまくれていればセイヨウタンポポであり、まくれていなければ在来種である。
 良寛の作と伝えられる和歌に「鉢之子に菫たんぽぽこきまぜて三世(さんぜ)の仏にたてまつりてむ」(訳:鉢や椀に摘んだすみれやたんぽぽをごちゃ混ぜに入れて、前世、現世、来世の仏様にさしあげることができよう。 ◇鉢の子 托鉢に持ち歩く鉢や椀。)というのがあるが、現代はまさに、「和歌」の中でしか在来種の「タンポポ」に出会うことが出来なくなっている。
 日本人は本当に大切な民族に共通する「原風景」を、または「原風景」の一部を失っているのである。在来種の喪失は、日本文化の喪失を明示するものであろう。
 タンポポの花ことばは「別離」である。人里から在来種が消え去るという「人との別離」なのだろうか…。この花ことばの奇妙な符合を考えると在来種にとっては何と皮肉な運命であろう。
 それを地でいく在来種の減少は、日本文化が薄れていく風潮や岩木山への信仰心が育まれなくなってきている風潮に似ている。 寂しいことだ。 

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