岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

長部日出雄は 「岩木山」を「わが心の羅針盤」と言う…(その1)

2007-07-17 05:20:53 | Weblog
 人間は、長い人生の中で「落ち込む」時があるものだ。これは当たり前のことで、人生には「紆余曲折」が付きものである。苦しい時、先が見えない時、何も手につかなくなる時、何も書けなくなる時がある。しかし、それは表面的には「何も出来ない」状況下にあるが、内面では、まるでマグマのように、どろどろとした何かが「燃えたぎり、噴き溜まって」いる状態でもある。ただ、人によって、症状は様々であり、全身にそれが現れたり、現したり、またぐっと軽度で「悩んだりしていない」ように見えたり、見せたりする場合もある。人は、それを「スランプ」などと呼ぶが、そんな軽い音韻を伴うようなものではない。

 弘前出身の作家・長部日出雄にもそのような時期があったようだ。その時、彼は弘前に帰っていた。そんな時に戻って来られる「場所」のある人は幸せである。「ふるさと」と呼べたり、「ふるさと」と思えるところを持てる人は幸せである。
 その時期に、数回とある酒場で、彼と会ったことがある。最初はすごく「柔和な」導入で始まるのだが、少し酒が入ってくると、彼の本心が見えてくる。…というよりは、彼は「本音」をぶっつけて来る。彼はウソがつけない。その正直な本心で対峙する時の彼は、恐ろしくもあり怖かった。ものすごいエネルギー、執拗な思考、滾ることがない知識で自分をぶつけてくる。私が受け取った彼に対する「恐怖」というのはこのようなものだったが、むしろそれは「畏怖」に近いものだった。
 その頃、私は二、三の作品を書いていた。地方紙の応募小説に入選したり、「文学界」新人賞の予選を通過したりしていた時期である。
 そのことを知って、彼は怒髪天をつく表情で言った。「二足のわらじを履いている奴に何が出来るか。どっちかにしろ。腹をくくってかかれ。」と…。
 私はその時、田舎の高校教員であった。彼には「教員」をしながら「ものを書く」ということが許せなかったのだ。もう後ろに引けない瀬戸際に身をおいて、つまり、「一所懸命」になって物事に取り組んでいる彼には、二股かけているその「不純」さが許せなかったのだ。
 その時を境に、私は「小説」を書くことを止めた。「潔い決断」と思うだろうが、そんなものではない。それは、単に自分の「能力と覚悟の無さ」を自覚したからである。それから、約20年「平凡な教員」に徹して退職を迎えた。
 彼が私に言ったことは、一方で「彼自身の覚悟」でもあった。私に「怒髪」で迫ったことは、そっくり彼自身が彼に対して言っていたことなのだ。そのことは、その後の長部の活躍を見ていればよくわかることだ。

 その長部が、岩木山のことを、ある地方紙に「岩木わが心の羅針盤」と題して書いていた。

『…いずれにしても、未知の航路を進むのに、不変にして不動の目標は、決して欠かせない。その点、津軽の人びとは幸いである。不変にして不動の目標として、岩木山が存在するからだ。
…むろん岩木山はそれ自体、無数の植物や動物ー生きとし生けるものの命を育み、養う生き物であるから…時々刻々、変化をつづけている。けれど、津軽人の心のよりどころとしては、常に不変であり、不動であった。
…そしてまた、岩木山は…山肌を見る人間の意識下に、共通して普遍的な実感として在ったはずだ。…岩木山は…昔から…住む人びとの崇拝と尊敬、憧憬と親愛、信頼と信仰の対象で、精神的な意味では生きる力の源泉だった。いわば津軽の宗教であったといってもよい。
…津軽の人びとは、岩木山を、先祖の魂が眠る一種の霊廟(れいびょう)のようにも感じてきたようにおもわれる。』
長い引用になったが、これらは言うまでもなく、津軽に住んで岩木山を毎日眺めている者の実感であろうし、地域の伝承文化としての岩木山に関係するごく普通の認識であり、知識的な理解事項であるだろう。私もまさに、これらと同じ事実や意味のことを拙著の中で繰り返し書いてきた。
だが、最近の岩木山事情を見るにつけ、そうは言えないかも知れないなあと思うことがある。
 冬の夜空を連日焦がさんばかりに照らしている山腹から山麓のきらびやかな明かりは、津軽人の心から長部が言うようなことを消し去りつつあるかも知れないし、子供たちの心にはただ単に、「スキー場のある山」というイメージしか育んでいないのかも知れない。
 ところで、長部がとらえ、描く岩木山は、いくら雄大で立派であろうとも、それは時間的にも距離的にも遠景であり、眺望である。若いころ岩木山に登ったことがあったかも知れないが、今の岩木山に踏み込んで実態を見ているわけではない。
 一般的に、人間は現実を直視しない限り、実態が理解できないものであると言われている。
 そこで、「いみじくも作家・長部日出雄をして、このことを学んだ。」などと言うことになる。だが、こう言うことは早計である上に、間違いである。浅知恵者の浅読みという誹(そし)りをまともに受けるかも知れない。(続く)

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