岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

本日「岩木山のコマクサ」抜き取り処理実施

2007-09-21 07:24:43 | Weblog
(写真は枯れたコマクサ。これを抜き取ることになる。「不法」に蒔かれて咲いた「岩木山のコマクサ」である。)

     ☆ 本日「岩木山のコマクサ」抜き取り処理実施 ☆

 本日(2007年9月21日)「コマクサ」の抜き取り処理をする。本会からの参加者は私の他に工藤、斉藤両幹事の3名、青森県自然保護課2名、林野庁津軽森林管理署1名の都合6名である。それに東奥日報弘前支社の記者が1名同行取材をすることになっている。
 昨日に続いて今日もいい天気である。「抜き取り」作業にはうってつけの日和である。ただ、気温は30℃を越えるという予報だが、標高の高い場所での作業だからそれほどでもないだろう。ましてや、「場所」も広くはないのでそれほど苦にはならない。
 本会会長の阿部が参加できないのは、現在弘前市で開かれている(「動物学」ひろば)への協力のためである。日程が重なったことをすごく残念がっていた。

 ところで、「とても可哀想で抜き取ることが出来ないので作業には参加しない」という人が数名いた。
 そこで、私は、このブログで連載した【私は今年(2007年)も花をつけた岩木山の「コマクサ」です。偉い学者先生方が『岩木山には歴史上これまで生育していなかったし、自生はありえない』という私たちの数奇な運命を、皆さんに語ります。】という『岩木山の「コマクサ」が語る身の上話し』を冊子にして読んでもらった。
 結果はやはり、作業には参加しないということだった。私はこのように考える人がすべて、「優しい心」の持ち主であるとは思わない。真の「優しさ」とは確実な客観性によって成り立つものであるからだ。
 情緒的な思考と「自然の摂理」とを対峙させた時、人の多くはその情緒性に負けるものらしい。だが、大事なことは、「現実的な目で、しっかりと自然の摂理を把握する。」ということである。言い換えれば、科学的な思考で自然を学習するということである。これは人間の社会的な諸現実に対処する際にも必要なことである。
 本当の優しさとは「厳しい」ものである。「有無を言わせない」強さを持っているものだ。教育にあっても「可哀想」という同情心だけでは「教育」は成り立たない。時には「突き放す」必要がある。最近、これが出来ない教員や親が多い。ただ、「突き放す」ことが「無関心」であってはいけない。
 何故出来ないのか、それは「有無を言わせない力」がないからである。「勇気」がないからだと言ってもいい。
 「有無を言わせない力」は知識力、洞察力、判断力、決断力、技術力、それに、いついかなる状態の中にあっても、何事かを「し続けることが出来る」強靭な意志、しかも緻密に思考を構築する力などの総合力であろう。              

 あの『岩木山の「コマクサ」が語る身の上話し』は身勝手な人間によって持ち込まれた「コマクサ」のことを、「コマクサ」の気持ちになって書いてみたものだ。そこで改めて認識したことは、個人の行動も、社会的な法律も「人間のご都合主義」から一歩も出ていないということだったが、「可哀想で抜き取ることが出来ない」という心情も「人間のご都合主義」でしかないと思われてしょうがない。

 今日「抜き取られる」コマクサは、標本として「県立郷土館」に納められるそうだ。