☆アスファルト道路にエゾフウロとは…。☆
私は自動車を持たないので、バス路線のない登山道から登るにしても、そこに下るにしても足は「自分の足」である。
たとえば、赤倉登山道の場合、下山した時は弥生か大森まで歩くか、携帯電話も持たないので、「電話ボックス」があれば途中からタクシーを呼ぶ。お金もかかるし、時間もかかる。そこで自転車の登場だ。
8月中旬、マウンティンバイク(バイクというが自転車)の荷台に10?のザックをつけて、ある登山口まで行き、近くの繁みに自転車を隠して登り始めた。弘前からそこまでは、ほぼ登りで、距離は30?ぐらいだろうか。
長いアスファルト道路の登りは堪えたが、「湿原」で何に会えるかとの期待が疲れを感じさせない。ノンストップで湿原まで行った。
そこで出会ったのはサワギキョウであった。濃い紫の花びらを爽やかな風に震わせて咲いている。この花には二子沼で会ったことがあるだけだ。岩木山ではここと二カ所だけに、生育しているのかも知れない。
そこから、山頂まではもちろん既に秋の花々である。オオバスノキやクロウスゴ、コケモモなどはすっかり実となっていた。約二週間後だ。ミチノクコザクラの群落は消え果てていた。
山頂は混んでいた。いい天気が続き、視界がよく遠望が効く。「津軽弁でない数人の登山者」から、その遠くに見える山の名前を訊かれた。
よく見えた。南北八甲田山、十和田三山、御鼻部山、その奥に早池峰山、その西に岩手山、その山並みに続いて秋田駒ヶ岳、その奥に鳥海山、さらに西には男鹿半島、白神連山とその山塊が…。
海の向こうには北海道の大千軒岳、洋上には大島、小島。津軽半島と中山山脈、その奥に陸奥湾、夏泊半島、下北半島が、釜伏山も少しだけ霞んで見えていた。
一通り説明を終えたら、周りにはかなりの人垣が出来ていた。その中の数名が同時に口を開いた。
「ミチノクコザクラが、もし咲いていれば見たい。」と言う。
これは実に非常識な質問である。彼女たちは「初夏の花」である。ところが私は数日前に弥生から登り、大鳴沢の源頭で小規模な群落を確認していた。
「咲いています。しかし、1400mまで下りなければいけません。どこへ下りるんですか。百沢や岳方向だと登り返さねばなりません。それでもいいですか。」
「いいです。ひょっとして、私たちの下山途中にあるんでしょうか。」
「そうです。」
「登って来る途中気がつきませんでした。」
10数名の登山者を結局そこまで案内した。彼等は悲鳴に似た声を出して喜んだ。「咲いていないはずの彼女」たちに会えたのである。
「岩木山おたく」を自認する私としては、他郷からわざわざ来てくれる人がいること、そして、その人たちに会えることがとても嬉しいのである。
私はまた頂上まで登り返して、登って来た道を下山した。喉の渇きも疲れも感じない。それは、心地よい涼風だけの所為ではなかった。気分は爽快であった。
その日の登山もいよいよ終わりに近づいてきた。昔の登山道を奪い取り、勝手に付け替えられたアスファルト道路を下りて来た。午後遅いというのに熱気が強く、路面には「逃げ水」現象があちこちに見られる。
路傍の、しかも足許の草むらで、ピンク色の小花が揺れた。ゲンノショウコによく似ている。しばらくお目にかかっていない花だった。
昔、この場所は高原的な野趣の溢れる草原であった。初秋にはこの花、エゾフウロやキキョウが群れていた。ヤマジノホトトギスにも出会ったことがる。
その一つに会えたのだ。懐かしいエゾフウロであった。それにしても、エゾフウロとアスファルト道路という取り合わせはないだろう。これはおかしい。
スキー場やゴルフ場というものは、私たちから、「自然的な過去も現在も未来もすべてを奪ってしまうものなのだ」とつくづく考えさせられてしまった。
帰りの自転車は朝と違って快調そのものだった。湿原に咲く花々や岩木山を愛してくれる登山者たち、それにエゾフウロとの出会いなど、すべての出会いを大事にしたいと思った。
未来が、何だか、いい方向で動き出すかのように思え、スキー場の拡張工事は止まるかなあと淡い希望すら湧き上がっていた。
その晩に飲んだたった一本の缶ビールの味を今でも思い出すのである。
私は自動車を持たないので、バス路線のない登山道から登るにしても、そこに下るにしても足は「自分の足」である。
たとえば、赤倉登山道の場合、下山した時は弥生か大森まで歩くか、携帯電話も持たないので、「電話ボックス」があれば途中からタクシーを呼ぶ。お金もかかるし、時間もかかる。そこで自転車の登場だ。
8月中旬、マウンティンバイク(バイクというが自転車)の荷台に10?のザックをつけて、ある登山口まで行き、近くの繁みに自転車を隠して登り始めた。弘前からそこまでは、ほぼ登りで、距離は30?ぐらいだろうか。
長いアスファルト道路の登りは堪えたが、「湿原」で何に会えるかとの期待が疲れを感じさせない。ノンストップで湿原まで行った。
そこで出会ったのはサワギキョウであった。濃い紫の花びらを爽やかな風に震わせて咲いている。この花には二子沼で会ったことがあるだけだ。岩木山ではここと二カ所だけに、生育しているのかも知れない。
そこから、山頂まではもちろん既に秋の花々である。オオバスノキやクロウスゴ、コケモモなどはすっかり実となっていた。約二週間後だ。ミチノクコザクラの群落は消え果てていた。
山頂は混んでいた。いい天気が続き、視界がよく遠望が効く。「津軽弁でない数人の登山者」から、その遠くに見える山の名前を訊かれた。
よく見えた。南北八甲田山、十和田三山、御鼻部山、その奥に早池峰山、その西に岩手山、その山並みに続いて秋田駒ヶ岳、その奥に鳥海山、さらに西には男鹿半島、白神連山とその山塊が…。
海の向こうには北海道の大千軒岳、洋上には大島、小島。津軽半島と中山山脈、その奥に陸奥湾、夏泊半島、下北半島が、釜伏山も少しだけ霞んで見えていた。
一通り説明を終えたら、周りにはかなりの人垣が出来ていた。その中の数名が同時に口を開いた。
「ミチノクコザクラが、もし咲いていれば見たい。」と言う。
これは実に非常識な質問である。彼女たちは「初夏の花」である。ところが私は数日前に弥生から登り、大鳴沢の源頭で小規模な群落を確認していた。
「咲いています。しかし、1400mまで下りなければいけません。どこへ下りるんですか。百沢や岳方向だと登り返さねばなりません。それでもいいですか。」
「いいです。ひょっとして、私たちの下山途中にあるんでしょうか。」
「そうです。」
「登って来る途中気がつきませんでした。」
10数名の登山者を結局そこまで案内した。彼等は悲鳴に似た声を出して喜んだ。「咲いていないはずの彼女」たちに会えたのである。
「岩木山おたく」を自認する私としては、他郷からわざわざ来てくれる人がいること、そして、その人たちに会えることがとても嬉しいのである。
私はまた頂上まで登り返して、登って来た道を下山した。喉の渇きも疲れも感じない。それは、心地よい涼風だけの所為ではなかった。気分は爽快であった。
その日の登山もいよいよ終わりに近づいてきた。昔の登山道を奪い取り、勝手に付け替えられたアスファルト道路を下りて来た。午後遅いというのに熱気が強く、路面には「逃げ水」現象があちこちに見られる。
路傍の、しかも足許の草むらで、ピンク色の小花が揺れた。ゲンノショウコによく似ている。しばらくお目にかかっていない花だった。
昔、この場所は高原的な野趣の溢れる草原であった。初秋にはこの花、エゾフウロやキキョウが群れていた。ヤマジノホトトギスにも出会ったことがる。
その一つに会えたのだ。懐かしいエゾフウロであった。それにしても、エゾフウロとアスファルト道路という取り合わせはないだろう。これはおかしい。
スキー場やゴルフ場というものは、私たちから、「自然的な過去も現在も未来もすべてを奪ってしまうものなのだ」とつくづく考えさせられてしまった。
帰りの自転車は朝と違って快調そのものだった。湿原に咲く花々や岩木山を愛してくれる登山者たち、それにエゾフウロとの出会いなど、すべての出会いを大事にしたいと思った。
未来が、何だか、いい方向で動き出すかのように思え、スキー場の拡張工事は止まるかなあと淡い希望すら湧き上がっていた。
その晩に飲んだたった一本の缶ビールの味を今でも思い出すのである。