岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山…「右登り右降りは守られているだろうか」

2007-09-02 06:26:36 | Weblog
       ☆「右登り右降りは守られているだろうか」☆

 2年前から岩木山では、鳳鳴小屋から山頂までの登山道で「右登り右降り」(登り時も登山道の、進行方向右側を、降りるときも登山道の進行方向右側を通る)を守るようにお願いしている。これは、出来るだけ「落石」を起こさず、「落石」被害に遭わないためのものである。
 鳳鳴小屋の前を通って山頂へ至る登山道は、まさに岩木山の銀座通りである。明らかにスカイラインを利用して来たと思われる「客」が一番多い。
 あえて「登山者」とは呼ばないことにする。私の概念では、登山者とは自分の足で麓から登ってくる者であり、そして自分の足で麓へ下る者であるからだ。
 それに、最近では、山道を踏み外して、迷っても、それを「自己責任」ととらえず、「登山道整備が不良」ゆえに迷ったと、その「登山道」を管理する行政に、その責任を求める者もいる。また、そのことをとらえて「行政の責任」を声高に言う者もいる。そのような人たちのことも、私は、登山者とは呼ばない。「登山客」もしくは「観光客」である。 
 岩木山における、これら客は、車が使え、更にリフトまで使えるという楽さと便利さから、山とは辺鄙(へんぴ)の象徴であるはずなのに、それとは対照的な都市感覚でやって来る。
 面白いことに、その感覚はまず彼等の服装と履き物に顕現されている。
 この時期、タンクトップにミニスカ-ト、それにハイヒ-ルというおねえさんに始まり、普通に見られるのが、Tシャツにロングパンツ、それにスニ-カ-というドライバ-風体を決め込んだ客で、ジャンパ-を羽織っている者などは数が少ない。あきれ果ててものも言えない気分になる。                     
 時々、スポ-ツ用のジャ-ジに女物のヒ-ルの高いサンダル履きのおにいさんなどもいるが、出会った時思わず「気の毒な微笑をちらっと投げ掛けてしまうほど」に愛らしい者たちだ。
 とにかく老若男女、岩木山の頂上に足を置く大勢の中で、その実数は知るよしもないがスカイライン利用者は、きっと95%を越えるものと思われる。

 そのような登山客やら観光客が大勢登り降りするある年の8月の上旬、11時頃である。岳から登って鳳鳴小屋を少し過ぎた所で、ある心配事のために立ち止って上を見ていた。
 私の視点は、頂上を含む中央火口丘の南麓にある平坦地から、小屋を直下に見下ろせる急峻な岩場にあった。そこは私にとって登ったり降りたりしている人がいる時は、いつも気になってしようがない場所でもあった。
 案の定、そこには10数名の人が現われ下降を始めた。そして彼等の下には、また数名のグル-プが登ったり、降りたりしている。
 上の集団は横に広がり、わいわい騒ぎながら降りてくる。明らかに登山道を外れている者もいる。その時1人が靴ほどに大きい石を踏みぬいた。石は弾みで落下し始めた。ところが「誰一人」として声を出す者はいない。落下する石の音が響きわたる。 私は「落石だ、落石だ、気をつけろ。」と早口に叫ぶ。とうとう心配事が本物になってしまった。
 山に慣れた者なら、自分で落石を起こしたら、その瞬間、声の限りを出して、「落!」または「落石!」と叫ぶ。下にいてそれを耳にした者は、全霊を傾注しその落石をかわすように努めるのである。
 私は自分の叫び声に対する反応に驚き呆れた。しかし、黙ってはいられない。
「石が落ちてきているぞ、石だ。」ともう一声叫んだ。石は、私の予想を外れて、全く幸運であったとしか言いようがないが、右岸のミヤマハンノキやらダケカンバの低い薮の中へと転がっていった。

 私が発した叫びへの反応についてもう一度振り返ってみよう。
 下っている者は一斉に動きを止めた。登っている者は、顔を私に向けてこちらを見た。彼等の視線には共通して「その大声は何事だ。」という意味が込められていた。 若し、その時彼等が落石に当たり、怪我をしたり、死亡したら、「自己責任」をすべて他に転嫁する今時の風潮ゆえに、きっとその責任を私は追及されるかも知れない。
 彼等の頭の中には「危険」という二文字は全く存在していない。なにせ頂上と往復するこの道は、スカイラインという自動車道路の延長線上のものであり、それは何よりも日常的に「安全」な場所であるはずだからだ。「安全」でないところに車ごと乗り入れる者はいない。スカイラインが安全であれば、頂上往復の道もまた安全だと考えてしまう。
 そんな中にいるのだから、大きな声という非日常的な行為のほうに先ず反応するのは、当然、素直といえばその通りであろう。                  

 落石を起こした者の下方を降りている人たちが後ろを見たのでなく動きを止めたこと、そして、登っている者が上方を見るのではなく後ろを振り返ったことは、特に気を付けなければいけない反応である。それは「落石」発生時にとるべき行動とは全く逆であることによる。
 ところで、私は彼等の行動をどうしようもないなあという思いで、認めることにした。街路を歩いたり、車という安全な密室での生活に満たされたり、しかも山を知らない、山に慣れていない人たちにとっては、希薄な危険意識しか持てないのが当然だろうと思ったからだ。