岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

十五夜から十六夜にを…思う

2007-09-26 07:12:14 | Weblog
 (今日の写真は市浦地区十三湖から見た岩木山である。裾野を広げたこの姿を太宰治も見て育ったのである。)

       ☆ 十五夜から十六夜にを…思う ☆

 昨晩は「十五夜」だった。年の所為で思い出せないが「群雲、とおり雨を降らしては、また、その望月顔を出す」というようなことをある有名な「古典」の中で読んだような気がする。昨晩の十五夜はそんな感じの「十五夜」であった。
 一昨日の新聞(朝日新聞・青森県版)には「今日は旧暦8月15日」とあったものだから、てっきり「今日が中秋の名月、十五夜さま」だ、と思い込んでしまい、実は昨日の晩の「月」に向かって、手をあわせて、栗、リンゴ、梨、お餅、薄、その他にお花などを供えたのである。
 群雲のない、まったく遮るもののない中空の、しかもかなり高いところで、お月様は煌々と輝いていた。窓を開け放つと中秋の冷気が、全身を包み込む勢いで入ってきた。
 私は「お月様は神様だ」と密かに思った。最近「かぐや」という人工衛星を日本が打ち上げた。「月」のことを色々調べるらしいが、「ウサギ」がいないことを知った時に、大きな失望感を持つ子供たちのことを考えると、何も月の「裏側」まで調べなくてもいいだろうと思うのである。科学と文明が進む世界であるからこそ、人の手の届かないところで「神」として祀る「存在」があってもいいだろう。
 そんなことを考えながら、「十五夜さま」を見ていたのだが、どうも「月」の形がいびつなのである。満月ではない。望月ではないのだ。
 また、件(くだん)の新聞欄を見た。そこには、月齢が表記されていて「13.5」とあったのだ。まさに、「ガクン」である。早とちりもいいところだ。ちなみに、今日の月齢は15.6で旧8月17日とある。日の出は5時29分である。
 そこで、昨晩の「お月様」となるわけだが、一昨晩のものに比べると、なんと慌ただしい月であったことか。雲に隠れる。雨が降る。星が出ている空もある。月を覆うている雲が通り過ぎると顔を出すが天空をすべて照らすことはない。そうしているうちに、また隠れてしまう。雲がかなりのスピードで動いているのがわかる。そして、またざ~と雨を降らす。なんとも落ち着かない「十五夜さま」であったことか。
 この慌ただしい「天空のお天気模様」は天気図には現れない「大陸性の寒冷前線」が通過する時の演出だ。
 これも「四季」の中に生きる日本人としては、夏から秋に変わっていく季節の一部として「受け入れなければならない」事実なのである。

 数年前の8月に「十六夜(いざよい)の月のもと」で岩木山夜間登山をしたことがあった。その時の月齢は16.5。明朝の日の出は4時55分であった。               
 登り始めたのは、午前1時である。日の出まで約4時間、遅くとも4時半には頂上にいることができるだろうとの判断からだ。
 連日、日中は30数℃の暑さであった。だが、登り始めた時は涼しかった。Tシャツだけだと涼しすぎるが、これでいい。山登りには、「寒いくらいの服装」がベターなのだから、コンデションは最高であった。
 月は背後の上空から照らしている。明るい。下つ闇なる十六夜の月は既にかなりの高度にあった。私はヘッドランプを消した。ヘッドランプの出番は、結局その後もなかった。

 「夜間登山」これは異常な登山である。人々の寝静まる、つまり明日の行動を保障する身体的休養のための時間帯に、それをしないで「登る」という行動をしているわけだから、まさに倒錯的に「異常」なことだ。
 異常はいろいろな面でストレスを伴うものだ。だから日中の登山よりは遥かに疲れることになる。さらに暗い夜道となれば、より注意するという精神的集中力が必要である。疲れは倍加する。このことからも、その異常性は疑えない。
 登山とは正常なかたちで楽しみ、するものである。だから、「夜間登山」は出来るだけ避けたほうがいいとは思う。
 ところが、夜間登山にはすばらしい魅力がある。それは、私たちに生きている自然そのものを与えてくれることと私たちを鳥や獣のように自然の息遣いに誘ってくれることである。

 道が徐々に左へカーブしていることが、今まで背後を照らしていた月が左肩越しを照らしていることでよく解る。もう既にブナ林に入っているのだが、相変わらず月光は足許だけでなく周囲を全的に照らしていて明るい。人工の明かりがなくても、月明かりで十分行動出来ることへの感謝の念が湧いてきた。
 月齢が16.5。十六夜の月だ。望月よりは月の出がいくらか遅いのであろうが、古風に言えば丑二つを過ぎているわけだから、出るのを「ためらう」という意味を持つこの月も、かなりの高さには昇ってきていたのである。

 明日は十六夜の月になる。満月にはない風情を味わってみるのも楽しいことだろう。