☆東奥日報「岩木山・花の山旅」今日はコミヤマカタバミ☆
新聞掲載の「おまけ」として、その仲間である「ミヤマカタバミ」(深山酢漿草)を紹介しよう。
キャプション: 土の蠢動を集めた大地の白い髪飾り
五月半ばであった。その頃、冬期間にスキー客を雪上車で運び上げるために使われたり、ゲレンデとして使用されたブナ林内の尾根は、積雪がすっかり固められて人工の雪渓をなしていた。圧雪状態なので雪がなかなか消えないのである。
ブナは芽吹き、芽を包んでいた殻が雪上を褐色に染め上げている。それでも、五月晴れの陽光は残雪の僅かな白さを映して眼にはきびしかった。だが、ブナの薄い若葉は葉脈を精一杯のばしてそれを遮ってくれていた。
私は春の優しい息吹の中を、木々や若葉の生気に助けられながら、人工的残雪の上を辿り、岳からスカイラインターミナルまで一時間半という快調なペースで登っていた。
登山道には積雪がないのに登る者は私を措いて誰もいない。この道で何かに出会えるかも知れないとの期待に胸が膨らんだ。
春の日射しは高い。だが、まだ西側のこの道を照らす時間ではない。昨秋の落ち葉は色あせた褐色を見せて乾いていた。登山道と併行してリフトが設置されていて、ワイヤーを牽引する動輪などの軋(きし)む金属的な音と利用客の嬌声が、乾いた空に響きあっている。
私は音の呪縛(じゅばく)に囚われて少しだが息苦しくなっていた。そこで、登る先々や足許を懸命に見た。褐色の枯れ葉の上にキラリと白が光った。彼女たちはミヤマカタバミ、大地の爽やかな白い髪飾りだ。
☆寄りかからないで生きるということ…☆
もはや できあいの思想には寄りかかりたくない…
もはや いかなる権威にも寄りかかりたくはない
ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある
これは茨木のり子さんの詩の一節だ。これを読んで「往復ビンタ」を喰らった思いがした。茨木さんは、その時73歳。私があと7年…そこまで生きたとして、「できあいの思想や学問」に相変わらず寄りかかっているだろう。そうはなりたくない。
せめて、「一人」で歩けるうちは、出来合いの登山道を、しかも人の背中を見て歩き、道が荒れていると、整備がなっていないと「行政」に文句を言うような者たちにはなりたくない。私は常々、「一人で歩けなくなれば登山は止める」という覚悟をしている。
本気で自然と向き合い山に登り続けることは、今の自分としっかり向き合うことだろう。自分の二本足のみで立つことだ。そういう時に「自分が見え、他人も見える」のである。どうしてかというと「他に寄りかかって暮らしている平穏無事な日常のベールが剥がされる」からだろう。
「他に寄りかかって暮らしている平穏無事な日常のベールが剥がされる」ことを恐れる者は「山」に行くべきではない。自己矛盾に気づかない故に「とても歩けない」「あれだと登山道とは言えない」などと「自分の日常的な力量的価値判断」で物言いをすることがあるからだ。
かつて、我が国には「姥捨て」という行為・風習があった。これは、命をその山が持つ常住不変な永遠性に託したものであるに違いない。山や自然は、いつでも「過去」に戻ろうとするものだ。昔の人は自然のその「性質」をよく理解していた。自分の命を「過去」に託そうとしたことは、「過去」に永遠性を見たからに他ならない。
それは今の自分としっかりと向き合い、山を見つめてきた者が、自身の処し方を決めた所業だ。「姥捨て」対象者も、家族を含めた「捨てる」行為の実行者も、協力者も、みな自身の処し方を理解していた。
無常を己のことと受け止め、しかも、周囲の者も深く理解を示した辛く悲しい厳然とした所業でもあったはずである。厳しく深い理解は、しばしば深い悲しみと辛い行動と決断を必要とするものだ。
しかし、人間は己の無常になかなか気づかないし、気づこうともしない。時には集団的に同一化を謀り、無常とは拒否出来ないものであるにも関わらず「みんな仲間で同じように変わりはしない、いつまでも同じでいよう。」ということにすらなる場合がある。ただ、これは互いに無常だと思いたくないのであって、単なる自己満足の寄りかかり集団に過ぎないものだろう。
最近の「南八甲田山」登山道問題に見られる「登山者」や登山客を含めた県内の山岳組織の論調には、「集団的な同一化」と「できあいの思想や学問」に寄りかかり、それゆえに「南八甲田山」の持つ北八甲田山とは異質の価値についての理解に欠ける狭小性が見られるように思える。
言い方を変えると、彼らの論調は数年前と同じであり、「自分たちの固定観念でレッテルを貼り、事象や行動を決まり文句で決めつける」という傾向の域から一歩も出ていない。
心理的には集団として、他の事象に「自分たちの固定観念でレッテルを貼り、事象や行動を決まり文句で決めつける」と、心が楽になるものなのだそうだ。
行政にも重大な責任はあったし、その責任を放置してきた面があることは否めない。しかし、その行政の責任を問う前に、地元の「自分たち」が、登山者としてこの「問題」とどう向き合い、何をしてきたかということに「しっかりと向き合う」べきではないか。
それが、今ひとつ見えないのだ。
新聞掲載の「おまけ」として、その仲間である「ミヤマカタバミ」(深山酢漿草)を紹介しよう。
キャプション: 土の蠢動を集めた大地の白い髪飾り
五月半ばであった。その頃、冬期間にスキー客を雪上車で運び上げるために使われたり、ゲレンデとして使用されたブナ林内の尾根は、積雪がすっかり固められて人工の雪渓をなしていた。圧雪状態なので雪がなかなか消えないのである。
ブナは芽吹き、芽を包んでいた殻が雪上を褐色に染め上げている。それでも、五月晴れの陽光は残雪の僅かな白さを映して眼にはきびしかった。だが、ブナの薄い若葉は葉脈を精一杯のばしてそれを遮ってくれていた。
私は春の優しい息吹の中を、木々や若葉の生気に助けられながら、人工的残雪の上を辿り、岳からスカイラインターミナルまで一時間半という快調なペースで登っていた。
登山道には積雪がないのに登る者は私を措いて誰もいない。この道で何かに出会えるかも知れないとの期待に胸が膨らんだ。
春の日射しは高い。だが、まだ西側のこの道を照らす時間ではない。昨秋の落ち葉は色あせた褐色を見せて乾いていた。登山道と併行してリフトが設置されていて、ワイヤーを牽引する動輪などの軋(きし)む金属的な音と利用客の嬌声が、乾いた空に響きあっている。
私は音の呪縛(じゅばく)に囚われて少しだが息苦しくなっていた。そこで、登る先々や足許を懸命に見た。褐色の枯れ葉の上にキラリと白が光った。彼女たちはミヤマカタバミ、大地の爽やかな白い髪飾りだ。
☆寄りかからないで生きるということ…☆
もはや できあいの思想には寄りかかりたくない…
もはや いかなる権威にも寄りかかりたくはない
ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある
これは茨木のり子さんの詩の一節だ。これを読んで「往復ビンタ」を喰らった思いがした。茨木さんは、その時73歳。私があと7年…そこまで生きたとして、「できあいの思想や学問」に相変わらず寄りかかっているだろう。そうはなりたくない。
せめて、「一人」で歩けるうちは、出来合いの登山道を、しかも人の背中を見て歩き、道が荒れていると、整備がなっていないと「行政」に文句を言うような者たちにはなりたくない。私は常々、「一人で歩けなくなれば登山は止める」という覚悟をしている。
本気で自然と向き合い山に登り続けることは、今の自分としっかり向き合うことだろう。自分の二本足のみで立つことだ。そういう時に「自分が見え、他人も見える」のである。どうしてかというと「他に寄りかかって暮らしている平穏無事な日常のベールが剥がされる」からだろう。
「他に寄りかかって暮らしている平穏無事な日常のベールが剥がされる」ことを恐れる者は「山」に行くべきではない。自己矛盾に気づかない故に「とても歩けない」「あれだと登山道とは言えない」などと「自分の日常的な力量的価値判断」で物言いをすることがあるからだ。
かつて、我が国には「姥捨て」という行為・風習があった。これは、命をその山が持つ常住不変な永遠性に託したものであるに違いない。山や自然は、いつでも「過去」に戻ろうとするものだ。昔の人は自然のその「性質」をよく理解していた。自分の命を「過去」に託そうとしたことは、「過去」に永遠性を見たからに他ならない。
それは今の自分としっかりと向き合い、山を見つめてきた者が、自身の処し方を決めた所業だ。「姥捨て」対象者も、家族を含めた「捨てる」行為の実行者も、協力者も、みな自身の処し方を理解していた。
無常を己のことと受け止め、しかも、周囲の者も深く理解を示した辛く悲しい厳然とした所業でもあったはずである。厳しく深い理解は、しばしば深い悲しみと辛い行動と決断を必要とするものだ。
しかし、人間は己の無常になかなか気づかないし、気づこうともしない。時には集団的に同一化を謀り、無常とは拒否出来ないものであるにも関わらず「みんな仲間で同じように変わりはしない、いつまでも同じでいよう。」ということにすらなる場合がある。ただ、これは互いに無常だと思いたくないのであって、単なる自己満足の寄りかかり集団に過ぎないものだろう。
最近の「南八甲田山」登山道問題に見られる「登山者」や登山客を含めた県内の山岳組織の論調には、「集団的な同一化」と「できあいの思想や学問」に寄りかかり、それゆえに「南八甲田山」の持つ北八甲田山とは異質の価値についての理解に欠ける狭小性が見られるように思える。
言い方を変えると、彼らの論調は数年前と同じであり、「自分たちの固定観念でレッテルを貼り、事象や行動を決まり文句で決めつける」という傾向の域から一歩も出ていない。
心理的には集団として、他の事象に「自分たちの固定観念でレッテルを貼り、事象や行動を決まり文句で決めつける」と、心が楽になるものなのだそうだ。
行政にも重大な責任はあったし、その責任を放置してきた面があることは否めない。しかし、その行政の責任を問う前に、地元の「自分たち」が、登山者としてこの「問題」とどう向き合い、何をしてきたかということに「しっかりと向き合う」べきではないか。
それが、今ひとつ見えないのだ。