
今日は日光街道で江戸から6番目の宿・幸手に妻と二人ででかけました。

志手橋を渡ると幸手宿で、右馬之助町、久喜町、仲町、荒宿からなっています。
いずれも宿場の古い面影を残しています。

関東大震災前まで上庄の屋号で醤油醸造業を営んでいた岸本家です。
妻入り一部蔵造りの母屋の端正な姿が道に面しています。

幸手宿は日光街道と日光御成街道が合流する宿場町として栄え江戸川や権現堂川を使った舟運も盛んだったようです。

永文商店は旧商家造りの酒店ですが、家の中にトロッコのレールがあるのには驚きました。

旧街道の道路の歩道の所から、トロッコのレールが見えます。
奥の倉庫迄まっすぐにレールが延びています。
現在でも、品物を運ぶ際に利用するそうです。

奥行きが広い平井家です。
戦前までは「味噌屋」という屋号の米穀商であったそうです。

飯村医院です。

白木綿を東京に出荷し大正期から薬局を始めた角田屋の関家です。
間口の狭い、奥行きの深い町家を残しています。

荒宿から国道4号線を越えて幸手権現堂桜提まで足を伸ばし10時から2時間余り、妻と二人で幸手宿を歩きまわりました。
今日も暑かったですね。
妻はそろそろ花粉症も始まったようです。

お腹も空いたし初夏並みの暑さで少しグロッキー気味になったので、国道4号線沿いの「夢庵」で昼食を食べ、帰路に着きました。
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