春日部駅には大宮・岩槻~野田・柏・船橋を結ぶ東武野田線と北千住・浅草~東武動物公園・館林・太田を結ぶ東武伊勢崎線が乗り入れています。
歩行者は駅舎に自由通路がないので駅から約200m南にある水族館風の地下道を通って東口と西口間を行き来しなければなりません。
駅東口は西口と違って電柱が地下に埋め込まれており、そのぶんすっきりとした感じはします。
駅東口から公園橋通りを北に歩き最初の信号を左折して北西側に進むと最勝院(さいしょういん)が見えてきます。
正式には新義真言宗智山派の寺院「花林山最勝院慈恩寺」というそうです。
近くには妙楽院、成就院、玉蔵院、普門院など寺院があり、古く寺町と呼ばれた面影を残しています。
境内が広く、その昔、大相撲の地方巡業やサーカス、村芝居の興行などにも利用されたそうです。
最勝院から旧日光街道(かすかべ大通り)を東に歩くと、粕壁宿の面影を残す古い街並みが見えてきます。
慶長年間創業の米穀屋・永嶋庄兵衛商店です。
今も米穀業を営んでいるそうです。
土蔵建築の「はまじま美術館」です。
昭和の後期には美術館として公開されていたとのことです。
この土蔵は、文庫蔵として旧家・濱島家に伝わる美術品(主に掛軸)などの家財が保管されていたとか。
階下は、畳敷きの蔵座敷として利用されていたそうです。
古利根川にかかる古利根公園橋は公園の機能をミックスした面白い橋です。
「光と風邪」をテーマに、麦わら帽子をイメージしたモニュメントで、藤棚もあり、夜はライトアップされるそうです。
古利根公園橋にある「千住馬車鉄道レリーフ」です。
明治26年2月から明治30年3月まで千住茶釜橋(現荒川河川敷)~粕壁(現最勝院前)間をレールの上をはしる客車や貨車を馬に引かせて運行する千住馬車鉄道という鉄道会社があったそうです。
乗車定員は12人で、6人が向かい合わせに座り、馭者と車掌が同乗し、千住~粕壁間の約40キロメートルを3時間かかって運行していたそうです。
運賃は千住~粕壁間29銭で、当時としてはかなり高額で、よほどの金持ちぐらいしか乗れなかったそうです。
古利根公園橋から旧日光街道に戻る道沿いにある「田村荒物店」の裏側です。
土蔵が残っています。
宿場町の特徴である、間口が狭く後ろに長い敷地であるのがよく分かります。
田村家の本家前には右手に道標と左手に懐かしい郵便ポストがありました。
道標には、「西南いハつき(岩槻)」「北日光」「東江戸」「右乃方陸羽みち」と刻まれています。
今日の散策の最後は春日部市郷土資料館です。
江戸時代の粕壁宿推定模型が展示されていました。
江戸時代の終わりごろには粕壁宿には3,700人余の人々が住み、773軒の家々が軒を連ねていたそうです。
宿場町では通行者に馬や人を提供したり、本陣・脇本陣や旅籠など宿泊施設が整えられました。
参勤交代の大名や松尾芭蕉などの多くの旅人が日光街道を通り、粕壁宿で休泊したのです。
郷土資料館を出ると2時を過ぎていました。
ロビンソン百貨店近くに「馬車道」というファミレスがあったので、そこに入り遅い昼食をとって帰路に着きました。
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