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若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

青春探訪ー雑司が谷

2007年05月07日 | 電車でおでかけ




私達は上石神井を後にして高田馬場に戻り、山手線に乗り換えて目白で降りた。

大学時代最後の下宿である雑司が谷のI 村さん宅を訪ねるためである。

目白通りを学習院に沿って歩く。

学習院の木陰に沿って歩いたので、暑さも凌ぐことが出来た。

10分も歩くと「千登世橋」に差し掛かった。

左折して明治通りと交差する「千登世橋下」で信号待ちのため立ち止まる。

確か・・このあたりだったと思うのだが・・・。

しかし前方には大きなマンションが聳え立っているだけである。








「う~~ん・・・僕の記憶違いかなあ・・・」と思いながらマンションの横を見ると、かすかに古い庭木と細い階段が見える。

「もしや・・・あの階段を昇ると・・」と思い、信号を渡ってその階段を昇った。

「あった!!」

これも古い表札に「I 村」とある。









恐る恐る中をうかがうと35年前と同じ光景が現れて来た。

マンションに光を遮断され、昼間でも写真のような暗さなのである。

しかし、まぎれもなく、35年前と全く同じままで残っていたのだ。

もちろんこういう状況であるから下宿人など居ないであろう。

当時、お世話になったお婆さんも、生きていれば100歳を超えているだろうけど、多分もうお亡くなりになっていると思う。

息子さん夫婦も70歳前後になっているだろうが、果たしてこんな暗い所に住み続けているのだろうか。

多分、息子さんは、このマンションの持ち主で、マンション内に住んでいるのだと思うけど・・。

でも・・・どうして陽のあたらなくなった昔の家を、そのまま残しているのであろうか。

懐かしさと不思議な気持ちで、雑司が谷のI 村邸を後にした。







鬼子母神に御参りした後、食事や銭湯でお世話になった商店街を通る。







風呂上りに毎日ビールを買った酒屋さんらしき建物は残っていたが、その前にあった銭湯は、跡形もなかった。







美味しい洋食屋さんも残っていなかった。

「赤ちょうちん」も既になかった。








鬼子母神から早稲田まで利用した都電だけは、相変わらず元気そうに走っていた。

美味しそうな焼き鳥屋があったので、妻が焼き鳥を9本買った。

今夜、私と妻と三男とでビールを飲みながら、この焼き鳥を食べることにしよう。







妻と二人で、かぐや姫の「神田川」を口ずさみながら、目白の駅まで歩いて戻った。

かくして、平成19年5月4日(金)は私にとって忘れられない一日となった。


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青春探訪ー上石神井

2007年05月06日 | 電車でおでかけ




東伏見駅から西武新宿線で高田馬場方面に2駅戻った所が上石神井駅である。

時刻は12時近くでお腹も空いてきたし、真夏のような暑さで喉がカラカラである。

とにかく、どこかファミレスを見つけて昼食にしようと、上石神井駅の周辺を探すが、そんな気の利いた店は見当たらない。






やむを得ず、駅から商店街を抜けてしばらく歩くと、新青梅街道に出た。

交差点名が「上石神井」となっており、近くに「長寿庵」という蕎麦屋がある。

このあたりは昔、畑ばかりで、ポツンとこの蕎麦屋だけがあったのだが・・・。

「うん!これだ。この蕎麦屋でよく食事をしたものだ。カレーライスときつねうどんばかり食べていたよ。(笑)」

新青梅街道沿いにファミレスの「ジョナサン」が見えたので、迷わず入る。

ハンバーグを注文し、ドリンクバーでたっぷりと水分も補給して、我が下宿を目指す。







先ほどの上石神井交差点を渡って程なく行くと、右手に芸大寮が昔のままの姿で残っていた。

もう我が下宿は近い。

このあたりの道を、どこかで左折して、坂を下ると、「M石」という表札があるはずだ。

そこが私の下宿なのだ。

ところが左折できる道を何度も曲がって坂道を降りて行ってもM石邸がない。

前方には、当時下宿の窓から見えた石神井団地が見えるのだが・・・。







「M石さんも家を売り払ってどこかへ引っ越したのだろうか・・・」とあきらめ気味で、井草通りに差し掛かる手前の郵便局の角を左折したら・・・

「うん。ここだ。この光景だ。」

妻の手を引いて、急いで坂を下る。







「あった!!」

古くて分かりにくい表札であるが「M石R郎」と間違いなく書いてある。







家は外から見た限り、昔のままだ。

当時は早稲田の学生ばかり3人が入っていたのだが、今はもう下宿などさせていないのだろうと思うが・・。

玄関のチャイムを鳴らして、35年前にタイムスリップしようか、とも思ったが、やめておくことにした。

でも35年も前の下宿が、そのままの姿で残っていたのには、本当に驚いた。

上石神井駅に戻る道すがら・・・懐かしい気持ちと清々しい気持ちが交錯した。

「よかったわね・・・。」

「うん・・・・。来てよかったよ・・・。」


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青春探訪ー東伏見

2007年05月05日 | 電車でおでかけ




昨日、妻と二人で、私が学生生活を送った懐かしい下宿界隈を訪ねることにした。

昭和43年4月に早稲田に入学後、半年ほどいた東伏見、2年半お世話になった上石神井、そして最後の1年間暮らした雑司が谷の3ヶ所である。

いずれの地も卒業以来、一度も行ったことがなく、35年ぶりとあって、どこまで記憶が残っているか多少不安でもあり、逆に興味深々でもあった。

高田馬場から西武新宿線に20分ほど乗ると東伏見駅に着く。

ここは東京都保谷市富士町と言ったのだが、今は隣の田無市と合併して西東京市となっている。

昔から早稲田のグランドや合宿所があり、幾多の有名なスポーツ選手を輩出した所である。

今年は「ハンカチ王子」も早稲田に入学したので、この街も益々注目されそうだ。

私は体育会に所属していたわけでもなく、たまたま郷里の先輩がここに住んでおり、早稲田を受験した際にこの先輩のアパートに泊めさせてもらった関係で、東伏見に下宿を探すこととなったのである。







東伏見駅南口から伏見稲荷の鳥居をくぐり抜け、数十メートル歩くと踏切がある。

そこを渡ってすぐの右手に、その先輩のアパートがあった筈だが、今はもう跡形もなくなっていた。







私の下宿はそこから北に向かって数百メートルのところで、岡田屋というスーパーの近くであったと記憶しているので、とりあえず、そのスーパーを目指して歩く。

スーパー岡田屋はすぐに見つかったが、残念なことに1ヶ月ほど前に閉店したそうだ。

ご主人が高齢で後継者もなく閉店したそうだが、昔は綺麗なお嬢さんが居て、店を手伝っていたのだが・・・・。

このスーパーの一つ手前の路地を入ると私の下宿があった筈なのだが、それらしき建物が見あたらない。








それでも「S村」という表札に覚えがあった。

この「S村」という表札の家の手前あたりに、わが下宿があったと記憶している・・・。







そのころでも相当古かったから、もうとっくに取り壊されていると思うが、多分、写真のアパート(これも相当古いが・・・)に立て替えられたのであろう。

探し歩いた下宿は既になく、スーパーも閉店されていて、時代の移り変わりを惜しみながら、東伏見の駅を後にした。


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