
私達は上石神井を後にして高田馬場に戻り、山手線に乗り換えて目白で降りた。
大学時代最後の下宿である雑司が谷のI 村さん宅を訪ねるためである。
目白通りを学習院に沿って歩く。
学習院の木陰に沿って歩いたので、暑さも凌ぐことが出来た。
10分も歩くと「千登世橋」に差し掛かった。
左折して明治通りと交差する「千登世橋下」で信号待ちのため立ち止まる。
確か・・このあたりだったと思うのだが・・・。
しかし前方には大きなマンションが聳え立っているだけである。

「う~~ん・・・僕の記憶違いかなあ・・・」と思いながらマンションの横を見ると、かすかに古い庭木と細い階段が見える。
「もしや・・・あの階段を昇ると・・」と思い、信号を渡ってその階段を昇った。
「あった!!」
これも古い表札に「I 村」とある。

恐る恐る中をうかがうと35年前と同じ光景が現れて来た。
マンションに光を遮断され、昼間でも写真のような暗さなのである。
しかし、まぎれもなく、35年前と全く同じままで残っていたのだ。
もちろんこういう状況であるから下宿人など居ないであろう。
当時、お世話になったお婆さんも、生きていれば100歳を超えているだろうけど、多分もうお亡くなりになっていると思う。
息子さん夫婦も70歳前後になっているだろうが、果たしてこんな暗い所に住み続けているのだろうか。
多分、息子さんは、このマンションの持ち主で、マンション内に住んでいるのだと思うけど・・。
でも・・・どうして陽のあたらなくなった昔の家を、そのまま残しているのであろうか。
懐かしさと不思議な気持ちで、雑司が谷のI 村邸を後にした。

鬼子母神に御参りした後、食事や銭湯でお世話になった商店街を通る。

風呂上りに毎日ビールを買った酒屋さんらしき建物は残っていたが、その前にあった銭湯は、跡形もなかった。

美味しい洋食屋さんも残っていなかった。
「赤ちょうちん」も既になかった。

鬼子母神から早稲田まで利用した都電だけは、相変わらず元気そうに走っていた。
美味しそうな焼き鳥屋があったので、妻が焼き鳥を9本買った。
今夜、私と妻と三男とでビールを飲みながら、この焼き鳥を食べることにしよう。

妻と二人で、かぐや姫の「神田川」を口ずさみながら、目白の駅まで歩いて戻った。
かくして、平成19年5月4日(金)は私にとって忘れられない一日となった。
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