goo blog サービス終了のお知らせ 

若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

横浜に遊ぶー港の見える丘公園から中華街へ

2009年01月25日 | 電車でおでかけ





山下公園からポーリン橋、人形の家を経てフランス橋を渡ると、港の見える丘公園の入口です。

この一帯は開港当時外国人居留地で、丘の上にイギリス軍、下にフランス軍が駐屯していた場所です。









大佛次郎記念館です。

大佛次郎は横浜で生まれ、そして横浜を最も多く描いた作家です。

代表作には「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」「帰郷」「赤穂浪士」などがあり、「鞍馬天狗」の作者としても親しまれてます。









「山手111番館」の裏側です。

ローズガーデンから入る地階部分は「ローズガーデン・えの木てい」という喫茶室になっています。









横浜市イギリス館は、昭和12年に上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として建築された建物です。









広々と開放感のある敷地に建つ建物は鉄筋コンクリート二階建てで、地階を持ち、主屋と付属屋が連結した形になっています。

主屋一階部分に応接室や食堂、サンポーチなどを配し、二階部分に寝室や衣装室などが置かれています。

まるで住宅展示場のモデルルームのようです。

というか現在の日本の住宅がこのイギリス館などをモデルにして発展したのでしょう。









歩き疲れてお腹も空いてきたので、港の見える丘公園をあとにして、横浜中華街で昼食をとることにしました。

天長門を入って関帝廟通りを歩きます。

さて・・・どこの店で食べようか・・・・・









迷っていてもキリがありませんので、横浜市の中田市長が来店されたらしき写真を店の前に飾っている「東園」という店に、「ここならぼったくられないだろうと」(笑)入りました。

700円のランチを食べましたが結構美味しかったですよ。









「東園」のすぐ横が山下町公園です(山下公園ではありません)。

中華街の歴史を語る上で欠くことのできない大切な場所である山下町公園(横浜市中区山下町135番地)が平成18年6月にリニューアルオープンされた際、堂々たる姿を披露した「會芳亭」です。









横浜関帝廟です。

中国の伝統建築工芸をこらした豪華絢爛な廟は横浜中華街の中でもひときわ異彩を放っています。

関帝廟に祀られているのは三国志で有名な関羽だそうです。

今から1800年程前の後漢、三国時代にかけて活躍した武将で、乱れた世を直すために戦い、西暦219年に58才で世を去ったそうです。









中華街大通りはごらんのような人出で、歩くのも窮するほどでした。

最後に善隣門横の「SARIO聘珍茶寮」という店で、月餅を土産に買って横浜をあとにしました。




人気blogランキングへ

横浜に遊ぶーみなとみらいから赤レンガ倉庫へ

2009年01月21日 | 電車でおでかけ




「三菱みなとみらい技術館」を出てから私たちは「けやき通り」を海に向かって歩き始めました。

すぐに「横浜美術館」がありました。

「セザンヌ主義」とかをやっていたそうですが、今日(1月18日)は何十年ぶりかの横浜市内を「とにかく一通り見て廻ろう」ということなので美術館には入りませんでした。








「国際大通り」に出て、右折すると、白く輝くヨットの帆を思わせる外観が印象的な「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」が見えてきます。







国際大通りを赤レンガ倉庫目指して歩くと、右手に「よこはまコスモワールド」という遊園地。

大きな観覧車「コスモクロック21」を中心にしたアミューズメントパークです。








横浜港大桟橋には豪華客船「飛鳥Ⅱ」が停泊していました。








「赤レンガ倉庫」 正式名称は新港埠頭保税倉庫というそうです。

保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終え、しばらく放置されていましたが2002年(平成14年)に、1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設となり、付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され、横浜みなとみらい21地区の代表的な観光施設となっています。

写真は「赤レンガ倉庫2号館」です。

予想外に人出が少なかったです。

1階のガラス張りはレストランでした。









「赤レンガ倉庫1号館」です。

この裏手にスケートリンクがあり、ここだけが子供たちを中心に賑わっていました。




人気blogランキングへ

横浜に遊ぶー横浜三塔物語

2009年01月20日 | 電車でおでかけ
歴史的に価値がある建物が多い横浜の中でも、特に有名なのが「横浜三塔」です。

キング、ジャック、クイーンと呼ばれる三塔を巡ると幸せになれるという伝説があるそうです。

私たち家族の幸せを願って三塔を巡りました。







キングの塔(神奈川県庁)です。

関内のシンボル的存在として親しまれています。

重厚な5階建で、上に建つ塔は、五重の塔をイメージさせ、ロボットの頭のような建築方式は帝冠様式と呼ばれるそうです。

横浜港に入ってくる船に県庁の所在地を知らしめるために塔の部分がつけられたそうです。

なお、この建築方式は後の官庁等を建てる際に大きな影響を及ぼしたそうです。

1928年竣工。

塔の高さ49m。







ジャックの塔(横浜市開港記念館)です。

建物は大正6年に開港50周年を記念して、ネオルネッサンスの建築様式に建てられ、平成元年には国の重要文化財に指定されています。

白い花崗岩の外壁、古典的デザインの内部は格調の高さを感じさせ、赤レンガの時計塔は「ジャックの塔」の愛称で知られています。

1917年竣工。

塔の高さ36m。








クイーンの塔(横浜税関)です。

イスラム寺院を想わせる緑の丸い塔があるレトロな建物で、女王にふさわしいロマネスク様式のドームは美しい緑青色です。

外壁は淡いベージュ色のタイルで、他の2塔に比べ優美で女性的な雰囲気です。

5階建てのエキゾチックな庁舎には、「ロマネスク」などの西欧建築様式が混在しており、横浜を代表する建築物の一つと言えるでしょう。

1934年竣工。

塔の高さ51m。




人気blogランキングへ

横浜に遊ぶー三菱みなとみらい技術館

2009年01月19日 | 電車でおでかけ




昨日(1月18日)妻と二人で横浜に行って来ました。

桜木町駅を降りて「動く歩道」を少し行くと、ランドマークプラザの隣に三菱重工横浜ビルがあります。

このビルの1階と2階が「三菱みなとみらい技術館」になっています。

以前から「一度行って見たいね」と話していたところです。







館内は、1階に「宇宙」「海洋」「交通・輸送」「くらしの発見」、2階に「環境・エネルギー」「技術探検」の6つのゾーンがあり、それぞれのテーマにちなんだ最先端技術を見ることが出来ます。








「宇宙」ゾーンでは主力ロケット「H-2A」と「H-2」のメインエンジンを並べて展示しています。







建設が進む国際宇宙ステーションや日本実験棟「きぼう」の様子もリアルに再現しています。







「海洋」ゾーンでは「しんかい6500」をはじめ、地球深部を探る「ちきゅう」、深海巡航探査機「うらしま」などの最新技術を紹介しています。







「交通・輸送」ゾーンの「トランスポート・シティパノラマ」では環境にやさしい都市機能をめざした交通・輸送システムの主な技術を紹介しています。








日々のくらしで何気なく使っている「モノ」には様々な先端技術や製造技術がちりばめられています。

「くらしの発見」ゾーンは、そんなモノづくりの秘密を発見できる、しかけがいっぱいの街だそうです。






人気blogランキングへ

谷中・根津・千駄木(やねせん)散策

2009年01月02日 | 電車でおでかけ




今日は目黒の妻の実家に行き新年の挨拶をした後、二人で「やねせん」(谷中・根津・千駄木)界隈を歩いてきました。

JR日暮里駅の西口(北口の改札を左に)を出て坂を上ると、セブンイレブン前に「音羽屋」の看板を背負った粋な人力俥が出ていました。

牽いているのは何と若い女性でした。






歩いてまもなく案内板にしたがって左折すると路地裏に朝倉彫塑館がありました。

近代を代表する彫刻家、朝倉文夫の住居兼アトリエを改装した美術館で、朝倉氏自ら設計・監督し、昭和3年から約7年かけて完成したそうです。







もとの道に戻って歩いて行くと「夕やけだんだん」という階段にさしかかりました。

階段上から谷中銀座を見下ろす風景は谷中関連の雑誌や番組にしばしば登場する有名なもので、夕焼けの絶景スポットにもなっているそうです。

昔は富士山が見えたそうですが今は残念ながらマンション群しか見えません。







わずか200mほどの通りに、飴屋、パン屋、肉屋、八百屋、魚屋、雑貨屋などなど、さまざまなお店が並ぶ谷中銀座商店街です。








ノスタルジー漂う谷中銀座商店街の一画に「かみや」と言う、うどん屋があります。

昔ながらの下町情緒が漂う、うどん屋ですが、「首都圏&讃岐のうどんの名店150軒」にも紹介されたそうです。







よみせ通りを千駄木方面に歩き、三崎坂にさしかかると「東西めぐりん」というノスタルジックなバスを見かけました。

上野の台東区役所を起点とし、東京国立博物館、千駄木駅、TX浅草駅、新御徒町駅などを経由して台東区役所に戻る循環バスだそうです。







「へび道」から上野に向かって続く道、ここは昔、藍染川という川が流れていたんだそうです。

「へび道」はその名の通りくねくねと曲がっている路地です。

昔の藍染川の跡だった場所がそのまま路地になっています。

こんなに狭い道(川)は文京区と台東区の境にもなっているそうです。

「へび道」を通り抜けたあたり、根津二丁目と台東区谷中との境に位置する「丁子屋染物店」です。

東京でも数少なくなった染物屋さんの中でも老舗です。

店内には手ぬぐいをはじめ、ハンカチや小物など、いろんなものが並んでいます。








藍染通りの路地裏です。

「これぞ下町」の風情ですよね。








藍染通りから不忍通りを越えて少し歩くと根津神社です。

根津神社は初詣の人々でごった返していましたが社殿と楼門が漆塗りの修理工事を行っていて少し興ざめでした。

参拝客が列をなしていましたのでお参りはパスしました。







根津神社から不忍通りを越えて、藍染通りを戻ると、外国人ばかりが宿泊する変わった旅館「澤の屋」が右手にあります。

そこから先に傾斜が見えてきますがそれが「あかぢ坂」です。

坂の上に、明治の大財閥、渡辺家の屋敷があったそうです。

坂を上りきった左手のこの古い立派な家が渡辺家と関係あるのかな?

明治10年、九代目が渡辺銀行を設立。

しかし、この渡辺銀行が昭和初期の金融恐慌で倒産。

根津や千駄木、谷中では損害を被った人が続出したと言います。

だから、人は皮肉って、この坂を「赤字坂」とも言うらしいです。








あかぢ坂を上り切って右折すれば、谷中の中では閑静な住宅街の中に「大名時計博物館」がありました。

このあたりは勝山藩下屋敷の跡だそうです。

大名時計博物館は江戸時代の珍しい「大名時計」を展示している博物館です。

陶芸家の上口愚朗氏が生涯にわたり収集した大名時計を展示しているそうです。

残念ながら今日は閉館中でしたが、大名時計とは日の出と日没を基準とした、日の出から日の入りまでと、日の入りから日の出までをそれぞれ6等分した、江戸時代の不定時法に合わせた時計だそうです。







「やねせん散策」のラストランは上野桜木町にある「下町風俗資料館附設展示場・旧吉田屋酒店」です。

旧吉田屋酒店は昭和61年谷中6丁目にあった同店を改築する際、同店所蔵の道具類や文書とともに台東区が寄贈を受け、現在地に移築復元したものです。

 建造物は明治43年に建築されたもので、当時の商家建築の特徴をよく伝えています。

「やねせん散策」を終えた私たちは上野桜木町から東京芸大、国立科学博物館、東京文化会館、上野の森美術館などを通り抜け上野駅に到着しました。





人気blogランキングへ