若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

鎌倉ー最後から2番目の札所(恋)・極楽寺周辺散策

2012年04月10日 | 電車でおでかけ



4月9日(月)妻と二人で2年半ぶりに鎌倉方面へ行ってきました。

前回(2009年9月22日)は北鎌倉駅から鎌倉街道と若宮大路を歩き、由比ヶ浜海岸を散策し、江ノ電 長谷駅の踏切を渡って長谷寺と鎌倉大仏を見た後、鎌倉文学館で帰路に着いたのですが、今回は先日終了したテレビドラマ「最後から2番目の恋」の舞台となった極楽寺周辺と、湘南ボーイのメッカ・江ノ島を見ようというミーハー的な気分で出かけました。





鎌倉駅で江ノ島電鉄に乗り換え長谷駅で下車。

定番の長谷寺と鎌倉大仏は今回はPASSです。





大通りを大仏方面に向かって徒歩約1分で左手に見えてくるのが「収玄寺」です。

「収玄寺」は日蓮上人に帰依した四條金吾頼基の屋敷跡で、文政年間に妙詣尼により収玄庵として創建されました。

小さいが手入れの行き届いた境内は、四季の草花に囲まれていて、「花の寺」としても知られています。





「収玄寺」を出て大通りをすぐに左折して「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」へ向かいます。

途中の路地は何気ない小道ですが、鎌倉らしい風情がただよいます。

開花が遅れていた桜も今日の暖かさでほぼ満開です。





目の前を江ノ電が走る「御霊神社」は、別名「権五郎神社」とも呼ばれ、平安時代の開発領主鎌倉権五郎景政を祀る神社です。

鎌倉権五郎景政ゆかりの手玉石や弓立の松が敷地内に残っています。





「御霊神社」を出て江ノ電の踏み切りを渡り、極楽寺坂の通りに出る角にあるのが「力餅屋」です。

元禄年間には峠の茶屋として店を出していたという300年の歴史を持つ和菓子の老舗です。

小さな店ながら、どことなく風格があり朝から多くのお客が足を運びます。

名物の力餅は、もち米を蒸して臼でついた餅を、じっくりと練った餡でくるんだ素朴な和菓子だそうです。

妻はさっそく「権五郎力餅」を買いこみ、持って来たお茶を飲みながら道中食べ始めました。





「力餅屋」を出て「極楽寺坂」を昇り始めるとすぐ右手に見えてくるのが「虚空蔵堂(こくうぞうどう)」です。

「虚空蔵堂」は、行基が彫った虚空蔵菩薩が祀られているお堂です。

本来の名は「明鏡山星井寺」と言い、現在は、「成就院」が管理しているそうです。





「極楽寺坂」を更に昇ると左手に「成就院」の入口があります。

ここの石段は除夜につく鐘の数と同じ108段とのことです。

振り返り眼下に広がる由比ヶ浜海岸の風景を眺めながら昇り詰めると、江戸時代後期の建立で、重厚な山門が左手にあります。

山門に立つと本堂がすぐ先に見えます。





再び「極楽寺坂」に戻ります。

これは「極楽寺」のほうから見た「極楽寺坂」で、右手上方が「成就院」です。






さあいよいよ「極楽寺」です。

二代執権北条義時の三男重時が、深沢に正永和尚が建てた念仏堂を移建し、1267年に重時の子・長時(六代執権)と業時が、当時多宝寺にいた忍性を招いて開山したそうです。

忍性は悩める貧しい人々を救済するために、福祉事業に取り組み、「医王如来」と崇められたと言われています。





小泉今日子と中井貴一の”大人の口喧嘩”が非常に面白いドラマ、「最後から2番目の恋」の舞台となった江ノ島電鉄「極楽寺駅」は、「極楽寺」の目の前にありました。

ところで「極楽寺」は鎌倉十三仏霊場巡礼の『最後から2番目』の第十二番札所です。

(前述の「虚空蔵堂」は最後の第十三番札所です。)

ドラマの題名「最後から2番目の・・・」というのはそう言う意味だったのですね。

素敵な駅を背景に、ミーハーな私たちは写真を撮り合い、江ノ電に乗って江ノ島へと向かいました。




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