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若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

埼玉モダンたてものを見て歩くーその8-比企郡嵐山町・小川町

2014年05月21日 | 埼玉モダンたてもの散歩


5月6日(火)妻と二人で愛車プリウスに乗って比企郡の嵐山町と小川町へ「埼玉モダンたてもの」を見て歩きました。

最初に行ったのが「嵐山町立嵐山幼稚園」です。

この建物は日本赤十字社埼玉県支部旧社屋で、明治38年に埼玉県庁に隣接して建てられ、昭和58年に嵐山町立鎌形小学校の敷地内に移築保存されたものです。



埼玉を代表する明治期の建造物で、19世紀末のアメリカで流行したシンプルスタイルの影響を強く受けています。

赤瓦葺きの屋根に水色の壁面、建具の白と外観の色彩も明るく軽快なものです。

小学校校舎として使われた後に、現在は幼稚園として大切に使われています。



次に足を運んだのが、小川町の小川赤十字病院です。

裏手の高台に登っていくと、小さな正六角形の建物がありました。

これが「日向亭」(日本赤十字社埼玉県支部旧六角便殿)です。

実は上記の日本赤十字社埼玉県支部旧社屋の付属建物で、迎賓用の化粧室でした。

この正六角形の建物は形状等が周囲の緑多い環境によく調和することから、この場所に昭和57年に移築されました。



次に行ったのが「小川町和紙体験学習センター」(旧埼玉県製紙試験場)です。

スクラッチタイルを張った背の低い門柱が印象的。

和紙のまち小川に、昭和11年に埼玉県製紙試験場としてつくられました。

板張りの廊下、事務室、応接室には、昭和モダンの雰囲気が残っています。

現在は、和紙漉(す)き体験のできる施設として活用されています。



小川町の中心街に足を運ぶと数奇屋風の木造2階建でありながら洋風の窓や部屋に、レトロモダンな雰囲気が感じられる「割烹旅館 二葉」の本館が見えてきました。

「割烹旅館 二葉」は創業260年を数える料理旅館で本館は国指定登録有形文化財です。

「割烹旅館 二葉」の名物は「忠七めし」というご飯で、明治の偉傑・山岡鉄舟が名付親です。

「忠七めし」とは茶碗にごはんを盛り、薬味のさらしネギ・ワサビ・ゆずをのせ、その上から、どびんの熱い出汁をかけ、お茶漬けのようにサラサラといただく…のだそうです。

天皇陛下をはじめ、映画監督黒澤明、作家向田邦子など各界の方々から愛されたそうです。



「割烹旅館 二葉」から歩いて10分ほどのところにある造り酒屋「晴雲酒蔵」。

「晴雲酒蔵」の目印は、レンガ造りの大きな煙突です。

お米を蒸す熱源として木炭が使用されており、その当時使用されていた煙突です。



「晴雲酒蔵」では、蔵の2F(麹室)を資料館として見学することができます。

酒造りに使用される様々な道具類を見ることができます。

木造の大きな蔵の和小屋組は迫力満点です。


埼玉モダンたてものを見て歩くーその7-川越市

2014年05月19日 | 埼玉モダンたてもの散歩


4月12日(土)妻と二人で愛車プリウスに乗って川越に行き、川越市のモダンたてものを見て歩きました。

(写真は「日本聖公会川越キリスト教会」です。)



最初に行ったのが川越市役所前の交差点を渡った所にある「手打そば百丈(ひゃくじょう)」です。

もとは湯宮釣具店として昭和5年に建築された木造3階建て、銅板ぶきの店舗併用住宅で平成11年に国の登録有形文化財に指定されました。

こういう建物を「看板建築」と言って、関東大震災後、東京下町を中心に建てられた、商人の粋と見栄の商店建築のことです。



「百丈」の前の県道51号線を少し南下して右側の細い路地を入った所に、淡いピンク色の外壁とステンドグラスが印象的で大正ロマンの雰囲気が漂うお洒落な洋館が佇んでいます。

ここが、大正4年に建てられ、国登録有形文化財の「モダン亭 太陽軒」です。



県道51号線に戻り300mほど南下すると「日本聖公会川越キリスト教会」の礼拝堂が見えてきました。

煉瓦造りの礼拝堂は「日本聖公会熊谷聖パウロ教会」と同じくアメリカ人建築家ウィリアム・ウィルソンの設計により大正10年に建設されました。



「日本聖公会川越キリスト教会」から仲町方面へ進み、途中、右折して「旧山崎家別邸」を探しましたが残念ながら保存修復工事のため閉鎖中と言うことで見ることが出来ませんでした。

「旧山崎家別邸」の北側にはピンク色も鮮やかな洋風建築の「中成堂歯科医院」がありました。

当医院は大正2年に建てられました。

外壁はイギリス下見と呼ばれる方法で下見板を張り合わせ、木造の軽快さが端的に表現されています。

屋根は天然の石板(スレート)でふき、1階の窓は両開き窓、2階は上げ下げ窓です。



大正浪漫夢通りの入り口には「川越商工会議所」(旧武州銀行川越支店)がその威容を誇ります。

玄関の上にあるメダリオン(円形装飾)と呼ばれる飾りが豪華さを演出しています。

外壁の太い柱はドリス式と呼ばれており、直径約1m。古代ギリシャ神話に出てきそうな外観です。



古き良き大正時代の面影たっぷりの「大正浪漫通り」を妻と二人で進みます。

右手にハイカラな看板建築の店が3軒続いています。

独特のアーチ形天井を持つこの建物は、昭和10年創業の手作り和菓子店「いせや」です。

1階部分が店舗と厨房で、3つの縦長窓を持つ2階と半円筒形のトンネル型屋根の3階は住宅になっています。

3階の屋根部分は木の梁を網代(あじろ)に組み編んでつくられています。



「シマノコーヒー大正館」は昭和8年竣工の人造石洗い出しの看板建築です。

元は呉服屋さん、現在は喫茶店として利用されています。

大きなガラスやレトロな扉、足下の石張りも印象的です。



「大野屋洋品店」は和瓦葺の半切妻屋根に、洋風の棟飾りをのせた独特の屋根形状が特徴の洋風建築で、1階のかわいらしいアーチが目を引きます。



浪漫通りを抜け、連雀町交差点、六軒町交差点を歩くと、川越女子高校の隣に「旧六軒町郵便局」と呼ばれる洋風建築がありました。

昭和2年に材木屋の事務所として建てられ、その後戦前から約50年間郵便局として使われました。

平成10年に国の登録有形文化財に指定され、現在はレストランとして使われています。



連雀町交差点に戻り、川越一番街を北上します。

仲町、亀屋の筋向いにある洋風の建物は、大正4年建築の土蔵造り、川越市指定文化財の「カフェエレバート」(旧田中家住宅)です。

外観はレトロな洋館、しかし内部は蔵造りという和洋折衷の不思議な造りをしています。

以前は「田中屋美術館」でしたが、現在はクラシカルな喫茶店「カフェ・エレバート」となっています。



その隣が「旧山吉(やまきち)デパート」です。

山吉デパートは、昭和11年、川越に初めてできた高級百貨店です。

建物は川越初の鉄筋コンクリート工法による建造物で3階建て、店内にはエレベーターもありました。

ルネッサンス様式を基調とした外観になっており、4本のイオニア式大列柱や壁面のレリーフが見事です。



蔵造りの町の中心に青緑色のドームが目立つ建物、「埼玉りそな銀行川越支店」(旧第八十五銀行本店本館)がそびえ立ちます。

建物は大正7年に第八十五銀行の本店として建てられました。

埼玉りそな銀行 川越支店は、川越の伝統的な町並みの中で近代のあゆみを示す象徴として、平成8年に国の登録有形文化財の指定を受けました。



埼玉モダンたてものを見て歩くーその6ー川口市

2014年04月29日 | 埼玉モダンたてもの散歩


4月2日(水)妻と二人で愛車プリウスに乗って川口市の「埼玉モダンたてもの」を見に行ってきました。

川口市は岐阜から5年ぶりに本社に戻った昭和61年4月から今の我が家が完成する12月までの9ヶ月間、家族5人で住んだ懐かしい街です。

写真は「川口母子福祉センター」内の、鏡がはまったモザイクタイルです。



最初に行ったのが倉庫が立ち並ぶ川口市領家の一角にある「大泉工場」です。

「大泉工場」は1917年に創業以来、鋳物の街の一端を担ってきました。

時代の変遷もあり、1990年より倉庫業に進出、2008年に工場を閉鎖しますが、美しい庭と石造の洋館をいかし、現在は映画やドラマのロケ地として利用されています。

昭和13年に建てられたこの洋館の内部は現在非公開ですが、多数のステンドグラスが使われているそうです。



次に行ったのが川口市金山町にある「川口市母子福祉センター」です。

江戸時代末創業の地元鋳物問屋・鍋屋の4代目島崎平五郎が、西洋文化の風情を取り入れて建築した旧居宅です。

鋳物問屋鍋屋平五郎商店の隆盛を今に伝える貴重な文化遺産として国指定文化財に登録されています。



鋳物商人のおもてなしの場だったためか、内装は、随所にこだわりが見られます。

北側に配された洋式の便所は、華麗な装飾が施されていて、美しい色合いの大理石とベネチアガラスがはめ込まれた窓ガラスなど和洋が混在しています。

写真は女子トイレのステンドグラスです。



そのあと「ミエル川口」の屋上駐車場に車を止めて、本町ロータリー付近を徒歩で散策です。

川口で一番古い町並みが残る、本一通り商店街にあるお店「福田屋洋品店」です。

かつては日光御成道の川口宿があったところだそうです。

ここは昭和8年に建てられた、いわゆる「看板建築」で、店舗前面が垂直に立ち上がり、銅板やモルタル、タイル張りになっている店舗兼住宅です。



本一商店街をもう少し入ると、「出桁造り」の風情ある「中西日進堂薬局」。

明治35年頃竣工のこの建物は、現在も薬局として営業しています。

大正時代に掛けられた看板は、右から左に書かれていて味わい深いものです。



さあ今日の散策のトリは国道122号沿いを下って歩くと右側に見えてきました「旧田中家住宅」。

当時のこの地の優良な大麦と豊かな地下水を利用して、麦麹味噌の醸造業と材木商で富を得た四代目田中徳兵衞が築いたものです。

大正12年に建てられた県下唯一の木造煉瓦造3階建の洋館と、昭和9年に増築された和館のほか茶室、文庫蔵、煉瓦塀、池泉回遊式庭園により構成されています。



洋館の三階は南側に大広間を設けています。

応接間は一階に配置するのが通常ですが、田中家では眺望を重視して三階に配置したものです。

窓からは芝川や荒川、晴れた日には富士山まで眺められたそうです。




埼玉モダンたてものを見て歩くーその5-羽生市・加須市

2014年04月03日 | 埼玉モダンたてもの散歩


3月16日(日)妻と二人で愛車プリウスに乗って羽生市と加須市の「埼玉モダンたてもの」を見に行きました。

写真は「童謡のふる里 大利根図書館(ノイエ)」の館内です。



最初に行ったのが羽生市の大正3年創業の「野川染織工業」です。

日本で藍染めが庶民に普及したのは、江戸時代に入ってからと言われています。

日本各地で藍染めが盛んに行なわれましたが、関東においては、ここ埼玉県羽生市近郊が糸染めの産地として発展していきました。

のこぎり屋根のこの建物は昭和30年頃のもので、赤い色の屋根と灰色の壁のコントラストが目を引きます。



次に加須市の中心街に足を運びました。

地方には古き良き時代のハイカラな医院がよく見うけられますが、まさにこの「松本医院」がそんな建物です。

今も医院として診療しているそうです。



次に加須市の旧大利根町によって設立された「童謡のふる里 大利根図書館(ノイエ)」に行きました。

大利根地域が地元出身の作曲家・下總皖一にあやかり、町のイメージを童謡のふる里としていたこともあり、建物は古民家風のデザインとなっています。

ノイエとはドイツ語で”新しいもの”という意味だそうです。

(ノイエ)は2004年度に彩の国景観賞を受賞しています。



今度は旧騎西町に足を運び「内田煙草店」を探しますが、なかなか見つかりません。

車を空き地に止めて二人で歩いて、清酒「力士」の工場の前に、やっと、このハイカラな建物を見つけました。

銅板の細工が美しい看板建築で、昭和20年代にこんなに手の込んだ建物ができたとは驚きです。



本日の散策の最後は羽生市にもどって、「小島染織工業」です。

「小島屋」は、明治5年の創業時から140余年にわたって藍染織物を生産し続けています。

ここも特徴的なのは、のこぎりのような形の屋根。

自然の光を可能な限り取り入れるため、こうした形状となっているそうです。

周囲は田園地帯で、のどかな風情が漂う場所にそびえ立つ煙突のある風景が、藍染の歴史を感じさせてくれます。




埼玉モダンたてものを見て歩くーその4-熊谷市

2014年03月16日 | 埼玉モダンたてもの散歩


2月23日(日)妻と二人で愛車プリウスに乗って熊谷市の「埼玉モダンたてもの」を見に行きました。

熊谷市の「モダンたてもの」のほとんどが八木橋デパートの近辺にあったので八木橋デパートに車を止めて散策しました。

最初に行ったのが熊谷寺(ゆうこくじ)の裏手にある「日本聖公会熊谷聖パウロ教会」です。

大正8年竣工の煉瓦造りの教会で、立教大学の礼拝堂や校舎を設計した米国人建築家ウィリアム・ウィルソンの設計だそうです。



礼拝堂は鐘楼を持つ平屋建で、鐘楼の1階部分が入り口ポーチとなっています。

外壁、内壁とも本格的な煉瓦造建築で、小屋組みは木造、屋根は創建時の洋瓦から、日本瓦に葺き替えられています。

敷地の北側の門も煉瓦造で、礼拝堂と同時期につくられたそうです。



再び八木橋デパートに戻り駐車場のすぐそばの路地を曲がると・・・古き良き時代の懐かしい銭湯「朝日湯」です。

玄関にあしらわれたレリーフ調の装飾が目を引くこの建物は昭和22年に建てられ、以来近所に住む人たちの社交場の役割を果たしてきたそうです。



「朝日湯」から大通りに出て渡ると、イオン熊谷の横に見えてきたのが「片倉シルク記念館」です。

私たちが行った日は大雪のため臨時閉館したのですが管理人さんの好意で入館を許可されました。

「片倉シルク記念館」は、片倉工業(株)最後の製糸工場であった熊谷工場の繭倉庫を利用した記念館です。

片倉工業(株)の製糸業121年におよぶ歴史を、末永く保存継承するために、熊谷工場の操業当時に使われていた製糸機械を展示して、繭から生糸になるまでの過程を紹介しています。



これで八木橋周辺の「モダンたてもの」を見終わったので少し離れた妻沼の「坂田医院旧診療所」に向かいますが、その途中で素晴らしい「モダンたてもの」に出会いました。

「埼玉県立熊谷高等学校」(通称クマタカ)です。

明治28年、埼玉県の第二尋常中学校として創設されました。

本校は開学以来男子校であり私服での登校が認められています。

本館は1980年に竣工したものだそうですが、かつての本館(木造2階建て)は1978年に西半分を焼失したそうです。

なお、校歌に歌われている「赤甍」(あかいらか)とは旧本館のそれを指し、現在の本館の赤甍風の屋根はそれの模倣ですが、部分的に旧本館の赤甍が使用されているそうです。



さあ本日のトリは妻沼の「坂田医院旧診療所」です。

昭和6年、坂田医院は田園風景広がる妻沼に建てられました。

まだ洋風建築が珍しかった時代、玄関ポーチの立派な柱に、タイル張りの外壁、モダンな照明を備えた豪華な洋館は、先進の医療機器や手術室を完 備し、常に多くの患者で溢れていました。

今は映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」、「結婚しようよ」、「ゲゲゲの女房」、「孤高のメス」 などなど、たくさんの映画やテレビドラマのロケ地として脚光を浴びています。