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若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

埼玉モダンたてものを見て歩くーその13-飯能市・入間市・所沢市

2014年10月20日 | 埼玉モダンたてもの散歩


9月27日(土)妻と二人で愛車プリウスに乗って飯能市・入間市・所沢市の「埼玉モダンたてもの」を見て歩きました。

西武池袋線の飯能駅ビル内にある旅行案内所で市内の地図をもらい、最初に「飯能織物協同組合事務所」に行きました。

この建物は、飯能が絹織物で栄えていた頃の大正11年に組合事務所として建てられました。

構造は木造総二階建て、寄せ棟、瓦葺きです。

外壁は下見板張り、窓は当初木製の上げ下げ窓でした。

この洋風な外観に対して、屋根には、両端に鯱が二尾据えられ、和風の桟瓦が葺かれています。

内部も違い棚を配した床の間を持つ十八畳の和室があり和風の雰囲気を残しています。



このあたりはレトロな街並みが楽しめますが、そのひとつが「吉川理容所」です。

飯能駅近くの「銀座通り」にあるこのお店は、石造風の看板建築が目印のレトロな床屋さんです。

昭和10年頃から営業しており、店内をよく見ると、当時から使っている特注の道具入れ外国製の鏡など、こだわりの逸品に出会えます。



「吉川理容所」の建つ「銀座通り」から「大通り」に出ると、黒漆喰の壁、下屋の屋根にうだつ、屋根の棟には大きな棟飾りがあがるなど贅の限りを尽くした建物が現れました。

「店蔵絹甚」(みせぐらきぬじん)です。

明治37年建築で、篠原甚蔵・長三親子によって建てられました。

篠原家は織物、生糸、繭、などの取引をしていました。



店蔵、居宅、土蔵の3棟があり、居宅と土蔵の間には中庭があります。

店蔵は商いのための空間で、客との商談などに利用され、居宅は家人の住まい、土蔵は商品等の保管庫になっていたと考えられます。

写真は座敷から見た店蔵扉です。

観音扉の金庫のような扉です。



飯能市のレトロな街並みをあとにして、名栗村の「旧平沼寛一郎邸」に向かいました。

「旧平沼寛一郎邸」は明治中期に建築された山あいの古民家です。

手入れの行き届いた落ち着いた色調の外観が、周囲の山や川などの自然と調和して良好な景観を生み出すとともに、自然と人々の生活が調和した山里の景観の核となっています。



田舎の民家でありながら、武家屋敷様式の書院造り、自然に朽ちた木の欄間、狆くぐり、襖絵、金唐和紙、丁寧に作られた建具など、当時の大工、職人の想いがこもります。



切妻屋根や、カラフルな色ガラス窓が名栗渓谷に溶け込み、美しい風景をつくり出しています。

また、座敷の窓から観音山や庭を眺めることができ、ゆったりとした気持ちになります。



次に行ったのが入間市の「旧石川組製糸西洋館」です。

実は今年の1月18日に入間市などの「モダンたてもの」を見て歩いたのですが、このたてものをうっかり見落としてしまったものですから、今回、訪問することにしました。

この西洋館は、石川組製糸の創始者石川幾太郎により、大正10年に迎賓館として上棟された和風工法による西洋風建造物です。

建物外観は、化粧煉瓦張りで、屋根窓を設けた変化のある屋根に特色があります。

残念なことに現在は期日を限って年に数回、春と秋に公開を行っているだけです。



本日の最後は所沢市の「クロスケの家」です。

場所は早稲田大学所沢キャンパスのすぐ近くなのですが、非常にわかりにくい所にありました。

「クロスケの家」は「トトロのふるさと基金」が森を守るための活動拠点として管理している古民家です。

母屋は約50年前に越生から移築された築百年を超える古民家で、縁側、囲炉裏や襖絵など昔ながら農家のたたずまいを色濃く残す貴重な文化財です。

明治10年代末から20年代初頭の築とされる蔵を伝統工法で補修し、左官職人によるトトロの家紋や蔵のあちらこちらにクロスケが隠れています。

リュックを背負った方はクロスケではなく私の妻です。(笑)




埼玉モダンたてものを見て歩くーその12-秩父エリア②

2014年09月24日 | 埼玉モダンたてもの散歩


9月14日(日)妻と二人で秩父方面へ「埼玉モダンたてもの」を見て歩き、小鹿野町からいよいよ秩父市内に到着です。

車を「ウニクス秩父」の駐車場に止め、ヤオコー上野町店で昼食の寿司を買って食べたあと、最初に「ちちぶ銘仙館」へ行きました。

「ちちぶ銘仙館」は秩父織物、銘仙等に関する民俗学上貴重な資料を収集、保管、展示しており本館やノコギリ屋根の工場棟などは、国の登録有形文化財に指定されている昭和初期の特徴的な面影が漂う建物です。



「ちちぶ銘仙館」から国道140号を渡って秩父市役所で観光パンフをもらい、「お花畑駅」を越えて、「番場通り」を秩父神社方面へ歩いて行きます。

この立派な門構えと表札のハイカラな洋風建築が明治43年に建てられた「旧片山医院」です。

ピンクに塗られた下見板張りの外壁に、和瓦葺きの寄棟屋根が載っていますが、玄関ポーチを中心としたシンメシリーな外観は、歴史を感じさせてくれます。



看板建築の立ち並ぶ四つ角にやって来ると、たくさんの人たちが行列をなす店がありました。

「安田屋」という、テレビにも度々紹介されている有名な、お肉屋さんです。

大正五年創業で、国の登録有形文化財に指定されています。

秩父名物の味噌漬けは豚肉の他、牛肉・猪肉も取り扱っており、店頭では手作りメンチカツ、コロッケなどの揚物もあります。



これは、同じく四つ角に立つ「小池煙草店」です。

昭和初期に建てられた木造2階建てのハイカラな看板建築です。

窓の装飾も凝っており、ちょっと見えにくいですが右から書いた看板がレトロです。

これも登録有形文化財として国に指定されています。



その前に建つのが「カクテルバーsnob(旧大月旅館別館)」。

大正15年に建てられたアールデコ調の建物で、これも国の登録有形文化財です。



もうひとつ四つ角に立つモダンなお店が「パリー食堂」。

昭和2年建造の店舗は、一見3階建てに見えるように造られた看板建築で、実は木造2階建です。

今も建築当時の面影を残していることから、やはり国の登録有形文化財に指定されています。



「番場通り」を秩父神社方面に歩いて、次の四つ角を左折すると、見えてくるのが、昭和2年に建てられた「近藤歯科医院」です。

木造2階建ての医院棟(洋風)を核として、平屋建の住居棟(和風)が接し、全体はL字型の形態になっています。

通り側の外観は、ハーフティンバー風の真壁造で、壁をドイツ風に仕上げ、屋根は桟瓦葺となっています。



「番場通り」に戻り、更に歩くと明治36年開業の「旧岩田医院」です。

この建物も「旧片山医院」と同じく、和瓦葺きの寄棟屋根に、下見板張りの外壁です。



「番場通り」の一本隣りの「黒門通り」は、登録有形文化財になった「秩父銘仙出張所」や、昭和レトロな佇まいが今もなお残る歴史深い一角です。

「秩父銘仙出張所」は三軒あり、すべて木造二階建ての開放的な建物になります。

創業80年を越える「藤澤泰山堂印房」と「泰山堂cafe」は中で繋がっており、青田母娘さんが「泰山堂cafe」を営んでいます。

もう一軒は「そば処 入船」で、なかなか趣のある建物で、昼時には行列をなしています。



これは宮側町・秩父往還にある大正時代に建てられた「上石商店」です。

店頭に備え付けられたステンドグラスが素敵な、旧建材屋です。

商店両脇には「うだつ」、向かって右手の横壁は、いわゆる「なまこ壁」の模様になっています。



「上石商店」の隣が「旧松竹秩父国際劇場」です。

回り舞台・せり上がり・花道などを備えた本格的な芝居小屋として明治33年に建てられました。

昭和25年に東京浅草にあった国際劇場を模してファサードを改修。

しかし昭和58年に閉館、以降隣接する上石建材の倉庫として使われていました。

老朽化による取り壊しも計画されましたが、イタリアンレストランに利用されることになり改修されました。



以上で秩父エリアの「埼玉モダンたてもの見て歩き」を終わりとします。

時間の都合で「旧秩父橋」、「旧秩父駅舎」、「横瀬小学校」を見ることが出来ませんでしたがまたの機会に妻と一緒に愛車プリウスに乗って、訪ねてみようと思っています。


埼玉モダンたてものを見て歩くーその11-秩父エリア①

2014年09月18日 | 埼玉モダンたてもの散歩


9月14日(日)妻と二人で愛車プリウスに乗って、秩父方面の「埼玉モダンたてもの」を見て歩きました。

3連休の中日とあって秩父方面も観光客であふれており、最初に行った「長瀞駅」付近も駐車場が満杯で、駅前に車を止めて外観の写真を撮るだけで精一杯でした。

「長瀞駅」は関東の駅百選の第1回選定駅です。

駅前に観光案内所「長瀞町観光情報館」があり、長瀞観光の拠点となっています。

宝登山・宝登山神社方面に駅前通りが続いており、また、秩父線をはさんで駅改札口の反対側は、長瀞渓谷へ商店街が続いています。



「長瀞駅」から歩いて行ける距離にある「埼玉県立自然の博物館」や「荒川橋梁」も駐車場確保が難しく、以前に訪れた際に撮った写真で代用させてもらいました。

写真は「埼玉県立自然の博物館」(2011年6月26日撮影)です。

当館の前身は、昭和56年に開館した埼玉県立自然史博物館です。

さらに、秩父鉄道株式会社が設立した「鑛物植物標本陳列所」(大正10年開設)および「秩父自然科学博物館」(昭和24年開設)の伝統と資料を受け継いでいます。

埼玉県の生いたちとその自然について,化石や岩石,動物や植物など多くの資料を使って,わかりやすく展示・解説しています。



上長瀞駅と親鼻駅との間にある「荒川橋梁」(2010年11月20日撮影)は大正3年に建設されました。

荒川に架かる、秩父鉄道で一番長い鉄橋です。

高さ20mほどの煉瓦造りの橋脚が美しく、煙を上げながら走るSLの撮影スポットとして大変人気があります。



渋滞気味の国道140号(彩甲斐街道)を走ります。

大野原の交差点を右折すると巨大な「旧秩父セメント第二工場」に到着です。

昭和31年に建てられた、秩父の巨大なセメント製造工場。

帝国劇場の設計など、日本近代建築を代表する建築家のひとりである東京工業大学谷口吉郎教授が設計しました。

工場敷地内の長い直線の通路や高い煙突などが、人間の小ささを感じさせます。

また、障子のような格子の壁も見事です。

2000年には文化遺産としてのモダニズム建築20選にも選ばれています。



国道140号を少し戻り、市街地からひと山越えた、秩父の山里(旧秩父郡吉田町)に立つ洋館が「旧武毛銀行本店」です。

こんな山奥に、こんなモダンな建物があるとは・・・。

秩父から群馬県の上毛地方の顧客を対象とした銀行の本店社屋として建築されたものです。

煉瓦造2階建で、正面及び側面前面を白タイル貼りとし、寄棟造、瓦葺の屋根を架ける。

小規模な建造物ながら全体的に質も高く、幾何学文様を主体とした意匠は、近代建築への移行を示す好例だそうです。



吉田町から県道37号を20分ほど走ると小鹿野町両神。

その静かな山里に立つ大正ロマン香る洋館が「旧近藤銘醸㈱」です。

中央の洋館は木造で幅の広い下見板張り。

接して建つ3階建ての白い塔屋は鉄筋コンクリート造りで、所々に施された意匠が特徴的なロマネスク調の優雅な建物です。

大正12年に老舗蔵元の近藤酒造が店舗兼住居として建てたものです。

酒造は平成16年に廃業しましたが、まちの顔でもあるこの建物を残そうと、現在は㈲秩父ワインが所有しています。



埼玉モダンたてものを見て歩くーその10ー岩槻区・宮代町・白岡市

2014年07月29日 | 埼玉モダンたてもの散歩


7月21日(月)妻と二人で愛車プリウスに乗って、さいたま市岩槻区、南埼玉郡宮代町及び白岡市の「モダンたてもの」を見て歩きました。

写真は宮代町の「進修館」です。



最初に行ったのが、さいたま市岩槻区の「旧岩槻警察署(岩槻郷土資料館)」です。

岩槻郷土資料館は、昭和5年に建てられた岩槻警察署の旧庁舎を利用した資料館です。

建物内外には、大正時代のレトロな建築様式の名残が随所に残っています。

また、天井の梁や窓などには、アーチ状の造形やアールデコの装飾が施されています。



次に行ったのが岩槻駅のすぐ近くにある「東玉大正館(旧中井銀行岩槻支店)」です。

中井銀行岩槻支店として大正後期に建てられた、煉瓦造り2階建の洋館です。

煉瓦タイルの壁が目印です。

現在は「人形の東玉」の展示スペースとして利用されています。



岩槻駅前の「日本海庄や」で海鮮丼の昼食を食べ、ドトールで珈琲を飲んだ後、宮代町へ。

「進修館」は、象設計集団によって設計された変わった形のコミュニティセンターです。

外観も内観もとにかく変わっています。

その奇抜さを活かして今ではコスプレイベントの会場としても使用されていてその道の方達の間では有名らしいです。



「進修館」の目と鼻の先にある「宮代町立笠原小学校」も象設計集団によって設計されたものです。

校舎に一歩足を踏み入れてびっくりです。

広い芝生の庭、瓦葺の屋根、光が溢れる開放的な空間のあるユニークな建築として全国的に有名で 「のびのびとはだしで過ごせる学校」としての伝統も引き継いでいるそうです。

小学校の校長と、町民と、設計者のコンセプトが一致して初めて出来た素晴らしい建物と言えます。



今日の「見て歩き」の最後は「白岡市立大山民俗資料館(旧白岡町立大山小学校)」です。

昭和12年に建設された素朴な木造校舎です。

下見板 張り壁と漆喰壁のコントラストが美しく、裏の田んぼ に映る影がどことなく懐かしい風景です。

白岡市の民俗・歴史資料・考古資料を約500点、展示・公開しています。




埼玉モダンたてものを見て歩くーその9ー行田市

2014年06月05日 | 埼玉モダンたてもの散歩


5月25日(日)妻と二人で我が町・行田市の「モダンたてもの」を見て歩きました。

行田市と言えば、さきたま古墳群、忍城跡、古代蓮の里など数多くの史跡・文化財を抱える歴史のロマン漂う城下町です。

そして江戸時代後半から昭和30年代にかけては足袋づくりが盛んで”日本一の足袋のまち”として繁栄しました。



最初に行ったのが「足袋蔵まちづくりミュージアム」(旧栗代蔵)です。

この土蔵は栗原代八商店の白壁の美しい足袋蔵です。

栗原代八商店は文化5年(1808年)創業の老舗足袋商店で、「小町足袋」「旗印足袋」の商標で手広く商売を営んでいました。

現在は「NPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」が運営する行田の観光案内拠点となっています。



次に行ったのが、行田市の中心部に位置する「武蔵野銀行行田支店」です。

忍貯金銀行の店舗として昭和9年に竣工し、戦時中に行田足袋元売販売株式会社が建物を買取、戦後足袋会館(足袋組合の会館)を経て、昭和44年より武蔵野銀行行田支店となりました。

足袋産業と深く関わる行田を代表する近代化遺産です。



武蔵野銀行のすぐ裏手の小路を北へ歩くと、「足袋とくらしの博物館」(旧牧野本店工場)です。

大正13年頃に建てられた豪勢な店蔵、大正11年棟上の木造洋風工場、明治~大正期の足袋蔵など土蔵3棟が残る牧野本店は全盛期行田の足袋商店の様子を伝える貴重な建物群です。

現在、工場群を「足袋とくらしの博物館」として足袋の製造実演や行田足袋の歴史の展示が公開されています。



小路を更に歩くと見えてくるこの土蔵は「かるた足袋」などの商標で知られた時田啓左衛門商店の「時田蔵」です。

行田では珍しい表通りに面した袖蔵形式の土蔵で、この奥にも足袋蔵が連なっています。



このあたりは旧足袋蔵が続きます。

足袋・被服工場と事務所兼住宅を改造した「藍染体験工房 牧禎社」の先に見えてきたのが、「忠次郎蔵そば店」(旧小川忠次郎商店店舗及び主屋)です。

平成16年に国登録有形文化財に登録された店蔵は、足袋の原料を商っていた小川忠次郎商店の店舗及び主屋として、昭和4年頃に完成しました。

行田の足袋産業隆盛期を象徴する近代化遺産です。



国道125号を渡って行田市の南部へ移ります。

行田郵便局の前に建つ2階建ての大谷石の石蔵が、「小川源右衛門蔵」です。

近江商人の小川源右衛門商店(現在のカネマル酒店)の商品倉庫として、昭和2年に建てられたものです。

行田では数少ない戦前の石蔵で、入り口部分の造りが個性的な雰囲気を醸し出しています。



新町(あらまち)通りを南に歩くと、シュロの木が似合う昭和の邸宅が見えてきました。

「Cafe閑居」と言うカフェです。

この店は、行田市の初代市長・奥貫賢一氏の邸宅を改装してつくられました。

店内は、靴を脱いで座敷でくつろげる和の空間で、料理とケーキは全て手作りだそうです。

同じ敷地内には足袋蔵を利用したパン工房やギャラリー、設計事務所もあります。



新町通りを更に100mほど南下すると、ルーブル洋菓子店の隣にあるのが「大澤蔵」です。

この蔵は「花形足袋」大澤商店の7代専蔵によって、大正15年に建てられた文庫蔵です。

行田唯一のレンガ蔵で、黒目の煉瓦と白い漆喰の対比がモダンな印象を与えます。

内部も贅を尽くした造りとなっており、「建築が第一の趣味であった」7代専蔵のこだわりが感じられます。



行田市の「モダンたてもの見て歩き」の最後は、新町通りを更に500mほど南下し、高源寺の交差点を右折してすぐに見える「和牛懐石 彩々亭」(旧荒井八郎商店)です。

この建物は「穂国足袋」などの商標で知られた荒井八郎商店の創業者荒井八郎氏が昭和元年から昭和10年に建設したものです。

荒井八郎氏は足袋業界の要職を歴任するとともに、戦後参議院議員に当選するなど政治家としても活躍しました。

その当時はこれらの建物が氏の迎賓館的な役割を果たしており、氏と交流のある政財界をはじめ多くの人々が訪れ、「足袋御殿」とも呼ばれていたそうです。