たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

三連休終わり

2017年03月20日 23時07分03秒 | 日記
 薄曇りの三連休、なんだか落ち着きませんでした。マンションの火災報知器が昨日と一昨日誤作動。いざという時なにを持って逃げようかと一応準備してはいますがいざ本番となるとなにも持ち出せなそうです。ミュージカルのパンフは捨てがたい。紙は重いし場所をとるので、全部デジタル化するしかないか。ほんとにまだまだ自分のため込んできたモノたちに振り回されています。たしかに減ってはきていますがまだまだあるなあ。断捨離の道のりは果てしない。写真もまだぐちゃぐちゃ、整理しきれていないものたくさんあります。昔のアナログ写真はほとんど捨てました。デジタル化する前に捨ててしまったものもあります。デジタル化したはいいけれど整理し切れていないものもあります。まあこの世を旅立つときは心の引き出しにあるものしか持って行くことができないので、自分の写真なんてもういいといえばいいですけどね・・・。

 二日間ひきこもってなんとか生き返り、ようやくスパへ行って少しすっきり。今週は四日間。きついだろうなあ。明日はたぶんさっそく電話がじゃんじゃん。それだけでふらふらになります。色々とやれていないことはあれど、生活のために明日からまた一週間の海へと漕ぎ出さなければなりません。なんとか無事に終わっていきますように。明日からまたグチとため息の徒然日記になりますが、よろしかったらまた訪問してください。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

「大草原の小さな家」への旅_ミズーリ州マンスフィールド_ローラが眠る墓地

2017年03月20日 16時12分38秒 | 「大草原の小さな家」への旅
 今日は春のお彼岸。わたしが住んでいる部屋の裏手にあるお墓には、真新しいお花が飾られています。こうした季節の変わり目の、節目、節目にはお墓を掃除して花を手向けて手を合わせる日本の風景。湿り気のある風土から生まれる死者を悼む心。3.11で行方不明になっている方々のご遺体を今も探し続ける日本。

 広大な、渇いたアメリカ大陸に広がっている広大な墓地。ローラとアルマンゾ、娘のローズが眠る墓地。遠く、バスの中からお花が手向けられている様子はとてもきれいにみえましたが、間近でみると花は全て造花でした。ワイルダー一家が眠るお墓に手向けられていた花も造花でした。湿り気のある日本とドライなアメリカの風土、死生観の違いを感じました。
だから、アメリカの仕組みをそのまま日本に持ち込むのはちょっと違う、労働者の使い捨てを合法化してしまうのは日本の風土には合わないのででやめましょうよと思うのですが、こういう話をし始めると旅日記とは違う方向にいってしまうのでやめておきます。ただこの旅で、日本とは違う、アメリカ大陸をわたしなりに感じました。

 ローラは1957年、90歳の天命を全うしました。すさまじい生命力を肌で感じたひとときでした。詳しいことは2013年9月14日に載せた旅日記に書いています。よろしかったらのぞいてください。


 「A long time ago,when all the grandfathers and grandmothers of

today were little boys and little girls or very small babies,or

perhaps not even born,Pa and Ma and Mary and Laura and Baby Carrie

left their little house in the Big Woods of Wisconsin.

They drove away and left it lonely and empty in the cleaeing among

the big trees,and they never saw that little house again.」

ローラが60歳を過ぎてから書き始めたシリーズの2巻「大草原の小さな家」の書き出し。ローラたちが生まれたウィスコンシン州ぺピンの丸太小屋を離れ、幌馬車に家財道具一式を詰め込んでミシシッピ河を渡り西部へ旅立とうとしています。一家が丸太小屋に再び住むことはありませんでした。ローラの父さんには放浪癖があり、物語になっているよりたくさんの移動を繰り返し、ローラが6歳までに11回ぐらい引っ越していたそうです。


 まだまだ色々とぐちゃぐちゃで整理しきれていませんが、ようやくまた更新できました。






ローラが眠る墓地を示す看板。



ローラとアルマンゾが眠るお墓。







隣には娘のローズが眠っています。








『クロス・ハート』_12月25日(4)

2017年03月19日 16時28分55秒 | ミュージカル・舞台・映画
 2016年12月25日「観劇納めはクロス・ハート」
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/84b6af738161498fb7aae2a2b5f68302
 2017年1月29日「クロス・ハート(2)
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c0e0688dca79aacf7621ee7d2c1b4135
 2017年2月4日 「クロス・ハート」(3)
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c0e0688dca79aacf7621ee7d2c1b4135


 わたし自身のためにこの舞台のことをもう少し。


『CROSS HEART』公式プログラムより

「愛と友情には運命を変える力がある

 作・演出・振付・出演 玉野和紀

 人は日常の小さな事や人生をも変える様な大きな出来事に出合いながら生きています。そしてその一つ一つの出来事の答えを決定し、それを繰り返し、自らの人生という道を積み上げながら歩んでいきます。あの時違う道を選んでいれば、自分の人生は変わっていただろうなと思う人はたくさんいらっしゃる事でしょう。そしてどうすることもできなかったことに遭遇した時、ひとは”ああ、これが私の運命か!”と思ってしまいます。

 この作品のテーマは、まさにその運命です。その運命にどう立ち向かっていくかという事なのです。劇中の台詞にも出てきますが、人は運命を背負って生まれてきます。宿命は変える事が出来ません。宿命とは人間として生まれたことや、〇〇家の子供として生まれた事などです。これは自分ではどうする事も出来ません。そして運命とは人間の意志を超越して幸・不幸が巡って来る事です。巡ってきた運命にどう対処していくかは自分次第です。それによって自分の人生という道が創られていきます。巡って来る幸・不幸にどう立ち向かっていくかで人生が変わり、未来が変わるのです。そして自分の力だけではどうしようもない時に頼りになるのが人です。人生ではたくさんの人との出会いがあります。そしてそこには愛や友情が生まれ信頼関係が育まれます。それらが大きな力となり運命を切り開いていけるのです。それほど人との出会いはそれぞれの人に大きな影響を与えるものです。

 人は一生でたくさんんお人と出会います。人が一生で出会う人の数、それは何らかの接点を持つ人が3万人と言われています。その確率は24万の1です。友人と呼べる人が30人だとすると、出会う確率が2億4千万分の1なのです。そして最愛の人、生涯を共にする人と出会う確率は72億分の1です。ですから、人との出会いは奇跡であり掛け替えのないものなのです。人との出会いこそ、その人の人生そのものと言っても過言ではないと思います。」


 わたしの個人史と重ね合わせながら、プログラムを読み返しました。〇〇家の長女として両親のもとに生まれ、妹との自死によるお別れが訪れたのはわたしの宿命、その後カウンセラーの先生との出会いがあり、わたしの生きる力を信じてくださったことでここまで自分の足で歩いてくることができたのはわたしの運命。気がつけば、慟哭しながら語るわたしの話を聴いてくださった時の先生の年齢に、わたしかなり近くなってきています。今またこれからの人生をどうやって生き抜いていくか、試練の時。これでもかこれでもかというぐらいに訪れる試練の時。苦労するために生まれてきたのかなあとふと思ってしまいますが、苦労のない人生なんてきっとないですよね。人からみれば恵まれているようにみえる人にも何かしらあります。なにかにぶち当たった時、どう受けとめ立ち向かうかで人生は変わってくるんだろうなと思います。身動きできない時もあります。また動き始めることができるまでには時間が必要です。必要な時間は人それぞれ。身動きできないときは身動きできないままにじっと佇んでいればいいと思います。道草くいながら、後ろばっかり振り返りながら佇んでいればいいと思います。明日のことは誰にもわかりません。現在(いま)という時を生きるのみだと思います。あと一か月あまりでまた失業状態になるわたしがこんなこと言ってもなんの説得力もないですが・・・。

 この舞台を観劇したのは昨年のクリスマス。もっとずっと時が流れたような気がします。(黄色い声で気分によって怒られ続けた2016年、今となっては悪い夢をみていたような気がします。)誰もが知っている作品ではないし、現代と100年戦争時代が交錯する構成でなかなか良さを伝えるのはむずかしいですが、宿命を受け入れつつ潔く生きた人々の物語。いい作品でした。ジャニーズの屋良さんと中山さんのW主演が話題でしたが、心に焼き付いているのは蘭乃はなさんと大湖せしるさん-元タカラジャンヌのふたりが魅せてくれた女性同士の殺陣の対決シーン、しなやかなダンスと美しいドレスさばき、唯月ふうかちゃんの澄み切った歌声。抗うことのできない宿命のなかで、普通の暮らしを営みながら懸命に生きた人々。蘭乃さんアルセーヌは、両親亡き後の家を切り盛りし、両親を殺されて逃げてきた唯月ふうかちゃんカミーユを住まわせながら普通の暮らしを営んでいた女性。そんな女性が軍服をまとい、敵方とは知らずに出会ってしまった中山優馬さんセザールの剣に倒れる姿が美し過ぎました。大湖せしるさんは早霧せいなさん率いる雪組にいらした方なんですね。最近雪組の映像をあれやこれやとみていて知りました。立ち姿がほんとに男前。宝塚出身の方は様式美にあふれていますね。ふうかちゃん、次はレミゼのエポニーヌですか。似合うだろうなあ。


 ZEEPブルーシアター六本木は少し小高い所にあり、終演後は夕暮れの光が降り注いでいました。




















考える

2017年03月18日 17時13分33秒 | 日記
 土曜日、考えるエネルギーはそれほどないのですが、久しぶりに若松英輔さんのツィッタ―をのぞいてみて、あらためて考えてしまっています。

 何度も同じことを書いているような気がしますが、前々職のカイシャは数字、数字でした。法律で禁止されていたはずの一般職の常用代替として派遣を使い、都合が悪くなると使い捨て同然の契約終了、わたしの7年にもわたるオーバーワーク、最後はわたしも都合がわるくなって使い捨て同然の扱い。すべて数字のためでした。数字をださないと(=売り上げををあげないと)、経費を削減していることを数字で示さないと執行役員たちは株主総会で叩かれるときいたことがあります。だから自分の身を守ることに必死でした。そのためのリスクを、わたしも含めてハケンが背負わされました。特にわたしの二人分労働は突出していたはずです。それでもってわたしをにぎりつぶすために弁護士にウン百万か支払ったのは問題にならなかったのか不思議でなりませんが、とにかくすべては数字のためでした。数字、数字、とにかく数字。これで誰が幸せなんだろう、なんのためにカイシャはあるんだろうっていつも思いました。数字のためにわたし、心身をすり減らしていました。カイシャで働く人に戻ることはもうできないと思います。あり得ないと思います。就活ってなんでしょうね。今の就労場所で、4月1日付で欠員が出た業務に一人採用するために面接を実施したとき、面接が終わると役職者たちが会議室にこもって、応募してきた人たちに点数つけているところだっていう会話をしていたことがあります。なんだかぞっとしました。わたしもそうやって人と比較されながら点数つけられていたってことか。応募して面接にいくっていうことはそういうことですね。自分にはそういうのもう無理だなあ。こんなきれいごと言っていたら自分にごはんを食べさせることはできませんね。どうしましょうか。

 若松さんのツィッターからたどりついたこんなサイトにも興味をもっています。

古本屋で読むと書くのワークショップ。3.11以来、紙をたくさん抱えていることのリスクは大きいと感じているのでできるだけ紙を減らそうとがんばっているところですが、紙にはデジタルにはない味わいがあって、紙で読むことと書くこともやっぱり大切にしたいです。契約終了したら訪ねてみたいなあ。
 
 http://niwabunko.com/about/


 もう少し断捨離が進んで落ち着いてきたら、若松さんの本をゆっくり味わいたいです。





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若松英輔‏ @yomutokaku

その他
どう生きるかは、生きながら考えるしかない。生きるとは何かを身をもって知らなければ、どのようにして「どう」生きるかを考えられるだろう。書くことも同じだ。「どう」書くかを考えてから書くのではなく、まず欠点だらけの言葉を紡ぎ出し、書くとは何かを知る方がいい。どう書くかはその先の問題だ。



若松英輔‏ @yomutokaku  3月14日
どんな成功が約束されていても、数の世界に「いのち」を明け渡してはならない。そこでは人間の価値をいつも誰かが比較する。だが生涯を費やして見出すべきは、誰にも比較できない、ただ一つの「私の幸福」ではないのか。成功という幻想のために、どうして「いのち」を犠牲にしなくてはならないのか。


若松英輔‏ @yomutokaku 3月14日

月間残業100時間の是非が論議される背景には、労働力の問題はあっても「いのち」を考える視座はない。労働力にはいつも代替がある。しかし私たちは誰もが何ものにも代替され得ないただ一つの「いのち」を生きている。こんな当たり前ことが無視された「成長」を手にしてどこへ向かおうというのか。










死者との対話
若松 英輔
トランスビュー

金曜日の夜

2017年03月17日 23時40分11秒 | 日記
 なんとか無事に一週間が終わり金曜日の夜を迎えています。だらだらと動画を流して少し息抜きしました。明日から3連休。久しぶりにスパ行って少しすっきりしたいな。行く気力がわくかな。わくはず。2月分のお給料が振り込まれたみたいで明細書もらいました。少ないところから社会保険料と税金がどっさりと天引きされているのに気力が失せました。溜息しかでません。それでもこうして日中の居場所があり、普通に税金も払って生活できているのは尊いことなのかな。人と比べ始めたら上を見ても、たぶん下を見てもきりがないですね。大切なのは自分がどうありたいかということ。まだまだ悔しいですけどね。わたしの長時間・過重労働のお仕事エネルギーはカイシャで使い果たしてしまったなあとあらためて感じました。ほんとくだらないカイシャの、くだらない仕事のために貴重な10年余りの日々を棒に振ってしまいました。楽しいことだってあったはずだし、これでよかったって思える日が生きている間に訪れることもあるかもしれませんがポイ捨てにされた結末をどう受けとめていいのかやっぱりわからず、弁護士にいためつけられたことを思うとまだまだ悔しいばっかりです。これから自分、どうしていくんだろうなって思いながら今はなにも考えられないまま月日は流れていきます。年度末、連休前の週末、職員さんたちは退職するえらい方の懇親会があるようでした。人事異動がどうなるとか気になるみたいだし、連休中も出勤しないと手が回らない雰囲気だし、いずれも関係ないアルバイトのわたしは、自分がやるべきことはやれているので時間になったら静かに席をあとにしました。文章を読んでポイントだけを拾い出したり、文章をまとめたりすることができる自分でよかったです。文章が書けないとさらにきついことになっていたと思います。通信教育でレポート書いてきたし、カイシャでは連日メールを書き続けていたし、こうしてブログをやっているしね。だからなんとかね。やるべきことがやれていれば、今更人事考課なんていらないし、懇親会とかプライベートな時間の付き合いもしなければならないようなこと、わたしにはいらないなあと思います。でもそんなこといっていると安定的にお給料が入ってくることはないんですよね。この世を旅立つ時に悔いの残らない生き方、どんな生き方なんでしょうね。わからないまま、明日から三連休。断捨離、英語を読むなど進められたらいいな。今夜はもう寝なさい、って感じですね。

 ぼうっとした頭で徒然日記でした。

なんだか月日は流れました

2017年03月16日 22時37分30秒 | 日記
 木曜日の夜、あと一日。長くて短い一週間。携帯のアラームに起こされるときがいちばん気持ちよく眠れているときなのかなあっていう感じなのは辛い朝。午後は外出すると空があやしい雲行き。幸いなことにわたしが目的地の建物の中にいた短い間に少しまとまった雨が降ったようで、わたしが駅からまた就労場所に戻るときは霧雨。季節のかわり目、こういうへんな天気はこれから繰り返し起こってくるんでしょうね。いやですね、こういう季節の変わり目。戻ってからはわたし何も間違えていないし、わたしのせいでもなんでもないことで怒られなぜかひたすら謝っているわたし。普通の会話が成り立たないのでどういう言い方をすればいいのかわからず、わかわかんなかったです。マイナスオーラが強すぎる方々と関わるのはきついです。残りの稼働日数は30日を切っているはず。そのあとのことはなにも考えられないまま、今はただひたすら無事に契約終了まで完走することを目指すのみです。自分はそういう器ではないのでもういいかなという気がしています。これからどこでどうやって自分にごはんを食べさせながら生きていけばいいんでしょうね。全くわかりません。なんだか働くって、こうして消耗するばっかりで、あんまりいいことないですね。お給料もらうのにいいことなんてないですけどね、悔しさとか涙とか怒りとか全部ひっくるめてのお給料。前々職のカイシャのこととか、前職の就労場所のこととかよみがえってきてしまいます。圧倒的にカイシャのことが多いですけどね。アクセスの多かったブログ記事を自分でも読み返しながら、なんだか月日は流れたなあってしみじみ思いました。わたしの本当の居場所はどこなんでしょうね。わからないまま明日も出勤。食事がおいしくありません。外に出られないお昼が辛い。たぶんごはんがあんまり体によくないんだと思います。でも他に選択肢がなくってね、仕方ないです。明日を乗り切ったら三連休。

 写真は秋のプリンス・エドワード島、キャベンディッシュ・ビーチのサンセット。夕暮れの色に包まれた時間、夢のようなひとときでした。プリンス・エドワード島への旅に載せています。よろしかったらのぞいてください。

 一年以上、だれとも食事していないわたし、さびしんぼうすぎますかね。

 今日も徒然日記でした。

明日は木曜日か

2017年03月15日 22時38分04秒 | 日記
 寒い朝でしたが雪は降らなかったみたいです。予報にあった関東地方の平野部って具体的にどのへんのことなんでしょうかね。いつも思います。基本、台風がきていたって会社他休みになることってないし、まあ有給休暇すらない日給働きは休みになったらその分お給料が減るのでいたしかゆしで休みなっては困ります。まあよかったですかね。明日は金曜日だったらいいのになあと思いながらの木曜日。そのあとは三連休。3月は稼働日数が多いので連休はうれしいです。4月末で契約終了となったあとどうすればいいのだろうと考えてはいますが具体的にはなんにもわかりません。周囲はモーレツに忙しい空気です。3連休中も出勤する人いるだろう、という会話が職員同士で交わされていました。わたしのお仕事エネルギーは前々職のカイシャで使い果たしてしまったので、長時間&過重労働をするエネルギーはわたしにはもうありません。そういうのは卒業しましたって心の中で思いながら聞いていました。でも安定的な収入を得たいと思うなら、自分の時間を犠牲にして公私の区別もなく働かなければならないみたいです。正規雇用とかそれに準じる雇用形態ならそうならざるを得えないようです。そうであるならもういいかな。でもそうすると収入は安定しません。むずかしいところ。業務内容だけでお給料が決まるっていうのは日本では無理なんでしょうね。働き方改革とかいいながら、残業月100時間までOKっていう法案が国会で通ろうとしているようで、さすが改正労働者派遣法を通した日本株式会社だと思います。労働者のための法改正なんてうたいながら、中味は全部経営側に都合のいいことばっかり。ほんとにさすがでございます。わたしもう表立ってモノ申すことはできないですけどね、ほんとにどうしようもないなと暗澹たる気持ちです。こんな日本でこれからどうやって生きていけばいいのでしょう。そう思いながらも今は目の前のことをやり通すしかありません。明日も出勤、ちょっとあったかくなるのかな。

 久しぶりにイケメンに成長した清史郎君のお写真と共に徒然日記でした。さわやかイケメン、いやされます。



風の冷たい一日、なんとか終わりました

2017年03月14日 21時26分47秒 | 日記
 朝からいちだんと風が冷たい一日、雨がふっていました。二つ目の乗り換え駅で電車が遅れていて焦りましたが下りに乗るわたしには数分の遅れだけで大きな影響はなくほっとしました。それでも降車駅で中学生か高校生かわかりませんが遅延証明書をもらうために改札駅で並んでいてすごいことになっていました。学校も大変ですね。わたしは地方で自転車通学が主だったのでそういうことには縁のないまま大人になりました。都心はランドセル背負った小学生の低学年や幼稚園児らしき子供が一人で電車に乗っているのですごいなと思います。わたしなんてはじめて一人で電車に乗ったの高校生のとき、地方のわずか10分ぐらいの乗車でしたがすっごいドキドキしました。一人で飛行機に乗ってカナダまで行くようになった自分のこととは思えないぐらい、何も知らず一人立ちできていなかった地方の高校生でした。

 さてさて午後の訪問は風が冷たくって、緊張感でお腹がゆるくなってしまったこともあり、なんどもお手洗いに行きながら目的地にたどり着きました。何を確認しなければらならなのか、先方と話をするためにもう一度内容を確認しておく時間もほしかったのでかなり余裕をもって出ました。バス停から5分とHPには紹介されていて、ランドマークとなる大きな建物もあったのでなんとかなるかなと思いながらいってみたら、どっこい、小高い山にある場所で、確かに地図の通り、大きな建物の隣ではあったのですが入口がわからずぐるっと遠回り。冷たい風の中を迷いながらうろうろと歩いてしまいました。建物見えてても入口がわからなかったり、入口まで遠かったり。広大なスペースを必要とする類の所なので駅に近い便利な場所と言うことはまずなく、毎回毎回電車とバスを乗り継いで地図をみながら行くのはやっぱり大変。ぐるぐる、ぐるぐるして疲れました。慣れている人からすればたいしたことない、ただのやっつけ仕事みたいなものなんでしょうけれど、初心者のわたしは毎回緊張しながらやっています。わたし〇〇の人間らしく見えるのかしらと思いながらやっています。明日記録を書けるだけのことは確認したので役目は果たせたと思います。事務所内はなんだか忙しい、忙しいのぴりぴりで疲れます。決算、数字のためのカイシャの忙しいとは違うのでなんとも不思議な感じです。わたしはひとつひとつ確認しながらやっていかなければならないことの連続なので教えてもらうのに声かけるの気を遣います。こうしてよくやっているなあ、自分って思います。直帰したので普段より1時間ぐらい早い帰宅。先日も書きましたが、毎日こうして6時間ぐらい働けば十分だなあと思います。そうしたら余裕あります。もう自分でそんなにがんばらなくたっていいよ、って言ってあげたいです。十分すぎるぐらいがんばってきましたから。人はよくがんばれって言いますがなにをそんなにがんばらなければならないんでしょう、なにをそんなにがんばれというんでしょう。十分がんばっているのにまだ足りませんか? まだ許されませんか? そういえばカイシャで働き始めて二年目の春に入社してきた男の子に「たんぽぽさん、がんばりすぎですよ」って言われたことがあります。くだらないカイシャの、くだらないことを一生懸命にやっていましたね、馬鹿みたい。社員が改善しようとしなかったこと、一生懸命こんなのおかしいから正さなきゃって思って動いたりしていました。どうして社員がこれをおかしいと思わないのか不思議でならないことがありました。今振り返ればあんなに一生懸命やることなかったですね。無駄なことでした。気づかないふりしていればそれはそれですんだことでした。気がついてよかれと思ってやればやるだけ仇となって返ってきたカイシャでした。サイテーじゃ。そんなカイシャで一生懸命働いてしまいましたとさ。

 今日はホワイトデーというんだそうで、男が洋菓子売り場にむらがっている姿は毎年のことながら不気味。そんな中お菓子を買っているかわいいおじいちゃんの姿がほほえましかったです。自分、しっかりしているうちに最期をみとってくれる身元引受人みつけておかなちゃってマジで考えてしまった一日でした。人の営みは本当に色々で、人の数だけ人生があり下手な小説やドラマよりもドラマがあると思います。自分へのご褒美にケーキをいただいて今日はおしまい。明日もなんとか無事に終わっていきますように。朝、雪?ですか。通勤が・・・。


風が冷たいですね

2017年03月13日 22時32分43秒 | 日記
 月曜日の夜、中は暑いので着込みすぎるとそれはそれでつらいので控えめにしたら帰り道の風の冷たいこと、冷たいこと。使い捨てカイロをおなかにあてると暑いので最近はつかっていないです、そしたら風がしみいるように寒かったです。3月の半ばだというのにこの寒さ。なのに花粉は飛んでいるので薬をのむからすっごくだるいです。いちばんつらい季節の変わり目。この極寒から暖かくなっていく季節の変わり目がいちばん心身ともにこたえます。母が極寒の時、誰にもみとられずに急性心筋梗塞で旅立ってしまったことを思うと私もあぶないのかなあ、ある朝誰にも知られずに永遠の眠りについてしまったりするのかなあと思ったりします。まだ早いですかね、もう少しありますかね。こんだけの荷物残していきたくないし、プリンス・エドワード島にあと一回は行きたいし、舞台観たいし、本読みたいし、まだやり残しがありすぎてそんなこと言ってられないですかね。でもなんだか仕事がつらくってね、そんなに力が入らなくってね、そんなにやれないなあと思ってね、若さがあればやれているのかな、どうなんでしょうか。カイシャに長居しすぎました、お仕事エネルギー使い果たしてしまいました、貴重な10年余りを過ごしてしまいました。勤めて給料もらうという意味での仕事はもうそんなにいいかなあ。絵本読んだり、朗読会やったり、自分史を書いてみるとか、なんか読むと書くをやれるといいなあと漠然と思ったりするこの頃。そうするとごはんを食べていくことはできないんですよね。次の収入のあてもないし、心の底から休めていないし、心細いから家に帰ろうかな。そんなにがんばれないですよ、もうがんばらなくったっていいよ、って自分に言ってあげたいです。でもそうするとごはんを食べていくことはできないです。どうすればいいんでしょうか。今の仕事は完遂したいです。あと一か月半、あっという間に半分以上過ぎました。なんとか完遂することしか今は考えられません。明日の午後は訪問。バス停から迷わずに行けるでしょうか。次もその次も依頼されたのでやります。片道二回の乗り換えだけでぐるぐるぐるぐる、くらくらくらくら。完遂したらコンタクトレンズを調整し直さなければと思います。今はあと一か月半をなんとか。明日もどうか無事に過ぎていきますように、なんとか無事に役目を果たすことができますように・・・。

 今日も徒然日記でした。

 吉原光夫さんと和音美桜さん、バルジャンとファンティーヌがご結婚。レミゼが結んだ縁ですね、びっくりしました。7月のレミゼのチケット、お二人が共演される組み合わせだったと思います。和音さんのファンティーヌは初見。楽しみです。吉原さん、ほんとにおおきくってあったかいお人柄。和音さんは歌声ほんとに美しい歌声。末永く幸あれと祈ります。おめでとうございます。

久しぶりに『赤毛のアン』

2017年03月12日 22時11分10秒 | 『赤毛のアン』
 ようやく久しぶりに『赤毛のアン』を原書で読むセミナーの資料の読み返しました。

 2014年11月に読んだ第37章「死という命のかりとり」
 (The Reaper whose Name is Death)


 When the calm night came softly down over Green Gables the old

house was hushed and tranquil.


(「赤毛のアン」を英語で楽しもう、単語帳より引用しています。)


マシューが急逝した日の夜、弔問客でごった返していたグリーン・ゲイブルズに静かに夜がやってきて穏やかに包み込んでいく、というほどの意。モンゴメリさんの文章の美しさを感じさせてくれる一文です。このあとこれからどうやってごはんを食べていけばいいのだろうと途方に暮れたマリラとアンは、お互いがいるじゃないかと励まし合い、突然マシューとのお別れが訪れた哀しさを二人だけで分かち合います。父とのお別れ、母とのお別れの時のことを思い出します。

 このセミナーから2年以上が過ぎていることに驚きました。わたしカイシャとの闘いで半端ない緊張感の日々の中でもセミナーに参加していたんですね、我ながらびっくり。なんか壁にぶち当たることの連続なのにひん曲がらないでいる自分、えらいなって思いました。アンが教えてくれている自分を信じることの大切さをあらためてかみしめています。先のことはわかりません。今を生きるのみ。それでいいじゃあないですか。

 二日間ひきこもってなんとか生き返りました。先々週の訪問の疲れがきていて動けませんでした。今週もまた二回訪問あるし、水曜日の朝は雪の予報。大変な一週間が予想されます。なんとか生き延びていければと思います。また週末になったら原文も少しばかり読みたいなー。断捨離もあるし。明日から金曜まではまた長々とグチ日記しか書けません。無事に書けるといいです。よろしかったらまた訪問してください。