たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

雪組『CITY HUNTER』『Fire Fever』-11月4日東京宝塚劇場(2)

2021年12月13日 20時19分58秒 | 宝塚
雪組『CITY HUNTER』『Fire Fever』-11月4日東京宝塚劇場
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f9fd36c23531f6ffa059c2dcd964d3bc


ショー『Fire Fever』

 楽しかった時間思い出し、ダンスの雪組?と思うほど、ノンストップのエネルギッシュなダンス、ダンスのショーでした。トップコンビお披露目公演、当然ですが咲ちゃんがほぼ出ずっぱりで火の鳥をイメージしたものなど登場するたびに衣装がすごく重いのだろうなと思いました。額に汗をにじませながら長い手足を生かして踊る咲ちゃんのダンスは、きっとすごくうまいのだろうけれど爆踊りイケイケではなく柔らかさがあって素敵でした。プログラムをみながら、印象的だった場面を断片的に少しだけ備忘録。

 プロローグのあと、ジャングルキングの咲ちゃんとジャングルクィーンの希和ちゃんが銀橋で新たな旅立ちを歌うシーンでは、希和ちゃんも娘役さんには珍しいハードな衣装でした。咲ちゃんとおそろいの黒をベースに銀色の飾りがあしらわれ、羽がいっぱいついているので重いだろうなとみてしまいましたが、かっこよく踊る希和ちゃん、男前でした。

 10月に観劇した時にはデュエットダンスの1回目も2回目もリフトがありました。2回目の時に希和ちゃんが足を少しすべらせてしまったようにみえてひやっとしましたが、咲ちゃんが大丈夫だよといった表情でしっかり支えていました。この日は2回目のリフトはなくなっていたと思います。振付がハードすぎるのかなとちょっと心配になったのでほっとしました。宝塚のデュエットダンスでしか味わうことの出来ない世界、それは多幸感、娘役さんのものすごく幸せそうな表情に、観客が幸せのおすそ分けをいただいているような気持ちになれること。

 希和ちゃんもほぼ出ずっぱり、スペイン狂詩曲の場面ではフラメンコの衣装で娘役さんたちを率いてかっこよく踊っていました。キャリアがあるとはいえ、トップ娘役としては最初の舞台、初々しさと経験値がくる安定感とのバランスがよくて、安心してみることができるのはいいなと思いました。

 組長の奏乃はるとさんと直後の場面に出る久城あすさんだけをのぞいた雪組生79名によるラインダンスはこの日も見ごたえがありました。上級生男役もダルマで足上げ、上手から下手までずらりと銀橋に並んだ光景は圧巻。コロナ禍となってから下級生は交替で出演することが続いていた舞台のラインダンスを思い出していました。振り返ればやはり人数が少なかったですが、タカラジェンヌの舞台にかける気迫が観客にそう感じさせませんでした。こんな時だからこそ元気を届けたいと、こうして命がけで舞台に立ち続けていてくれることに感謝しかありませんでした。直後にあーさを筆頭に男役8名が舞台に残って一人ずつ咲ちゃんと絡んで踊る場面も素敵でした。トップスターと踊る上級生男役のダルマ姿は希少、ここも稲葉先生の意気込みを感じました。プログラムには「アラベスクドゥフラムと8人のダンサーが祭りの終わりを惜しんで激しく踊る」とあります。

 さらに直後、永遠の場面。久城あすさんが歌い終わると娘役ダルマ姿だった綾凰華くんが男役に戻って登場した時、額には汗が光っていましたが息があがっていないのはアスリートと同じ心臓になっているからでしょうか。真織由季さんが舞台で歌ったり踊ったりしていたので脈拍がおそいスポーツ心臓になっていると話されるのをきいたことがあります。プロですね。希和ちゃんとの恋人役設定は、『CITY HUNTER-盗まれたXUZ-』の血がつながっていない兄妹が生まれ変わって寄り添っているようにみえ、キュンとなりました。プログラムにはこう書かれています。振付は若央りささん、素敵な場面でした。
「語り部が歌う、一人の貧しい娘(希和ちゃん)の物語。雪の降る中に浮かび上がる娘・・・彼女の命はあと少し。恋人(綾凰華くん)は倒れかける娘を優しく抱き留めるが、その愛を以てしても為す術はない。娘の命が尽きた沖、炎を中から火の鳥(咲ちゃん)が現れ、娘と恋人を包み込む。」

 NewFire(新たな息吹)の場面は、海坊主のサングラスをとった時の姿がインパクトありすぎた縣千くんを筆頭に若手の男役娘役それぞれ8名が登場。ナウオンステージで縣千くんがいちばん好きな場面と話していますが、一人ずつダンスを披露しながら登場。みなさまフレッシュ、神さまに選ばれしタカラジェンヌたちの身体能力の高さと表現力に目を見張りました。

 パレードのエトワールは愛すみれさん。シャンシャンは花火のイメージと劇団が公式インスタグラムで紹介していました。東京宝塚劇場公演は秋でしたが真夏のようなギラギラとしたショー、でも決して暑苦しくならないのが宝塚。













 本日宝塚大劇場では花組がコロナ禍となってからようやく全日程無事に完走して千穐楽を迎えました。わたしが観劇するのは2月のはじめ、それまで生きていないといけない。



 1月の東京国際フォーラムのチケットを昨日受け取りました。生きて観劇しなければなりません。
 


 こんな時に覚醒遺伝で手術しないとまともに歩くことはできないと知り、自己責任と自助努力の範疇を超えた現実の前にお手上げでなす術なく心は暗黒。劇場の灯りが沈んでいこうとしているわたしを照らしてくれています。全身全霊で届けてくれる舞台があることで、なんとか生きながらえることができています。心からありがとうと、ただただ感謝。明日のことは誰にもわかりません。みなさまの無事と公演を続けられることを祈るばかりです。


「【追悼】 八杉将司さんを悼んで」

2021年12月13日 14時49分27秒 | 気になるニュースあれこれ
日本SF作家クラブの公認ネットマガジンSF Prologue Waveより
https://prologuewave.club/archives/9000

「八杉将司さんの突然の訃報を聞き、寝耳に水で、いまだ現実感を持てないでいる。「SF Prologue Wave」(SFPW)の公式Twitterでは、私が草案を作る形で「報道に出ていますが、「SF Prologue Wave」の初代編集長である八杉将司氏が亡くなりました。八杉氏の尽力なくして、1400本以上の作品を掲載してきたSFPW10年の歴史はありえません。編集部を退かれてからも、精力的な寄稿者として多大なご協力を賜りました。編集部一同、謹んで哀悼の意を表します」とのアナウンスを出したが、一言で言えばこれに尽きる。

 ただ、すでに出ている新聞報道はいささかセンセーショナルなもので、ある特定の「物語」のなかに八杉さんの「死」が回収されてしまっているという印象は否めない。このため、別の角度から八杉さんについて、もう少し詳しく書き残しておく必要を感じて、急ぎ筆をとった。」

「思い返せば、『Delivery』も刊行までは5年を要した作品であった。八杉さんのように、実力は間違いないものの、派手な商業的演出の恩恵をほとんど被ってこなかった書き手にとり――文学の品質が、悪しき意味でのアイドル的な売り出し方やホモソーシャルな心性への同期とイコールであるがごとくにみなされるような――辛い状況や残念なニュースが続いている。しかし、ここで声を大にして言いたいのは、大方の報道が与える印象と、八杉さんの作品が放つ強度は真逆にある、ということである。

 先述した『Delivery』刊行記念「八杉将司インタビュウ」での以下の部分を読んでほしい。

「生むことを単に素晴らしいと褒め称えることには、何かごまかしが含まれているような気がしていたんですよね。生むという行為は、 生む側のエゴなんですよ。生まれ てしまった存在は、特に望んで生まれたわけではありません。そんな一方的で理不尽なことをやっているということから目を逸らすために、生むという行為を褒め称えているところもあるのではな かと考えた次第です。もっとも、これはかなり意地悪な見方ですが……。

 いっぽうで、生むのではなく、ゴミを捨てるという行為。これも捨てる側がエゴを発揮した結果です。でも、ゴミは自分をゴミとは思いません。そのゴミが自らの意志で生き抜こうとすること、それが「生まれる」ということではないかと思います」

 ……このくだりからも、その複雑な死生観、「自らの意思で生き抜こうとすること」が八杉作品のキーでもあったことが伝わるはずだ。」

 宙組ホームズを盛り上げてくださった北原尚彦さんも会員のサイト。ツィッターから知りました。作品を拝読したことはなくお名前も存じ上げませんでしたが、妹と同じ亡くなり方に他人事とは思えずサイトを読まずにはいられませんでした。

「心震わすものを見つけて、どうか皆さん生きてください」
https://twitter.com/youchan_togoru


 自死を否定はしませんが関わった人みんなの心に消えない傷をのこすことになる。たどり着く先をみつけることができず心は永遠にあてどなくさまよい続ける。与えられたいのち、理由はいらない、苦しくても生きなければならないのだと、ただそれだけ。