たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「民事裁判による二次被害について」

2021年12月15日 23時27分55秒 | 気になるニュースあれこれ
 池袋暴走事故のご遺族の松永さんのSNSをフォローさせていただいています。現在相手側の損保会社と民事裁判中とのことで、保険会社の代理人(弁護士でしょうか)から心を傷つけられた心情をブログに綴られました。拝読して一人でも多くの方に読んでいただければという気持ちから、このブログにアドレスを記載させていだだきます。

https://ameblo.jp/ma-nariko/

 わたしは民事裁判までいきませんでしたが、13年間就労した会社と気がついたら労働紛争になってしまった時、労働委員会という調停の場で会社側の代理人=弁護士から言葉によって傷つけられました。相手のあらをみつけて揚げ足をとって言葉の暴力によってズタズタにして引き下がらせる、それが代理人のやり方なのだと知りました。細かい経緯はもう一つのブログに綴っているのでここではもう書くことありませんが、この話を以前は人にしたことで争いになってしまうとみな同じ経験をするのだということを知りました。何が正義なのか、何が正しいのか、その時は全くわからなくなりました。争いを経験するとそのあとしばらく心の井戸が涸れてしまうと経験した方から言われました。経済的な力も全くない、弱い立場の者の、人としての尊厳が全く守られていないの民事裁判。一人でも多くの方に知ってほしいし、考えてほしいと私なりに思います。

『東北歴史紀行』より-「いざたどらまし<会津嶺の国>」

2021年12月15日 18時26分56秒 | 本あれこれ


「-鶴ヶ城の六百年-

 鶴ヶ城は、昭和59年、築城六百年を盛大に祝いました。南北朝も終わりに近い至徳(1384)年、芦名直盛(あしななおもり)という武将がここに築城したのが、鶴ヶ城のはじまりとされているからです。そのころの鶴ヶ城は黒川城とよばれていました。芦名氏は、相模国(神奈川県)の三浦氏の一族、佐原義連(さわらよしつち)を祖とします。戦国時代には、伊達氏とならぶ名家でしたが、天正17(1589)年、伊達政宗によって滅ぼされます。政宗は、山形県の米沢城からここに移って、奥羽から北関東にかけて覇を唱えようとしたのですが、豊臣秀吉の天下統一にはばまれて、また米沢にもどされ、さらに北に追いやられます。かわって、秀吉の有力な武将蒲生氏郷(がもううじさと)が93万石の大名として会津に入部、黒川を若松に改め、新城を築き、東北一の名城としたのです。これが今日残る若松城です。ただ、天守閣は氏郷時代は七層でしたが、のち、城主加藤明成のときに五層に改められたのです。この天守閣は明治にとりこわされてしまいましたが、戦後、旧により再建、今日にいたっております。

 江戸城を除き、関東以北、これ以上の名城はありません。要害に兼ねて、王者の城の風格を備え、戊辰の役の感動的な歴史とあいまって、日本史上、屈指の名城と称することができるものです。

 蒲生氏郷は、大器を惜しまれながら40歳で亡くなりました。

 蒲生のあとには、越後から上杉景勝が入部して、120万石、蒲生よりもさらに巨大な大名になりました。そして、かの天下への挑戦、関ヶ原の大戦を、この会津から開くことになります。景勝の謀臣、直江兼続(なおえかねつぐ)という人はたいへんな謀略家で、石田三成と東西しまし合わせて、まず家康を会津におびき出す、おの間に三成が大阪で兵をあげる、右往左往するところを東西からはさみうちにするーそういう作戦だったというのです。家康がそれに乗ぜられたか、乗ぜられたようにして乗じたかは別として、会津からの挑戦が発端になっていたことは、たしかです。政宗-氏郷-景勝。秀吉から家康へ、天下人の座が交代する過程で、会津はなにかキャスティングヴォート(決定権)を行使するようなところがあって、男の歴史を考える上で、まことに興味深いものがあります。

 会津に運命的な最後の英雄の座をもたらしたもの。それは、寛永20(1643)年の保科正之(ほしなまさゆき)の入部でした。正之は、二代将軍秀忠の子、三代将軍家光の弟。家光の遺命により、幼い四代将軍家綱の後見役となり、徳川の治世を、初期の強権政治から、安定期の文治政治へと編成がえをしていくうえで、指導的役割を果たす政治家です。家格としても、尾張・紀伊・水戸の御三家に次ぐ親藩の筆頭として重んぜられました。

 この威望のある会津松平藩祖(正之ののち保科家は、松平姓となる)は、厳重な家訓を残したのです。「大君(将軍)の儀、一心大切に忠勤を存すべし。列国(並の諸藩)の例を以て、自ら処(お)るべからず。もし、二心をいだかば、即ち、我が子孫に非ず。面々決して従うべからず」。会津藩は、この藩祖の遺訓を、藩政の基準とし、藩校日新館はこの精神を武士道の根本として、幼児教育から、徳川と運命をともにする忠誠心をつちかってきました。幕末になって、徳川の命運が大きく傾き、親藩や譜代でも二の足を踏んで、だれもなり手のなかった京都守護職という大役を引き受け、徳川への憎しみを一身に背負いこむことになるのも、徳川と運命をともにせよという藩祖の教えに、忠実に従ったものでした。当の徳川でさえ、恭順が認められて、江戸城攻撃をまぬがれているのに、会津藩はそれが許されず、あの会津戦争になるのは、この藩が、徳川以上に徳川武士道に徹底していた証拠です。」

 星組『柳生忍法帖』の予習、愛ちゃん演じる芦名銅伯は、プログラムにこう紹介されています。
「会津藩主・加藤明成に仕える謎多き人物。芦名一族の長。芦名一族は、鎌倉時代から会津の支配者であったが、戦国時代末期に伊達政宗に敗れ、滅んだ。その再興を悲願とする銅伯は、まず娘のゆらを会津藩主・加藤明成の側室に送り込み、篭絡。次いで、明成の悪政をいさめる家老・堀主水の一族を、会津藩を抜け退転するように追い込み、遂に藩の実権を手に入れた。」

 あと10日で大千穐楽を迎えますが、わたしは大劇場千穐楽の配信もみておらず、これからはじめてみるので少し予習。芦名一族の精鋭・会津七本槍、素敵な男役さんが揃っています、オペラグラスで追いきれるかな。こっちゃんの高い身体能力で魅せてくれるであろう柳生十兵衛、ひっとんのちょっと妖しい雰囲気のあるゆらも楽しみです。その前に、この寒さと出勤の間で無事開演に間に合うよう劇場にたどり着けるか、ものすごく心配。今年の観劇納め、間違ってポチったチケットはもうあきらめましょう。荷物置きに使います。とにかく無事にいけますように・・・。
 
 鶴ヶ城、訪れたことがあります。白虎隊のお墓がありました。いまは白虎隊が可愛いキャラクターになっていますが壮絶な歴史を思うと、わたしは体がふるえました。