たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『マイ・フェア・レディ』から『回転木馬』まで

2021年12月19日 17時12分49秒 | ミュージカル・舞台・映画
(1995年『回転木馬』帝国劇場公演プログラムより)

「東宝のミュージカル上演史『マイ・フェア・レディ』から『回転木馬』まで-小藤田千栄子

 東京宝塚劇場で、日本で初めての翻訳ミュージカル『マイ・フェア・レディ』が上演されたとき、その初日の観客になれたことを、いまも非常に嬉しく思っている。あれは1963年9月1日のことで、ミュージカルへの期待をこめた観客でいっぱいだった。

 藤田洋氏の文章によれば、この日本初演は「大当たりで、定員2476人なのに初日は立見を入れて2858人はいり、連日100%を突破と報道された」(大地真央版『マイ・フェア・レディ』初演のパンフレットより)とある。つまり私は<2858分の1>になることが出来たわけである。チケットを買うことができた幸運もあるが、この初日の舞台に魅了され、ミュージカルへの関心は、以来、30数年続いている。それ以前は映画だった。私たちの世代は、みんな映画から入ったのである。

 フレッド・アステアやジーン・ケリーのMGMミュージカルで入門し、映画が大型化(シネマスコープや70ミリなど)するにしたがって、ロジャーズ&ハマースタイン二世ものも、順次、映画化されるようになった。『オクラホマ!』『回転木馬』『王様と私』『南太平洋』などである。最初のうちは、ただただミュージカル映画として見ていたのだが、次第に少しずつ知識が増え、もとは、ニューヨークの、ブロードウェイとかいうところの劇場で、上演していたものらしいということがわかってきた。これらはみんな、元は舞台だったという驚き。
 
 (略)

 だがこのころ日本では、外国のミュージカルを、翻訳して上演する機運など全くなかった。それならせめて映画もでいいから、映画的技巧など加えずに、ブロードウェイの舞台を、そのまま撮ってくれたらいいのにとさえ思ったほどである。

 こんな思いがさらに増したのは、やはり映画の『ウエストサイド物語』が来たときである。これもあた、もとは舞台だと知ったときの驚き。舞台なら、あの安津を、すべてワン・ショットで見ることができるのだ。『ウエストサイド物語』は日本のミュージカル・ファンに大きな衝撃を与えたが、この時代に、常に並べて語られていたのが『マイ・フェア・レディ』だったのである。簡単に言えば『ウエストサイド物語』がダンス中心のミュージカルなら、『マイ・フェア・レディ』は歌中心の作品であり、オペレッタの伝統を受け継いだ、きわめてオーソドックスなミュージカルであると。

 この程度の知識を、次から次へと吸収していた、まさにそのとき、東宝は『マイ・フェア・レディ』の翻訳上演を発表したのである。このときの嬉しさは、おそらく今のミュージカル・ファンには、想像すらできないのではないだろうか。やっと舞台で本場のミュージカルを見ることができる喜び。しかも、いちばん関心を持っていた『マイ・フェア・レディ』である。初日に行くのは当然ではないか。

『マイ・フェア・レディ』の初日の夜の観劇は、「ミュージカル・コレクション」という本にしつこく書いたので、またここで書くのは恥ずかしいから簡単にすますが、開演前から東京宝塚劇場は、観客の期待でふくれあがっていた。劇場もまた生きものだという思い。そして息をつめて聞くオーヴァーチュア。やがて本編が始まると「ああ、ミュージカルってのはこういうふうにやるものなのか」と、
と、豊かな驚きの連続だった。とりわけ感嘆したのは「スペインの雨」のところである。正しい英語の発音ができたとき、ヒロインたちの気分は高揚し、やがて音楽が静かに忍び寄ってくる。それはいつの間にやら歌となり、気がつけばダンスが加わっているではないか。

 ナンバーごとに、その驚きを記していくとキリがないのでヤメにするがとにかく初日から素晴らしい仕上がりで、感動のカーテンコールだった。主演の高島忠夫も江利チエミも、みんな泣いているように見えた。何度目かのカーテンコールのあと、演出の菊田一夫が挨拶に出てきたが、菊田氏は舞台に登場したそのときから、もう目をショボショボとさせていた。氏もまた泣いていたのだ。もちろん観客も同様であり、感動のあまり、劇場全体が泣いてしまうことを、この日、初めて知ったのだった。

『マイ・フェア・レディ』は翌年の1月に、すぐさま再演され、5月には大阪・梅田コマ劇場でも上演されて大成功。以後、東宝は次々と翻訳ミュージカルの上演をするようになった。いま『回転木馬』につながる、すべてのミュージカルは、みんな『マイ・フェア・レディ』に端を発しているのである。この初演が成功したからこそ、今日のミュージカルの時代があるのだ。」


東宝公式HP『マイ・フェア・レディ』
https://www.tohostage.com/myfairlady/


2021年『マイ・フェア・レディ』、ビジュアルの撮影は下村一喜さん。
https://www.instagram.com/kazuyoshi_shimomura/


神田沙也加オフィシャルブログより
2018年6月14日:宝塚
https://ameblo.jp/sayaka-kanda/entry-12383548908.html

大地真央さんの『マイ・フェア・レディ』に憧れて舞台を志したという沙也加ちゃん、ミュージカル女優として素敵な歌声を届けてくれた沙也加ちゃん。

まぁ様、ねねちゃん・・・、

どうしているかな、

おサイフと時間と体力にはかぎりがありますが、迷った時にはできるだけ会いにいかないと悔いが残りますね。かぎりがあるの、ほんとうにもどかしい・・・。

 


「星野鉄郎役に中川晃教!メーテル役に神田沙也加!『銀河鉄道999 THE MUSICAL』2022年4月、日本青年館ホールにて上演!」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000105.000050441.html

旅の思い出-パラオ-ロックアイランドツアー

2021年12月19日 01時26分16秒 | 小さな旅の思い出
旅の思い出-パラオ-ドルフィンズ・パシフィック
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/87a9e2d954d718bb54ae4cb470e5f70d

 楽しかった時間振り返り。

 真っ青な空と透明度の高い海に次々と現れて来る小さな島々をボートでめぐったひととき、ただただ幸せでした。夢をみているかのような心地でした。浅い所でシュノーケリングをするだけでも、海面からサンゴ礁がすぐそこにあるかのようにみえたパラオの海、ブロッコリーやカリフラワーのようなサンゴ礁がたくさんみえました。

 はじめて海をみたのは小学校3年生ぐらいだったでしょうか。海はいいですね、恐怖感と背中合わせですが大きくあたたかいものに抱かれているような感覚がありました。いまは3.11のことを思うとひるみますが空と海をぼんやり眺めているとなんだか大丈夫という気持ちになってくるから不思議です。大丈夫ではありませんが、なぜか大丈夫よといってくれているような気がします。だからフルタイムより少しばかり時間はある今は時々海に会いにいきたくなります。

『地球の歩き方リゾート-319パラオ』より-ロック・アイランド

「🌴ガルメアウス島

 コロールから30分ちょっとで行けて、ビーチも美しく、しかもちょうどいいサイズ。小屋やトイレなどの設備も設置されていることから、利用しやすさはロック・アイランド随一。というわけで、ロック・アイランド・ツアーの定番上陸地となっているだけでなく、地元民のピクニックでも頻繫に利用されているのがガルメアウスだ。

 ビーチの先はストンと落ちていく砂の斜面になっていて、その先はサンゴの広大な群生地。手ごろな海底地形に加え魚の種類も豊かなので、体験ダイビングやカード取得講習の場としても利用度ナンバー1を誇っている。

 当然、シュノーケリングにもグッド。また、周囲にボートダイブのポイントも点在しているから、時期によってはランチタイムを過ごしにくるダイバーたちで大にぎわいを見せることがある。

🌴イノキ・アイランド

 ガルメアウス島の向かいに浮かぶ、プロレスラー・アントニオ猪木氏を名誉オーナーとする島。日本人観光客が珍しかった時代からパラオに足を運んでいた氏に、パラオ人所有者が友好の印として名誉オーナーの称号を与え、プライベート使用を許可しているという形になっている。

 私有地のため一般人が許可なく立ち入ることはできないが、多数のヤシの木がスックと伸びたビーチの沖合いには、保護のために集められた巨大なシャコ貝が無数に置かれていて、シュノーケリングで診ることができる。口が閉まらないほど肉厚に育った1mを超すジャンボなシャコ貝は、一見の価値大。

🌴クジラ島

 こちらも正式名ではなくニックネーム。理由は(写真をみてのとおりの)形に由来する。

 波の浸食で削られた石灰の断崖のみでできていて、ビーチはなく上陸は不可能。とはいえ、ロック・アイランド・ツアーやダイビングツアーの行き帰りに、必ずといっていいほど目にする独特の島影は、パラオリピーターの間で一種のシンボリックな存在となっている。」

                                       →続く