陽が傾きはじめたころ、ようやく片付けにひと区切りつけて部屋を出ました。明日こそはターミナル駅まで出かけてスパに行くべく、明日から3か月の定期券を購入しました。どの道たぶん稼働日数によってはいくらか持ち出し。時給安いし、なかなか安定しないの苦しいところですが社会全体をながめたときに、ロボットにとってかわられない仕事だし、経験積んだ方がいいし、ハケンというヘンテコから抜け出すことができたのだから、この流れはわたしにとって悪いことではないはず。今年三か所め、またあらたな出会いへとふみだしていくため、3年半前には書けなかったことをまた書こうと思います。振り返ってみるとこの日、ブログには秋のプリンス・エドワード島への旅日記を綴っていますが、こんなんでした。
「2014年3月21日(金)
行政はどうにも弱くて仕方ない。この仕組みで今まで労基署に救われた人はどれくらいいるのだろう。全くの期待はずれだった。弁護士さんにもあった。(どういう経緯でわたしをやめさせようとしたのか)真実を知るには裁判しかないが茨の道。訴えるまでエネルギーがもたない。
最終的には個人ユニオンに交渉を委ねた。どうなるかはわからない。ハケンという仕組みの中で向こう(名目上の派遣先だった大会社のこと)はすり抜けることができてしまう。そんな仕組み自体間違っているのだが弱い立場なのでどうにもならない。
振り返ってみると、2003年春頃から2010年夏頃まで完全なオーバーワークだった。
管理職が変わっていく中完全に見過ごされた。数字、数字のために我慢させられた。実態として違法派遣だが部署名が変わっているので、言い訳できてしまう可能性有。あとは会社の良心だ。そんなもんないんだろうな。完全にブラックだった。震災の少し前、社員になれるかきいてみた。でもなりたい気持ちは弱かった。
そして3、11. (直後の)組織変えにうんざりだった。信じられなかった。このままここにいるべきではない。ぐらぐらになった。ハケンとしてほっとかれていいように使われた挙句に、なんだかほされたようになって、ものすごいストレスをためていた。怒りでいっぱいだった。怒りを喰いながら生きていた。このままいつまで細切れ更新でハケンとして続いていくのだろう。(3か月だって細切れにはかわりない。)
不安にかられた。父も母もいなくなって、これからどう生きていけばいいのか迷いに迷い始めた。会社は責任もたない。だってハケンだから・・・。おかしい、変だ。心が叫び続けた。でも生活があるので結果的に自分から辞めることはできなかった。私の苦しさはたぶん伝わっていたんだろうな。人のための組織ではなく、組織のための人という構図。年齢構成は逆ピラミッドの中で、豊かな感性は必要なかった。利潤追求の中で必要なのは合理性。
限界を超えていた。自分にウソをつくことができなくなっていた。向こうから辞めさせるためにこうなった。他に方法はなかったのかな。本当は何をしたかったんだろう。よくわからない。
ハケンで13年は長い、あまりきかないとどの窓口に行っても言われる。他ではそこまで放っておかないか、自分から辞めているんだろうな。ぐらぐらしながらも仕事はちゃんとやっていた。一生懸命やっていた。そこへの評価はないのだろうか。こんなたたかいはもういやだ。社員として直接雇用すればやれることを何がなんでもハケンというかたちで雇用して、人件費抑えて、弱い立場の社員の人たちにそのしわ寄せがくる。(社員の人件費は直接費、
ハケンの費用は労務費として計上。労務費は間接費)。
組織として有り様が間違っているよ。
数字、数字、全部数字のため、おかしいよ。
まずやりたいこと。
本を読む、古いモノ捨てる(すごい量、自分の歴史を捨てるのは簡単ではない)
ブログを書くこと、色々ある、卒論も書きたい。
少し先にやりたいこと。
農業体験、傾聴ボランティア、きついと感じたら中小企業の事務をさがそう。
大学で勉強し直す(家族、ネガティブな感情について、哲学・・・)。
ずっと続けてきたが、ズルズルときてしまったが動くなら今だろう。Y先生がカドベヤに一生懸命さそってくれているので、先生を手伝いながら自分自身学んでいくのは一つの方法だと思う。
自死遺族の会はきついので、どこまで関わっていかるのかわからない。かといって無関心でもいられない。自分がねるぎーもらいながら、笑顔でいながらやれることはあるのだろうか。
収入の道が途絶えるという不安と背中合わせなのできつい。ぜいたくしているつもりはなかったが、忙しいのをずいぶんお金で解決してきた。夜おそうざいを買って、土日もランチを外でして、夕方のおやつと飲み物に、マッサージ代。黒い服で全身を包まないと会社に行けなかった。オーバーワークの時は、本当にきつかった。そこをスルーされたまま、本当に終わるのだろうか。
異常な生活だった。これ以上続いても体をこわしてしまっただろう。体の一部みたいに沁み込んだ仕事から離れていく苦しさを伴うが、今こうしなければならない時なんだと思う。限りある人生の時間、あれこれやっているとあっという間に過ぎていく。日常生活の中でゆっくりするということがなかなかできない。DVDみてないなあ。お隣との壁がうすすぎてきつい。全部丸聞こえ。家賃もう少し安い所に引っ越そうかな。便利は便利。〇〇近いし、それがあるのでなかなか離れられない。これからどこに行くべきか・・・。答えはかんたんではない。
疲れが出てきているのか、ようやく7時間眠れている。
本当に余裕がなさ過ぎた。がんばり過ぎた。辛かった。」
またまた長文、失礼しました。
「2014年3月21日(金)
行政はどうにも弱くて仕方ない。この仕組みで今まで労基署に救われた人はどれくらいいるのだろう。全くの期待はずれだった。弁護士さんにもあった。(どういう経緯でわたしをやめさせようとしたのか)真実を知るには裁判しかないが茨の道。訴えるまでエネルギーがもたない。
最終的には個人ユニオンに交渉を委ねた。どうなるかはわからない。ハケンという仕組みの中で向こう(名目上の派遣先だった大会社のこと)はすり抜けることができてしまう。そんな仕組み自体間違っているのだが弱い立場なのでどうにもならない。
振り返ってみると、2003年春頃から2010年夏頃まで完全なオーバーワークだった。
管理職が変わっていく中完全に見過ごされた。数字、数字のために我慢させられた。実態として違法派遣だが部署名が変わっているので、言い訳できてしまう可能性有。あとは会社の良心だ。そんなもんないんだろうな。完全にブラックだった。震災の少し前、社員になれるかきいてみた。でもなりたい気持ちは弱かった。
そして3、11. (直後の)組織変えにうんざりだった。信じられなかった。このままここにいるべきではない。ぐらぐらになった。ハケンとしてほっとかれていいように使われた挙句に、なんだかほされたようになって、ものすごいストレスをためていた。怒りでいっぱいだった。怒りを喰いながら生きていた。このままいつまで細切れ更新でハケンとして続いていくのだろう。(3か月だって細切れにはかわりない。)
不安にかられた。父も母もいなくなって、これからどう生きていけばいいのか迷いに迷い始めた。会社は責任もたない。だってハケンだから・・・。おかしい、変だ。心が叫び続けた。でも生活があるので結果的に自分から辞めることはできなかった。私の苦しさはたぶん伝わっていたんだろうな。人のための組織ではなく、組織のための人という構図。年齢構成は逆ピラミッドの中で、豊かな感性は必要なかった。利潤追求の中で必要なのは合理性。
限界を超えていた。自分にウソをつくことができなくなっていた。向こうから辞めさせるためにこうなった。他に方法はなかったのかな。本当は何をしたかったんだろう。よくわからない。
ハケンで13年は長い、あまりきかないとどの窓口に行っても言われる。他ではそこまで放っておかないか、自分から辞めているんだろうな。ぐらぐらしながらも仕事はちゃんとやっていた。一生懸命やっていた。そこへの評価はないのだろうか。こんなたたかいはもういやだ。社員として直接雇用すればやれることを何がなんでもハケンというかたちで雇用して、人件費抑えて、弱い立場の社員の人たちにそのしわ寄せがくる。(社員の人件費は直接費、
ハケンの費用は労務費として計上。労務費は間接費)。
組織として有り様が間違っているよ。
数字、数字、全部数字のため、おかしいよ。
まずやりたいこと。
本を読む、古いモノ捨てる(すごい量、自分の歴史を捨てるのは簡単ではない)
ブログを書くこと、色々ある、卒論も書きたい。
少し先にやりたいこと。
農業体験、傾聴ボランティア、きついと感じたら中小企業の事務をさがそう。
大学で勉強し直す(家族、ネガティブな感情について、哲学・・・)。
ずっと続けてきたが、ズルズルときてしまったが動くなら今だろう。Y先生がカドベヤに一生懸命さそってくれているので、先生を手伝いながら自分自身学んでいくのは一つの方法だと思う。
自死遺族の会はきついので、どこまで関わっていかるのかわからない。かといって無関心でもいられない。自分がねるぎーもらいながら、笑顔でいながらやれることはあるのだろうか。
収入の道が途絶えるという不安と背中合わせなのできつい。ぜいたくしているつもりはなかったが、忙しいのをずいぶんお金で解決してきた。夜おそうざいを買って、土日もランチを外でして、夕方のおやつと飲み物に、マッサージ代。黒い服で全身を包まないと会社に行けなかった。オーバーワークの時は、本当にきつかった。そこをスルーされたまま、本当に終わるのだろうか。
異常な生活だった。これ以上続いても体をこわしてしまっただろう。体の一部みたいに沁み込んだ仕事から離れていく苦しさを伴うが、今こうしなければならない時なんだと思う。限りある人生の時間、あれこれやっているとあっという間に過ぎていく。日常生活の中でゆっくりするということがなかなかできない。DVDみてないなあ。お隣との壁がうすすぎてきつい。全部丸聞こえ。家賃もう少し安い所に引っ越そうかな。便利は便利。〇〇近いし、それがあるのでなかなか離れられない。これからどこに行くべきか・・・。答えはかんたんではない。
疲れが出てきているのか、ようやく7時間眠れている。
本当に余裕がなさ過ぎた。がんばり過ぎた。辛かった。」
またまた長文、失礼しました。