エリザベス一世が戴冠式を迎えるまでの若い日々を描いた物語、『レディ・べス』帝国劇場にて上演中。
「それでは彼女は、かよわい?女の 身をもって、いかにしてよく国民の偉大なエネルギーを掘り起し、あげてこれを国家興隆の方向に集注させることに成功したのであろうか。か。彼女のことにふれる場合、いつも言われるのは、「スフィンクスの女王」、「神秘の 女性」ということである。それはある意味で、もっとも冷徹な計算にもとづく現実主義に裏づけられた政治の魔術師ということであったかもしれない。真の意味でのマキアヴェリズ
ムを実践した君主は、彼女をもって第一人者とするという人もある。
彼女の政治技術の秘密としてよくいわれるものに「不決断」 と「空とぼけ」というのがある。意外な評言に聞えるかもしれぬが、真相はこうだ。つまり決して本心を人につかませないということ。たしかに真実決断に悩むという面もあったが、より多くは、実は深く確たる判断を蔵しながら、外面はあくまで決定的な意志らしいものを見せない。それだけに相手は焦らされる。その間に巧みに情勢を有利に発展させようというのである。彼女のような 数奇な生立ちを経験してきた人間にとっては、人心の頼み難さということは、いやほど身にしみて痛感していたに相違ない。それらの体験から、おそらくこの上ないと思える教訓を 読みとっていたにちがいない聡明な彼女としては、結局この不決断と空とぼけがもっとも安全で有利な処世法として体得できていたのかもしれぬ。
彼女は、独身ということをさえ、これを内政、外交上に最大限に利用していた形跡がある。いかに男まさりの女だったとはいえ、女らしい感情に不感だったわけではない。寵臣の一人が結婚すると、カンカンに腹を立ててみたり、また他の女が結婚すると、なかなかに 妬いた話などもある。それでいて最後までついに処女帝で通した。美人で見るからに聡明そうで、しかも王位にあるという身分を考えれば、彼女が男性の強い関心を惹いたのは当然であった。現に求愛者として登場するものは、外国国王にも、廷臣貴族の中にも、前後を通じて十人に近いものが数えられる。最後はもちろん拒否であるが、これがまたなびくがごとく、なびかぬがごとく、まことに微妙な応接で相手を悩ませるのである。とりわけ明らかに寵臣と見られた宮廷貴族の中には、前にはレスター伯、のちにはエセックス伯のように、現に秘密結婚をあげたという流説まで相当まことしやかに流れたのもあれば、逆にまた自惚れから身を誤って、最後は断頭台の露と消えたものもいる。考えてみれば、結局は彼女に感情を翻弄されたということになるが、要するに、独身への関心ということを、巧みに外交上の駆けひき、また側近貴族の操縦に利用したきらいが濃厚である。
彼女の少女時代は、きわめて不幸、孤独であったが、ただ幸いなことに師博としては 当時望みうるかぎりの最高のヒューマニスト学者がつけられた。ロジャー・アスカムなどという師博が、精根を傾けてこの聡明無比の少女に将来の帝王学を教えこんだ。ギリシャ、ラテンの古典語はもとより、仏、伊、のちにはスペイン語まで、通訳の必要なしに外交折衝がやれるまでにこなした。このことは、しばしば折衝に当った外国使臣をおどろかしている。
政治上の側近顧間には、徹底した少数精鋭主義をとった。また事実、名前は省略する が、実に有能な人材が信任された。しかも面白いことに、彼女は、これら側近に諮問するのにほとんど個々別々にあたるのが常で、会議風に全員を相手にすることはきわめて稀であったという。
ということは、集団討議風になれば、おのずから男性顧問たちの意志が結束して強化されるのを警戒したことも一つであり、また個々別々に諮問することによって、巧みに顧問間の競争意識を利用したのだともいわれる。いずれにしても、最後の決定をあくまで彼女自身の手の中に握っておくのが目的であったことは明らかである。
外交政策や経済政策などに触れている余裕はないが、彼女の政策面を代表するものとして、とりあえず対宗教政策だけを一言しておこう。エリザベス即位前のイギリスは、新旧両キリスト教の血で血を洗う対立で、国内は完全に「分裂した家」であった。新旧の対立といっても、今日のような様相で考えては大まちがいである。文字通りお互い悪魔呼ばわりをして反目し合い、相手を焚殺することさえ、聖なる神への奉仕として考えられた非寛容の世界であった。その悲惨と矛盾を身をもって知っていたのは彼女であったはずだ。彼女が即位してまず行ったのは、この宗教的非寛容の揚棄であった。父ヘンリー八世の確立した教会 に対する国王首長令をさらに強化して、霊俗両界にわたる国王の権威を固めるとともに、宗教論争などにはむしろ超然たる立場をとった。彼女の晩年の発言だが、「ただひとりのキリスト、そしてその信仰があるだけである。あとはすべてくだらんことの論争にすぎぬ」という有名な言葉がある。ここまではっきりいわれては宗教論争などおしまいである。一応彼女がケイケンな信徒であったことは認めてもよいが、少くとも狂信からはおよそ遠いものであった。かくて久しぶりにイギリス社会は精神的な安定をえた。
知れば知るほど興味のわくのがエリザベスというこの人間像である。陽気で派手好きかと思えば、ときに深い湖を思わせるような孤独感に悩んでいる。「女としての弱さは何一つ なかった」と師博アスカムは述べているが、どうして女らしい迷いも相当に深かったらしい。寵臣などに対してときに非情と思えるほど酷薄なことがあるかと思えば、他方では実に深い思いやりを見せている。そして何よりもおどろくのは人心の機微を見抜いての収攪の妙手である。その現実主義、マキアヴェリズムには、あとから見れば、ずいぶんいやらしい ものもあるのだが、それが少しもいやらしく見えず、国民はもとより、外国使臣などからまで好意と尊敬の讃辞を受けているのだから、不思議である。ある外国大使との折衝などでは、ずいぶんきわどいあられもない姿態までちらつかせて、大いに悩ませるような思い きったことまでやってのけている。( その報告の手紙がのこっているのである。) しかも一 方では、決して王者の威容を失わなかった。
ひどくエリザベスにこだわったようだが、要するにこの人間らしい矛盾のかたまり――偉大 さと、それでいて人間的弱点との同居――まさしくそれはシェイクスピア作品中の典型的な人間像とさえ考えられるのである。」
『レディ・べス』に登場する恋人ロビンは架空の人物ですが、べスが王位につく前のひととき、こんな自由に生きる吟遊詩人との恋がほんとうにあったのかもしれないと想像できるだけの余地がありますね。
「それでは彼女は、かよわい?女の 身をもって、いかにしてよく国民の偉大なエネルギーを掘り起し、あげてこれを国家興隆の方向に集注させることに成功したのであろうか。か。彼女のことにふれる場合、いつも言われるのは、「スフィンクスの女王」、「神秘の 女性」ということである。それはある意味で、もっとも冷徹な計算にもとづく現実主義に裏づけられた政治の魔術師ということであったかもしれない。真の意味でのマキアヴェリズ
ムを実践した君主は、彼女をもって第一人者とするという人もある。
彼女の政治技術の秘密としてよくいわれるものに「不決断」 と「空とぼけ」というのがある。意外な評言に聞えるかもしれぬが、真相はこうだ。つまり決して本心を人につかませないということ。たしかに真実決断に悩むという面もあったが、より多くは、実は深く確たる判断を蔵しながら、外面はあくまで決定的な意志らしいものを見せない。それだけに相手は焦らされる。その間に巧みに情勢を有利に発展させようというのである。彼女のような 数奇な生立ちを経験してきた人間にとっては、人心の頼み難さということは、いやほど身にしみて痛感していたに相違ない。それらの体験から、おそらくこの上ないと思える教訓を 読みとっていたにちがいない聡明な彼女としては、結局この不決断と空とぼけがもっとも安全で有利な処世法として体得できていたのかもしれぬ。
彼女は、独身ということをさえ、これを内政、外交上に最大限に利用していた形跡がある。いかに男まさりの女だったとはいえ、女らしい感情に不感だったわけではない。寵臣の一人が結婚すると、カンカンに腹を立ててみたり、また他の女が結婚すると、なかなかに 妬いた話などもある。それでいて最後までついに処女帝で通した。美人で見るからに聡明そうで、しかも王位にあるという身分を考えれば、彼女が男性の強い関心を惹いたのは当然であった。現に求愛者として登場するものは、外国国王にも、廷臣貴族の中にも、前後を通じて十人に近いものが数えられる。最後はもちろん拒否であるが、これがまたなびくがごとく、なびかぬがごとく、まことに微妙な応接で相手を悩ませるのである。とりわけ明らかに寵臣と見られた宮廷貴族の中には、前にはレスター伯、のちにはエセックス伯のように、現に秘密結婚をあげたという流説まで相当まことしやかに流れたのもあれば、逆にまた自惚れから身を誤って、最後は断頭台の露と消えたものもいる。考えてみれば、結局は彼女に感情を翻弄されたということになるが、要するに、独身への関心ということを、巧みに外交上の駆けひき、また側近貴族の操縦に利用したきらいが濃厚である。
彼女の少女時代は、きわめて不幸、孤独であったが、ただ幸いなことに師博としては 当時望みうるかぎりの最高のヒューマニスト学者がつけられた。ロジャー・アスカムなどという師博が、精根を傾けてこの聡明無比の少女に将来の帝王学を教えこんだ。ギリシャ、ラテンの古典語はもとより、仏、伊、のちにはスペイン語まで、通訳の必要なしに外交折衝がやれるまでにこなした。このことは、しばしば折衝に当った外国使臣をおどろかしている。
政治上の側近顧間には、徹底した少数精鋭主義をとった。また事実、名前は省略する が、実に有能な人材が信任された。しかも面白いことに、彼女は、これら側近に諮問するのにほとんど個々別々にあたるのが常で、会議風に全員を相手にすることはきわめて稀であったという。
ということは、集団討議風になれば、おのずから男性顧問たちの意志が結束して強化されるのを警戒したことも一つであり、また個々別々に諮問することによって、巧みに顧問間の競争意識を利用したのだともいわれる。いずれにしても、最後の決定をあくまで彼女自身の手の中に握っておくのが目的であったことは明らかである。
外交政策や経済政策などに触れている余裕はないが、彼女の政策面を代表するものとして、とりあえず対宗教政策だけを一言しておこう。エリザベス即位前のイギリスは、新旧両キリスト教の血で血を洗う対立で、国内は完全に「分裂した家」であった。新旧の対立といっても、今日のような様相で考えては大まちがいである。文字通りお互い悪魔呼ばわりをして反目し合い、相手を焚殺することさえ、聖なる神への奉仕として考えられた非寛容の世界であった。その悲惨と矛盾を身をもって知っていたのは彼女であったはずだ。彼女が即位してまず行ったのは、この宗教的非寛容の揚棄であった。父ヘンリー八世の確立した教会 に対する国王首長令をさらに強化して、霊俗両界にわたる国王の権威を固めるとともに、宗教論争などにはむしろ超然たる立場をとった。彼女の晩年の発言だが、「ただひとりのキリスト、そしてその信仰があるだけである。あとはすべてくだらんことの論争にすぎぬ」という有名な言葉がある。ここまではっきりいわれては宗教論争などおしまいである。一応彼女がケイケンな信徒であったことは認めてもよいが、少くとも狂信からはおよそ遠いものであった。かくて久しぶりにイギリス社会は精神的な安定をえた。
知れば知るほど興味のわくのがエリザベスというこの人間像である。陽気で派手好きかと思えば、ときに深い湖を思わせるような孤独感に悩んでいる。「女としての弱さは何一つ なかった」と師博アスカムは述べているが、どうして女らしい迷いも相当に深かったらしい。寵臣などに対してときに非情と思えるほど酷薄なことがあるかと思えば、他方では実に深い思いやりを見せている。そして何よりもおどろくのは人心の機微を見抜いての収攪の妙手である。その現実主義、マキアヴェリズムには、あとから見れば、ずいぶんいやらしい ものもあるのだが、それが少しもいやらしく見えず、国民はもとより、外国使臣などからまで好意と尊敬の讃辞を受けているのだから、不思議である。ある外国大使との折衝などでは、ずいぶんきわどいあられもない姿態までちらつかせて、大いに悩ませるような思い きったことまでやってのけている。( その報告の手紙がのこっているのである。) しかも一 方では、決して王者の威容を失わなかった。
ひどくエリザベスにこだわったようだが、要するにこの人間らしい矛盾のかたまり――偉大 さと、それでいて人間的弱点との同居――まさしくそれはシェイクスピア作品中の典型的な人間像とさえ考えられるのである。」
『レディ・べス』に登場する恋人ロビンは架空の人物ですが、べスが王位につく前のひととき、こんな自由に生きる吟遊詩人との恋がほんとうにあったのかもしれないと想像できるだけの余地がありますね。
シェイクスピアの面白さ (講談社文芸文庫) | |
中野 好夫 | |
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