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JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(9)

先日、尖閣諸島周辺海域における中国漁船と海上保安庁の巡視船との衝突ビデオがネット上に流出し、大きな社会問題になったことは記憶に新しいところです。国会等で国の情報管理のあり方が問われるのは当然ですが、それが果たして如何ほどの意味を持つのか?この問題本質が国内及び外国勢力の激しい闘争と利害対立にあるのはおそらく間違いないことでしょう。

今回の記事では、尖閣問題、北方領土へのロシア大統領訪問と密接にリンクする問題を取り上げます。中国・ロシアがある種の意図を持って日本に圧力をかけてきたように、名目上は日本の軍事同盟国である米国も、同じように日本・日本国民に対し強いメッセージを発してきた事実を、おそらく他のどんなメディアに先駆けて読者の皆様にお知らせすることになります。以下は全て、私および、複数の日航機事故調査協力者(*1)の周囲で起きた、紛れもない事実です。論考は後にして、まずはそのレポートをお読みください。

*1 調査協力者について
  R氏:江戸川沿いの東京都側に居住。


■江戸川上空に現れた飛行編隊

(1) 10/3(日) EA-6 電子妨害機が江戸川上空に飛来 (R氏)


図1:編隊構成および飛行経路(*2)

*2図は模式的なものであり正確な方角、旋回方向を示すものではありません(以下同様)


写真1:EA-6B EP3-C (Wikipediaから)

解説:R氏が最初に空の異変に気がついたのが、この事件です。R氏は3機のジェット戦闘機とP3-Cが飛んで来て自宅上空を3回ほど旋回していったと報告してきましたが、その特徴ある形状から、後にその戦闘機がEA-6であることを確認しました。Wikipedia によると EA-6(正確には EA-6Bであると考えられます)を配備しているのは米国海軍、海兵隊、空軍(海空共同)の125機のみとなっています。国際軍事評論家のB氏によると、日本の在日米軍に配備の報告は聞いたことがなく、米国本土から飛んで来たと考えるのが自然であろうとのことです。また、随伴していたP3-Cについても、EA-6Bと編隊を供にしていたことから、P3-Cの電子作戦機版である EP3-C であった可能性が高いとのコメントをいただいています。EP3-Cの所属については、EA-6Bに随伴していたことからやはり、米海軍もしくは米国海兵隊所属のものである可能性が高いであろうとのことです。

その日以来、R氏宅上空での異変が続いて起こるようになります。


(2) 10/15(金) ヘリコプターの編隊が江戸川上空に飛来


図2:ヘリコプターの編隊構成と飛行経路


図3:20分後に現れた編隊飛行


写真2:CH-47 (Wikipedaより)


解説:この日のお昼頃、大型輸送へりコプターCH-47と軍用ヘリコプター(特徴の判別が難しく、また写真撮影もなかったので機種の特定に至っていません)が編隊飛行を組んで現れたとの報告を受けました。最初の遭遇は図2のようなフォーメーションをとっていましたが、驚いたことに、そのわずか20分後にフォーメーションを図3のように変更して、図2とは反対方向から現れました。しかも中央の2機は他のV字2編隊より大きく高度を下げ、その内後ろ側のCH-47はライトを点灯して、R氏宅の上空に現れたのです。B氏によると、ライトを点灯したCH-47がこの編隊の指揮官機であることは間違いなく、編隊構成に明確なサイン(意思表示)が込められているとのことです。

ここで、自衛隊機との見間違いではないかとの疑問に答えます。

そもそも、同月24日には陸上自衛隊朝霞駐屯地では菅総理大臣や関係閣僚を招いての自衛隊観閲式が行われており、それに先立つ飛行訓練区域として東京都江戸川区上空も指定されていました。同区の広報でもその旨の告示がなされていましたし、普通に考えれば自衛隊の訓練飛行です。しかし、自衛隊機の編隊と考えるとおかしな点がいくつかあげられます。

 ・江戸川区最東端の江戸川河川上空を通る必然性はない
 ・自衛隊機は通常、6機、4機などの偶数機編隊を構成することはない(ゲン担ぎ)
 ・観閲式では同様のフォーメーションを構成していない
 ・ほぼ最短時間でフォーメーションを再構成し同空域に再出現している
 ・再出現時に指揮官機がライトを点灯する必然的な理由がない

もっとも、江戸川区上空では予告どおり自衛隊の訓練飛行も行われているようで、同月13日にはR氏宅よりも西側、江戸川区中央部の上空に現れた自衛隊機編隊の写真も撮られ、同区住民のブログにも掲載されています。


写真3:江戸川区上空に現れた自衛隊機の編隊(他のブログから)

そして、B氏が指摘するところのフォーメーションによるサイン(意思表示)を独自に解析したところ、このヘリコプター編隊が、R氏や私に宛てたメッセージであることが確認できました。解析には、専門機関で陸軍式・海軍式の両軍事暗号を学んだB氏のアドバイスを大いに参考にしています。解析のプロセスについては、R氏および私自身の個人情報を含むものなので詳細は割愛しますが、少なくとも、私たち日航機事件調査チーム関係者の事をよく調べ上げていることだけは理解できます。


(3) 10/17(日) ヘリコプターの大編隊が江戸川上空に飛来


図4:ヘリコプターの編隊構成と飛行経路


写真4:機種不明機(他のブログより)


写真5:AH-1Wと思われるヘリコプター(他のブログより)

解説:15日のヘリ編隊の出現に驚いたR氏をさらに驚かせたのが、この大編隊です。残念ながら写真撮影などは行っていませんでしたが、こちらについても江戸川区民の方が撮影したものがありましたので、写真4、5に再掲載させていただきました。

偶数機編隊を採用していることや、閲覧式のフォーメーションとは異なることから、こちらも自衛隊機である可能性は低そうです。それに加えて、写真4に写っているヘリコプターには自衛隊保有機にはない大きな特徴がみられます。R氏によると、この編隊の中には、テールローター(後部の回転翼)が機体のフィン(後部の垂直安定板)内に組み込まれた形状のものがあったと報告を受けましたが、写真4のヘリコプターはフィンの回りにテールローターの残像が移っていないことから、その機体に相当することが認められます。自衛隊の保有するヘリコプターの中でこの形状を持つものは、OH-1のみが該当します。ところが、写真に写った機体のフィン形状はOH-1のものとは違い、後縁が垂直に切り立っていることがはっきりとわかります。ネットなどで、同じフィン形状の軍用ヘリがないか検索してみましたが、該当するものが見つかりません。この機体についてB氏に問い合わせたところ、次のような回答を得ました。

「かつて、シコルスキー社製の高速ヘリが米国海兵隊に試験導入されたことがあるが、結局は採用されなかった。その機体のフィン形状および機体全体の特徴はこの写真のもの近かったことを覚えている。これは、おそらくその型番不明の機体なのではないだろうか。」


写真6:自衛隊のOH-1。フィンの形状が写真4とは異なる (Wikipediaから)

また、写真5の機影に近い自衛隊の軍用ヘリとして、AH-1F対戦車ヘリ(コブラ)が考えられますが、機首先頭部がゴツゴツと張り出していること、さらに、機体上部のエンジンマウントの後部に厚みが見られることから、同じ対戦車ヘリでも、特殊なレーダー装置を前方に装備し、なおかつ単発エンジンのAH-1を双発に改良した米国海兵隊所有のAH-1W(シーコブラ)である可能性が高いとの見解を伺いました(写真6B)。


写真6B:陸上自衛隊のAH-1F(左)と米国海兵隊のAH-1W(右)

これらを総合すると、この大編隊は米国海兵隊のヘリコプター編隊であることが認められます。そうであるならば、この編隊構成には日航機事件調査チームに対する明確なサインが込められていると考えられます。こちらについても現在解析を進め、ある程度まで意味をくみ取ることはできましたが、まだ断定できるレベルにはなく、ネット上での公表はひとまず控えさせていただきます。


(4) 10/22 OV-22(オスプレー)が江戸川上空を旋回


図5:オズプレーの飛行経路

解説:B氏を最も驚かせたのがこの機体の出現です。R氏に目撃した機体の特徴を何度も確認しましたが、この特殊な形状の機体を見間違えるとは考えにくく、江戸川上空に現れたことは確定的です。

オズプレーは2012年から普天間の海兵隊基地で導入が予定されている機材で、ヘリコプターと同じ垂直離陸能力と一般航空機と同様の飛行性能(高速移動と長い航続距離)を併せ持つ特殊な飛行機です。「普天間」という単語から、この機体が現在の日米関係において極めて強い政治性を持つことは明白でしょう。日本にはまだ配備されていないはずのこの機材が、何故、この時期、東京の空を飛ぶことになったのか?そしてそれがどうして日航機事件関係者の自宅上空を飛ばなければならなかったのか?その解釈にはもう少し時間をかけたほうがよさそうです。


(5) 10/24 ヘリコプターの大編隊が江戸川上空に飛来


図6:ヘリコプターの大編隊が再び江戸川上空に飛来


図7:30分後、CH-47のみのヘリコプター編隊が江戸川上空に飛来


図8:45分後、観閲式に参加した陸上自衛隊のへり編隊が飛来


写真7:再び現れたシーコブラ(R氏撮影)


写真8:米国海兵隊のTIGERヘリ(R氏撮影、Wikipedia)


写真9:点灯するCH-47ヘリ(R氏撮影)


写真10:図6中の CH-47 6機編隊。1機が離れて飛行している


写真11:観閲式を終えた陸上自衛隊、木更津ヘリコプター師団のヘリ編隊(R氏撮影)

解説:観閲式の当日、R氏の自宅上空は凄まじい状況になっていました。午前11時頃、38機もの大ヘリコプター編隊が江戸川上空に現れたのです(図6)。11時といえば、朝霞駐屯地で観閲飛行が行われていた真っ最中です。出現時刻から推察すれば、明らかに陸上自衛隊の観閲飛行編隊とは異なるものです。その30分後には、CH-47の8機編隊が交互にライトを点灯させながら縦列編隊で現れ(図7)、さらにその15分後(11時45分)には観閲飛行を終えた自衛隊機の編隊が観閲飛行時と同じフォーメーションで西から接近し、R氏自宅上空でわざわざ南方向へと(江戸川沿いに)進路を方向転換して通り過ぎていったのです(図8)。

写真7で示すように、11時の一団にはAH-1W(シーコブラ)、また、自衛隊に配備されていないヨーロッパ製のTIGERへリ(写真8)が含まれていました。TIGERヘリは米国海兵隊が保有している機材の一つです。

図を比較すればわかるように、図6の編隊は偶数機体数を基調とした編成、図8は奇数機体数を基調とした編成をとっています。このことだけでも、後者は自衛隊機、前者はおそらくそれ以外の部隊であることが見て取れます。そして、写真7、8などの状況証拠から図6の部隊は米国海兵隊のヘリ編隊である可能性が極めて高いと言えます。なお、図7の縦列編隊については、その編隊構成から観閲式に関与するものではなく、また、ライトを交互に点灯する恣意的な行動から、やはり、米国海兵隊が何らかのサインを示すために出現したと考えられます。

サインに関する情報としては、図6・写真10の最後尾の1機だけ離れて飛んでいるCH-47編隊の編成にも、極めて大きな意味が隠されています。これらのサインの意味については、軍事プロトコール(儀礼)に精通しているB氏の解説を次の記事でご紹介します。また、米国海兵隊、米国海軍、そして木更津ヘリ師団がとった今回の行動における政治的意味合い、我々日航機事件調査チームとの関係などについても詳細な論考を加えたいと思います。

 * * *

先月、私たちの周りで起きた以上の出来事は、異常な光景にさんざん慣らされていた私たちさえ目を疑うものでした。けして自意識過剰になっているつもりではありませんが、これを冷静に受け止めれば、これまでこのブログで発表してきた日航機事件の真相解明記事が、全て正しいとは言わないまでも、日米両軍事機関からある程度認められた証ではないかと解釈しています。それと同時に、日本の置かれた現在の不安定な状況が、隠された戦争である「日航機事件(事変)」に対し軍事関係者を再び注目させているのだと思われます。

これまでの取材妨害行為も含め、軍事関係者ははっきりと行動で反応を示しています。しかし、私が求めるのは、統治機関である日米両政府、そして大なり小なり日航機事件に関与していたと思われる、ロシア、中国、その他外国政府による日本国民、そして123便に乗り合わせていた外国民への真相の開示です。それなくしては、関係機関からどんな恣意行動があろうとも、この真相究明活動に終止符を打つことはないでしょう。


HIC SAPIENTIA EST QUI HABET INTELLECTUM CONPUTET NUMERUM BESTIAE NUMERUS ENIM HOMINIS EST ET NUMERUS EIUS EST SESCENTI SEXAGINTA SEX
ここに、知恵が必要である。思慮ある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。

管理者 日月土
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JAL123便墜落事故-真相を追う-平成22年11月のご連絡

確信が抱けるまで新規の投稿はしばらく控える予定でした。しかし、時局が大きな節目を迎えているとの観測から、今月中旬(APEC会議の開催期間)以降に現在の政治状況と日航機事件の関連について、若干のご報告をさせていただきたくご連絡申し上げます。

なお、ネット言論上における123氏による断片的で不完全な情報の投稿が、私の調査に協力していただいている関係者に多大なご迷惑をおかけしているようなので、本記事上にて123氏の自制と配慮を求めます。他者の言論活動を制止するようなことは、私の本意ではないことをご理解ください。

加えて、氏の投稿で触れられている「・・上空に米軍機・・」の意味については、11月13日に開かれる国際軍事評論家 B氏の定期セミナーで発表の後、本ブログで正確な情報を公表したいと思います。当然ながら日航機事件と密接な関連を持つ内容となります。

現代史に関心のある方は、1936年当時、1985年当時の日本と現在の社会的・政治的類似点をご考察してみてください。これから日本で起きようとしていることが歴史の教訓を通して見えてくるはずです。

※以下11/03追記

写真は、平成22年10月24日11:00に、都内江戸川上空に出現したAH-1Wの 6機編隊。
同日開催の自衛隊観閲式に飛来した陸上自衛隊のAH-1Sは、同時刻には5機編隊で
朝霞駐屯地上空を観閲飛行している。B氏によると「自衛隊にAH-1Wの配備はなく、
また、自衛隊機は、通常、奇数機編隊を構成することが多い。」とのこと。
A formation of six AH-1W helicopters seen above Edogawa river, Tokyo
at 11:00am on 24th October. Japanese Self-Defence Forces (JSDF) holds
no AH-1Ws and they ordinarily avoid making even-numbered formations.
I will present you readers the analysis of this happening soon
through this Shin-Nippon-no-Kuroi-Kiri ("Black Mist in Japan") blog.

日航機事件調査協力者が撮影
pictured by a member of JAL123 investigation team


管理者 日月土
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JAL123便墜落事故-真相を追う-悲劇から25年そして講演会その後

本日8月12日で、あの日航機事故からちょうど25年が経過しました。

犠牲になられました乗客乗員の皆様におきましては、謹んで哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

また、一切公式の記録に残されることなく、同じ日、同じ場所で他界された名も知れぬ皆様にも、お立場の違いにかかわらず、安らかに神の御許に迎え入れられますようお祈り申し上げます。


■講演会その後

早いもので講演会から3ヶ月が過ぎようとしています。その間、「何をしていたのだ」とやきもきされた読者の方も多かったかと思います。また、知人からは安否を心配する声を多数いただきました。

お詫びの言葉に代えて、私が今、この日航機事故もとい「御巣鷹事変」を調査する中で最大の壁に突き当たっていることをここにご報告いたします。


■オレンジ色の怪光

写真1をご覧ください。乗客の小川さんが撮影したものです。すでに「折れなかった垂直尾翼(1)」で触れていますが、○内の黒いシミのような点は、実際の写真ではオレンジ色の発光体として写っています。この情報は小川さんのご遺族と接触したイギリス人日航機事故研究家(本人の承諾を得てないので匿名とさせていただきます)とのやり取りで判明した事実ですが、何と、今月発売の「週刊現代」8月14日号に、オリジナルの写真が掲載されたとのことです。


写真1:小川さんの写真に写りこんだオレンジ色の発光体

これについては、とりあえず以下の点を疑問としてあげて起きましょう
・小川さんの写真が公表されたとき(1990年)、なぜオレンジ色の情報が消されたのか?
・何故、今になってオリジナルの画像がマスコミで公開されたのか?

5月の講演会で、私は、怪光の招待は、123便撃墜に向かった戦闘機(状況から考えられるのは旧ソ連のMIG25)を誘導するするための「発光弾」もしくは、「曳航式の発光体」だったのではないかとの仮説を提示しましたが、実は、その説明がかなり苦しいものであることは、私自身も自覚していました。国際軍事評論家B氏の意見もこの仮説に関してはかなり否定的です。

それでは、この怪光の正体は何だったのか・・・・

この3ヶ月、新しい資料がほとんど出てこない状況でありましたが、何とかその答え(またはその片鱗)を見つけつつあります。しかし、残念ながらまだ皆様に論理立ててご紹介できる状況ではありません。そこで、今回は、私がこの怪光を理解する上での最重要資料と思われる画像を、最小限の説明を付けて掲載いたします。


写真2:黒い焦げ跡。事故現場近くの傾斜地にてS氏撮影
    直径1m程度の真円
    地中数10cm深く掘り進んでも炭化の状況は変わらず 
    そばに寄ると強いめまい
    現場周辺に複数の同様の焦げ跡
    ADGRAVATA AUTEM EST MANUS DOMINI SUPER AZOTIOS ET DEMOLITUS EST EOS ET
    PERCUSSIT IN SECRETIORI PARTE NATIUM AZOTUM ET FINES EIUS


写真3:事故現場で見つかったバナジウムを多量に含む金属片
    POSUIT QUOQUE IDOLUM LUCI QUEM FECERAT IN TEMPLO DOMINI


写真4:事故現場で見つかった特殊な部品
    AMEN AMEN DICO VOBIS ANTEQUAM ABRAHAM FIERET EGO SUM


■日航社内で根強いUFO撃墜説?

以下は日航に縁のある知人から伝聞情報なので、確実といえるような情報ではありません。しかし、それなりに意味があると思われるのでここでご紹介いたします。

「日航社内では123便の墜落の原因について主に2つの説が囁かれています。それは(1)米軍機に撃墜されたとする説、そして(2)UFOに撃墜されたとする説です。」

(2)のUFOによる撃墜などというのは、私も本ブログ「気になる怪説」シリーズですら取り上げなかった珍説奇説です。しかし、事故当事者である日航社内で今もってそんな奇説が語られ続けている事実に大きな意味があります。「人は何を知覚したとき、それをUFOと認識するのか?」その問いを突き詰めれば、オレンジ色の怪光は無視し得ない追求の対象となり得ます。

* * *

私がオレンジ怪光の正体を自信を持って説明できるとき、そのとき初めて「御巣鷹事変」の本質が人々に理解され、また私が「国営テロ集団」と呼んでいる組織の正体、そして、なぜ日本国政府や超大国が本件について沈黙を続けているのか、その真の理由が明らかにされるだろうと確信しています。



管理者 日月土
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5/16 講演前のご連絡

ビデオレンタルのツタヤ(TSUTAYA)さんで、映画「沈まぬ太陽」のレンタルが、販売に先駆けて開始されています。16日の講演では、映画のモデルとなった人物が、実際にどのようにこの事件に関わったのか解説を行います。特に、映画の中で「龍崎」という名で登場した人物について焦点を当てる予定です。

この機会にぜひにご鑑賞されることをお勧めします。

管理者
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JAL123便墜落事故-真相を追う-折れなかった垂直尾翼(2)

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 5月16日(日) 講演会のお知らせはこちら
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JAL123便の飛行ルートを検証するシリーズの第2弾です。

少し間が開いたので前回「折れなかった垂直尾翼(1)」のおさらいを下記に示します。犠牲者の小川哲さんの写真から123便の飛行位置、高度、方角を割り出したものです。比較のため、フライトレコーダー(CFR)から解析したという、事故調査委員会発表の結論も併記します。

-- 事故調発表 --
「JAL123便は、伊豆半島下田、白浜海岸の上空 7000m西に向かって飛行した。」

-- (新)日本の黒い霧 結論 --
「JAL123便は、伊豆半島下田東岸にある天嶺山の上空をほぼ真東に向かって飛行している。その高度はおよそ 700m。」

高度、方角とも事故調発表のものとは全く異なることより、事故調発表データによく合致するボイスレコーダー(CVR)の録音についても、捏造された疑いが極めて濃厚であることは、前回もお伝えしたとおりです。未だに、日航機事故といえばこの CVR が取り上げられるようですが、嘘を何千回、何万回聞いてもそこから真実は出てきません。これまで日航機事故を調査されてきた方々が最初に陥る誤りとは、捏造されたCVRに従って論理を組み立てようとすることなのです。

逆に、識者の目を誤魔化し、事故を隠蔽するにおいては極めて有効的な手段であったと言えます。こんなインチキを事故から1週間足らずで作り上げ(録音でなく書面の方)、20数年間も一般に悟られることなく白を切り通した事故調査委員や旧運輸官僚の頭脳と厚顔さには、別の意味で驚嘆の念を覚えます。しかし、それももう終わりです。嘘は所詮嘘なのです。

■方角が異なる目撃情報

池田昌昭氏の著書「JAL123便 墜落事故真相解明」に書かれた伊豆半島東岸、河津町での目撃談で(*1)

(1)「いつもの二倍近い大きさに見えた。大きく右旋回したので不思議に感じた。」

というものがあります。この他、伊豆での飛行ルートを解明する上で重要と思われるな情報があるので、続けて同書より引用します。

(2)「河津町の谷津のKさんとWさんとが、伊豆急行線河津駅前ベンチで休憩中、海側の北東上空で雷のような『ボーン』という音がした。上空を見上げるとジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の真っすぐ上まで水平飛行した。」(人名はイニシャル表記に変更しました)

河津町の市街地は西側・南側に山が迫っており、麓から山の上空は視界が狭く確認しずらいはずです。よって(1)の「右旋回」は視界の開けた東側海上で123便が取っていた飛行であると考えられます。また(2)の「駅の真っすぐ上まで水平飛行」についても同じ理由から、123便が海上から伊豆急行線の河津駅上空を通り、西側の山間部に向かって飛行したと考えられます

困ったことに、伊豆急行線の河津駅は天嶺山のすぐ北側にあります。私たちが分析した、天嶺山上空を東側へというという飛行ルートをほんのわずか北側に行ったところで、まったく反対側に飛んでいることになります。この他

(3)(南伊豆市の上空を)「やけに低い所を飛んでいる(*2)」

のように、河津町から離れた伊豆半島の南端を低空で飛行している姿も目撃されています(ただし、この証言には進路方向に関する情報はありません)。以上の情報を図1にまとめてみました。


図1:伊豆南端-東岸での目撃箇所と飛行方向

伊豆半島南端から東海岸の河津の間はともかく、河津町上空で123便の進路が東(写真分析)や西(目撃談)であったりするのはどういうことでしょう?分析が間違っているのか、目撃者が勘違いしているのか?ただし、大きな機影(低い高度)という点では共通しているようです。実は、この一見矛盾する現象を両方満たす解があります。それは、123便が伊豆半島東海上を低空で旋回していたというものです。

旋回については(1)で「右旋回」と触れられています。また、海上「ボーン」という音と「煙」の証言があり、何か大きな異常が発生し東海岸上空を旋回し進路を正反対に取らざるを得なかった、与えられた材料を結びつける説明はこれ以外になさそうです。しかし、どうしてこんな低空で危険な旋回飛行が実行できたのか?そもそも垂直尾翼は破壊され、操縦不能ではなかったのか?それとも操縦不能のため旋回飛行に陥ってしまったのか?

ここで「操縦不能」という予断は事故調査報告書に基づくものであることを思い出してください。報告書が捏造に拠っていることを知った現在、「操縦不能」を前提に議論すること自体が無意味です。すぐ近くに険しい天城山(1406m)を控える伊豆半島の東側沿岸で、わずか700mの超低空を操縦不能状態で飛行しながら、どうしてこの後に伊豆半島を横断し、静岡、山梨を経由して御巣鷹の尾根まで辿りつけるのでしょうか?旋回飛行は意図的なものであり、超低空で旋回を実施するために方向舵(垂直尾翼)、西側に迫る山を乗り越えるために昇降舵(水平尾翼)が正常に機能していなければ、とてもそんな危険飛行は決行できないはずです。

それでは、123便の超低空での旋回飛行を決断させた「ボーン」という音、「煙」とは何だったのでしょうか?


*1 いつもの倍:正確に'倍'に見えたら高度3500mですが、実際はかなり大きく見えていたのをこう表現したと考えられます。目撃談のオリジナルは「アサヒ芸能」1994年2月3日号、「北國新聞」1985年8月21日付朝刊です。

*2 ネット上の情報より。著者への配慮から。URLは非公開とさせていただきます。

■高濱機長がとった要撃回避行動

ボイスレコーダー(CVR)を基にしたこれまでの定説によると、123便の最初の異常は「ドーン」という爆発音と共に発生します。また、生存者の川上慶子さんの証言「左後ろの壁、上の天井の方がバリッといって、それで穴が開いた」によると。大きな音がして天井板がめくれるような状況が発生するとあります。しかしCVRの信憑性が乏しくなった今、事故報告書をそのまま信じることはできないし、国民に嘘をつくことを前提に事故調が動いている中、まだ少女だった川上さんが、あるいは生存者でJALのスチュワーデスであった落合由美さんが、本当に見たままの真実を語れるような状況にあったかどうか、疑ってかかる必要があると思います。はっきりしていることといえば「飛行中の123便に何か異常があった」ということだけです。

ここで、123便の機長であった高濱機長のキャリアに注目します。高濱氏は海上自衛隊の出身で、隊に所属している時は対潜哨戒機のパイロットをしていました。以前の記事で紹介した通り、5本の指に入る名パイロットだとの評判もあるようです。

私たちの調査は、「ミサイルによる123便の撃墜はあったのか?」という観点でスタートしていますので、当初より高濱機長のキャリアに注目し、もしも戦闘機にミサイルで狙われたら、海自出身の機長はどんなリアクションを取り得ただろうか考察していました。もっとも、これについても、海上自衛隊内部の事情に詳しい国際軍事評論家のB氏に頼りきりだったのですが。

敵機の襲撃を受けたとき、哨戒機パイロットはどのようなリアクションを取るのか、B氏の解説にご注目ください。

「海上で敵機に襲撃された場合、攻撃を避けるためにパイロットが行うべきアクションは、次の3点です。

 1)高度を下げること。一般的にミサイルは上空のものは狙い易いが、撃ち下ろす
  場合には狙いにくくなります。
 2)陸に向かい、なるべく陸上を飛ぶこと。陸の地形や構造物が障害になり、狙い
  にくくなると同時に、味方による敵機の捕捉や援護が受けやすくなります。、
 3)蛇行すること。ミサイルの照準合わせを撹乱すること、これは容易に想像が
  つくでしょう。

これらを全部やられると、最新鋭の戦闘機をもってしてミサイルで撃墜するのは相当難しくなります。また、これらは海上自衛隊のパイロットに限ったことでなく、世界中のあらゆる軍隊が要撃(ようげき:戦闘機による航空機への攻撃)回避の要諦として日々訓練しているものです。」

さて、B氏の解説を123便に当てはめると

 1) わずか700m付近(低空)の高さで
 2) 伊豆半島の天嶺山上空(陸上)を飛行し
 3) 旋回飛行を行う(この時は海上)

となり、概ね哨戒機の基本的な要撃回避パターンを満たしていることになります。海上自衛隊出身の高濱機長であるからこそ採れる軍事的リアクションと解釈し、これを逆に見れば、123便は戦闘機による追撃を受けていたのではないか?と見立てることができます。また、超低空での旋回飛行を行っていることから、従来言われていたような垂直尾翼の破壊、操縦系統の喪失はなかったはずで、むしろ意図的にこの危険飛行を選択したふしが伺えます。そして「ドーン」と「煙」の何か攻撃を受けたとしか思えない目撃証言。これら諸要因より「123便は戦闘機の襲撃を受け、要撃回避行動を取らざるを得ない状況に追いやられていた」と、ここでは結論付けたいと思います。

もう一点、川上さんが証言したような客室内部の小破壊がどの段階であったか(あるいは無かったか)については、犠牲者の一人、松本圭市さんの残した遺書「突然 ドカンといってマスクがおりた ドカンといて降下はじめる」が参考になります。この遺書からは、低空飛行に入る前、降下直前に、川上さんの証言通りの異常現象が既に発生していた読み取れます。これを「1度目の異常」と呼ぶことにします。そして「ドーン」と「煙」で河津町の住民に目撃された、低空飛行中の異常(2度目の異常)とは別ものであるとします。

これまでの話を、推測も交えてまとめると、

「何か爆発のような現象が発生して機内で1度目の異常が見られた。直後に急降下を開始。一定高度まで降下後、伊豆半島の南端を旋回して東岸に向かう。おそらく羽田に向かおうとしていたのだろう。天嶺山上空を通過し、相模湾海上に出たところ、2度目の異常(「ドーン」、「煙」)が起きる。右旋回し襲撃を回避。ここで相模湾上の飛行は危険と判断し、西へと進路を反対に取る。この時、操縦系統の深刻な障害はなかった。この2度の異常の原因は戦闘機による123便への攻撃と考えられる。」


図2:予想飛行ルート

となります。要撃回避が文字通り戦闘機からの攻撃を避けるためであれば、降下前の最初の「爆発のようなもの」と、河津沖での旋回飛行の原因となった「ボーン」と「煙」」の両方は、同じ戦闘機の存在と関係あるとみなすのが自然な解釈でしょう。この爆発や煙の原因については後日考察を加えます。

それにしても、今にも着陸せんばかりの低空で爆発音を聞かされ、こんな急旋回をやられたら、おそらく乗客は生きた心地がしなかったでしょう。同時に、これをやってのけた高濱機長にも驚かされます。その高濱機長について、B氏はこう付け加えます。

「予想される123便のこの動きは、民間養成のパイロットでは絶対にできません。そもそも、そんな訓練自体を受けていないでしょうから。それにしても、あの大きな機体をここまで操るとは、軍パイロットとしても相当に腕が良い。機長の優れた技量が伺い知れます。」

「恐い、恐い、恐い・・・・」これは乗客の白井まり子(*3)さんが残した遺書の書き出し部分です。嘘ばかりの事故報道の中で、悲しいことに、この言葉に限っては嘘と全く縁がありません。調査を進めていくと、犠牲者の悲痛な叫びがいったいどこから来るのか、そんなことまで見えてきてしまう。この活動を続けていて最も辛い瞬間です。

*3 白井まり子さん: 最初の掲載で苗字が間違っておりました。お詫びして訂正いたします。

* * *


これまで、専門家といえば学者や民間パイロットの視点で語られることが多かった日航機事故ですが、「軍事」という新たな視点を提供することにより、今回の飛行ルート分析を含め、様々なことが判明してきました。「軍事」を抜きに日航機事故問題は語れない。この認識が広まれば、世間に広く「日航機事故の真実」が理解されるのはそう遠くないように思われます。本シリーズでは伊豆半島から、静岡、横田基地、そしてこれまで話題にされることがなかった群馬県の妙義山付近まで、123便の足跡を辿って行く予定です。合わせて123便を追撃する戦闘機の正体にも迫ります。


5/13にビデオレンタルのツタヤ(TSUTAYA)さんで映画「沈まぬ太陽」のレンタルが開始されるそうです。映画の中の登場人物は実在の人物がモデルになっていますが、5/16の講演会では、これら人物と「御巣鷹事変」との政治的関わりについても、解説を試みる予定です。



NON RELINQUAM VOS ORFANOS VENIAM AD VOS
わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰ってくる。

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