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お気楽ビジネス・モード

ビジネスライフを楽しくする知恵や方法を紹介する

山田雄一郎『日本の英語教育』(岩波新書)

2008-04-01 00:30:08 | 教育
今話題の小学校英語教育についての見解が知りたくてこの本を読んだが、著者が賛成なのか反対なのかよくわからなかった。ただ今の教師の英語力では対応仕切れないとの認識があり、ELTによる会話の触りだけでは本当に英語力は育たないだろうという。そのために、もし導入するなら現行の教育免許法では教師は育たないのでTOEICやTOEFLを教員採用時に利用すべきという案だ。アジアとのグローバル競争のなかで、韓国は1997年に小学3年生から、台湾では2001年に小学5年生からマレーシア、香港、ベトナム、モンゴル、タイでも小学英語はすでに始めている。日本が導入しない理由とこの問題の本質が今一つはっきりしなかった。

池田修『教師になるということ』

2007-12-27 12:47:43 | 教育
花に水をやることを教えられた小学一年生の女の子が雨の日も花に水をやっていた。
普通なら雨の日はやらなくていいと指導するところだが、担任の教師が「雨が降っているのにどうして水やりをするの?}と尋ねた。
子どもは「だって、先生、雨より水道の水の方がきれいなんだもの、きっときれいな花が咲くよ」と答えたそうだ。

これは、子どもの理解についての家本芳郎『<教育力>をみがく』からの引用だが、子どもは子どもなりに得る情報や考えることが大人とは違う。この場合、おそらく酸性雨とか黄砂とかのことを親から聞いたのかもしれない。
大人の考え方をすり込む前に、子どもの視点で見たり、考えたりすることが子どもを理解する上で重要なことだ。


授業をつくるとは、

つまらないをおもしろいに
分からないを分かったに
できないをできたに

することだという。

小学生のときに漢字でつまづいたN君の事例がある。

つまらないをおもしろいに → 漢字ウォーリーを探せ!
分からないを分かったに → 漢字のルーツ・クイズ
できないをできたに → 津川式「超」記憶法

で成功したらしい。
落ちこぼれをなくすべきとか、平等主義とか百の理念を語るより、一つの実践のほうが説得力がある。

教育の原点を考えさせられる本だ。

荒瀬克己『奇跡と呼ばれた学校』

2007-05-07 00:07:42 | 教育
京都市立堀川高校が進学コースとして専門学科を設置して、国公立大学合格者が30倍になった。その改革の内容を紹介した本である。著者は極めてまじめな人柄の校長先生のようだ。こういう進学校が文化祭に総勢で取り組むことや、そうめん流しを生徒たちが自主的に校内で始めることに素直に感動する。学校の改革には賛成する人もあるが、批判する人もいる。昔の堀川は進学偏重主義ではなかったのにと変わった堀川を批判的に見る。この本を校長が書いた意義はそういう改革前の堀川高校を懐かしむ人々に対する説明責任を感じたとのこと。この高校をどうして目指したか、どういう困難に直面して、それを乗り越えたかが詳しく描かれている。とくにこの学校がすごいのは教師を入れ替えずにカリキュラム改革やシラバス作成などの教育改革を行ったことだ。高校の進学実績を上げるには、①優秀な生徒を集める、②進学重視のカリキュラムに変える、③優秀な教師をそろえる、という3つが必要だと思う。①は普通科だと京都府市内の学区でしか集められないという限界があるが、専門学科だと商業科や工業科と同じように京都府一円から優秀な生徒を集められる。これは禁じ手とも思えるが京都市教育委員会がむしろ率先して推進したことが大きい。②と③は自力で変革したということだろう。探究科という実験的な学科では東京大学の教員が編集した『知の技法』の影響を受けた研究方法を教えているそうだ。大学並の研究が行われている感じだ。この学校のすごさを感じる一方で、教育改革とは何かを考えさせる本でもある。京都は長く革新府政が続き、「15歳の春は泣かせない」というスローガンのもとに総合選抜制を導入し、高校間格差が起きないようにした。だが、府民は大学に進学させたい子どもを私立高校に送り、私立高校は公立高校の進学実績を凌ぐところが多くなった。公立高校の格差をなくすための「15歳の春は泣かせない」という理想が、公立へ行けば大学進学には浪人が当たり前という現実になる。公立の地盤沈下が長らく問題になっていた後、革新府政が終わり、京都は高校間格差を戻す方向ではなく、高校の中に進学コースをつくる政策をとった。それでも市内の学区は残ったので、今回はより広い地域から優秀な生徒を選抜する専門科による政策をとったといえる。市立高校はこの後、中高一貫校をとる西京高校など私立学校と同じような方向へ改革を進めた。併願は洛南高校、洛星高校など進学実績の高い私立高校になっている。公立と私立の役割の違いが何か微妙になっている。堀川高校は専門科だけでなく、学区だけのⅠ類、京都市一円から通学できるⅡ類もあり、偏差値は3つのコブになるらしい。校内での差別発言などにも気を使っているらしい。そこまでして公立を私立のようにする必要があるのかという疑問も生まれる。高等学校は大学進学を前提としているので進学実績という結果がいつも示される。生徒の学力差は、測る基準が変わってもいつも入試という装置で分類される。学校の進学実績と生徒の学力差がある限り、学校間の競争は続くだろう。しかし、私立と公立で学校の比較基準が似てくると次は税金という教育資源の分配が問題になる。交付金や補助金のあり方が限りなく公立と私立で近くならざる得ないだろう。これは学費も近づくことにほかならない。これが学資負担をする者にとってよいことなのだろうか。