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●原口アヤ子さん・大崎冤罪事件…《被害者は自転車事故による出血性ショックで死亡した可能性があり「殺人なき死体遺棄事件」だった》?

2021年08月28日 00時00分31秒 | Weblog

(20210718[])
西日本新聞の2月のシリーズ記事【検証「大崎事件」 アナザーストーリーを追う】(https://www.nishinippon.co.jp/serialization/the_osaki_case/)。

 《「殺人犯」は存在しない? 解決したはずの殺人事件にショッキングな疑惑が浮かんだ。40年前に鹿児島県で起きた「大崎事件」を、調査報道で追う》。

   『●知らなかった冤罪事件: 鹿児島大崎事件
   『●飯塚事件の闇…2008年10月16日足利事件の
       再鑑定で死刑停止されるべきが、10月28日に死刑執行
   『●NNNドキュメント’13: 
      『死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”』
   『●「飯塚事件」「福岡事件」「大崎事件」
       ……に係わる弁護士たちで『九州再審弁護連絡会』発足

   『●「あたいはやっちょらん」の叫び!…
      「だれより責任の重いのが…でっち上げを追認した裁判官」
   『●39年間「あたいはやっちょらん」、
     一貫して無実を訴えてきた90歳の原口アヤ子さんに早く無罪判決を

   『●冷酷な司法…【NNNドキュメント’18/
      あたいはやっちょらん 大崎事件 再審制度は誰のもの?】
   『●大崎事件…再審するかどうかを延々と議論し、
      三度にわたる再審開始決定を最「低」裁がちゃぶ台返し
   『●《家族への脅迫状…「苦しみ抜いて一人で罪をかぶろう 
         としているのに許せない。もともと無実なのだから」》
    「大崎事件について、《元裁判官の木谷明弁護士…
     「無実の人を救済するために裁判所はあるのではないのか」》と。
     【報道特集】…によると、《”伝説”の元裁判官~冤罪救済に挑む…
     無罪判決を30も出し、全てを確定させた元裁判官。
     退官後、81歳となった今、冤罪救済を目指す弁護士として裁判所に
     挑んでいる。そこで直面した裁判所の現状とは》。『イチケイのカラス』…
     のモデルの一部になっているらしい」

   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
            耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    《四十年間も潔白を訴えていた大崎事件(鹿児島)の原口アヤ子さんに
     再審の扉は開かなかった。最高裁が無実を示す新証拠の価値を
     一蹴したからだ。救済の道を閉ざした前代未聞の決定に驚く。
     「やっちょらん」-。原口さんは、そう一貫して訴えていた。
     殺人罪での服役。模範囚で、仮釈放の話はあったが、
     「罪を認めたことになる」と断った。十年間、服役しての
     再審請求だった…「疑わしきは被告人の利益に再審請求にも
     当てはまる。その原則があるのも、裁判所は「無辜(むこ)の救済」
     の役目をも負っているからだ。再審のハードルを決して高めては
     ならない》
    「再審するかどうかを延々と議論し、《三度にわたり再審開始決定
     出ながら》、最後に、ちゃぶ台返し。最「低」裁は何を怖れている
     のか? 誤りを潔く認めるべきだ。山口正紀さん、《冤罪は警察・
     検察だけで作られるものではない。…マスメディアにも責任…。
     だが、だれより責任の重いのが、無実の訴えに耳を貸さず、
     でっち上げを追認した裁判官だろう》。」

   『●《周防正行さんが「あたいはやっちょらん。大崎事件第4次再審請求
     ・糾せ日本の司法」と銘打ち、インターネット上に立ち上げた…CF》
   『●憲法《37条1項が保障する『公平な裁判所による裁判を受ける権利』が
       侵害され》ている…飯塚事件、大崎事件の裁判に「公正らしさ」は?

 《殺人などの罪で懲役10年が確定、服役した原口アヤ子さん(92)が一貫して無実を訴え、再審を求めてきた大崎事件は発生から40年が過ぎた。3度目の請求で地裁、高裁が再審開始を認め、開くかに見えた「再審の扉」は昨年6月、最高裁で閉ざされるという異例の経過をたどっている》。最「低」裁だけが、こだわる〝殺人〟…《被害者は自転車事故による出血性ショックで死亡した可能性があり「殺人なき死体遺棄事件」だったのではないか、と》。

 以前の引用から。中島邦之記者による、西日本新聞のコラム【風向計/裁判の公正らしさとは】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/620476/)によると、《同様の事例は飯塚事件大崎事件でも起きた。飯塚では、一審の死刑判決に関わった判事が再審請求後の即時抗告審に関与した。大崎では、第2次再審請求の特別抗告審を担った最高裁判事が、第3次請求も担当し、地裁と高裁が認めた請求を退けた…加えて、同一事件の審理を同じ裁判官が繰り返し担うことを、再審請求審でも禁じると規定するべきではないか》
 「ちゃぶ台返し」が起こる訳だ。《飯塚では、一審の死刑判決に関わった判事が再審請求後の即時抗告審に関与した。大崎では、第2次再審請求の特別抗告審を担った最高裁判事が、第3次請求も担当し、地裁と高裁が認めた請求を退けた》。裁判の制度がこれじゃぁ、デタラメな判決が出るはずだ。
 山口正紀さん、《冤罪は警察・検察だけで作られるものではない。…マスメディアにも責任…。だが、だれより責任の重いのが、無実の訴えに耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》。おまけに、《裁判の公正らしさ》もないのでは…。

   『●飯塚事件…《しかしもっと恐ろしいのは、そんな誤りを認めず、
     国家による殺人を無かった事にする国家の強引さだろう》(清水潔さん)
   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を
     見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》

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https://www.nishinippon.co.jp/serialization/the_osaki_case/

検証「大崎事件」 アナザーストーリーを追う

 「殺人犯」は存在しない? 解決したはずの殺人事件にショッキングな疑惑が浮かんだ。40年前に鹿児島県で起きた「大崎事件」を、調査報道で追う。


連載目次

 1 殺人なき遺体遺棄事件? 揺らぐ死因 #鑑定①
   2020/2/17 6:00

 2 驚きの展開 鑑定は訂正されていた #鑑定②
   2020/2/18 6:00

 3 不可解な「空白の30分」 #被害者①
   2020/2/19 6:00

 4 「空白」をつなぐ目撃者に会う #被害者②
   2020/2/20 6:00

 5 「虚像」? 泥酔は本当か #被害者③
   2020/2/21 6:00


https://www.nishinippon.co.jp/item/n/584658/

殺人なき遺体遺棄事件? 揺らぐ死因 #鑑定①
2020/2/17 6:00 (2021/5/17 21:55 更新)

 殺人などの罪で懲役10年が確定、服役した原口アヤ子さん(92)が一貫して無実を訴え、再審を求めてきた大崎事件は発生から40年が過ぎた。3度目の請求で地裁、高裁が再審開始を認め、開くかに見えた「再審の扉」は昨年6月、最高裁で閉ざされるという異例の経過をたどっている。3月末に予定される第4次請求を前に、現場を訪ねた。
 事件は1979年10月12日に起きた。鹿児島県大崎町で、被害者の四郎さん=当時(42)=が酒に酔い自転車ごと側溝に転落。路上に倒れている姿で発見される。被害者宅の近くに住む男性2人が迎えに行き、1・1キロ離れた自宅へ軽トラックで連れ帰った。

     (現場地図)

 横たわる被害者を最初に見つけた西崎良一さん(61)に話を聞くことができた。当時21歳。「車で徐行しながら見て父親の知人だと気付き、すぐに父親に知らせた。けがや出血はない様子でした」と振り返る。
 自宅まで運んだ2人は、当時47歳のIさんと37歳のTさん。被害者は側溝に落ちたためか、びっしょりぬれていた。40年前に軽トラが通った道を、車で走った。農地が広がる風景は、東九州自動車道の建設工事が進んだ以外は当時とあまり変わっていないという。

     (「この辺りに倒れていました」と語る西崎良一さん。
      右側が、被害者が自転車ごと転落したとみられる側溝
      =1月、鹿児島県大崎町)

 わずか1キロ余り。被害者宅があった所まで数分。被害者の長兄でアヤ子さんの夫だった一郎さん=当時(52)、次兄の二郎さん=同(50)=の自宅も同じ敷地内にあった。転落事故の3日後、被害者宅の牛小屋から遺体が発見される。その後、アヤ子さん、一郎さん、二郎さん、その息子の太郎さん=同(25)=が相次いで逮捕された。

     (大崎事件相関図)

 車を止めて100メートルほど歩くと、竹と雑木に囲まれた空間に出た。一角に朽ちた小屋。「アヤ子さん宅の物置でした」。彼女の支援者、武田佐俊さん(76)が教えてくれた。左手に被害者方と牛小屋があったというが、やぶに覆われて前に進めない。住人がいなくなった一帯は、人を寄せ付けない雰囲気だった。
 被害者は倒れていた地点から車で自宅へ運ばれた-。ここまでは事件当日の出来事として、アヤ子さんら4人を有罪とした確定判決と、冤罪(えんざい)の可能性を認め再審開始決定を出した福岡高裁宮崎支部決定(2018年)は一致する。
 その後の犯行ストーリーは異なる。確定判決は、自宅土間に放置された被害者がアヤ子さんら3人にタオルで絞殺され、太郎さんを加えた4人によって堆肥に埋められた、と認定した。
 一方、高裁は新証拠を基に「アナザーストーリー」に踏み込む。被害者は自転車事故による出血性ショックで死亡した可能性があり「殺人なき死体遺棄事件」だったのではないか、と。
 筋書きを分けた「自宅到着後」。一体、何があったのか。
 大崎事件は1980年の一審判決で「親族間で起きた殺人・死体遺棄事件」と認定され、確定した。
 原口アヤ子さん(92)の当時の夫で長兄の一郎さん、次兄の二郎さん、被害者の四郎さんの3兄弟はいずれも農家で、自宅も隣接していた。酒飲みだった被害者はトラブルを起こすこともあり、兄たちとの仲は良くなかったという。
 事件発生の79年10月12日。確定判決によると、酔いつぶれた被害者が自転車ごと側溝に転落、連絡を受けた隣人のIさんとTさんが午後9時ごろ車で連れ帰る。2人は被害者を土間に運び、帰宅する。
 連絡を受けたアヤ子さんはIさん宅に謝罪に行き、被害者宅へ。「泥酔して土間に座り込む姿を見て日頃の恨みが募り、殺害を決意」「一郎さんと二郎さんに持ち掛けて午後11時ごろにタオルで首を絞めて殺害し、翌13日未明、二郎さんの息子の太郎さんにも頼んで遺体を牛小屋に運び、堆肥に埋めた」-これが確定判決による犯行の流れだ。
 警察の調べに対し一郎さんと二郎さんは、タオルで首を絞めたと「自白」。(1)死因は「首の圧迫による窒息死」とした鹿児島大教授による法医学鑑定(2)「共謀の場面を見た」とする二郎さんの妻の目撃供述-で裏付けられたとされた。

     (被害者宅があった辺りを指さす武田佐俊さん。
      右手はアヤ子さん方の朽ちた物置小屋
      =1月、鹿児島県大崎町)

   ◇    ◇

 3度目の再審請求で弁護団は東京医科大の吉田謙一教授による新鑑定を提出した。遺体の解剖所見や写真、死亡前の行動を分析し、死因は「窒息死ではなく、自転車ごと側溝に転落した事故による出血性ショック死の可能性が高い」。「タオルによる絞殺」という自白の信用性を揺るがす新証拠だった。
 2018年の福岡高裁宮崎支部決定は吉田鑑定を基に「被害者は自転車転落事故により、自宅に運ばれた際には出血性ショックで死亡するか、瀕死(ひんし)状態だった可能性が相当程度ある」と指摘した。Iさん、Tさんは「被害者を土間に置いた」と供述していたが、その時、そもそも被害者は生きていたのか-。確定審で信用性が問題になることはなかった「第三者」の2人の供述内容に、吉田鑑定が疑問を差し挟む形になった。
 吉田鑑定を認めれば「土間で座り込む被害者に(アヤ子さんが)殺意を抱く」場面から始まる確定判決の筋書きは成り立たない。高裁は「既に死亡していた被害者が『何者か』によって堆肥に埋められた」というアナザーストーリーに踏み込み、再審開始の結論を導いた。

     (確定判決と高裁の犯行ストーリーの違い (1979年10月12日午後))

   ◇    ◇

 これに対し最高裁は、高裁の推認通りであれば「堆肥に埋めたのは最後に被害者に接触したIさん、Tさん以外に想定し難いことになるが、それは証拠上、全く想定できない」と一蹴。Iさん、Tさんの供述内容や共犯者の自白、親族の目撃供述について「相互に支え合っており、供述の変遷に問題があることを考慮しても、信用性は相応に強固だ」として確定判決を「支持」した。
 再審に詳しい元東京高裁裁判長の門野博氏は「搬送した被害者の死亡に驚いて、予想外の行動に出てしまう可能性は全く考えられないだろうか。最高裁は致命的な誤りを犯していないか」と疑問を投げ掛ける。 (親族、関係者は全て仮名。いずれも故人)

   ■    ■

 大崎事件は地裁で2回、高裁で1回の計3回、再審開始決定が出た。「これを取り消さなければ著しく正義に反する」とまで言い切った最高裁決定(小池裕裁判長)は正しかったのか。25年に及ぶ再審請求の歳月で積み上げられた証拠を基に検証する。



https://www.nishinippon.co.jp/item/n/584965/

驚きの展開 鑑定は訂正されていた #鑑定②
2020/2/18 6:00 (2021/5/30 16:43 更新)

     (城哲男氏が証人尋問で事故死の可能性に言及したことを
      1面で報じた1997年7月10日付の南日本新聞)

 変死体が発見された場合、その状況と併せて「死因」が事実を知る鍵を握る。殺人事件なのか、殺害方法はどうだったのかを、遺体から探る。大崎事件も例外ではなかった。
 確定審では、被害者の遺体を解剖した鹿児島大の城哲男教授(当時)による「城旧鑑定」がその役割を担った。(1)死因は窒息死を推定(2)頸部(けいぶ)内部の組織間出血は頸部への外力作用を推測させ、他殺と想像する-との内容。原口アヤ子さん(92)の元夫らが自白した「タオルによる絞殺」を裏付ける証拠とされた。
 一方、2015年の第3次再審請求で弁護団は東京医科大の吉田謙一教授による法医学鑑定書を新証拠として提出。吉田鑑定は「自転車転落事故による出血性ショックの可能性が高い」とした。これが正しければ「タオルによる絞殺」と認めた確定判決は誤りになる。司法判断は分かれた。
 福岡高裁宮崎支部は18年、吉田鑑定の信用性を認めて再審開始を決定。最高裁は昨年6月、この決定を取り消し、吉田鑑定を否定して「自白の信用性は強固」と結論付けた。ならば、被害者の死因は城旧鑑定の指摘通り「窒息死」でなければならない。
 実は第1次再審請求の段階で驚く展開があった。城氏が再度鑑定し、自らの鑑定を「訂正」していた
 1997年7月。当時82歳の城氏の体調を考慮して宮崎地裁都城支部であった出張尋問で語っている。

「旧鑑定では(堆肥に埋まっていた遺体の)状況で他殺であろうと一部先入観を持たされていたから、新鑑定では先入観をよけた。自転車で側溝に転落すれば、頸椎(けいつい)損傷で死亡することもありえる

 その上で、こう認めた。「今の時点では、他殺か、事故死かは分からないというのが正しいですね」。旧鑑定当時は自転車転落事故のことを警察から聞いていなかったと、新鑑定書に明記していた。
 4カ月後、城氏はがん性腹膜症のため死去した。なぜ弁護団の求める新鑑定を行い、証人尋問にも応じたのか。九州大法医学教室出身の城氏の後輩で、本人をよく知る九州大の池田典昭教授は「法医学者として、確定判決への疑問があったのだと思う」と語る。
 この城旧鑑定について最高裁決定は「被害者の遺体は、頸部圧迫の他に著しい所見を認めないので窒息死を推定するほかない、というものにすぎず、死因を断定するものではなかった」としている。
 もともと弱い証拠だから、それが崩れても影響は小さいという論理-。だが、最高裁が「信用性は強固」と言い切る自白が、法医学の裏付けを欠いていることは確かだろう。
 客観的裏付けを失った以上、最高裁は自白自体に疑わしい点がないか精査すべきだったのではないか。決定文14ページのうち、6ページの「当裁判所の判断」に、その痕跡は見当たらない。


https://www.nishinippon.co.jp/item/n/585283/

不可解な「空白の30分」 #被害者①
2020/2/19 6:00 (2021/6/5 12:28 更新)

     (事件当日の被害者の足取り(1979年10月12日午後))
     (被害者が自転車ごと転落したとされる側溝付近=1月、鹿児島県大崎町)

 殺人事件ではなく、自転車ごと側溝に転落したことによる事故死だったのではないか-。仮にそうなら、大崎事件は冤罪(えんざい)ということになる。裁判記録を基に、事件当日の被害者の「足取り」を追ってみた。
 1979年10月12日。被害者は朝から酒を飲み、午後から外出。午後6時ごろ、自宅から1キロ余り離れた路上に倒れているのが見つかり(❺)、近所のIさんとTさんが午後9時ごろ自宅に連れ帰ったとされる。外出後、雑貨店を訪ねたり(❶❹)、自転車を押したり(❸)する姿が目撃されている。
 午後3時半ごろには、自宅前で酒気を帯びて車を運転し(❷)、警察官から注意されたことも確認できた。
 不可解なことがあった。午後5時半ごろ、雑貨店で店主と会話をしていた被害者(❹)が、わずか30分後、店から約300メートルしか離れていない路上で倒れ、寝ていた(❺)という点だ。
 確定判決によると、被害者はその後「酔いつぶれて前後不覚のまま」自宅に運ばれ、殺害時刻とされる午後11時ごろの段階でも「自宅の土間に座り込み泥酔のため前後不覚だった」と認定されている。泥酔状態が午後6時から11時まで、実に5時間も続いた計算になる。いつ、どこでそんなに飲酒したのか。
 「泥酔」の一番の根拠は被害者を連れ帰ったIさんらの供述だった。路上に倒れていたときの様子を「物事を言える状態ではなく、1人で立つこともできない泥酔状態でした」と説明していた。
 当時の目撃者の裁判記録も調べた。目撃情報のない「空白の30分」を挟む前後の様子はこうだ。
 午後5時半ごろ、被害者が雑貨店に立ち寄る(❹)。焼酎の2合瓶2本、タマネギ1袋を「ツケで売ってほしい」と頼み、断られるが「そげん言わんで」と言って持ち帰った。「話しぶりからは、そう酔っている様子はなかった」(雑貨店主の記録)
 午後6時ごろ、同店から約300メートルの場所で、車で通行中の当時21歳の男性に発見される(❺)。「被害者が自転車もろとも倒れ、寝ていたらしい」。これは男性本人の記録ではなく、男性から話を聞いた父親の話として記録に残る。息子の説明に「泥酔」はない。
 どうだろうか。「そう酔っている様子はなかった」被害者が、わずか30分後、路上に倒れていた。雑貨店で買った焼酎のせいか。転落現場に転がっていた2合瓶2本のうち「1本は封を切っておらず、1本は半分ほど残っていた」とIさんは警察に供述している。
 被害者が道路に横たわっていたのは、泥酔ではなく転落事故の影響だったのではないのか。既に紹介したように、2人の法医学者も「事故死の可能性」を指摘している。当時を知る目撃者2人を訪ねた。



https://www.nishinippon.co.jp/item/n/585580/

「空白」をつなぐ目撃者に会う #被害者②
2020/2/20 6:00 (2021/6/17 21:18 更新)

     (事件当日に被害者が通ったとみられる付近=鹿児島県大崎町)

 元気だった被害者がわずか30分後、300メートルしか離れていない路上で倒れていたのはなぜか-。被害者の当時の様子を聞くため「空白の30分」をつなぐ目撃者2人を訪ねた。
 被害者が最後に元気な姿を見せた雑貨店は、当時と同じ場所にあった。幸運にも、40年前に接客した店主(76)に会えた。「焼酎好きでね、よく来られてましたよ」。事件当時を驚くほど覚えていた。
 当時の供述記録には、こうある。

<「銭を持ってきておらん。焼酎をツケで売ってくれ」と言うので断ると、「そげん言わんで」と持参の袋に無断で入れた。私が盗むのをやめるように言うと、「今までツケを払わなかったことがあるか。貸してくれよ」と申された>

 このやりとりを店主に聞いてみた。「盗むということではないですよ。ツケにしてください、という話でした」と振り返った。供述記録とは微妙にニュアンスが異なる。
 供述記録はこう続く。

<店の品を盗むような人ではなかったので酔いすぎかなと思ったが、話しぶりや態度から、そう酔っている様子ではなかった

 深酒状態ということか。

「いや、そうじゃないですよ。ちょびちょび飲まれている状況だから。うん、飲んでらっしゃるという感じがするわけです」「いつもここで飲んで、ちょっといい気分になって帰るという感じでしたね」

 事件発生は1979年10月12日。来店した午後5時半段階では、確定判決が認定する「泥酔」の印象はない。30分後、突然路上に倒れていた理由は、やはり自転車事故の影響ではないのか。そうであるならば、共犯者が自白した「タオルによる絞殺」と矛盾する可能性が高まる。

     (事件当日に被害者が通ったとみられる付近=鹿児島県大崎町)

 もう1人のキーマンは、午後6時ごろ、自宅そばの路上に横たわる被害者を最初に発見した西崎良一さん(61)。当時の自宅で今も暮らす。玄関払いも覚悟していたが、来意を告げると居間に通された。

「路上に寝転んでいた記憶はありますよ。車で走っていて50メートルほど手前から見えた。顔も分かった。牛の世話の関係で、うちのおやじの知り合いでした。そのまま通り過ぎ、おやじに知らせた。体がぬれている印象で、酔っぱらって小便して寝ていると思った」

 出血やけがはなかったのか。

「なかったですね。なぜすぐに救護しなかったのか? 酒癖が悪い人だと聞いてましたから、絡まれたくなくて通り過ぎました。でも出血していたら、さすがに助けますよ」

 こんな話もした。「当時刑事さんがここに来て、おやじと一緒に調書を取られました」。そこには何が書かれているのか。



https://www.nishinippon.co.jp/item/n/585867/

「虚像」? 泥酔は本当か #被害者③
2020/2/21 6:00 (2021/7/11 12:38 更新)

     (事件当日に被害者が買った銘柄の焼酎。当時購入した
      「大金の露」の2合瓶は現在なく、写真は1合瓶)

 路上に倒れた被害者を最初に発見した西崎良一さん(61)は、再審請求審の重要証人といえた。倒れていた理由は、確定判決の認定通り「泥酔」だったのか、それとも側溝への自転車転落事故で瀕死(ひんし)状態だったのか。もし事故の影響による死亡なら、原口アヤ子さん(92)の元夫らの自白(タオルによる絞殺)も、それを証拠にした確定判決も成り立たなくなる。
 第1次再審請求の2001年、弁護側の求めにより、鹿児島地裁で西崎さんの証人尋問が行われた。
 「倒れている被害者を車を止めて見たのか、通りすがりに見たのか」。弁護人に問われ「止めて見たと思う」と答えたが、「降車して近寄って見たのか」と詰められると「はい、いや…だと思います」。発言が揺れていた。尋問当時で事件から22年。記憶に曖昧な部分があるのは無理もない。
 倒れていた被害者の様子については「酔っていた記憶がある」と説明。その理由を聞かれ「焼酎の瓶か何か知らんけど、開けたものが断片的に記憶に残っているんです」と答えた。

   ◇    ◇

 今回の取材で、西崎さんには2回会った。1月22日の初訪問の際は、うかつにも大切な点を聞き忘れており、翌々日に再訪した。
 なぜ被害者が酔っていると分かったのか。証人尋問でも弁護人が入念に尋ねていた点だ。「あの時、私は車から降りていません。徐行しながらのぞきこんだ。酒癖が悪いという話を聞いてたから、その先入観が入っていたと思いますよ」。「泥酔」を確かめていたわけではなかったのか。
 当時西崎さんから連絡を受けた父親も約1時間後、同じ場所で被害者を目撃。だが、確認できた父親の供述記録は、アヤ子さんの元夫らの逮捕から6日後のものだった。泥酔については「被害者が泥酔して道路に寝込み、自宅に連れ帰られたことは聞いて知っているのです」と、出所が定かでない記述があるだけだ。
 「人間の記憶は意外なほどもろい」。目撃供述に詳しい今村核弁護士(東京)に別の事件の取材で教わった注意点だ。目撃後、さまざまな暗示の影響で記憶が上書きされ、本人もそれに気付いていないことが珍しくない。西崎さんの話も、19年前の証人尋問よりも今回の方が記憶が鮮明な点は気になった。
 ただ、もう一人の目撃者である雑貨店主の話からも、酔いつぶれて道路に寝ていた-という被害者像が「虚像」であった疑いは拭えなかった。
 「当時刑事さんが自宅に来られ、調書を取られた」と西崎さんは言った。この説明は19年前と同じ。存在が確かな供述調書に何が書かれているのか。16年の裁判所の開示勧告に対し、検察側は「廃棄されたと思われる」と回答した。

   ■    ■

 「泥酔して自宅土間に放置された被害者をアヤ子さんが目撃した」という場面から始まる確定判決の犯行ストーリーは、被害者を運び込んだ「IさんとTさん」の供述が土台になった。次は2人の供述を詳しくみていく。
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●《「証拠は再審請求の段階でも捜査側に偏在している」…検察は掌中の証拠をあまねくオープン》にするよう裁判所は訴訟指揮すべきだ

2021年04月15日 00時00分30秒 | Weblog

(2021年03月31日[水])
東京新聞の【<社説>名張事件60年 証拠開示の法制化を】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/94643?rct=editorial)。

 《一九六一年の名張毒ぶどう酒事件から六十年。奥西勝元死刑囚は二〇一五年に八十九歳で病没するまで無実を訴えた。死後も再審請求は続く。公正な審理のため、検察は証拠を出し渋ってはならない》。
 《日本弁護士連合会は一九年「再審における証拠開示の法制化を求める意見書」を国会提出。「証拠は再審請求の段階でも捜査側に偏在している」と主張する。名張事件は、病没した奥西元死刑囚のただ一人の妹、岡美代子さんが再審請求を継いだが、九十一歳の高齢だ。再審の法整備を待つことなく、公正な審理のため、検察は掌中の証拠をあまねくオープンにしてほしいそれを促す裁判所の訴訟指揮にも期待する》

   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
   『●袴田冤罪事件…タンパク質に糖分が触れると「メイラード反応」が
     進み、1年2カ月後には《常識的な範囲で『赤みは残らない』》はずだ

    「《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん。すぐさま、袴田巌さんに
     無罪を! マスコミももっと後押しすべきなのではないか。裁判所も
     自分たちの先輩の誤りを受け入れるべき…『●《読者はこうした報道を
     何日もシャワーのように浴びた。…裁判官たちも例外では》ない…
     袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》』」

 《冤罪と同じほど罪深い司法の自殺的行為》でした。《「生死」の間を往復する司法判断に翻弄された奥西元死刑囚》。結局、訴えることが出来なくなるのを待った司法の残酷さ…。一方で、検察…《死後も再審請求は続く。公正な審理のため、検察は証拠を出し渋ってはならない》。袴田事件の構図に通じている…検察=《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》。そして、《冤罪に加担したメディアの責任》も重い。

   『●袴田冤罪事件を機に死刑制度の再考ができない我国
   『●名張毒ぶどう酒事件という冤罪
   『●「疑わしきは罰する」名張毒ぶどう酒事件、あ~っため息が…
   『●司法権力の〝執念〟:
           映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』

   『●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)
                     ……死刑囚の心の叫び」は届かず

   『●名張毒ぶどう酒事件第八次再審請求審:  
         検証もせずに、今度は新証拠ではないとは!
   『●「触らぬ神にたたりなし、ということなのか」?  
      訴えることが出来なくなるのを待つ司法の残酷さ!
   『●奥西勝冤罪死刑囚が亡くなる:  
        訴えることが出来なくなるのを待った司法の残酷さ!
    《とうとう、奥西勝死刑囚が亡くなった。警察や検察、裁判所は
     「触らぬ神にたたりなし、ということなのか」?、訴えることが
     出来なくなるのを待った司法の残酷さ!、を痛切に感じる。
     のろのろと「死」を待っている様にしか見えない。特に、
     裁判所の酷さ。当時の《名古屋高裁刑事第2部(門野博裁判長)》
     《名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)》、《名古屋高裁
     刑事一部(石山容示(ようじ)裁判長)》《最高裁第1小法廷
     櫻井龍子裁判長)》ら。《冤罪と同じほど罪深い司法の自殺的行為》。
     《「お父ちゃん、お父ちゃん」。わが子が何度も叫んでいたが、
     どうしてやることもできない▼…父の無実が証明される日を待ち続けて
     くれた子らへの思いが、生きる希望そのものだったのかもしれぬ
     …無残の一言だ》
    「【江川紹子さん「再審開こうとしない裁判所、罪深い」】によると、
     「冤罪をはらさずに死ねないという強い思いが命を支えていた
     と思う。どれだけ無念だったか……再審開始決定が05年に出た
     時点で、裁判をやり直すべきだった。DNA型鑑定が絡む事件以外
     では、決して再審を開こうとしない日本の裁判所の姿勢は罪深い」」

   『●《誰を憎めばいいのか、憎むべきでないのか、死刑をどう考えるべき
     なのか、見終わっても答えは出ず、もやもやが心を覆ったままだ…》
   『●免田栄さん《朝は「針一本落としても聞こえるくらい静か。今日も
     誰かが召されると思うと体がぎゅーっと緊張した」と目をつむった》

 湖東記念病院人工呼吸器事件でも、《判決後、大西直樹裁判長は、捜査の問題点と刑事司法の改善の必要性を説き、「西山さんの15年を無駄にしてはならない」と話している》。
 《事件を作り上げ西山さんの自由を奪った警察、検察の人権侵害は断じて許されない。それをチェックできなかった裁判所も含めて、司法の責任は極めて重い》。《最初から数えて七つの裁判体が有罪判決や再審請求棄却を続け》た節穴な裁判所。警察・検察・裁判所は何も責任をとらないつもり? 《刑事司法のよどみや曇り》の解明を、《冤罪が生まれる構造に光》をあててこそ、《西山さんが待ち続けた「名誉回復」》が叶ったといえるのではないか。何度冤罪事件を繰り返し、再審の扉を何度固く閉じれば良いのか?

   『●湖東記念病院人工呼吸器事件…冤罪服役13年、
     【元看護助手、再審で無罪が確定的に 滋賀の病院患者死亡】
   『●湖東記念病院人工呼吸器事件で冤罪服役…《刑事司法の
      よどみや曇り》の解明を、《冤罪が生まれる構造に光》を!
   『●警察・検察・裁判所は何も責任をとらないつもり? それなくして、
       《西山さんが待ち続けた「名誉回復」》が叶ったといえるのか?
   『●《判決後、大西直樹裁判長は、捜査の問題点と刑事司法の改善の必要性
      を説き、「西山さんの15年を無駄にしてはならない」と話している》
    《無実でも有罪判決が確定すると、それを晴らす道は極めて狭い
     再審関係の条文は古いままで、手続きも事実上、裁判官のさじ加減次第
     である。無辜(むこ)を救う究極の人権救済の法整備は急ぐべきだ

 西山美香さんは冤罪で服役し、《青春時代の十数年間を監獄で過ごさねばならなかった》。《再審開始決定までの七つの裁判所の判断は、この矛盾に言及しなかった》。《無理な捜査、虚偽自白、証拠開示の遅れ》…弁護士も立ち会わず、長期拘留して密室で自白を迫る。警察や検察により、被疑者に有利な証拠は隠蔽される。同じことの繰り返しだ。

   『●《日本の刑事司法はおそろしいほどに後進的…代用監獄…
          人質司法》…さらに、司法取引まで投げ渡す大愚
   『●検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、証拠の隠蔽や
             喪失、逆に、証拠の捏造…デタラメな行政
   『●《良心に従い職権を行使する独立した存在》ではない
     大久保正道裁判長である限り、アベ様忖度な「行政判断」が続く
   『●《「自白の強要をされたという認識に変わりはない」と反論…
            いまだにこんな水掛け論になるのかと嘆かわしい》
    「《日本の刑事司法はおそろしいほどに後進的代用監獄人質司法
     …《日本の刑事司法制度は国際的水準に達していない》。
     「人質司法」は未だに《国際的にも悪評が高い》。
     《弁護士の立ち会い…多くの国・地域で認めている制度》である
     にもかかわらず、ニッポンでは認められていない。
     《録音・録画(可視化)》もほとんど進まず、
     《事後検証が不可能に近い》。《弁護士の立ち会いが任意段階から
     認められていれば、誤認逮捕という人権侵害もなかったはずだ》」

   『●木谷明さん《冤罪を回避するために法曹三者…
      無実の者を処罰しないという強い意志、意欲をもって仕事にあたること》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
            耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    《四十年間も潔白を訴えていた大崎事件(鹿児島)の原口アヤ子さんに
     再審の扉は開かなかった。最高裁が無実を示す新証拠の価値を
     一蹴したからだ。救済の道を閉ざした前代未聞の決定に驚く。
     「やっちょらん」-。原口さんは、そう一貫して訴えていた。
     殺人罪での服役。模範囚で、仮釈放の話はあったが、
     「罪を認めたことになる」と断った。十年間、服役しての
     再審請求だった…「疑わしきは被告人の利益に再審請求にも
     当てはまる。その原則があるのも、裁判所は「無辜(むこ)の救済」
     の役目をも負っているからだ。再審のハードルを決して高めては
     ならない》
    「再審するかどうかを延々と議論し、《三度にわたり再審開始決定
     出ながら》、最後に、ちゃぶ台返し。最「低」裁は何を怖れている
     のか? 誤りを潔く認めるべきだ。山口正紀さん、《冤罪は警察・
     検察だけで作られるものではない。…マスメディアにも責任…。
     だが、だれより責任の重いのが、無実の訴えに耳を貸さず、
     でっち上げを追認した裁判官だろう》。」

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/94643?rct=editorial

<社説>名張事件60年 証拠開示の法制化を
2021年3月30日 07時18分

 一九六一年の名張毒ぶどう酒事件から六十年。奥西勝元死刑囚は二〇一五年に八十九歳で病没するまで無実を訴えた。死後も再審請求は続く。公正な審理のため、検察は証拠を出し渋ってはならない

 六十年前の三月二十八日夜、三重県名張市の公民館で、農薬入りのぶどう酒を飲んだ女性五人が死亡し、十二人が中毒を起こした。

 奥西元死刑囚は逮捕後に殺害を自白したが公判では一貫して否認。一審津地裁は無罪、二審名古屋高裁が逆転死刑を言い渡し最高裁で確定した。高裁への第七次再審請求に対し〇五年、再審開始が決定されたが検察の異議があり別の裁判部で取り消された。

 「生死」の間を往復する司法判断に翻弄(ほんろう)された奥西元死刑囚。毎朝刑務官の靴音に刑執行か、と怯(おび)え続けた半世紀だったか。最期は医療刑務所の中で亡くなった。

 長期化した名張事件は、他の再審事件と同じく、検察の証拠開示が焦点になっている。

 刑事訴訟法には、再審での証拠開示についての規定がない。刑事裁判は検察、弁護双方が裁判所に開示した証拠を基に審理が進むが、検察側は都合の悪い証拠の開示に積極的ではない傾向がある。

 このため、再審請求審では、裁判所の積極的な訴訟指揮で大幅な証拠開示が実現した事件がある一方、消極的な裁判長もいる。同じ事件なのに裁判体が代わると訴訟指揮に差が出る場合もあった。

 この事件でも、一九年に第十次再審請求の審理を前任者から引き継いだ高裁の担当裁判長は積極的に証拠開示を求め、検察側は昨年、これまで未開示だった被害女性らの調書九件を開示した

 確定判決によると奥西元死刑囚は「毒を瓶に入れた後、封緘(ふうかん)紙は外れた」と自白した。しかし、弁護側は「開示調書のうち三件に『事件の直前、封緘紙は巻かれたままだった』とある」と矛盾を指摘。開示された証拠を番号順に仕分けした結果、千ページ分の欠番があったといい、今後開示を求めていく。

 日本弁護士連合会は一九年「再審における証拠開示の法制化を求める意見書」を国会提出。「証拠は再審請求の段階でも捜査側に偏在している」と主張する。

 名張事件は、病没した奥西元死刑囚のただ一人の妹、岡美代子さんが再審請求を継いだが、九十一歳の高齢だ。再審の法整備を待つことなく、公正な審理のため、検察は掌中の証拠をあまねくオープンにしてほしいそれを促す裁判所の訴訟指揮にも期待する。
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コメント
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●袴田巌さんに無罪を…《死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響…暗黒の日々の長さを思わざるをえない…夜は終わったわけではない》

2021年01月15日 00時00分16秒 | Weblog

 (2020年12月27日[日])
NHKの記事【袴田事件 再審認めない決定取り消す 高裁に差し戻し 最高裁】(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201223/k10012779771000.html)。

 《今回、最高裁が東京高裁の決定を取り消したため、6年前の静岡地裁の決定に基づいて、釈放された状態が続くことになります》。

 《袴田巖さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…こんな残酷なことがあっていいのか?
 東京新聞の記事【袴田事件 最高裁が再審を認めなかった高裁決定を取り消し 裁判官2人は「再審開始すべき」と反対意見】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/76173)によると、《裁判のやり直しを認めなかった東京高裁決定を取り消し、審理を差し戻す決定をした。弁護団が「無罪とすべき新証拠として提出したDNA型鑑定信用性を否定した一方、犯行時の着衣とされた「5点の衣類」に付着した血痕の変色状況について疑問が解消されていないと指摘。高裁で改めて審理を尽くすべきだと結論付けた…第2次再審請求では、静岡地裁が2014年に再審開始を認め、併せて死刑と拘置の執行を停止した。高裁も執行停止は維持し、袴田さんは現在釈放されている。結論が確定するまで、再収監はされない見通し》。

 酷過ぎる…。袴田巌さんにすぐさま無罪を。
 西日本新聞の【社説/袴田事件の再審 いたずらに引き延ばすな】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/676745/)によると、《裁判をやり直す再審の道を維持したことは評価できる。それでも「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則に照らせば、何とももどかしい決定と言わざるを得ない。…再審開始の可否に決着をつけるものではなく、袴田さんの再審請求はさらに長期化する。仮に再審が始まっても判決までにはさらに時間が必要だろう。袴田さんの年齢を考えれば、あまりに酷というほかはない》。
 東京新聞のコラム【筆洗/<目とじても片隅に咲く月見草>。劇作家寺山修司が「誰か月見…】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/76527?rct=hissen)によると、《▼その袴田さんに再審の可能性をもたらす最高裁の決定である。決定を知らされた袴田さんは、「こんなもの来るはずない」と話したという▼死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響は、地裁の再審開始決定で六年前に釈放された後も残っているようだ。暗黒の日々の長さを思わざるをえない▼最高裁は、再審開始を認めなかった高裁の決定を取り消した。事件の一年以上も後に見つかり、有罪の最大の根拠となった衣類。血痕の変色などについて審理が尽くされていないとし、高裁に再検討を求めた▼疑わしきは被告人の利益は原則だろう。寺山が「打たれ強いボクサー」であったと記した袴田さんも八十四歳である。夜は終わったわけではない急がなければなるまい。》

 《今回の決定について、元刑事裁判官の門野博弁護士は、「…高裁でまた時間をかけて審理するのではなく、直ちに再審を認めて、やり直しの裁判の中で議論させるという判断をしてもよかったのではないか」と話しています》。それでも時間をかけ過ぎです。さっさと、(無理なことは承知ですが)無罪判決を出すべきではないのか? とことろで、《元刑事裁判官の門野博弁護士》 ――― 「とうとう、奥西勝死刑囚が亡くなった。警察や検察、裁判所は「触らぬ神にたたりなし、ということなのか」?、訴えることが出来なくなるのを待った司法の残酷さ!、を痛切に感じる。のろのろと「死」を待っている様にしか見えない。特に、裁判所の酷さ。当時の《名古屋高裁刑事第2部(門野博裁判長)》、《名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)》、《名古屋高裁刑事一部(石山容示(ようじ)裁判長)》、《最高裁第1小法廷(櫻井龍子裁判長)》ら。《冤罪と同じほど罪深い司法の自殺的行為》」…。名張ぶどう酒事件で、再審開始決定を取り消したのが門野博元裁判長。「のろのろと「死」を待っている様にしか見えない」司法の一人だ。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
    《ルビン・カーターさんが二十日亡くなった。七十六歳…
     デンゼル・ワシントン主演の映画「ザ・ハリケーン」のモデル
     といえば、思い出すだろうか▼一九六六年六月、
     米ニュージャージー州のバーで三人が殺された。現場近くを車で
     走っていたカーターさんが逮捕された。無実を訴えたが、
     有罪の評決が下り、八五年に釈放されるまで十九年間服役した。
     冤罪事件の背景には人種差別もあった袴田事件も同じ年同じ六月
     だった。同じ元ボクサー。獄中にあった袴田巌さん(78)は
     境遇の似たカーターさんが釈放された時、手紙を書いたという。
     「万歳万歳と叫びたい」。カーターさんの返事は
     「決してあきらめてはならない」だった》

   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
   『● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの
          袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》
   『●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」
        と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました
    「袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん」

   『●映画『BOX 袴田事件 命とは』で熊本典道さん役…《「法廷では
     裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々…》

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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201223/k10012779771000.html

袴田事件 再審認めない決定取り消す 高裁に差し戻し 最高裁
2020年12月23日 16時57分

 昭和41年に静岡県で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で死刑が確定した袴田巌さんについて、最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを認めなかった東京高等裁判所の決定を取り消し、高裁で再び審理するよう命じる決定をしました。

 袴田巌さん(84)は、昭和41年に今の静岡市清水区でみそ製造会社の役員の一家4人が殺害された事件で、死刑が確定しましたが、無実を訴えて再審を申し立てています。

 平成26年に静岡地方裁判所が、事件の1年余り後に会社のみそのタンクから見つかった犯人のものとされる衣類の血痕のDNA型が袴田さんのものとは一致しなかったという鑑定結果などをもとに再審を認める決定をした一方、おととし、東京高等裁判所は「DNA鑑定の信用性は乏しい」として再審を認めず、弁護団が特別抗告していました。

 最高裁判所第3小法廷の林道晴裁判長は、衣類の血痕のDNA鑑定について「衣類は40年以上、多くの人に触れられる機会があり、血液のDNAが残っていたとしても極めて微量で、性質が変化したり、劣化したりしている可能性が高い。鑑定には非常に困難な状況で証拠価値があるとはいえない」として、弁護側の主張を退けました

 一方で、衣類に付いた血痕の色の変化について「1年余りみそに漬け込まれた血痕に赤みが残る可能性があるのか、化学反応の影響に関する専門的な知見に基づいて審理が尽くされていない」として、23日までに再審を認めなかった東京高裁の決定を取り消し、高裁で再び審理するよう命じる決定をしました。

 一方、決定では、5人の裁判官が、3対2で意見が分かれています。

 2人の裁判官は反対意見の中で、DNA鑑定などを新証拠と認め、血痕が袴田さんのものではないという重大な疑いが生じているとして、再審を認めるべきだとしています。

 再審を求める特別抗告で裁判官の意見が割れるのは異例です。

 袴田さんは、静岡地裁で再審が認められた際に釈放されていて、今回の決定後も釈放された状態が続きます。


裁判官2人が「再審開始すべき」

 5人の裁判官のうち、林景一裁判官と宇賀克也裁判官の2人が、「再審を開始すべきだ」とする反対意見を述べました。

 反対意見ではまず、犯人のものとされる衣類に付いた血痕のDNA鑑定について、「鑑定技術の進展によって細胞が数個分あればDNAの検出は十分に可能だとされていて、鑑定の信用性を否定すべきとは思わない。犯人のものとされるシャツに付いた血痕と袴田さんのDNA型が違い、血痕は袴田さんのものではないという重大な疑いが生じる」と指摘しています。

 また、みそのタンクから見つかった衣類に赤い血痕が付いていたことについて、「みそ漬けを再現した実験では、1か月で血痕の赤みは全くなくなり、1年2か月後にはさらに黒くなって血液が付いたことすら分からない状態になっている。袴田さんが逮捕される前にみそのタンクに衣類を隠したとすれば、1年以上、漬けられていたことになるが、実験の結果は、この点に合理的な疑いを生じさせる証拠で、袴田さんが衣類を隠したことにも合理的な疑いが生じる。犯行直後ではなく、衣類の発見直前に袴田さん以外の第三者に隠された可能性が生じる」と指摘しています。

 そのうえで、DNA鑑定と、みそ漬けの再現実験の報告書はいずれも新証拠として認められると判断して再審を開始すべきだとして、高裁に審理のやり直しを命じることについて「化学反応の影響を審理するためだけに、時間をかけることには反対せざるをえない」と述べています。

 再審を求める特別抗告で裁判官の意見が割れるのは異例です。


最高検察庁刑事部長「内容精査し適切に対処」

 最高検察庁の齋藤隆博刑事部長は「検察官の主張が認められなかったことは誠に遺憾だ。決定の内容を精査し、適切に対処したい」というコメントを発表しました。


袴田巌さん「言うことはない 終わったんだ」

 袴田巌さんと姉のひで子さん(87)は、23日午後6時すぎ、浜松市の自宅で取材に応じました。

 巌さんは「言うことはない。終わったんだ、分かりきっている」などと話していました。

 ひで子さんは、巌さんに「おめでとう」と声をかけたうえで、「なんとなく表情が明るい。やっぱり分かっていると思う」と話しました。

 自宅には、知人などから電話が相次いでいて、ひで子さんは、最高裁判所から届いた書類を手に取って、主文を読み上げるなどして、笑顔で報告をしていました。

 ひで子さんは「とにかく前進してくれないと困るのでうれしい。年内に最高裁の決定が出ると思わなかったので、クリスマスプレゼントになった」と話していました。


死刑確定も釈放続く

 袴田巌さんは、刑事手続き上は死刑が確定していますが、釈放された異例の状況が当面、続きます。

 6年前、静岡地裁で再審が認められた際に刑の執行と拘置が停止されて、東京拘置所から釈放されました。

 おととしの東京高裁の決定では、再審は認められませんでしたが、「年齢や生活状況、健康状態などを考えると、再審についての決定が確定する前に、釈放を取り消すべきとは言いがたい」として釈放は取り消されず、浜松市内で家族とともに生活を続けています。

 今回、最高裁が東京高裁の決定を取り消したため、6年前の静岡地裁の決定に基づいて、釈放された状態が続くことになります。


弁護団「主張が正しく理解された」

 最高裁判所の決定を受けて袴田巌さんの弁護団が静岡市内で記者会見を開きました。

 この中で、弁護団の事務局長を務める小川秀世弁護士は「非常にうれしい決定だ。われわれの主張が正しく理解されたと思っている。論点がはっきりしたので再審開始という結論に持って行くことができるのではないかと大いに期待している」と述べました。

 一方、別の弁護士は、今後の審理について、「最高裁判所の指摘があった衣類の血痕の色の変化について、専門的に研究している人はいないので、具体的に裏付けるような資料や意見を集めることができるかどうか、弁護団にとっても高裁にとっても大きな課題になる」と話しました。


プロボクシング関係者は

 長年にわたって袴田さんの支援活動をしてきた日本プロボクシング協会の新田渉世事務局長は「心強い決定だ。裁判官の意見がわかれたことで長引く懸念があるが、大きな一歩だと思う」と話していました。

 また、プロボクシングを統括するJBC=日本ボクシングコミッションの安河内剛本部事務局長は「私たちとしては、一刻も早く真相が解明されることを祈っている」と話していました。


元刑事裁判官「再審を認めてもよかったのでは」

 今回の決定について、元刑事裁判官の門野博弁護士は、「『再審を開始すべきだ』という反対意見もあり、最高裁判所の裁判官の間でかなり時間をかけて議論が交わされたことがうかがえ、それだけ多くの謎が残されている難しい事件だということが表れている。最高裁の決定の中で、みそに漬かった衣類の色の変化についてさらに精査が必要だと判断したのであれば、差し戻しによって高裁でまた時間をかけて審理するのではなく、直ちに再審を認めて、やり直しの裁判の中で議論させるという判断をしてもよかったのではないか」と話しています。


これまでの経緯

 「袴田事件」は、有罪か無罪かが50年余りにわたって争われ続けています

 昭和41年6月、今の静岡市清水区で、みそ製造会社の専務の家が全焼し、焼け跡から一家4人が遺体で見つかりました。その年の8月に会社の従業員だった元プロボクサーの袴田巌さんが、強盗殺人などの疑いで逮捕されました。

 当初は無実を訴えましたが、19日後に取り調べでいったんは自白し、裁判では再び無実を主張して争いました。

 事件から1年余りがたち、裁判が始まった後で、みそ製造会社のタンクから血の付いたシャツなど、犯人のものとされる5点の衣類が見つかりました。昭和43年9月、静岡地方裁判所は、自白した時に作られた45通の調書のうち44通は捜査官に強要された疑いがあるとして、証拠として認めませんでしたが、衣類を有罪の証拠だとして死刑を言い渡しました。

 2審の東京高等裁判所と最高裁判所でも無罪の主張は退けられ、昭和55年に死刑が確定しました。翌年、弁護団は再審・裁判のやり直しを求めました。

 弁護団は、事件の直後の捜索でタンクから衣類が見つからなかったことや、衣類のサイズが合わないことなど不自然な点があるうえ、自白も強要されたものだと主張しましたが、静岡地裁で退けられました。

 東京高裁では衣類に付着した血痕のDNA鑑定が行われましたが、劣化が激しかったことからこの時は「鑑定不能」とされ、申し立てが退けられました。

 その後、平成20年に最高裁でも退けられ、27年に及んだ1度目の再審の申し立ては認められませんでした。2度目の申し立てで、静岡地裁は、5点の衣類のDNA鑑定を再び行うことを決めました。

 その結果、弁護側の専門家が「シャツの血痕のDNAの型は袴田さんと一致しない」と結論づけたことなどから、平成26年に再審・裁判のやり直しを認める決定を出しました。

 「捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがある」と、当時の捜査を厳しく批判し、釈放も認める異例の決定でした

 東京高裁では、弁護側の専門家が行ったDNA鑑定の手法が科学的に信頼できるかどうかが争われました。おととし6月、東京高裁は「DNA鑑定の手法の科学的原理や有用性には深刻な疑問が存在している」として、地裁とは逆に、衣類は袴田さんのものだと考えて不合理な点はないという判断を示し、再審を認めませんでした。

 一方で、地裁で認められた釈放については「本人の年齢や生活状況、健康状態などに照らすと、再審についての決定が確定する前に釈放を取り消すのが相当とは言い難い」として、取り消しませんでした。

 弁護団は高裁の決定を不服として最高裁判所に特別抗告。最高裁の決定が注目されていました。
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●奥西勝冤罪死刑囚が亡くなる: 訴えることが出来なくなるのを待った司法の残酷さ!

2015年10月06日 00時00分58秒 | Weblog


東京新聞の二つの記事【名張事件の奥西死刑囚が死亡 無実の訴え、半世紀以上】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015100401001283.html)と、
【名張毒ぶどう酒事件 奥西死刑囚が死亡 第9次再審請求中】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201510/CK2015100502000125.html)。
東京新聞の社説【名張・奥西死刑囚が獄死 日本の司法は敗北した】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015100502000128.html)と、
東京新聞のコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015100502000127.html)。

 《「半世紀以上にわたり無実を訴え続けていた奥西勝死刑囚(89)が4日午後0時19分、収監されていた八王子医療刑務所(東京)で死亡した」》、《「無罪を訴えて第九次再審請求中だった奥西勝死刑囚が四日、収監先の八王子医療刑務所…で死亡した。八十九歳だった」》。
 《「裁判に翻弄されたまま、老死刑囚は獄死した。冤罪の疑いを消せぬまま閉じ込めておくばかりとなった長い年月は、司法の敗北と言わざるを得まい」》、《八十九歳の死刑囚の脳裏に、最後に浮かんだのは、どんな光景だったのか。名張毒ぶどう酒事件で無罪を訴え続けてきた奥西勝死刑囚の命がきのう、消えた▼あまりに多くの地獄を見てきた》。

 とうとう、奥西勝死刑囚が亡くなった。警察や検察、裁判所は「触らぬ神にたたりなし、ということなのか」?、訴えることが出来なくなるのを待った司法の残酷さ!、を痛切に感じる。のろのろと「死」を待っている様にしか見えない。特に、裁判所の酷さ。当時の《名古屋高裁刑事第2部(門野博裁判長)》、《名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)》、《名古屋高裁刑事一部(石山容示(ようじ)裁判長)》、《最高裁第1小法廷(櫻井龍子裁判長)》ら。《冤罪と同じほど罪深い司法の自殺的行為》。《「お父ちゃん、お父ちゃん」。わが子が何度も叫んでいたが、どうしてやることもできない▼…父の無実が証明される日を待ち続けてくれた子らへの思いが、生きる希望そのものだったのかもしれぬ》…無残の一言だ。

 asahi.comの記事【江川紹子さん「再審開こうとしない裁判所、罪深い」】(http://www.asahi.com/articles/ASHB46DGYHB4OIPE01S.html?iref=comtop_list_nat_n05)によると、「冤罪をはらさずに死ねないという強い思いが命を支えていたと思う。どれだけ無念だったか……再審開始決定が05年に出た時点で、裁判をやり直すべきだった。DNA型鑑定が絡む事件以外では、決して再審を開こうとしない日本の裁判所の姿勢は罪深い」。 

   『●名張毒ぶどう酒事件という冤罪
   『●「疑わしきは罰する」名張毒ぶどう酒事件、あ~っため息が・・・
   『●司法権力の〝執念〟:
           映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』

   『●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)
                     ・・・・・・死刑囚の心の叫び」は届かず

   『●名張毒ぶどう酒事件第八次再審請求審:  
         検証もせずに、今度は新証拠ではないとは!
   『●「触らぬ神にたたりなし、ということなのか」?  
      訴えることが出来なくなるのを待つ司法の残酷さ!
    《「触らぬ神にたたりなし、ということなのか。検察側の倉庫に
     眠ったままの証拠は、今回も、調べられることがなかった。
     証拠開示への逃げ腰は、司法に対する国民の信頼を
     損ないはしないか」》

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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015100401001283.html

名張事件の奥西死刑囚が死亡 無実の訴え、半世紀以上
2015年10月4日 21時41分

 三重県名張市で1961年3月に女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で死刑が確定、半世紀以上にわたり無実を訴え続けていた奥西勝死刑囚(89)が4日午後0時19分、収監されていた八王子医療刑務所(東京)で死亡した。三重県出身。法務省によると、死因は肺炎だった。

 一審で無罪判決を受け、9度にわたった再審請求で1度は再審開始が認められたが、いずれも検察側の控訴や異議で覆り、司法判断に翻弄された死刑囚としての収監期間は43年に及んだ

 4日夜に医療刑務所を訪れ、遺体と対面した鈴木泉弁護団長は「誤った判断を正そうとしなかった裁判所に強い憤りを覚える」と話した。

(共同)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201510/CK2015100502000125.html

名張毒ぶどう酒事件 奥西死刑囚が死亡 第9次再審請求中
2015年10月5日 朝刊

     (奥西勝死刑囚)

 三重県名張市で一九六一年三月、女性五人が毒殺された名張毒ぶどう酒事件で、殺人罪などで死刑が確定し、無罪を訴えて第九次再審請求中だった奥西勝死刑囚が四日、収監先の八王子医療刑務所(東京都八王子市)で死亡した。八十九歳だった。法務省によると、死因は肺炎だった。

 奥西死刑囚の再審請求は親族が引き継ぐとみられるが、第九次請求は本人の死亡で事実上終了する

 奥西死刑囚は二〇一二年に肺炎で体調を崩し、名古屋拘置所から八王子医療刑務所へ移送された。一三年には呼吸困難で二度、一時危篤状態となり、回復後も寝たきりの状態に。今年八月下旬以降は、意識が回復しない状況が続いていた。葬儀は六日に都内で親族や弁護団、支援者らの密葬で行う。

 七二年に死刑判決が確定した後、第七次再審請求で、名古屋高裁は二〇〇五年四月、犯行に使われた毒物はニッカリンTではないなどとする弁護側の新証拠を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認め、再審開始を決定。しかし、〇六年十二月、名高裁の別の部が取り消し。最高裁の差し戻し、高裁の再度の取り消し決定を経て、最高裁は一三年十月に再審を認めない決定をした

 弁護団は同年十一月、八度目の再審請求をしたが、最高裁に特別抗告中の今年五月に取り下げた上で、毒物に関する別の「新証拠」を基に、第九次請求を申し立てた。

 <名張毒ぶどう酒事件> 1961(昭和36)年3月、三重県名張市の公民館で開かれた懇親会で、白ぶどう酒を飲んだ女性17人が中毒症状を訴え、うち5人が死亡。奥西死刑囚は妻、愛人との三角関係を清算するため、自宅から用意した農薬ニッカリンTをぶどう酒に入れたと自白し、殺人容疑などで逮捕されたが、起訴直前に否認に転じた。64年の津地裁判決は無罪、69年の名古屋高裁は逆転死刑。72年に死刑が確定したが、翌73年から再審請求を続けた。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015100502000128.html

名張・奥西死刑囚が獄死 日本の司法は敗北した
2015年10月5日

 裁判に翻弄(ほんろう)されたまま、老死刑囚は獄死した。冤罪(えんざい)の疑いを消せぬまま閉じ込めておくばかりとなった長い年月は、司法の敗北と言わざるを得まい

 冤罪が国家の罪であることは言うまでもない。

 冤罪の可能性を消せぬまま、二転三転する司法判断の末に八十九歳の奥西勝死刑囚を獄死させてしまった名張毒ぶどう酒事件は、冤罪と同じほど罪深い司法の自殺的行為ではないだろうか。

 「十人の真犯人を逃しても、一人の無辜(むこ)の人間を罰してはならない」という法格言の通り、一人の冤罪者も出さぬことが刑事司法に求められる最大の使命である


白鳥決定無視の過ち

 日本の司法は過去、死刑囚に冤罪を認めたことがある。つまり重大な誤判の歴史を持っている。その経験は生かされたのか。

 名張事件の運命の分かれ道ともいえる第七次再審請求は、十一年もの時を経て、二〇一三年に最高裁で最終的に退けられた。

 迷走した名張事件の最も大きな問題は「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が無視され続けてきたことだろう。最高裁が「白鳥決定」で、この鉄則は再審でも適用されることを確認したのではなかったか。

 そもそも、津地裁の一審が無罪だった。冤罪を訴える長い歳月を経て、一度は高裁が再審開始を認めもした。つまり、有罪の立証ができていないと判断した裁判官が少なからずいたわけである

 それなのに最高裁は、判決を見直す姿勢は見せなかった。

 逸した機会の第一は、第五次再審請求である。逆転死刑判決の根拠だったぶどう酒の王冠の歯形鑑定の信用性が崩れたのに、最高裁は再審請求を棄却した。

 第七次請求では、凶器とされた農薬が実際に使われたかどうか疑わしいとして名古屋高裁が再審開始を決めたにもかかわらず、検察の異議の後、最高裁は高裁に差し戻してしまった。まさに白鳥決定の無視である

 弁護団は「弁護団が判決の誤りを実証すると、裁判所は別の理屈を持ち出してくる。『疑わしきは被告人の利益にの原則の逆だ」と訴えていた。再審の扉を重くしてきた裁判官や検察官は、明快に反論できるであろうか。


◆誤判への真摯な恐れは

 特に高裁が一二年五月、再審を開始しないとした決定では、弁護側に本来必要ないはずの「無罪の証明」まで求めた

 刑事司法の基本的な考えは、こうである。つまり「被告人が有罪であることの立証責任は検察官の側にあるのだから、『合理的な疑いを超える程度の証明』がなされていないと思えば、無罪判決をすれば足りる」。

 こうした原理に照らせば、司法が原則を大きく踏み外していたように見えてしまうのである。

 高齢の死刑囚が最後の判断を仰いだ最高裁に、私たちは「自ら速やかに判示を」(一二年五月三十一日社説)と求めた。しかし、返ってきたものは、説得的理由のない棄却決定であった。

 再審無罪となった東京電力女性社員殺害事件や静岡地裁が再審開始を決定した袴田事件では、裁判所に促されて検察側が未開示証拠の開示に踏み切り、冤罪の疑いが深まる大きな要因となった。市民の常識を反映させようという裁判員裁判の時代となったのに、冤罪の疑いがぬぐえぬ名張の事件で、司法は一体、何をしてきたのだろう

 元最高裁判事の故・団藤重光氏は退官後、死刑廃止の立場を鮮明にし、「無実の人を処刑することがいかにひどい不正義であり、どんなことがあろうとも許されるべきでない不正義であるか」と指摘している。

 この碩学(せきがく)がなぜ、死刑廃止論に転じたのか。それは、法律家として、また一人の人間としての誤判への真摯(しんし)な恐れであろう。

 奥西死刑囚は冤罪だったのか、否か。迷走した司法判断は、いわば有罪を維持した状態で幕を引くことになったが、大方の国民の感覚に照らしてみると、どうであろう。彼の獄死は裁判の権威を守ったのか、それとも損ねたのか。


◆法の正義と言えるのか

 多くの謎が残ったままの事件である。その謎に迫る可能性を秘めた未開示証拠を検察側が独占したまま二転三転した死刑判決を維持し、冤罪を訴え続けた一人の人間を獄死に追い込んでしまったことは、果たして国民の目に、司法の正義と映るだろうか。

 いったんは開かれた重い再審の扉は、「疑わしき」を覆い隠すように閉ざされた。獄中で老いることを強いられた死刑囚には、どんな軋(きし)み音が聞こえただろう。

 その獄死の無念を、社会は胸に刻みつけねばならぬ。未来のために、日本の裁判史に汚点として、深く刻みつけねばなるまい。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015100502000127.html

【コラム】
筆洗
2015年10月5日

八十九歳の死刑囚の脳裏に、最後に浮かんだのは、どんな光景だったのか。名張毒ぶどう酒事件で無罪を訴え続けてきた奥西勝死刑囚の命がきのう、消えた▼あまりに多くの地獄を見てきた。妻を事件で失い、遺(のこ)された二人の子を抱き締めなくてはならぬ時、連日連夜調べを受けた。無実を訴えたが、憔悴(しょうすい)しきったところで警察官に迫られたという。「家族の者を救うためには、お前が犯人だと自白するよりほかにないのだ」▼逮捕され、家族が住む村で現場検証に立ち会った時、険しい目で見つめる村人の中から声がした。「お父ちゃん、お父ちゃん」。わが子が何度も叫んでいたが、どうしてやることもできない▼一審で無罪判決を勝ち取ったものの、事件から十一年後に死刑判決が確定してからは、刑執行の恐怖におびえる毎日だった。就寝時間となって布団に入ると、「このまま夜が明けてくれなければ…」との思いが頭をよぎったそうだ▼そんな日々が四十年余も続き、病んで声を失ってなお、冤罪(えんざい)を訴えることはやめなかった。父の無実が証明される日を待ち続けてくれた子らへの思いが、生きる希望そのものだったのかもしれぬ▼死刑判決の根拠とされた証拠には数々の矛盾があると指摘されていた。であるのに、最高裁は再審の扉を開けぬまま、奥西死刑囚をあの世に旅立たせてしまった取り返しのつかぬこと
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●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)・・・・・・死刑囚の心の叫び」は届かず

2013年10月22日 00時00分07秒 | Weblog


東京新聞の記事【奥西死刑囚の再審認めず 名張毒ぶどう酒事件 7次請求】http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013101702000247.html)とコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013101802000136.html。asahi.comの記事【再審の壁―手続きの整備が必要だ】(http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit2、10月19日)とコラム【天声人語】http://www.asahi.com/paper/column.html?ref=com_top_tenjin10月19日)。最後に江川紹子氏のブログの記事【名張毒ぶどう酒事件・最高裁の棄却決定に思う】(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20131019-00029050/)。

   『●冤罪死刑囚の死を待ち、責任を逃れようとする冷酷な人々

 またしても、最高裁は再審の扉を閉じた。上記ブログの通り。血の通わぬ冷たい国の冷たい司法。

   『●名張毒ぶどう酒事件という冤罪
   『●『創(2009年5月号)』
   『●『冤罪File(No.10)』読了
   『●それは、職業裁判官の怠慢にすぎない
   『●強大な氷山の一角としての冤罪発覚
   『●冤罪: 筋弛緩剤事件の守大助氏
   『●「疑わしきは罰する」名張毒ぶどう酒事件、あ~っため息が・・・
   『●司法権力の〝執念〟: 映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』
   『●「希望にすがるな 絶望せよ」/
          『週刊金曜日』(2013年2月22日、932号)についてのつぶやき

   『●愚挙: 検察の異議が認められて福島事件の再審開始が取り消しに
   『●「アベノミクスに騙されないための政治経済学」
   週刊金曜日』(2013年3月29日、937号)

   『●『自然と人間』(2013年5月号、Vol.203)についてのつぶやき

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013101702000247.html

奥西死刑囚の再審認めず 名張毒ぶどう酒事件 7次請求
2013年10月17日 夕刊

 三重県名張市で一九六一年、農薬入りの白ぶどう酒を飲んだ女性五人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」の第七次再審請求特別抗告審で、最高裁第一小法廷は、殺人罪などで死刑が確定した奥西勝(まさる)死刑囚(87)=八王子医療刑務所収監中=の再審開始を認めなかった昨年五月の名古屋高裁決定を支持し、弁護団の特別抗告を棄却する決定をした。十六日付。 

 奥西死刑囚の当初の自白通り、毒物が農薬「ニッカリンT」かどうかが争点だったが、桜井龍子(りゅうこ)裁判長は「毒物は自白通りのニッカリンTであっても矛盾はなく、自白の信用性に影響はない」と判断した。

 事件から半世紀余り。犯行を裏付ける直接証拠はなく、司法判断は無罪から死刑へと揺れた。奥西死刑囚は再審請求を繰り返し、第七次再審請求ではいったん再審開始が決まったが、その後覆され、今回の最高裁決定で再審を開始しないことが確定した。あらためて再審請求するにはさらなる新証拠の提出が求められる。

 弁護側は事件当時の鑑定で、現場に残されたぶどう酒からニッカリンT特有の副生成物が検出されなかった点に着目し、「毒物は別の農薬で、自白の信用性が根底から崩れた」と主張した。だが、昨年五月の名古屋高裁は独自鑑定の結果、「鑑定方法によっては副生成物が検出されない」と再審請求を棄却した。

 第一小法廷も「高裁の鑑定は科学的根拠を示している」と判断。事件当時、一般的だった方法で鑑定すると、副生成物が検出されるという弁護側の主張にも「弁護側の指摘する方法で当時の鑑定が行われた形跡はない」と結論づけた。

 第七次再審請求は、二〇〇五年に名古屋高裁が「ニッカリンTを入れたとの自白の信用性に疑問が残る」として再審開始と死刑の執行停止を決定したが、〇六年に同高裁の別の部が取り消し。最高裁は一〇年に「毒物の審理が尽くされていないとして審理を差し戻したが、同高裁は昨年五月、再審開始を認めなかった。奥西死刑囚は肺炎にかかり、昨年六月に名古屋拘置所(名古屋市)から八王子医療刑務所(東京都八王子市)に移送された。その後は寝たきりの状態が続き、今年に入り一時、呼吸困難で危篤状態に陥った。

 決定は、第一小法廷の四裁判官全員一致の意見。検察官出身の横田尤孝(ともゆき)判事は審理の参加を辞退した。

 <名張毒ぶどう酒事件> 1961年3月28日夜、三重県名張市葛尾の公民館で開かれた地元の生活改善グループ「三奈の会」の懇親会で、白ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状を訴えた。奥西死刑囚は「妻、愛人との三角関係を清算するため」、自宅から用意した有機リン系の農薬ニッカリンTをぶどう酒に入れたと自白し、翌月3日、殺人容疑で逮捕された。64年の津地裁判決は無罪、69年の名古屋高裁は逆転死刑。72年に死刑が確定したが、翌73年から再審請求を続けた。確定判決によると、奥西死刑囚は事件当日、会場で偶然1人になった10分間に、ぶどう酒の王冠を歯でかんで開け、竹筒に入れたニッカリンTを混入した。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013101802000136.html

筆洗
2013年10月18日

 その映画は、三十五歳の男が川岸を家族と散策する場面で始まる。妻と二人の子と。男は上機嫌で歌いだす。♪母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来た とどかぬ願いと 知りながら▼幸せな時。だが、それは夢だ。老いた男は、四十年以上すごしてきた三畳一間で目覚める。一九六一年に三重県名張市で起きた毒ぶどう酒事件で犯人とされた奥西勝死刑囚(87)は、拘置所の独房から冤罪(えんざい)だと訴え続けている▼その生涯を描いた東海テレビ製作の映画『約束』で、仲代達矢さん演じる死刑囚は、拘置所の屋上の運動場で叫ぶ。「死んでたまるか、生きてやる」。それは無実を信じ続けた家族の心の叫びでもある▼母タツノさんは、貧しい暮らしに耐えながら面会に通い、手紙で励まし続けた。「してない事はしたというな。しんでもしないというてけ」「ほしいものがあれば母ははだかになってもかってやるから手紙でおしえてくれ」▼タツノさんは一九八八年に世を去り、親類に引き取られ育った長男も六十二歳で病に倒れた。高齢の父を気遣い「おやじには、(無罪を勝ち取り)出てきてから知らせてくれ」と言い残して▼証拠の多くは弁護団の根気強い調査で突き崩されてきた。だが、最高裁は固い扉を開けようとせず、七度目の再審請求も棄却した。死刑囚の心の叫びが、ひときわ高く聞こえるようだ
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http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit2、10月19日】

2013年10月19日(土)付
再審の壁―手続きの整備が必要だ

 裁判で有罪が確定したあとでも、その結論を覆すような新証拠が見つかれば、改めて審理する。それが再審である。

 三重県で52年前に起きた名張毒ブドウ酒事件で、最高裁は死刑囚の再審を認めなかった。

 もともと自白と状況証拠で有罪となった事件である。一審は無罪。名古屋高裁もいったんは再審の開始を認めた。複数の裁判官が有罪に疑いをもった。

 弁護側が出した新証拠は、犯行に使われた農薬は、死刑囚が自白したものとは別だった可能性がある、というものだった。

 だが、最高裁は、再審を開くほどの証拠ではないと判断した。一方で、農薬が別物だった可能性は依然残る。再審を始めるのに必要な新証拠のハードルはどこまで高くすべきなのか、すっきりしない結論だ。

 最高裁は1975年、「疑わしきは被告人の利益」とする原則が、再審開始の判断にも適用されるとの決定を出した。その理念に立ち返り、再審のあり方を再考すべきではないか。

 確定判決は尊重されるべきだが、誤りだった場合は救済されねばならない。まして死刑になれば、取り返しがつかない。

 そもそも再審を始めるかどうかの審理は事実上、有罪か無罪かの判断に結びついている。だが、その手続きには具体的な規定が乏しく、裁判所の裁量が大きい。証拠の取り扱いや被告人の権利をめぐる公判のようなルールがなく、非公開のなかで判断されている。

 刑事訴訟法ができた当時、再審は例外的と考えられていた。だが75年の決定をうけ80年代、4件の死刑確定事件が再審で無罪となった。近年も、足利事件布川事件東電社員殺害事件など、再審無罪が相次いでいる。再審の可否をめぐる手続きについて整備すべきだろう。

 さらに、再審の可能性を見すえた証拠の保存や開示のあり方についても議論が必要だ。

 今回は、重要な証拠だった毒ブドウ酒が保存されていなかったため再鑑定できず、当時の鑑定方法も分からなかった。

 事件から時間がたつほど新証拠を見つけるのは難しくなる。一方で、DNA鑑定など技術の進歩により、証拠の価値は時とともに重みを変える。

 重要な証拠が検察側の手に埋もれていることもある。これまでの再審請求審では、裁判所が検察側に促して出てきた証拠が大きな役割を果たした。

 とりわけ死刑事件については、求められた証拠を確実に開示しない限り、刑の執行への理解は得られまい。
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http://www.asahi.com/paper/column.html?ref=com_top_tenjin、10月19日】

2013年10月19日(土)付
天声人語

 事件につけられた名称が、その時代と、流れた歳月を物語ることがある。たとえば「徳島ラジオ商殺し事件」はテレビ時代の到来前に起きた。「名張毒ブドウ酒事件」もブドウ酒という言葉が時代がかって響く。どちらも戦後の事件・裁判史に太字で刻まれるできごとだ▼ラジオ商事件では、故・富士茂子さんが夫殺しの汚名を着せられて懲役刑に服した。無実を叫び、事件から32年後に再審無罪が言い渡されたのは、富士さんが69歳で他界した後だった▼毒ブドウ酒事件の奥西勝死刑囚は87歳になり、人工呼吸器をつけた病床から無実を訴えている。事件はガガーリンが人類初の宇宙飛行をした1961(昭和36)年に三重県名張市で起きた。一審無罪、二審有罪をへて、死刑確定後の収容は41年におよぶ▼ようやく開きかけた再審の扉も、16日の最高裁の棄却で、また固く閉じられた。後になって証言者の偽りが分かったラジオ商事件とは状況は違う。しかし自白を軸に状況証拠と心証で下された裁きは、冤罪(えんざい)を生んできた一つの「型」といえる▼裁判官には専門家としての判断があろう。とはいえ、確定判決を守り抜くことで裁判の威厳が保たれるとは思えない。「疑わしきは被告人の利益にに徹してこそ、司法の高潔は保たれるのではないか▼弁護団は8次となる再審請求をするという。残された時間との戦いにもなろう。真実を知る身ではないけれど、「遅れた正義は無いに等しい」という言葉が、胸に浮かんでは消える。
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http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20131019-00029050/

名張毒ぶどう酒事件・最高裁の棄却決定に思う
江川紹子
2013年10月19日 16時27分

なぜ?今?

名張毒ぶどう酒事件で、最高裁が棄却決定を出したとの速報を見て、頭の中に大きな疑問符が浮かんだ。弁護団が最高裁に書面を出した、と聞いたばかりだったからだ。

  (小池義夫弁護士が描いた元気な頃の奥西勝さんの似顔絵。よく似ている)

検察官の主張に対する反論と、科学者3人の意見書や資料など、合わせて100ページほどを弁護団が投函したのは、9月30日という。最高裁に届いたのは10月1日だろう。再審請求棄却の決定は10月16日付。時間的に、弁護団の書面を吟味したり、議論したうえで判断した、とは思えない。

決定の内容を読んで、あ然とした。

焦点となっている毒物に関して、弁護側主張を検討した形跡がまったくないのだ。単に、検察側意見書によれば再審不開始の名古屋高裁決定は正しい、と言っているだけで、弁護側主張のどこが、なぜ違うのか、という理由にまったく言及していない。

そして、弁護人から決定が出るまでの経緯を聞いて、今度は呆然とした。

弁護団は書面を送付する際、裁判官と調査官の面会を求める上申書を提出していた。調査官とは、最高裁裁判官の仕事を補佐する役割で、地裁などで裁判官として実務経験豊富な判事が務める。

ところが何の音沙汰もないので、弁護団長の鈴木泉弁護士が10月11日に最高裁の担当書記官に電話をした。「調査官と裁判官に聞いて連絡します」と言われ受話器を置くと、わずか15分後に電話がかかってきた。「調査官、裁判官とも面会しないとのことです」という断りだった。

第7次再審請求で1回目の特別抗告審(最高裁第3小法廷・堀籠幸男裁判長)の時には、調査官が何度も面会に応じ、弁護団は難しい科学鑑定の中身を口頭で補足説明する機会を得ていた。ところが、今回の第1小法廷(櫻井龍子裁判長)では、調査官の面会も、ただの一度も実現していない、という。


裁判所の都合が優先

しばし呆然とした後、ようやく働き始めた私の頭でこれらの事実を咀嚼し、冒頭の疑問に自ら出した答えは、次の2つだった。

(1)最高裁にとっては、とにかく奥西勝さんが生きているうちに裁判所の結論を出すことが最優先だった。

(2)その結論、すなわち再審を開始しないという結果は、あらかじめ決まっていた。

奥西さんは昨年5月に名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)で再審開始を取り消す決定が出されてから体調が急激に悪化。6月に八王子医療刑務所に移されたが、今年5月には2度も危篤状態に陥った。第7次再審請求審は、以下のような経過を経て、すでに11年以上が経過していた。


2002年4月 第7次再審請求
  ↓
2005年4月 名古屋高裁刑事第1部(小出ジュン一裁判長)の再審開始決定
          注:「ジュン」はかねへんに、つくりは亨
  ↓
2006年12月 同高裁刑事第2部(門野博裁判長)の再審開始取消決定
  ↓
2010年4月 最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)の差し戻し決定
  ↓
2012年5月 名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)で再度の再審開始取消決定
  ↓
最高裁第1小法廷(櫻井龍子裁判長)


最初に再審開始決定が出ており、最高裁第3小法廷の判断も「科学的知見」を重視するものだっただけに、本人や弁護団が期待しているだけでなく、マスメディアからも島田事件以来の死刑再審かと大いに注目されていた。最高裁の結論が出る前に、奥西さんが亡くなるようなことがあれば、裁判所が批判にさらされるのは必至だ。

そんな事態を防ぐため、とにかく生きているうちに、再審を開くつもりはないという結論を示して第7次再審請求審を終わらせるーー明示的か暗黙のうちかは分からないが、これが、最高裁第一小法廷の基本方針だったのではないか。それでも、検察側主張に対する弁護側反論を待たずに結論を出すわけにはいかない。なので、弁護側の書面が届くのを待って、(「これでよろしいですね」という形ばかりの確認くらいはしたかもしれないが)あらかじめ用意してあった決定文を印刷し、発送したのだろう。

つまり、事案の真相解明とか、人の命や尊厳などより、裁判所の都合が優先された、ということだ。


結論ありき、が「普通」

再審は開かせないーー名張毒ぶどう酒事件の再審請求は、こうした裁判所の結論ありきの姿勢との戦いだった。

  (2012年5月、名古屋高裁の差し戻し抗告審の「不当決定」に憤る鈴木弁護士に)

たとえば、第5次再審請求審で、唯一の物証であったぶどう酒の王冠についた傷が奥西さんの歯型と一致するという有罪判決の認定は、木っ端みじんに打ち砕かれた。それでも名古屋高裁は、王冠の傷は奥西さんの歯型に類似しているという旧鑑定にも「それなりの証明力が認められる」とか「自白の補強証拠の一つとなりえないとはいえない」などと有罪方向での評価を与え続けた。

そもそも、証拠とされた王冠が、本当に事件に使われたぶどう酒のものだったかどうかも、疑わしいところがある。事件の現場となった公民館からは、証拠として出されている王冠以外にも、たくさんの酒類の王冠がみつかり、警察が押収し、検察に保管されている。再審弁護団の初代弁護団長は、「(王冠が)ざくざくあった」と述べていた。だが、それは未だに開示されていない。

第7次請求審で再審開始決定を取り消した門野決定は、「…ではないかと考えられる」「…のようにも思われる」「…も無視できないように思われる」「…としてもおかしくないように思われる」などと想像や推理、推測、憶測を幾重にも重ねて、科学者の意見を退けた。そして、「当然極刑が予想される重大犯罪であり、そう易々とうその自白をするとは考えられない」と、「自白」に寄りかかって判断をした。無実の人の虚偽「自白」や目撃者が虚偽や誤解に基づいた「証言」によって、これまでたくさんの冤罪が作られてきた教訓は、そこでは全く忘れ去られていた。

どれだけ有罪の事実認定が疑わしくなっても、とにかく確定判決を死守するという結論は動かないのだ。これが、多くの裁判官の対応だった。私には異常に思えたが、裁判所の世界では、これが「普通」なのだろう。


「普通」につぶされる「まとも」な判断

それでも、時々まともな裁判官は現れる

ここで私が言う「まとも」とは、

1)再審請求審においても、「疑わしきは被告人の利益にという刑事裁判の鉄則が適用される、とした白鳥決定を意識する

2)自白などの供述に頼るより、客観的な証拠、とりわけ科学的知見を重視する

という姿勢を意味している。

第7次再審請求審で再審開始を決定した小出コートは、1)の意味で「まとも」だったし、科学的知見を重視して判断をやり直すように求めた最高裁第3小法廷は、2)の意味で「まとも」だった。もちろん、いずれも弁護側の主張を丸飲みしたわけではない。たとえば小出決定は、それぞれの証拠の意味するところを的確に把握し、事実認定のうえで新たな視点を提供しているかどうかで採用不採用をきっぱり分別。そのうえで、確定判決に合理的な疑問が生じている以上、再審を開くべき、という明解な論旨だった。

ところが、そういう「まとも」な判断が出るたびに、それを他の「普通の」裁判官たちが潰しにかかる。その繰り返しだった。門野コートは自白に依存し、下山コートに至っては、検察官が主張もしていない化学反応を自ら考え出して、せっかく開きかけた再審開始の扉を、再び閉ざした。

その挙げ句の果ての、今回の最高裁の決定だ。

再審は、過去の裁判を見直す作業でもある。裁判所の判断が誤っていたかもしれない。見逃した事実があるかもしれない。そんな謙虚な姿勢で証拠を見直し、様々な意見に耳を傾けるのでなければ、間違った裁判は正せない。

残念ながら、今回の最高裁にそうした謙虚さは欠片も見られなかった。無辜を救済する使命感も全く感じられなかった。伝わってきたのは、「裁判所は間違わない」との無謬神話を維持する強固な意志と、裁判所の対面や都合を優先する姿勢ばかりだ。


裁判官は選べない。ならば…

   (毒ぶどう酒事件被害者の霊を慰める観音像)

私が名張事件と関わって、もう20年以上になる。その間、他の再審請求事件についても、取材をしたり、関心を持って見てきた。

確かに、足利事件、氷見事件(富山強姦・同未遂事件)、東電OL殺害事件などで再審無罪判決は出ている。ただ、これらの事件は、DNA鑑定や真犯人の逮捕によって、犯人が別人であることが明らかになったケースだ。そうでもなければ再審が開かれないのでは、冤罪の犠牲者を救うことは難しい。実際、冤罪と思われる事件でも、再審の扉はなかなか開かれず、いったん開かれた扉も、すぐにまた閉じられてしまう。

圧倒的多くの「普通」の裁判官が過去の裁判所の判断を見直したがらない中、時折「まとも」な裁判官が現れたり、「まとも」な判断がなされたりする。それは他の事件でも同じだ。

けれども、被告人も再審請求人も、裁判官を選ぶことはできない。格別に幸運で、「まとも」な裁判官や「まとも」な判断に続けて出くわせば、雪冤を果たせるかもしれない。けれども、そうでない多くの場合は、救われない。これが今の日本の司法の現状だ。

その結果、奥西さんは名古屋高裁の逆転死刑判決以来、44年間も獄につながれている。

かといって、裁判所が自ら変わっていく、ということは全く期待できない。ならば、これ以上「運」に任せるのではなく、こんな事態がまかり通っている仕組みを変えていくべきだ。

そこで提案が3つある。

1)現在の裁判で認められている程度の証拠開示を認める

今なら、名張毒ぶどう酒事件は、裁判員裁判対象事件となり、公判前整理手続きの過程で検察側の証拠が幅広く開示される。過去の冤罪事件では、検察側はしばしば、自分たちの筋書きに反する証拠を隠していきた。たとえば、東電OL事件では、被害者の口や胸部にゴビンダさんとは異なる血液型の唾液が付着していたことを、検察側は長く伏せてきた。布川事件では、犯人とされた2人とは違う男を被害者宅付近で見たという女性の証言が、やはり長く隠されてきた。

名張毒ぶどう酒事件は、検察側が証拠提出した関係者の調書類だけでも、不自然極まりない変遷がある。それ以外の調書や王冠の”発見”過程などが明らかになれば、事件の真相に近づくことができるかもしれない。

最近は、証拠開示に前向きな裁判官も出てきている。しかし、そういう裁判官に当たるかどうかは運次第。それではいけない。どんな裁判官に当たってもいいように、現在、裁判を行うのであれば認められる程度の証拠開示は、再審請求審でも認められるよう、制度として定めるべきだ。


2)検察官による異議申し立ては認めない

今回の最高裁決定は否定したが、「疑わしきは被告人の利益に」の原則を再審請求審でも適用するとした「白鳥決定」は、維持すべきだと思う。

名張毒ぶどう酒事件については、一審の津地裁は明解な無罪判決を書いている。そして、第7次再審請求審の名古屋高裁小出コートは、いくつもの論点を検討して、有罪判決に「合理的疑い」を抱いた。少なくとも、6人の裁判官が関わった2つの裁判体で、奥西さんを犯人とする検察主張や有罪判決に対し、「合理的疑い」を抱いた事実は大きい。

ましてや、死刑判決である。「合理的疑い」をさしはさむ余地が少しもないほどに有罪立証が固められていなければならないはずだ。それに対し、再審請求審において、3人の裁判官が「合理的疑い」を抱いた。この時点で、検察側の異議申し立ては認めず、すぐに再審を開いたらどうか。

現状では、事実上「再審開始=無罪判決」となっているため、いったん再審開始決定が出ても、検察官は異議を申し立てて、それを阻止しようと努める。その発想を変え、「再審開始=起訴時に戻って裁判をやり直す」として、検察側の主張はそのやり直し審で十分主張すればよい。裁判のやり方も、事件当時の訴訟法ではなく、現在の法律に基づいて行う。法制度は「改正」、つまりよりよく改められてきたはずで、何も以前の悪い制度で行うことはないだろう。

このようにすると、再審で有罪判決が出されることもありうる。それを承知の上で、検察側異議申し立てを認めずに、再審開始のハードルを少し下げることが必要だと思う。


3)再審請求審に市民が参加する

前述したように、「普通」の裁判官たちは、過去の裁判所、すなわち先輩たちがなした判断の間違いを正すことに、非常に消極的である。間違いを認めると、裁判所の権威に関わるとでも思っているらしい。

そうであるならば、過去の裁判所の間違いを正す機会を作る役割を、職業裁判官たちに任せたままにしておくことは、間違いなのではないか。

裁判をやり直すかどうかの判断には、過去の裁判所に何のしがらみもない市民が関わるべきだ、と私は思う。市民だけで判断をする検察審査会方式にするのか、裁判官により多くの市民が加わる裁判員方式がいいのかは議論すればよい。いずれにしても、再審の扉を開く鍵を、裁判所だけに託しておくことは、人の道に反している、とすら思う。


大きくうなずいた奥西さん

奥西さんには、17日のうちに弁護士2人が結果を伝えた。気管を切開していて、言葉を語ることはできないが、この日の意識は清明で、右手をやや上げて弁護士を迎えた、という。2弁護士によると、状況は次のようなものだった。

伊藤和子弁護士が、奥西さんの右手を握った。野嶋真人弁護士が、こう切り出した。

「最高裁の決定が届きました」「僕らの力が及ばず、ごめんなさい」

これで全てを察した奥西さんは、石のように固まって、うつろな表情で天上を見つめた。「僕らは絶対諦めません」「弁護団はこれからも今まで以上にがんばる」「次の準備をしています」…

2弁護士がそう繰り返し呼びかけると、奥西さんはうなずいた。

「8次(再審請求)をやりますよね」

野嶋弁護士の声に、2度、うなずく奥西さん。

   (八王子医療刑務所に移ってからの奥西さんの似顔絵。小池義夫弁護士が描いた)

「僕らを選任してくれますか」

さらに大きなうなずきが返ってきた。そして、必死に何か喋ろうと口を動かす。しかし、声にはならない。野嶋弁護士が口元に耳を寄せたが、聞きとることはできなかった。

以前は、面会のたびに、「皆さん、ありがとう。がんばります」と言葉が返ってきた。野嶋弁護士が「『ありがとう。がんばります』と言ってくれているのですか?」と聞いた。奥西さんは、やはり大きくうなずいた。

裁判所や法務当局は、奥西さんの獄中死を待っているのかもしれない。それに抗うかのように、奥西さんは懸命に命の灯火をともし続けている。

制度を変えるには時間がかかるだろう。

だが、奥西さんの命の時間はそう長くない。

本当に、なんとかならないものだろうか。

弁護団は、急ピッチで第8次再審請求の準備を進めている、という。
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●「アベノミクスに騙されないための政治経済学」『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号)

2013年04月01日 00時00分25秒 | Weblog


週刊金曜日』(2013年3月29日、937号)について、最近のつぶやきから、AS@ActSludge

 今週のブログ主のお薦めは「山口正紀さん【冤罪の責任を問う裁判報道を 映画約束』から】」

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■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / ただ今到着。【アベノミクスに騙されないための政治経済学】。田中龍作http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%C5%C4%C3%E6%CE%B6%BA%EEさん【安倍政権が脱原発拠点に攻撃 国が経産省前テント撤去に向け仮処分命令】。九電前テントも心配

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / 明石昇二郎http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%CC%C0%C0%D0%BE%BA%C6%F3%CF%BAさん【東電刑事告訴・10万人の署名を提出 「東電本店の家宅捜査を」】、「検察は人手が足りないのか?」

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / 三宅勝久http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%BB%B0%C2%F0%BE%A1%B5%D7さん【原発スラップ訴訟第7回口頭弁論 豊かな東電人生紹介】、田中稔http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%C5%C4%C3%E6%CC%AD)氏への原発スラップ

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / 宇都宮健児http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%B1%A7%C5%D4%B5%DC%B7%F2%BB%F9さん【風速計/弱者を切り捨てる安倍政権】、「防衛費を11年ぶりに四〇〇億円増額する一方で・・・」。消費税増税なんかせずに、防衛費こそもっと削れ!!

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / 【村岡和博の政治時評/TPP参加で日本の主権を譲りわたそうとする安倍首相が「主権回復」を祝うというのか】(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%BC%E7%B8%A2%B2%F3%C9%FC)、「沖縄切り捨ての歴史を直視するどころか、さらに目をそむけようという意識が露わだ」

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / 佐高信http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%BA%B4%B9%E2%BF%AEさん【抵抗人名録23/鈴木邦男】(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%CE%EB%CC%DA%CB%AE%C3%CB)、「「警察に取り締まられる右翼」と「取り締まられない右翼」」。「とある暴力集団」なんて後者の典型

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / 矢崎泰久http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%CC%F0%BA%EA%C2%D9%B5%D7)さん【発言2013】、「安倍ゾンビ内閣には、つくづく腸が煮えくり返る思いがする。「市街地にある普天間基地は一刻も早くなくさねばならない」という反吐までまき散らして憚らない」・・・

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / ・・・矢崎泰久さん、「あの3・11の最大の教訓は、原発廃止に決まっている。それが出来ない内は、・・・権力にノーを・・・やってはならないことより、やらなくてはならないことが山ほどある。・・・直ちにやって解散総選挙をやれ!」

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / 今週のおすすめ記事。山口正紀さん【冤罪の責任を問う裁判報道を 映画『約束』から】、氷見事件http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%C9%B9%B8%AB%BB%F6%B7%EF)で無実の人を有罪にした中牟田博章裁判長が「再審請求を審理する資格があるのか」? ・・・

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / ・・・「また同じことが起きた。小沢一郎氏の元秘書三人・・・飯田喜信裁判長は・・・ゴビンダさんの控訴審で・・・逆転有罪判決・・・司法記者の間では「常識」だ。・・・報道は、「裁判長の誤認暦」に、全く触れなかった」(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%C8%D3%C5%C4%B4%EE%BF%AE)・・・

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / ・・・「司法記者にぜひ見てほしい映画がある。『約束 名張ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』」(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%BB%E0%B7%BA%BC%FC%A4%CE%C0%B8%B3%B6)。迂闊にもタイトルの意味を今頃理解。再審開始決定取り消し門野博裁判長。元「齋藤記者怒りが、観客の胸にまっすぐ届く」

■『週刊金曜日』(2013年3月29日、937号) / 平井康嗣【編集長後記】、「「アベノミクス」だと、バブルを煽ろうとしているのは誰なのか。今それをよく見ておく絶好の歴史的機会だ。・・・メディアや代理店は・・・消費や投機に手を出すよう世間の焦燥感を煽っている」。賛成(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%C3%DD%C3%E6%CA%BF%C2%A2
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●『冤罪ファイル(2010年10月号)』読了

2011年02月05日 01時03分13秒 | Weblog

冤罪ファイル』(冤罪File)(No.11、2010年10月号)、1月に読了。

 里見繁氏、「布川事件再審公判傍聴記 ――確定判決から30年余りの時を経て、今ようやく再審の幕が開いた――」(pp.44-51)。「この事件を一言で言えば「検察の証拠隠し」である。最新請求の審理の過程で百件を超える隠蔽証拠が開示された。・・・。一審から最高裁、再審請求の地裁から最高裁、合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない」。「ところが警察と検察は、桜井さん、杉山さんの二人に結びつかない証拠はすべて隠した」。桜井昌司さんと杉山卓男さん。

 編集局、「覚せい剤密輸事件 全国初の裁判員裁判無罪判決」(pp.72-79)。「目的がアヤフヤな裁判員制度」。目的は、現代の赤紙(アカガミ)。「国民は、・・・国家への過度の依存体質から脱却し、自らのうちに公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めて行くことが求められている」だってさ。「日本人の甘ったれた、お上任せの受け身体質を叩き直してやると、国が父性的に宣言しているかのように映る。・・・。/・・・裁判員制度の推進者は「つべこべ言わずに、呼び出されたら参加すべき。だから参加せよ」・・・」、あ~・・・。

 「特急あずさ号事件」裁判のいい加減さ。長嶺超輝氏、「特急あずさ号 再審慣例の怪」。第一審では無罪。財布抜き取りで因縁。冤罪被害者柳澤広幸さんの声に真摯に耳を傾け、「東京簡裁の浅見牧夫裁判官(当時)は、職権によって自称〝被害者〟の男女から直接話を聞く決定をした。/・・・。/さらに浅見判事は、自ら現場検証に臨む異例の決断をし、・・・。結果、自称〝被害者〟らの供述が、客観的な状況とことごとく矛盾していることに気づく」。ところが、控訴審・上告審では有罪。「司法は、こんな低レベルなことをやっているのか」。反省がないって、「・・・本来、濡れ衣を着せられた人にとって「反省する」「謝罪する」などの選択肢は」ある訳がない。最高裁までが二審の実刑判決を支持する始末で、なんと柳澤広幸さんは収監! 東京高裁植村立郎裁判長が検察に媚を売る有罪判決を出し、最高裁もそれを支持するというムチャクチャ。再審請求をその植村裁判長が「自分の判断を、自分で裁くというナンセンス」。

 池添徳明氏(pp.102-109)。東京地裁「・・・門野博裁判長・・・は、警察官の取り調べメモの証拠開示を検察官に命じる決定を出している(2007年11月8日)」。「日本の裁判官は上(最高裁)の方ばかり見ているヒラメ裁判官がほとんどだ」。「ちなみに、東京高裁刑事4部の倍席には川口政明裁判官がいる。強制執行妨害罪に問われた安田好弘弁護士に対し、一審の東京地裁の裁判長として無罪判決を言い渡し、「取り調べには不当で強引な誘導があった。検察官の態度はアンフェアだった」と指摘した人物だ」。
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