東京新聞の社説【週のはじめに考える 断頭台を捨てるまで】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018122402000149.html)。
東京新聞のシリーズ記事【<死刑を考える>(上) ~オウム事件より~】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122702000137.html)と、
【<死刑を考える>(中) ~囚人とその家族~】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122802000173.html)と、
【<死刑を考える>(下)~飯塚事件より~】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122902000121.html)。
《二〇一八年は、十三人の死刑執行でオウム真理教の一連の事件に幕が引かれた年と記憶されることになるでしょう。死刑を見つめ直す時が来たのでは。…果たして死刑は何を守るのか。》
《今年七月、オウム真理教の死刑囚十三人全員の刑が執行された。世界で死刑廃止の流れが進む中、大量執行は国内外に大きな衝撃を与えた。だが、国内ではその後、死刑制度の存廃を巡る大きな議論にはつながっていない。このままでいいのか。関係者を訪ね歩き、考えた》。
『●死刑存置賛成派と飯塚事件』
「死刑存置がこんなに多い国って他にあるのか?
「死刑容認85%って本当?」 フランスかどこかでは1件の無実者の死刑で、
死刑廃止を決断した、と聞いた。我国は、飯塚事件の久間三千年さんに
どう責任を?」
『●青木理さん「供述が立証の柱…もっと物証が欲しい。
「通信傍受を縦横無尽に使いたい。司法取引も」と…」』
《共謀罪を導入しても、テロが起きる可能性はある。そのときが怖い。
社会がファナチック(狂信的)になり、メディアや社会も一緒になって
「もっと捕まえろ」「もっと取り締まれ」と暴走するのではないか。
オウム事件を取材していた時を思い出す。警察はあらゆる法令を
駆使して信者を根こそぎ捕まえた。当時、幹部が「非常時だから、
国民の皆様も納得してくれる」と話していた》
『●「このまま死刑執行されてオウム事件は終わり、
ということにされていいの」? 真相・全貌は解明されたか?』
『●「7人に死刑を執行する前日に乾杯する総理大臣と法務大臣…
これがこの国のグロテスクな現状なのだ」』
《そもそも、「死刑があればそれを恐れて凶悪犯罪が減少する」という
“抑止効果論”も、「根拠がない」というのが世界の共通認識だ。たとえば、
1981年に死刑を廃止したフランスの統計でも廃止前後で殺人発生率に
大きな変化はなく、1997年12月に1日で23人が処刑された韓国に
おいてもやはりその前後で殺人発生率に違いはなかったという調査報告が
なされている。他方、人口構成比などの点でよく似た社会といわれる
アメリカとカナダを比較すると、死刑制度を廃止して40年が経つカナダの
方が殺人率は低いというデータが現れている》
『●オウム死刑囚十三人を処刑…《死刑を忠実に
実行しているのは日本だけ》という野蛮さぶりを世界に喧伝』
『●オウム死刑囚大量執行…アベ様や上川陽子法相は
「前夜祭」を催し、死刑さへも「サーカス」に使う悪辣さ』
《赤坂自民亭》の酔いちくれぶりや、一部マスコミの異常なハシャギぶり、思い出すだけでも気分が悪い。《死刑を忠実に実行しているのは日本だけ》、本当に何もかも嫌になるニッポン。さらには、飯塚事件の久間三千年さんにどう責任をとるつもりなのか?
『●飯塚事件の闇…2008年10月16日足利事件の
再鑑定で死刑停止されるべきが、10月28日に死刑執行』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018122402000149.html】
【社説】
週のはじめに考える 断頭台を捨てるまで
2018年12月24日
二〇一八年は、十三人の死刑執行でオウム真理教の一連の事件に幕が引かれた年と記憶されることになるでしょう。死刑を見つめ直す時が来たのでは。
時計の針を戻してみます。
人権宣言の国であることを思えば意外な気もしますが、フランスは一九七〇年代、西ヨーロッパでは唯一、昔ながらの死刑制度を残す国になっていました。
民主主義国家では例外的な死刑存置国となっている今の日本と似たような状況にあったといえるかもしれません。では、何がフランスを変えたのでしょう。
◆革命とともに生まれ
人権宣言と同じように、その死刑制度は一七八九年に始まるフランス革命と深い関係があります。
革命までは、フランスの死刑は平民には絞首刑、貴族階級に限って斬首刑が適用されていたようです。身分や貧富に関係なく、無用の苦痛を与えず名誉ある斬首刑を執行できるという断頭台、つまりギロチンが提案されたのは革命勃発後の議会でした。一七九二年以降、死刑はギロチンで執行されることになります。
国王ルイ十六世も王妃マリー・アントワネットも、革命の指導者だったロベスピエールもダントンも、あるいは市井の犯罪者も、同じようにギロチンで首をはねられました。革命とともに生まれたギロチンは、結局、一九七七年まで使われ続けます。
他方、死刑廃止を求める動きも革命勃発直後から現れています。議会に初めて死刑廃止の要求が出されたのは一七九一年のことでした。その後、数えきれぬほどの政治指導者や文化人が死刑廃止を求めて声を上げてきました。
例えば「レ・ミゼラブル」のビクトル・ユゴー。あるいは「異邦人」のアルベール・カミュ。
百九十年に及ぶ存廃論議に終止符を打って死刑が廃止されたのは一九八一年のことでした。
◆世論の過半は死刑賛成
時の法相だったロベール・バダンテール弁護士の回想録「そして、死刑は廃止された」(藤田真利子訳、作品社)が、その経緯を教えてくれます。
第二次大戦後、西欧諸国が相次いで死刑を廃止し、死刑廃止と犯罪発生率には関係がないことが明らかになってきました。それでもフランスでは、特に子どもが犠牲になる凶悪犯罪が起きるたびに死刑を求める世論が強まる、という状況が続いていました。
つまり死刑廃止は、選挙に勝たねばならぬ政治家にとって、触れたくない課題だったわけです。
八一年の大統領選は、最終的には中道右派の現職ジスカールデスタン氏に左派のミッテラン氏が挑む構図となりました。候補者は死刑への姿勢も問われることになります。直近の世論調査では、63%が死刑賛成でした。
私的な場では死刑に嫌悪感を示していたジスカールデスタン氏でしたが、テレビ番組では「フランス国民を代表して統治するわけですから、国民の気持ちに逆らう権利はないものと考えます」。つまり、動くつもりはない、と。
逆に、ミッテラン氏は「世論の過半は死刑に賛成ですが、私は良心に基づいて死刑に反対します」と、姿勢を鮮明にしたのです。
当選したのはミッテラン氏でした。新大統領は、死刑廃止の論客として知られたバダンテール氏を法相に起用し、死刑廃止法案をまとめさせました。法案は大統領与党の左派議員のみならず、野党となった右派からも相当数の議員が賛成に回って可決された。こうしてフランスはギロチンを引退させたのです。
日本では、一九八九年からしばらく死刑執行が途絶えた時期がありました。死刑をめぐる議論が深まる兆しも見えたのですが、九三年に執行が再開され、さらに、オウム真理教の一連の事件が起きて死刑廃止の機運は吹き飛んでしまいました。
内閣府の世論調査で「死刑やむなし」は、九四年の74%からオウム事件後の九九年には79%に。直近の二〇一四年調査では80%でした。さて、今後はどう動くのか。
国会に今月、死刑制度の是非を議論する超党派の議員連盟「日本の死刑制度の今後を考える議員の会」が誕生しました。休眠状態だった旧死刑廃止議連の再出発で、約五十人が参加するそうです。
◆政治的勇気が動かす
かつてのフランスと事情は同じでしょう。世論調査の数字を見れば、決して選挙向きの課題ではありません。それでも、良心に基づいて死刑廃止を考えようというのであれば、その志を大いにたたえたいと思います。果たして死刑は何を守るのか。議論が深まることを期待します。
「事態を動かしたものは政治的勇気だった」。バダンテール氏の言葉です。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122702000137.html】
<死刑を考える>(上) ~オウム事件より~
2018年12月27日 朝刊
(オウム真理教の麻原彰晃元死刑囚と東京拘置所の刑場=コラージュ)
今年七月、オウム真理教の死刑囚十三人全員の刑が執行された。世界で死刑廃止の流れが進む中、大量執行は国内外に大きな衝撃を与えた。だが、国内ではその後、死刑制度の存廃を巡る大きな議論にはつながっていない。このままでいいのか。関係者を訪ね歩き、考えた。
数十年前の冬の朝、静まり返った東京拘置所の刑場。刑務官が、目隠しされた男の首に太いロープをかけた。幹部職員が手を上げたのを合図に、別室の刑務官三人が三つのレバーを同時に引く。「バーンッ」。男の体重を支えていた一メートル四方の踏み板がはじけるように開き、体が床下に消えた。
落下の反動で、ロープが振り子のように大きく揺れる。執行に立ち会っていた元刑務官の野口善国弁護士は、両手でロープを固く握り、動きを止めた。床下をのぞくと、医務官が男の胸に聴診器を当てていた。
野口弁護士は「心臓がドクン、ドクンと動いていた。今ならまだ助かると思った」と振り返る。人の命を奪った強盗殺人犯の最期。「正義の実現とはいえ、人が人を殺す現場だった」。その音と光景は、今も脳裏に焼き付いて離れない。
「この日、この時が来ました。長い道のりだったけれど…」。オウム真理教元代表の麻原彰晃元死刑囚=執行時(63)、本名・松本智津夫=の刑が執行された今年七月六日、静岡県掛川市の小林房枝さん(76)が日記にこう記した。一九九四年六月の松本サリン事件で次男豊さん=当時(23)=を奪われた。
一貫して求めてきた死刑。「何の罪もない息子が殺された。死刑で責任を取らせたいと願うのは、遺族として当然です。できることなら、刑場で執行のボタンを押したいくらいだった」と死刑存続を強く願う。
同事件で長男の友視さん=当時(26)=を亡くした千葉県南房総市の伊藤洋子さん(78)も、早期の執行を望んできた。執行後は報道各社の取材に「一つの区切りがついた。ほっとした」と繰り返した。
だが、月日が過ぎ、自分にそう言い聞かせたかっただけなのかもしれない、と思うようにもなった。「死刑で息子が生き返るわけではなく、悲しみや苦しみも全く消えなかった」と、別の思いも交錯する。
八九年十一月の弁護士一家殺人事件で、同僚の坂本堤さん=当時(33)=を殺害された岡田尚弁護士はもともと、死刑反対の立場だった。しかし事件後、「安易に反対と言うのが正しいのか」と自問自答を繰り返すようになった。
当時、検事から被害者側の関係者として取り調べを受けたことがある。供述調書に押印する段階で、「当然、(求めるのは)極刑でよろしいか」と問われ、返答に詰まった。考えた末、「厳罰で」と逃げた。
「自分が人権派弁護士のファッションとして、死刑反対を唱えていただけだと感じ、ショックだった」。その後、死刑についての議論を避けるようになった。
死刑制度への態度が固まるきっかけは、皮肉にも、同僚をあやめたオウム元幹部たちの大量執行だった。岡田弁護士は「国家が十三人もの命を奪い去った。目が覚めた。執行後も心は晴れない。やはり死刑は野蛮な行為だ」と語り、こう続ける。
「事件で被害者の命が奪われたが、死刑も命を取るという意味では全く同じ。違うのは、その主体が国家だということです」
(この連載は、奥村圭吾、蜘手美鶴が担当します)
【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122802000173.html】
<死刑を考える>(中) ~囚人とその家族~
2018年12月28日 朝刊
(高橋和利死刑囚との写真を手にする妻の京子さん=横浜市戸塚区で)
十月二日発足の第四次安倍改造内閣の法相ポストに、オウム真理教元幹部十三人の死刑執行を命じた上川陽子氏の名前はなかった。後任の法相となったのが元検察官の山下貴司氏。就任後の記者会見で「死刑もやむを得ない」と述べていた。
東京拘置所に収監中の伊藤玲雄(れお)死刑囚(44)は翌三日、こんな手紙をしたためている。<根っからの検事畑の人種で、どうにもならないのか。逆に、エリートとしての法や権力への節度が期待できるのか><死刑行政にどの程度影響があるのかも判断がつかない>-。
あいさつもそこそこに、新法相の死刑へのスタンスを探る文言が並んでいた。手紙を受け取った大河内秀明弁護士(76)は「なんとか死刑を回避したい」という強い焦りを感じ取った。
伊藤死刑囚は二〇〇四年に東京都内で起きた架空請求詐欺グループの仲間割れ事件で、四人を殺害したとして殺人罪などに問われ、一三年に死刑が確定した。
度重なる手紙からは<一刻も早い再審請求を><危機感をもって捉えていかないと、取り返しがつかないことになる>と刑執行を何とか回避したい思いが透ける。一五年一月、請求していた恩赦も「不相当」に。今は、明日が最期かも、とおびえる生活を送る。
大河内弁護士は「本人は『自分の意志が弱く及んでしまった犯行。筆舌に尽くせないような悔恨が残り、つぐなっても、つぐないきれない』と深く反省している。それでも生きたいという思いは消せないのだろう」と心情をおもんぱかる。
だが、事件で息子を殺された東京都杉並区の無職山口斌郎(しげお)さん(75)は「命で罪を償うのは当然。生きているうちに執行してもらい、息子に報告したい」と切り捨てた。
東京拘置所には、大河内弁護士が弁護人を務める死刑囚がもう一人いる。一九八八年、横浜市鶴見区で金融業の夫婦を殺害し、現金を奪ったとされる高橋和利死刑囚(84)。「死ぬのは怖くない。でも汚名を着せられたまま死ぬのは無念」が、支援者の岩生美鈴さん(58)らへの口癖だ。
捜査段階で「ここで仮に認めても、やってないのなら裁判で無罪になる」と迫られ自白。公判では否認に転じ、今は再審請求審で争う。
<面会ありがとう。遠かったでしょう><足や緑内障の具合はどう>。妻の京子さん(84)に宛てた手紙には、相手の身を案じる言葉ばかりが並ぶ。
三十代で結婚。訳があって、京子さんのおい二人を家族同然に育て上げた。捨て犬を動物病院に連れて行ったこともあった。京子さんは「生き物の命を大切にする人。人を殺すような人間ではない」と信じる。
事件後、京子さんの周りからは人がいなくなった。同じ趣味の友だちも、お金を貸してあげた知人も。隣家から「のぞいたでしょ」と言いがかりをつけられたこともあった。
長年連れ添った夫と離れ離れになって三十年余り。「いつ執行があってもおかしくない」と覚悟しつつ、ふいに不安が強まることもある。「もしかしたら明日かも」と。
【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122902000121.html】
<死刑を考える>(下)~飯塚事件より~
2018年12月29日 朝刊
(久間三千年元死刑囚、関係者提供=が妻に宛てた無罪を訴える手紙)
「私はまだ死刑確定の新参者。時間はあるから、慌てなくてもいいですよ」
二〇〇八年九月、暑さが残る福岡拘置所。その日の死刑囚はいつもより明るかった。面会室のアクリル板越しに、弁護人らに見せたA4判の紙。確定順に死刑囚の名前が並ぶ中、自身の名前は後ろの方に記されていた。
再審請求の準備を焦る弁護人をなだめるように、「私はやってないから、必ず罪は晴れます」。しかし、この面会から三十九日後、久間三千年(くまみちとし)死刑囚の刑は想定外の早さで執行された。七十歳だった。
一九九二年二月、福岡県飯塚市で登校中の女児二人=いずれも当時(7つ)=が誘拐され、殺害された通称「飯塚事件」。直接的な証拠がない中、久間元死刑囚は事件から二年七カ月後に逮捕された。「一切やっていない」。ただの一度も自白しなかった。
だが、被害者の遺留品が見つかった山間部では、車で通りがかった男性が路肩に止まった車と男を目撃していた。タイヤのホイールキャップのラインや、窓ガラスの色つきフィルム、後輪のダブルタイヤ…。すれ違ったわずか数秒で十数個の特徴を言い当てた。証言はいずれも久間元死刑囚の車を指していた。
一審福岡地裁は「犯人であることは合理的な疑いを超えて認定できる」と死刑を言い渡した。当時は画期的とされたものの、精度が低く、後に足利事件などの冤罪(えんざい)につながった旧式のDNA型鑑定も判決を支えた。〇六年十月、刑は最高裁で確定した。
飯塚市から約二十キロ離れた現場の山間部は、狭い国道が山を縫うように走る。記者が車で現場を通ったが、カーブに次ぐカーブで前方から目が離せない。仮に不審な車が止まっていたとしても、細かく観察できる自信はなかった。
「取り返しがつかんなと思った」。一審から弁護人を務める岩田務弁護士(73)が、執行の日を振り返る。
当時、死刑は確定から執行まで五、六年かかるのが一般的で、約二年で執行されるのは予想外だった。DNA型鑑定に誤りがあることを示そうと、再審請求に必要な新証拠を探している最中だった。
結局、再審請求は刑の執行から一年後の〇九年に申し立てた。福岡地裁、福岡高裁とも再審開始を認めず、弁護団は今年二月、最高裁に特別抗告している。
久間元死刑囚の刑が執行されてから今年で十年。女児たちの通った小学校は今春、廃校になった。女児の捜索に加わった近所の男性(82)は「結局、何があったのかは誰にも分からん」。久間元死刑囚の妻は事件後も引っ越すことなく、今も当時の家で暮らす。
<真実有れば、自信を持って闘えるのが強み><冤罪を雪(そそ)ぐことができずに残りの生涯を屈辱に苦しんで生きることになったら、その方が辛(つら)いのです>
久間元死刑囚が妻に宛てた手紙からは、自身の疑いを晴らしたい思いがにじむ。久間元死刑囚がこの言葉を妻に直接伝える機会は、もう訪れない。
(この連載は、奥村圭吾、蜘手美鶴が担当しました)
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