(2021年01月03日[日])
一瀬圭司記者による、西日本新聞のコラム【ある朝、突然死刑台に 一瀬圭司】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/675748/)。
《改めて言うが、国がどんな基準でその順番を決めているのか、さっぱり分からない。冤罪(えんざい)の可能性を慎重に判断しているつもりかもしれないが、人選が正しいかは検証不可能である》。
免田栄さん《朝は「針一本落としても聞こえるくらい静か。今日も誰かが召されると思うと体がぎゅーっと緊張した」と目をつむった》そうだ。ましてや、飯塚事件の久間三千年さんは…。《森雅子法相…回答はにべもなかった。「個々の事項については答えを差し控える。慎重な検討を経て執行命令を発した」》。〝急いで〟久間さんの死刑を執行した、当時の法相は……「『●飯塚事件冤罪者を国家が死刑執行、「この重すぎる現実」: 無惨…「死刑執行で冤罪を隠蔽」』…冤罪者を死刑! 警察・検察・裁判所はどう責任をとるつもりだろうかか? 「死刑執行命令を下したのは、麻生内閣の森英介法務大臣(当時)」、飯塚は麻生太郎氏の「地元」だ。冤罪死刑に係わった者たちは、何の贖罪の気持ちもわかないのだろうか?」
『●NNNドキュメント’13:
『死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”』』
『●①飯塚事件冤罪者を死刑執行:「死刑存置か?
廃止か?」…話題にも上らない、死刑賛成派8割なニッポン』
『●②飯塚事件冤罪者を死刑執行:「死刑存置か?
廃止か?」…話題にも上らない、死刑賛成派8割なニッポン』
『●飯塚事件冤罪者を国家が死刑執行、「この重すぎる現実」:
無惨…「死刑執行で冤罪を隠蔽」』
『●死刑存置賛成派と飯塚事件』
「死刑存置がこんなに多い国って他にあるのか?
「死刑容認85%って本当?」 フランスかどこかでは1件の無実者の死刑で、
死刑廃止を決断した、と聞いた。我国は、飯塚事件の久間三千年さんに
どう責任を?」
『●飯塚事件の闇…2008年10月16日足利事件の
再鑑定で死刑停止されるべきが、10月28日に死刑執行』
『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…』
《◆世論の過半は死刑賛成 時の法相だったロベール・バダンテール
弁護士の回想録「そして、死刑は廃止された」(藤田真利子訳、
作品社)が、その経緯を教えてくれます。…逆に、ミッテラン氏は
「世論の過半は死刑に賛成ですが、私は良心に基づいて死刑に
反対します」と、姿勢を鮮明にしたのです》
《裁判員として市民が死刑判断に加わる時代》…《死刑のスイッチ》を押させられる恐ろしい時代に。
『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい』
『●手遅れ!! ~死刑のスイッチを押すことと死刑執行~』
『●「裁判員制度」の下での「死刑制度」存置支持』
『●それは、職業裁判官の怠慢にすぎない』
『●裁判員制度下で少年死刑判決』
『●裁判員の心を慮る・・・』
『●そのスイッチを押せない』
『●『きみが選んだ死刑のスイッチ』読了(1/2)』
『●『きみが選んだ死刑のスイッチ』読了(2/2)』
『●それは、職業裁判官の怠慢にすぎない』
『●なぜ〝素人〟裁判官に「死刑のスイッチ」を押させる
必要があるのか、さっぱり理解不能…国は一体何を意図?』
『●死刑で何か解決しますか? なぜ〝素人〟裁判官に「死刑のスイッチ」を
押させる必要が? 「鏡」に映る姿を見なくていいの?』
=====================================================
【https://www.nishinippon.co.jp/item/n/675748/】
ある朝、突然死刑台に
一瀬圭司
2020/12/22 11:00
クリスマスソングが街にあふれるこの時期、法務省の担当記者は毎朝身構える。近年、歳末の死刑執行が恒例となりつつあるからだ。昨年は仕事納めの前日、福岡一家4人殺害事件(2003年)の中国人死刑囚の刑を執行した。
なぜこの時期なのか。中国人死刑囚の刑死を発表する森雅子法相の記者会見に出席したが、回答はにべもなかった。「個々の事項については答えを差し控える。慎重な検討を経て執行命令を発した」
そもそも国は死刑制度自体の情報開示に消極的だ。「死刑囚の心情の安定」が理由とされる。10年に東京拘置所の刑場を報道機関に公開したものの、執行する死刑囚の選び方や処遇の実態はベールに包まれたままである。
一端を知りたいと数年前、免田栄さん=5日死去、享年95=を福岡県大牟田市の自宅に訪ねた。獄中で34年を過ごし、死刑囚として戦後初めて「死刑再審」で無罪を勝ち取って30年が経過していた。
当時87歳、かつては険しかったであろう眼光が柔和になる一方、拘置所での記憶は鮮明だった。執行は朝、突然告知されるのが通例。だから朝は「針一本落としても聞こえるくらい静か。今日も誰かが召されると思うと体がぎゅーっと緊張した」と目をつむった。
「刑務官も人間。死刑囚を連れて行くときの表情は真っ青で、ろう人形みたいやった」。前日までに執行を告知していた時代があり、1975年に隣の舎房にいた死刑囚が執行前日に自殺したことで当日朝の告知に変更された、とも。「生き証人」の体験から、ともすれば無機質に遂行されているようにも感じられる執行の現実を垣間見た。
現在、執行は法定の「6カ月以内」をはるかに超えることが常態化。人選は官僚の起案とされるが、特定の人物について検討するよう指示したと証言する法相経験者もいた。
改めて言うが、国がどんな基準でその順番を決めているのか、さっぱり分からない。冤罪(えんざい)の可能性を慎重に判断しているつもりかもしれないが、人選が正しいかは検証不可能である。
社会に戻り37年、免田さんは裁判には誤判がつきまとうことを講演会や著書で訴えた。その間、幾度も司法制度は改革され、裁判員として市民が死刑判断に加わる時代になった。死刑に対する立場は種々あるにしても、市民間で議論するには情報があまりに乏しい。「人権だ、民主主義だと言いながら、取り残された最大の問題が死刑制度ではないか」。遺(のこ)した言葉は、変わらぬ国の「秘密主義」を問い続ける。 (社会部)
=====================================================
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます