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●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》

2019年05月03日 00時00分46秒 | Weblog


日刊ゲンダイの八木澤高明氏による前編記事【「告白」あの事件の当事者/袴田事件<前編>ボクサーはチンピラ…イメージで逮捕されて】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/247385)と、
後編記事【「告白」あの事件の当事者/袴田事件<後編>姉・秀子さんは人生を弟のために捧げた】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/247853)。

 《1966年6月30日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件の元被告人として死刑判決を受けた袴田巌さんは、お姉さんの秀子さんや支援者とともに冤罪を訴え続けている。2014年に釈放されるが、再審請求は18年に高裁で棄却された》。
 《「私と亡くなった母親は、ずっと巌が無実だと信じ続けてきましたよ」 そう語るのは、1966年に起きた一家4人の強盗殺人放火事件で逮捕され、2014年に東京拘置所から釈放された袴田巌さんの姉・秀子さんである》。

 袴田秀子さんは、《ボクシングに対する偏見…チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》と言います。《それにもかかわらず、巌さんは48年も収監された》。そして、《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁。
 アベ様が三権の長を気どるニッポン。全知全能の神が如く「森羅万象を担当」するアベ様だもの。三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。

   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
    《一九八五年の松橋(まつばせ)事件(熊本県)の再審が決まり、
     殺人犯とされた男性は無罪となろう。決め手の新証拠は何と
     検察側から出てきた再審における証拠開示の明確なルールづくりが
     必要だ。…一つはやはり自白を偏重する捜査の危うさ…もう一つは
     証拠開示の在り方…さらに検察が常に抗告する姿勢の問題だ》

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/247385

「告白」あの事件の当事者
袴田事件<前編>ボクサーはチンピラ…イメージで逮捕されて
2019/02/13 06:00

     (撮影・八木澤高明)

 1966年6月30日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件の元被告人として死刑判決を受けた袴田巌さんは、お姉さんの秀子さんや支援者とともに冤罪を訴え続けている。2014年に釈放されるが、再審請求は18年に高裁で棄却された。

 巌さんと秀子さんに話を聞くため、浜松まで足を運んだ。駅から歩いて15分、2人が暮らすマンションに着いた。

 14年に釈放された巌さんは、今も拘禁状態の後遺症で満足に話すことができない。

 通していただいた応接間の隣には、巌さんが過ごす部屋がある。南向きで日当たりが良く、壁には巌さんが好きだという花が常に飾られている。私が訪ねた時、巌さんは椅子に腰掛けて、外を眺めていた。

 事件が起きたのは、66年6月30日未明のことだった。みそ製造会社の専務宅から出火し、焼け跡から一家4人が無残な他殺体となって発見された。事件から約1カ月半後、警察は強盗殺人の容疑などで、元プロボクサーで従業員だった巌さんを逮捕した。その後、警察による強引極まりない取り調べで自白させられたが、公判では一貫して無実を訴えた

 ところが、80年に最高裁で死刑が確定

 翌年から始まった第1次再審請求では、08年に最高裁が特別抗告を棄却。同年に秀子さんが申し立てた第2次再審請求審で、14年3月に静岡地裁が再審開始を決定し、袴田さんは釈放された。

 苛酷な取り調べによる自白調書の信用性。さらには、犯人のものとされるズボンが巌さんにはきつくてはけないなど、検察側が提出した物証が捏造された可能性が高い。それにもかかわらず、巌さんは48年も収監された。まさに冤罪の被害者以外の何ものでもなかった

 それではなぜ袴田さんは犯人とされたのか。

   「ボクシングに対する偏見があったんですよ。柔道、剣道をやるのが
    普通で、ボクシングをやるのはチンピラだっていうイメージがあったんです。
    それと、巌だけが浜松の人間でヨソ者というのもあったと思いますよ」(秀子さん)

 得体の知れない流れ者という印象を警察に持たれたのだったが、その印象以外に何の証拠もなかった

   「事件が起きたから、みそ会社が営業できないもんですから、
    巌が実家に帰ってきていたんです。以前と全く変わらず、
    近所の人とも普通に話をしていてね。とても犯人だなんて思いも
    しませんでした。それからしばらくして、警察が強盗殺人の捜索令状を
    持って家宅捜索に来た時も、何のことか分かりもしませんでした。
    一度たりとも巌が犯人だなんて思ったことはありません

 ところが、巌さんはいや応なく犯人として吊し上げられていった

 事件の取材を続けているものとして自戒の念を込めて書くが、冤罪事件の温床となっているのは警察の捜査だけではなく警察発表をさしたる検証もせずにそのまま流すマスコミの姿勢にも原因があるのではないか。

 秀子さんら家族は、巌さんの無実を信じていたが、世の中はそう見てはくれなかった。

   「過去のことをああだこうだと言っても始まらないけど、警察は今より
    信用されていたし、マスコミも大々的に報道したからね」

 巌さんを犯人とする冤罪事件は警察、マスコミ、それを信じる人々によってつくられていった

 =この項つづく

(ルポライター・八木澤高明)
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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/247853

「告白」あの事件の当事者
袴田事件<後編>姉・秀子さんは人生を弟のために捧げた
2019/02/20 06:00

     (撮影・八木澤高明)

   「私と亡くなった母親は、ずっと巌が無実だと信じ続けてきましたよ」

 そう語るのは、1966年に起きた一家4人の強盗殺人放火事件で逮捕され、2014年に東京拘置所から釈放された袴田巌さんの姉・秀子さんである。2人は現在、浜松市内の自宅マンションで暮らしている。

 巌さんは、48年にわたり拘置所での生活を強いられ、さらには不当な死刑判決により拘禁反応を起こし、満足に会話ができない。そのため、直接話を聞くことはできないが、以前は家族に手紙を送り続けていた。その一部分を紹介する。逮捕から約1年がすぎた頃、1968年9月の死刑判決が出る前のものだ。

   〈昨日兄の実さんが来てくれました。兄は前より肥って元気なようでした。
    身内というものは好いものですね、別れが名残り惜しく思いました。
    (中略)検事は自供調書と言うているが、調書は拷問によるもので
    真実性がありません。検事が言うような事実はありません。考えてみれば、
    今僕は生死が賭かっている訳ですから、真剣に考えて法廷に出たいと思う〉
    (筆者により一部送り仮名など訂正)

 これ以外にも巌さんが書いた手紙を読んでいくと、検事が提出した証拠のいい加減な点を訴えるものも多いが、自分の無実を最後には裁判所が分かってくれるはずだという思いが随所に感じられる。

   「裁判では、血のついたズボンが検察側から証拠として提出されましたけれど、
    その時、巌は減量していて、事件当時より痩せていたのに、
    そのズボンをはくことができませんでした。あまりにずさんな裁判だったと思います」

 死刑判決の確定は青天の霹靂だったのだろう。奈落の底へ突き落とされ、拘禁反応が表れた

   「私は静岡だけではなくて、東京に移ってからも毎月欠かさず会いに
    行っていました。死刑が確定するまでは、本当に元気でした。
    死刑が確定してから面会を拒絶するようになったんです。それでも
    毎月東京には行きました。面会拒否は10年ぐらい続いたんじゃないでしょうか。
    生きているのか確認したくて、代議士の方にお願いして巌を呼び出して
    もらったんです。私の顔を見て巌は言いました。
    『これは偽物だ。メキシコのババアだ』って。おかしなことを言うように
    なってしまいましたけど、私からしたら、生きていてくれて本当によかったって
    思いが強かったです」

 秀子さんは自分のことはさておき、人生を弟のために捧げてきた

   「22歳の時に結婚して、1年ほどで別れて、それからは
    ずっとひとりだったんです。家族ができたら、巌のために使える時間というのが
    削られてしまうじゃないですか。それと、母親が無実を信じて一生懸命でしたから、
    その思いを継いでいきたかったんです。親孝行をしているつもりなんです」

 14年に刑が執行停止になったものの、18年6月には東京高裁が再審開始を取り消した。今後の判断は最高裁に委ねられるが、最悪の場合に再収監される可能性も否定できない。

 現在、巌さんは、秀子さんや支援者に支えられ日々を過ごしている。彼の家族が強いられた苦しみの年月を思うと、平穏な日々がこれからも続いていくことを心から願わずにはいられない

 =この項おわり

(ルポライター・八木澤高明)
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