不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●軍事国家となり軍事費を《増やせば日本が守れるというのは幻想》…社説「関東防空大演習を嗤ふ」での桐生悠々の予見・予言に学ぶべきこと

2023年09月28日 00時00分56秒 | Weblog

[↑ 雑誌「TIME」(2023.5.22・29)… (TBS NEWS DIG)《「日本を軍事大国に変えようとしている」との見出しは政府の申し入れのあと、変更》(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/481736?display=1)]


(20230822[])
これまた、9月末になってしまって、「6月ジャーナリズム」「8月ジャーナリズム」を語る…。アベ様とカースーオジサンによって敷かれた、いまも続く《メディアコントロール》下…そのジャーナリズムの重要性。

   『●《「現実離れしている」と叱責…マンネリ化が指摘》? でも、《戦争の
     悲惨さと平和の大切さを伝え続ける意味は増している》<ぎろんの森>


 <ぎろんの森>《人類は過去の戦争の教訓に学ばず、過ちを繰り返そうとしています。だからこそ、戦争の悲惨さと平和の大切さを伝え続ける意味は増している》、《こんな時だからこそ、あの無謀な戦争を語り継ぎ、平和の大切さを国内外に訴え続けたい》。どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。歴史の記憶の継承語り継ぐこと。記憶の澱をかき乱し、呼び覚ますこと。

 桐生悠々氏《「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」》。今のジャーナリズムは「義務の履行」を果たしているのか? 《どんな政権であろうと、新聞は権力監視の役割を放棄してはならない》…下足番新聞アベ様広報紙に言っても詮無いが。
 西田直晃岸本拓也両記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/桐生悠々の警告は現実になった…歴史に残る社説「関東防空大演習を嗤ふ」を90年後の今、読むと】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/267721?rct=tokuhou)。《1933年、「関東防空大演習を嗤(わら)」と題した社説で軍部の怒りを買い、信濃毎日新聞を退社した桐生悠々(1873〜1941年)。「反骨のジャーナリスト」の名を歴史に刻んだ掲載から、今月11日で90年となる。空襲の時代と日本の破局を予見した評論は何を訴え、どんな教訓を残したのか。全文を専門家と読み解いた。(西田直晃岸本拓也)》。

   『●政権交代の意義が完全に消えた日
    《▼「听う」は口を大きく開けてわらうことで、「莞う」は感じよく
     ほほえむこと、「嗤う」はあざけりわらうことだ。軍国主義が台頭し、
     言論弾圧が厳しさを増していた一九三三年、軍の空襲への備えを
     嗤った新聞人がいた▼その人、桐生悠々が書いた
     「関東防空大演習を嗤ふは日本の新聞史上、特筆すべき名論説
     として、記憶される。首都上空で敵機を迎え撃つ作戦など滑稽極まる。
     数機撃ち漏らせば、木造家屋の多い東京は炎上すると、彼は書いた
     ▼<阿鼻叫喚(あびきょうかん)の一大修羅場を演じ、
     関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだらう…しかも、
     かうした空撃は幾たびも繰返へされる可能性がある>。
     この指摘が現実のものとなり、大空襲で東京の下町が壊滅、
     十万の犠牲者を出したのは、四五年三月十日のことだ》

   『●自公支持者を「嗤う」、あれで「採決」「可決」!?: 
       自公支持者も「听う」ことが出来なくなる日は近い
    「先の『読売』や『産経』、『アベ様の犬HK』などの
     「アベ様の広報機関」とは違う、『東京新聞』の新聞人の矜持
     示す社説をご覧ください。2番目の記事の、つまり、
      《桐生悠々の言葉。…「言いたい事」と「言わねばならない事」は
       区別すべきだとし「言いたい事を言うのは権利の行使」だが、
       「言わねばならない事を言うのは義務の履行」で「多くの場合、
       犠牲を伴う」と書き残している》
     ……の部分を受け、社説の末尾には、《憲法を再び国民の手に
     取り戻すまで、「言わねばならないこと」を言い続ける責任を
     自らに課したい。それは私たちの新聞にとって
     「権利の行使」ではなく義務の履行」だからである》と
     〆ています」

   『●阿部岳記者「桐生悠々は訓練よりも
     「実戦が、将来決してあってはならない」ことを訴えた…先見の明は…」
    「《桐生悠々訓練よりも「実戦が、将来決してあってはならない」ことを
     訴えた。…先見の明は、その後の空襲被害が証明している》訳です。
       壊憲が進み、戦争できる国、戦争したい国へとひた走るニッポン。
     ジャーナリズムの劣化もそれに拍車をかける」

   『●Jアラート狂想曲: 「かつて関東上空での防空演習を
           嗤った桐生悠々なら何と評するでしょうか」
    《北朝鮮が弾道ミサイル発射を繰り返し、国内では避難訓練
     行われています。かつて関東上空での防空演習を嗤(わら)った
     桐生悠々
なら何と評するでしょうか》

   『●阿部岳さん、《基地問題への見解の違いも…
     デマで攻撃された因縁も関係ない。今回は…産経の側に立つ》
    「東京新聞の社説【週のはじめに考える 権力と向き合う覚悟】…
     によると、《全米の新聞、一斉に社説言論の自由への危機感
     …桐生悠々の奮闘を偲ぶ…あす九月十日は、四一年に亡くなった
     悠々を偲(しの)ぶ命日です。百年という時を隔て、また日米という
     太平洋を挟んだ国で同じように、新聞が連帯して時の政権に毅然(きぜん)
     と向き合ったことは、民主主義社会の中で新聞が果たすべき使命を
     あらためて教えてくれます。私たちは今、政権に批判的な新聞との
     対決姿勢を強める安倍晋三政権と向き合います。悠々ら先輩記者や
     米国の新聞社で働く仲間たちの奮闘は、私たちを奮い立たせ、
     権力と向き合う覚悟を問い掛けているのです》。
     《権力と向き合う覚悟》…無しなニッポンのマスコミではなかろうか…」

   『●東京新聞《桐生悠々…にとって一連の言論は、
     犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う義務の履行だった》
    「《「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが
     「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、
     「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」》と。《桐生悠々…に
     とって一連の言論は、犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う
     義務の履行だった》。この度、アノ高市早苗氏が総務相に復活。
     アベ様の政で〝唯一うまく行っている〟メディアコントロールの下、
     《権力と向き合う覚悟》がマスメディアにはあるのだろうか? 
     《義務の履行》を果たしているか?」

   『●《国会を開かなければ、それもできない。これを政治空白と言わず
     して、何と言う。…国権の最高機関である国会の軽視も甚だしい》…
   『●「自民党総裁選を嗤(わら)う」新聞求む…《明治から大正、戦前期の
     昭和まで、藩閥政治家や官僚、軍部の横暴を筆鋒鋭く批判し続けました》
   『●武田砂鉄さん《忘却に加担するのか、しっかり掘り返して問うのか、
        メディアが問われている。またいつもの感じでやっているの…》
   『●桐生悠々に《ちなんだ社説の掲載に至ったのも、どんな政権であろうと、
       新聞は権力監視の役割を放棄してはならないという決意を》読者に
    《社説「桐生悠々を偲(しの)んで」…。安倍、菅両政権の九年近くの
     間、独善的な政治運営が続き、政治は私たちの望む、あるべき方向とは
     全く違う道を進んでしまいました。でも、それを止める力が新聞には
     まだある、義務を履行せずしてどうするのか、と読者の皆さんに
     教えられた思いです。きのう始まった自民党総裁選後には衆院選が
     あります。どんな政権ができようとも、私たちは
     「言わねばならないこと」を堂々と言う新聞でありたいと考えます》

   『●《どんな政権であろうと、新聞は権力監視の役割を放棄してはならない》
     (東京新聞社説)…下足番新聞やアベ様広報紙に言っても詮無いこと

=====================================================
https://www.tokyo-np.co.jp/article/267721?rct=tokuhou

こちら特報部
桐生悠々の警告は現実になった…歴史に残る社説「関東防空大演習を嗤ふ」を90年後の今、読むと
2023年8月4日 12時00分

 1933年、「関東防空大演習を嗤(わら)」と題した社説で軍部の怒りを買い、信濃毎日新聞を退社した桐生悠々(1873〜1941年)。「反骨のジャーナリスト」の名を歴史に刻んだ掲載から、今月11日で90年となる。空襲の時代と日本の破局を予見した評論は何を訴え、どんな教訓を残したのか。全文を専門家と読み解いた。(西田直晃岸本拓也

【全文掲載】信濃毎日新聞社説「関東防空大演習を嗤ふ」


◆空襲が現実の脅威ではなかった1933年に書かれた

 桐生が批判した「関東防空演習」は東京府と神奈川、埼玉、千葉、茨城の4県で3日間実施。軍官民の10万人以上が参加した。AK(現NHK)のラジオで全国中継され、桐生はその放送を聞いた上で、約2000字の社説を書いた。

 「かうした實戰(じっせん)が、將來(しょうらい)決してあつてはならない
 「架空的なる演習を行つても、實際には、さほど役立たない

 前半から辛らつな言葉が並んでいる。聖心女子大の土田宏成教授(日本近代史)は「かなり激しい筆致だが、言っていること自体は当時の常識だ。現実を見据えた行動が必要だと、軍に警鐘を鳴らした」と解説する。社説を読み進めていくと、大演習をなぜ嗤うのか、理路整然とした説明が展開される。

 「敵機を迎へ擊(う)つても、一切の敵機を射落とすこと能(あた)はず、その中の二三のものは、自然に、我機の攻擊(こうげき)を免れて、帝都の上空に來り、爆彈投下する」と強調し、本土空襲の警戒の必要性を説いた。1933年当時、空襲はまだ現実的な脅威ではなかったが、実際にはサイパン島が陥落したことで、44年11月から米国の本土空襲が本格化。高度1万メートルを飛行するB29を迎撃可能な戦闘機はほとんどなく、45年3月の東京大空襲以降は夜間に集中したため、迎え撃つのはより困難になった。


◆「空擊は幾たびも繰り返へされる可能性がある」

 土田氏は「こうした状況がやがて訪れることを当時から想定していた。にもかかわらず、敵機の本土来襲を前提とした訓練を実施する軍部に無責任さを感じたのだろう。もともと、反軍的な考えを持っていた桐生にとって、軍部を徹底的に批判する好機と捉えた」とみる。

 社説では他にも、「木造家屋の多い東京市をして、一擧(いっきょ)に、焼土たらしめる」「關東地方大震災當時(とうじ)と同樣(どうよう)の慘狀(さんじょう)を呈する」と戦争末期の惨状を予見したかのような警鐘もあった。

 実際、米軍はナパーム油脂を用いたM69焼夷(しょうい)弾を開発し、43年に日本家屋の模型を造って実験。東京大空襲の際には約300機から、こうした焼夷弾や爆弾約1700トンがばらまかれ、約10万人が死亡した。

 埼玉大の一ノ瀬俊也教授(日本近現代史)は「関東大震災の被害で、日本家屋が火に弱いことは他国にも明らかになった。第1次世界大戦で空襲の効果が実証されたこともあり、国際情勢にも通じている桐生には当然の注意喚起だった」と話す。

 桐生が「かうした空擊は幾たびも繰り返へされる可能性がある」と念入りに指摘したように、総務省の資料によれば、東京への空襲は終戦までに122回を数えた。全国の都市に拡大し、原爆を含めて40万〜50万人もの命が奪われた

 「市民の、市街の消燈(しょうとう)は、完全に一の滑稽」と一蹴する根拠とした自動操縦や赤外線探知は、戦時中に実用化されることはなかった。とはいえ、一ノ瀬氏は「実際には後の時代のミサイル開発を待たなければならないが、科学の進歩が速い時代。全くおかしいとは思わない。敵の飛行機に領空内に侵入された時点で負けだから『滑稽』という強い言葉を使ったのだろう」とみる。

     (「関東防空大演習を嗤ふ」の紙面=信濃毎日新聞社提供)

 社説は「帝都の空に迎へ擊つといふことは、我軍の敗北そのもの」「途中これを迎へ擊つて、これを射落すか。又またはこれを擊退しなければならない」と結論付けた。前出の土田氏は「軍部も内容についての批判はせず、『嗤うとは何事だ』との形式的な反論に終始している。当時の状況から考えられる極めて現実的な意見を真っ正面から論じたのが意義深い」と語る。


◆空爆の危険性を理解していたからこそ

 航空機による空爆が本格化したのは、第1次世界大戦からだ。歴史家の田中利幸氏の「空の戦争史」(講談社現代新書)によると、開戦間もない1914年8月には、ドイツ軍機がパリ上空に現れ、駅を狙って小型爆弾を投下。その後もパリは頻繁に空襲を受け、連合国側も報復でドイツ領を無差別爆撃し、数千人規模の市民が犠牲になった。

 空爆の有用性に気づいた英国やフランスは20年代以降、イラクなどで植民地化に抵抗する人々の集落を無差別爆撃するなど積極的に空爆を仕掛けた。敵軍施設だけでなく、市民も爆撃対象にして戦意を失わせる戦略爆撃の名の下に、市民への無差別空爆が正当化されていく。

 桐生が社説で空襲に警鐘を鳴らしたのは、こうした海外の惨状を知っていたためとみられる。田中氏は「英語の文献を数多く読んでおり、情報を得ていた空襲を受けて都市を防空するような状況になったらおしまいだということをよく理解していた」と指摘する。

 ただ、既に軍人の間では、航空機の迎撃が困難であることは言われていた。大阪教育大の三輪泰史名誉教授(日本近現代史)は「当時の桐生は、反軍的でも反戦的でもなかった。論考をみると、むしろリベラルな愛国主義者、穏健な帝国主義者とも言え、日本帝国のためにならない施策に対しては、相手が軍部だろうと歯に衣きぬ着せずに批判した。社説もそのスタンスから書かれた」とみる。

 桐生としては、防空演習に意味がないと「当たり前」のことを書いたはずだが、退社に追い込まれた。三輪氏は「軍としては痛いところを突かれたのでは。筆禍事件として桐生攻撃のキャンペーンに持ち込みたいところだろうが、それは逆に軍の無策ぶりを広く知らせることにもなりかねない。なので、新聞の不買運動をすると圧力をかける陰湿なやり方で桐生を追い出したのでは」と推察する。

 日本軍も満州事変初期の31年10月の中国・錦州市への都市空爆を皮切りに、上海や重慶などに無差別爆撃を繰り広げた。第2次大戦では独英など欧州各地でも市民が空襲の犠牲となった。桐生は信毎を退社後も空爆がもたらす甚大な被害に警鐘を鳴らし、米国との開戦を避けるよう訴えた。

 晩年は空襲で人類が不戦に目覚め軍縮の時代が来ると予想しつつ、太平洋戦争が開戦する3カ月前の41年9月に没した。その後、日本各地への空襲や原爆投下という形で、桐生の懸念は現実となった


◆「防衛費を増やせば日本が守れるというのは幻想」

 翻って現在、ウクライナや台湾の情勢を受けて岸田政権は防衛費増強に走る。北朝鮮の発射したミサイルで全国瞬時警報システム(Jアラート)が鳴り、弾道ミサイルを想定した住民避難訓練が各地で行われ、列島を有事ムードが覆う。

 「桐生が批判していたことを繰り返している」と前出の田中氏は指摘し、こう続ける。「空襲を受けたら防空できなかったのと同じように、もし核ミサイルが撃ち込まれたら防ぐことは難しい。日本が防衛費を増やせば、中国や北朝鮮を刺激し、軍拡はエスカレートする。それで日本が守れるというのは幻想だ日本が平和主義を打ち立てるには、過去の戦争責任と向き合ってアジア諸国と誠実に対話を続けるしかない


◆デスクメモ

 「帝都の心臓目がけて 敵機一挙に壊滅を期す」「見事二機に命中」「煙草(たばこ)の火も消せ 空から見えるぞ」。東京新聞の前身「国民新聞」「都新聞」が関東防空演習を報じた見出しだ。桐生筆禍を招いたのは、軍事に染まった世相。戦争になる前からあらがわなければ、止まらない。(本)

【全文掲載】信濃毎日新聞社説「関東防空大演習を嗤ふ」
=====================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●東京新聞の社説《苛烈な言論統制の末にあったのは…。》、川柳作家《鶴彬(つるあきら)/獄死の末(さき)に/ある戦(いくさ)》

2020年12月22日 00時00分24秒 | Weblog

[※歴代自民党内閣は「国民のために働」いていなかった!? 縁故主義・政権の私物化もアベ様から《継承》 (日刊ゲンダイ 2020年10月14日)↑]


(2020年12月08日[火])
2020年12月8日の東京新聞の【社説/開戦の日に考える 鶴彬獄死の末にある戦】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/73025?rct=editorial)と、
コラム【筆洗/その朝の授業は鬼のあだなで畏怖された教授の英語だった。その…】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/73024?rct=hissen)。

 《鶴彬(つるあきら)という川柳作家をご存じでしょうか。日本が戦争へと突き進む中、貧困と反戦を詠み、治安維持法違反で逮捕、勾留中に病死しました。苛烈な言論統制の末にあったのは…。七十九年前のきょう破滅的な戦争が始まります。…「鶴彬獄死の末(さき)ある戦(いくさ)」》。
 《▼あの日、今から考えれば、勝てるはずもない日米の開戦に国民の大半が高揚した。記憶にとどめなければならぬ戦争の過ち。それは軍や政府によるものだが、感情に任せたわれわれの側の「万歳」をそこから除く理由もまた見当たらぬ。繰り返すまい》。

 鶴彬さんの「生きた世」…《鶴彬(つるあきら)獄死の末(さき)ある戦(いくさ)》。

   『●鶴彬さんの「生きた世」…自公を支持する皆さんは
         人の親として「そんな世」を目指しているの?

 「あの時代」に、死を賭しているとしか思えない激しい反戦川柳を読んでおられる鶴彬さん。治安維持法など、鶴彬さんの「生きた世」は相当に過酷だった。いま、自公お維を支持する皆さんは人の親として「そんな世」を目指しているのでしょうか? アベ様の政が終わったかと思えば、陰険陰湿強権な違法・違憲オジサンの政に。《メディアコントロール》や日本学術会議の6人「だけ」を任命拒否した問題など、これ以上閉塞の時代となることに、耐えられない。《学問や言論、表現に対する弾圧は、戦争への道につながる、というのが歴史の教訓です》。スカスカオジサンはシレ~ッと冷酷に壊憲を進めそうで、恐ろしくて仕方ない。

   『●《キンモクセイで世間の鼻をごまかし、学問の自由、言論の自由を
         脅かしかねない「腐臭」に気付かせぬようにしている》(筆洗)
   『●西日本新聞【例えるなら、こんな話か。授業が始まるのに数人の
     子が…】…取り巻きが《デマを流してまでも、必死で政権擁護》の醜悪
   『●違法・違憲オジサン…《「裸の王様」…取り巻きの同調意見ばかり
     聞き入れ、学者の正論に耳をふさげば、宰相はそう呼ばれてしまいます》

 自公お維の国会議員やその支持者の皆さんは《繰り返すまい》と思っているだろうか。戦争の記憶の継承を嫌っているのではないか。

   『●『石原莞爾/その虚飾』読了 (2/2)
     「「手と足をもいだ丸太にしてかへし
       万歳とあげて行った手を大陸へおいてきた
       /…鶴彬は、こうした刺し貫くような反戦川柳をつくって逮捕され、
         赤痢にかかって、手錠をかけられたまま、二十九歳で病死した」」

   『●閉塞の時代に: 安倍晋三首相の危険な「思い入れの強さ」
    「東京新聞…記事【鶴彬(つるあきら)の愛好家らが運動 
     反骨の川柳作家 都内に句碑を】」

   『●「女性が輝く社会」の「女性を愚弄した発言」…
      「タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやろう」(鶴彬さん)
    「「タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやろう」(鶴彬さん)とでも
     脳内では? 与党自民党の桜田義孝前五輪相や元癒党お維の
     丸山穂高衆院議員…よくもまぁ、こんな議員に投票できるよな。
     《そもそもこうした議員を選ばないよう吟味するのは、
     有権者の責任である》…「1/4と2/4」の皆さん、このままでいい
     のですか? 《子育て支援を公約》《子育ての党》といったフザケタ
     与党自公や「子を人殺しに行かせたくて仕方ない」癒党お維を支える
     「1/4」の皆さん、選挙に行きもしないことで間接的に与党や癒党を
     支えている「2/4」の眠り猫な皆さん…」

   『●「戦争や軍国主義を批判、風刺、反体制的な句を作った
         俳人四十四人が治安維持法違反容疑で検挙され…」
   『●《戦争が廊下の奥に立つてゐた》…《そんな時代にしては
          ならない》はずが、癒党お維や与党議員ときたら
   『●与党自公や癒党お維は、戦争したくて(させたくて)、人殺しに
             行きたくて(いかせたくて)しかたないのね?


=====================================================
https://www.tokyo-np.co.jp/article/73025?rct=editorial

社説
開戦の日に考える 鶴彬獄死の末にある戦
2020年12月8日 06時42分

 鶴彬(つるあきら)という川柳作家をご存じでしょうか。日本が戦争へと突き進む中、貧困と反戦を詠み、治安維持法違反で逮捕、勾留中に病死しました。苛烈な言論統制の末にあったのは…。七十九年前のきょう破滅的な戦争が始まります。

 鶴彬(本名・喜多一二(かつじ))は一九〇九(明治四十二)年一月、石川県高松町(現在のかほく市)に生まれました。尋常小学校や高等小学校在校中から地元新聞の子ども欄に投稿した短歌や俳句が掲載されるなど、才能は早くから知られていたようです。


◆貧困、社会矛盾を川柳に

 喜多の作品が初めて新聞の川柳欄に載ったのは高等小学校を卒業した翌二四年の十五歳当時、進学の夢がかなわず、伯父が営む機屋で働いていたときでした。

 <静な夜口笛の消え去る淋しさ>(二四年「北国柳壇」)

 「蛇が来る」などと忌み嫌われた夜の口笛を吹いても、何の反応もない寂しさ。少年期の感傷的な心象風景が素直に表現された作風がこのころの特徴でしょう。

 翌年には柳壇誌に作品が掲載され、川柳作家として本格デビューを果たします。その後、多くの川柳誌に作品を寄せるようになりました。このころはまだ柳名「喜多一児(かつじ)」や本名での投稿です。

 十七歳の時、不景気で伯父の機屋が倒産。大阪に出て町工場で働き始めた喜多を待ち受けていたのは厳しい社会の現実でした。喜多の目は貧困や社会の矛盾に向けられるようになります

 <聖者入る深山にありき「所有権」>(二八年「氷原」)

 このころ都市部では労働運動、農村では小作争議が頻発、政府は厳しく取り締まります。持てる者と持たざる者、富める者と貧しい者との分断と対立です。修験者が入る聖なる山にも俗世の所有権が及ぶ矛盾。そこに目を向けない宗教勢力への批判でもありました。


◆反軍、反戦を旺盛に詠む

 十九歳のとき大阪から帰郷した喜多は、生産手段をもたない労働者や貧農、市民の地位向上を目指す無産運動に身を投じ、特別高等警察(特高)に治安維持法違反容疑で検束されます。その後、故郷を離れて上京、柳名を「鶴彬」に改めたのも、特高の監視から逃れるためでもありました。

 兵役年齢に達した二十一歳の三〇年、金沢の陸軍歩兵第七連隊に入営しますが、軍隊生活が合うわけはありません。連隊内に非合法出版物を持ち込んだ「赤化事件」で軍法会議にかけられ、大阪で刑期二年の収監生活を送ります。

 刑期を終え、除隊したのは三三年、二十四歳のときです。このときすでに日本は、破滅的な戦争への道を突き進んでいました。三一年には満州事変、三二年には海軍青年将校らが犬養毅首相を射殺した五・一五事件、三三年には日本は国際連盟を脱退します。

 この年、自由主義的刑法学説をとなえていた滝川幸辰(ゆきとき)京都帝大教授に対する思想弾圧「滝川事件」が起こり、学問や言論、表現の自由への弾圧も苛烈さを増します

 しかし、鶴がひるむことはありませんでした。軍隊や戦争を批判し、社会の矛盾を鋭く突く川柳を作り続けます

 <万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た
 <手と足をもいだ丸太にしてかへし
 <胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき

 召集令状一枚で男たちは戦場へ赴き、わが家に生還しても、ある者は手足を失い、妻の胎内に新しいわが子の生命の胎動を知るころに遺骨となって戻る男もいる。鶴が川柳に映しだした戦争の実態です。いずれも三七年十一月「川柳人」掲載の作品です。

 特高はこうした表現を危険思想とみなし、同年十二月、治安維持法違反容疑で鶴を摘発し、東京・中野区の野方署に勾留しました。

 思想犯に対する度重なる拷問と劣悪な環境。鶴は留置中に赤痢に罹(かか)り、東京・新宿にあった豊多摩病院で三八年九月に亡くなりました。二十九歳の若さでした。

 川柳に続き、新興俳句も弾圧され、表現の自由は死に絶えます


◆戦争へと続く言論弾圧

 お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この社説の見出し「鶴彬/獄死の末(さき)に/ある戦(いくさ)」も五七五の川柳としてみました。

 学問や言論、表現に対する弾圧は、戦争への道につながる、というのが歴史の教訓です。

 安倍前政権以降、日本学術会議会員人事への政府の介入や、政府に批判的な報道や表現への圧力が続きます。今年は戦後七十五年ですが、戦後でなく、むしろ戦前ではないかと思わせる動きです。

 戦後制定された憲法の平和主義は、国内外に多大な犠牲を強いた戦争の反省に基づくものです。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。その決意の重みを、いつにも増して感じる開戦の日です。
=====================================================

=====================================================
https://www.tokyo-np.co.jp/article/73024?rct=hissen

筆洗
その朝の授業は鬼のあだなで畏怖された教授の英語だった。その…
2020年12月8日 06時40分

 その朝の授業は鬼のあだなで畏怖された教授の英語だった。その朝とは、一九四一(昭和十六)年十二月八日。日米開戦の日だという▼開戦の臨時ニュースが校内に伝えられた。教授は廊下に飛び出し、「万歳」と叫んだそうだ。当時の学生が書き残している▼作家、半藤一利さんの『十二月八日と八月十五日』にあったが、とりわけ珍しい話ではなかろう。<やみがたくたちあがりたる戦(たたかい)を利己妄慢(ぼうまん)の国国よ見よ>斎藤茂吉。長く続く米英との緊張。当時の国民はうっとうしさや閉塞(へいそく)感の中にあり、真珠湾攻撃はその暗雲を吹き飛ばすかのように受け止められた。「利己妄慢」の米英という大国に挑む痛快さもあったという。茂吉もそうだったのだろう▼十一年後の五二年に建立された、広島の原爆死没者慰霊碑。碑文は<安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから>である。その言葉を考案したのは十二月八日に「万歳」を叫んだあの教授だそうだ▼歴史の皮肉を書きたいわけではない。教授の名は当時広島大学教授の雑賀忠義さんとおっしゃる。この人も被爆している▼あの日、今から考えれば、勝てるはずもない日米の開戦に国民の大半が高揚した記憶にとどめなければならぬ戦争の過ち。それは軍や政府によるものだが、感情に任せたわれわれの側の「万歳」をそこから除く理由もまた見当たらぬ。繰り返すまい
=====================================================


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●東京新聞《桐生悠々…にとって一連の言論は、犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う義務の履行だった》

2019年09月21日 00時00分42秒 | Weblog


東京新聞の社説【週のはじめに考える 桐生悠々と言論の覚悟】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019090802000159.html)。

 《戦前、藩閥政治家や官僚、軍部の横暴を痛烈に批判し続けた言論人、桐生悠々。その生きざまは、言論や報道に携わる私たちに、覚悟を問うています。…信毎時代の一九三三(昭和八)年、「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」と題した論説が在郷軍人会の怒りに触れ、信毎を追われます。…大先輩を偲(しの)ぶとともに、業績や遺訓を思い起こし、私たち新聞のなすべきことを考え続けたいと思います》。

   『●政権交代の意義が完全に消えた日
    《▼「听う」は口を大きく開けてわらうことで、「莞う」は感じよく
     ほほえむこと、「嗤う」はあざけりわらうことだ。軍国主義が台頭し、
     言論弾圧が厳しさを増していた一九三三年、軍の空襲への備えを
     嗤った新聞人がいた▼その人、桐生悠々が書いた
     「関東防空大演習を嗤ふは日本の新聞史上、特筆すべき名論説
     として、記憶される。首都上空で敵機を迎え撃つ作戦など滑稽極まる。
     数機撃ち漏らせば、木造家屋の多い東京は炎上すると、彼は書いた
     ▼<阿鼻叫喚(あびきょうかん)の一大修羅場を演じ、
     関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだらう…しかも、
     かうした空撃は幾たびも繰返へされる可能性がある>。
     この指摘が現実のものとなり、大空襲で東京の下町が壊滅、
     十万の犠牲者を出したのは、四五年三月十日のことだ》

   『●自公支持者を「嗤う」、あれで「採決」「可決」!?: 
       自公支持者も「听う」ことが出来なくなる日は近い
    「先の『読売』や『産経』、『アベ様の犬HK』などの
     「アベ様の広報機関」とは違う、『東京新聞』の新聞人の矜持
     示す社説をご覧ください。2番目の記事の、つまり、
      《桐生悠々の言葉。…「言いたい事」と「言わねばならない事」は
       区別すべきだとし「言いたい事を言うのは権利の行使」だが、
       「言わねばならない事を言うのは義務の履行」で「多くの場合、
       犠牲を伴う」と書き残している》
     ……の部分を受け、社説の末尾には、《憲法を再び国民の手に
     取り戻すまで、「言わねばならないことを言い続ける責任
     自らに課したい。それは私たちの新聞にとって
     「権利の行使」ではなく義務の履行だからである》と〆ています」


   『●阿部岳記者「桐生悠々は訓練よりも
     「実戦が、将来決してあってはならない」ことを訴えた…先見の明は…」
    「《桐生悠々訓練よりも「実戦が、将来決してあってはならない」ことを
     訴えた。…先見の明は、その後の空襲被害が証明している》訳です。
       壊憲が進み、戦争できる国、戦争したい国へとひた走るニッポン。
     ジャーナリズムの劣化もそれに拍車をかける」

   『●Jアラート狂想曲: 「かつて関東上空での防空演習を
           嗤った桐生悠々なら何と評するでしょうか」
    《北朝鮮が弾道ミサイル発射を繰り返し、国内では避難訓練
     行われています。かつて関東上空での防空演習を嗤(わら)った
     桐生悠々
なら何と評するでしょうか》

   『●阿部岳さん、《基地問題への見解の違いも…
     デマで攻撃された因縁も関係ない。今回は…産経の側に立つ》
    「東京新聞の社説【週のはじめに考える 権力と向き合う覚悟】…
     によると、《◆全米の新聞、一斉に社説…◆言論の自由への危機感
     …◆桐生悠々の奮闘を偲ぶ…あす九月十日は、四一年に亡くなった
     悠々を偲(しの)ぶ命日です。百年という時を隔て、また日米という
     太平洋を挟んだ国で同じように、新聞が連帯して時の政権に毅然(きぜん)
     と向き合ったことは、民主主義社会の中で新聞が果たすべき使命を
     あらためて教えてくれます。私たちは今、政権に批判的な新聞との
     対決姿勢を強める安倍晋三政権と向き合います。悠々ら先輩記者や
     米国の新聞社で働く仲間たちの奮闘は、私たちを奮い立たせ、
     権力と向き合う覚悟を問い掛けているのです》。
      《権力と向き合う覚悟》…無しなニッポンのマスコミではなかろうか…」

 どんどんと《飛翔体》が発射されていますが、あのJアラート狂騒曲は何だったでしょうね…。諸外国からは《「嗤…」…あざけりわら》われている。
 《「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」》と。《桐生悠々…にとって一連の言論は、犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う義務の履行だった》。この度、アノ高市早苗氏が総務相に復活。アベ様の政で〝唯一うまく行っている〟メディアコントロールの下、 《権力と向き合う覚悟》がマスメディアにはあるのだろうか? 《義務の履行》を果たしているか?

=====================================================
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019090802000159.html

【社説】
週のはじめに考える 桐生悠々と言論の覚悟
2019年9月8日

 戦前、藩閥政治家や官僚、軍部の横暴を痛烈に批判し続けた言論人、桐生悠々。その生きざまは、言論や報道に携わる私たちに、覚悟を問うています。

 桐生悠々は本紙を発行する中日新聞社の前身の一つ、新愛知新聞や、長野県の信濃毎日新聞などで編集、論説の総責任者である主筆を務めた、私たちの大先輩です。

 信毎時代の一九三三(昭和八)年、「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」と題した論説が在郷軍人会の怒りに触れ、信毎を追われます。

 その後、新愛知時代に住んでいた今の名古屋市守山区に戻った悠々は、三四(同九)年から個人誌「他山の石」の発行を始めます。


◆日米開戦は「無謀の極」

 悠々が亡くなったのは四一(同十六)年九月十日でした。その三カ月後、悠々が無謀の極(きわみ)とした米国との戦争が始まります。

 戦後、悠々が再び注目されるきっかけは五一(同二十六)年、信毎が紙齢二万五千号を記念し、悠々ら同紙で活躍した言論人を紹介した特別紙面でした。

 これを小説家で文芸評論家の正宗白鳥が読み、東京新聞(現在は中日新聞社が発行)に寄せた「人生如何(いか)に生くべきか」と題する随筆で、信毎の論説や「他山の石」などの悠々の言論活動を振り返りながら、こう評したのです。

 「彼はいかに生くべきか、いかに死すべきかを、身を以(も)つて考慮した世に稀(ま)れな人のやうに、私には感銘された。これに比べると、今日のさまざまな知識人の賢明なる所論も、たゞの遊戯文学のやうに思はれないでもない」

 それは、戦後間もない時期の知識人たちの言論活動が、悠々の覚悟に比べれば、いかに腰の据わっていない浅薄なものか、と正宗は問いたかったのでしょう。

 悠々の言論活動は海外にも視野を広げた豊富な知識に基づいて、過去の習慣や時流に流されない、開明的かつ激越なものでした。


◆言わねばならないこと

 まずは一二(大正元)年、明治天皇の死去に伴う陸軍大将、乃木希典の殉死に対してです。

 信毎主筆として書いた社説「陋習(ろうしゅう)打破論-乃木将軍の殉死」では「殉死もしくは自殺は、封建の遺習である」「野蛮の遺風である。此(こ)の如(ごと)き陋習は、一刻も早く之(これ)を打破せねばならぬ」と指摘しました。自刃をたたえるものが目立つ中、異色の社説です。

 新愛知時代の一八(同七)年に起きた米騒動では米価暴騰という政府の無策を新聞に責任転嫁し、騒動の報道を禁じた当時の寺内正毅内閣を厳しく批判します。

 悠々は新愛知社説「新聞紙の食糧攻め 起(た)てよ全国の新聞紙!」の筆を執り、内閣打倒、言論擁護運動の先頭に立ちます。批判はやがて全国に広がり、寺内内閣は総辞職に追い込まれました。

 そして信毎論説「関東防空大演習を嗤ふ」です。敵機を東京上空で迎え撃つ想定の無意味さを指摘したことは、日本全国が焦土と化した戦史をひもとけば正鵠(せいこく)を射たものですが、軍部の台頭著しい時代です。新聞社は圧力に抗しきれず、悠々は信州を離れます。

 それでも悠々は名古屋に拠点を移して言論活動を続けました。軍部や政権を厳しく批判する「他山の石」は当局からたびたび発禁や削除処分を受けながらも、亡くなる直前まで発行が続きました。

 悠々は「他山の石」に「言いたいこと」と「言わねばならないこと」は区別すべきだとして「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」と書き残しています。

 悠々にとって一連の言論は、犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う義務の履行だったのです。

 正宗が言う「いかに生くべきか、いかに死すべきかを、身を以つて考慮した」悠々の命懸けの言論は戦争への流れの中では顧みられることはありませんでしたが、戦後再評価され、今では私たち言論、報道活動に携わる者にとって進むべき方向を指し示す、極北に輝く星のような存在です。


◆嵐に鳴く蟋蟀のように

 <蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜>

 悠々のこの句作が世に出た三五(昭和十)年は、昭和六年の満州事変、七年の五・一五事件、八年の国際連盟脱退と続く、きなくさい時代の真っただ中です。翌十一年には二・二六事件が起き、破滅的な戦争への道を突き進みます

 もし今が再び<嵐の夜>であるならば、私たちの新聞は<蟋蟀>のように鳴き続けなければなりません。それは新聞にとって権利の行使ではなく義務の履行です。

 来る十日は悠々の没後七十八年の命日です。大先輩を偲(しの)ぶとともに、業績や遺訓を思い起こし、私たち新聞のなすべきことを考え続けたいと思います。
=====================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●【<金口木舌>権力はうそをつく】《イラク戦争…大量破壊兵器の保有は後に捏造だと明らかになった》

2019年06月07日 00時00分41秒 | Weblog

[●『新聞記者』(望月衣塑子著)…《ひとつずつ真実を認めさせて、さらに裏を取っていくこと―――》↑]



琉球新報のコラム【<金口木舌>権力はうそをつく】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-915037.html)。

 《▼イラク戦争の開戦理由となった大量破壊兵器の保有は後に捏造(ねつぞう)だと明らかになった。開戦前からニューヨーク・タイムズなどのメディアはそろって政府のうそをたれ流した。唯一、新聞社のナイト・リッダーを除いては》。

   『●映画『記者たち 衝撃と畏怖の真実』《その中で…
      ナイト・リッダー社の記者たちは政権のウソを報じ続ける》
    「東京新聞の豊田洋一記者のコラム【【私説・論説室から】/
     権力のウソと新聞記者】…。《ブッシュ政権が開戦の大義としたのが
     大量破壊兵器の存在だが、イラクはそんなものは持っていなかった。
     証拠をでっち上げ、ウソの理由で戦争が始められ、多くの命が失われた
     米国の報道機関のほとんどが政権の誤った情報を垂れ流した》」

 《権力はウソをつく》…特に、「立法府の長」になったり、「森羅万象すべて担当」したり、今度は「私が国家」と口走る行政府の長・アベ様は息吐く様にウソをつく。そして、《事実誤認》な最低の官房長官も同様だ、《権力はウソをつく》。《ジョン・ウォルコット氏の言葉がよぎる。「政府が何か言ったら、記者として必ずこう問えそれは真実か」》…ジャーナリストの皆さん、問い続けてほしい。

 日刊ゲンダイのコラム【高野孟 永田町の裏を読む/官房長官が異例の外遊で「ポスト安倍」の声も上がるが…】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/253389)によると、《「…安倍が任期途上で不本意な形で政権を投げ出すことになる可能性が高い。そうすると、この内閣の変わることなき主柱だった菅も共同正犯であって、安倍に取って代わる資格など生じるわけがない」とのことだ。もう1人、自民党中堅議員にも「菅政権」の可能性について尋ねた。「私の仲間たちの間では『それだけはごめんこうむりたい』ということです」と言う。なぜ? 「陰湿なんです、表情も声音も、やることのすべてが。人事とか候補者選びとかでも、人の弱みを押さえて有無を言わさず引き回し、その裏ではちゃんと自分の得につながるような打算を仕込んでおくといった、巧妙と言えばそうなんですが、まあ小ざかしいというか、姑息なやり方をする。睨まれると怖いから文句を言う者はいないけれども、心から支持して従っていく者は絶無でしょう。器が小さいと言うか、人の上に立つ人ではないです」と辛辣である》。
 与党自公や癒党お維を支えている「1/4と2/4」の皆さん、もうウンザリです。

   『●『学校が教えないほんとうの政治の話』(斎藤美奈子著)読了
                …《あなたの政治的ポジションを見つけて…》
    《だいたいみんな、このごろ、まちがえてんのよね。
     「偏らないことがいいことだ」「メディアは中立公正、不偏不党であるべきだ」
     「両論を併記しないのは不公平だ」。そういう寝言をいっているから、
     政治音痴になるのよ、みんな。》
    《あのね、政治を考えるのに「中立」はないの。メディアの役目は
     「中立公正、不偏不党な報道」ではなく「権力の監視」なんです。
     それ、常識。》
    《党派性をもたずに政治参加は無理である。》

   『●『国民のしつけ方』(斎藤貴男著)読了…
      《それは調査報道…「番犬(ウォッチ・ドッグ)」としての役割》

    《ジャーナリズムの最大の存在意義は「権力のチェック機能」である。
     …専門的には「番犬ウォッチ・ドッグジャーナリズム」理論という》
    《「番犬ジャーナリズム」は、純粋培養の環境下にあるよりも、
     一人ひとりのジャーナリストがもがき、苦悩しながら遂行していってこそ
     成長し、民主主義社会に貢献できる
のではないか》

   『●『追及力 権力の暴走を食い止める』(望月衣塑子×森ゆうこ著)読了
                    …《今、ジャーナリズムと野党の…》
    《今、ジャーナリズムと野党の存在意義を問い直す

   『●沖縄県知事選で「ファクトチェック(事実検証)」報道…
           「ネット上にはびこるデマやうそ、偽情報を検証」
   『●下野時の発言がブーメラン…「最低の官房長官」スガ殿は、
               「国民への背信行為」を自分自身で行っている
    「南彰記者による記事【自著での主張も記憶にない? 菅官房長官「知らない」】…。
     リテラの記事【菅官房長官が壊れ始めた! 会見で
     「ここは質問に答える場所じゃない」、自分の著書のことを「知らない」…】…
     《これに対して、菅官房長官「知りません」と一蹴。すると、朝日記者が
     こんな種明かしをしたのだった。
        「これは、官房長官の著作に書かれているのですが
     そう、朝日記者が会見で読み上げた政治家の著作とは、菅氏自身が
     下野時の2012年に著した『政治家の覚悟』(文藝春秋)という本の一節
     だったのだ。菅官房長官はかつて、政府にとってすべての記録を
     残すべきであり、その基本的資料である議事録がないなどというのは
     「国民への背信行為と断じていたのだ》」

   『●《官邸の意に沿わない記者を排除…
     明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の『知る権利』を狭める…》
    「阿部岳記者は、《民主主義社会における報道はプロパガンダとは違う
     権力から独立し、監視するのが役割
     評価するのは権力ではなく、読者や視聴者だけだ》と言います。
     最低の官房長官は、市民の《評価》を妨害しようとしています。
     「事実誤認」「度重なる問題行為」かどうかは《読者や視聴者》が
     判断することで、最低の官房長官がやるべき事じゃない」
    《新聞労連南彰委員長)…首相官邸が昨年末の菅義偉官房長官の
     記者会見での本紙記者の質問を「事実誤認」「度重なる問題行為」とし、
     「問題意識の共有」を内閣記者会に申し入れたことについて
     「官邸の意に沿わない記者を排除するような申し入れは、
     明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の『知る権利』を
     狭めるもので、決して容認できない」とする抗議声明》

   『●《事実誤認》というフェイクで記者を会見から締め出す前に… 
                 アベ様や最低の官房長官こそ《事実誤認》?
   『●事実誤認の常習犯…《聞きたくない質問、
      都合の悪い質問を遮るような、その先に国民がいることを無視…》

   『●《事実誤認》はどちらか? 《権力を監視し、
       政府が隠そうとする事実を明らかにするのは報道機関の使命
   『●《「この会見は一体何のための場だと思っているのか」と質問 
                  菅氏は「あなたに答える必要はない」》!!
   『●記者イジメ…最低の官房長官が《民主主義を守るために努力》
                 《国民へ情報を知らせる義務》を果たしてる?
   『●小林節氏…《職業としての権力監視機関として、
       報道が発達し、憲法の重要な柱のひとつとして確立され》た
   『●三宅勝久さん《報道・言論の自由を標榜しながら
      じつのところ会見参加者を選別している…巧みな情報操作》
    「レイバーネットの記事【メディア攻撃をここで堰き止めよう!
     〜「知る権利を守る官邸前行動」熱く広がる】…。三宅勝久さんの
     スギナミジャーナルの記事【東京新聞記者の官房長官記者会見
     「質問制限」問題を考える】…《しかし、そこで前提として理解しておかねば
     ならないのが記者クラブと官房長官記者会見の関係である。
     残念ながらこの「記者クラブ」が持つ問題の本質に切り込んだ言論
     というのは比較的少ないようにみえる》」

   『●最低の《官房長官が「これでいい」と決めれば、
      官僚も秘書官も誰も止められない。それは非常に危険》
   『●《新聞を含むマスコミは…「客観中立で、常に事実と正論を語る」
                     という自画像を描き、自ら縛られてきた》
   『●『権力と新聞の大問題』(望月衣塑子×マーティン・ファクラー著)読了
                     …《政権をチェックしようという意識が…》
    「「新聞は安倍政権に屈したのか?」…。《望月 …一部のメディアは
     政権をチェックするという役回りより、政権とともに力を肥大化させて
     いること。…新聞を含む大手マスメディアは、政権をチェックしようという
     意識が弱体化しているばかりでなく、その中から、むしろ政権に
     寄り添うような報道を続けるメディアや記者も出てきました。インターネットや
     SNS…新聞の報道を疑問視するようになり、新聞の社会的信頼性が
     従来より低下していると感じます》。広報機関に堕していてはダメ。
     「番犬ジャーナリズム」「調査報道」を求む」

   『●『新聞記者』(望月衣塑子著)読了…《ひとつずつ真実を
              認めさせて、さらに裏を取っていくこと―――》
   『●アベ様の政で唯一〝上手く行っている〟メディアコントロール…
                 「一人でも権力に立ち向かう」とはいうものの…

==================================================================================
https://ryukyushimpo.jp/column/entry-915037.html

<金口木舌>権力はうそをつく
2019年5月9日 06:00
満州事変 イラク戦争 菅義偉 金口木舌

 中国東北部の満州・奉天で南満州鉄道の線路が爆破された。日本軍は中国側の仕業だとして出兵し、満州事変が始まる。1931年の柳条湖事件だ

▼新聞各紙は中国側の兵士が線路を爆破し、日本兵を襲撃したため応戦したと報じた。続報では中国側の「密命書」が見つかったと爆破を裏付ける「証拠」も掲げ、各紙は中国側を非難する論陣を展開した

▼今ではわれわれはあの事件が関東軍の自作自演だったことを知っている。だが昔話で済ませられるか。権力のうそで始まる戦争は最近も起きている。大量破壊兵器を持っているとして米国がイラクを攻撃したのは2003年だ

イラク戦争の開戦理由となった大量破壊兵器の保有は後に捏造(ねつぞう)だと明らかになった。開戦前からニューヨーク・タイムズなどのメディアはそろって政府のうそをたれ流した。唯一、新聞社のナイト・リッダーを除いては

▼大手と正反対の記事を書いて逆にうそつき呼ばわりされる。同社の記者の奮闘を描いた映画「記者たち―衝撃と畏怖の真実」が公開中だ。沖縄でも桜坂劇場で6月に上映される

▼翻って記者である私たちはどうだろうか。菅義偉官房長官会見で質問を重ねるが、答えを引き出せているか。チームを率いたジョン・ウォルコット氏の言葉がよぎる。「政府が何か言ったら、記者として必ずこう問え“それは真実か”と
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●《県がこのまま原発を進めれば地域破壊がさらに進み、住民を苦しめ続ける。権力がそこまでしていいのか》

2019年03月08日 00時00分27秒 | Weblog


東京新聞の森耕一記者の記事【三重・芦浜原発「白紙」の舞台裏 北川元知事、18年前を振り返る】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122502000136.html)。

 《知事は、原発建設に同意を求められる立場。推進と決めれば全力で進めるつもりだった。だが、現地で目にしたのは、昔から支え合って暮らしてきたはずの漁村で、家族でも原発への賛否が分かれると口もきかなくなるような殺伐とした状況だった。「県がこのまま原発を進めれば、地域破壊がさらに進み、住民を苦しめ続ける権力がそこまでしていいのか」。悩んだ末、推進は困難との思いに傾いた》。

   『●戦争と原発: 伊丹万作さん「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」
    《「原発」と「戦争」を同列に論じるのは、乱暴かもしれない。だが、
     「芦浜原発」阻止を訴える詩を残した錦米次郎(よねじろう)には、
     重なり合って見えたに違いない》
    《錦は「芦浜原発」の立地計画があった南伊勢町と大紀町境の予定地に
     自ら足を踏み入れ、漁民たちから話を聞いた。誰もが受ける電気の
     恩恵のために、なぜ地方だけがリスクを負わされなければならないのか
     漁民の生活はどうなるのか。建設の先に錦が見たのは、
     戦場と同じ犠牲だったのだろう。
       80年前、この国は満州事変を起こし、破滅の道を突き進むように
     15年近く戦争を続けた。「大東亜共栄圏」「五族共和」「自存自衛の
     ための聖戦」。大多数の国民が信じた。錦自身も
     「国家の絶対を疑わなかった」と戦後に書き残した。
       錦の言葉に考えをめぐらせながら、映画監督の故・丹万作
     終戦翌年に書いた「戦争責任者の問題」という一文を思い出した》

   『●立ち止まるなら今・・・「原発政策を福島第一原発事故以前に
                      先祖返りさせたのが自民党安倍政権」
    《祝島の閧いは終わらない政府、中国電力の非道 …
     また山口県知事は地元出身の安倍政権にこびているのか、
     煮え切らない態度を崩さない。このまま生殺し状態を続け、
     祝島の人たちの自滅を狙っているのか。浜原発建設計画を
     白紙撤回した当時の北川正恭三重県知事の英断に倣ってはどうか。
     北川知事はJCO臨界事故の直後、2000年の年頭に、その決断をした》


 《なぜ地方だけがリスクを負わされなければならないのか》? 核発電「麻薬」中毒者らの暴走を、県知事は止めることが出来る。…でも、鹿児島県で挫折し、新潟県でも先行きが見えない。核発電輸出が頓挫し、脱核発電が世界の流れ。なのに、東京電力核発電人災を経験したニッポンでは、中毒患者の暴走が止まらない。

   『●《余ると分かっている電力を、なぜ原発で作り続けるのか?》
                 核発電「麻薬」中毒なアベ様に忖度する九電
   『●《地球温暖化対策を名目に、経済産業省が新たな小型原発の開発》 
                       …「海暖め装置」でホントに温暖化防止?
   『●「これまで東電に、8兆4000億円を超える税金が投入…
             でもって今、東電は巨大な利益を上げている…」
   『●《経団連を引き連れての俯瞰する外交の破綻》…
       日立製作所も断念、アベ様による原発輸出が《全て暗礁》…

 重ねて、《北川さんは「決断が正しいか確信はなかった」。迷いが大きかったからこそ地元の声を聞き、県議会とのやりとりで環境を整えた。国との衝突は、沖縄の米軍基地問題と重なる。「安倍政権は喜んで権力を振りかざしている政治は手続きをおろそかにしてはいけない」と話す》。
 《権力者はその行使に抑制的でなければ》なんて謙虚さは何処にも無し。アベ様は《喜んで権力を振りかざしている》…その典型が、沖縄での辺野古破壊。

   『●2018年12月14日、「美ら海」に土砂投入…
      辺野古を破壊して巨大な新基地が恒久的に沖縄を占領…
   『●辺野古破壊のために美ら海に土砂投入…
      その翌日も現地で抗議が続く中、アベ様はのんびりとゴルフを満喫
   『●破壊「損」な美ら海への土砂投入…「2019年2月までの
           米軍普天間飛行場の運用停止」をやってみせよ!
   『●【政界地獄耳/問答無用の自治破壊実行する政府の怖さ】 
              《民意も海に埋める》…民主主義国家がやること?
   『●《『日本を取り戻す』の中に沖縄は入っていな》かった、 
          そして今《国民のうちに沖縄は入っているのか》?
   『●《ルールを守》っていない代表格は、民主主義を破壊する
                「選挙妨害を暴力団に発注する」人・アベ様
    「そして今、アベ様や最低の官房長官らは、沖縄でもデタラメを
     繰り広げている。一方、故《翁長雄志さん「保守は保守でも自分は
     沖縄の保守。本土の保守政権に対して言うべきことは言う」が口癖
     だった。どこぞの《保身》ならぬ「ホシュ」とは大違いだった。
     《まっとうな保守政治家は野党にいた》、そして沖縄にも」

   『●辺野古「移設」に非ず、《新基地は軍港はじめ、
       普天間にない巨大で多様な機能を備えた一大戦争拠点…》
    「辺野古「移設」に非ず、《新基地は軍港はじめ、普天間にない巨大で
     多様な機能を備えた一大戦争拠点…》が新たに建設される。
     せめてもの普天間の機能停止・返還もあり得ず、しかも、那覇空港を
     ヨコセ!、という。軟弱地盤の泥沼で、ドブガネも嵩み、いつまでたっても
     辺野古破壊は止まず。「いじめ」どころの話ではない」

   『●三上智恵さん《埋められていくのは、辺野古の海だけではない。
                   この国の未来…助けを求める、あなたの声》
   『●巨大新基地建設による辺野古破壊…
     プーチン氏に《主権を行使できていない実例》と指摘されてしまう始末
   『●「在日米軍特権」「日米地位協定」「日米合同委員会」…
      《米国の言うことを聞くお友達は日本だけ》

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122502000136.html

三重・芦浜原発「白紙」の舞台裏 北川元知事、18年前を振り返る
2018年12月25日 朝刊

     (原発建設の計画があった芦浜地区。自然豊かな環境が残る
       =三重県大紀町で、本社ヘリ「まなづる」から)

 十八年前、知事の決断で原発計画が異例の撤回に追い込まれた。三重県沿岸の中部電力芦浜原発計画は三十七年間、住民が賛否二分に割れた争いを経て、当時の北川正恭知事が二〇〇〇年に「白紙」表明した。今も各地の原発や沖縄の米軍基地を巡って国策の進め方が問われる中、北川さんは賛成、反対派と国の狭間(はざま)で悩んだ末、結論を出した。「権力者はその行使に抑制的でなければと考えた」と振り返る。(森耕一)

 知事就任の一九九五年当時、県職員も中電と歩調を合わせ、反対の漁師らを説得していた。計画地の南島町(現南伊勢町)は、反対が圧倒的。中電は海洋調査のための漁業補償金二億円を漁協に前払いするなどして反対派を賛成に変え、対立は泥沼化していた。

 「県が、住民にゴールのないマラソンをさせることに加担した。決着させねば」。九九年十一月、初めて現地入り。賛成、反対派の話を聞いた。反対の主婦は「子どもが転んで泣いても、親が推進か反対かを確かめられる」と声を詰まらせて、地域の人間関係が原発計画で壊されていることを訴えた。賛成派は「疲弊する漁村に原発の灯を」と涙ながらに求めた。

 二〇〇〇年に入り、ごく数人の職員を招集。「県庁に遅くまで残ると記者に知られる。漏れれば大混乱となる」。四キロ離れた県立看護大の学長室などでひそかに議論した。

 知事は、原発建設に同意を求められる立場。推進と決めれば全力で進めるつもりだった。だが、現地で目にしたのは、昔から支え合って暮らしてきたはずの漁村で、家族でも原発への賛否が分かれると口もきかなくなるような殺伐とした状況だった。「県がこのまま原発を進めれば地域破壊がさらに進み、住民を苦しめ続ける権力がそこまでしていいのか」。悩んだ末、推進は困難との思いに傾いた。ただ、国に真っ向から歯向かえばあつれきを生む。悩んで生み出したのが「白紙に戻す」だった。

 当時、バブル崩壊後の電力需要低下で原発新設は急減。「中電は長年の地元工作に金を使い、疲弊している」との情報を研究者から得ていたことにも背中を押された。「白紙と言えば一気に緊張の糸は切れる」。読み通り、〇〇年二月に県議会で白紙表明すると、中電は芦浜断念を決定。半年後、自民党の閣僚から「よく決断してくれた」との言葉も。誰もが無理と思っていながら、止められなかったからだ。

 北川さんは「決断が正しいか確信はなかった」。迷いが大きかったからこそ地元の声を聞き、県議会とのやりとりで環境を整えた。国との衝突は、沖縄の米軍基地問題と重なる。「安倍政権は喜んで権力を振りかざしている政治は手続きをおろそかにしてはいけない」と話す。

<芦浜原発計画> 1963(昭和38)年、中部電力は熊野灘沿岸での立地計画を発表し、三重県南伊勢町(旧南島町)と大紀町(旧紀勢町)にまたがる芦浜が候補地に。66年に反対派の漁師30人が国会議員の視察を妨害し逮捕。67~84年に計画は休止状態だったが、84年に県が原発予算を計上し85年には県議会が推進を決議。90年代に入ると南島町の古和浦漁協で、反対派と賛成派が漁協総会を舞台に衝突を繰り返す。2000年2月、北川知事が県議会で「住民の同意と協力が得られている状態とは言い難い」と表明し、計画は撤回された。
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●「好戦国…日本に対する大なる疑惑」(吉田茂元首相)…「だから、九条を定め、この誤解を正さねば…」

2017年05月30日 00時00分20秒 | Weblog


東京新聞の社説【日本の平和主義 不戦が死文化しないか】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017051602000133.html)。

 《自衛のための戦争なら何でも許される-、そう考えるのは誤りである。振り返れば、日本に限らず「自衛」の名を借りて、侵略戦争を引き起こしてきたからだ》。

 この社説の…《安倍首相は九条一項、二項はそのまま残し、三項以降に自衛隊を書き込む改憲案を提唱している。もともと不意の侵入者に対する自衛権だったのではなかったか。もし米軍とともに他国まで出掛けていく自衛隊に変質していくのなら九条の精神は死文化すると言わざるを得ない》…の一言に尽きる。支離滅裂なアベ様。

 「…ヤケクソ? 言ってることが支離滅裂。「我が軍」を、9条、および、その第2項とどう整合性をとるのか?? 戦争法の強行採決では多くの憲法学者が反対していたのですが、そして、共謀罪もしかり。憲法9条の壊憲に対して《自衛隊について…憲法学者の7、8割が違憲》と言ってるので、9条を壊憲…一体どんな論理? 普通、「違憲」なことの方(=「我が軍」的自衛隊の存在)をまずは《そういう状況を変えていく》、何とかするのが先じゃないのかね。「違憲」な状況を「合憲」にする努力をせずに、憲法の方を「壊憲」するって、何なんだ? おまけに、共産党に責任転嫁するハチャメチャぶり。…」

 このままでは、《「自衛」の名を借りた、自衛戦争をまた引き起こす》ニッポンへと堕ちていくこと必定…。

   『●「軍事的対応ではなく、緊張緩和に知恵を絞り、
      外交努力を重ねることこそが平和国家を掲げる日本の役割」
   『●番犬様を諌めることもなく「海自、米空母と訓練検討」…
          「あくまでも非軍事的解決の道を探るべきである」
   『●高畑勲監督より三上智恵監督へ、
      「あなたがつくっているような映画が、次の戦争を止める」
   『●山内康一氏「『米国の軍事力行使を日本は支持する』
          …戦争を積極的に肯定…重大かつ危険な発言」
   『●阿部岳記者「桐生悠々は訓練よりも
     「実戦が、将来決してあってはならない」ことを訴えた…先見の明は…」
   『●「平和憲法」が風前の灯火: 壊憲の坂道を転げ落ち、
         アベ政権と与党自公は戦争へと火に油を注いでいる

   『●戦争法なんて要らない! 「武力による威嚇や武力の行使を
                …永久に放棄した日本の役割」を見失っている
   『●「我が軍」的自衛隊の「違憲」状態を「合憲」へと改めず、
                憲法を「壊憲」して「違憲」を解消する!?

   『●戦争で唯一得た平和憲法を壊憲…「日本は自由と民主主義を
                   失うだけで、代わりに得るものは何もない」

   『●立憲主義も理解できず…「行政の長である総理大臣が
       具体的な改憲日程を口にするのは完全に憲法違反」

    《小池 それと、安倍首相は2020年に新憲法施行するという宣言を
     したでしょう。改憲は国会が発議するもので行政の長である
     総理大臣が具体的な改憲日程を口にするのは完全に憲法違反
     そんなことまでわからなくなってるのか、と思いました》

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017051602000133.html

【社説】
日本の平和主義 不戦が死文化しないか
2017年5月16日

 自衛のための戦争なら何でも許される-、そう考えるのは誤りである。振り返れば、日本に限らず「自衛」の名を借りて、侵略戦争を引き起こしてきたからだ

 一九四六年六月。新憲法制定の帝国議会における吉田茂首相の答弁を振り返ってみよう。<近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変しかり、大東亜(太平洋)戦争しかりであります。今日わが国に対する疑惑は、日本は好戦国である。いつ再軍備をなして復讐(ふくしゅう)戦をして世界の平和を脅かさないともわからないということが、日本に対する大なる疑惑であり、また誤解であります>

 だから、九条を定め、この誤解を正さねばならないという吉田の主張である。導き出されるのは、九条は自衛戦争も含めた一切の戦争と戦力を放棄したという、憲法の読み方である。

 もっとも主権国家である以上、自衛権をも否定するものではないと解されてきた。そして、政府は自衛のため必要最小限度の実力を保持することは憲法上認められるとしてきた。その実力組織こそが自衛隊だった。

 学問の上では違憲・合憲のやりとりは今も続くが、国民の生命や自由を守るための実力組織としての存在は、国民から支持を得ているのは間違いない。

 ところが、安倍晋三政権下で他国を守る集団的自衛権の行使の問題が起きた。歴代の内閣法制局長官が「憲法改正をしないと無理だ」と述べたのに、一内閣の閣議決定だけで押し通した。「憲法の破壊だ」と声が上がったほどだ。安全保障法制とともに「違憲」の疑いが持たれている。

 今までの個別的自衛権は自国を守るためであったし、自衛隊は「専守防衛」が任務であった。それなのに任務が“突然変異”してしまった。他国や同盟国の艦隊などを守る任務は明らかに九条の枠内から逸脱している。歴代の法制局長官もそう指摘してきた。

 安倍首相は九条一項、二項はそのまま残し、三項以降に自衛隊を書き込む改憲案を提唱している。もともと不意の侵入者に対する自衛権だったのではなかったか。もし米軍とともに他国まで出掛けていく自衛隊に変質していくのなら九条の精神は死文化すると言わざるを得ない。

 平和憲法を粗末にすれば、「自衛」の名を借りた、自衛戦争をまた引き起こす恐れが出てくる。
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●アベ様広報官として、「「スゴイ、スゴイ」と安倍さんをヨイショしながら食べるしゃぶしゃぶは旨」いか?

2017年01月13日 00時00分04秒 | Weblog


アサヒコム(『週刊朝日』)のコラム【室井佑月「2017年もこれ」】(https://dot.asahi.com/wa/2017011000208.html)。

 《2017年もあたしが言いつづけるのはこれ。この国は、歪になってきてやしないか? そして、その歪が当たり前になってきてはいないか? それはうんと恐ろしいことである》。

 壊憲、そして、今や共謀罪を口にする…「『平成の治安維持法』を作った首相」にもはや誰も驚きもせず…な悲惨なニッポン。小泉純一郎氏さへが「『平成の治安維持法』を作った首相」と呼ばれることに躊躇したと言われているけれども、アベ様はお構いなし。報道機関や市民も神経麻痺か?

   『●「憲法は…世界のいかなる国も、
     いまだかつて言われなかったところの戦争放棄という重大な宣言をした」
   『●「不戦を誇る国であれ」…2017年も、
      アベ様ら自公お維の議員や支持者の耳には届かず
   『●室井佑月さん、「政府が間違ったことをしていたら、
         間違ってると言えるのが愛国者だと思うけど。」
   『●東京新聞社説「戦争に翻弄されない、
     平穏で豊かな暮らしを未来に引き継ぐことこそ、私たちの責任」
   『●室井佑月さん、「なんで2週間余りの祭りのために、
           大切な人権を蔑ろにされなきゃならないの?」
   『●誰が憲法を「破る者」=「壊憲者」か?:
       自公お維支持者、「眠り猫」の皆さんと「考えないことの罪」

 それは、《日本を称えるようなメディアの風潮》、特に、「本土」メディアにも大きな責任。さらに、《原発事故によって日本の技術がこてんぱんに打ちのめされた》と同時に、核発電所再稼働核発電輸出、「核なき世界」無きニッポンなどの、その後の経過を見ていると、色々な問題について、ニッポンの社会や政治のシステムが救い難い程にポンコツであることを全世界に示してしまった訳です。アベ様らを「ヨイショ」し、「ニッポンスゴイ」なんて…、口にすることはあまりにも恥ずかし過ぎる。
 《「スゴイ、スゴイと安倍さんをヨイショしながら食べるしゃぶしゃぶは旨かった?》、アベ様の広報官の皆さん。広報官の皆さんに尋ねても詮無いが、報道機関としての責任やジャーナリストとしての矜持はどこに? 3.11核発電人災は制御・管理できず、一方、いまや、「本土」メディアは完全にアンダーコントロール。「報道」という名の宣伝は「痛く」、「苦く」、それに対する、心ある人たちの視線は冷たい。

   『●失われる「メディアの作法、矜持」…
     「権力を監視する機能が失われ」、しかも、アベ様の「思う壺」
   『●青木理さん: ジャーナリストの矜持
      「権力や権威の監視」「強者にこそ徹底した監視の目を」
   『●反骨の報道写真家・福島菊次郎さん亡くなる: 
      『証言と遺言』の最後に赤々と押印、「闘え」「菊」と
   『●斎藤貴男さん、大新聞社は「自分たちだけは例外。
        権力にオネダリして、そうしていただいたのである」
   『●軽減税率というお零れと「ジャーナリズムの義務」: 
         「権力の犯罪を暴くためなら、権力に対しては…」
   『●柴田鉄治さん「キナ臭さが一段と増した年」、
       マスコミから失われる「ジャーナリズムの義務」…な1年

==================================================================================
https://dot.asahi.com/wa/2017011000208.html

室井佑月2017年もこれ」
(更新 2017/1/11 11:30)

      (メディアの皆様、安倍さんをヨイショしながら
       食べるしゃぶしゃぶは旨かった? (※写真はイメージ))

 作家・室井佑月氏は、日本を称えるようなメディアの風潮に、その背景にある政治との関係をみる。

*  *  * 

 2017年もあたしが言いつづけるのはこれ。この国は、歪(いびつ)になってきてやしないか? そして、その歪が当たり前になってきてはいないか? それはうんと恐ろしいことである。

 12月23日付の東京新聞「こちら特報部」の記事を取り上げる。

   <テレビや本は今年も「日本スゴイ」の称賛であふれ返った。
     (中略)自己陶酔の先には何が待っているのか。この間、
     「世界の報道自由度ランキング」などで日本メディアの評判は
     下落の一途をたどった。戦時下の日本でも
     「世界に輝く日本の偉さ」が強調され、やがて破局を迎えた
     タガが外れ気味の「スゴイブーム」を斬る>

 という良記事だ。記事の中で上智大の音好宏教授は、

 「社会が閉塞する中で、日本をポジティブに紹介してくれる番組を視聴者が選ぶ状況になっている」と分析している。

 もう一人、出版人らでつくる「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」事務局の岩下結氏は、「原発事故によって日本の技術がこてんぱんに打ちのめされたが、いつまでも引きずっていたくない。被害妄想からまず嫌韓本が広まった。これが批判を浴び、置き換わる形で一五年ごろから日本礼賛本が目立ってきた」と分析している。

 つまり嫌韓本と日本礼賛本を好む層の根っこはつながっている嫌韓も韓国は酷い。日本はスゴイと言いたいのだから。岩下氏は「言ってほしいことを確認することが目的になっている。自らを客観視できないことは非常に危険だ」と言っていた。あたしもそう思う。

 隣の国を叩いていれば、日本の技術力は上がるの? カジノ誘致で盛り上がっているが、博打の儲けを当てにする国になっていいの? ふたたび、技術力の日本という誇りを取り戻すためメディアは安倍政権の間違った成長戦略を正すべきだろう。

 編集者の早川タダノリ氏は、「(満州事変以降、日本主義の)批判勢力が市場から締め出された。第二次世界大戦に突っ込んでいった一因とも言える」と言っている。そしてまた「政治家が日本人としての誇りを取り戻せと振った旗にメディアが呼応するようになった」と。

 最後に、この記事のおまけ、デスクメモが面白いので取り上げる。

   <(略)安倍晋三首相は二十日夜、全国紙やテレビキー局の
     解説委員らと都内のしゃぶしゃぶ屋で会食している。
     首相と親交がある記者の集まりで、二〇〇八年ごろから
     定期的に開催されているという。総理スゴイなどと言って
     盛り上がったのだろうか

 どうなんですか? BSジャパン・石川さん、読売・小田さん、日テレ・粕谷さん、NHK・島田さん、朝日・曽我さん、時事通信・田崎さん、毎日・山田さん、「スゴイ、スゴイと安倍さんをヨイショしながら食べるしゃぶしゃぶは旨かった?

※週刊朝日 2017年1月20日号
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●「不戦を誇る国であれ」…2017年も、アベ様ら自公お維の議員や支持者の耳には届かず

2017年01月03日 00時00分39秒 | Weblog


東京新聞の社説【年のはじめに考える 不戦を誇る国であれ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017010102000121.html)。

 《人類はなぜ暴力を好み、戦争がやめられないのか。どうしたらやめる方向へと向かうのか。日本の平和主義を二つの観点から見てみましょう。一つは、だれもが思う先の大戦に対する痛切な反省です。…日本の平和主義についての二つめの観点とは、戦後憲法との関係です》。

 「侵略の定義は国際的にも定まっていない」というアベ様が王様な国・ニッポン。《不戦を誇る国であれ》…2017年も、アベ様ら与党・自公や「癒(着)」党のお維の議員や支持者の耳には届かず。アベ様やそのオトモダチ取り巻き連中の酷さといったら、もうウンザリ。2016年で御仕舞にしてほしいもの。
 《私たちは平和主義、世界に貢献する日本の平和主義をあらためて考えたいのです。ただの理想論を言っているのではありません。武力によらない平和を求めずして安定した平和秩序は築けない武力でにらみあう平和は軍拡をもたらすのみです。理想を高く掲げずして人類の前進はありえないのです》。全く同感です。

   『●歴史学者らの公開質問状に、「侵略の定義は
      国際的にも定まっていない」というアベ様はどう応えるのか?

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017010102000121.html

【社説】
年のはじめに考える 不戦を誇る国であれ
2017年1月1日

 新年早々ですが、平和について一緒に考えてください。人類はなぜ暴力を好み、戦争がやめられないのか。どうしたらやめる方向へと向かうのか。

 日本の平和主義を二つの観点から見てみましょう。

 一つは、だれもが思う先の大戦に対する痛切な反省です。

 振り返れば、日本は開国をもって徳川の平和から明治の富国強兵へと突入します。

 平和論より戦争論の方が強かった。「和を以(もっ)て貴しと為(な)す」の聖徳太子以来の仏教の平和論をおさえて、ヨーロッパの戦争論がやってきます。

 例えば「戦争は政治の延長である」という有名な言葉を記すプロイセンの将軍クラウゼヴィッツの「戦争論」。その一、二編はドイツ帰りの陸軍軍医森鴎外によって急ぎ翻訳され、続きは陸軍士官学校が訳します。海洋進出を説く米国の軍人で戦史家マハンの「海上権力史論」も軍人必読でした。

 欧米の戦争を学ぶ。いい悪いはともかくも追いつかねば、の一意専心。帝国主義植民地主義。日清、日露の戦争。

 そういう戦争精神史をへて突入したのが、満州事変に始まって太平洋戦争に至るいわゆる十五年戦争です。

 最大の反省は人間が人間扱いされなかったことです。人間が間化されたといってもいいでしょう。そういう異常の中で敵側は人間以下であろうし、味方にもむやみな死を求める

 クラウゼヴィッツのいう政治目的の戦争ではもはやなく、ただ進むしかない、戦争を自己目的化した戦いになっていたといっていいでしょう。


◆ただの戦争嫌いでなく

 その絶望の果てに戦後日本は不戦を尊び固守してきたのです。

 守ってきたのは元兵士と戦争体験者たちです。

 文字通り、命がけの訴えといってもいいでしょう。ただの厭戦(えんせん)、戦争嫌いというのでなく、国は過ちを犯すことがあるという実際的な反省でもあります。国民には冷静な目と分析がつねに必要だという未来への戒めです。

 日本の平和主義についての二つめの観点とは、戦後憲法との関係です。

 戦争勝者の連合国は敗者の日本、イタリア、西ドイツに非軍事化条項を含む憲法を求めた。

 戦後冷戦の中で日本はアメリカの平和、いわゆるパックス・アメリカーナに組み込まれ、自衛隊をもちます。

 その一方で稀有(けう)な経済成長に恵まれ、その資力を主にアジアの発展途上国への援助に役立てます。

 ここで考えたいのは、平和主義とはただ戦争をしないだけでなく平和を築こうということです。前者を消極的平和、後者を積極的平和と呼んだりもします。

 例えば積極的平和を築こうと一九六〇年代、平和学という学問分野が生まれ、ノルウェーにはオスロ国際平和研究所ができた。政治や法律、経済、国際関係、歴史、哲学、教育など科学を総動員して平和を築こうというのです。

 実際にノルウェーは大国などではありませんが、イスラエルとパレスチナの間に和平をもたらそうというオスロ合意を成立させた。中東の国連平和維持活動に出ていて、両者の争いを終わらせるのは武力でなく対話しかないと考え至るのです。今は失敗かとまでいわれますがその熱意と意志を世界は忘れていません

 日本国憲法の求める平和主義とは武力によらない平和の実現というものです。

 対象は戦争だけでなくたとえば貧困や飢餓、自然災害の被害、インフラの未発達など多様なはずです。救援が暴力の原因を取り去るからです。

 NGO、非政府組織の活動が広がっている。ミリタリー、軍事から、シビリアン、民間への移行です。日常の支援が求められます。ミリタリーの非軍事支援も重要になっている。

 だが残念ながら世界は不安定へと向かっているようです。


◆武力によらない平和を

 格差とテロとナショナリズム。それらが絡み合って国や民族が相互不信の度を高めつつある。しかし不信がつくられたものなら、解消することもできるはずです。

 そういう時だからこそ、私たちは平和主義、世界に貢献する日本の平和主義をあらためて考えたいのです。

 ただの理想論を言っているのではありません。武力によらない平和を求めずして安定した平和秩序は築けない武力でにらみあう平和は軍拡をもたらすのみです。

 理想を高く掲げずして人類の前進はありえないのです。
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●非常時に「三思」: アベ様の「わが軍」の下、「子」を「人殺し」に行かせたいという「親」心を理解不能

2016年05月04日 00時00分19秒 | Weblog


東京新聞の社説【憲法記念日に考える 汝、平和を欲すれば…】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016050302000121.html)。

 《「在任中に成し遂げたい」と首相が憲法改正に意欲的です。国防軍創設など九条改憲案を自民党は掲げています。平和主義の未来が心配でなりません

 「ト」な論理、違憲な手法で壊憲…そんな自公お維大地を支持する投票者って、一体全体、何を考えているの?

   『●「憲法九条…戦争放棄はGHQの指示ではなく、
      当時の幣原喜重郎首相の発意だったとの説が有力」
    「《日本国憲法は、連合国軍総司令部(GHQ)に
     強いられたものであり、自らの手で作り替えたい》…押し付け? 
     これまた、古い呪文、昔の名前をひたすら唱えるアベ様の自公政権。
     「積極的平和主義」を愛する公明党も壊憲をあと押し。
     自公お維大地こそが壊憲を市民に強いているし、押し付けている
      『LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)にも、
     【改憲派の「日本国憲法は米国から押し付けられた」はデマだった! 
     9条が幣原総理の発案だったとの証拠が明らかに】
     (http://lite-ra.com/2016/02/post-2017.html)という記事が…」

 asahi.comの記事【改憲不要55%、必要37% 朝日新聞世論調査】(http://www.asahi.com/articles/ASJ4L3W9ZJ4LUZPS001.html?iref=comtop_pickup_01)によると…、

    《憲法を「変える必要はない」が昨年の調査の48%から55%に増え、
     「変える必要がある」は昨年の43%から37%に減った。
     大災害などの際に政府の権限を強める「緊急事態条項」を憲法に
     加えることに「賛成」は33%で、「反対」の52%が上回った…
     憲法9条も「変えない方がよい」が昨年の63%から68%に増え、
     「変える方がよい」の27%(昨年は29%)を大きく上回った。
     安全保障関連法に「賛成」は34%、「反対」は53%

…とのこと。
 壊憲の機運など全く高まらず。それでも、壊憲賛成が《37%》にも及ぶことは、ブログ主には想像を絶すること。壊憲賛成ということは、平気で余所ンチの「人殺し」に「子」を送り出すということ。アベ様の「わが軍」の下、「子」を「人殺し」に行かせたいという、自公お維大地支持者=「親」の心理が全く理解できない。

 《今もまた“非常時”です》…平和憲法憲法9条を破壊し、アベ様らのあのトンデモ「壊憲」草案が現実のものにしようとしています。《非常時》の今、《三思》すべきではないですか。

   『●あのトンデモ「壊憲」草案が現実のものに…
     悲劇か喜劇か? アベ様信者の皆さんに「届く言葉はあるか?」
   『●20XX年、再び戦争が始まった…: 
      立憲主義を否定し、クーデターで壊憲しといて、そりゃぁないでしょ
   『●アベ様ら「貧しい人」=「ぜいたくな暮らしを際限なく求め、
                欲の奴隷となって」政を行い、人殺しへと誘う

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016050302000121.html

【社説】
憲法記念日に考える 汝、平和を欲すれば…
2016年5月3日

 「在任中に成し遂げたい」と首相が憲法改正に意欲的です。国防軍創設など九条改憲案を自民党は掲げています。平和主義の未来が心配でなりません

 ラテン語で表題が書かれた文章があります。訳せば「『汝(なんじ)、平和を欲すれば、戦争を準備せよ』と『汝、平和を欲すれば、平和を準備せよ』」です。一九三三年に書かれた論文で、筆者は東大法学部教授の横田喜三郎でした。

 「平和を欲すれば、戦争を準備せよ」という標語は昔、オーストリア・ハンガリー帝国の陸軍省の扉に書いてありました。

 強大な軍備を用意しておけば、他国は戦争を仕掛けてこないだろうから、平和を得られる。そんな論法です。横田は記します。

   <標語に従つて、各国はひたすら戦争の準備を行い
     互(たがい)に強大な軍備を用意することに努力した。
     そこに猛烈な軍備競争が起(おこ)つた。
     その結果は世界大戦であつた>

 第一次世界大戦のことです。一四年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が暗殺されたのをきっかけに、戦争が始まり一八年まで続きました。「戦争を準備せよとした同帝国は崩壊しました。皮肉です。

 この後に「不戦条約」が二八年にパリで結ばれます。戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決しようという約束です。横田はこう記します。

   <『汝、平和を欲すれば、平和を準備せよ』 
     世界戦争後に、不戦条約がパリで記名されようとしたとき、
     こう金ペンに書いて、フランスのアーヴルの市民はケロツグに贈つた。
     ケロツグはこの金ペンで不戦条約に記名した>


◆満州事変は自衛権か

 「ケロツグ」とは米国の国務長官だったケロッグで、フランス外相とともに条約を提唱しました。

   <アーヴル市民の金言が世界の指導原理となつた。
     平和を準備するために、各国は協力して、軍備を縮少(小)し、
     戦争を禁止し、紛争の平和的解決に努力した

 横田の論文は東大法学部の学生向けの雑誌に寄せたものでしたが、中には「横田先生万才(歳)! 横田教授頑張れ!!」と書き込みをした人もいました=写真。感激したのでしょう。三一年の満州事変を批判した学者としても横田は有名な存在でした。

 一八九六年に現在の愛知県江南市に生まれ、旧制八高から東大に進み、国際法学者となりました。名古屋新聞(中日新聞)の配達をした経験もあった人です。

 満州事変とは中国・奉天(現在の瀋陽)で鉄道爆破をきっかけに、関東軍が中国の東北部を占領した出来事です。横田は帝国大学新聞に「はたして軍部のいっさいの行動が自衛権として説明されるであろうか」と書きました。

 鉄道破壊が事実であったとしても、それから六時間のうちに北方四百キロ、南方二百キロもの都市を占領したことまで、自衛のためにやむをえない行為であったと言い得るか。鋭い疑問を呈したのです。

 さっそく右翼の新聞が「売国奴の帝大教授」として攻撃しました。ある会議で上海に行きましたが、「コウベハキケン」と電報を受け取り、帰りは長崎に寄りました。それから福岡、別府(大分)…。なかなか東京に戻れなかったそうです。

 その横田が東大法学部の大教室に再び立つと、満員の学生から割れるような拍手を浴びました。再び三三年の論文に戻ります。

   <歴史は繰り返すと言う。人は忘れ易(やす)い
     (中略)満州事件を契機として、まず太平洋の舞台に
     戦争の準備が開始され、軍備の拡張と競争が展開しようとしている>

 戦争の歴史は繰り返す-。横田は懸念しています。満州国が生まれたのが三二年。犬養毅首相が暗殺された五・一五事件もありました。ドイツでヒトラーの独裁政治が始まるのは三三年です。この論文はきな臭い空気を吸って書かれていることがわかります。


非常時には金言を胸に

 横田は非常時の国民に向かって最後を締めくくります。平和を欲するならば、戦争を準備するのか、平和を準備するのか、いずれを選ぶべきかを三思せよ」と…。三思とは深く考えるという意味です。歴史の教訓に立てば答えは明らかでしょう

 横田の論文については、樋口陽一東大名誉教授が著書で紹介しています。昨年には東大でのシンポジウムでも取り上げました。改憲が現実味を帯びているからでしょう。今もまた“非常時”です軍備の拡張と競争になれば…。猜疑(さいぎ)と不安の世界になれば…。ケロッグのペンに書かれた金言を忘れてはなりません
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●壊憲法案・戦争法案に反対!: 多くの市民、幅広い世代がその本質を理解し、大反対している

2015年09月11日 00時00分48秒 | Weblog


東京新聞のコラム【【私説・論説室から】憲法は日本人だけのものか】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015090702000133.html)。
日刊ゲンダイの記事【投稿でSEALDs励ます 加藤敦美さん「若者たちに希望感じる」】(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/163352)。

 「人垣の中に民族差別に反対する市民団体「のりこえねっと」の共同代表、辛淑玉さんの姿があった。両手で掲げた大きなカードにはこう書かれていた。「日本は、私の故郷です。在日として、人殺し法案に反対します!」……言うまでもない。憲法は、多くの権利を在日外国人にも保障する。日本人だけの宝ではない。日本に生きるすべての人のためにある」。

   『●壊憲: 国内問題ではなくて、もはや国際問題
    「ジャン・ユンカーマン監督は「日本国憲法、特に憲法9条は
     国際的に日本の平和に対する姿勢の現れとして見られている。
     だから日本の憲法改正論議は国内問題ではなく、国際的な問題だ」
     と話す。その先駆けとなった日本が平和条項を改正すれば、
     それは日本の国際的な信用を損ねるのみならず、
     日本に倣って平和憲法を作った国々にも大きな落胆をもたらすだろう。
     ユンカーマン氏は、今日の日本の政治家たちにその視点が
     欠けていることに大きな危惧を抱くという」

 見落とされがちな、もっと広い意味での「国内問題」に気付かされる。同時に、「国際問題」でもある。
 そして、差別主義者歴史修正主義者暴力主義者と壊憲論者の微妙な重なり具合幅の狭さ「壊憲」界の世間の狭さ

   『●『「非国民」のすすめ』読了(3/6)
   『●『石原慎太郎よ、退場せよ!』読了(1/3)
   『●〝腰ぬけ〟で結構、害悪老人よりは!!
   『●「言論の自由」と、「言論の暴力」をも超える行為
   『●ヘイトスピーチ、自らの言論の自由を狭めている
   『●「NHKと安倍自民党」
       『週刊金曜日』(2014年2月14日号、979号)について

   『●一国の首相が歴史修正主義者なんて恥ずかしいし、
                 羞恥心の無さと自覚の無さという救いの無さ

   『●首相からして歴史修正主義者な国の文科大臣の「食言」
   『●「ヘイトの深層」 『週刊金曜日』
      (2014年8月29日号、1005号)についてのつぶやき

   『●石坂啓さん「道徳心とか愛国心とかが
      コドモたちにとって安全かどうか、なぜ疑ってかからない」

   『●「道徳」を説く文科相がソレってOKなの? 
       「道徳心とか愛国心とかがコドモたちにとって安全」??
   『●「薄っぺらで反知性的なタカ派」的・
       独善的首相戦後七十年談話など、全く不要

   『●《空疎な小皇帝》石原慎太郎元東京「ト」知事が受章:
                差別主義者の胸にワッペンはお似合いだ

   『●『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』:
       「歴史はあらゆる側面から語られる必要がある」

   『●麻生太郎派閥の親バカならぬ、親分バカ:
              子分が子分なら、親分も親分

   『●芸術家との意見交換を通じて「心を打つ『政策芸術』を立案し、
                   実行する知恵と力を習得・・・だそうです

 壊憲論者の幅の狭さに対して、「憲法学者、弁護士、退職裁判官、そして、元最高裁長官。あとは、現役裁判官の勇気だけ。この一連のクーデター行為によるトンデモな壊憲。……、今後、様々な裁判が提起されると思う。そこで現役の裁判官がどう判断するのか、特に最高裁」。
 この幅の広さは世代についても言える。「元予科練の加藤敦美さん(86)が朝日新聞に寄せた投稿だ。「学生デモ 特攻の無念重ね涙」(7月23日付)の一文はネットを通じて拡散し、国民的な話題に」。
 壊憲反対は幅広い世代にもわたっている……「世代を超えた連帯が安倍政権を追い詰めている」。幅広い世代がその本質を理解し、大反対している。

   『●「最高裁は、一切の…が憲法に適合するかしないか
       を決定する権限を有する終審裁判所」…が壊憲認定?

=====================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015090702000133.html

私説・論説室から
憲法は日本人だけのものか
2015年9月7日

 「戦争のできる国へと憲法を変質させる安保関連法案の廃案を求め、群衆が国会前を埋め尽くした八月三十日。人垣の中に民族差別に反対する市民団体「のりこえねっと」の共同代表、辛淑玉さんの姿があった。両手で掲げた大きなカードにはこう書かれていた。

 「日本は、私の故郷です。在日として、人殺し法案に反対します!

 在日コリアンらを標的に「殺せ!」「日本からたたき出せ!」と口汚く攻撃する人と闘うことと、安保法案に反対することの根っこは同じだと辛さんは言う。日本が戦争に加われば、女や子ども、高齢者・障害者ら戦力にならない人々とともに、在日コリアンら外国人は真っ先に邪魔もの扱いされるだろう。「互いを殺し尽くすまでやるのが戦争。私たちは祖国からも日本からも殺される」。辛さんの言葉を思い出す。不戦を誓った憲法には在日の人々の生存もかかっているのだ。

 法案に反対する著名人のスピーチに気になる表現を感じたことがある。その人は「私たち日本人の中に憲法がある」と言った。だが在日の友人はつぶやく。デモで「日本人」とか「国民」という言葉を聞くと怖くなる、と。

 敏感な友人は、何げない言葉にもナショナリズムの芽を感じたのだろう。言うまでもない。憲法は、多くの権利を在日外国人にも保障する。日本人だけの宝ではない日本に生きるすべての人のためにある。 (佐藤直子
=====================================================

=====================================================
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/163352

投稿でSEALDs励ます 加藤敦美さん「若者たちに希望感じる」

     (加藤敦美氏は現在京都市在住(C)日刊ゲンダイ)

 12万人が国会周辺を埋め尽くした安保法制反対の8・30国民大運動。それを主導したのは学生団体SEALDs(シールズ)だが、彼らの活動を励ましたのが、元予科練の加藤敦美さん(86)が朝日新聞に寄せた投稿だ。「学生デモ 特攻の無念重ね涙」(7月23日付)の一文はネットを通じて拡散し、国民的な話題になった。その後、シールズ中心メンバーの奥田愛基さんとの対談も実現している。



――安保法案に反対するシールズを見て、「オーイ、今こそ俺たちは生き返ったぞ」と寄せた投稿は、国会前集会で奥田さんが涙ながらに全文を朗読していました。彼らは国会前デモに来る前、加藤さんの文章を読むそうですよ。

 衆院で安保法制が強行採決をされた直後、彼らの写真が新聞に載っていました。それを見て、涙があふれ出てきた。「俺たちはこんなふうに生きたかった」という思いが込み上げてきたのです。なぜ予科練で特攻を目指していた私が、若い人たちの姿を見て泣いたのか。それは、何かのルサンチマン(恨み)だったと思います。「あんなふうに(反対運動をして)生きたかったな」という思いが心の底にたまり続けていたのでしょう。



 現在、86歳の加藤さんは1928年に関東州の大連で生まれた。祖父も父も南満州鉄道の社員で、16歳の時に予科練(海軍飛行予科練習生)に合格して本土に渡った。



 予科練では「海軍通信学校」(山口県防府市)に入り、モールス信号を受信する訓練を受けました。九州の基地から出撃した特攻隊機が敵艦突入の際に発する信号音を聞き取っていたのです。周波数を合わせると、「ピーーー」という音が聞こえたのですが、ふっと消えた。しばらくして、また「ピーーー」と鳴って、ふっと消える。その時に班長が「今のは特攻機が突っ込んでいった時の音だ」と私に告げました。聞こえなくなった時が死の瞬間だったのです。

 最初は「ああ、そうか」と思っただけでした。音しか聞こえず、特攻機が突っ込んでいく映像を見ていないので、何の感情もイメージも湧かなかった。でも、パイロットが電鍵を押しっぱなしにしないと、電波は出ない。特攻隊員は死ぬ瞬間まで「絆」「つながり」を断たれないようにしていた。それで「最後まで俺たちを見捨てるな!」という魂の叫びに聞こえるようになりました。国も靖国神社も天皇も関係はない。「ただ誰かとつながっていたい」というのが特攻隊員の本当の思いだったに違いないと。



■「武藤議員の主張を聞いて『またか…』と」

 シールズの千葉泰真さんも7月31日、都内の集会で加藤さんの投稿を読み上げ、「僕は国会前に立つ時、いつも、かつての戦争に短い生涯を散らした先人たちが近くにいて『頑張れ』と背中を押していてくれるような気がする」と話し、こう訴えた。「敗戦によって悲しみの底に投げ出された日本人だから持てる『二度と戦争をしない』と誓った不戦の感性を(安倍政権が)軽薄に投げ捨てるということは、あの悲惨な戦争で犠牲になったあまたの先人たちに対し、あまりに冒涜的なのではないでしょうか」



 武藤貴也衆院議員(滋賀4区)はシールズの主張を「利己的」と批判しましたが、「また来たか」と思いました。私は満州で生まれ育ちましたが、小学生の時から「自分のことを主に考えるやつは利己主義だ、非国民」と散々言われました。同じことを武藤議員が言いだした。「国のためにおまえらの命をよこせ。嫌とは言わせないぞ」という意味としか取れませんでした

 当時は「死ぬことは美しいこと」と賛美され、「天皇陛下のために死ぬ。死んでも靖国神社に行って神になれる」と教えられました。そして日中戦争が長引くにつれて、ピカピカだった装備はボロボロになっていき、「このままでは満州での居場所がなくなる」と思い詰め、せき立てられるように予科練に志願し、合格しました。それでも満州を離れる時、本音では「(入隊を)誰か止めにきてくれないのか!」「助けてくれ!」と願っていました。「天皇のために死ぬ」と考えても、恐怖で体の震えが止まらなかったのです。

 予科練でも死ぬことしか教えられませんでした。上官にこん棒でぶん殴られ、怒鳴られたりして、消耗品のように扱われた百田尚樹著『永遠の0』のような美化された世界ではない。実際、練習生隊長からは「天皇や国のためなんかのキレイ事ではないお前たちは消耗品だ命令されたら死ねばいいのだ!」と言われました。そして先輩や同輩たちは特攻で死んでいった。人間魚雷「回天」で亡くなった仲間もいた。でも本当は「自分たちは生きたかった。死にたくなかった」と思います。もっと言えば、「愛されたかった。愛したかった」。

 それで、朝日新聞の投稿には「人生には心からの笑いがあり、友情と恋があふれ咲いていることすら知らず、五体爆裂し、肉片となって恨み死にした」と書きつづったのです。愛し愛される機会が奪われていた海軍生活の中で、それでも仲間たちは「愛してくれ。俺も愛したい」「誰かとつながっていたい」と思いながら、「ピーーー」という音を残して亡くなっていったのです。



 加藤さんはアルバムを開いて、予科練時代の写真を見せてくれた。当時は17歳。約70年前に撮影されたものだった。ちょうど70年間、日本は憲法9条を守って戦争をしてこなかった。同じく中心メンバーの本間信和さんは7月24日、国会前集会でこう訴えた。「70年前の戦争で、どれほど悲惨だったのかを学んだんですよ」「俺たちは30年後、『この国は100年戦争をしなかった』と言いたいんだよ!」「これから長い夏がやって来ますけれども、絶対、あいつ(安倍首相)を引きずり降ろすぞ!」



 若者たちの反対運動を見ると、希望を感じます。と同時に、涙が出てくるのです。若者たちの運動と広がりは、集合的無意識の結集体のようなものかも知れません。思いもよらない形で、平和を望む人々の思いが一定方向に動いているのではないか。私のうかがい知らないところで、朝日新聞の投書が広がっているのは、そのためかもしれません。



■「安倍首相に憲法を壊す権利はない」

 「安保法制=アメリカの傭兵になる」と考えています。安保法制が成立した途端、戦争が起こせるようになります。一番怖いのは「国家安全保障会議」で、メンバーは安倍首相と官房長官ら4人だけでしょう。彼らが真珠湾攻撃満州事変のようなことを企んでも、特定秘密保護法があるから誰も知ることができないナチスドイツのような軍事国家の完成です。そして、いったん鉄砲をぶっ放してしまうと、国民の心はガラリと変わってしまうかも知れません。

 でも、いまや憲法9条は日本のアイデンティティーですから、逆に安倍政権が総崩れになるかもしれません。「安倍路線に対抗できる力を持っているのは憲法9条ではないか」と思ったりもします。そして「憲法を守れ」と訴えるシールズの運動が世代や地域を超えて広がっています。戦争をしないシールズの路線か、戦争法案をゴリ押しする安倍路線が激突しているともいえます。若者たちの運動を見ると、憲法9条そのものが話しているような気さえします。

 憲法9条はもはや日本だけのものではなく、世界の宝のような存在です。戦火に見舞われている中東の人たちも「憲法9条、平和憲法のある日本はうらやましい」「自分たちも憲法9条があったらいい」と言っています。だからこそ、日本国憲法を壊す権利は誰にもありません。ましてや、安倍首相にはないと思っているのです。



 8月22日、奥田さんは京都市内の加藤さんを訪ねた。「加藤さんは、僕らが投稿を読み上げていることを知っていました。『戦争体験者の押し付けではなく、戦争体験を全く知らない君たちが戦争反対を言いだした。勝手にやり始めて本当にありがとう』と涙ながらに言っていました」。世代を超えた連帯が安倍政権を追い詰めている
=====================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●戦争と原発: 伊丹万作さん「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」

2012年08月16日 00時00分02秒 | Weblog


戦争責任に関するasahi.comの記事(http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000901112220002)。戦争と原発についての東京新聞の二つの記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012081502000144.htmlhttp://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012081590135501.html)。関電に騙されたという話の東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081502000108.html)。最後に、原発輸出についてasahi.comの記事(http://www.asahi.com/national/intro/TKY201208140565.html)。

 数日前の朝日新聞生活欄に伊丹万作さんの記事が出ていたので、検索したが出てこず。その代り、同様な内容の古い記事『声を上げない国民性 またも』が出てきた。
 伊丹監督の言葉。「多くの人が戦争でだまされていたというが、だまされるということ自体がすでに一つの悪である/だますものだけでは戦争は起こらない/だまされていた、といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」。

   『●『戦争の世紀を超えて』読了
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)
   『●『だまされることの責任』読了(1/3)
   『●『だまされることの責任』読了(2/3)

いままさに、原発再稼働で「騙されることの責任」が生じようとしてはいないだろうか? あの「戦争」とこの「原発」、同じじゃないのか? 東京電力原発人災以降に、原発再稼働原発輸出、「平気でいられる国民」であってはならない。
 「関西電力管内の最大電力需要が二千六百八十一万キロワットで、猛暑だった二〇一〇年夏よりも四百十四万キロワット、率にして13%下回っていたことが分かった」そうだ。またしても、「だまされるということ自体がすでに一つの悪」をなしてしまったのかもしれない。

 もちろん、騙す者が最大の悪ではある。そして、原発輸出でベトナムトルコ・リトアニア・ヨルダンの人たちを騙す側に。東京電力原発人災で、損害賠償などしようもないことが分かった我々が。

================================================================================
http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000901112220002

回顧2011みえ
声を上げない国民性 またも
2011年12月22日

 「原発」と「戦争」を同列に論じるのは、乱暴かもしれない。だが、「芦浜原発」阻止を訴える詩を残した錦米次郎(よねじろう)には、重なり合って見えたに違いない。
 8月に連載した「戦争と詩人」の取材で、その生涯をたどった。農家の日々の生活から社会を見つめた詩作の原点は、3度の戦場体験にあった。
 最初は、満州事変後の中国東北部(旧満州)に出征。大虐殺と国際的な非難を浴びた南京事件の現場にも立たされた。そして、再召集された南部仏印(ベトナム)で終戦を迎え、数多くの農民の餓死や対仏解放運動を目の当たりにした。
 戦場では、弱い立場の人々が犠牲を強いられる生活、人生、命、すべてが踏みにじられる。そして、貧しい農家の錦がそうだったように、同じ立場の人々が最前線で「加害者」にもさせられる。戦場の本質は、いつの時代も変わらない。
 錦は「芦浜原発」の立地計画があった南伊勢町と大紀町境の予定地に自ら足を踏み入れ、漁民たちから話を聞いた。誰もが受ける電気の恩恵のために、なぜ地方だけがリスクを負わされなければならないのか。漁民の生活はどうなるのか。建設の先に錦が見たのは、戦場と同じ犠牲だったのだろう。
 80年前、この国は満州事変を起こし、破滅の道を突き進むように15年近く戦争を続けた。「大東亜共栄圏」「五族共和」「自存自衛のための聖戦」。大多数の国民が信じた。錦自身も「国家の絶対を疑わなかった」と戦後に書き残した。
 錦の言葉に考えをめぐらせながら、映画監督の故・伊丹万作が終戦翌年に書いた「戦争責任者の問題」という一文を思い出した。

   《多くの人が戦争でだまされていたというが、
    だまされるということ自体がすでに一つの悪である/
    だますものだけでは戦争は起こらない/
    だまされていた、といって平気でいられる国民なら、
    おそらく今後も何度でもだまされるだろう》

 「戦争」を「原発」に置き換えると、錦の視点がとらえた戦後社会の本質が理解できるように思える。それは、終戦の後も変わらなかった社会構造であり、自分で考え、声を上げることが少ない国民性ではないか。連載を終え、そう感じている。(中村尚徳)

◎錦米次郎
 1914~2000。戦後、三重詩話会を立ち上げ、今年60周年を迎えた「三重詩人」を創刊。四日市公害、長良川河口堰(かこうぜき)、成田空港建設といった社会問題に関心を持ち続けた。1937年の南京事件を題材にした「南京戦記~わが軍隊手帳」(85年)などの作品のほか、代表的な詩集に「百姓の死」がある。
================================================================================

================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012081502000144.html

【社説】
戦争と原発に向き合う 未来世代へ責任がある
2012年8月15日

 広島、長崎の原爆忌を経て、六十七回目の終戦記念日です。東日本大震災と福島第一原発事故後の八月は、戦争と原発に向き合う月になりました。
 毎週金曜夜に恒例となった首相官邸前の反原発デモは、ロンドン五輪の晩も、消費税増税法成立の夜も数万の人を集めて、収束どころか拡大の気配です。政府の全国十一市でのエネルギー政策意見聴取会でも原発ゼロが七割で「即廃炉」意見も多数でした。
 二〇三〇年の原発比率をどうするのか。原発ゼロの選択は、われわれの価値観と生活スタイルを根元から変えることをも意味します。その勇気と気概、覚悟があるか、試されようとしています。

内なる成長信仰なお
 それまで散発的だった各地の反原発抗議行動の火に油を注いだのは、関西電力大飯原発の再稼働を表明した野田佳彦首相の六月八日の記者会見でした。安全確認がおざなりなうえに、「原発を止めたままでは日本の社会は立ちゆかない」と、再稼働の理由が経済成長と原発推進という従来の国策のまま。「夏場限定の再稼働では国民の生活は守れない」とまで踏み込んでいました。
 反原発や脱原発の市民が怒る一方で財界、産業界が安堵(あんど)、歓迎したのはもちろんです。最大手全国新聞の主筆は野田首相の「反ポピュリズム」的決断と評価、「電力・エネルギー不安を引き金とする経済破局は避けられるに違いない」と論評しています。
 原発に関する世論調査では奇妙な傾向に気づきます。新聞やテレビの調査では、原発ゼロを求める声は、街頭に繰り出しているような勢いがなく、日本経済のために原発推進が少なくないことです。四十年前、水俣病の原因がチッソ水俣工場の廃液だったことが判明したあともチッソ擁護市民が少なくなかったように、フクシマ後も。われわれの内なる成長信仰は容易には変わらないようです。

倫理と規範と人の道
 しかし、経済以上に忘れてはならない大切なものがあります。倫理や規範、あるいは人の道です。
 作家村上春樹さんは、昨年の六月、スペイン・バルセロナのカタルーニャ国際賞授賞式のスピーチで、福島原発事故をめぐって「原発を許した我々は被害者であると同時に加害者。そのことを厳しく見つめなおさないと同じ失敗を繰り返す」と語りました。
 村上さんの悔恨は、急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、大事な道筋を見失ってしまったことでした。核爆弾を投下された国民として技術と叡智(えいち)を結集、原発に代わるエネルギーを国家レベルで追求、開発する。それを日本の戦後の歩みの中心命題に据えるべきだった。そんな骨太の倫理と規範、社会的メッセージが必要だった。世界に貢献できる機会になったはずだったというのです。我々は原発に警告を発した人々に貼られたレッテルの「非現実的な夢想家」でなくてはならないのだ、とも。
 日本の原発は老朽化の末期症状から大事故の危険性があり、廃炉の研究も十分には進んでいません毎日大量に生み出される低レベル放射性廃棄物で三百年、高レベルだと十万年の厳重な隔離管理が必要です。人知が及ばない時空、利便や快適な生活のために危険な放射性廃棄物を垂れ流しているとすれば、脱原発こそが、われわれの未来世代に対する倫理であり、人の道だと思えるのです。
 千年に一度の大震災と原発事故は、人々を打ちのめしましたが、日本が受け入れてきた西洋文明や思想、科学技術について考える機会ともなりました。文明の転換期のようです。成長から脱成長の時代へ。どんな時代、国、社会へと変わっていくのかは不確かですが、この国には信じ、愛するに足る人たちがいます。
 文学者のドナルド・キーンさんは、日本への帰化に際して、作家高見順が戦争中に日記に書いたのと同じ結論に至ったと打ち明けました。高見順は東京上野駅での空襲の罹災(りさい)民たちが、おとなしく健気(けなげ)、我慢強く、謙虚で沈着なのに感銘して、日記に「こうした人々と共に生き、死にたいと思った」と記したのでした。それは大震災での東北の人々と同じでした。

幸せな生き方さまざま
 在野の思想家の渡辺京二氏が「逝きし世の面影」で紹介したのは、幕末に訪れた外国人の目に映った日本と日本人のすばらしさでした。
 「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」。貧しいけれど人間の尊厳が守られた幸せな人たち。当たり前のことながら、幸せは物質の豊かさではない。かつても、これからも、幸せな生き方はさまざまであることを教えています。
================================================================================

================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012081590135501.html

惨禍二度とないよう 父は戦死 故郷は汚染
2012年8月15日 13時58分

 「戦争と原発事故がなければ」。大震災による東京電力の福島第一原発事故の影響で、東京都内に避難中の福島県大熊町の多門幸一さん(68)は、追悼式に参列し、失ったものの大きさをかみしめた。戦争で父を、原発事故で代々の土地と生活を奪われた。「二度と惨禍が起きないように祈ります」

 父、七郎さんは終戦前の一九四四年春、会津若松にあった陸軍の連隊に召集された。幸一さんは生後六カ月。七郎さんはすぐに中国・湖南省に出征し、同八月に戦病死した。二十八歳だった。
 戦後、家に届いたのは戦死公報と石ころ一つだけだった。「父の面影さえない。時代とはいえ、意味のない死だった」と話す。
 家は代々のコメ農家で、母親は農作業に追われながら、幸一さんら子ども三人を育てた。母親は苦労の中でも夫のことを口にしなかった。幸一さんは、「父がいてくれたら」と幾度となく思った。
 やがて幸一さんは農業を継ぎ、家庭を築いた。その生活は昨年三月十一日の大震災で一変した。家は福島第一原発から約七キロメートル。家は壁が壊れた程度だが、町の呼びかけで「訳が分からないまま妻や町の人と郡山市に避難した」という。原発事故を知ったのは二日後のニュースだった。
 今は東京都練馬区内の娘夫婦の家に身を寄せる。大熊町の家にも何度か一時帰還した。田は荒れ、両親が眠る墓も倒れたまま。放射線量の高い町の除染はまだで、大部分が帰還困難区域となる可能性が高い。「原発は安全」としてきた国や東電に対し、「町は原発の恩恵も受けたけれど、裏切られた思いです」と言葉少なに話す。
 昨年、大熊町から追悼式に参列したのは一人もいなかった。幸一さんも「行ける状態ではなかった」。ただ、欠かさなかったお盆の墓参りも、今までのようにはいかない。「生きているうちに家に戻れるかどうかも分からない。式で父に震災を報告し、農作物を作れないことを謝ります」と話した。 (星野恵一)

(東京新聞)
================================================================================

================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081502000108.html

猛暑の10年より13%低く 関電管内 節電要請6週間 最大需要
2012年8月15日 朝刊

 政府が七月二日に始めた節電要請から六週間の八月十二日までの間、関西電力管内の最大電力需要が二千六百八十一万キロワットで、猛暑だった二〇一〇年夏よりも四百十四万キロワット、率にして13%下回っていたことが分かった。
 最大需要を記録した日の最高気温は今夏も一〇年夏もほぼ同じだが、今夏は東京電力福島第一原発事故を背景に企業や家庭の節電が需要を押し下げた。
 政府や関電は「一〇年並みの暑さになれば電力が大幅に不足する」として大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町、いずれも出力百十八万キロワット)を再稼働する根拠にしていた。関電広報室の担当者は「節電協力のおかげ。今後は気温上昇による需要増加や発電所のトラブルも想定され、需給が厳しくなる可能性もある」と説明した。
 これまでの最大需要は、大阪市の最高気温が三六・七度に達した八月三日午後二時台。一〇年夏は八月十九日に最大需要を記録したが、その時の気温は三六・六度だった。
 関電管内は大飯3、4号機が七月二十五日までにフル稼働した。直前の需要予測に基づいた電力供給量に対し実際どれだけの電力が使われたのかを示す電力使用率は最大需要を記録した八月三日でさえ、89%で10%以上の余裕があった。
 今夏は企業や家庭の節電が定着し、気温が三五度を超える平日の猛暑日でも最大需要は二千五百万~二千六百万キロワット台で推移した。
 本紙が今夏の発電実績を参考に原発を除く関電の発電設備能力を調べたところ、火力、水力、揚水、地熱・太陽で計二千八万キロワット。これに中部電力など他社からの融通電力など七百四十二万キロワットを加えると、計二千七百五十万キロワットで、これまでのところ大飯3、4号機のフル稼働がなくてもカバーできた計算になる。
================================================================================

================================================================================
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201208140565.html

2012年8月15日03時00分
原発事故賠償の整備協力 輸出拡大狙い、ベトナムと覚書

 日本政府は、原発を売り込もうとしているベトナムと14日、事故が起きた場合の損害賠償制度の整備で協力することで合意した。国際的な受注競争を有利に進める狙いがのぞく。しかし日本国内では原発輸出には反対が根強いうえ、賠償もしっかりできておらず、批判が高まりそうだ。
 ベトナムにも原発事故が起きた・・・・・・。
================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●「理論社」倒産

2010年11月23日 00時16分19秒 | Weblog

不覚にも「理論社」が倒産していたことを知りませんでした。西原さんの、とある受賞スピーチで知りました。「・・・テレビドラマ化されたベストセラー本「この世でいちばん大事な『カネ』の話」の出版社・理論社が突然倒産(10月6日)し、「印税2000万円もらいそこねた」と自虐コメント」というもの

 毎日新聞に以下のインタビュー記事が出ていました。ちょっと長いのですが、コピペさせていただきます。

==========================================
【http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101028ddm013040017000c.html】

ザ・特集:「理論社」の灯はどこへ 創業者・小宮山量平さん、出版「冬の時代」を語る
 ◇「兎の眼」「北の国から」--良書を世に出し、倒産
 出版人の良心は枯れ果てるのか? この秋、中堅出版社「理論社」が東京地裁に民事再生法適用を申請し、倒産した。灰谷健次郎さんの「兎(うさぎ)の眼(め)」など多くの児童文学、さらに倉本聡さんの「北の国から」などの名著を送り出してきた老舗である。創業者で作家の小宮山量平さん(94)に会った。【鈴木琢磨】

 ◇ベストセラー屋さんばっかり。読むべきもの、本当の作品とは何かを考えていない。
 ◇いまは第二の敗戦。若者の手でよみがえると信じている。
 「軍隊生活を終えて東京に戻ると、一面の焼け野原だった。新宿の山手線のレール上から隅田川のきらめきまで見えて。祖国喪失の悲しさ、むなしさ……、祖国は回復できるのだろうか? そんな思いが心の底にあったね」
 ここは本の街、東京・神田神保町。ベレー帽姿の小宮山さん、つえをついて歩きながら、ぽつぽつと語りだした。
  同胞(とも)よ/地は貧しい
  我らは/豊かな種子(たね)を
  蒔(ま)かなければならない
 ドイツ・ロマン派の詩人、ノバーリスの言葉を掲げて理論社を創業したのは、終戦から2年後の1947年である。
 翻訳でなく、日本人の作家による日本の子どものための創作児童文学を--。小宮山さんが種をまいたのは児童文学の世界だった。灰谷さんはじめ、「ぼくは王さま」の寺村輝夫さん、「赤毛のポチ」の山中恒さん、「宿題ひきうけ株式会社」の古田足日(たるひ)さん……若く無名の作家を次々と見いだしていく。「山のむこうは青い海だった」でデビューした今江祥智さん(78)もそのひとり。「とても残念です。理論社のおかげで60年代、新しい児童文学が幕を開けた。僕の作品の多くも理論社から。日本の出版の良心を支えていた大きな木の一本が倒れた感じです。ずっと一緒に走ってきたので……」
 ふと見れば、小宮山さん、キリンの絵柄のかばんを手にしている。「ハハハ、僕の熱烈なファンが贈ってくれたんだ。灰谷君らと児童詩誌『きりん』の刊行もしていたからね。子どもの詩に大人が教えられたよ」。たとえばこんな小学6年生の詩があった。<おとうさんが湯から/あがってきた/ぼくがそのあとに入った/底板をとったら/すこし砂があった/ぼくたちのために/はたらいたからだ>
 ひょっとして60年代の少年の詩が誰より無念をかみしめている生涯一編集者を励ましているのか。ただ小宮山さんは経営にタッチしていない。50歳代で会長に退き、89歳でふるさと長野県上田市に「エディターズミュージアム(小宮山量平の編集室)」を開き、遠く千曲川のほとりから東京の出版界の盛衰をながめてきた。今回の倒産について、これまであえてコメントは避けてきた。「出版界という川の流れについてならしゃべりましょうか」。そう言って、かつて作家と打ち合わせをした喫茶店のドアを押した。
 「日本の出版界はベストセラー屋さんばっかりになってしまったね」。コーヒーをすするおだやかな顔が見る見る険しくなる。「ベストセラーという合言葉で本をつくらないともうからない。みんなそう思っている。でもソロバンをはじけば、もうかるのは広告会社だけ。いくら売れても返本の山で出版社に利益はでない。そのリズムに巻き込まれたら……つぶれるしかないんだよ。理論社だって」。出版社の新刊広告は<たちまち重版!>の文句が小躍りし、書店にピラミッドのごとく本が積みあがっている。それも同じ著者ばかり、あの版元から、この版元からも。
 「あー、情けない。いやしくも編集者なら、本当の作品とは何か、読むべきものとは何かを考えないと。フランスで読み継がれているビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』を想起する。あれを読んだか、読んだ気にならない限りはフランス人じゃない。そういう書物がいつしか彼らを統一体質にしている。パリで年金受給年齢の引き上げに抗議するデモが続いているでしょ。高校生までも参加して。祖国があるんだ。きずながね」
 さて、日本に「レ・ミゼラブル」はあるのか? 老編集者は半世紀前、ここ神保町の喫茶店で出版の打ち合わせをした五味川純平さんをあげた。戦争の悲惨さ、人間のおろかさを描いた「人間の条件」の原稿を手渡されたらしい。「ちょうど三一(さんいち)書房が新しく新書を出して勢いに乗っていたので、僕が仲立ちした。新書判で全6巻、1300万部を超える大ベストセラーになり、その印税で五味川君は戦史資料をかき集め、新書判18巻になる超大作『戦争と人間』を書きあげた。神保町の古本屋の間では『戦史資料は五味川さんへ』と言われたほどでした」
 ところが、その「戦争と人間」は絶版になって久しい。読もうにも読めない。「あの15年戦争と呼ばれる満州事変から、太平洋戦争にいたる長期戦争のすべてが俯瞰(ふかん)できる。どんな昭和史の評論も、碩学(せきがく)の研究もかなわないよ。リアルで、迫力があって。一気に読める。出版社が売れないからと尻ごみするなら、僕が出すしかないかなあ。大きな倉庫に本を保管し、注文を受け、読みたい人がいればいつでも届ける。食堂みたいな出版社だね。笑われるかもしれませんが、出版人はそこまで立ち戻らなければいけないでしょう」
 ときあたかも、尖閣問題で日中関係がぎくしゃくし、互いのナショナリズムに火がついている。夜の酒場で大人たちは臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、日中もし戦わばなどと知らず知らず時計の針を逆回転させている。「ぞっとする。僕たちは視野狭さくに陥ってはいけない。流されてはいけない。20世紀はせっかちな時代でした。革命と戦争の時代でした。21世紀は漸進の時代です。再び祖国の喪失があってはいけない。まだ地は貧しい。いまこそ良書が必要です」。すると理論社の灯は消せませんね?
 「雨降って地固まる。自然の成り行きで、スポンサーが現れてくれて、編集者たちもまとまれば、新しい理論社として再出発できるんじゃないかな。お父さんはノンキでいいわね、とかみさんは言っていますがね」。そういえば、理論社で最近、話題になった本に人気漫画家、西原理恵子さんの「この世でいちばん大事な『カネ』の話」がありました。「皮肉だねえ。でもカネのことがわからない僕が社長のころはつぶれなかったんだが。ハハハ」
 この夏は信州もすごく暑かった。小宮山さんは戯(ざ)れ句を詠んだ。
 <石ひとつぽとんと落とす河川葬(おそうしき)>
 「ちっちゃな三つのつぼに僕の骨を入れ、ひとつは愛するかみさんに渡し、ひとつは庭に埋め、そして、もうひとつを千曲川に落としてくれたら、と願ってね。いまは第二の敗戦じゃないですか。出版界も若者の手でよみがえると信じています」
 コーヒーをすすり終えた小宮山さん、それじゃあね、とお気に入りのキリンのかばんを持って本の街を歩きだした。
毎日新聞 2010年10月28日 東京朝刊
==========================================
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『石原莞爾/その虚飾』読了 (1/2)

2009年04月13日 07時57分30秒 | Weblog

『石原莞爾/その虚飾』、2月に読了。佐高信著。講談社文庫。20038月刊。

 石原莞爾に対して、市川房枝さん (p.11) や藤沢周平さん (p.144) さえもが甘い評価を・・・。

 魯迅との人間性の対比。「「ああ、もはや言うべき言葉はない」/そう思って魯迅は医学の道を捨てる。・・・/・・・同じころ、仙台にいて、魯迅は一大決心をしたのに、石原は自らの逸物を描いていた。・・・あまりに激しいコントラストではないか」(p.51)

 沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』に同様なことが描かれている。「・・・板垣と石原が・・・満州事変を引き起こした・・・放火行為や軍律違反が罰せられず、むしろ、論功行賞の対象となって栄進するという悪しき前例をつくった・・・「因果は廻る国軍」で、石原が中央の命令に服さぬ武藤らを懲罰する立場に立った時、石原を模範としてやっているといわれて引きさがってしまったことが軍紀を乱す要因となった・・・」(p.60)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする