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●立憲主義も理解できず…「行政の長である総理大臣が具体的な改憲日程を口にするのは完全に憲法違反」

2017年05月28日 00時00分26秒 | Weblog


東京新聞の社説【日本の平和主義 憲法主権者ここにあり】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017051902000138.html)。

 《とりわけ九条には、この条文をよすがに戦後日本の平和主義が七十年も、脈々と守り継がれてきた重さがある。それを改めるということは、例えば九条の空文化で、まだ見ぬ将来世代の人々を戦地へ送ることになるかもしれない。そういう先も見据えての、歴史的な選択の重さである》。

 デンデン王国「裸の王様」アベ様やその取り巻き連中は立憲主義も理解できず、そして、《行政の長である総理大臣が具体的な改憲日程を口にするのは完全に憲法違反》。
 加えて、以下のリテラ対談記事にある通り、予想をはるかに超えるスピードで壊されゆくニッポン。森達也さんの予想通りではないか…。

 室井佑月さんの連続対談、「裸の王様」の天敵・小池晃さんとの対談【室井佑月の連載対談「アベを倒したい!」第5回ゲスト 小池晃(前編)/安倍首相はどういうときにキレるのか? 室井佑月と共産党・小池晃が安倍のデタラメ国会答弁を徹底分析】(http://lite-ra.com/2017/05/post-3172.html)。《いま一番たよりになるのはやっぱ共産党でしょ」「とくに安倍さんをしょっちゅうキレさせてる小池さんに陳情したい》、《小池 それと、安倍首相は2020年に新憲法施行するという宣言をしたでしょう。改憲は国会が発議するもので行政の長である総理大臣が具体的な改憲日程を口にするのは完全に憲法違反。そんなことまでわからなくなってるのか、と思いました》、《室井 しかも「俺の考えが知りたかったら読売新聞のインタビューを読め」とか答弁したんでしょう。小池さんも先日の国会で追及されてましたけど》、《小池 国会よりも自分の応援団メディを読め、って。国会軽視、ひいては国民軽視ですよ。それと、安倍首相は自民党総裁の立場で発言したと言っていますが、読売新聞では安倍首相インタビューになっている。二枚舌もいいところです》。

   『●森達也さん、「僕はもうあきらめた」
      「これから4年間でこの国がどう変わるのか、とてもとても楽しみだ」
    《つまり法案はさくさくとすべて通る。ねじれ解消良かったね。
     ならば二院制の意味は何だろうと思うけれど、もう言わない。
     だって将棋でいえば詰み。チェスならチェックメイト。臨界は超えた。
     もう制御はできない》」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017051902000138.html

【社説】
日本の平和主義 憲法主権者ここにあり
2017年5月19日

 憲法を改正するに当たっては、主権者たる私たち自身が、将来に負うべき責任の重さをしっかりと自覚しておくことが、まず肝要ではなかろうか。

 とりわけ九条には、この条文をよすがに戦後日本の平和主義が七十年も、脈々と守り継がれてきた重さがある。それを改めるということは、例えば九条の空文化で、まだ見ぬ将来世代の人々を戦地へ送ることになるかもしれない。そういう先も見据えての、歴史的な選択の重さである。

 これほどの重大事だからこそ、改憲の選択を国民に求める手続きも、よほど厳重でなければなるまい。そもそも改憲は、憲法の主権者の責任において国民が主体的に判断することだ。手続きの基点には何世代にもわたる議論の末に、国民の過半が改憲を望むような世論の醸成がなければならない。

 この本筋に立てば、安倍晋三首相が唱えた九条改憲の道筋がいかに無理筋か、見えてくる。

 二つの側面から指摘したい。

 一つは、立憲主義の本旨に照らして、だ。憲法に縛られる側の権力者が、恐らく縛りを緩める方向で改憲の議論を率いる。しかも自らの政権運営に都合よく議論の期限を切るというのでは、国民主権の本筋に真っ向から逆行する。

 もう一つは、国民投票への国会発議に関して、憲法上「全国民を代表する」国会議員の本分を、はき違えていることだ。

 首相には、改憲派議員が発議要件の「三分の二」を超す今のうちに、発議を急がせたいとの思惑があるのだろう。だが国会は無論、一権力者の意向を代表するだけの多数決機関ではない。国民の代表者である議員は、まず改憲を望む世論の広がりを受けてこそ、その民意を代表して発議にも動く。それが本来の手順ではないか。

 今ある「三分の二」超も、改憲をあえて“争点隠し”にした選挙の結果であって、改憲を望む民意の反映とは到底言い難い。その国会が発議を先行させ、短時間の議論で国民に重い選択を迫ることになれば、国民は責任ある判断を尽くせず、歴史に取り返しの付かない禍根を残す危険性も高まる。ここが問題なのである。

 国会発議に向けては、首相の期限切りにも「縛られることなく」幅広い合意を目指している憲法審査会の議論を、粛々と積み上げるべきだ。開かれた議論がいつか、私たちの責任ある改憲判断の素地にもなればと期待したい。
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