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●軍事国家となり軍事費を《増やせば日本が守れるというのは幻想》…社説「関東防空大演習を嗤ふ」での桐生悠々の予見・予言に学ぶべきこと

2023年09月28日 00時00分56秒 | Weblog

[↑ 雑誌「TIME」(2023.5.22・29)… (TBS NEWS DIG)《「日本を軍事大国に変えようとしている」との見出しは政府の申し入れのあと、変更》(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/481736?display=1)]


(20230822[])
これまた、9月末になってしまって、「6月ジャーナリズム」「8月ジャーナリズム」を語る…。アベ様とカースーオジサンによって敷かれた、いまも続く《メディアコントロール》下…そのジャーナリズムの重要性。

   『●《「現実離れしている」と叱責…マンネリ化が指摘》? でも、《戦争の
     悲惨さと平和の大切さを伝え続ける意味は増している》<ぎろんの森>


 <ぎろんの森>《人類は過去の戦争の教訓に学ばず、過ちを繰り返そうとしています。だからこそ、戦争の悲惨さと平和の大切さを伝え続ける意味は増している》、《こんな時だからこそ、あの無謀な戦争を語り継ぎ、平和の大切さを国内外に訴え続けたい》。どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。歴史の記憶の継承語り継ぐこと。記憶の澱をかき乱し、呼び覚ますこと。

 桐生悠々氏《「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」》。今のジャーナリズムは「義務の履行」を果たしているのか? 《どんな政権であろうと、新聞は権力監視の役割を放棄してはならない》…下足番新聞アベ様広報紙に言っても詮無いが。
 西田直晃岸本拓也両記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/桐生悠々の警告は現実になった…歴史に残る社説「関東防空大演習を嗤ふ」を90年後の今、読むと】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/267721?rct=tokuhou)。《1933年、「関東防空大演習を嗤(わら)」と題した社説で軍部の怒りを買い、信濃毎日新聞を退社した桐生悠々(1873〜1941年)。「反骨のジャーナリスト」の名を歴史に刻んだ掲載から、今月11日で90年となる。空襲の時代と日本の破局を予見した評論は何を訴え、どんな教訓を残したのか。全文を専門家と読み解いた。(西田直晃岸本拓也)》。

   『●政権交代の意義が完全に消えた日
    《▼「听う」は口を大きく開けてわらうことで、「莞う」は感じよく
     ほほえむこと、「嗤う」はあざけりわらうことだ。軍国主義が台頭し、
     言論弾圧が厳しさを増していた一九三三年、軍の空襲への備えを
     嗤った新聞人がいた▼その人、桐生悠々が書いた
     「関東防空大演習を嗤ふは日本の新聞史上、特筆すべき名論説
     として、記憶される。首都上空で敵機を迎え撃つ作戦など滑稽極まる。
     数機撃ち漏らせば、木造家屋の多い東京は炎上すると、彼は書いた
     ▼<阿鼻叫喚(あびきょうかん)の一大修羅場を演じ、
     関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだらう…しかも、
     かうした空撃は幾たびも繰返へされる可能性がある>。
     この指摘が現実のものとなり、大空襲で東京の下町が壊滅、
     十万の犠牲者を出したのは、四五年三月十日のことだ》

   『●自公支持者を「嗤う」、あれで「採決」「可決」!?: 
       自公支持者も「听う」ことが出来なくなる日は近い
    「先の『読売』や『産経』、『アベ様の犬HK』などの
     「アベ様の広報機関」とは違う、『東京新聞』の新聞人の矜持
     示す社説をご覧ください。2番目の記事の、つまり、
      《桐生悠々の言葉。…「言いたい事」と「言わねばならない事」は
       区別すべきだとし「言いたい事を言うのは権利の行使」だが、
       「言わねばならない事を言うのは義務の履行」で「多くの場合、
       犠牲を伴う」と書き残している》
     ……の部分を受け、社説の末尾には、《憲法を再び国民の手に
     取り戻すまで、「言わねばならないこと」を言い続ける責任を
     自らに課したい。それは私たちの新聞にとって
     「権利の行使」ではなく義務の履行」だからである》と
     〆ています」

   『●阿部岳記者「桐生悠々は訓練よりも
     「実戦が、将来決してあってはならない」ことを訴えた…先見の明は…」
    「《桐生悠々訓練よりも「実戦が、将来決してあってはならない」ことを
     訴えた。…先見の明は、その後の空襲被害が証明している》訳です。
       壊憲が進み、戦争できる国、戦争したい国へとひた走るニッポン。
     ジャーナリズムの劣化もそれに拍車をかける」

   『●Jアラート狂想曲: 「かつて関東上空での防空演習を
           嗤った桐生悠々なら何と評するでしょうか」
    《北朝鮮が弾道ミサイル発射を繰り返し、国内では避難訓練
     行われています。かつて関東上空での防空演習を嗤(わら)った
     桐生悠々
なら何と評するでしょうか》

   『●阿部岳さん、《基地問題への見解の違いも…
     デマで攻撃された因縁も関係ない。今回は…産経の側に立つ》
    「東京新聞の社説【週のはじめに考える 権力と向き合う覚悟】…
     によると、《全米の新聞、一斉に社説言論の自由への危機感
     …桐生悠々の奮闘を偲ぶ…あす九月十日は、四一年に亡くなった
     悠々を偲(しの)ぶ命日です。百年という時を隔て、また日米という
     太平洋を挟んだ国で同じように、新聞が連帯して時の政権に毅然(きぜん)
     と向き合ったことは、民主主義社会の中で新聞が果たすべき使命を
     あらためて教えてくれます。私たちは今、政権に批判的な新聞との
     対決姿勢を強める安倍晋三政権と向き合います。悠々ら先輩記者や
     米国の新聞社で働く仲間たちの奮闘は、私たちを奮い立たせ、
     権力と向き合う覚悟を問い掛けているのです》。
     《権力と向き合う覚悟》…無しなニッポンのマスコミではなかろうか…」

   『●東京新聞《桐生悠々…にとって一連の言論は、
     犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う義務の履行だった》
    「《「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが
     「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、
     「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」》と。《桐生悠々…に
     とって一連の言論は、犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う
     義務の履行だった》。この度、アノ高市早苗氏が総務相に復活。
     アベ様の政で〝唯一うまく行っている〟メディアコントロールの下、
     《権力と向き合う覚悟》がマスメディアにはあるのだろうか? 
     《義務の履行》を果たしているか?」

   『●《国会を開かなければ、それもできない。これを政治空白と言わず
     して、何と言う。…国権の最高機関である国会の軽視も甚だしい》…
   『●「自民党総裁選を嗤(わら)う」新聞求む…《明治から大正、戦前期の
     昭和まで、藩閥政治家や官僚、軍部の横暴を筆鋒鋭く批判し続けました》
   『●武田砂鉄さん《忘却に加担するのか、しっかり掘り返して問うのか、
        メディアが問われている。またいつもの感じでやっているの…》
   『●桐生悠々に《ちなんだ社説の掲載に至ったのも、どんな政権であろうと、
       新聞は権力監視の役割を放棄してはならないという決意を》読者に
    《社説「桐生悠々を偲(しの)んで」…。安倍、菅両政権の九年近くの
     間、独善的な政治運営が続き、政治は私たちの望む、あるべき方向とは
     全く違う道を進んでしまいました。でも、それを止める力が新聞には
     まだある、義務を履行せずしてどうするのか、と読者の皆さんに
     教えられた思いです。きのう始まった自民党総裁選後には衆院選が
     あります。どんな政権ができようとも、私たちは
     「言わねばならないこと」を堂々と言う新聞でありたいと考えます》

   『●《どんな政権であろうと、新聞は権力監視の役割を放棄してはならない》
     (東京新聞社説)…下足番新聞やアベ様広報紙に言っても詮無いこと

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/267721?rct=tokuhou

こちら特報部
桐生悠々の警告は現実になった…歴史に残る社説「関東防空大演習を嗤ふ」を90年後の今、読むと
2023年8月4日 12時00分

 1933年、「関東防空大演習を嗤(わら)」と題した社説で軍部の怒りを買い、信濃毎日新聞を退社した桐生悠々(1873〜1941年)。「反骨のジャーナリスト」の名を歴史に刻んだ掲載から、今月11日で90年となる。空襲の時代と日本の破局を予見した評論は何を訴え、どんな教訓を残したのか。全文を専門家と読み解いた。(西田直晃岸本拓也

【全文掲載】信濃毎日新聞社説「関東防空大演習を嗤ふ」


◆空襲が現実の脅威ではなかった1933年に書かれた

 桐生が批判した「関東防空演習」は東京府と神奈川、埼玉、千葉、茨城の4県で3日間実施。軍官民の10万人以上が参加した。AK(現NHK)のラジオで全国中継され、桐生はその放送を聞いた上で、約2000字の社説を書いた。

 「かうした實戰(じっせん)が、將來(しょうらい)決してあつてはならない
 「架空的なる演習を行つても、實際には、さほど役立たない

 前半から辛らつな言葉が並んでいる。聖心女子大の土田宏成教授(日本近代史)は「かなり激しい筆致だが、言っていること自体は当時の常識だ。現実を見据えた行動が必要だと、軍に警鐘を鳴らした」と解説する。社説を読み進めていくと、大演習をなぜ嗤うのか、理路整然とした説明が展開される。

 「敵機を迎へ擊(う)つても、一切の敵機を射落とすこと能(あた)はず、その中の二三のものは、自然に、我機の攻擊(こうげき)を免れて、帝都の上空に來り、爆彈投下する」と強調し、本土空襲の警戒の必要性を説いた。1933年当時、空襲はまだ現実的な脅威ではなかったが、実際にはサイパン島が陥落したことで、44年11月から米国の本土空襲が本格化。高度1万メートルを飛行するB29を迎撃可能な戦闘機はほとんどなく、45年3月の東京大空襲以降は夜間に集中したため、迎え撃つのはより困難になった。


◆「空擊は幾たびも繰り返へされる可能性がある」

 土田氏は「こうした状況がやがて訪れることを当時から想定していた。にもかかわらず、敵機の本土来襲を前提とした訓練を実施する軍部に無責任さを感じたのだろう。もともと、反軍的な考えを持っていた桐生にとって、軍部を徹底的に批判する好機と捉えた」とみる。

 社説では他にも、「木造家屋の多い東京市をして、一擧(いっきょ)に、焼土たらしめる」「關東地方大震災當時(とうじ)と同樣(どうよう)の慘狀(さんじょう)を呈する」と戦争末期の惨状を予見したかのような警鐘もあった。

 実際、米軍はナパーム油脂を用いたM69焼夷(しょうい)弾を開発し、43年に日本家屋の模型を造って実験。東京大空襲の際には約300機から、こうした焼夷弾や爆弾約1700トンがばらまかれ、約10万人が死亡した。

 埼玉大の一ノ瀬俊也教授(日本近現代史)は「関東大震災の被害で、日本家屋が火に弱いことは他国にも明らかになった。第1次世界大戦で空襲の効果が実証されたこともあり、国際情勢にも通じている桐生には当然の注意喚起だった」と話す。

 桐生が「かうした空擊は幾たびも繰り返へされる可能性がある」と念入りに指摘したように、総務省の資料によれば、東京への空襲は終戦までに122回を数えた。全国の都市に拡大し、原爆を含めて40万〜50万人もの命が奪われた

 「市民の、市街の消燈(しょうとう)は、完全に一の滑稽」と一蹴する根拠とした自動操縦や赤外線探知は、戦時中に実用化されることはなかった。とはいえ、一ノ瀬氏は「実際には後の時代のミサイル開発を待たなければならないが、科学の進歩が速い時代。全くおかしいとは思わない。敵の飛行機に領空内に侵入された時点で負けだから『滑稽』という強い言葉を使ったのだろう」とみる。

     (「関東防空大演習を嗤ふ」の紙面=信濃毎日新聞社提供)

 社説は「帝都の空に迎へ擊つといふことは、我軍の敗北そのもの」「途中これを迎へ擊つて、これを射落すか。又またはこれを擊退しなければならない」と結論付けた。前出の土田氏は「軍部も内容についての批判はせず、『嗤うとは何事だ』との形式的な反論に終始している。当時の状況から考えられる極めて現実的な意見を真っ正面から論じたのが意義深い」と語る。


◆空爆の危険性を理解していたからこそ

 航空機による空爆が本格化したのは、第1次世界大戦からだ。歴史家の田中利幸氏の「空の戦争史」(講談社現代新書)によると、開戦間もない1914年8月には、ドイツ軍機がパリ上空に現れ、駅を狙って小型爆弾を投下。その後もパリは頻繁に空襲を受け、連合国側も報復でドイツ領を無差別爆撃し、数千人規模の市民が犠牲になった。

 空爆の有用性に気づいた英国やフランスは20年代以降、イラクなどで植民地化に抵抗する人々の集落を無差別爆撃するなど積極的に空爆を仕掛けた。敵軍施設だけでなく、市民も爆撃対象にして戦意を失わせる戦略爆撃の名の下に、市民への無差別空爆が正当化されていく。

 桐生が社説で空襲に警鐘を鳴らしたのは、こうした海外の惨状を知っていたためとみられる。田中氏は「英語の文献を数多く読んでおり、情報を得ていた空襲を受けて都市を防空するような状況になったらおしまいだということをよく理解していた」と指摘する。

 ただ、既に軍人の間では、航空機の迎撃が困難であることは言われていた。大阪教育大の三輪泰史名誉教授(日本近現代史)は「当時の桐生は、反軍的でも反戦的でもなかった。論考をみると、むしろリベラルな愛国主義者、穏健な帝国主義者とも言え、日本帝国のためにならない施策に対しては、相手が軍部だろうと歯に衣きぬ着せずに批判した。社説もそのスタンスから書かれた」とみる。

 桐生としては、防空演習に意味がないと「当たり前」のことを書いたはずだが、退社に追い込まれた。三輪氏は「軍としては痛いところを突かれたのでは。筆禍事件として桐生攻撃のキャンペーンに持ち込みたいところだろうが、それは逆に軍の無策ぶりを広く知らせることにもなりかねない。なので、新聞の不買運動をすると圧力をかける陰湿なやり方で桐生を追い出したのでは」と推察する。

 日本軍も満州事変初期の31年10月の中国・錦州市への都市空爆を皮切りに、上海や重慶などに無差別爆撃を繰り広げた。第2次大戦では独英など欧州各地でも市民が空襲の犠牲となった。桐生は信毎を退社後も空爆がもたらす甚大な被害に警鐘を鳴らし、米国との開戦を避けるよう訴えた。

 晩年は空襲で人類が不戦に目覚め軍縮の時代が来ると予想しつつ、太平洋戦争が開戦する3カ月前の41年9月に没した。その後、日本各地への空襲や原爆投下という形で、桐生の懸念は現実となった


◆「防衛費を増やせば日本が守れるというのは幻想」

 翻って現在、ウクライナや台湾の情勢を受けて岸田政権は防衛費増強に走る。北朝鮮の発射したミサイルで全国瞬時警報システム(Jアラート)が鳴り、弾道ミサイルを想定した住民避難訓練が各地で行われ、列島を有事ムードが覆う。

 「桐生が批判していたことを繰り返している」と前出の田中氏は指摘し、こう続ける。「空襲を受けたら防空できなかったのと同じように、もし核ミサイルが撃ち込まれたら防ぐことは難しい。日本が防衛費を増やせば、中国や北朝鮮を刺激し、軍拡はエスカレートする。それで日本が守れるというのは幻想だ日本が平和主義を打ち立てるには、過去の戦争責任と向き合ってアジア諸国と誠実に対話を続けるしかない


◆デスクメモ

 「帝都の心臓目がけて 敵機一挙に壊滅を期す」「見事二機に命中」「煙草(たばこ)の火も消せ 空から見えるぞ」。東京新聞の前身「国民新聞」「都新聞」が関東防空演習を報じた見出しだ。桐生筆禍を招いたのは、軍事に染まった世相。戦争になる前からあらがわなければ、止まらない。(本)

【全文掲載】信濃毎日新聞社説「関東防空大演習を嗤ふ」
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●発生100年の関東大震災「朝鮮人・中国人虐殺」問題…ニッポン政府は記録がないと嘯き、東京「ト」知事は事実を認めず、ヘイト団体は…

2023年07月03日 00時00分03秒 | Weblog

[※サンデーモーニング(2017年10月1日)(三「ト」物語)↑]


(2023年06月18日[日])
小池百合子東京「ト」知事もねぇ…。

   『●小池百合子「ト」知事、追悼文は? 《…ようやくこう答えたのだった。
      「それは毎年送っておりません」…この回答はあまりに卑怯だろう》
   『●この《レイシスト・歴史修正主義体質》な小池百合子東京「ト」知事に
        「2,912,628票」「3,661,371票」も投じてしまった都民の皆さん
    《そのひとつが「日本女性の会 そよ風」というヘイト団体だった。
     「そよ風」はヘイト団体・在特会の関連団体で、「慰安婦」問題や
     関東大震災朝鮮人虐殺の否定などを主張しており、2013年には大阪・
     鶴橋で「いつまでも調子にのっとったら、南京大虐殺ではなく
     『鶴橋大虐殺』を実行しますよ!」などとジェノサイドを先導した
     ヘイトデモに協力。北海道支部長の女性は桜井誠・元在特会会長の
     「日本第一党」の副党首まで務めている》

   『●森達也監督「福田村事件」…《関東大震災の混乱で差別意識を背景に
     惨殺されたのは「朝鮮人」だけではありません》(デモクラシータイムス)
   『●11年そこそこで、東電核発電人災を「無かったこと」にしたくて仕方
     ない自公政権。一方、99年目の史実・朝鮮人虐殺も無かったことに…

 大杉はるか記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/「100年ぶり」の国会質問に政府の答えは? まもなく発生100年の関東大震災「朝鮮人・中国人虐殺」問題】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/251995?rct=tokuhou)によると、《9月1日に発生から100年を迎える関東大震災。朝鮮人や中国人の虐殺をめぐって23日、国会で動きがあった。野党議員が参院内閣委員会で取り上げたのだが、市民団体によれば、国会の質問で政府の対応や責任を真正面からただすのは実に「100年ぶり」だという。その中身、意義を考えた。(大杉はるか)》、《杉尾氏は「(記録は)『見当たらなかった』ではなく、ある問題の所在すら認めず、謝罪もしていないが、100年という良い機会に記録を精査してはどうか」とたたみかけた》、《野党議員は2015年以降、8回にわたり質問主意書で政府対応をただした一方、答弁書は毎回、「記録が見当たらないからお答えは困難」だった》。

 小池東京「ト」知事からして…《この都知事のレイシスト歴史修正主義体質は今年も変わらなかったということか。》(リテラ)。
 大杉はるか記者による、同紙の記事 【こちら特報部/「朝鮮・中国人虐殺主導を認めよ」 関東大震災から100年、学者ら政府に賠償求める 「日本は責任逃れてきた」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/242997?rct=tokuhou)によると、《1923年9月1日の関東大震災から今年で100年。死者・行方不明者は10万5000人に上り、混乱のさなかに朝鮮人だけでなく中国人も、軍や警察、自警団によって虐殺された。学者や弁護士、ジャーナリストらでつくる「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺百年犠牲者追悼大会実行委員会」は政府に事実を認め、賠償することを求めている。来月には東京都内で記者会見を開く予定だ。(大杉はるか)》。

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/242997?rct=tokuhou

こちら特報部
「朝鮮・中国人虐殺主導を認めよ」 関東大震災から100年、学者ら政府に賠償求める 「日本は責任逃れてきた」
2023年4月9日 12時00分

 1923年9月1日に発生から100年を迎える関東大震災。朝鮮人や中国人の虐殺をめぐって23日、国会で動きがあった。野党議員が参院内閣委員会で取り上げたのだが、市民団体によれば、国会の質問で政府の対応や責任を真正面からただすのは実に「100年ぶり」だという。その中身、意義を考えた。(大杉はるか


◆「放火」「井戸に毒」 戒厳令下でデマ広がり

     (
内務省警保局から各地方長官に送られた電信の記録を
      示す林伯耀さん)

 「関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺を主導したのは日本政府という事実と責任を認め、国家として犠牲者に謝罪し賠償すべきだ」

 同実行委の世話人で、「関東大震災中国人受難者を追悼する会」共同代表の林伯耀(りんはくよう)さんが話す。

 大震災では戒厳令下で「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を入れた」といったデマが広まり、植民地支配下にあった朝鮮人とともに、中国人も虐殺された。内閣府中央防災会議の2008年の報告書は「殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害に遭った。加害者の形態は官憲によるものから、官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様」とし、犠牲者は「震災による死者数の1〜数%」と推計している。

 林さんが「虐殺を主導したのは日本政府」と考える根拠の1つは、内務省警保局が9月3日に海軍船橋送信所に「朝鮮人は各地に放火し、爆弾を所持し、放火する者あり。厳重なる取り締まりを加えられたし」との電文を持っていき、各地方長官に送られたことだ政府が流言を否定せず、虐殺を容認する空気がつくられた


◆中国人虐殺は最大750人 「意図的に殺している」

     (2018年9月11日、王希天氏が虐殺された東京都
      江東区の逆井橋近くの現場を訪れ追悼する遺族ら
      =木野村間一郎氏撮影・提供)

 中国人の虐殺は、目撃者から直接聞くなどして調査した高校教諭仁木ふみ子さん(故人)らの研究があり、日弁連も2003年、被害者は最大750人との報告書をまとめている。それらによると、特に大きな被害を出したのが大島町(現東京都江東区大島)で起きた虐殺。同町に住んでいた浙江省温州市出身の中国人労働者らがターゲットになり、支援していた「僑日共済会」の王希天会長も軍に殺害されたという。

 なぜ中国人労働者が狙われたのか。林さんは「震災前から日本の官憲や日本人労働者との間に緊張関係があった」と指摘する。日本は1920年に不況に陥り、中国人の入国制限や強制送還が始まっていた。「当時の日本政府の文書には朝鮮人と間違えたという『誤殺』の文字があるが、中国人独自の服装をしており、誤殺とは認められない。意図的に殺している」

 林さんの父親は13年、福建省福清から来日。東京で呉服の行商人をしていたが、震災発生で「中国人も襲われる」と感じ、同居人らと警視庁に保護を求めた。通行証を発行され、難を逃れたという。


◆認めない政府に怒り「いつかまた世相が問題起こす」

 虐殺はその後中国側も知ることとなり、国際問題となる。23年11月に外務省条約局が中国人虐殺問題に関して国家の責任を調査した文書には「暴動の行為が外国人に対し行われた場合は、官憲に身体財産の安全を確保する義務があると推定され、国家に賠償責任がある」と書かれている。中国側の調査団派遣などを受け、日本政府が24年5月に「支那人傷害事件慰藉(いしゃ)金20万円責任支出の決定」をした記録や、交渉が中断し支払われなかった記録も残っている。

 にもかかわらず、日本政府はこの問題を公式に認めていない。野党議員が2015年以降、質問主意書で繰り返し聞いているが、「事実関係を把握できる記録が見当たらず、お答えは困難」と回答している。

 林さんは、中国人虐殺の事実を認めない日本政府に「怒りを覚える」と話す。「嫌朝鮮、嫌中国という今の日本の世相が、いつかまたこのような問題を起こすのでは」。温州市を中心とした被害者の遺族会約250人は2014年、政府に要望書を提出。国家としての責任と事実を認め、謝罪と賠償を行うこと、次世代に事実を伝え教訓とすることなどを求めている。


◆バイデン氏は100年前の虐殺現場訪問 小池知事は…

 海外では100年前の虐殺事件に向き合った国のトップもいる。1921年に白人暴徒による黒人虐殺事件が起きたオクラホマ州タルサ市を、バイデン米大統領が2021年に訪問。推定300人の被害者を追悼し「あまりにも長い間、歴史は闇に覆われていたが、なかったことにはできない」と強調。「良いことも悪いこともすべてを知るべきだ。それが偉大な国家のすることだ」と続け、「ここで起きたことは憎しみとテロであり、今日でも存在している」とも語った。

 日本はどうか。朝鮮人虐殺すら否定する保守系団体は19年、東京都墨田区で開かれた犠牲者追悼式の近くで「犯人は不逞(ふてい)朝鮮人、朝鮮人コリアンだったのです」などと発言。都は翌年、ヘイトスピーチ認定をしたが、小池百合子都知事は17年以降、この式典への追悼文送付をやめている

 20年には川崎市ふれあい館に「在日韓国人をこの世から抹殺しよう」と書かれたはがきが届く事件があった。21年には、名古屋韓国学校や京都府宇治市のウトロ地区の家屋などに放火する憎悪犯罪ヘイトクライム)も起きた。

 中国人に対しても、20年に東京都港区の街宣活動で「支那人を叩たたき出せ」「鬼畜支那人を叩き出せ」との言動があり、東京都がヘイトスピーチと認定している。


◆事実を認めないことは「セカンドレイプと同じ」

     (関東大震災犠牲者のために中国から贈られた「幽冥鐘」の
      前で追悼する中国人犠牲者遺族ら。中国人の追悼碑は
      まだない=2015年9月5日、東京都墨田区の横網町公園で
      (木野村間一郎氏撮影・提供))

 こうした動きをどう考えたらいいのか。東京造形大の前田朗名誉教授(人権論)は「この10年ほど、国際的には歴史的事実の否認や隠蔽(いんぺい)、忘却を巡る問題が議論されている」と話す。前田氏によると、ラテンアメリカの軍事独裁政権による弾圧や、欧州諸国のアフリカ植民地支配など、重大人権侵害の歴史論争で形成されてきたのが「真実の権利」だ。「被害者や遺族、コミュニティーの知る権利を出発点とし、国家全体で記憶にとどめるべきだ」という考えを基本としている。

 すでに30カ国以上で、歴史の否定や称揚が犯罪化されており、「アウシュビッツの噓(うそ)」とも呼ばれるホロコーストの否定論争にも決着はついているという。前田氏は「被害者のコミュニティーにとって、自分たちの歴史はアイデンティティー。公然と否定することは民族の尊厳に対する攻撃という議論が欧州では広がっている」と続ける。

 関東大震災時に起きた朝鮮人・中国人の虐殺を、前田氏は「ジェノサイド」(集団破壊を意図して行われる暴力的行為)と位置付ける。「日本でも重大な人権侵害の事実を公然と否定することは犯罪化できた方が良い」との考えを示した上で、こう続ける。「日本では、あいまいにし責任を逃れてきた。事実を認めないことは、被害者を改めて傷つけるセカンドレイプと同じ国際社会における日本の名誉ある地位が損なわれている

 一橋大の田中宏名誉教授(日本アジア関係史)は「ブッシュ米大統領は1990年以降、太平洋戦争時の日系人強制収容を謝罪し、補償金も払って歴史の清算をした。ソ連のゴルバチョフ大統領は91年、来日時にハバロフスク郊外に立ち寄り、シベリア抑留犠牲者の墓に献花している」と指摘。被害者と向き合わない日本政府の姿勢は「理解できない」とし、「歴史への向き合い方では、相手の立場で見るということが大事だ」と語った。


◆デスクメモ

 写真の「幽冥鐘」があるのは、関東大震災と東京空襲の遺骨が眠る東京都慰霊堂がある横網町公園内。都慰霊協会のサイトによれば、震災の甚大な被害を知った中国の仏教関係者が来日して慰問を行い、外相らに寄贈を申し出た。日中関係がぎくしゃくする今こそ、訪れたい場所だ。(本)

【関連記事】100年前の関東大震災が東京の「戦時体制」を加速させた…東京大空襲に至る防災と防空の歴史
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/251995?rct=tokuhou

こちら特報部
「100年ぶり」の国会質問に政府の答えは? まもなく発生100年の関東大震災「朝鮮人・中国人虐殺」問題
2023年5月24日 12時00分

 9月1日に発生から100年を迎える関東大震災。朝鮮人や中国人の虐殺をめぐって23日、国会で動きがあった。野党議員が参院内閣委員会で取り上げたのだが、市民団体によれば、国会の質問で政府に事実を認め、賠償することを求めている。来月には東京都内で記者会見を開く予定だ。(大杉はるか


◆官憲や軍隊の関与、内務省の電報…政府の認識は?

     (参院内閣委で質問する立憲民主党の
      杉尾秀哉氏=23日、朝倉豊撮影)

 「相当数の命が奪われたのは事実。重く受け止めて歴史の闇に葬ることなく、向き合って記録の精査を謝罪すべきは謝罪して

 立憲民主党の杉尾秀哉参院議員はこの日、官憲や軍隊が関与したとされる当時の虐殺について、中学や高校教科書のほとんどが記述しており、裏付ける記録が国会図書館などにあると指摘した上で政府の認識をただした。

 警察庁の楠芳伸官房長は「政府として調査した限り、事実関係を把握できる記録は見当たらず、仮に指摘の資料を確認しても、内容を評価することは困難」との答弁を繰り返した。

 杉尾氏は「(記録は)見当たらなかったではなくある問題の所在すら認めず、謝罪もしていないが、100年という良い機会に記録を精査してはどうか」とたたみかけた。

 答弁した谷公一防災担当相は「さらなる調査は考えていない」と突き放し「過去の大災害時における流言飛語への対応は、歴史から謙虚に学び、安全安心の確保につなげていく必要がある」と一般論に希釈した。

 杉尾氏は「9月1日に向かってこの問題が繰り返し提起されるだろう。逃げ続けるわけにはいかない」と述べ、再度国会で取り上げる考えを示した。


◆「共生と人権の社会に進むシグナルを出すまともな答弁を」

 政府に虐殺の事実を認め賠償することを求める市民団体「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会実行委員会」によると、政府の対応や責任を正面から追及する質問は100年ぶり。1923年12月15日には永井柳太郎衆院議員が本会議で「日本人は故なくして朝鮮人を殺す劣等民族にあらず」とし、内務省が震災直後に「在留鮮人放火、投弾」と警戒を求める電報を各地に発していたことに触れ「政府自ら出した流言飛語に対して、責任を感じないか」と追及した。

 先の杉尾氏は委員会後、国会で100年間ほとんど取り上げられずにきた点について「不思議」とこぼし「公知の事実なのに、政府が認めず謝罪していないのはなぜかと疑問を抱き、質問しようと思った」と述べた。

 野党議員は2015年以降、8回にわたり質問主意書で政府対応をただした一方、答弁書は毎回、「記録が見当たらないからお答えは困難」だった。杉尾氏は「答弁書は一方通行。質問で(政府と)やりとりしないといけない」と話した。

 「関東大震災中国人受難者を追悼する会」共同代表の林伯耀(りんはくよう)さんは「政府は知らぬ顔、国会も関心を示さず議論にもならない状況下で、100年後に短時間だったが取り上げてもらえたことは良かった」と評価する。

 一方、谷氏が調査を拒否したことには「歴史に向き合わない今の政府の傲慢(ごうまん)さが出ている。歴史をなかったことにするのは、日本社会になお広がる排外主義の流れを手助けするようなものだ」と懸念を示した。

 傍聴した「実行委員会」事務局長の藤田高景さんは「100年前、軍国主義の時代でも良い質問があった。民主主義の時代になったが、本格的議論が行われなかったのは、おかしいというか残念」と話す。「日本近現代史の汚点ではあるが、あれだけの他民族虐殺が日本国内で起きた。他国では歴史上の間違いや汚点を認め謝罪している」と語り、政府に対し「共生と人権の社会に日本が進むシグナルを出すまともな答弁をしてもらいたい」と求めた。

【関連記事】「朝鮮・中国人虐殺主導を認めよ」 関東大震災から100年、学者ら政府に賠償求める 「日本は責任逃れてきた」
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●東京新聞「国民のためと称しつつ、戦争ができる国づくりとは何事か。平和主義を粗末にしないでほしい」

2018年08月23日 00時00分42秒 | Weblog


敗戦の日の日刊スポーツのコラム【政界地獄耳/押し付けられたのは憲法か】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201808150000184.html)。
こちらも敗戦の日の前日の東京新聞の社説【終戦の日を前に 国家は国民を守るのか】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018081402000159.html)。

 《★元来、順法精神を持ち、誰よりも現行憲法を守らなければならないはず内閣総理大臣として発言は逸脱していると思えるが、国会が発議するはずの憲法改正を率先して変えたがるその発言だけは、自民党総裁として使い分けることも姑息だ。ただ首相が言う、「日本人が作った憲法ではない」という発言も聞き捨てならず、その合理的な根拠もさして示していない》。
 《「特攻」もそうであろう。志願の形だが「九死に一生を得た」ではなく「十死を前提とするのは、まともな近代の作戦とはいえない。何千人という若者を死に追いやるだけではなかったか。国民が死んでもいい、そんな戦争への反省から日本国憲法の平和主義は生まれたのだ。そのことは重い。引き継ぐべき教訓だ》。

   『●「憲法九条…戦争放棄はGHQの指示ではなく、
       当時の幣原喜重郎首相の発意だったとの説が有力」
   『●「ト」な自民党改憲草案の押し付け…
     押し付けられた「押し付け憲法論は、賢明なる先人に対する冒涜」
   『●壊憲…「緊急事態という口実で、憲法が破壊される恐れが…
                 ヒトラーは非常事態を乱用して独裁を築いた」
   『●壊憲派の沈黙、押しつけ憲法論という思考停止: 
       「二項も含めて幣原提案とみるのが正しいのではないか」

 立憲主義を理解できず、《順法精神を持ち、誰よりも現行憲法を守らなければならないはず》の国会議員達が壊憲を唱える。しかも、壊憲草案のその中身ときたら…国民主権の縮小」「戦争放棄の放棄」「基本的人権の制限。絶望的な気分になるよ…、大丈夫かニッポン。

   『●「ト」な新三原則「国民主権の縮小」「戦争放棄の放棄」
           「基本的人権の制限」…壊憲して本当にいいの?

 《引き継ぐべき教訓》であり、「愚かな戦争に学ぶ」べきだというのに…。

   『●「人道なんてなかった」頃の「戦争できる国」の現実
    《靖国神社にある遊就館の片隅に奇妙な像がある。
     潜水服姿で頭には大きなかぶと。両手で長い棒を持ち、
     身構えている。先端に付けられているのは機雷である
     ▼…本土決戦を水際で食い止める「人間機雷の存在は
     ほとんど知られていないのだから
▼…竹ざおの先の機雷を
     突き上げて自爆する
。「伏龍」と名付けられた
     水際特攻隊である▼…潜水具には構造的な欠陥があり、
     多くの若者が訓練中の事故で命を失った
▼当時の
     戦争指導者の愚劣さが凝縮されている人間機雷を
     考えたのは、参謀として真珠湾攻撃の作戦を
     立案した人物
だ。…▼戦争が長引けば伏龍の要員に
     なるはずだった人物に城山三郎さんがいる。
     特攻を命じた側に常に厳しい視線を向けた作家の原点
     だろう。「日本が戦争で得たのは憲法だけだ」。
     城山さんの言葉が重く響く》

   『●「竹やりで…」「特攻艇・震洋」「人間機雷・伏龍」…
       「最も戦争に接近した八月」に「愚かな戦争に学ぶ」
    《1944年、日本軍が開発した特攻艇「震洋」。…沖縄では実戦に
     投入された。ベニヤ板で作られ、船首に約250キロの爆薬が積める
     ようになっている…▼戦争では兵士だけではなく、住民もまた大きな
     犠牲を強いられる。グアム周辺へのミサイル発射計画を巡り、北朝鮮と
     米国の緊張が高まっていることが連日報道されている。
     まず指導者たちこそ過去の愚かな戦争に学ぶ必要がある

 「愚かな戦争に学ぶ」ことなき亡国者達が、《国民のためと称しつつ、戦争ができる国づくりとは何事か平和主義を粗末にしないでほしい》。

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https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201808150000184.html

政界地獄耳
2018年8月15日9時26分
押し付けられたのは憲法か

 ★12日、首相・安倍晋三は講演で憲法改正について「いつまでも議論だけを続けるわけにはいかない。これまでの活発な党内議論の上に自民党としての憲法改正案を次の国会に提出できるよう、取りまとめを加速すべきだ」とした。首相は改憲派で、もとより「いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」と現憲法が米国に押し付けられた憲法でみっともない憲法と定義づけている

 ★元来、順法精神を持ち、誰よりも現行憲法を守らなければならないはず内閣総理大臣として発言は逸脱していると思えるが、国会が発議するはずの憲法改正を率先して変えたがるその発言だけは、自民党総裁として使い分けることも姑息(こそく)だ。ただ首相が言う、「日本人が作った憲法ではないという発言も聞き捨てならず、その合理的な根拠もさして示していない

 ★16年8月12日の東京新聞では「9条は幣原首相が提案 マッカーサー書簡に明記 『押しつけ憲法』否定 新史料」の見出しで、終戦から半年間首相を務めた幣原喜重郎の考えであったことを書いているし、04年に集英社から「昭和の三傑-憲法九条は『救国のトリック』だった」を出版した元文芸春秋編集長・堤堯も同様の分析と判断を行っている。同様の考えを記した専門家の書はほかにも幾多もあろう。しかし歴史を正面から見つめず、「いつまでも議論ばかり続けるわけにはいかない」どころか、歴史を修正してまで憲法改正に事を運ぼうという姿は、首相の役割とすればみっともないと言われても仕方がないのではないか。押し付けられたのは憲法ではなく政府が沖縄に米軍基地を押し付けたのではないのか。総裁選挙では、そこを議論にしてもらえるのだろうか。今日は終戦記念日だ。(K)※敬称略
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018081402000159.html

【社説】
終戦の日を前に 国家は国民を守るのか
2018年8月14日

 全国が焦土と化した終戦から七十三年。無数の犠牲者が出た。空襲から国民はなぜ逃げられなかったのか。そこから国家と国民の関係が見えてくる。

 「空の要塞(ようさい)」と呼ばれたB29爆撃機が編隊で焼夷弾(しょういだん)をばらまいた。目標は木造の民家だった。東京では一九四五年三月の大空襲から終戦まで六十回を超える被害を受けた。死者約十万七千人。被災者は三百万人にも上った。

 空襲は全国に及び、愛知では約一万人超、大阪では約一万三千人超の死者が出た。広島と長崎の原爆投下の犠牲者は計約二十一万人。空襲による民間人の犠牲者数は四十一万人超といわれる。


◆「焼夷弾は手でつかめ」

 「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都)の集計だが、軍事工場で亡くなった人は、軍人・軍属ととらえ除外している。例えば愛知県豊川市の海軍工廠(こうしょう)では、勤労動員の学徒らを含む二千五百人が死亡したというが、四十一万人超の数字には含まれない。

 なぜ、こんな大きな被害を受けたのか。なぜ、国民は事前に避難できなかったのか。疑問を解くカギが当時の「防空法」という法律だ。三七年にできた。敵国の空襲があった場合、その危害を防ぎ、被害を軽減するという目的で制定された。

 「検証 防空法」(水島朝穂、大前治著 二〇一四年)に詳しいが、その本の副題は「空襲下で禁じられた避難」である。

 法改正で国民はB29が到来する前に安全な田舎に疎開できなくなった。疎開を許されたのは、子どもやお年寄り、妊婦らだけだった。国民は都市からの退去を法で禁じられていたのだ

 応急消火の義務を国民に負わせていたからである。爆弾が落ちてきたら、その火を消せバケツリレーと砂で…


◆「国民が死んでも…」

 「バケツ五、六杯で消せる」「焼夷弾は手でつかめる」…。手袋でつかみ、放り出せというのだが、あまりに非現実的である。驚くべき非科学世界の中で、国民を消防に駆り立てていたわけだ。

 それが不可能であるのは、科学者や軍も政府も当然、知っている。では、なぜ? (1)自ら臨戦態勢につく覚悟を植え付ける(2)「日本軍は弱い」という反軍意識の回避(3)人口流出による軍需生産力の低下や敗北的な逃避観念を生じさせないために「逃げられない体制」をつくる。前掲書では、そのように説明している。

 ならば、おびただしい死亡者は、国家に殺されたに等しいではないか。国家は国民を守るのか。大いに疑問が湧く。国家は国民の命でなく、国家体制を守ろうとしたのではないのか。

 空襲被害では各地で訴訟が起きた。憲法学者の水島氏は大阪訴訟で証人に立ったことがある。そのとき憲法前文を引いた。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」のくだりだ。次のように述べた。

   <『政府の行為』とは何か(中略)まさに『国民なき防空体制』があった。
     国民が死んでもいいという極致にまで達してから戦争が終わった>

 「特攻」もそうであろう。志願の形だが「九死に一生を得た」ではなく「十死を前提とするのは、まともな近代の作戦とはいえない。何千人という若者を死に追いやるだけではなかったか。

 国民が死んでもいい、そんな戦争への反省から日本国憲法の平和主義は生まれたのだ。そのことは重い。引き継ぐべき教訓だ

 安倍晋三首相の悲願は九条の改憲である。首相にどれだけ戦時下の国民を思う気持ちがあるか。「侵略戦争の定義が定まっていない」など、まるで戦争への反省が聞かれない

 原爆忌でも核兵器禁止条約に「不参加と明言し、被爆者団体の怒りを買った。庶民の目線はあるか

 「戦争ができる国」に進んでいる。集団的自衛権の行使容認しかり、安保法制しかり、特定秘密保護法しかり、「共謀罪」しかり…。強まる国家主義を恐れる。

 首相の父・安倍晋太郎氏は東京帝大に入学するも海軍にとられ、滋賀航空隊に配属された。戦後は外相などを歴任するが、「輝かしき政治生涯」という伝記編集委員会の本などにこう記されている。


◆祖父は反戦・平和の人

 海軍での役目は「特攻」。だが、山口に一時帰郷のとき、首相の祖父・寛からこう言われた。

   「無駄な死に方はするな」

 安倍寛こそ戦前の反戦・反軍部の政治家だったという。大政翼賛会の政治団体から「非推薦」とされても衆院選に当選し、反・東条英機の姿勢を貫いた

 国民のためと称しつつ、戦争ができる国づくりとは何事か平和主義を粗末にしないでほしい
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●成田三樹夫さん、《権力にへたへたする役者じゃ意味がない。…バカがどんどん図にのるんだよ、ハハハ》

2018年02月05日 00時00分45秒 | Weblog

[※ 「こんな人たち」 報道特集(2017年7月8日)↑]



リテラの記事【ICANの面会を断りバルト3国で北朝鮮危機を煽る安倍首相! 吉永小百合は対話に向けて「一人一人が声をあげることが大事」と】(http://lite-ra.com/2018/01/post-3736.html)。

 《一方、ICANのノーベル平和賞受賞には現在にいたるまで一切の祝福コメントを出していないなど、一貫して冷淡な態度をとり続けている。今回の面会拒絶で、核廃絶に後ろ向きな安倍首相の姿勢がまたしても露呈した格好だ…戦争を回避するどころか、積極的に戦争を煽る姿勢を貫く安倍首相だが、そんななか、2018年1月6日付朝日新聞のインタビューに応えた吉永は、現在の状況についてこのように怒りをにじませた。「東アジアは大変な状況ですけれど、それでもみんなでテーブルについて話さなければならない。そうさせるのは私たち一人一人です」…「今、核兵器の禁止をそれぞれの国の人たちが考え、意見を出し合って大きな流れにしたのは素晴らしい。次は、この国で生きている一人一人が声を出していくことが大事だと思います」》。

   『●自公お維キト支持者、「どうして、危険を
      回避してくれるようなリーダーがほしいとならないのだろうか?」
   『●「核兵器という大きな問題から、逃げ隠れしている
       安倍首相の態度は実に卑怯極まりない…子供じみた政権」

    《高橋乗宣…【日本経済一歩先の真相/核の傘に依存 核廃絶への
     意思を表明できない卑怯な政権】…どうして6カ国もの「小国」に
     昭恵夫人を連れて、新婚ならぬ旧婚旅行に出かけ、貴重な時間を
     潰してしまうのか。はなはだ理解不能だったが、ようやく謎が解けた。
     安倍首相には海外に逃げざるを得ない事情があったのだ…(ICAN)の
     ベアトリス・フィン事務局長が来日していた》

 日刊ゲンダイのコラム【室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」/日中の軍事衝突を妄想する百田尚樹さんってなんなん?】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221473)によると、《「朝日新聞は日本の敵だが、そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵だ」(作家・百田尚樹) これは12日、百田氏のTwitterでの言葉。「もし、中国と日本が軍事衝突をすれば、朝日新聞は100パーセント、中国の肩…》…だそうです。
 アベ様の醜悪な取巻き・百田尚樹氏から、《朝日の読者も日本の敵》ということで、「こんな人たち」認定されたようだ。その界隈の醜悪なデマ者・ヘイト者達の態度・人間性・思考のお粗末さ…相変わらず取巻き連中がデマやヘイトを喚き散らしている。

   『●百田尚樹氏、沖縄の地で「デマを並べ、
      沖縄への米軍基地集中を正当化」…態度・人間性・思考のお粗末さ
   『●「まるで空襲に襲われた戦時下のような異常な訓練」に加えて、
                     アベ様は沖縄にさらなる「我慢」を強いる
    「「まるで空襲に襲われた戦時下のような異常な訓練…沖縄の現実」
     に加えて、《受け入れてくれる人がいて初めて、いざというときに
     対応できる》とアベ様は沖縄にさらなる「我慢」を強いる。
     《本土決戦の時間稼ぎのために沖縄を捨て石にした、
     戦時中の発想そのもの》…唖然、アベ様ときたら…「在日米軍特権
     「日米共犯」。最早、沖縄イジメ。取巻き連中は、ヘイト・デマを浴びせ、
     《子どもを園庭で遊ばせたい》《当然の日常がほしいだけ》という望み
     さへ否定し、《子どもたちの日常にある「異常」を放置》して恥じない。
     名護市をはじめ、与党・自公のなりふり構わぬ汚い選挙戦…負けるな、沖縄!」

吉永小百合さん、尊敬に値する。吉永さんでさへ、大変なデマ・ヘイトに晒される。《そもそも、権力に対して疑問の声を呈しただけで炎上を焚き付けられるような現状が異常》。でも、《確固としたキャリアをもっている人にはこれから先も積極的に社会的なメッセージを発信してもらいたいし、若い世代からもそれに続く流れが生まれることを切に願う》、本当に。


   『●吉永小百合氏の原発廃止発言
   『●「「愛国」と戦争 安倍政権の軍事改革徹底批判」
           『週刊金曜日』(9月20日、960号)について
   『●「『平成の治安維持法』をつくった総理」の
       非常に危険な思い入れ、それに手を貸す責任

   『●吉永小百合さん、「核と人は共存できない」
            「ゲームやコミックスで知っている戦争ではないか?」』 

   『●「安倍政権への怒りと原発再稼働反対への思い」を
                 語る吉永小百合さんを支持します
   『●「原理原則の無い国」、「死の商人」に堕した国、
               原発輸出したい哀しい国・ニッポン
   『●いま、「陰謀論丸出し」でアベ様の取り巻きが攻撃を開始:
                       吉永小百合さんを断固支持する
   『●「笑いや風刺は寛容で自由な社会を示すバロメーター…
                 「国民の意識の低さ」を変えるきっかけに」

 リテラの記事【ICAN面会拒否の一方で芸能人と会食を繰り返す安倍首相に批判殺到! 芸能人を改憲の世論づくりに利用する目的か】(http://lite-ra.com/2018/01/post-3739.html)によると、《実際、最近の安倍首相は「芸能人との会食・対談」が目立っている。まず、12月15日には、松本人志や指原莉乃、東野幸治、古市憲寿という『ワイドナショー』(フジテレビ)の出演者と安倍首相が行きつけにしている四谷の焼肉店「龍月園」で会食。さらに1月5日には、ブルガリ銀座タワー内の「プライベートルーム」にて、津川雅彦や中井貴一、米倉涼子、木村佳乃、佐々木希、宇崎竜童、泉谷しげる、六平直政、松村邦洋らといった芸能人たちと会食。また、1月11日には自民党の月刊女性誌「りぶる」取材のため米倉が公邸を訪問し、対談をおこなった》…だそうです。
 かつて、成田三樹夫さん曰く、《最近の役者…いやらしいのが多すぎる…総理大臣主催のナントカ会…ニコニコして出かけて行って、握手なんかして喜んでるだろ。…情けなくなっちまうね。権力にへたへたする役者じゃ意味がない。…バカがどんどん図にのるんだよ、ハハハ》。そう、アベ政権以降、《バカがどんどん図にの》っている。

   『●『佐高信の新・筆頭両断』読了(2/2)
     「権力に立ち向かうような俳優や芸人が日本には少ない。
      成田三樹夫は、「最近の役者・・・いやらしいのが多すぎる
      ・・・総理大臣主催のナントカ会・・・ニコニコして出かけて行って
      握手なんかして喜んでるだろ。・・・情けなくなっちまうね
      権力にへたへたする役者じゃ意味がない
      ・・・バカがどんどん図にのるんだよ、ハハハ」」

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http://lite-ra.com/2018/01/post-3736.html

ICANの面会を断りバルト3国で北朝鮮危機を煽る安倍首相! 吉永小百合は対話に向けて「一人一人が声をあげることが大事」と
2018.01.15

     (ラジオでも反戦平和を訴えている女優・吉永さゆり
      (TBSラジオ『今晩は吉永小百合です』公式サイトより))

 昨年ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)ベアトリス・フィン事務局長が現在来日中だが、来日に合わせ安倍首相に面会を申し込んだが断られていたことが明らかになった。安倍首相と言えば、カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞には即座にお祝いコメントを出した一方、ICANのノーベル平和賞受賞には現在にいたるまで一切の祝福コメントを出していないなど、一貫して冷淡な態度をとり続けている。今回の面会拒絶で、核廃絶に後ろ向きな安倍首相の姿勢がまたしても露呈した格好だ。

 ICANを無視した安倍首相がいま何をしているかというと、わざわざバルト3国まで出かけて行き、エストニアの首都・タリンや、リトアニアの首都・ヴィリニュスについて「タリンもヴィリニュスも北朝鮮の弾道ミサイルの射程圏内」「欧州全体の危機」などと、北朝鮮の脅威を煽ってまわっている。平昌五輪への参加問題をきっかけに南北会談が実現したことで、対話に向け世界各国が協調しているなかいまだ対話より圧力路線を崩そうとしていない

戦争を回避するどころか積極的に戦争を煽る姿勢を貫く安倍首相だが、そんななか、2018年1月6日付朝日新聞のインタビューに応えた吉永は、現在の状況についてこのように怒りをにじませた。

   「東アジアは大変な状況ですけれど、それでもみんなでテーブルに
    ついて話さなければならない。そうさせるのは私たち一人一人です」

 吉永といえば、日本のみならず世界中で原爆詩の朗読会を開き核廃絶を訴えてきたことでもよく知られているが、加えて昨年は、ICANがノーベル平和賞を受賞した記念碑的な年。

 前述のとおり安倍首相がICANの平和賞受賞に冷淡な態度をとり続けているが、昨年12月11日の定例記者会見にてICANの受賞について質問が及んだ菅義偉官房長官も、核兵器禁止条約について「我が国のアプローチと異なるものであり、署名、批准は行わない考え」とコメント。改めて安倍政権には核廃絶や平和のために行動しようなどという考えは微塵もないことが明らかになっている。

 そんななか、朝日新聞のインタビューでICANについて問われた吉永は、このように述べている。

   「今、核兵器の禁止をそれぞれの国の人たちが考え、意見を出し合って
    大きな流れにしたのは素晴らしいは、この国で生きている
    一人一人が声を出していくことが大事だと思います」

 吉永は今年3月公開予定の滝田洋二郎監督作『北の桜守』で南樺太からの引き揚げ家族の母を演じる。15年には、山田洋次監督作『母と暮せば』にて、長崎の原爆で息子を失った母を演じていた。

 女優としての演技の仕事や、インタビューや、朗読劇の公演など、吉永は自分の関わるありとあらゆるチャンネルを使って平和への思いを訴えている


吉永小百合が語った、芸能人が政治的発言をすることのリスクと自身の覚悟

 先に引いた発言のなかで、「みんなでテーブルについて話さなければならない。そうさせるのは私たち一人一人です」や「この国で生きている一人一人が声を出していくことが大事だと思います」と話している通り、吉永は人々が自発的に声をあげることの大切さを繰り返し語る

 確かに、それは重要なことなのだが、なぜ彼女は人々ひとりひとりが声を出すことをそれほどまでに説くのか。その背景には、吉永の母が語った太平洋戦争中の体験がある(吉永小百合は東京大空襲の3日後に代々木で生まれた)。

 「女性自身」(光文社)16年8月23・30日合併号に「みんな、声をあげて! 命が押し潰される前に」と題して掲載された、東大名誉教授で政治学者・姜尚中氏との対談のなかで、吉永はこのように語っている。

   「私は若いころ、母に『なぜ戦争は起こったの?
    反対はできなかったの?』と質問したことがあるのです。
      そしたら母は、ひと言『言えなかったのよ……』って。
    言えないってどういうことなんだろうと、その時には理解できなかった。
    けれど最近、母の言っていた意味がわかります
    今の世の中を見ていると息苦しい感じがして」

 吉永の言う通り、この国は日を増すごとに、権力に対しアンチテーゼを唱えるような発言をすることが難しい国になってしまっている

 それはとくに、芸能人やアーティストなどにおいて顕著な傾向だ。著名人が少しでも政治的発言、とりわけ安倍政権を批判しようものなら、ネットですぐさま炎上騒動が巻き起こり、血祭りにあげられる。それは吉永でさえ例外ではなく、ネット上では“在日”“反日女優”“売国芸能人”などという大バッシングに晒されている

しかし、それでも吉永はひるまない。前掲朝日新聞のインタビューで記者から「息苦しくなってきた世の中で、芸能界で発言することは厳しくないですか」と問われた吉永は、このように喝破している。

   「それは、自分たちでそう思っちゃっているところがあるかもしれませんね
    ラジオ番組などでご自分の意見を言われている方もおられるし。
    結局、その人がどう向き合うかだと思うんですね」

 しかし、その一方で、吉永は「弱い立場の人にはダメージが大きすぎることもある」とも付け加え、政治的発言が芸能人としてのキャリアの存続を危険にさらしてしまうケースがあることへの配慮を語る。そのうえで「私たちみたいに(芸能活動が)長い人間が発していかないと」と、決意を述べている。

 そもそも、権力に対して疑問の声を呈しただけで炎上を焚き付けられるような現状が異常なのは言うまでもない。しかし残念ながら、2018年もそのような状況は続くだろう。

 だからこそ、吉永のように、確固としたキャリアをもっている人にはこれから先も積極的に社会的なメッセージを発信してもらいたいし、若い世代からもそれに続く流れが生まれることを切に願う
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●自民党亜種トファの小池都知事が「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」を…

2017年08月28日 00時00分09秒 | Weblog


東京新聞の辻渕智之榊原智康記者による記事【関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017082402000130.html)。
リテラの記事【ついに本性が…小池百合子が関東大震災朝鮮人犠牲者の追悼を拒否! 背後に朝鮮人虐殺を否定する在特会系ヘイト団体】(http://lite-ra.com/2017/08/post-3412.html

 《例年、市民団体で構成する主催者の実行委員会が要請し、歴代知事は応じてきた。小池氏も昨年は送付していたが方針転換した。団体側は「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」と、近く抗議する》。
 《都側は理由として、同じ9月1日に同公園内の慰霊堂で行う都慰霊協会主催の大法要に知事が出席することを挙げ、「犠牲者すべてに哀悼の意を表すので、これからは個別の団体や個人のことで追悼を差し上げることはやらない」と説明したという。論外だろう。そもそも、被災者一般の追悼と朝鮮人犠牲者の追悼は全く意味がちがう朝鮮人虐殺は混乱に乗じた人災であり、軍や警察という行政側も朝鮮人の殺害に加担したのだ。これに対し、多様の民族、国籍の人々が生活し、2020年にはオリンピックも行われる東京都のトップが、民族差別を背景にしたヘイトクライムの過去に対する追悼メッセージを拒否するというのは、国際的にもありえない判断としか言いようがない」

 《民族差別を背景にしたヘイトクライムの過去に対する追悼メッセージを拒否》…自民党亜種トファ小池都知事が《震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断》をした訳です。自民党亜種トファ、その党首のヘイト体質が露わに。
 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断った理由がどうやら、古賀俊昭議員(自民)による「ト」な都議会一般質問に共鳴したためのようです。虐殺者数へのイチャモンに貶め、限りなくその数を減らし、終いには「虐殺は無かった」と歴史を抹殺、歴史的事実を消去するつもり。なにせ古賀都議は(自ら歴史をゆがめておきながら)《知事が歴史をゆがめる行為に加担》、(自らヘイト行為を扇動しておきながら)《事実に反する一方的な政治的主張と文言を刻むことは、むしろ日本及び日本人に対する主権及び人権侵害が生じる可能性があり、今日的に表現すれば、ヘイトスピーチ》とまで言うトンデモヘイト体質
 しかも、ヘイト虐殺人災と震災死を恣意的に混同する詐欺的理由…救いようがない都知事。

   『●「選挙上手・戦略家」氏は羽衣の下には剣と鎧を纏い、
                 スネにもお金にまつわる多数の傷が…
   『●宇都宮健児さん、「小池さんが東京でカジノをやろうとしたら、
                 猛烈な反対運動をやらなければいけないな」
   『●2017年都議会議員選挙: 「「安倍政治」を許さない」
          →自民党亜種・トファや公明に投票? 理解不能
    「「ト」な日本会議関連議員らしいし、沖縄ヘイト体質だし、アベ様の
     オトモダチ百田尚樹センセと同じ体質。壊憲志向、権力志向…
     ため息ばかりだ。小池氏は、選挙が終わるや否や直ぐさま、
     トファ代表を辞任し、新代表にその座を譲ったそう。巷間、
     「クラス担任があっさり交代」「学級崩壊」が…。新代表野田数氏って、
     大丈夫ですかね? 《地域政党「東京維新の会」》ねぇ…、
     《アントニオ猪木参議院議員の政策担当秘書》ねぇ…、
     《東京維新の会時代の2012年10月には日本国憲法無効論に
     基づく大日本帝国憲法復活請願を東京都議会に提出》ねぇ…(←ココ)。
     大丈夫か?」

   『●室井佑月さん「小池都知事…考え方は安倍首相に近い」
            「自民党っていう看板を付け替えただけじゃん」
   『●「文書が不存在」…トファ小池都知事の脳内AIという
           超単純回路な「ブラックボックス」で「政策判断」
   『●権力内での席替え: 無言「……」で「のり弁」での
      チョッピリ情報開示…自民党亜種トファ的な情報非公開

    「「のり弁」のブーメラン。無言「……」で「のり弁」でのチョッピリ
     情報開示…まさに、自民党亜種トファ的な情報非公開な予想通りの
     展開。報道機関からのトファ議員へのアンケートなどにも拘束を
     かけているとのことで、この党の体質があらわになっています。
     また、小池都知事は、依頼を受けていた
     関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったそうです。
     小池都知事のヘイト体質も露わになりつつあります」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017082402000130.html

関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る
2017年8月24日 朝刊

 東京都の小池百合子知事が、都立横網町(よこあみちょう)公園(墨田区)で九月一日に営まれる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったことが分かった。例年、市民団体で構成する主催者の実行委員会が要請し、歴代知事は応じてきた。小池氏も昨年は送付していたが方針転換した。団体側は「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」と、近く抗議する。 (辻渕智之榊原智康

 追悼文を断った理由について、都建設局公園緑地部は本紙の取材に、都慰霊協会主催の大法要が関東大震災の九月一日と東京大空襲の三月十日に開催されることを挙げ、「知事はそこに出席し、亡くなった人すべてに哀悼の意を表しているため」と説明。「今後、他の団体から要請があっても出さない」としている。

 追悼文は一九七〇年代から出しているとみられ、主催者によると確かなのは二〇〇六年以降、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池各知事が送付してきた。

 追悼式が行われる横網町公園内には、七三年に民間団体が建立した朝鮮人犠牲者追悼碑があり、現在は都が所有している。そこには「あやまった策動と流言蜚語(ひご)のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われた」と刻まれている。

 追悼碑を巡っては、今年三月の都議会一般質問で、古賀俊昭議員(自民)が、碑文にある六千余名という数を「根拠が希薄」とした上で、追悼式の案内状にも「六千余名、虐殺の文言がある」と指摘。「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めた。

 これに対し、小池知事は「追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁しており、都側はこの質疑が「方針を見直すきっかけの一つになった」と認めた。また、都側は虐殺者数について「六千人が正しいのか、正しくないのか特定できないというのが都の立場」としている。

 式を主催する団体の赤石英夫・日朝協会都連合会事務局長(76)は「犠牲者数は碑文の人数を踏襲してきた。天災による犠牲と、人の手で虐殺された死は性格が異なり大法要で一緒に追悼するからという説明は納得できない」と話した。

関東大震災の朝鮮人虐殺> 1923(大正12)年9月1日に関東大震災が発生すると、「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマが広がった。あおられた民衆がつくった「自警団」などの手により、多数の朝鮮人や中国人らが虐殺された。通行人の検問が各地で行われ、殺害には刃物や竹やりなどが用いられた。
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http://lite-ra.com/2017/08/post-3412.html

ついに本性が…小池百合子が関東大震災朝鮮人犠牲者の追悼を拒否! 背後に朝鮮人虐殺を否定する在特会系ヘイト団体
2017.08.25

     (都民ファーストの会公式サイトより)

 小池百合子都知事が、9月1日に東京都墨田区の都立横網町公園で行われる関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者への追悼メッセージを拒否したことが波紋を広げている。本サイトでは昨年の知事選の際から、小池氏とその側近の極右思想やヘイト団体との関係を指摘・批判してきたが、ここにきてその本性をモロにあらわしたということだろう。
 1923年の関東大震災では、発生直後の混乱のなかで、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒をいれた」「放火している」などのデマが広がり、警察や自警団など、日本人らによる大規模な朝鮮人の虐殺が行われた。震災戦災のメモリアルパークである横網町公園には、その悲劇を二度と繰りかえさぬよう願う朝鮮人犠牲者追悼碑が建てられており、日朝協会東京都連合会などでつくる実行委員会が主催する9月1日の式典でも、朝鮮人犠牲者の追悼が行われている。例年、この式典には都知事が追悼のメッセージを寄せ、出席した都側の担当者が代読してきた。
 しかし、主催者側関係者によれば、8月初旬、公園を管轄する都の担当部署から、今年は小池都知事による追悼文を出さない旨を伝達。都側は理由として、同じ9月1日に同公園内の慰霊堂で行う都慰霊協会主催の大法要に知事が出席することを挙げ、「犠牲者すべてに哀悼の意を表すので、これからは個別の団体や個人のことで追悼を差し上げることはやらない」と説明したという。
 論外だろう。そもそも、被災者一般の追悼と朝鮮人犠牲者の追悼は全く意味がちがう。朝鮮人虐殺は混乱に乗じた人災であり、軍や警察という行政側も朝鮮人の殺害に加担したのだ。これに対し、多様の民族、国籍の人々が生活し、2020年にはオリンピックも行われる東京都のトップが、民族差別を背景にしたヘイトクライムの過去に対する追悼メッセージを拒否するというのは、国際的にもありえない判断としか言いようがない。
 ところが、本日の定例記者会見で、この問題について朝日新聞記者から質問された小池都知事は、「民族差別という観点というよりは、私は災害の様々な被害によって亡くなられた方々についての慰霊をすべきであると思っています」とごまかした。また、昨年は追悼メッセージを送っていたことを指摘されると、追悼文の文言は都知事自らが考えていないので事務方が慣例的に行うことが多いと開き直って、昨年は追悼文の送付について「後からたまたま知った」と、自らの関与を否定すらしたのである。
 こうした対応を見ても、小池都知事の言う「犠牲者すべてに哀悼の意を表すので、個別の団体や個人に追悼しない」というのは、誰の目にも方便であることは明らかだ。事実、会見のなかでも英字新聞ジャパン・タイムズの記者から朝鮮人虐殺の歴史認識について追及された小池都知事は「様々な歴史的な認識があろうかと思う」と相対化して、「関東大震災という非常に大きな災害、それに続く様々な事情によって亡くなられた方々」と、あからさまに朝鮮人虐殺という言葉を使うのを避けていた


「朝鮮人虐殺はなかった」のヘイトデマを叫ぶ極右都議

 ようするに小池都知事は、朝鮮人虐殺の歴史事実を否定したいがために、朝鮮人犠牲者追悼式典での追悼メッセージを取りやめにした。そうとしか思えない。実際、一部新聞などでも指摘されているように、今回の追悼メッセージ取りやめの背景には、都議会で自民党・古賀俊昭都議が朝鮮人虐殺について小池都知事に行った質疑が関係しており、都側もそのことを認めている。
 古賀都議は8月2日の都議会で、横網町公園の追悼碑に〈あやまった策動と流言蜚語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました〉と記述があるのを問題視。本サイトで以前その内容がデタラメの宝庫だと指摘した朝鮮人虐殺否定本『関東大震災 朝鮮人虐殺の真実』(工藤美代子/産経新聞出版)を論拠に、「事実に反する一方的な政治的主張と文言を刻むことは、むしろ日本及び日本人に対する主権及び人権侵害が生じる可能性があり、今日的に表現すれば、ヘイトスピーチであって、到底容認できるものではありません」「(朝鮮人犠牲者追悼碑の)撤去を含む改善策を講ずるべき」「今後は追悼の辞の発信を再考すべき」と主張し、対応を迫った。これに対し小池都知事は「私自身がよく目を通した上で、適切に判断をいたします」と答弁している。
 たしかに朝鮮人虐殺における犠牲者数については諸説あるが、デマや流言によって多数の朝鮮人や中国人が、日本の警察や軍、自警団に虐殺されたのは歴然たる事実である。それは、当時、治安出動を指揮した警視庁官房主事の正力松太郎自身も証言していることだ。その犠牲者数の多寡を標的にして、日本人に対するヘイトスピーチなどと喚くのは悪質な言いがかりでしかない。
 しかも、古賀都議は横網町公園にある朝鮮人犠牲者追悼碑について、「(建立当時は)何せ共産党を中核とする革新都政でありましたから、相手の言うがままであったと思われます」などと、さも勝手に建てられたかのように吹いているが、実際には、この碑は民間、学界、法曹界、実業界、宗教界などから多くの人々の協力を経て、震災50周年の1973年に建立されたもの。『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)の著書がある加藤直樹氏によれば、追悼碑建立の協力者は個人で約600人、団体で240団体にものぼり、実際、その中には美濃部亮吉都知事を筆頭とする政治家はもちろん、共産党や社会党だけでなく自民党や公明党の各区議団の名前も連ねられている。それを「相手の言うがままであった」とは妄想も大概にしてほしい。
 そもそも、この古賀都議は「極端と言っていいほどの右翼議員として有名」(都庁関係者)な人物。事実、古賀氏はホームページでは、〈東京都平和祈念館の反日偏向展示計画阻止、教育・教科書採択正常化、過激派性教育・ジェンダーフリー是正、石原知事の靖国神社参拝実現〉などの文言がこれでもかと並ぶ、典型的な極右政治家である。


朝鮮人虐殺を否定するヘイト団体「そよ風」と小池百合子の関係

 「そよ風」は、関東大震災の朝鮮人虐殺を否定する歴史修正運動とロビー活動に熱を上げており、各地の朝鮮人慰霊碑の撤去を求める街宣や東京都に対する公開質問状の送付などを行なっているのだが、実は、この在特会系団体と、都議会で朝鮮人慰霊碑撤去の質疑をぶった古賀氏は昵懇の仲。それどころか、小池都知事ともただならぬ関係にあるのだ。
 事実、「そよ風」のブログによれば、昨年6月には「関東大震災の真実を伝える会」の名称で古賀都議と面会し、横網町公園内の朝鮮人慰霊碑について〈「関東大震災における6000人の朝鮮人虐殺」の嘘〉などをレクチャーしている。同年8月には、古賀議員が「そよ風」主催の会合で講演。今年3月2日の都議会質問も傍聴したことがブログで報告されている。古賀氏の質疑が「そよ風」の運動の“成果”であったことはほぼ間違いない。
 さらに前述のとおり、小池都知事自身が「そよ風」と浅からぬ縁がある。小池氏は2010年に「日本と地球の護り方」と題した講演会を行なっているのだが、この会を主催したのが他ならぬ「そよ風」で、協賛には在特会女性部も名を連ねていた。
 こうした関係を踏まえれば、今回、小池都知事が朝鮮人犠牲者の追悼文を拒否したのには、この在特会系極右団体のロビイングによる古賀都議の質疑だけでなく、「そよ風」が直接的に小池都知事に働きかけた可能性もあるだろう。
 しかも、「そよ風」は朝鮮人犠牲者の追悼式典が行われる9月1日に、同じ横網町公園での集会を予定している。今回の都知事による追悼メッセージの取りやめは、こうした歴史修正運動にお墨付きを与えることとなり、今後一層、都内での極右団体の活動を活発化させるだろう。
 いずれにしても、今回の一件で、小池都知事はその本質である極右思想だけでなく、ヘイトクライムを擁護するような差別主義を、世界に向け発信したことになる。
 もともと、昨年12月の所信表明でも「韓国人学校への都有地貸与の撤回」を功績として語り、今年3月16日の都議会予算特別委員会では「グローバル人材の育成の観点からも、国旗や国歌を大切にする心を育むということこそ重要」と言い、都立看護専門学校や首都大学東京での入学式・卒業式において、国旗の掲揚のみならず「国歌斉唱についても行うよう望んでいきたい」と述べるなど、知事就任後もその極右思想は隠しきれてなかったが、歴史認識についても「それぞれの立場がある」などと相対化して朝鮮人虐殺の事実まで無効化しようとしている。これでは、国際都市である東京が、グロテスクな民族差別とヘイトクライムを容認しているようなものだ
 何度でも繰り返すが、これで本当に五輪を迎えようというのだからクラクラしてくる。わたしたちは、「東京大改革」などという頭の悪さ丸出しなコピーに騙されることなく、極右ヘイト団体と歩調を合わせて歴史修整と差別思想を拡散させている小池都知事に明確なノーを突きつけていく必要がある
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●アベノサギで違法な壊憲: 永六輔さん曰く「「9条を守る」ことは「99条を守ることだ」」

2016年07月15日 00時00分58秒 | Weblog


東京新聞のコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016071202000135.html)と、
LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の新田樹氏による記事【永六輔が自民の改憲草案を「ちゃんちゃらおかしい」と痛烈批判していた!“総理が改憲と言い出すのは憲法違反”とも】(http://lite-ra.com/2016/07/post-2412.html)。

   『●『ぢぢ放談』読了
   『●言葉が見つかりません・・・
   『●永さんとラジオ
   『●「スクールカースト」『週刊金曜日』
      (2013年5月24日、944号)についてのつぶやき
     永六輔さん【無名人語録398】、「憲法を改正して、
      戦争が出来るように従っている連中は、戦争に行かない連中だよ。
      行くのは若者だよ。命を国に捧げるんじゃないよ、
      生命を国に奪われるんだよ」。「戦争絶滅受合法案
      (http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8c42dbd1fe90afdf198502fb0d873bd3
     永さん「強い日本から美しい日本へ。総理大臣が急に日本を美しい
      と言い出したね。そういえば、死ぬことも美化する国だったよな」。
      矢崎泰久さん【発言2013】、「要するに日本はもう終わっている。
      …自由を剥奪された国民は奴隷である」。必読

 《「上を向いて歩こう」には安保闘争の挫折の悲しみを込めた▼五四年ごろか、戦力を持たぬはずの日本に戦力があると皮肉るコントをNHKラジオの娯楽番組に書いている。「いないいないばあっ!自衛隊」》。
 《戦争そして憲法について繰り返し語ってきたことでも知られる》

 永六輔さんがお亡くなりになりました。『無名人語録』や『「永六輔[放送タレント]×矢崎泰久[元『話の特集』編集長]ぢぢ放談』など、とても好きでしたし、ラジオを愛しておられた点も、尊敬していました。とても残念です。ご冥福をお祈りします。
 《戦争に行かない連中》が好き勝手に壊憲しています。それを座視して、アベノサギに騙されるニッポン。立憲主義が否定される恐ろしい時代に。永さん曰く、《「9条を守る」ことは「99条を守ることだ」》。後悔しても、「あとの祭り」…。
 2016年7月参院選を目前に、永さんが亡くなってしまいました。

   『●失われる「メディアの作法、矜持」…
     「権力を監視する機能が失われ」、しかも、アベ様の「思う壺」
   『●青木理さん: ジャーナリストの矜持
      「権力や権威の監視」「強者にこそ徹底した監視の目を」
   『●2016年7月参院選、今回も「眠り猫」だった皆さん…
   『●2016年7月参院選、「あとの祭り」…
      教育破壊の効果とアベノサギという「壊憲=争点」隠し
   『●2016年7月参院選、
      「あとの祭」の要因の大きな一つは片棒担ぎのマスコミにあり

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016071202000135.html

【コラム】
筆洗
2016年7月12日

 「夢であいましょう」「黒い花びら」「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」。曲名を並べ、不思議だなあと首をひねる。なぜか曲名だけで次の歌詞が自然と出てくる▼「黒い花びら」の曲名を見れば「静かに散った」と、「見上げてごらん夜の星を」と見れば「小さな星の」と浮かぶ。どんな仕掛けか。もう一度、曲名を見る。曲の歌い出しがそのまま曲名になっていることに気がつく▼直球にして明快な方法である。覚えやすさの点で優しさも感じる。書いたのはそういう方だったに違いない。いずれも作詞は亡くなった永六輔さん。往年の「六、八(作曲家の中村八大さん)、九(歌手の坂本九さん)」の間を埋める、ちゃめっ気か七日に逝く。八十三歳▼放送作家に作詞家、タレント、文筆家。マルチな活躍の一方、絶えず権力を見張る側にいた方である。安保反対にわく一九六〇年、「デモと番組とどっちが大切なんだ」と聞かれデモですねと台本を書いていた番組を降板。「上を向いて歩こうには安保闘争の挫折の悲しみを込めた▼五四年ごろか、戦力を持たぬはずの日本に戦力があると皮肉るコントをNHKラジオの娯楽番組に書いている。「いないいないばあっ!自衛隊」▼選挙に勝つため不利な争点を隠すいないいないばあっ!改憲の時代に直球、明快のガンコ者との別れが何とも心もとない
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http://lite-ra.com/2016/07/post-2412.html

永六輔が自民の改憲草案を「ちゃんちゃらおかしい」と痛烈批判していた!“総理が改憲と言い出すのは憲法違反”とも
憲法 新田樹 自民党 2016.07.12

      (TBSラジオ「六輔七転八倒九十分」番組サイトより)

 永六輔氏が、先週の7月7日に逝去していたことが、きのう明らかになった。永といえば「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「こんにちは赤ちゃん」の作詞など、戦後を代表するタレント、作詞家だが、戦争そして憲法について繰り返し語ってきたことでも知られる

 周知の通り、先日行われた参院選の結果、改憲勢力が3分の2議席を獲得した。それを受けて安倍首相は改憲について「今回の選挙の争点は改憲ではない」「今後、与野党で議論しながら慎重に進めていく」と語っているが、昨年の安保法制の時の国会運営を思い出してもわかる通り、議論すらまともに行わないまま数の暴力で強行に進めていくとみて間違いないだろう。

 権力者によって憲法が蹂躙されようとしているいまだからこそ、あらためて永氏の憲法そして反戦への思いをあらためて振り返りたい。

   「本来、一般市民は憲法なんて気にしなくてもいい、それが平和な世の中
    というものですよ。市民が『改憲ハンタ〜イ』なんてデモするのは、
    けっして平和な状況ではない憲法はあくまで国の舵取りをする政治家や役人
    つまり為政者を縛るための法律なんであって、国民は憲法に縁がなくても、
    幸せならそれでいいんですよ」(「現代」06年6月号/講談社)

 市民が「改憲反対」なんてデモをしなくてはいけないような状況になること自体が、すでに異常事態である、と。まさに現在の状況を予見するような重要な指摘を、永は10年も前に語っていたのである。

 憲法は為政者を縛るためのもの。昨年夏の安保法強行採決や今回の騙し討ち選挙によって破壊された立憲主義について、永はさらにこんな指摘もしている。それは、9条を守る」ことは「99条を守ることだ」というものだ。

   「憲法議論でいうとね。第9条ばかりに目がいきがちだけど、
    条文の最後のほうの第99条には、憲法をまとめるように、
    『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
    この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』とあるんですよ。
    この大事な99条にまで議論が及ばない」(「現代」05年8月号)

 しかし、現在自民党が出している改憲草案では、この条文に全て国民は、この憲法を尊重しなければならないという文章が加えられ、本来為政者を縛るためにあるはずの憲法が国民を縛るものに変わっているこれは「憲法」の根幹を揺るがすような変化なのだが、選挙前にこの事実を伝えるマスコミはほとんどなかった

   「(99条は)憲法を変えてはいけないという条文です。天皇陛下といえども
    変えられない。それなのに国会議員が変えると言い出すのはおかしいでしょう」

   「国民に義務を課すなんてちゃんちゃらおかしいですよ。憲法は国民を守る
    ためのルール。それなのに99条を変えると言い出すなんて政治家が
    憲法を勉強してこなかった証しです」(毎日新聞13年5月23日付夕刊)

 自民党の改憲草案をちゃんちゃらおかしいと批判そもそも総理大臣や国会議員が憲法を変えると言い出すこと自体憲法違反だとまで語っているのだ。

 ただ、永氏は憲法を改正すること自体に反対とは言っていない。しかし、それは、日本を確実に戦争ができる国に変え、国民を縛る監視国家にしようとする自民党の考える改正とはまったく違う発想のものである。

   「ぼくが前から言っているのは、9条だけを日本国憲法にすべきだということ。
    ほかは全部、他の法律に入れちゃえばいい」(『この国が好き』所収の鼎談より
    /文・鎌田實、絵・木内達朗、マガジンハウス)

 永氏の考える日本国憲法は、たった一行だけ。「二度と飢えた子供の顔は見たくない」。これだけである。

   「僕は憲法はこれでいいと思うんです。条文を書き連ねるんじゃなくて、
    この言葉の中に全部盛り込まれていると思う。戦争の問題、
    貧困の問題、教育・福祉の問題。僕は戦争が終わって、最初に選挙する時、
    興奮したし感動もしました。その感情がいまは無くなってしまった。
    だからもう一度元に戻して、『二度と飢えた子供の顔は見たくない』という、
    たった一行、世界でいちばん短い憲法にしたらどうかと思うんです」
    (「創」13年9・10月号/創出版)

 永氏が「二度と飢えた子供の顔は見たくない」という一行を生み出した理由。それはもちろん、1933年生まれの彼自身が戦争を体験した世代だからだ。

 永氏はこれまで、事あるごとに自分の戦争体験を語ってきた。それは、「中年御三家」の盟友であった小沢昭一野坂昭如と変わらないし、他の戦争を体験した人々とも同様である。ただ、その戦争体験の「伝え方」に関し、永氏には反省があるようだ

 戦争を体験した世代の人々が先の戦争を語る際、強調されるのは当然のことながら家族や友人の死など、悲惨な出来事ばかりである。ただ、幸運にも戦争中そのような悲しい憂き目にはあわなかった人もいるし、また、終戦時にはまだまだ子どもで戦争の実態がいまいち分かっていなかったという世代もいる。

 終戦時、国民学校の6年生だった永氏は、戦争体験について聞かれた際、「僕は戦争が面白かった」と答えている。東京大空襲の時も疎開先の長野から真っ赤に見えた東京の空を見て、「まるで夕焼けみたいに綺麗だった」とも感想を述べた。戦争体験としてはあまりに異質な感想だが、それが、終戦時12歳だった子どもの“実体験からの感想”だったのだ。

   「子どもからすれば、自分の家さえ燃えなければ、火事というのは面白い。
    空襲もそんなものにすぎなかった。
    親子関係だって、別れていくのが当たり前。
    毎日、近所のお兄さんが出征していき、かわりに遺骨が帰ってくる。
    『だれそれが亡くなった、こんどは誰ん家が焼けた』、とそれが日常でした。
    僕がもう少し大人だったのなら、戦争のすさまじさが分かったのだと思います。
    三つ年上の野坂昭如さんは、軍需工場で働いているから、戦火を
    逃げ回った経験をお持ちです。小沢昭一さんは、飛行機に乗って
    突っ込んでいく準備をしているわけです。
    でも僕は子供だったからそんな経験もない。だから戦争は面白かった。
    (略)
    大人になってから気が付きました。
    『戦争が面白い』
    そんな風に思っている子供がいたなんて、そんな子供時代をすごしていた
    なんて、なんと怖いことだろうと」(「小説宝石」05年8月号/光文社)

 戦争がどれだけたくさんの悲しみを生み、そして自分の命すら脅かしてしまうものなのかを理解できぬまま軍国教育を受け続けるとこのような感想を抱く子どもが生まれてしまう永氏は実体験からその恐ろしさを伝えようとしているのである。

 戦後の平和な時代になり、このような率直な感想を語る人は少ないが、これもまた、戦争の恐ろしさを十二分に伝える逸話である。だからこそ、戦争を体験した世代は、自分たちが本当に感じた「戦争」を後の世代に語り継いでいかなくてはならなかった。永氏はそのように感じていたようだ。

   「体験といっても、ぼくらのような学童疎開した世代と、実際に
    戦争に行った人では『戦争』の意味が違うし、同じ昭和ひとケタでも、
    小沢昭一さんと野坂昭如さんと、そしてぼくの『戦中』『戦後』はまったく違う。
    (略)疎開世代でいえば、小沢さんも野坂さんも、ぼくもそれぞれ違う。
    それを「昭和ひとケタ」でくくってしまうところが釈然としないだけで。
    戦争体験といっても、ほんとに撃ったり、撃たれたり、戦地での経験を
    持っている人と、戦地へ行く手前の少年兵だった小沢昭一さんたちと、
    動員されて軍需工場で働いていた野坂昭如さんと、ぼくらみたいに、
    ただ疎開したというのが一緒になっているから、話はズレます」
    (前出「現代」05年8月号)

 小沢昭一氏は2012年に亡くなり、野坂昭如氏も昨年12月に亡くなってしまった。「中年御三家」最後の一人だった永六輔氏も、もうこの世にはいない。戦争体験を語り継いでくれる人も年々減り続け、現在の日本は「戦争の本当の恐ろしさ」を理解している世代が次々と鬼籍に入りつつある

 日本国内から「戦争」への忌避感が急速に失われつつある。そして、70年ものあいだ、日本を戦争から守ってきた憲法が破壊されようとしている。いまいちど、永六輔氏の残してくれた言葉を肝に銘じておきたい。

新田樹
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●「あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも責任とってやめたか。申し訳ないと謝罪したか」

2016年05月06日 00時00分17秒 | Weblog


asahi.comの記事【(核の神話:26)受け継ぐ「大地」、福島だけではない】(http://www.asahi.com/articles/ASJ4W5QMNJ4WPTIL016.html?iref=comtop_list_nat_f01)。
asahi.comの記事【吉永小百合さん「核なき世界」への願い、カナダから】(http://www.asahi.com/articles/ASJ544WBSJ54PTIL010.html?iref=comtop_list_nat_n04)。

 《福島第一原発事故から5年。あの時、父親を自死により失った樽川和也さんが語るドキュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」が劇場公開されている》。
 《あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも責任とってやめたか。申し訳ないと謝罪したか》?

   『●言葉が見つかりません・・・
   『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」
   『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
      
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」

   『●「「3.11」から2年② 原発という犯罪」
        『週刊金曜日』(2013年3月8日、934号)

   『●原状回復できない現実: 「12万円で、あとはもう黙ってろ、
                 自然に放射能さがんの待ってろっつうこと」

 「原発さえなければ」「福島の百姓は終わりだ」…せめて、そんなことが二度と起きない「未来図」を描かないといけないでしょ! 「核兵器と原発による核の被害」なき「未来図」、「人々が核兵器や原発に苦しまない」「未来図」が必要。

   『●「原発さえなければ」「福島の百姓は終わりだ」:
         東京電力原発人災と自殺には因果関係あり


 《音楽家の坂本龍一さんがピアノで伴奏した。核兵器と原発による核の被害を受けた日本が世界に伝えるべきものは何か。吉永さんは詩の言葉を通し、「核なき世界」への願いを次世代に伝えた》。

   『●いま、「陰謀論丸出し」でアベ様の取り巻きが
       攻撃を開始: 吉永小百合さんを断固支持する

 「陰謀論丸出し」でアベ様の取り巻きが攻撃を開始しても、怯まぬ吉永小百合さん。あらゆる核を否定し、「「核なき世界」への願いを次世代」へ、と言う吉永さん。そういう「未来図」は可能だと信じる。

   『●吉永小百合氏の原発廃止発言
   『●「「愛国」と戦争 安倍政権の軍事改革徹底批判」
           『週刊金曜日』(9月20日、960号)について
   『●「『平成の治安維持法』をつくった総理」の
       非常に危険な思い入れ、それに手を貸す責任

   『●吉永小百合さん、「核と人は共存できない」
            「ゲームやコミックスで知っている戦争ではないか?」』 

   『●「安倍政権への怒りと原発再稼働反対への思い」を
                 語る吉永小百合さんを支持します
   『●「原理原則の無い国」、「死の商人」に堕した国、
               原発輸出したい哀しい国・ニッポン
   『●東電核発電人災から5年: 「今や世界の笑い者…
         政権批判をいとわないキャスターの首を差し出した」

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http://www.asahi.com/articles/ASJ4W5QMNJ4WPTIL016.html?iref=comtop_list_nat_f01

(核の神話:26)受け継ぐ「大地」、福島だけではない
核と人類取材センター田井中雅人 2016年5月2日16時28分

     (樽川和也さん=(C)「大地を受け継ぐ」製作運動体)

 福島第一原発事故から5年。あの時、父親を自死により失った樽川和也さんが語るドキュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」が劇場公開されている。制作者らが映画に込めた思いとは――。井上淳一監督、企画した馬奈木厳太郎弁護士、出演した白井聡・京都精華大専任講師(政治学)の3人によるトークショー(4月23日、大阪市淀川区のシアターセブン)を再現する。

     ◇

 (井上)ぼくがなぜ、こういう映画を撮ったかというと、福島に帰れない人がいまだに10万人近くいる。東京大空襲でも約10万人が犠牲になったといわれる。ついつい「数」の話になりますが、その人たち一人ひとりに、こういう生活があって、一人ひとりに思いがある。

 樽川さんの暮らす福島県須賀川市から65キロ離れた福島第一原発で起こった無残な事故のために、こんな圧倒的な不平等を強いられる。樽川さんと同じように、福島で暮らすそれぞれの人に具体的な顔があり、現実がある。そのことをちゃんと我々が知ること。何も終わっていない。原発事故によって、このような痛みを強いられている人が、自分と同じように朝起きて、おなかが減って、ごはんを食べて、仕事なり学校なりに行って、好きな人がいて、親きょうだいがいて……という同じ人間であるということを知ること知って、想像するしかない

 2月に福島でこの映画を先行上映したときに、上映後のサイン会に並ばれたほとんどの人が、この5年間の思いをぼくに語ったんです。びっくりしました。泣き出す方もいらっしゃる。たぶんですね、普段は黙して語らない方だと思うんです。樽川さんの話に触発されたこともあるでしょうし、こういう映画を撮るやつだったら(話そう)と思ったのかもしれません。映画の中で樽川さん、深く沈黙されるじゃないですか。この沈黙の中にこそ、福島の声があるんじゃないかと思いました。その人たちをないがしろにしているんじゃないかという、今のありように対して、自分は何ができるかと自分に問うことが一番大事だと、ぼくは思います。

 (馬奈木)原発事故のあと、弁護士相談で初めて福島に行ったら、被害者家族らが殺気立っていた。何家族かの相談が終わって、じゃあさようなら、と1回で終われるかというと、終われない。被害者の話を聞いてしまったから、としか言いようがない。それで毎週、東京から福島に行くようになった。まだ原発事故は収束していない。被害は今、この瞬間も続いている放射性物質は降っているにもかかわらず、原発を再稼働する何なら海外にも売りましょうかと言う真摯(しんし)に福島の被害に対応し、誠実に福島の人たちと向き合う人であればそんな発想は出てこないだろう

 樽川さんと最初に会ったのは2011年6月。彼の暮らす須賀川市で弁護士相談会がありました。お父さんが(原発事故のショックで自死により亡くなったことは報道で知っていました。あの事件のご遺族の方かと。彼とはたまたま同い年(1975年生まれ)ということもあり、ひとごとではないと思いました。

 樽川さんのお怒りは、まっとうなものなんです。今回の福島の被害の象徴と言ってもいいかもしれない。彼が求めていることは責任をとってくれです。あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも責任とってやめたか申し訳ないと謝罪したかと。そう思っているのは、樽川さんだけではない。国と東京電力を相手に、事故から2年後の2013年3月11日に福島地裁に起こした「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)には約4千人の原告がいて、樽川さんもそのお一人です。

………。
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http://www.asahi.com/articles/ASJ544WBSJ54PTIL010.html?iref=comtop_list_nat_n04

吉永小百合さん「核なき世界」への願い、カナダから
バンクーバー=核と人類取材センター副島英樹 2016年5月4日20時09分

     (坂本龍一さんの伴奏で、詩を朗読する吉永小百合さん
       =3日、カナダ・バンクーバー、内田光撮影)

 原爆詩の朗読を30年にわたって続けてきた俳優の吉永小百合さんがカナダのバンクーバーで3日(日本時間4日)、原爆の詩や原発事故に見舞われた福島の人々の詩を朗読した。音楽家の坂本龍一さんがピアノで伴奏した。核兵器と原発による核の被害を受けた日本が世界に伝えるべきものは何か。吉永さんは詩の言葉を通し、「核なき世界」への願いを次世代に伝えた。

 朗読会は「The Second Movement in Canada」(カナダにおける「第二楽章」)と題してブリティッシュコロンビア大学(UBC)で開催。学生を含め約200人が聴き入った。

 「声高ではなく、柔らかい口調で語り継ぎたい」との思いを込めた吉永さんの朗読シリーズ「第二楽章」の中から、「にんげんをかえせ」で知られる峠三吉の「原爆詩集 序」を日本語と英語で、栗原貞子作「生ましめんかな」を英語で朗読。また和合亮一さんや佐藤紫華子(しげこ)さんら福島の詩人の作品、永瀬清子作「降りつむ」を日本語で読み上げた。「降りつむ」は皇后の美智子さまが英訳しており、これらも会場で紹介された。

 坂本さんは「核と人類は共存できない、という吉永さんの強い信念に共感します。将来、人々が核兵器や原発に苦しまないことを願う」とスピーチした。

 吉永さんが坂本さんと海外で朗読会を開くのは、2011年の英オックスフォード大以来2度目。今回はUBCとサイモンズ財団、朝日新聞社が主催した。詩の英訳を通したUBCと津田塾大の交流授業の成果も発表。スタジオジブリの美術監督を務め、「第二楽章」の風景画を手がけた男鹿和雄さんの作品も展示された。現地の4日には、吉永さんが主演し、坂本さんが音楽を担当した長崎原爆の映画「母と暮せば」も海外で初めて上映される。

(バンクーバー=核と人類取材センター・副島英樹)
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●「安倍政権への怒りと原発再稼働反対への思い」を語る吉永小百合さんを支持します

2015年08月28日 00時00分46秒 | Weblog


asahi.comのインタビュー記事【吉永小百合さんインタビュー 「何度でも言います。戦争はだめ」】(http://astand.asahi.com/webshinsho/asahipub/weeklyasahi/product/2015081700002.html?iref=comtop_fbox_d2_02)。

 「「戦争はだめ、核もだめ」……吉永小百合さんが、戦争の愚かさ平和の尊さを語った」。

 以前のインタビュー記事でも、「「安倍政権への怒り原発再稼働反対への思い」「憲法改正、特定秘密保護法などに動く安倍政権の危険性」「原子力の平和利用なんてない」「「核と人は共存できない」 対談で語った吉永小百合」さん、どうやら本気のようだ」。「〈僕は戦争に行きますよ〉と、答える人もいて……。そう答えた人の頭の中にある戦争は、ゲームやコミックスで知っている戦争ではないかと思うのです」とも言います。
 いま、吉永さんに続く、俳優や芸能人がポツリ、ポツリと現れ始めています(【鶴瓶やSMAP中居も 芸能人「安保反対」大合唱のインパクト】(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/162965)、【ついに鶴瓶が安保法制と安倍政権にNOを突きつけた!「お前なにをしとんねん!」「変な解釈絶対したらあかん」】(http://lite-ra.com/2015/08/post-1369.html))。このまま壊憲法案・戦争法案をアベ様の思いのままにさせていいのか?

   『●「『平成の治安維持法』をつくった総理」の
       非常に危険な思い入れ、それに手を貸す責任

   『●吉永小百合氏の原発廃止発言
   『●吉永小百合さん、「核と人は共存できない」
            「ゲームやコミックスで知っている戦争ではないか?」


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http://astand.asahi.com/webshinsho/asahipub/weeklyasahi/product/2015081700002.html?iref=comtop_fbox_d2_02

吉永小百合さんインタビュー 「何度でも言います。戦争はだめ
2015年08月20日 (5600文字) 週刊朝日

 映画「母と暮せば」(山田洋次監督、松竹)の撮影を終えたばかりの俳優・吉永小百合さんに戦争や核などの話を聞いた。戦後の高度成長が終わった日本は、軽軍備・経済優先の路線に区切りをつけ、安全保障などで新しい時代に入りつつある、とも言われる。「演じることで戦争も原爆も学んできた」という吉永さん。岐路に立っているようにも見える今の日本は、吉永さんの目にはどう映っているのだろうか。

◇「戦争はだめ、核もだめ
◇演じることで戦争を学んだ
◇原爆詩を朗読して一字一句を大切に
◇戦争と平和、もっと語って


戦争はだめ、核もだめ

 戦争の犠牲者に祈りを捧げる夏を迎えた。戦後70年。焦土からの驚異的な復興と、平和な社会をつくりあげながら、安全保障政策で今、日本が岐路に立つ。戦後に寄り添い、数多くの映画に出演してきた吉永小百合さんが、戦争の愚かさ、平和の尊さを語った。


 数日前に映画「母と暮せば」の撮影を終えたばかり。12月の公開に向けて、撮影中とはまた違う忙しさです。私にとっては119本目の出演作になりました。救急車だと言って笑っているのですけど、テーマが長崎の原爆ですから、戦後70年の今年のうちに公開しようと、スタッフみんなで頑張っています。

 この忙しさに追われている間に、安保関連法案が衆議院で強行採決されてしまいました。映画関係者らでつくる「映画人九条の会」の反対アピールの賛同者に加わりました。

 振り返ってみれば、私は10代で映画の世界に入ってからは、演じることで、社会も戦争も原爆も学んできたと思っています。さらに人との出会いによって、平和や核のことを考えてきました。もしも作品で出合わなかったら、私は原爆も戦争もここまで考えることはなかったのかもしれません。でもまた同時に終戦の年に生まれた一人として、考え続けなければならないんだろう、という思いも持つのです。

 私自身、父や母に戦争について聞いたことは、ほとんどありませんでした。南方戦線に送られていた父が病気で倒れたために帰還できて、私が生まれたことは、それとなく聞いています。また、私が生まれる直前に東京大空襲がありました。だから、私はこの世に生まれ、生かされたことに感謝しなければいけないと思っています。生まれなかった命も生まれてすぐに奪われた命もあるのですから。

 母からは、私が生まれたころは、食べるものもないし、母乳も出ないし、いきなりみそ汁をふくませたとか、私を背負って神奈川県の農村へ食料を求めて通ったとか、そんな話を聞きました。子どもを連れていると、いくらか多めに野菜や牛乳などを分けてもらえたそうです。戦中から戦後へ、親の世代が体験した話を、もっともっと聞いておくべきだったと今になって悔やんでいます……。
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●情けないオトナ達: コドモへの『はだしのゲン』閲覧制限事件

2013年08月28日 00時00分06秒 | Weblog


東京新聞の社説【はだしのゲン 彼に平和を教わった】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013082102000169.html)と記事【下村文科相、閲覧制限を容認 はだしのゲン「配慮必要」】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013082101001388.html)、そして、琉球新報の社説【はだしのゲン 目隠しをして何になろう】(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-211401-storytopic-11.html)。さらに、東京新聞の記事【「はだしのゲン」の衝撃 米少女を漫画家に】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013082390135946.html)。最後に、東京新聞コラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013082502000112.html)。

 きっかけは高知市の一人の在特会関係者の陳情だったらしい。議会は否決したのに、松江市教育委員会がその陳情の意味合いを過剰に忖度し、コドモ達の目に触れにくくしたわけだ。
 原爆や戦争の描写がコドモには過激だ、との主張のようで、在特会関係者や自公の議員というオトナの気持ちが十分に忖度されているようだ。でも、実際の原爆や戦争はこの漫画以下の残酷さや過激さだったのだろうか? このオトナ達はそう感じ、このオトナ達の原爆や戦争に対する感覚をコドモに「教育」し、原爆や戦争のある世の中を推奨したいようだ。しかも、そのオトナ達は安全地帯に居て、コドモにそういった世界に喜んで飛び込んでいけるように「教育」したいのだろう。
 実際にはこの漫画以上、漫画をはるかに超える残酷さや悲惨さ、過激さであり、オトナはコドモにそれを伝え、戦争や原爆の無い世の中を伝えたいと思うのが普通ではないのか。
 漫画以下だ、漫画のようなことはないよ、だから、お国のために頑張ろうね、とコドモに「教育」したいという情けないオトナ達。その情けないオトナの典型が文科相だったとは、唖然。「誤った解釈」とは一体どんな解釈なのだろうか?

   『●「原子力」と「核」、言葉は違えど「原発=原爆」である
   『●「はだしのゲン」中沢啓治さん、亡くなる
   『●『はだしのゲン』中沢啓治さんの新たな遺稿が見つかる
   『●「国家と教育」『週刊金曜日』(2013年3月22日、936号)についてのつぶやき

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013082102000169.html

【社説】
はだしのゲン 彼に平和を教わった
2013年8月21日

 原爆の焦土をたくましく生き抜く少年を描いた漫画「はだしのゲン」。世界中の子どもたちが彼に平和を学んでいる。それを図書館で自由に読めないようにした大人。ちょっと情けなくないか。
 「はだしのゲン」は、英語、ロシア語、クロアチア語など世界約二十カ国語に翻訳されている。
 書物を出すのに政府の許可が必要なイランでも、ことし五月にペルシャ語訳が出版された。
 原爆を投下した米国でも、全米約三千の図書館に所蔵され、韓国では全十巻三万セットを売り上げるベストセラーになっている。
 一九七三年に連載がスタートし、八五年に完結した。誕生から、ことし四十年になる。
 「はだしのゲン」は、漫画やアニメが日本文化の代表として、世界でもてはやされる以前から学級文庫に並んでいた
 今月五日、広島原爆忌の前夜には、市民グループの手によって、原爆ドームの足元を流れる元安川の川面に、作者の中沢啓治さんとゲンの姿が映し出された。
 なぜゲンが選ばれ、読み継がれているのだろうか。
 単行本一巻目の表紙には、青麦を握り締めてほほ笑むゲンの横顔が描かれている。踏まれても踏まれても、たくましく穂を実らせる、青麦は成長のシンボルだ。
 <私は「はだしのゲン」を読んで、原子爆弾が投下された日の広島のことを知った気になっていました。しかし、(被爆体験者の)お二人の話を聞いて、たくさんのことが分かりました>
 愛媛県の少女が地元紙に寄せた投書の一節だ。
 松江市教委が問題視したような残虐とも思える描写も確かにある。しかし、子どもたちは、それも踏まえて物語を貫く平和への願いや希望を感じ取り、自分の頭で考えながら、ゲンと一緒にたくましく成長を遂げている。
 表現の自由図書館の自由宣言をわざわざ持ち出すまでもない。
 大人たちがやるべきなのは、目隠しをすることではない。子どもたちに機会を与え、ともに考えたり、話し合ったりしながら、その成長を見守ることではないか。
 昨年末に亡くなった中沢さんは「これからも読みつがれていって、何かを感じてほしい。それだけが、わたしの願いです」と、「わたしの遺書」の末尾に書いた。子どもたちよ、もっとゲンに触れ、そして自分で感じてほしい。
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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013082101001388.html

下村文科相、閲覧制限を容認 はだしのゲン「配慮必要」
2013年8月21日 21時22分

 松江市教育委員会が市立小中学校に漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を求めた問題について、下村博文文部科学相は21日の記者会見で「市教委の判断は違法ではなく問題ない。子どもの発達段階に応じた教育的配慮は必要だと思う」と述べ、理解を示した。閲覧制限には表現の自由を制限するとの批判的な意見があり、議論を呼びそうだ。
 下村氏は過激な描写と指摘されている部分を自らも確認したことを明らかにし「小中学生が必ずしも正しく理解できない描写だ、と考える人もいるかもしれない」と指摘。
 また「誤った解釈をしないように、教員と一緒に学習しようとの考えだと聞いている」と語った。

(共同)
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http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-211401-storytopic-11.html

社説
はだしのゲン 目隠しをして何になろう
2013年8月22日

 原爆を題材にした漫画「はだしのゲン」を、島根県松江市の教育委員会が市内全小中学校の図書室で許可なく閲覧できないようにし、批判を浴びている。書棚から撤去したため、子供たちは自由に手に取ることすらできない
 原爆や戦争のむごたらしさから子供たちを目隠しして何になろう実相を学ぶ貴重な機会を子供たちから奪ってはならない。市教委は直ちに制限を撤回すべきだ。
 「はだしのゲン」は、作者の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に、原爆の惨状と戦後の苦難を鮮烈に描いた名作だ。
 中沢さんも当初は被爆体験を隠していた。だが戦後21年で死去した母を火葬した際、「あるはずの骨が無く、灰しか残らなかった。原爆はおふくろの骨まで奪った」。その怒りが創作の原動力となった。
 1973年から12年間描き継がれ、学校や図書館に置かれるようになる。英語・ロシア語・ペルシャ語など20カ国語に翻訳され、世界にも広まった。作品の価値の高さゆえであろう。国境や世代を超えて読み継がれた名作を、当の、唯一の被爆国の子供たちが読めないとは、不条理そのものだ
 閲覧制限はある男性が松江市教委に送った陳情書がきっかけだ。日本軍が中国人の女性を殺す場面などを例に挙げて「偏ったイデオロギー」と非難し、学校からの撤去を求めている。同じ男性が高知でも同様の陳情書を送っており、各地に広げる狙いを持っているのは明らかだ。
 一部の人々からの抗議のメールや電話を受け、公的機関が当初の姿勢を撤回するのは、沖縄県が旧32軍壕の説明板から「慰安婦」「住民虐殺」の文言を削除した際の姿と、うり二つである
 ある考え方が気に入らないからといって作品そのものを閉め出すのは、ナチスの焚書(ふんしょ)と同質の行為ではないか。これを許せば、軍部に恐れをなし、徐々に自由な言論が奪われた戦前の繰り返しとなりかねない。
 「はだしのゲン」は鳥取市立中央図書館も閲覧制限していたことが分かっている。日の丸掲揚・君が代斉唱の強要に注意を促す教科書について、各地の教育委員会が不採択を求めたことも想起される。
 この国の表現の自由、知る権利は危険な水域に入ったのではないか。言論封殺の進行はぜひとも食い止めなければならない。
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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013082390135946.html

「はだしのゲン」の衝撃 米少女を漫画家に
2013年8月23日 13時59分

 漫画「はだしのゲン」を小学生時代に読み、原爆のすさまじさに衝撃を受けた体験を米国の女性漫画家が描いた短編作品が和訳され、インターネット上で紹介されて話題になっている。作者がモデルの主人公は心を揺さぶられ、漫画家を志すきっかけになった。和訳したのは、小中学校にはだしのゲンの閲覧制限を求めた松江市教委の対応に疑問を感じた日本人編集者。二人の「合作」がこの問題に警鐘を鳴らしている。 (上野実輝彦)

 作者はニューヨーク在住のレイナ・テルゲマイヤーさん(36)。作品は二〇〇二年に発表し、自身のホームページで公開している「Beginnings(きっかけ)」。父に勧められ、英訳版のはだしのゲンを読んだ体験を描いた。原爆の脅威に直面し、少女の心の揺れを表現。動揺する娘に母がかけた言葉が人生の道しるべになったことや、漫画の持つ力にひきつけられた心情もにじませている。
 テルゲマイヤーさんは本紙の取材に、小学生でゲンに触れた意義を「幅広い問題意識を持ち、周囲にもっと目を向けられるようになった。ショッキングな表現もあるが、読んで良かった」と強調。松江市教委が暴力的な描写を閲覧制限の理由にしたことに「現代の子どもはゲームなどで、もっと暴力的な表現に触れている。(閲覧制限より)現実の暴力が引き起こす問題を理解させる方が重要だ」と疑問を投げかけた。
 和訳した東京都のフリー編集者の男性(45)は「子どもが本と出会う機会を失わせたのに、重大な行為をしている自覚がない松江市教委が腹立たしい」と思い、ゲンに関する情報を集め始めて作品を見つけた。
 「多くの人の目に留めたい」と、本人に和訳して公開したいと連絡したところ、快諾を得て自身のブログに最近掲載した。
 男性は「原爆の背景を知らない米国の少女が、素直な気持ちでゲンを読んで感じたことを知ってもらえれば」と語る。
 男性のブログのアドレスはhttp://lafs.hatenablog.com/
 ブログ名の一部である「編集といえば出版編集」でキーワード検索しても見つかる。

 <レイナ・テルゲマイヤー> 1977年、米国サンフランシスコ生まれ。9歳ごろから漫画を描き始め、99年にニューヨークの美術専門学校に入学。2000年からインターネット上で短編作品の発表を始める。小学生の時、歯のけがが原因でいじめを受けた経験を描いた「Smile」(10年)が、米国で最も権威ある漫画賞とされる「アイズナー賞」で部門別の最優秀賞を受賞。好きな漫画家の1人に「はだしのゲン」作者の中沢啓治氏を挙げている。

◆漫画のあらすじ
 9歳の時、父に「読むといいよ」と言われ、はだしのゲンを渡された。「日本に原爆が落ちたと聞いても、ピンとこなかった」が、読んでいくうちに感情移入。広島への原爆投下の場面まで進むと、自国の米国による攻撃で多くの人が死んだことに混乱し、泣きながら両親に「何で米国が日本に?」「私もそんな目に遭う?」「二度と起きちゃダメ」とまくしたてた。「もう人生めちゃめちゃ」と嘆く娘に、母は成長を感じたのか、優しく「逆に、あなたの人生が始まったのね」と背中を押した。主人公は母の言葉の意味を理解できなかったが、それからの人生で「いっぱい考えさせられた」と回想している。

(東京新聞)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013082502000112.html

【コラム】
筆洗
2013年8月25日

 昨年亡くなった中沢啓治さんには「はだしのゲン」の続編を描く構想があった。目の病気で実現できなかったが、広島平和記念資料館の展示室で下書き原稿を見ることができる(九月一日まで)▼敗戦から十四年後、ゲンは絵の修業のために上京する。理髪店で被爆のことを話すと、店主から「原爆を受けた者に近づくと放射能がうつる」と罵倒される。東京大空襲で親を失った子どもに同情し、財布を盗まれる場面もある▼絵が描かれているのは一ページだけ。鉛筆でこま割りやせりふを指定する粗いスケッチだが、波乱に富む新生活を予感させる。続編では被爆者差別を描こうとしたそうだ▼累計部数一千万部超。二十カ国で翻訳されているこの漫画が、松江市の小中学校の図書館で自由に読めなくなった。旧日本軍の暴虐さを描いた一部の描写が過激とされた▼校長四十九人のうち、制限が必要と答えたのは五人。結果的に政治的圧力に屈する形になった市教委の判断は理解に苦しむ。週刊少年ジャンプで連載中、人気が下位に沈んでも、編集長が子どもに読ませたいと判断し連載は続いたどちらが教育的だろうか麻生太郎外相(当時)の肝いりで核拡散防止条約の国際会議に政府代表団が英語版「はだしのゲン」を配布したことも。下村博文文部科学相は閲覧制限を認めた。大の漫画好きの麻生さんの考えが聞きたい。
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●『はだしのゲン』中沢啓治さんの新たな遺稿が見つかる

2013年02月28日 00時00分26秒 | Weblog


asahi.comの書評のページに出ていた記事(http://book.asahi.com/booknews/update/2013021900010.html?ref=comtop_fbox_u)。

 昨年末亡くなった中沢啓治さんの遺稿が見つかったという記事。

   『●「はだしのゲン」中沢啓治さん、亡くなる
   『●「原子力」と「核」、言葉は違えど「原発=原爆」である

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http://book.asahi.com/booknews/update/2013021900010.html?ref=comtop_fbox_u

「はだしのゲン」続きあった 中沢さん自宅に新たな遺稿
[文]後藤洋平、小玉重隆  [掲載]2013年02月15日

 昨年12月に73歳で亡くなった漫画家、中沢啓治さんの未完成の作品となった「はだしのゲン」第2部の新たな遺稿が見つかった。広島平和記念資料館に寄贈されている未発表作品は16ページまでだが、続く17~32ページが埼玉県所沢市にある自宅の仕事場に残されていた。
 今年1月、遺品を整理していた中沢さんの妻ミサヨさん(70)が、作業机の辺りで見つけた。A3用紙を半分に折り、表裏を使って1枚あたり4ページ。計4枚で鉛筆書き。絵を書き込む位置などは大まかに示されているが大半がせりふとコマ割りのみだった。
 これまで明らかになっている16ページまでの物語は、漫画家になるため上京したゲンが、盗みを働こうとした男児と知り合う場面で終わっていた。新たに見つかった遺稿では、知り合ったこの男児と、ゲンとの切ないやりとりが描かれていた。
 男児は東京大空襲で両親を奪われた孤児。ともに生き延びた妹も栄養失調で亡くし、「こんなおれが生きのこるためにはドロボーをするしかないだろう。だれも助けてくれないんだから」と独白を続ける。ゲンは「わかるよ。わしも広島のピカで同じ思いをしたけえのう……」と被爆体験を重ねる。全財産が入った財布から千円を取り出して渡そうとしたところ、財布ごと奪われてしまった。
 最後の32ページ目は、孤児を追いかけたものの逃げられたゲンが、「わ、わしは一文なしになってしもうた……一文なしに……」とのセリフで終わっていた。
 ミサヨさんによると、第2部の執筆は17~18年前に出版社から打診があり、中沢さんも承諾。漫画家を目指したゲンがその夢をかなえ、海外を旅するその過程を描く構想だったという。今回見つかったものと併せて第2部の遺稿は、当時描かれたものとみられる。
 ところが、執筆を始めた直後に右目の眼底出血と診断され、出版を断念。ミサヨさんによると、中沢さんは「それぞれの人の心の中で、ゲンの続きを想像してほしい」と話していた。「本人はすごくショックを受けていたように見えた」
 中沢さんは2009年、白内障のため断筆を宣言。原画の劣化などを心配し、段ボール30箱以上に及ぶ作品の大半を広島平和記念資料館に寄贈した。未発表だった16ページ目までの遺稿は同館が所蔵し、4ページのコピーが今年1月に一般公開されたばかり。16ページまでのうち、絵が描かれていたのは冒頭の1枚のみだった。
 中沢さんからの寄贈品の担当をする同館啓発課の菊楽忍さん(54)によると、中沢さんは、第2部のあらすじについて「東京大空襲で両親を亡くした孤児と仲良くなるんだ」と語っていたという。「続きがあって、とてもうれしい」と話した。ミサヨさんは3月にも広島市を訪れ、同館に寄贈するつもりだ。
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●松浦総三さん亡くなる

2011年07月24日 01時05分38秒 | Weblog


asahi.comから(http://www.asahi.com/obituaries/update/0722/TKY201107220483.html)。

 ご冥福をお祈りします。

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http://www.asahi.com/obituaries/update/0722/TKY201107220483.html

評論家の松浦総三さんが死去
                                                            20117221855

 松浦総三さん(まつうら・そうぞう=評論家、本名総蔵)が6日、結腸がんで死去した。96歳だった。葬儀は近親者のみで行った。喪主は長男洋(ひろし)さん。

 改造社の編集者を経て、家永三郎氏らと発行した「東京大空襲・戦災誌」で菊池寛賞。著書に「占領下の言論弾圧」などがある。
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●『東京番外地』読了

2010年11月21日 01時07分43秒 | Weblog


『東京番外地』、11月に読了。森達也著、新潮文庫。2009年8月発行。解説は重松清氏。

 第一弾「葛飾区小菅一丁目」から第十四弾「府中市多磨町四丁目」、および、番外編「千葉県浦安市舞浜一丁目」まで「」東京ルポルタージュ。「東京近郊のスポットを無目的に歩きながら、思い出したり触発されたこと、あるいは場の記憶に感応したことなどを随筆風に綴るという書籍の企画」(p.15)。

 下山定則氏の殺人。昭和史最大の謎。『下山事件シモヤマ・ケース)』(pp.10-11)。
 『放送禁止歌』(p.12、96、220)。『職業欄はエスパー』(p.13)。『』(p.14、66、284)。

 大道寺将司さん(p.21)。

 植草一秀氏と監視カメラ(p.43)。「・・・こんな理由で尾行されてはたまらない。・・・明らかな悪意・・・」。推定無罪原則のあまりの軽視。

 精神保健福祉法、少年法の改正(p.95)。「ところが実際のところは、少年事件増えてもいないし凶悪化もしていない。・・・事件の低年齢化も全く根拠がなく、統計はむしろ高齢化を示している。/ところが多くの人はこれを知らない。なぜならメディアが不安や危機ばかりを煽る。・・・その方が視聴率や部数が上がるからだ。つまり身も蓋もない市場原理の帰結。/同様に、精神障害者による事件も、実態とイメージとは大きなギャップがある」。

 「第六弾 「微笑む家族」が暮らす一一五万㎡の森/千代田区千代田一番地」(p.109)。「天皇版・電波少年」という企画趣旨。「・・・劇団「ザ・ニュースペーパー」・・・の風刺コント「さる高貴なご一家」をこの広場で、さらに天皇家の目前でやってもらい、その様子を撮影する・・・」〝危険〟で〝過激〟なドキュメンタリー。フジテレビが中止勧告。
 「NHKが・・・放送直前に強引に改編し、その背景には自民党政治家による圧力があったと報道して大騒ぎになり、さらに朝日とNHKとの泥仕合にまで発展」した、中川氏・安倍氏による番組改竄強制事件。
 「・・・自民党は憲法草案を決定した。・・・「日本国憲法を遵守して」と発言した今上天皇は、どんな思いで読んだのだろうか」。

 「立川反戦ビラ撒き事件」(p.124)。
 「狭山事件」(p.126)。無罪推定原則の著しい衰退(p.130)、「簡単に蔑(ないがしろ)にされては困る」。

 「Suica」(p.140)は誰何(すいか)。

 『あしたのジョー』と存在しない泪橋(p.149)。

 岡林信康さんの「山谷ブルース」(p.152)。佐藤満夫・山岡強一氏のドキュメンタリー映画『山谷 やられたらやりかえせ』。「監督二人が殺された映画など、他にはちょっと思いつかない」。

 「郵政民営化是か非か式の二者択一が焦点・・・単純化や簡略化には大きな副作用がある(小泉チルドレンを筆頭に、国会議員の質がとても低下した)」(pp.163-164)。

 杉原千畝さん(p.175)。

 ドキュメンタリー映画『フォッグ・オブ・ウォー』(p.184)。東京大空襲を実施した戦争屋ルメイに日本政府から勲一等旭日大綬章を授与、という唖然とするお話。「渡す側も渡される側も、記憶中枢に重大な欠陥があるとしか思えない」。東京大空襲「春季慰霊大法要」に興味なさげな石原都知事と(毎年靖国参拝の)小泉元首相も。大村益次郎と靖国神社。
 
小泉純一郎元首相の靖国参拝に際してのノーテンキな発言。〝井戸〟の水を濁らせてばかり。「・・・小泉首相の二つの論拠は、「公約」と「心の問題」。・・・公約にあげるならそれはもう心の問題じゃない。心の問題と言い張るならば、それは公約になどすべきじゃない。とても単純なこと。・・・それは何よりも、・・・自民党の総裁選の際の公約だ。つまり国民一般は、彼とそんな約束をした覚えはない。この国には自民党員と自民党の議員だけが住んでいるわけじゃない」(p.263)。

 『いのちの食べ方』(p.223、231)。鎌田慧さん『ドキュメント屠場』(p.231)。

 
ジョージ・オーウェル(p.246)。

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