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●適菜収さん《ある種の人間が「はだしのゲン」に反発するのは、グロテスクな自分の顔を描かれたような気分になるからではないか。》

2023年03月18日 00時00分03秒 | Weblog

(20230305[])
記憶の継承を断絶。核廃絶どころか、広島で《消える「はだしのゲン」》、なんという情けなさ。

   『●《おばあさんが川へ洗濯に行くなんて、時代に合わない。もう「桃太郎」
        を子どもたちに教えるのはやめよう。…警察に届けるべき…》……

 沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]桃太郎とゲン】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1106553)によると、《おばあさんが川へ洗濯に行くなんて、時代に合わない。もう「桃太郎」を子どもたちに教えるのはやめよう。だいたい、流れてきた桃は警察に届けるべきなのに、持ち帰る描写はまずいのではないか- ▼もちろん桃太郎はこういう批判を受けない。はだしのゲン」は批判される》。

 日刊ゲンダイのコラム【適菜収「それでもバカとは戦え」/「はだしのゲン」平和教材から削除…日本をむしばみ続ける属国根性無責任体質】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/319207)によると、《アホにも限度がある。戦争前後を描いた漫画と現在の小学生の生活実態が合わないのは当たり前であり、これを読んで「コイを盗んでもいい」という教訓を引き出したとしたら、それはまた別の問題だ。》⦅「はだしのゲン」に批判的な意見の多くは、「アメリカ様に逆らうなという属国根性と「戦争の責任を追及するなという無責任体質に基づいている。⦆

 『はだしのゲン』を書いた中沢啓治さんの想いは、
   
   「「きれいな戦争というのはないんだ戦争の残酷な実態
    知らせなければ、子どもに戦争というものが伝わらない」。
    戦争の恐ろしさに小さな頃から触れ、大人になって戦争を
    防ぐ方法をじっくり考えてほしいというのは、
    死ぬまで変わらぬ思い」
   
だったそうです。

   『●「原子力」と「核」、言葉は違えど「原発=原爆」である
   『●「はだしのゲン」中沢啓治さん、亡くなる
    《1963年のデビュー当初は原爆体験を秘していたが、66年の
     母の死への憤りをきっかけに、初めて原爆を題材にした作品
     「黒い雨にうたれて」を発表した》
    《福島第一事故でも訴え 人間、制御できない
    《昨年八月、広島市の平和記念式典に初めて出席した。その直前には、
     福島第一原発事故の放射性物質流出を恐れる被災者を、放射能を含む
     黒い雨にぬれて「いつ病気になるのか」と不安を抱えた自身と
     重ねながら、「黒い雨は今も世界に降り続けているんです」と、
     核利用がなくならない状況を嘆いていた

   『●『はだしのゲン』中沢啓治さんの新たな遺稿が見つかる
   『●「国家と教育」『週刊金曜日』
     (2013年3月22日、936号)についてのつぶやき
    「岩本太郎氏【ヘイトデモの次段階 個人や各自治体が攻撃の新たな
     矛先に】、「そこでさっそく表面化したのが、松江市の…
     『はだしのゲン』閲覧制限問題。背景には、高知市の在特会関係者
     による松江市教委への抗議活動があった・・」」

   『●情けないオトナ達: コドモへの『はだしのゲン』閲覧制限事件
    「下村文科相、閲覧制限を容認 はだしのゲン「配慮必要」

   『●コドモに見せないようコッソリ画策する
       情けないオトナ達: 中沢啓治さんの想い
   『●「世紀の大悪法 特定秘密保護法案」
     『週刊金曜日』(11月15日、968号)についてのつぶやき
    「編集部【練馬区民が閲覧制限請求に抗議の署名提出 
     『はだしのゲン』を隠すな】、神田香織さんと佐高信さん、
     「…を隠して、どんな子どもを育てたいのか、
     どんな社会にしたいのか」?」

   『●『DAYS JAPAN』(2013,DEC,
      Vol.10,No.12)の最新号についてのつぶやき
    「斎藤美奈子さん…【OUTLOOK 安倍自民党が陰で糸引く
     学校現場への政治介入】、「「はだしのゲン」排除問題」
     「実教出版締め出し問題」「育鵬社採択問題」「東京都副読本問題」」

   『●肥田舜太郎さん「せめて未来の子どもたちのために、
      放射能の心配のない日本を残していけるよう…努力」を
   『●アベ様の「政」の下、「護憲派に集会の会場を
      貸さない自治体が増え…。自治体こそ市民への忖度を怠るな」
    《過去には図書館で漫画「はだしのゲン閲覧をさせないように
     する動きがあったり、同年には「東京都美術館で展示中の造形作品が
     政治的だとして、美術館側が作家に作品の撤去や手直しを求めていた
     ことが発覚」したこともあった。こんな出来事が全国で続いた》

   『●沖縄戦《証言者の萎縮、戦争の教訓継承の妨げ》…「戦争屋」が政権を
      持っている社会では愚者がヘイトをまき散らし、暴力で歴史を歪める
    《<金口木舌>沖縄戦体験者への冒涜 …小学生のころ、原子爆弾の
     悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」(中沢啓治作)を読み、
     戦争の脅威を具体的に想像するようになった。絵の力は大きい。
     戦争に反対する主人公一家を非国民と迫害した軍国主義の恐ろしさ
     伝える》
    《▼「はだしのゲン」を巡っては2013年、「史実の誤り」との陳情を
     きっかけに島根県松江市内の学校図書館から排除しようとする動き
     があった。のちに反発を受けて撤回された。次世代の目や耳も標的
     となっている》

   『●長崎を含めたすべての人々の《幅広く速やかな救済を願う。まず考える
      べきは新たな線引きではなく、雨にぬれた人へのいたわりであろう》

 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。
 「火事場ドロボー」どもが、台湾有事を煽り、先制攻撃・核保有までも口にする。戦争法を盾に、子や孫を戦場に送り出したくて仕方ないらしい。《戦争絶滅受合法案》の制定を切に願う。

   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
     9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り
     返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》
   『●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…
    「平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、
     《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、
     戦争の記憶をどのように継承していくのか。
     《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに
     なったそうです」

   『●琉球新報《かつての戦争「前夜」の状況を繰り返さないことを誓いたい》
       《沖縄のメディアとして改めて誓う。戦争のためにペンは取らない》
   『●《沖縄戦をどう継承するか。…国のために死を強いた沖縄戦の実相を
      美談にしてはならない。紡いできた住民目線の継承を大切にしたい》

 「皇軍兵士として戦場で地獄を見た水木しげるさん、「一番いけないのが戦争です」。そして、《戦争に向かうハードルが低く…戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世になってしまった。腐敗した自公お維コミによる政治では、決して良い世の中には向かわない。戦争法を廃止し、核廃絶に向かうこともない…。
 「総員玉砕せよ!」には、《「人間の生き死にははかないものである(中略)殺りくの記録は、ここの石と木だけが知っている。いまここに書きとどめなければ誰も知らない間に葬り去られるであろう」との記述が、戦争の惨禍を伝えようとする強い決意》があった。

   『●やはりアベ様「の頭は普通じゃな」かった: 
     誰一人止めない、止めようともしない自公議員…決して忘れない
   『●そもそも、子どもたちのためにこそ 
       「ドブガネしている」税金を使ったらどうなのか?
   『●水木しげるさんと堀江邦夫さん:
       原発ジプシーと云う地獄と戦場と云う地獄
   『●「皇軍兵士として戦場で地獄を見た」水木しげるさん、
                    「一番いけないのが戦争です」
    《あれだけ国民をいじめた歴史はないんじゃないでしょうかね》。
    「「皇軍兵士として戦場で地獄を見た水木しげるさん。
     《自由を国家が制限するんですからね。一番いけないのが戦争です
     戦争で死ぬんだと思うと希望もわきませんでした》という水木さんの
     言葉は、戦争したい人々、「死の商人」たち、「戦争屋」たち、自公議員や
     その支持者達には聞こえないらしい。
     自公議員に投票できる親御さんや祖父母ら……、ブログ主には彼ら、
     彼女らの神経が知れない」

   『●桂歌丸さん…《戦争なんて本当に愚の骨頂》
       《あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない》
    《高畑勲野坂昭如大橋巨泉永六輔かこさとし水木しげる
     愛川欽也金子兜太など、戦争を知り、自身の体験をもとに平和を
     希求するメッセージを発してきた戦中世代の著名人が続々と鬼籍に
     入り始めている

   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
       戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
   『●《ビンタばかり食らい、敵軍に片腕をふっとばされた一兵卒、それが
    軍隊のなかの水木だった》…《戦争の惨禍を伝えようとする強い決意》へ

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/319207

適菜収 作家
近著に「ニッポンを蝕む全体主義」「日本人は豚になる」「思想の免疫力」(評論家・中野剛志氏との対談)など、著書45冊以上。「適菜収のメールマガジン」も始動。詳細は適菜収のメールマガジンへ。本紙連載が書籍化「それでもバカとは戦え」好評発売中

適菜収「それでもバカとは戦え」
「はだしのゲン」平和教材から削除…日本をむしばみ続ける属国根性と無責任体質
公開日:2023/02/25 06:00 更新日:2023/02/25 06:00

     (現在の小学生の生活実態と合わないのは当たり前
      (中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」)
      /(C)共同通信社)

 広島市教育委員会は高1と小3の平和教育の教材として使っていた漫画「はだしのゲン」を別の絵本などに差し替えることを決めた。

 「はだしのゲン」は、広島に投下された原爆で父や姉、弟を殺された少年がたくましく生き抜く姿を描いている。

 市教委が設置した大学教授や学校長による会議では、ゲンたちが浪曲を披露して日銭を稼ぐシーンに対し「浪曲は現代の児童の生活実態に合わない」、栄養不足で体調を崩した母親のためにコイを盗むシーンには「コイを盗んでもいいという誤解を与える」といった指摘が出たという。

 アホにも限度がある

 戦争前後を描いた漫画と現在の小学生の生活実態が合わないのは当たり前であり、これを読んで「コイを盗んでもいい」という教訓を引き出したとしたら、それはまた別の問題だ。

 私は小学6年生のときに「はだしのゲン」を読んだ。今回の市教委の決定を受け、SNS上に漫画の断片が次々とアップされたが、記憶に残っているものが多かったそれだけ印象深かったということであり、平和教育としては成功している

 脊髄反射のように、左翼のイデオロギーがどうこうと言いだす連中は昔からいるが、国土を破壊され、同胞を大量虐殺されたことに怒りを表明するのは当然の感覚だろう。残酷なシーンを描いていることを批判するのも筋違い。それを見て子供は原爆の恐怖を学ぶのだ

 「はだしのゲン」に批判的な意見の多くは、「アメリカ様に逆らうなという属国根性と「戦争の責任を追及するなという無責任体質に基づいている。

 敗戦後、雨後のタケノコのように出現した精神の奴隷たちは、現在までわが国をむしばみ続けている

 しまいには原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っていると発言する防衛大臣やポツダム宣言と原爆投下の時系列すら理解していない総理大臣まで出現した。

 「はだしのゲン」は戦中と戦後で発言をコロコロ変え、責任を持たない卑劣な人間を描いた。

 ある種の人間が「はだしのゲン」に反発するのは、グロテスクな自分の顔を描かれたような気分になるからではないか。
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●《ビンタばかり食らい、敵軍に片腕をふっとばされた一兵卒、それが軍隊のなかの水木だった》…《戦争の惨禍を伝えようとする強い決意》へ

2022年09月29日 00時00分55秒 | Weblog

(20220915[])
戦争の惨禍を伝えようとする強い決意》、特に子供たちへ……水木しげるさん。

   『●水木しげるさん《「殺りくの記録は…いまここに書きとどめなければ
     誰も知らない間に葬り去られる」…戦争の惨禍を伝えようとする強い決意》
   『●斎藤貴男さん《人間が、とりあえずアングロサクソンが一も二もなく
     取り組むべきは、エビやイカの痛みなどよりも、戦争の廃絶ではないのか》

 志真秀弘氏による、レイバーネットの書評【〔週刊 本の発見〕水木しげる総員玉砕せよ!(新装完全版)』/水木しげるの伝えたかった戦争】(http://www.labornetjp.org/news/2022/hon263)によると、《水木は「ぼくは戦記物を書くとわけのわからない怒りが込み上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う」(「あとがき」)とも書いている。ビンタばかり食らい、敵軍に片腕をふっとばされた一兵卒、それが軍隊のなかの水木だった》。

 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。
 「火事場ドロボー」どもが、台湾有事を煽り、先制攻撃・核保有までも口にする。戦争法を盾に、子や孫を戦場に送り出したくて仕方ないらしい。《戦争絶滅受合法案》の制定を切に願う。

   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
     9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り
     返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》
   『●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…
    「平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、
     《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、
     戦争の記憶をどのように継承していくのか。
     《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに
     なったそうです」

   『●琉球新報《かつての戦争「前夜」の状況を繰り返さないことを誓いたい》
       《沖縄のメディアとして改めて誓う。戦争のためにペンは取らない》
   『●《沖縄戦をどう継承するか。…国のために死を強いた沖縄戦の実相を
      美談にしてはならない。紡いできた住民目線の継承を大切にしたい》

 「皇軍兵士として戦場で地獄を見た水木しげるさん、「一番いけないのが戦争です」。そして、《戦争に向かうハードルが低く…戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世になってしまった。腐敗した自公お維コミによる政治では、決して良い世の中には向かわない。戦争法を廃止し、核廃絶に向かうこともない…。
 「総員玉砕せよ!」には、《「人間の生き死にははかないものである(中略)殺りくの記録は、ここの石と木だけが知っている。いまここに書きとどめなければ誰も知らない間に葬り去られるであろう」との記述が、戦争の惨禍を伝えようとする強い決意》があった。

   『●やはりアベ様「の頭は普通じゃな」かった: 
     誰一人止めない、止めようともしない自公議員…決して忘れない
   『●そもそも、子どもたちのためにこそ 
       「ドブガネしている」税金を使ったらどうなのか?
   『●水木しげるさんと堀江邦夫さん:
       原発ジプシーと云う地獄と戦場と云う地獄
   『●「皇軍兵士として戦場で地獄を見た」水木しげるさん、
                    「一番いけないのが戦争です」
    《あれだけ国民をいじめた歴史はないんじゃないでしょうかね》。
    「「皇軍兵士として戦場で地獄を見た水木しげるさん。
     《自由を国家が制限するんですからね。一番いけないのが戦争です
     戦争で死ぬんだと思うと希望もわきませんでした》という水木さんの
     言葉は、戦争したい人々、「死の商人」たち、「戦争屋」たち、自公議員や
     その支持者達には聞こえないらしい。
     自公議員に投票できる親御さんや祖父母ら……、ブログ主には彼ら、
     彼女らの神経が知れない」

   『●桂歌丸さん…《戦争なんて本当に愚の骨頂》
       《あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない》
    《高畑勲野坂昭如大橋巨泉永六輔かこさとし水木しげる
     愛川欽也金子兜太など、戦争を知り、自身の体験をもとに平和を
     希求するメッセージを発してきた戦中世代の著名人が続々と鬼籍に
     入り始めている

   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
       戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に

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http://www.labornetjp.org/news/2022/hon263

〔週刊 本の発見〕水木しげる『総員玉砕せよ!(新装完全版)』
毎木曜掲載・第263回(2022/7/21)

水木しげるの伝えたかった戦争
『総員玉砕せよ!(新装完全版)』(水木しげる、講談社文庫、2022年7月刊、858円)ほか
評者:志真秀弘

 今年は、水木しげる生誕(1922年)100年にあたり、かれの作品が何冊も新装版として刊行されている。小狡いくせに失敗ばかりの愛すべきねずみ男が登場する名作『ゲゲゲの鬼太郎』、世界各地の伝承に生きる数々の妖怪たち、ヒトラーや南方熊楠などの人物伝、古典の漫画化、『コミック昭和史 全八巻』など数えきれないジャンルと作品がかれにはある。見落とせないのは戦記物である。

 水木の戦記物の中で、『総員玉砕せよ!』はまちがいなく最高傑作だろう。

 ニューブリテン島(ニューギニア島北隣り)の日本部隊が昭和20年(1945年)6月に玉砕するまでを描く。漫画は「私はくるわに散る花よ/ひるはしおれて夜にさく」と歌う従軍慰安婦たちとそこに何十人も行列して待つ兵隊たちの場面から始まる。その末に「これから全員玉砕する 最後にお前たちの好きな歌をうたって死のう」と上官がいうのに応えて「わたしはなーあんで/このようーな/つらいつとめーを/せーにゃなあらぬ」と歌って兵隊たちは突撃する。首や手足がちぎれ、身体が砕け散り、累々と屍が並び、そして白骨と化す水木独特の細密画が何ページも連なり、終わる。そんな悲惨極まりない話なのにどことなく水木らしいユーモアも漂う。(*写真=水木しげる)

 水木は「ぼくは戦記物を書くとわけのわからない怒りが込み上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う」(「あとがき」)とも書いている。ビンタばかり食らい、敵軍に片腕をふっとばされた一兵卒、それが軍隊のなかの水木だった

 この『総員玉砕せよ!』の単行本は1991年10月に刊行された。同じ年に水木は、「ねずみ男」を語り手に、短編漫画「戦争と日本」(『水木しげるの戦場―従軍短編集』中公文庫所収)を『小学6年生』に発表している。十五年戦争は「隣近所」に日本刀をかざしていきなり土足で暴れ込んだようなものだから、「悪かったと謝る気持ちがなかったら、これから仲良くやっていくことはできない」とねずみ男は侵略戦争への反省と謝罪の必要性を説く。それは作者水木の考えでもあったに相違ない。90年代は社会主義体制の崩壊と湾岸戦争に始まる時代の転換点でもあった。水木は戦争を称揚する流れが強まることを直感して、この時期に『総員玉砕せよ!』「戦争と日本」などで子どもたちに戦争を伝えようとしたのだ。 『水木しげるの娘に語るお父さんの戦記(新装版)』(河出文庫、2022年7月)は淡々としたしかも味わいのある文章にかれの画が挿入された本。入隊直後便所に行き、うんこがあまりに太くて長く、なかなか切れず、結局召集時間に遅れ、早速ビンタを食らう話など、かれの底抜けのエピソードがいくつも語られ、現実は地獄なのになぜかおかしい。「土の人」との愉快な交流は水木の人間像を、戦後の紙芝居作家、貸本漫画家としての苦闘は当時の日本の世相をよく現している。

 軍備増強がまことしやかに語られる現状をなんとかして変えたい。そのために私もまた水木にならい戦争の真実を子供たちに伝えたい


*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。
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●<金口木舌>《「若い人たちに伝えるには記録に残すしかない」…77年前、勇ましい掛け声の中で日本は破滅に突き進んだ。戦争体験を…》

2022年04月16日 00時00分09秒 | Weblog

(2022年04月02日[土])
琉球新報のコラム【<金口木舌>戦闘体験を記録する】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1494581.html)。

 《…「若い人たちに伝えるには記録に残すしかない」と話す ▼ロシアの軍事侵攻を受け、国会議員から「核共有」の議論を求める声が上がる。77年前、勇ましい掛け声の中で日本は破滅に突き進んだ戦争体験を記録する作業に終わりはない。これからを生きる私たちが平和の尊さを忘れないために大切な営みだ》。

 《戦争の記憶を継承する

   『●台湾有事を煽り《ロシアのウクライナ侵攻のような軍事衝突にまで
     エスカレートさせてはならない…外交による対話を強めなければならない》
   『●誰が壊憲を望んでいる? COVID19禍のドサクサ、ロシア侵略の
     火事場ドロボー1号、2号、3号…らによる壊憲など許されるはずもない
   『●《思考力あるならば殺し合わずに済む方法…、政治力を持って開戦に
     至らない道を見つける事だ。ところがその政治家本人が核武装を…
   『●《当事者でない他の国が声をあげ、国際世論をつくり出すことが、理不尽
       な状況の抑止につながるというのは、国際社会の常識ではないか》!
   『●経済産業省資源エネルギー庁「復興のあと押しはまず知ることから」?
       「復興のあと押しはまず〝原状回復してみせる〟ことから」です
   『●東電核発電人災から11年: 《原発事故は終わっていません。
      政府が復興の名のもとに困難に陥った人たちをさらに追い詰める…》
   『●《やっぱりここさ帰りたい。親が開拓して受け継いだ土地。次の世代に
      残してやりたい。汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか》
   『●小出裕章さん《国と東電が策定したロードマップは「幻想」です…
     つまり、デブリの取り出しは100年たっても不可能》、石棺しかない
   『●《政府は過去に原発が武力攻撃を受けた際の被害予測を報告書に
     まとめていたからだ。しかも、その被害予測は凄まじい内容だった…》
   『●《【原発耕論…】福島事故で被ばくしたこどもたちに、不安なく過ごせる
         未来を!(311子ども甲状腺がん裁判)》(デモクラシータイムス)
   『●《政府機関の地震予測「長期評価」に基づく試算から原発への大津波の
      到来は予見できた…対策の先送りを許した国…国に重大な法的責任》
   『●《武藤類子さん…が講演し、今も続く過酷な被害を訴えた。ロシアに
     よるウクライナの原発攻撃にも触れ「胸がふさがれる思い」と語った》
   『●《ひとたび制御を失った原発が、後世にどれだけの重荷を残すのか。
     …廃炉作業が遅々として進まぬ現実が、原発の巨大なリスク》を顕在化
   『●東電核発電人災…《あまりに切ない一枚です。…犬。…鎖につながれた
     まま…取り残されたわが家で、何を思いながら力尽きたことでしょう》
   『●斎藤貴男さん《ロシア軍のウクライナ侵攻をダシにした、帝国主義への
     妄執と言うべきか…日本の対米従属度が、いっそう高められるだろう》
   『●《火事場ドロボー》1号、2号、3号…を支持し、投票する人々に、
     壊憲して戦争する国になる自覚はあるのか? 予想されるその結果は?
   『●《それは「お花畑」などといって茶化される話ではなく、日本社会の
       将来を決定づける超現実的な選択なのである》(コラム 狙撃兵)
   『●「失敗から学べ」? 《火事場ドロボー》1号がよくもまぁ…《自分が
     プーチンを増長させた張本人であるという事実を消し去ろうとしている》
   『●火事場ドロボー…《このような状況で便乗型の様々なショック・ドクト
     リンが出てきている…その一つが安倍晋三元首相による「核の共有論」》
   『●「あほか」…3.11から11年、ウクライナへのロシア侵略に乗じて
     《火事場ドロボー》らがウヨウヨ、ワラワラと湧いてくる始末なニッポン

 戦争の記憶の継承を。たとえば、対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》。それをどう継承するか。なぜ継承するのか。
 《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》。

   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
     9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り
     返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》
   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
     込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》
   『●《ドキュメンタリー映画「バケモン」(山根真吾監督)が…入場料を
     全て映画館の収益とする異例の形で、全国各地のミニシアターで上映》
   『●(アサヒコム)【好書好日/長倉洋海さんの写真絵本「学校が大好き
     アクバルくん」インタビュー 生活感に満ちたアフガニスタンを知って】

 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維、コミが幅を利かす世の中では…。まず、そこから変えていかないと。《戦争絶滅受合法案》の制定を。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
    《沖縄で写真展を開いた時のことだ。沖縄戦を体験したお年寄りが、
     異国の戦場の様子にじっと見入っていた。平和教育が盛んな土地柄。
     保育士に連れられ、保育園児も足を運んでくれた。「戦争の記憶
     日常の中にあり、子どもたちに引き継がれている。常に戦争を
     意識せざるを得なかった歴史の裏返しです」
      兵士や兵器を積んだ米軍機が今も戦地に向けて飛び立つ
     ベトナム戦争当時と変わらぬ沖縄の風景だ。差別的な基地負担を
     強いられ、常に事件や事故と隣り合わせの被害者であると同時に、
     「後方支援基地として、命を奪う加害者側でもある。そんな罪悪感にも
     似た感情を持つ人は少なくない」。被害者の痛みが理解できる。
     それもまた、沖縄が歩んできた歴史ゆえだ》

   『●「絶望は愚か者の結論」を心に、壊憲を続けるアベ様に根気強く対抗を
   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●アベ様に犯罪をもみ消してもらえる「報道」者、
     かたや、「卑劣な報復=身辺調査」を噂される新聞記者…
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません
            …私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●『憲法くん』の誇りとは? 《私は六六年間、戦争という名前で
             他国の人々を殺したことがない。それが誇り》
    《演じるのは、ベテラン女優の渡辺美佐子(86)。この短編を挟んで、
     初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くした渡辺が続けている慰霊の
     旅と原爆朗読劇のドキュメントが描かれる。朗読劇は渡辺が中心と
     なって同世代の女優たちと33年間続けてきたもので、今年が最終公演。
     未来に託す戦争の記憶と女優たちの平和への思いが語られる》

   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
         戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
    《沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】…
     《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、
     戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は
     「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった
     沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナ
     ウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》》

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

   『●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。
     沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)
   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》
   『●《米軍の爆撃から逃れ川を渡る親子2組を捉えたピュリツァー賞作品の
     「安全への逃避」など、沢田は戦争に翻弄される民衆の姿を多く撮影》
   『●斎藤貴男さん《人間が、とりあえずアングロサクソンが一も二もなく取り
      組むべきは、エビやイカの痛みなどよりも、戦争の廃絶ではないのか》

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1494581.html

<金口木舌>戦闘体験を記録する
2022年4月1日 05:00
金口木舌 戦争 戦争体験 核共有

 「息をのんだ。無数の艦船群が浮かんでいる。沖縄は完全に包囲されている」。1945年、県立第一中学校4年で鉄血勤皇隊に入った故・玉栄貞信さんが証言を残している

▼米軍上陸を前にした3月、玉栄さんは東シナ海に浮かぶ艦船群を目にした。首里の丘に登ると中城湾も艦船に埋め尽くされていた。米軍は4月1日、本島に上陸した

▼玉栄さんは首里の戦線で腰に傷を負い、南部で米軍の捕虜になった。本島北部に隠れた日本軍の反撃を信じる仲間と「国頭突破」を目指していた

▼戦後はうるま市の宮城島で中学校教師を務めた。教え子たちが今年、玉栄さんの戦争体験と戦後の人生を冊子にまとめた。中心となった野辺憲勇さん(88)は「若い人たちに伝えるには記録に残すしかない」と話す

▼ロシアの軍事侵攻を受け、国会議員から「核共有」の議論を求める声が上がる77年前、勇ましい掛け声の中で日本は破滅に突き進んだ戦争体験を記録する作業に終わりはない。これからを生きる私たちが平和の尊さを忘れないために大切な営みだ。
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●斎藤貴男さん《人間が、とりあえずアングロサクソンが一も二もなく取り組むべきは、エビやイカの痛みなどよりも、戦争の廃絶ではないのか》

2022年01月02日 00時00分34秒 | Weblog

[※ 『NNNドキュメント’17記憶の澱』(2017年12月3日(日))↑]


/ (2021年12月26日[日])
日刊ゲンダイのコラム【斎藤貴男 二極化・格差社会の真相/エビなどの甲殻類にも波及してきた動物保護の行方】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/299030)。

 《かつて英国に留学していた時の苦い見聞を思い出す。国際経済秩序の講義のゲストだった多国籍企業の幹部が、「最も厄介なカントリー・リスクは?」と問われて、「Culture文化と吐き捨てていた。「食」もまた、まぎれもない文化である。とはいえ生け造りや踊り食いは巨大資本によるビッグビジネスではないし、専門の職人も多数派ではない。英米の価値観と一致しない文化は往々に、「無理に延命させても多数派の利益にはつながらない」などと、新自由主義の論理でも排除されがちだ。捕鯨の問題がそうだった。なるほど生きたまま調理される食材たちは気の毒だ。だが、では調理される前に殺される牛や豚はハッピーか。人間が、とりあえずアングロサクソンが一も二もなく取り組むべきは、エビやイカの痛みなどよりも、戦争の廃絶ではないのか。》

 「皇軍兵士として戦場で地獄を見た水木しげるさん、「一番いけないのが戦争です」。そして、《戦争に向かうハードルが低く…戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世になってしまった。自公お維による政治では、決して良い世の中には向かわない。戦争法を廃止し、核廃絶に向かうこともない…。
 「総員玉砕せよ!」には、《「人間の生き死にははかないものである(中略)殺りくの記録は、ここの石と木だけが知っている。いまここに書きとどめなければ誰も知らない間に葬り去られるであろう」との記述が、戦争の惨禍を伝えようとする強い決意》があった。

   『●水木しげるさん《「殺りくの記録は…いまここに書きとどめなければ
     誰も知らない間に葬り去られる」…戦争の惨禍を伝えようとする強い決意》

 アベ様やスカスカオジサンが政権を去り、それにもかかわらず、衆院選のあの結果…自公お維コミは壊憲へと進みたくて仕方ないようだ。キシダメ氏にとって壊憲が政権を維持する求心力であると勘違いし、軍事費倍増、敵基地攻撃能まで口にし、アベ様石破氏のように、広島選出であるにもかかわらず、核兵器保持まで口にしそうな勢いだ。自公お維の直接的・間接的支持者の皆さんは、子や孫が戦場に送られて人を殺し、殺されることに、人の親として何も感じないのだろうか?
 自民党のあの「ト」な壊憲草案は「国民主権の縮小戦争放棄の放棄基本的人権の制限緊急事態条項の創設」である。連中の無為無策無能さを棚に上げ、違憲に壊憲とは呆れるばかり。「国民主権の縮小戦争放棄の放棄基本的人権の制限緊急事態条項の創設」する気満々な政権と自公お維コミ。主権者の皆さんは、いま、ソンナコトを望んでいるのか?、このコロナ禍で。それとも、気づいていないのか? COVID19を収束するために、違憲な壊憲が必要とでも信じ込まされているのだろうか。しつけられてて、大丈夫ですか?
 改憲したいのならば、一度でいいから憲法の掲げる理想を達成し、憲法を遵守してからにしてくれ。それでも憲法に不備があるというのならば、合憲な手続きでどうぞ。

   『●すぐさま公選法違反な河井克行元法相夫妻を逮捕…《憲法53条は
     「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は…」》
   『●司法までもが壮大なカルト状態…《九十八日間もの臨時会の先延ばし》
      国会召集訴訟、《東京地裁は憲法論に立ち入らず形式的に請求》却下
   『●《神さま》気取りのアベ様にこんなお願いする気? ―――「国民主権
      の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限…緊急事態条項の創設」
   『●《国民投票法に条件付き賛成で…支持者が増》≪「支持者減」…立憲を
     掲げて、しかも、このコロナ禍で、あのトンデモ壊憲に手を貸すかね?

 戦争の記憶の継承を。たとえば、対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》。それをどう継承するか。なぜ継承するのか。
 《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》。

   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
     9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り
     返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》
   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
     込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》
   『●《ドキュメンタリー映画「バケモン」(山根真吾監督)が…入場料を
     全て映画館の収益とする異例の形で、全国各地のミニシアターで上映》
   『●(アサヒコム)【好書好日/長倉洋海さんの写真絵本「学校が大好き
     アクバルくん」インタビュー 生活感に満ちたアフガニスタンを知って】

 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維が幅を利かす世の中では…。まず、そこから変えていかないと。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
    《沖縄で写真展を開いた時のことだ。沖縄戦を体験したお年寄りが、
     異国の戦場の様子にじっと見入っていた。平和教育が盛んな土地柄。
     保育士に連れられ、保育園児も足を運んでくれた。「戦争の記憶
     日常の中にあり、子どもたちに引き継がれている。常に戦争を
     意識せざるを得なかった歴史の裏返しです」
      兵士や兵器を積んだ米軍機が今も戦地に向けて飛び立つ
     ベトナム戦争当時と変わらぬ沖縄の風景だ。差別的な基地負担を
     強いられ、常に事件や事故と隣り合わせの被害者であると同時に、
     「後方支援基地として、命を奪う加害者側でもある。そんな罪悪感にも
     似た感情を持つ人は少なくない」。被害者の痛みが理解できる。
     それもまた、沖縄が歩んできた歴史ゆえだ》

   『●「絶望は愚か者の結論」を心に、壊憲を続けるアベ様に根気強く対抗を
   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●アベ様に犯罪をもみ消してもらえる「報道」者、
     かたや、「卑劣な報復=身辺調査」を噂される新聞記者…
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません
            …私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●『憲法くん』の誇りとは? 《私は六六年間、戦争という名前で
             他国の人々を殺したことがない。それが誇り》
    《演じるのは、ベテラン女優の渡辺美佐子(86)。この短編を挟んで、
     初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くした渡辺が続けている慰霊の
     旅と原爆朗読劇のドキュメントが描かれる。朗読劇は渡辺が中心と
     なって同世代の女優たちと33年間続けてきたもので、今年が最終公演。
     未来に託す戦争の記憶と女優たちの平和への思いが語られる》

   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
         戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
    《沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】…
     《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、
     戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は
     「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった
     沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナ
     ウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》》

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

   『●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。
     沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)
   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》
   『●《米軍の爆撃から逃れ川を渡る親子2組を捉えたピュリツァー賞作品の
     「安全への逃避」など、沢田は戦争に翻弄される民衆の姿を多く撮影》

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/299030

斎藤貴男 ジャーナリスト
1958年生まれ。早大卒。イギリス・バーミンガム大学で修士号(国際学MA)取得。日本工業新聞、プレジデント、週刊文春の記者などを経てフリーに。「戦争経済大国」(河出書房新社)、「日本が壊れていく」(ちくま新書)、「『明治礼賛』の正体」(岩波ブックレット)など著書多数。

二極化・格差社会の真相
エビなどの甲殻類にも波及してきた動物保護の行方
公開日:2021/12/22 06:00 更新日:2021/12/22 06:00
今だけ無料

     (英米の価値観と一致しない文化は排除されるのか
      (写真は、エビ漁)/(C)共同通信社)

 いずれ日本人は伊勢エビの「生け造り」や、イカの「踊り食い」を味わえなくされるかもしれない。というのも──。

 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)が先月、カニやロブスターなど一部の甲殻類と、タコ、イカなどの頭足類には苦痛を感じる「知覚」があるとして、「極端な調理法」の禁止を提言した。膨大な研究成果を精査した結果という。

 英国政府の求めに応じた。脊椎動物の知覚を認める動物福祉法改正案の審議を前に、甲殻類なども対象にすべきとする動物保護団体の主張を受けた動きで、はたして法案は報告に沿って修正された。

 「飲食業や漁業に直接の影響はない」と、政府は説明している。国内法である限り、英国民が諒とするならそれでよい。内政干渉は許されない。

 懸念されるのは世界、さらには日本への影響だ。英国は動物愛護の“先進国”。LSEのニュースリリースによると、しかも今回、担当した准教授は、特に頭足類の知覚を確認できた意義を強調し、こう述べているという。

 「人間がほぼ完全に無視してきたこれら無脊椎動物を保護することは、英国が動物の福祉をリードする一つの方法です」

 欧米でしばしば“残酷料理”呼ばわりされるのは、日本料理だけではない。「酔っぱらいエビ」などの中華料理も、だ。

 とすれば英国動物福祉法改正の成り行きは、コロナ禍で激化した東アジア人差別の拡大再生産に通じかねず、中国包囲網としての西側経済安全保障にも利用される可能性を否定できない。後者のニュアンスが強まれば、日本はあらがいにくくなる。

 かつて英国に留学していた時の苦い見聞を思い出す。国際経済秩序の講義のゲストだった多国籍企業の幹部が、「最も厄介なカントリー・リスクは?」と問われて、「Culture文化と吐き捨てていた

 「食」もまた、まぎれもない文化である。とはいえ生け造りや踊り食いは巨大資本によるビッグビジネスではないし、専門の職人も多数派ではない。

 英米の価値観と一致しない文化は往々に、「無理に延命させても多数派の利益にはつながらない」などと、新自由主義の論理でも排除されがちだ。捕鯨の問題がそうだった。

 なるほど生きたまま調理される食材たちは気の毒だ。だが、では調理される前に殺される牛や豚はハッピーか。人間が、とりあえずアングロサクソンが一も二もなく取り組むべきは、エビやイカの痛みなどよりも、戦争の廃絶ではないのか
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●水木しげるさん《「殺りくの記録は…いまここに書きとどめなければ誰も知らない間に葬り去られる」…戦争の惨禍を伝えようとする強い決意》

2021年12月14日 00時00分40秒 | Weblog

(2021年10月10日[日])
小松田健一記者による、東京新聞の記事【筆を執る重い決意がここに…故・水木しげるさんのノート発見 戦争描いた代表作「総員玉砕せよ!」構想記す】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/134093)。



 《2015年に93歳で死去した漫画家、水木しげるさんが自らの従軍経験をもとにした戦争漫画「総員玉砕せよ!」で、水木さんが執筆前に構想を書き留めたノートが、東京都調布市の水木プロダクションで見つかった。戦争の理不尽さや旧日本軍の非人道性などを余すことなく描いた傑作で、ノートには本編では見られない記述などもある。長女の原口尚子さん(58)は「父は亡くなった戦友たちの無念を背負って描いた。深い思い入れが伝わってくる」と語った。(小松田健一)》。

   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
     9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り
     返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》

 「皇軍兵士として戦場で地獄を見た水木しげるさん、「一番いけないのが戦争です」。そして、《戦争に向かうハードルが低く…戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世になってしまった。自公お維による政治では、決して良い世の中には向かわない。戦争法を廃止し、核廃絶に向かうこともない…。
 「総員玉砕せよ!」には、《「人間の生き死にははかないものである(中略)殺りくの記録は、ここの石と木だけが知っている。いまここに書きとどめなければ誰も知らない間に葬り去られるであろう」との記述が、戦争の惨禍を伝えようとする強い決意》があった。

   『●やはりアベ様「の頭は普通じゃな」かった: 
     誰一人止めない、止めようともしない自公議員…決して忘れない
   『●そもそも、子どもたちのためにこそ 
       「ドブガネしている」税金を使ったらどうなのか?
   『●水木しげるさんと堀江邦夫さん:
       原発ジプシーと云う地獄と戦場と云う地獄
   『●「皇軍兵士として戦場で地獄を見た」水木しげるさん、
                    「一番いけないのが戦争です」
    《あれだけ国民をいじめた歴史はないんじゃないでしょうかね》。
    「「皇軍兵士として戦場で地獄を見た水木しげるさん。
     《自由を国家が制限するんですからね。一番いけないのが戦争です
     戦争で死ぬんだと思うと希望もわきませんでした》という水木さんの
     言葉は、戦争したい人々、「死の商人」たち、「戦争屋」たち、自公議員や
     その支持者達には聞こえないらしい。
     自公議員に投票できる親御さんや祖父母ら……、ブログ主には彼ら、
     彼女らの神経が知れない」

   『●桂歌丸さん…《戦争なんて本当に愚の骨頂》
       《あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない》
    《高畑勲野坂昭如大橋巨泉永六輔かこさとし水木しげる
     愛川欽也金子兜太など、戦争を知り、自身の体験をもとに平和を
     希求するメッセージを発してきた戦中世代の著名人が続々と鬼籍に
     入り始めている

   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
       戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に

=====================================================
https://www.tokyo-np.co.jp/article/134093

筆を執る重い決意がここに…故・水木しげるさんのノート発見 戦争描いた代表作「総員玉砕せよ!」構想記す
2021年10月1日 06時00分

 2015年に93歳で死去した漫画家、水木しげるさんが自らの従軍経験をもとにした戦争漫画「総員玉砕せよ!」で、水木さんが執筆前に構想を書き留めたノートが、東京都調布市の水木プロダクションで見つかった。戦争の理不尽さや旧日本軍の非人道性などを余すことなく描いた傑作で、ノートには本編では見られない記述などもある。長女の原口尚子さん(58)は「父は亡くなった戦友たちの無念を背負って描いた。深い思い入れが伝わってくる」と語った。(小松田健一

     (見つかった「総員玉砕せよ!」の人物紹介など構想が
      書かれたノート=東京都調布市の水木プロダクションで)

◆「いま書かなければ葬り去られる」

 ノートは、来年開く予定の水木さん生誕100年記念展の準備のため、遺品を整理していた際に原口さんが見つけた。B5判で35ページにわたり、「ネーム」と呼ばれる大まかな展開やコマ割り、作品に盛り込もうとしたエピソードなどが鉛筆で記されていた。それらの全てが作品に反映されたわけではなく、執筆段階で練り直しや取捨選択があったようだ。

 作中にない「人間の生き死にははかないものである(中略)殺りくの記録は、ここの石と木だけが知っている。いまここに書きとどめなければ誰も知らない間に葬り去られるであろう」との記述が、戦争の惨禍を伝えようとする強い決意を示している。

     (水木しげるさん)


◆戦死した親友に捧げる物語に

 登場人物の顔がびっしりと描かれたページも。初版本は冒頭に登場人物一覧があり、その原型になったとみられる。水木さんが生前、戦死した親友と語っていた「眞山宗孝の霊に捧ぐ」との記述も確認できた。

 「総員玉砕せよ!」は、1973年に発表された描き下ろし長編。45年3月、南太平洋・ニューブリテン島(現在のパプアニューギニア)で水木さんも所属していた日本軍の大隊が、連合国軍への切り込み攻撃によって壊滅した史実をもとに一部創作を加えた。水木さんがモデルの「丸山二等兵」を主人公に物語が展開していく。後書きには「90パーセントは事実です」と記した。

 水木さんは44年6月に爆撃を受けて左腕を失い、部隊を離れていたため「玉砕」の攻撃には加わっていない。


◆「魂こもった作品の貴重な資料」

 水木しげるさんと親交が深かったノンフィクション作家、足立倫行(のりゆき)さんの話 「総員玉砕せよ!」は、水木さんが執筆した最後の戦争漫画で、かつ唯一の長編。自ら体験した末端の兵士の視点から、戦争の不条理さを描いている。魂がこもった作品で、それだけに考えに考え抜いて事前にノートへ書き留めたのだろう。戦争漫画家としての水木さんの姿を後世へ伝えるためにも貴重な資料であり、何らかの形で多くの人の目に触れることになればいいと思う。

【関連記事】<東京舞台さんぽ>「妖怪」の街・調布 今も感じる水木さんの面影
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●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》

2021年07月04日 00時00分16秒 | Weblog

 (2021年06月27日[日])
野村創記者による、西日本新聞の記事【「沖縄の犠牲は後世に伝える必要ある」平和資料館に集まる支援】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/758191/)。
沖縄タイムスの【社説[コロナ下の慰霊の日]記憶継承へ支援の輪を】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/774549)。
琉球新報の【<社説>「慰霊の日」に誓う 沖縄戦の教訓を後世に】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1342597.html)。

 《新型コロナウイルスの影響で厳しい経営が続く、沖縄県の平和資料館に全国から寄付が寄せられている。太平洋戦争末期の地上戦で多くの住民が犠牲になった沖縄。その体験を後世に継承する資料館の存続を願う人々の思いは、職員の心の支えにもなっている》。
 《休館中の県平和祈念資料館は23日も開けないという。慰霊の日のさまざまな行事は、沖縄戦体験を継承していく上で重要な役割を果たしてきた。コロナの影響でそれができなくなったのである。ひめゆり平和祈念資料館など沖縄の代表的な資料館はコロナの影響で来館者が激減し、軒並み、苦しい運営を強いられている》。
 《県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦の組織的戦闘が終結してから76年。昨年同様、コロナ禍の中で「慰霊の日」を迎えた。防衛隊鉄血勤皇隊女子学徒として戦場に動員された90歳以上の世代は県人口の1.4%。小学生だった80歳以上を含めても7%にすぎない(2020年「住民基本台帳年齢別人口」)。体験者から証言を聞くことがますます難しくなった》。

   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
     込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》
    「沖縄タイムスの記事【「いつまでも忘れないこと」 吉永小百合さん
     対馬丸記念館へメッセージ 戦争で撃沈、犠牲の児童らに想い】…
     《メッセージの中で対馬丸で犠牲になった子どもたちについて触れ、
     「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れない
     ことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで
     吉永小百合」と色紙にしたためた》」

   『●《「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」
      …反戦平和、反核、反原発を明確に打ち出す発言》を躊躇わず
   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》
   『●沖縄イジメ、辺野古は破壊「損」の張本人が元最低の官房長官。
     そして今、さらなるデタラメ・ヒトデナシをやろうとしているオジサン
   『●《自民党右派の議員秘書にトランプの評価を問うと「戦争をしなかった
       大統領」と胸を張った。米国は分断という内戦を戦っていたのだ》
   『●「自衛隊派遣によって治安はかえって悪化する」、政府の政策に
     逆らえば…衆院テロ対策特別委員会委員は国会参考人の発言を打ち切り…
   『●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…
    「平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、
     《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、
     戦争の記憶をどのように継承していくのか。
     《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに
     なったそうです」

   『●大矢英代さん《沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回の
     アメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか》!

 平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、戦争の記憶をどのように継承していくのか。《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さん。どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維が幅を利かす世の中では…。まず、そこから変えていかないと。
 《「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」》。(沖縄タイムス社説)《戦争の記憶を継承していくためには、継承する理由がはっきりしなければならない。なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り返さないためである。アジア・太平洋戦争は日本を破滅に導いた過誤に満ちた戦争だった。…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ。慰霊の日は、戦没者を追悼するとともに、そのことを再確認する日でもある》。(琉球新報社説)《「慰霊の日」は鎮魂と同時に沖縄戦の書き換えを許さないことを確認したい。そして世界の人々と共に、軍事力に頼らず人権侵害、難民、飢餓、貧困、抑圧のない積極的平和の実現を誓いたい》。

   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
    「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
     前に、「平和の礎あらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
     県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
     県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
     県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」

   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
       戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
    《沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】…
     《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、
     戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は
     「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった
     沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナ
     ウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》》

   『●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。
     沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)

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https://www.nishinippon.co.jp/item/n/758191/

「沖縄の犠牲は後世に伝える必要ある」平和資料館に集まる支援
2021/6/21 6:00 (2021/6/21 11:44 更新)
野村創

     (武田正勝さんの手紙を持つ対馬丸記念館
      外間邦子常務理事=那覇市)

 新型コロナウイルスの影響で厳しい経営が続く、沖縄県の平和資料館に全国から寄付が寄せられている。太平洋戦争末期の地上戦で多くの住民が犠牲になった沖縄。その体験を後世に継承する資料館の存続を願う人々の思いは、職員の心の支えにもなっている。

 ひめゆり平和祈念資料館(糸満市)には6~20日に7429件、3200万円超の寄付が集まった。職員がツイッターで「危機に直面している」と協力を呼び掛けると瞬く間に拡散。「戦争を知らない世代が増える中、皆様の取り組みに敬服いたします」などのメッセージも添えられた。

 ひめゆり学徒隊の惨劇を紹介する資料館は昨年度、入館者が前年度から9割近く減った。公的補助は受けておらず、職員の賞与を減額して運営を続ける。普天間朝佳(ちょうけい)館長(61)は「平和の尊さを学ぶ大事な場所だと受け止めてもらったと感謝している。コロナ禍を耐え、難局を乗り切る努力を続けたい」と話した。

 対馬丸記念館(那覇市)にも寄付が相次いでいる。

 「大切な記念館存続のためにお使いください」。5月上旬、福岡市の医師武田正勝さん(85)からこう記した手紙が届いた。

 記念館は、1944年に沖縄を出港した対馬丸が米潜水艦に撃沈され、疎開学童ら1500人近くが犠牲になった歴史を伝える。自らも戦争を体験した武田さんは本紙で記念館の窮状を知り、寄付を思い立ったという。「沖縄の犠牲は後世に伝える必要がある。生きている限り支援を続ける」と語った。

 記念館によると、2019年度の寄付金は744万円、20年度は933万円だった。特に年会費2千円の協力会員が増えているという。23日には沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」を迎える。外間(ほかま)邦子常務理事(82)は「平和のため、未来の子どもたちのため、自分ができることはないかと、多くの人が考えてくれたことがうれしい」と感謝する。

(那覇駐在・野村創)
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/774549

社説[コロナ下の慰霊の日]記憶継承へ支援の輪を
2021年6月23日 06:27

 対馬丸記念館の裏手、那覇市若狭の旭ヶ丘公園に「海鳴りの像」がある。

 米軍の攻撃で撃沈された戦時遭難船舶の犠牲者を祭る慰霊碑である。刻銘されている犠牲者の数は1900人を超える。

 アジア・太平洋戦争で艦船が撃沈されて亡くなった海没死者の総数は、35万8千人に達するという。

 「海鳴りの像」は戦争死のもう一つの側面を伝えるモニュメントでもある。

 遺族会はコロナ禍で昨年に続き今年も、慰霊祭を中止せざるを得なくなった。

 新型コロナウイルスが猛威を振るう中、沖縄はきょう23日、緊急事態宣言下の慰霊の日を迎える。

 糸満市摩文仁平和祈念公園で行われる県主催の沖縄全戦没者追悼式は、参加人数を26人まで絞る。

 通常、5千人規模で開かれることを考えれば、縮小ぶりが際立つ。

 休館中の県平和祈念資料館は23日も開けないという。

 慰霊の日のさまざまな行事は、沖縄戦体験を継承していく上で重要な役割を果たしてきた。コロナの影響でそれができなくなったのである。

 ひめゆり平和祈念資料館など沖縄の代表的な資料館はコロナの影響で来館者が激減し、軒並み、苦しい運営を強いられている。

 とりわけ、ひめゆり資料館は展示内容をリニューアルし、再スタートしたばかり。見てくれる客がいないのは、スタッフにとって精神的にもきつい。

 かつてない事態だ。

■    ■

 支援の動きはさまざまな形で表れ始めている。

 MONGOL800のキヨサクさんの呼び掛けに民謡歌手の古謝美佐子さん、Kiroroの玉城千春さんが応え、ひめゆりの塔前でミニライブが開かれた。

 慰霊の日にネットで有料配信し、寄付を募るという。

 「平和と呼ぶには遠く、歴史にするには早い」。キヨサクさんの歌のメッセージは、若者に届く言葉の大切さに気付かせてくれる。

 白梅学徒隊の体験を継承するために結成された「若梅会」(いのうえちず代表)の活動もユニークだ。

 学徒の足跡をたどれる地図作りやリモート講話など、インターネットを駆使した継承に取り組む。糸満市真栄里にある白梅之塔が老朽化しているため、修繕に必要な費用の支援も呼び掛けている。

 次世代継承の「新しい形」が、さまざまな場で生まれつつある。

■    ■

 戦争の記憶を継承していくためには、継承する理由がはっきりしなければならない。なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り返さないためである。

 アジア・太平洋戦争は日本を破滅に導いた過誤に満ちた戦争だった

 首里を撤退した後、6月に入って非戦闘員の死者が激増したのはなぜか。

 過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ。慰霊の日は、戦没者を追悼するとともに、そのことを再確認する日でもある。
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1342597.html

<社説>「慰霊の日」に誓う 沖縄戦の教訓を後世に
2021年6月23日 05:00

 県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦の組織的戦闘が終結してから76年。昨年同様、コロナ禍の中で「慰霊の日」を迎えた。

 防衛隊鉄血勤皇隊女子学徒として戦場に動員された90歳以上の世代は県人口の1.4%。小学生だった80歳以上を含めても7%にすぎない(2020年「住民基本台帳年齢別人口」)。体験者から証言を聞くことがますます難しくなった

 一人でも多くの貴重な体験を記録し、「命どぅ宝」「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を後世に伝える決意を新たにしたい。

 76年経過した今、沖縄戦の実相が国家のお墨付きを得てゆがめられている。容認できない事態だ。2022年度から使う教科書検定に合格した自由社の中学歴史教科書は、沖縄戦をこう記述している。

 「日本軍はよく戦い、沖縄住民もよく協力しました

 県民が「よく協力しました」という表現は実態と異なる。沖縄戦直前、日本軍は大規模な防衛召集を実施し約2万人の県民を動員した。師範学校や旧制中学校など14歳以上の男子学徒も防衛召集された。しかし法的な根拠ははっきりしない。女子学徒についても軍の看護婦として召集するような法的根拠はない。

 「沖縄県史」は「県、特にその責任者である知事が、当時の法に則って軍の要求に抵抗していれば、学徒たちの悲劇は避けられたか、少なくとも大きく軽減できた可能性は高い」と指摘している。

 さらに防衛召集の対象ではない多くの民間人まで義勇隊、救護班、炊事班として根こそぎ動員した。

 本紙連載「国策の果て・根こそぎ動員の実態」(15日付)に登場する大城富美さん(92)は、救護班として負傷兵の看護に当たるよう命じられた。大城さんは当時16歳。皇民化教育に染まった住民にとっては断ることのできない、いわば「強制」だった。「言われた通りにしなければ、生きていけなかった」と大城さん。「ありったけの地獄を一つにまとめた」と米軍が表現するほどの戦場で負傷兵の看護に当たった。

 こうして多くの住民が根こそぎ動員によって戦闘に巻き込まれた。日本軍は「軍官民共生共死」の方針によって、住民にも軍人同様に死ぬことを求めた。

 「日本軍はよく戦い」という表記も適切ではない。日本軍は兵士に生還を許さない陸、海、空の特攻を命じた。大本営が作成した沖縄戦の戦訓は「爆薬肉攻は威力大なり」と記述している。つまり「よく戦い」の実例として、爆薬を抱えた自殺攻撃を挙げている。これが実態である。

 「慰霊の日」は鎮魂と同時に沖縄戦の書き換えを許さないことを確認したい。そして世界の人々と共に、軍事力に頼らず人権侵害、難民、飢餓、貧困、抑圧のない積極的平和の実現を誓いたい。
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●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…

2020年12月16日 00時00分57秒 | Weblog


沖縄タイムスの【社説[安里要江さん死去]「語り部」の使命貫いた】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/664242)。

 《沖縄戦の語り部として約40年にわたり戦争の悲惨さを訴えてきた安里要江さんが亡くなった。99歳。昨年5月に活動に終止符を打つまで自身の過酷な体験と平和の尊さを語り続けてきた》。

   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に
     巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》
   『●「在日沖縄人」石川文洋さん… 《宗谷岬を出発し…沖縄まで
               約3500キロを約11カ月間かけて完歩》
   『●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地
     切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》

 平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、戦争の記憶をどのように継承していくのか。
 《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりになったそうです。ご冥福をお祈ります。

   『●《戦争が廊下の奥に立つてゐた》…
     《そんな時代にしてはならない》はずが、癒党お維や与党議員ときたら
    《県内最高齢の沖縄戦の語り部で、映画「GAMA 月桃の花」のモデルにも
     なった安里要江(としえ)さん(98)…「命ある限り語るのが私の使命だった。
     二度と悲惨な戦争が起きないよう、みなさんも後世に伝えていってほしい
     と話し、若い世代にバトンを託した》
    「《これまで約40年間にわたって戦争の悲惨さを訴えてきた》方にあまりに
     失礼な話が続いている。修学旅行で訪れた大阪府の中学生には伝わっても、
     いい大人が戦争ごっことはね。こんな国会議員がいるとはねぇ、
     呆れかえります。まぁ。(アノお維から除名された、議員辞職勧告された元)
     お維議員ですものね。ましてや、行政府の長や副総理・財務相、
     最低の官房長官らがアンナ人達ばかりですものね」

   『●《玉城知事が対話を求めた直後にこれを拒否…》アベ様には
       《(他者の痛みに寄り添う)沖縄のチムグクル》は届かず
    「琉球新報のコラム【<金口木舌>月桃の花咲く頃に】…によると、
     《海勢頭豊さんが作詞作曲し、映画「GAMA 月桃の花」の
     主題歌にもなった曲の一節だ。慰霊の月になると、自然と口ずさむ 
     ▼映画のモデルになった県内最高齢の沖縄戦の語り部、
     安里要江(としえ)さん(98)が先月、体調不良を理由に活動を終えた。
     「命ある限り語るのが私の使命だった」と約40年、沖縄戦で夫と
     2人の子どもら親族11人を失った体験を県内外で語り、
     戦争の悲惨さを訴えた…▼戦争体験者の生の声を聞ける時間は
     限られている。一言一言を胸に刻み、次代につなぐことが大切だ
     22日の真壁区の慰霊祭では、優しい「月桃の花」が戦没者のみ霊を
     慰めた。今日は「慰霊の日」。深い祈りの中で、
     改めて平和な世を誓いたい》」

 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維が幅を利かす世の中では…。まず、そこから変えていかないと。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
    《沖縄で写真展を開いた時のことだ。沖縄戦を体験したお年寄りが、
     異国の戦場の様子にじっと見入っていた。平和教育が盛んな土地柄。
     保育士に連れられ、保育園児も足を運んでくれた。「戦争の記憶
     日常の中にあり、子どもたちに引き継がれている。常に戦争を
     意識せざるを得なかった歴史の裏返しです」
      兵士や兵器を積んだ米軍機が今も戦地に向けて飛び立つ
     ベトナム戦争当時と変わらぬ沖縄の風景だ。差別的な基地負担を
     強いられ、常に事件や事故と隣り合わせの被害者であると同時に、
     「後方支援基地として、命を奪う加害者側でもある。そんな罪悪感にも
     似た感情を持つ人は少なくない」。被害者の痛みが理解できる。
     それもまた、沖縄が歩んできた歴史ゆえだ》

   『●「絶望は愚か者の結論」を心に、壊憲を続けるアベ様に根気強く対抗を
   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●アベ様に犯罪をもみ消してもらえる「報道」者、
     かたや、「卑劣な報復=身辺調査」を噂される新聞記者…
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません
            …私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●『憲法くん』の誇りとは? 《私は六六年間、戦争という名前で
             他国の人々を殺したことがない。それが誇り》
    《演じるのは、ベテラン女優の渡辺美佐子(86)。この短編を挟んで、
     初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くした渡辺が続けている慰霊の
     旅と原爆朗読劇のドキュメントが描かれる。朗読劇は渡辺が中心と
     なって同世代の女優たちと33年間続けてきたもので、今年が最終公演。
     未来に託す戦争の記憶と女優たちの平和への思いが語られる》

   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
       戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
    《沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】…
     《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、
     戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は
     「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった
     沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナ
     ウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》》

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

   『●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。
     沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)
   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》
   『●《米軍の爆撃から逃れ川を渡る親子2組を捉えたピュリツァー賞作品の
     「安全への逃避」など、沢田は戦争に翻弄される民衆の姿を多く撮影》

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/664242

社説[安里要江さん死去]「語り部」の使命貫いた
2020年11月16日 07:04

 沖縄戦の語り部として約40年にわたり戦争の悲惨さを訴えてきた安里要江さんが亡くなった。99歳。昨年5月に活動に終止符を打つまで自身の過酷な体験と平和の尊さを語り続けてきた。

 安里さんは中城村(現・北中城村)喜舎場出身。沖縄戦当時24歳で、10・10空襲の直前に生まれた乳飲み子の娘と、幼い息子を抱える2児の母だった。

 戦況が悪化する中、子どもたちと病身の夫、高齢の親族らと共に戦場をさまよった。米軍の激しい艦砲射撃や機銃掃射などから逃げる中で母や義父母を相次いで亡くした。

 たどり着いた糸満市のガマで生後9カ月の娘を失った。栄養不足で頼みの母乳は出ず、冷たくなっていくわが子の体をさするしかなかったという

 戦争を生き延びた夫や4歳の息子も、栄養失調や戦時中のけががもとで間もなく亡くなった。親族11人が沖縄戦の犠牲になった

 安里さんが、依頼を受けて自身の体験を語れるようになったのは三十三回忌を終えた後だった。

 「たくさんの肉親親族を失いながら自分だけ生き延びてきたという、後ろめたさと無念さと自嘲の入り交じった複雑な気分」があったといい「精神的な後遺症は戦後も長く影を落として」いた。1995年に共著で出版された「沖縄戦 ある母の記録」(高文研)で振り返っている。

 「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を押して語り部を続け大きな足跡を残した。

■    ■

 沖縄戦の記憶を継承する上で、戦争を直接体験した語り部たちが果たしてきた役割は大きい

 多感な学生時代に戦場に駆り出された元学徒隊員らは、隊の活動の経過と共に学友を失った苦しみを伝え、戦争の悲惨さを訴えた。

 安里さんも、子どもからお年寄りまでの住民が巻き込まれた地上戦で何が起きたのか、自身の体験を修学旅行生や地元の子どもらに語ってきた。県内最高齢の語り部となった後も「もっと多くの人に戦争の恐ろしさを伝えたい」と意欲的だった。

 戦後75年。沖縄戦を体験した語り部の多くが故人となり、または高齢のため活動の一線を退いた。沖縄戦の継承は大きな転換期を迎えている

 安里さんから受け取ったバトンを今後、次の世代へどうつないでいくか。私たちは重要な役割を担うことを自覚しなければならない。

■    ■

 戦後50年の節目に製作された映画「GAMA 月桃の花」は、安里さんが主人公のモデルとなった。作品は今も県外の高校などで上映され、平和学習の教材としても役立てられている。

 沖縄歴史教育研究会と県高教組が県内の高校生を対象に実施したアンケートで、沖縄戦を学ぶことについてとても大切」「大切とした生徒は計95・5%に上った

 若い世代の関心に応えられるよう、沖縄戦について考えるきっかけをつくるのは大人の役割だ。
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●《米軍の爆撃から逃れ川を渡る親子2組を捉えたピュリツァー賞作品の「安全への逃避」など、沢田は戦争に翻弄される民衆の姿を多く撮影》

2020年12月15日 00時00分21秒 | Weblog

[※ 『NNNドキュメント’17記憶の澱』(2017年12月3日(日))↑]



琉球新報のコラム【<金口木舌>報道カメラマン沢田教一没50年】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1223836.html)。

 《ベトナム戦争など戦争の最前線で撮り続けた報道カメラマン 沢田教一が亡くなってから50年が過ぎた。1970年10月28日、紛争地のカンボジアで何者かに銃撃され34歳の生涯を閉じた…▼沖縄も出撃拠点となったベトナム戦争は、自由に取材できた最初で最後の戦争といわれている。多くの従軍カメラマンが同行し、生々しい戦争の写真や映像が全世界に配信された。反戦運動が高まり、73年、ニクソン大統領は米軍撤退を余儀なくされた》。

 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維が幅を利かす世の中では…。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」
     という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には
     「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
    《沖縄で写真展を開いた時のことだ。沖縄戦を体験したお年寄りが、
     異国の戦場の様子にじっと見入っていた。平和教育が盛んな土地柄。
     保育士に連れられ、保育園児も足を運んでくれた。「戦争の記憶
     日常の中にあり、子どもたちに引き継がれている。常に戦争を
     意識せざるを得なかった歴史の裏返しです」
      兵士や兵器を積んだ米軍機が今も戦地に向けて飛び立つ
     ベトナム戦争当時と変わらぬ沖縄の風景だ。差別的な基地負担を
     強いられ、常に事件や事故と隣り合わせの被害者であると同時に、
     「後方支援基地として、命を奪う加害者側でもある。そんな罪悪感にも
     似た感情を持つ人は少なくない」。被害者の痛みが理解できる。
     それもまた、沖縄が歩んできた歴史ゆえだ》

   『●「絶望は愚か者の結論」を心に、壊憲を続けるアベ様に根気強く対抗を
   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●アベ様に犯罪をもみ消してもらえる「報道」者、
     かたや、「卑劣な報復=身辺調査」を噂される新聞記者…
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません
            …私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●『憲法くん』の誇りとは? 《私は六六年間、戦争という名前で
             他国の人々を殺したことがない。それが誇り》
    《演じるのは、ベテラン女優の渡辺美佐子(86)。この短編を挟んで、
     初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くした渡辺が続けている慰霊の
     旅と原爆朗読劇のドキュメントが描かれる。朗読劇は渡辺が中心と
     なって同世代の女優たちと33年間続けてきたもので、今年が最終公演。
     未来に託す戦争の記憶と女優たちの平和への思いが語られる》

   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
       戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
    《沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】…
     《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、
     戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は
     「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった
     沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナ
     ウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》》

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》

 コラムの「沖縄も出撃拠点」に〝共感〟し、また、コラムから石川文洋さんを思い浮かべた。

   『●「政府は沖縄を分断し、苦渋の判断をさせ続けている」: 
               「住民分断」「沖縄差別」を恥じぬアベ様ら
    《六十年前の本土復帰運動で歌われた「沖縄を返せ」という歌は、
     辺野古で座り込む市民らに受け継がれている。変わったのは、
     訴える相手に米国だけでなく、日本政府も加わったことだ。
      「軍隊がいる所が最も危険というのが、沖縄戦の教訓
     辺野古に基地ができれば、沖縄は出撃拠点として固定化してしまう
     だから歌は、沖縄を、沖縄に返せと言っているんです」》

   『●「だが我が国は成熟国家になってから粉飾を始めた
       相当情けない国家」(阿部岳さん)だなんて、哀し過ぎる
    《▼2014年、たまたま訪れた沖縄が米軍のイラクへの出撃拠点だった
     ことを知る。「日本も沖縄も加害者だった」。ちょうど辺野古新基地の
     建設が始まり、「また同じことが起きる」と、反対運動に加わった。
     そのさなかに罪に問われ、一審有罪判決を受け控訴している。
     身をもって戦争を体験した稲葉さんの総括は続く ▼一方、
     開戦を全面支持し、後に自衛隊を派遣した日本政府。イラクに
     大量破壊兵器なかった米英の指導者が誤りを認めた後も
     押し黙ったまま


   『●「沖縄から核兵器を撤去させ、ベトナム戦争の出撃拠点と
           しないようアメリカと激しい外交交渉を重ねた」人
    《基地は復帰まで、共産圏をにらむ最前線として最大約千三百発もの
     核が配備され、ベトナム戦争の出撃拠点となった。冷戦終結後も
     湾岸戦争、イラク戦争などに空軍や海兵隊を送り出してきた
    《千葉一夫は、沖縄返還で外交交渉の最前線にいた、実在の人物。
     …本土から切り離され、アメリカの統治下にあった沖縄は、
     米軍がベトナム戦争へ出撃する拠点となり、
     核兵器まで配備されていた沖縄から、核兵器を撤去させ、
     ベトナム戦争の出撃拠点としないよう、アメリカと激しい
     外交交渉を重ねた千葉。》

   『●《この期に及んで、まだ傍観者》? 《憲法を維持するための
           「不断の努力」を怠った…加害者側に立つ人間》
    《もちろん、辺野古にこだわる理由はそれだけではない。
     日本政府としては何が何でも沖縄に一大出撃拠点を造っておきたい
     という将来の軍事利用が根底にある…》

   『●《中国の海洋進出への対抗策というが、
     住民の安心をないがしろにして、地域の平和を守るといえるの》か?


   『●沖縄と報道カメラマン・石川文洋さん
   『●辺野古破壊や高江『標的の村』などなど……
      「本土の人間が「沖縄だからいいや」と差別している」
   『●「在日沖縄人」石川文洋さんの写真集
       『基地で平和はつくれない――石川文洋の見た辺野古』
   『●「現実の戦争を知る
      ベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
   『●「在日沖縄人」石川文洋さん… 《宗谷岬を出発し…
       沖縄まで約3500キロを約11カ月間かけて完歩》

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1223836.html

<金口木舌>報道カメラマン沢田教一没50年
2020年11月12日 06:00
金口木舌 沢田教一 ベトナム戦争

 ベトナム戦争など戦争の最前線で撮り続けた報道カメラマン 沢田教一が亡くなってから50年が過ぎた。1970年10月28日、紛争地のカンボジアで何者かに銃撃され34歳の生涯を閉じた

▼没後50年の節目に都内で開かれた、沢田の生きざまを振り返り、戦争報道を考えるシンポジウムとドキュメンタリー映画「SAWADA」(五十嵐匠監督、97年公開)の上映会に足を運んだ

沖縄も出撃拠点となったベトナム戦争は、自由に取材できた最初で最後の戦争といわれている。多くの従軍カメラマンが同行し、生々しい戦争の写真や映像が全世界に配信された。反戦運動が高まり、73年、ニクソン大統領は米軍撤退を余儀なくされた

▼米軍の爆撃から逃れ川を渡る親子2組を捉えたピュリツァー賞作品の「安全への逃避」など、沢田は戦争に翻弄(ほんろう)される民衆の姿を多く撮影してきた。加えて苦悩する米兵の姿も捉えた。戦争とは一体、何か。沢田は写真を通して伝えたかったのだろう

▼映画では「安全への逃避」で被写体となった2家族のその後も描かれていた。沢田が家族を訪れて交流していたことが明かされている

▼沢田は生前、戦争が終わったら、ベトナムの日常風景を撮りたいと言っていたという。戦争の傷痕を深く残しつつ、著しい経済発展を続けるベトナムの今を、沢田はどう切り撮るのだろうかと、ふと思った。
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●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》

2020年11月24日 00時00分47秒 | Weblog


西日本新聞のコラム【春秋/この夏、東海テレビ(名古屋市)の若い記者が75回目の終戦の日…】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/661718/)。

 《…の企画で、護国神社の参拝者に片っ端からインタビューした。そこから偶然が重なり、ある軍人の九州での死の全貌にたどり着いた ▼ジャーナリスト大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ調べてみた》。

   『●『創 (12月号)』読了 (2/2)
   『●ドキュメンタリー『死刑弁護人』: 
      バッシングされ続ける「死刑弁護人」安田好弘さん
   『●司法権力の〝執念〟: 映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』
   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
        映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』
   『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評
   『●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)
                   ……死刑囚の心の叫び」は届かず
   『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
               死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい
   『●「テレビ業界で煩悩し格闘している人は決して少なくない」
              …「隠された歴史を掘りおこす」地方テレビ局
   『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で、
              「『よく撮って、知らせてくれた』…お褒めの声」
    《戦後70年にあたる昨年、8月、東海テレビは『戦後70年 樹木希林 
     ドキュメンタリーの旅』という全6回のシリーズを行った。これは、
     女優・樹木希林が番組に関連する場所や人を旅し、更に、毎回ゲストを
     訪ね、過去に全国の地方局が制作してきた戦争の記憶を紡ぐ
     ドキュメンタリーについて語り合うという内容だ》

   『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で…
             東海テレビ『ヤクザと憲法』の意味が、今、分かる
   『●《新聞を含むマスコミは…「客観中立で、常に事実と
     正論を語る」という自画像を描き、自ら縛られてきた》
   『●東海テレビ…《テレビの危機的な現状を自ら裸になって提示
         …とはいえ…「テレビ局が抱える闇はもっと深い」》
    《東海テレビ制作の映画「さよならテレビ」の試写を見た。
     数々のドキュメンタリー作品を世に問うたことで知られる同社の
     取材班が、なんと、自社の夕方のニュース番組を制作する報道局の
     現場を2年間にわたって追跡し、2018年の同社開局60周年
     記念番組として放送。言論機関としてのテレビの危機的な現状を
     自ら裸になって提示しようという、その蛮勇ともいえる試みが
     話題になった》

   『●《他局の方がおっしゃったという「東海テレビは
     まだ持ちこたえていると思った」の根拠となるような底力を感じます》
   『●《誰を憎めばいいのか、憎むべきでないのか、死刑をどう考えるべき
     なのか、見終わっても答えは出ず、もやもやが心を覆ったままだ…》

 戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。《大谷昭宏さん…「戦争の記憶が風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」》。

   『●「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
    《沖縄で写真展を開いた時のことだ。沖縄戦を体験したお年寄りが、
     異国の戦場の様子にじっと見入っていた。平和教育が盛んな土地柄。
     保育士に連れられ、保育園児も足を運んでくれた。「戦争の記憶
     日常の中にあり、子どもたちに引き継がれている。常に戦争を
     意識せざるを得なかった歴史の裏返しです」
      兵士や兵器を積んだ米軍機が今も戦地に向けて飛び立つ
     ベトナム戦争当時と変わらぬ沖縄の風景だ。差別的な基地負担を
     強いられ、常に事件や事故と隣り合わせの被害者であると同時に、
     「後方支援基地として、命を奪う加害者側でもある。そんな罪悪感にも
     似た感情を持つ人は少なくない」。被害者の痛みが理解できる。
     それもまた、沖縄が歩んできた歴史ゆえだ》

   『●「絶望は愚か者の結論」を心に、壊憲を続けるアベ様に根気強く対抗を
   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●アベ様に犯罪をもみ消してもらえる「報道」者、
     かたや、「卑劣な報復=身辺調査」を噂される新聞記者…
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません
            …私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●『憲法くん』の誇りとは? 《私は六六年間、戦争という名前で
             他国の人々を殺したことがない。それが誇り》
    《演じるのは、ベテラン女優の渡辺美佐子(86)。この短編を挟んで、
     初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くした渡辺が続けている慰霊の
     旅と原爆朗読劇のドキュメントが描かれる。朗読劇は渡辺が中心と
     なって同世代の女優たちと33年間続けてきたもので、今年が最終公演。
     未来に託す戦争の記憶と女優たちの平和への思いが語られる》

   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
       戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
    《沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】…
     《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、
     戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は
     「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった
     沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナ
     ウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》》

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https://www.nishinippon.co.jp/item/n/661718/

春秋
この夏、東海テレビ(名古屋市)の若い記者が75回目の終戦の日…
2020/11/6 10:30

 この夏、東海テレビ(名古屋市)の若い記者が75回目の終戦の日の企画で、護国神社の参拝者に片っ端からインタビューした。そこから偶然が重なり、ある軍人の九州での死の全貌にたどり着いた

▼ジャーナリスト大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ調べてみた

▼番組には「父は福岡で終戦1週間前、米軍の空襲で戦死した」と語る男性が登場。ネットのニュース映像を偶然見た人が福岡県筑紫野市役所の草場啓一さんに連絡した。「あなたが追うあの事件の関係者では」

▼1945年8月8日の「西鉄筑紫駅列車銃撃事件」。旧筑紫駅で満員の上下2列車が米軍機の機銃掃射を受けた。犠牲者名簿は現存せず、草場さんは死者100人以上とみて調査を続けている

▼すぐ東海テレビに連絡し男性を訪問、犠牲者が当時27歳の林三夫兵長と分かる。林兵長は果敢に銃撃を縫って車両に戻り負傷者を救出。その4回目に被弾した。虫の息で手帳に「俺は残念。後は頼む」と妻へ記したという

▼「今回はネットの力がうまく働いた」と草場さん。だが身元を特定できた犠牲者はまだ12人。「原爆も投下され敗色濃厚な時期、なぜ罪もない多くの民間人まで殺されたのか。その意味を問い続けるため名前を記録に残したい」と訴える。情報提供は筑紫野市歴史博物館=092(922)1911。
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●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に

2020年01月05日 00時00分27秒 | Weblog


松野穂波記者による、東京新聞の記事【<つなぐ 戦後74年>ゲゲゲの娘、反戦語る 「きなくさい世に」危機感】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019081902000264.html)。

 《「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家の故・水木しげるさんは、太平洋戦争で左腕を失い、その体験を多くの作品に残した。長女で「水木プロダクション」代表の原口尚子(なおこ)さん(56)=東京都調布市=は今夏、戦争を巡る父の体験談やエピソードを初めて本格的に人前で語った。戦争体験者が少なくなる中「戦争に向かうハードルが低くなっている気がする」という危機感が背中を押した》。

   『●「そんな曲が交じっていないか。耳をそばだてる」…
         聞こえるのは、アベ様らの勇ましき進軍ラッパのみ

 「聞こえるのは、アベ様らの勇ましき進軍ラッパのみ。恐ろしい世の中になったものだ。…ニセウヨクに煽られて、アベ様らに喝采を送る読売系や産経系メディアも、正気ではない」…日に日に、酷くなっていく。あらゆるアベ様の政のデタラメさよ。唯一〝うまく行っている〟のが、メディアコントロール。アベ様や自公お維議員達には、「戦争絶滅受合(うけあい)法案」を審議する勇気もない。
 「皇軍兵士として戦場で地獄を見た水木しげるさん、「一番いけないのが戦争です」と。「水木さんの言葉は、戦争したい人々、「死の商人」たち、「戦争屋」たち、自公議員やその支持者達には聞こえないらしい。自公議員に投票できる親御さんや祖父母ら……、ブログ主には彼ら、彼女らの神経が知れない」。

   『●やはりアベ様「の頭は普通じゃな」かった: 
     誰一人止めない、止めようともしない自公議員…決して忘れない
   『●そもそも、子どもたちのためにこそ 
       「ドブガネしている」税金を使ったらどうなのか?
   『●水木しげるさんと堀江邦夫さん:
       原発ジプシーと云う地獄と戦場と云う地獄
   『●「皇軍兵士として戦場で地獄を見た」水木しげるさん、
                    「一番いけないのが戦争です」
    《あれだけ国民をいじめた歴史はないんじゃないでしょうかね》。
    「「皇軍兵士として戦場で地獄を見た水木しげるさん。
     《自由を国家が制限するんですからね。一番いけないのが戦争です
     戦争で死ぬんだと思うと希望もわきませんでした》という水木さんの
     言葉は、戦争したい人々、「死の商人」たち、「戦争屋」たち、自公議員や
     その支持者達には聞こえないらしい。
     自公議員に投票できる親御さんや祖父母ら……、ブログ主には彼ら、
     彼女らの神経が知れない」

   『●桂歌丸さん…《戦争なんて本当に愚の骨頂》
       《あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない》
    《高畑勲野坂昭如大橋巨泉永六輔かこさとし水木しげる
     愛川欽也金子兜太など、戦争を知り、自身の体験をもとに平和を
     希求するメッセージを発してきた戦中世代の著名人が続々と鬼籍に
     入り始めている

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019081902000264.html

<つなぐ 戦後74年>ゲゲゲの娘、反戦語る 「きなくさい世に」危機感
2019年8月19日 夕刊

     (父親の戦争体験を語る水木しげるさんの長女、
       原口尚子さん=名古屋市で(太田朗子撮影))

 「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家の故・水木しげるさんは、太平洋戦争で左腕を失い、その体験を多くの作品に残した。長女で「水木プロダクション」代表の原口尚子(なおこ)さん(56)=東京都調布市=は今夏、戦争を巡る父の体験談やエピソードを初めて本格的に人前で語った。戦争体験者が少なくなる中「戦争に向かうハードルが低くなっている気がする」という危機感が背中を押した。 (松野穂波)

 名古屋市名東区にある戦争と平和の資料館「ピースあいち」で七月二十日、七十人余の聴衆を前に、原口さんはマイクを握った。水木さんが漫画の下書きに「生きようという気持ちがないと神様も助力してくれない」と書き残していたことや、二〇〇三年に叙勲を受けた際に「勲章は戦争で死んだ者にやるべきです」と言った逸話を紹介。「水木は亡くなる間際まで、戦友のことを心に留めていた。漫画家だった六十年間を凌駕(りょうが)するほど、三年間の戦争の記憶は大きかった」と父の思い出を語った。

 水木さんは一九四三年、陸軍二等兵として南方の激戦地ニューブリテン島(ラバウル)へ。ワニに食べられたり、海で生魚を食べようとして喉に詰まらせたりして死んだ仲間も見た。本隊から分かれ、九人の分隊で最前線に送られたが、自分以外の分隊は全滅。上官には「なんで生きて帰ってきた」という言葉を浴びせられた。その様子を「総員玉砕せよ!」などの戦記に残した。

     (戦争体験を語る水木しげるさん
       =2011年10月、東京都調布市で)

 ただ、原口さんが父親から聞いていたのは「現地の人から食べ物を分けてもらったとか、いい話だけ」。過酷な体験は漫画やエッセーで知るしかなく、爆撃を受けた時の心情を聞こうとしても「忘れた」とはぐらかされていた。

 これまで、父と戦争について語ってほしいと頼まれても「表に出たくない」と断ってきた。しかし水木さんは二〇一五年に死去。終戦から七十年以上が経過し、父と同じように戦場を知る人が減ってきた。「きなくさい世の中になっている。戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい」と肌で感じるようになり、今回の講演を引き受けた。

 今後の取り組みは未定だが、読みやすい漫画を通して父の体験を知ってほしいという気持ちは変わらない。「鬼太郎、水木しげる、戦争…みたいに、身近なところから戦争の話を聞くきっかけになれば」
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