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●《他局の方がおっしゃったという「東海テレビはまだ持ちこたえていると思った」の根拠となるような底力を感じます》

2020年05月25日 00時00分53秒 | Weblog


2020年1月のサイゾーのインタビュー記事【東海テレビ『さよならテレビ』映画化記念インタビュー前編 テレビは本当に「終わって」いるのか? 東海テレビ自ら現場に切り込むテレビ報道の“自画像”】(https://www.cyzo.com/2020/01/post_227335_entry.html)。
その後編【東海テレビ『さよならテレビ』映画化記念インタビュー後編 ヤクザに人の生死、そして報道の裏側……東海テレビがドキュメンタリーを作り続けるワケ】(https://www.cyzo.com/2020/01/post_227374_entry.html)。
 アップするのが遅くなりました。1月の記事。

 《自らを取材対象とし、テレビ局、特に報道の現場の今をつまびらかにした(ように見えた)このドキュメンタリーは、企画からして挑戦的だった。結果、テレビ局のリアルな姿に真摯に向き合った様子を示したが、見る人によっては「不都合な真実」のようにも受け取られる内容となった。放送関係者の間では賛否両論が吹き荒れ、あなたの、あの人の、あの部署の反応や見解を知りたくて、東海地域の番組だったにもかかわらず、録画DVDが広がっていったのだった。そんな放送業界に激震を与えた東海テレビだが、ドキュメンタリー番組の劇場公開を複数実施しているという顔も持っている》。
 《東海テレビが制作し、東海テレビの放送エリアだけで流れたドキュメンタリー番組『さよならテレビ』では、自らを取材対象とし、テレビ報道の現場をつまびらかにした挑戦的な企画で話題を呼んでいる。放送業界に激震を与えた同作を視聴した森永真弓氏が、ディレクターを努めた圡方宏史と、プロデューサーの阿武野勝彦に、その制作現場について聞いたこのインタビュー。後編では、制作側の意図を超えた“意外な反応”やテレビ番組のあり方のこれからについて聞いた》。

   『●『創 (12月号)』読了 (2/2)
   『●ドキュメンタリー『死刑弁護人』: 
      バッシングされ続ける「死刑弁護人」安田好弘さん
   『●司法権力の〝執念〟: 映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』
   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
        映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』
   『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評
   『●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)
                     ・・・・・・死刑囚の心の叫び」は届かず
   『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
               死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい

   『●「テレビ業界で煩悩し格闘している人は決して少なくない」
              …「隠された歴史を掘りおこす」地方テレビ局
   『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で、
              「『よく撮って、知らせてくれた』…お褒めの声」
   『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で…
             東海テレビ『ヤクザと憲法』の意味が、今、分かる
   『●《新聞を含むマスコミは…「客観中立で、常に事実と
     正論を語る」という自画像を描き、自ら縛られてきた》

   『●東海テレビ…《テレビの危機的な現状を自ら裸になって提示
         …とはいえ…「テレビ局が抱える闇はもっと深い」》
    《東海テレビ制作の映画「さよならテレビ」の試写を見た。
     数々のドキュメンタリー作品を世に問うたことで知られる同社の
     取材班が、なんと、自社の夕方のニュース番組を制作する報道局の
     現場を2年間にわたって追跡し、2018年の同社開局60周年
     記念番組として放送。言論機関としてのテレビの危機的な現状を
     自ら裸になって提示しようという、その蛮勇ともいえる試みが
     話題になった》

 印象に残った一言。《阿武野 当時の社長が、放送を見て私に聞いてきたのは「この番組はテレビに対する愛があるのか?」です。そこで、僕は「愛がなければこんな番組はできません」とはっきり言いました。それで納得してくれました》。

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https://www.cyzo.com/2020/01/post_227335_entry.html


     (映画 ドキュメンタリー 東海テレビ さよならテレビ)

 昨年から、放送関係者の間で「絶対見たほうがいい」と「裏ビデオ」のように出回り、さまざまな場で話題に上がっていたテレビ番組がある。

 東海テレビが制作し、東海テレビ放送地域で流れたドキュメンタリー番組『さよならテレビ』。自らを取材対象とし、テレビ局、特に報道の現場の今をつまびらかにした(ように見えた)このドキュメンタリーは、企画からして挑戦的だった。

 結果、テレビ局のリアルな姿に真摯に向き合った様子を示したが、見る人によっては「不都合な真実」のようにも受け取られる内容となった。放送関係者の間では賛否両論が吹き荒れ、あなたの、あの人の、あの部署の反応や見解を知りたくて、東海地域の番組だったにもかかわらず、録画DVDが広がっていったのだった。

 そんな放送業界に激震を与えた東海テレビだが、ドキュメンタリー番組の劇場公開を複数実施しているという顔も持っている。

 暴力団事務所に100日間密着し、ヤクザたちの日常を描いた『ヤクザと憲法』。「本当の豊かさとは何か」を樹木希林さんのナレーションで問いかける『人生フルーツ』は、劇場公開で26万人を動員している。「放送エリアではなく見る手段がないだけに、お金を払ってでもどうしても見たい」と思わせる、異色かつ力強いドキュメンタリー作品を世の中に生み出し続けている。そんな東海テレビが、自社の報道局の内幕を部分的に映し出したこの作品。そこには、報道と視聴率、テレビ制作者の置かれた労働環境といったさまざまな問題の、リアルな様子が描き出されている。

 テレビ局の赤裸々な姿が、何故ドキュメンタリー番組の対象となるとテレビ局が考えたのか? どんな意図が、どんな思いがあったのか? 今回、映画化を記念して、マスメディアのマーケティング関係の仕事を手掛け、実際に「裏ビデオ」段階で同作を視聴した森永真弓氏が、ディレクターを務めた圡方宏史と、プロデューサーの阿武野勝彦に聞いた。

◇ ◇ ◇

──2018年9月に東海テレビ開局60周年記念番組として放送された『さよならテレビ』が、2020 年1月2日から映画作品として公開されます。そもそもこの企画は、どのようにして始まったのでしょうか?

圡方 プロデューサーの阿武野に、自分たちのテレビ局を舞台にしたドキュメンタリーを作りたいと話したところ、「自画像」というキーワードを出されました。「自画像」という意味では、まず東海テレビ自身を取材しなければならない。なかでも、他の部署ではなく、撮影する自分たちの自画像を描くべきではないかと考え、自分の所属する報道局に、1年7カ月カメラを置いたんです。

 当初は、そこからバラエティ番組の部署などに取材を広げていくとか、ほかのテレビ局にまでいくとか……いろいろな構想もあったのは確かです。しかし取材を重ねるうちに、様々な組織を追うよりも、登場人物たちに迫ったほうがドキュメンタリーとして魅力的になるなと。さらに同じ場所で撮影を続けることで、組織の変化や揺れ動きも浮き上がって見えてくる。結果的に報道局のみに焦点を絞った内容になりました。

阿武野 テレビの歴史は、報道から始まりました。報道は一番根っこの部署です。だからテレビらしさは、報道に凝縮していると思うんです。報道を追いかけることで見えてくる問題は、バラエティなどにも共通すると思うんです。いろいろな部門でカメラを回せば良かったと思うのですが、後日「『さよならテレビ』営業版も作ってほしい」と営業局長から言われました。


「撮るな!」のシーンが業界内で波紋

──ほかの局にも話を広げる可能性があったんですね。映像の中では、報道局にカメラを置こうとすると、部署内に不穏な空気が漂い、撮影スタッフに対してデスクが「撮るな!」と怒りを顕にする部分もありました。あれはネットで書かれがちな「テレビ局の闇!」のようなステレオタイプな悪いイメージを象徴するシーンが、そのまま現れたようにも見えました。

阿武野 闇だなんて。そんな意図はありません。そんなにこの取材は歓迎されていないというジングル程度だったのですが、東京キー局のキャスターが「テレビは今みんなこんなだよ、でもうちはもっとひどい」と言ったので、ちょっとびっくりしました。テレビの業界全体的に、現状を憂う人は沢山いて、「今変われないとまずい」という共通認識がある。そう考えている人たちを刺激したシーンの1つですね。

圡方 そうですね。ただ、あの「撮るな」というシーンを見て、あるテレビ局関係者からは「東海テレビはまだ持ちこたえていると思った」と反応もあったんです。

──「持ちこたえている」というのは……「自分のいる現場よりはマシ」に見えた人もいたということでしょうか?

圡方 いま、テレビ界には、撮られることを嫌だとすら感じなくなっているほど、機械的に仕事をしている人も多いということなんです。特にキー局は組織が大きいですし、仕事がシステマティックになっている分、問題も深いのかもしれません。「撮られることを嫌がるというのは、まだ自意識もあり、撮られる人の気持ちもわかるという人達が集まっている現場の証拠なんじゃないか」ということだと思います。

── 放送後、業界にDVDが出回って、各方面からの感想を聞かれたと思います。「えっ? そんなこと考えるんだ?」と、制作者からするととても驚いたもの、想定外だったものなどはありましたか? 逆に「想定内、想定内」と思ったこととか。

阿武野 全体的に、見る人によって感想が全く異なっていますね。経営者、管理職、社員、組合員、派遣、請負い、アルバイトなどいろいろですね。驚きなのが、「これはみんな演じているのか?」と聞いてくる人も結構多かったですね。

圡方 だいたい全部驚きましたよね。「そんなとこ気になるんだ!」、「そんな解釈するんだ!」って。「最後救われました」って言った人もいて、正直「へえ、そうなんだ」って。

阿武野 そもそもこのDVDがこんなに出回ったことが驚きでしたね。凄まじい数だったと思うんです。東海、北陸、東京だけでなく東北、九州、北海道でも「アレ見ました」と声をかけられましたし、名古屋ローカルの番組の影響がこんなに広がったことが驚きでした。「どうやったら見られますか」と聞かれたこともたくさんありました。ローカルで放送したドキュメンタリーが何の賞を取ったでもなく、こんなに反響があることは、今までないですね。
 その中で、ジャーナリズム関連の本を本棚にずらりと並べていた澤村慎太郎記者のシーンについて、さまざまな人から「あれは本当なのか?」という声をもらいました。「この場面がそんな気になる?」って、ねえ?(圡方氏を見る)

圡方 でしたねえ。


澤村記者の本当の姿はそう簡単に解釈できない

──その澤村記者のシーン、私もかなり気になったんですよ。「今のテレビは大切なものを伝えていないのではないか」と問題意識を投げかける、ジャーナリスト意識が高い澤村記者が、ものすごく熱く語っているのに、映像では本人ではなく執拗なまでに部屋の本棚にずらっと並ぶ、ドキュメンタリ関連の新書が並ぶ様子を映し続けていたのが印象的でした。

阿武野 あれ実は、ロケ用のセットなんです。

──ええええええ!?!?

阿武野 ……と、言うと、みんな「ほーっ」て、信じてしまう(笑)。

──え、あ、ちがうんですね、ほんとに? ちがうんだ、良かった……いや本当に、本当に信じかけましたからね?(笑)。「やだこれ人に言えないじゃん」と思ってしまいましたよ。ああびっくりしました。……一応念の為確認しますけど本当にセットじゃないんですよね?

阿武野 (笑)。それくらい、どこが現実で、どこがフィクションなのかわからなくなってしまうんでしょうね。それこそ、製作者の術中ですよ。

──正直なところ、あの本棚に並ぶ本をずっと見ているうちに、澤村さんは魂を持って行動する真のジャーナリストなのか、それとも、ジャーナリズムの本をひたすら読んでいるだけのジャーナリストに憧れているだけのサラリーマンなのか、どちらなんだろうかと不安を覚えたんですよね……。

阿武野 そうなんです。あの本棚の並びを見て「あんなに様々な本を読んでいる、澤村記者は素晴らしいジャーナリストだ」と感じる人もいました。一方、映像の中には「このネタは今行かないとだめですよ」と圡方にけしかけられ、煮え切らない部分も描かれています。反発しながらも、しっかりドキュメンタリー制作に協力しているシーンも出てくる。澤村記者の本当の姿は、そう簡単に解釈できません。私たち製作者が思う以上に、いろんな見方をされるんだなとも感じました。
 ただ、澤村記者が勉強家であることは確かです。今のテレビ局の記者はあんなに勉強してません。そもそもあの映像に写っている本は、彼の蔵書の本のごく一部だそうです。実に勉強家です。

圡方 僕は澤村記者と話していて「こんなに勉強しているのか」と驚いた方なんです。確かに、映像に写っている本の傾向はイデオロギー的に偏っているように思えますが、彼は、内容はもちろんその背景までをもしっかりと読み込んでいます。右であれ左であれ、あれだけ本を読んでいるテレビマンはあまり見かけません。「事件をどのように報じるべきか?」「メディアはどうあるべきか?」「自分は事件から何を感じているのか?」といった、メディアの倫理を考えて仕事に取り組んでいる人は、今のテレビの世界には少なくなっているんじゃないでしょうか。自分の意見があるというか。もっと上の世代にはいたのかもしれないのですが。
 自分を含め、最近のテレビの人間は「どうやったら見てもらえるか」あるいは、もっと消極的に「どうやったら叩かれないか」と、受け手の反応だけを過剰に意識して制作している人が少なくありません。映像の中にあるように、澤村記者から「テレビの闇はもっと深いのではないか?」と問われて、自分自身も答えられませんでしたからね。

──あれは、本当に言い淀んでいたんですね。「相手の反応をもっと引き出すために敢えて答えない」という手法なのかととらえてしまっていました。実は「ここで黙って更に言わせようとするのはちょっと意地悪だなー」とまで思っていたんですが、考えすぎだったんですね(笑)。そんな、言い淀んでしまった部分を、あえてカットせずに使ったのはなぜでしょうか?

圡方 え、そんな見方をされてたんですね。面白い。あれはもう、本当に答えられなかっただけですよね。意見を持っているという段階で、澤村記者を単純に凄いと思っていました。情けない姿ではありますが、僕自身もまた東海テレビの社員であり、報道局に所属しているメンバーであり、ドキュメンタリーの取材対象の1つなんですよね。そういう意味で、典型的なテレビ局社員の姿として「答えられない」姿を残したほうがいいなと。


いつの日か、東海テレビも生まれ変わるかもしれない

──え? 圡方さんも、取材対象の中の人ということですか?

阿武野 そうです。圡方自身ニュースデスクであり、よく見ると、映像の中で圡方が通常業務中に上司から怒られている姿も映し出されています。自分たちを描く以上、自分の足場までを含めてしっかりと見せていかなければならない。だって、自社の報道局を映している以上、カメラは自分にも向いているんですからね。

──まさに「自画像」として作っているんですね。

阿武野 はい。カメラを自分に向けるには、尋常じゃない覚悟が必要です。よく、他のテレビ局の人が「うちではこんな企画はできない」と言うのですが、とても残念に思います。「できない」のではなくやらないだけ。それは、覚悟もないまま発せられる言葉なんです。
 今回の企画を通じて、さまざまなテレビ局の方々と勉強会をしました。今のテレビは破局に向かって切迫しているんじゃないか、自分たちの時代感覚はどうなのか?これをきっかけに、若い人たちがいろいろな表現にチャレンジしてくれたら嬉しいと、いろいろなところに出向きました。名古屋発で描いた自画像が、いろいろなところで、いろんな受け止められ方をして、いつの日か、東海テレビも生まれ変わるかもしれない。
 『さよならテレビ』は、テレビの世界に波風を立てました。この波風を追い風にして、若い人たちには冒険して欲しいんです。


インタビュー|森永真弓

構成|萩原雄太(かもめマシーン)

阿武野勝彦
1959 年生まれ。同志社大学新聞学科卒業、81 年東海テレビ入社。アナウンサーを経てドキュメンタリー制作。 主なディレクター作品に「村と戦争」(95・放送文化基金賞優秀賞)、「約束~日本一のダムが奪うもの~」(07・ 地方の時代映像祭グランプリ)など。プロデュース作品に「とうちゃんはエジソン」(03・ギャラクシー大賞)、「裁判長のお弁当」(07・同大賞)、「光と影光市母子殺害事件 弁護団の 300 日~」(08・日本民間放送連盟賞最優秀賞)など。 劇場公開作は『平成ジレンマ』(10)、『死刑弁護人』(12)、『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(12)、『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(13)、『神宮希林』(14)、『ヤクザと憲法』(15)、『人生フルーツ』(16)、『眠る村』(18)でプロデューサー、『青空どろぼう』(10)、『長良川ド根性』(12)で共同監督を務める。個人賞として、日本記者クラブ賞(09)、芸術選奨文部科学大臣賞(12)、放送文化基金賞(16)など。東海テレビドキュメンタリー劇場として、菊池寛賞(18)。

圡方宏史
1976年生まれ。上智大学英文学科卒業、98年東海テレビ入社。制作部で情報番組やバラエティ番組のAD、ディレクターを経験したのち09年に報道部に異動。遊軍としてメイン企画コーナーのVTRを担当する。11年、12年に日本の農業や交通死亡事故をテーマにした啓発キャンペーンCMなどを製作。『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(13)でドキュメンタリー映画を初監督。公共キャンペーン・スポット「震災から3年~伝えつづける~」で、第52回ギャラクシー賞CM部門大賞、2014年ACC賞ゴールド賞を受賞。公共キャンペーン・スポット「戦争を、考えつづける。」で2015年ACC賞グランプリ(総務大臣賞)を受賞。2016年、監督第2作となる『ヤクザと憲法』(15)を劇場公開し大反響を呼ぶ。
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https://www.cyzo.com/2020/01/post_227374_entry.html

東海テレビ『さよならテレビ』映画化記念インタビュー後編
ヤクザに人の生死、そして報道の裏側……東海テレビがドキュメンタリーを作り続けるワケ
文=日刊サイゾー編集部(@cyzo)

     (映画 東海テレビ さよならテレビ ドミュメンタリー)

 東海テレビが制作し、東海テレビの放送エリアだけで流れたドキュメンタリー番組『さよならテレビ』では、自らを取材対象とし、テレビ報道の現場をつまびらかにした挑戦的な企画で話題を呼んでいる。

 放送業界に激震を与えた同作を視聴した森永真弓氏が、ディレクターを努めた圡方宏史と、プロデューサーの阿武野勝彦に、その制作現場について聞いたこのインタビュー。後編では、制作側の意図を超えた“意外な反応”やテレビ番組のあり方のこれからについて聞いた。

◇ ◇ ◇

──『さよならテレビ』の制作後、社内ではどのような反響があったのでしょうか? 作中に「試写会は必ずする」という約束が出てきましたが、結局試写会の様子は描かれていませんよね。

圡方 作品として全体を見たときに最後に、更に社内でのハレーションを加える必要はないなと思ったので入れませんでした。ちなみに試写で揉めたということはなかったです。どちらかといえば阿武野プロデューサーの作戦が凄くて……。直す時間がないというオンエアの2~3日前に試写をやって、感想を聞く場もなく即解散という。まああのあと各々は飲み会なんかして話し合ったりしたのかなあと思いますけど。

阿武野 ドキュメンタリーは、取材対象に放送前に見せないものです。身内を描こうが、外部を描こうが、それは同じで良いと。でも、行きがかり上、試写会を開くと約束してしまった。だけど、試写をしたら、それで終わり。ありがとうございましたと。放送直前に、ああだこうだ言われても困りますし、意見聞いてもそれを反映して編集し直すことはしないですからね。いつもと同じですが、取材者と取材対象は、放送について議論する必要はないと思いました。意見は、放送後にいつでもたっぷり寄せなさいよと。

──放送後、意見を聞く場をもうけたのですか?

阿武野 放送終了後に、全社に呼びかけて質疑応答のティーチ・インを開催しました。かなり厳しい反応も飛び交いましたね。特に、50代以上のベテラン層からは「とんでもないものを放送した」「東海テレビのイメージを毀損しているんじゃないか」「敢えてよくないイメージだけを切り取って作っているのではないか」という意見を浴びせかけられました。

圡方 年齢やキャリアの長さで反応は違いましたね。年齢を重ねた社員は、仕事と自分のアイデンティティが一体化している人も多い。そうなると、テレビのマイナス面を描かれたことが、あたかも自分自身が傷つけられたように感じられたようです。

──そんな反応を浴びて、どのように返答したのでしょうか?

阿武野 「自分のつま先だけを見て言わないでほしい。もっと遠くに視線を投げてほしい」と反論しました。50代のテレビマンは、まだテレビの影響力が大きいうちに退職を迎えられる、いわば逃げ切り世代です。しかし、もっと先を見て手を打っていかなければ、若い世代にこの組織をつないでいけません。ティーチ・インでは、若い世代は、この番組を「面白いと素直に言えない組織はヤバイ」と言ったし、「もっと自由に表現をしていいんだ」ということに気づいてくれたようでしたね。


■この作品を見た上層部の反応は?

──テレビ業界の中でも、世代によって反応が異なるんですね。もう1つ気になるのが、これを見た上層部の反応です。どのように見たのでしょうか?

阿武野 当時の社長が、放送を見て私に聞いてきたのは「この番組はテレビに対する愛があるのか?」です。そこで、僕は「愛がなければこんな番組はできません」とはっきり言いました。それで納得してくれました。

──なるほど。上層部の理解があったからこそ、業界全体の話題をさらうような企画が成立したんですね。他局の方がおっしゃったという「東海テレビはまだ持ちこたえていると思った」の根拠となるような底力を感じます。
 さてこれまで、東海テレビのドキュメンタリーは『人生フルーツ』や、『ヤクザと憲法』など11本が映画化されていますが、今回『さよならテレビ』も映画として公開されました。

圡方 『さよならテレビ』の場合、放送の時点から映画化が決まっていたわけではなかったです。テレビバージョンをつくったあとに、これは全国の人々に見てもらったほうがいいということになり、映画化の話が進んでいったんです。

阿武野 これまで、東海テレビのドキュメンタリーは11本を映画として公開してきましたが、いつでも公開する時には恐怖を覚えます。テレビで放送することも怖いけれども、映画の観客は、映画館でお金を支払って見に来ますよね。そんな人々の反響はいつもすごく怖いし、その分、とても楽しみです。

──テレビ放送版と映画版両方を見させていただいて感じたことがあります。テレビ放送版は「テレビの報道現場の今はどうなっているのか」がテーマですが、映画版になってそこに「ドキュメンタリーとはなにか」というテーマが加わったんじゃないか、と。

圡方 へえ! それはまた新しい感想です。どのへんでそのように感じられました?

──テレビ放送版よりも作品の長さがあることによって、シーンが増えてますよね。その増えた分の中に、敢えてきつい表現を選ぶならば「露悪的」というか、「実はここ、こういう仕込みをしてました」と制作のネタバラシが多く含まれている印象を受けまして。ありのままを切り取るはずのドキュメンタリーでそこを見せるというのは、問題提起したいことのひとつなのかな、と感じたんです。

圡方 それは考えすぎかもしれません(笑)。そもそもの制作の工程をお話すると、まず今回の映画版とほぼ同じ長さのものを作ったんです。で、そこから削ったのがテレビ版です。もともと映画になったらいいね、と意識して作ったというのもありますし。その後、映画も作ろうということで、もともとの長さのものを生かしたという形ですね。なので、映画に作り変えるときになにかテーマを足したということはないんです。たまたまそう見えたってことなんじゃないでしょうか。

──なるほど……。映画版でも、テレビ版でも、作り手側が恣意的に加えた変化はないということなんですね。いやたしかに、深読みしすぎでした(笑)。
 ところで、ドキュメンタリーを映画で上映することに対して、東海テレビは積極的ですが、ネット配信やDVD販売などはしていませんよね。これはなぜなのでしょうか?

阿武野 みんなが流れていく方向に行くのはあまり好きではないというのもありますね。一人の世界で、ネットで楽しんでもらうよりも、映画館に足を運んでもらい、不特定多数の人とともに、周囲の息遣いを感じながら作品を見てもらいたいというのが希望です。テレビがパーソナルメディアになっていっているからこそ、ネット配信やDVDといったよりパーソナルな方向ではなく、映画というソーシャルな方に向かうことが大事なのではないかと考えています。

──パーソナルな形で受容されてしまう一方、より多くの人々に見てもらうことがでるのがネット配信の魅力です。それを捨てでもやらないのは、どんな考えからなのでしょうか?

阿武野 ネット配信の場合、どうしてもお手軽で「消費」というイメージがあります。そうではなく、自分たちの作品の、もっと大事な手渡し方があるのではないか。それに、もしも、これまでの作品もネット配信をしていたら、ここまで東海テレビのドキュメンタリーに注目してもらえることはなかったでしょう。映画館でしか見られないからこそ、特別感がある。ただ消費されるものにならないような手渡し方の工夫があってもいいんじゃないかなと

圡方 僕自身、通勤途中などでNetflixを見ていますが、どうしても細切れになってしまいますよね。映画館で見た時には涙するほど感動的だったはずの作品が、配信で通勤時間で細かく割って少しづつ見ると、あの時の感動がすっかりと抜け落ちてしまうんです。ディレクターとしては、自分の作ったドキュメンタリーがそのように消費されるのはやはり寂しいなと思ってしまうんですよね。最後まで集中して見た結果、生まれるリアクションを見たいんです。
 映画館ならば、最初から最後まで集中して見てもらうことができる。そして、上映後には見た人のリアクションにも直接触れることができます。テレビやネットなどでは、視聴者のリアクションを見ることはできないですからね。


■観客の反応が帰ってくる場所に身を置くと気持ちが生き返る

阿武野 私たちの製作スタッフは、映画館に足を運び「お客さんがこんなふうに笑っていた」「こんなポイントで泣いていた」と報告しあいます。テレビとは違って、観客の反応が帰ってくる場所に身を置くと、作り手としての気持ちが生き返るような気がします。ネット配信に比べれば少ない人数なのでしょうが、そんな反応を得ることは代え難いものです。

──では最後に。『さよならテレビ』は、映画館でどんな反応が返ってくると思いますか?

阿武野 怖いですよね。テレビも不特定多数に出す怖さがありますが、映画はお金を出して映画館に観に来てくれる生身の人たちですから、凄く怖いです。でも、それは、すごく楽しみでもあります。

圡方 自分たちのことを描いているので、極論すれば「これはドキュメンタリーなのか」さえも自分ではよくわからないんです。自分自身20年以上テレビの現場で働いているベテラン選手なので、用語とか業務の流れとか当たり前に感じていることが多すぎて、一般の人たちが見て何がわからないのかもわからないんですよね。どこに常識のラインを置くかということもとても気をつけました。

──業界で話題になったときとはまた違った種類の感想も出てくるかもしれないですね。

圡方 おそらく、みんなが「満足せず」に帰るのではないかと思っています。『さよならテレビ』は、テレビのいい部分を描くわけでもなく、かといって、ありがちな『テレビの闇』を描いているわけでもない。テレビを取り巻く構造には問題が多いものの、そこで働く個人を見れば、決して憎めないことがわかります。スッキリとわかりやすい結論を得られる内容ではないんです。よくまとまっていた、って言われるのが作り手としては一番悲しいんですよね。


インタビュー|森永真弓
構成|萩原雄太(かもめマシーン)
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