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●「皇軍兵士として戦場で地獄を見た」水木しげるさん、「一番いけないのが戦争です」

2015年12月09日 00時00分36秒 | Weblog


東京新聞のコラム【【私説・論説室から】戦争と水木しげるさん】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015120702000134.html)。

 《あれだけ国民をいじめた歴史はないんじゃないでしょうかね》。

 「皇軍兵士として戦場で地獄を見た」水木しげるさん。《自由を国家が制限するんですからね。一番いけないのが戦争です。戦争で死ぬんだと思うと希望もわきませんでした》という水木さんの言葉は、戦争したい人々、「死の商人」たち、「戦争屋」たち、自公議員やその支持者達には聞こえないらしい。自公議員に投票できる親御さんや祖父母ら……、ブログ主には彼ら、彼女らの神経が知れない。

   『●水木しげるさんと堀江邦夫さん:
      原発ジプシーと云う地獄と戦場と云う地獄

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015120702000134.html

私説・論説室から
戦争と水木しげるさん
2015年12月7日

 妖怪漫画の水木しげるさんが九十三歳で逝った。かつて何度かお目にかかる機会があったが、「『わが憲法』で生きてきた」という言葉が印象に残っている。

 「軍隊でも『わが憲法』で行動したから、殴られるのは毎日でした」というように、その言葉を使った。鳥取の連隊でラッパ卒になったときのことだ。うまくラッパが吹けない。水木さんは「やめさせてくれ」と上官に直訴した。すると、「南方がいいか、北方がいいか」と聞かれ、「南」と答えたら、パプアニューギニアの激戦地に送られてしまった。

 軍隊でも気を付けをしなかったり、敬礼をしなかったり…。それどころか、人よりも余計に眠るのが得意だったという。

 「起きるのは一番遅い。起きて働くに値するような仕事は、なかったですよ」

 現地の人の集落に入り浸った。終戦後は「ここの人間になれ」と勧められ、「本当に残ろうかなあ」と思って、軍医に相談してもいる。軍医もさぞや驚いたことだろう。

 「自由を国家が制限するんですからね。一番いけないのが戦争です戦争で死ぬんだと思うと希望もわきませんでした。ものすごい重圧でした。あれだけ国民をいじめた歴史はないんじゃないでしょうかね」

 戦争で左腕を失う過酷な体験をしても、漫画の筆を執り続けた人の「わが憲法」には、「反戦」の文字がある。 (桐山桂一
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