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●続・「死の町」にした者こそ糾弾されるべきではないか?(2/2)

2011年09月25日 00時02分58秒 | Weblog


つづき

 次に、東京新聞社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011092002000054.html)および筆洗(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011092002000039.html)。
 映像資料「2011915[5 /6]「原発とメディア」シンポジウム 1」(http://www.youtube.com/watch?v=_ihUFBCn1u8&NR=1)の上杉隆氏や森達也さん、高田昌幸氏(司会は篠田博之さん)の関連したコメントも是非聞いてみてください。被害住民・被爆住民になり代わっての過剰な反応、被害住民・被爆住民の気持ちの過剰な忖度、その部分は死刑制度の議論に似ていると思った。(このシンポに関しては、『創』出版のhttp://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2011/09/15-2.html。また、鎌仲ひとみ氏や雨宮処凛さん、鈴木邦男さん、山本太郎氏の第2部http://www.youtube.com/watch?v=wXuTvHAV0Mg&feature=relatedもどうぞ。)

 それにしても、小皇帝 都知事の真に差別的言質は大して問題にもされず、都民は平気で選挙も通すし、マスコミは全くバカ騒ぎすることがない。東京電力 福島第一原発人災というFUKUSIMA直後も「東京に原発を」とまで言う訳ですから、原発推進派であり、虎の尾を踏んだ訳ではいないからでしょうね。マスコミの挙動、全く不思議です。


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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011092002000054.html

【社説】

メディアと政治を考える 自由な言葉あってこそ

2011920

 政治家の発言をメディアが報じることで現実の政治が動く。そんな事例が相次いでいる。分かりやすい結末を追い求める落とし穴にはまっていないか。
 鉢呂吉雄前経済産業相が一連の「問題発言」の責任をとる形で大臣を辞任したのは、就任わずか九日目だった。
 問題とされた発言は二つある。まず九日の会見で福島第一原発周辺の地域を「人っ子一人いない。まさに死の町」と呼んだ件。次いで、同日夕から翌朝にかけて一斉に報じられた「放射能をうつしてやる」という記者への発言だ。

しゃくし定規の息苦しさ
 後者の放射能発言は鉢呂氏が原発周辺の自治体視察から東京・赤坂の議員宿舎に帰ったとき、宿舎のエントランスで記者団に囲まれた際に語った発言である。
 鉢呂氏は記者との懇談を非公式なものと認識しており「発言内容自体も正確には覚えていない」と釈明している。録音記録も残っていないようだ。
 いずれの発言も大臣として不適切な発言として批判を浴びて、当初は説明を尽くす考えだったが、放射能発言が報じられた十日夜になって結局、辞任を表明した。
 たしかにテレビカメラも入った会見で「死の町」という表現は適切とは言えない。ただ、絶対に許されないほど不穏当だったかと言えば、議論の余地は残る
 後に明らかになったことだが、細川律夫前厚生労働相も五月の参院行政監視委員会で民主党議員の質問に答えて「町全体が本当に死の町のような印象を受けました」と語っている。
 本紙を含めて新聞も「ゴーストタウン」という表現を使ってきた死の町」はだめだが「ゴーストタウン」ならいい。そんなしゃくし定規な議論が広がるようになっては、なんとも息苦しい。

言葉狩りのメカニズム
 放射能発言も気になる点がある。発言があったのは八日夜だが、同夜も翌朝もメディアは一行も報じていない。ところが、九日の「死の町」発言が明らかになった後の同日夕からテレビ、新聞が大きく報じ始めた。
 そこには「批判スパイラル」とも呼ぶべきメディアの特性がある。いったん批判の標的を見つけると、さらなる批判の材料を追い求め、スパイラル(らせん)状の軌道に乗ったかのように一斉に標的を追い詰めていくのだ
 メディア各社はみな激しく競争している。一社が書けば、他社が後追いする。そこには多少の疑問があっても一応、批判の輪に加わらなければ、それ自体が意図的な報道回避と受け取られかねないという懸念も働いている
 発言があった日から一日遅れになった今回の放射能発言報道は、そんなメディア全体の電子回路にスイッチが入ってしまったような展開だったのではないか。
 どんなタイミングでどんな内容を報じるかは、メディアの裁量である。たとえ非公式なオフレコ発言であったとしても「報じるに値するかどうか」の判断はメディア自身に任されるべきだ。それは言論報道の自由と不可分である。
 その点を指摘したうえで、多くのメディアが「批判スパイラル」一色に染まっていく状況を恐れる。それは言論や価値判断の多様性という社会の根幹をむしばむ事態につながりかねないからだ。
 それぞれのメディアが自由に判断した結果、同じような報道のトーン、価値判断に陥っていくとすれば、なおさらである。「批判スパイラル」が実は「同調の言葉狩り」になってしまう。それは多様性の尊重とは真逆の事態と言ってもいい。
 批判スパイラルを加速させた背景には「問題はいずれ国会で大騒ぎになる」という判断がある。そういう見通しを織り込んだ記事もあった。メディアだけにとどまらない。鉢呂氏自身も辞任に際して、その点を考慮しただろう。
 ともに「国会で問題になる」という見通しを前提にして、メディアは記事を書き、政治家は身の処し方を考える。結果があっけない大臣辞任という幕切れだった。
 問題発言で大臣が辞めたのは、菅直人政権で二〇一〇年十一月に辞任した柳田稔元法相、ことし七月に辞任した松本龍前復興相に続いて三人目だ。輿石東幹事長は放置できないとみて、情報管理を徹底する方針を打ち出した。

不自由さが自殺行為に
 問題発言がメディアで批判され、国会紛糾を恐れるあまり、大火事になる前に先手を打って大臣を辞める。そんな展開が当たり前のようになってきた。
 自戒を込めて書く。メディアも政治家も少し冷静になろう。考える時間が必要だ。言葉で仕事をしているメディアや政治家が、言葉に不自由になってしまうようでは自殺行為ではないか。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011092002000039.html

【コラム】

筆洗

2011920

 福島第一原発の事故で、亡くなった人は一人もいないじゃないか-。原発推進派には、こんな発言をする人もいる。慣れない避難所生活の中、持病を悪化させて亡くなったお年寄や、将来を悲観して自らの命を絶った農家や酪農家の姿は見えないのだろうかそんなことを考えている時、哲学者である内山節さんの近著『文明の災禍』を読んだ。原発事故が奪ったのは住民の未来の時間であるという。「人間の営みが未来の時間を破壊した。日本では、おそらくはじめて」。その思想の射程の深さに共感した殺人は被害者の未来の時間を破壊する。原発の事故は地域の未来の時間を丸ごと破壊する。「未来の時間を破壊することが平気な社会、それは恐怖に満ちた社会である」という哲学者の問い掛けは重い未来の時間を奪われた土地は「死の町」そのものである。前経済産業相の発言も長期間、人が住むことができない福島の厳しい現実を直視する契機になれば、意味があったのかもしれないきのうも全国で脱原発を求める行動があった。作家の大江健三郎さんらの呼び掛けで東京で開かれた集会には、過去最大の六万人が参加した。うねるようなにぎやかな人の流れが、ゆっくりと繁華街を通りすぎる先頭を歩いたのは、福島の人たちだった。二度と私たちの未来を奪わないで。そんな心の叫びが聞こえてきた。
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 最後に、videonews.comの映像資料(http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/002066.php)。東京新聞論説委員の重要な証言。やはり「原子力癒着ムラ」の官僚の人事という大虎の尾を踏んでしまった、というのが裏の真相だったようです。こんなことやってて(経産省の官僚にこんなことやられてて)、民主党は本当に大丈夫か!? 映像の中で指摘されているが、枝野経産相に本件(原発推進反対派が委員会のメンツに居ない旧人事のままであれば)を突き付ける度胸のあるマスコミ記者がいるかどうか? 案外、経産省が墓穴を掘ったのかも??

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http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/002066.php

ニュース・コメンタリー (2011年09月17日)
鉢呂大臣の辞任は脱原発人事の発動直前だった
インタビュー:長谷川幸洋氏(東京新聞論説委員)


 「死の街」、「放射能をつけちゃうぞ」などの発言の責任を取り、就任9日目の9月11日に辞任した鉢呂吉雄前経産相は、脱原発政策を実行に移すための人事を発表する直前だったことが、東京新聞論説委員の長谷川幸洋氏の取材でわかった。
 長谷川氏は、鉢呂氏が辞任した翌日の12日に鉢呂氏に単独でインタビュー取材した。鉢呂氏はこれからの日本のエネルギー政策を決める総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)の委員に多数の脱原発派を送り込むことを決め、既に事務方に指示していたことを明かしたという。 長谷川氏によると、鉢呂氏は現在の委員構成が15人のうち12人が原発推進派で占められていたため、これでは福島後の議論は期待できないと考え、新たに9~10人の反原発・脱原発派の委員を追加任命する意向だった。その委員候補リストまで事務方に渡していたという。
 長谷川氏は「人事は官僚にとって最大の権力の源泉そこに介入されることは、官僚がもっともいやがること」「鉢呂氏は虎の尾を踏んだ」と経産官僚による辞任工作あったとの見方を示すが、具体的にどのような経緯で辞任に至ったかについては、取材中という。
 長谷川氏はまた、鉢呂氏には「放射能をつけちゃうぞ発言」をした覚えはなく、その時の映像や録音テープも存在しないとみられることから、かなりの歪曲があった可能性もあると指摘している。
 政治と官僚の関係を長年ウオッチしてきた東京新聞の長谷川幸洋氏に、鉢呂氏辞任の裏面を聞いた。

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