様々なお茶の本、利休の本、があるけれど、現代の私達世代に一番手の届く言葉で書いてくれているのが、
赤瀬川原平 「千利休 無言の前衛」
利休のつきあいは、勅使河原宏監督が、野上弥生子の「秀吉と利休」を映画にする際、脚本を赤瀬川氏に指名したところから始まったのだそうだ。
勅使河原宏氏は、草月の先代の家元で、イサムノグチとの交流や、「砂の女」などの映画監督もしていたし、造形作家でもあるし、青山二郎とも対談しているし、
昭和のある時期、前衛の旗を振った人だ。
私にとっても相当興味をそそられる、濃い人間である。
きっと彼もまた、新しい利休を、お茶を伝えたかったのかもしれない。
その家元から、オファーが来たのだ。
そして、やむなく赤瀬川氏の利休を追いかける話が始まる。
利休や、お茶を語るときに、どうして、
トマソン物件・四谷階段
路上物件・壺庭
古新聞
などが取り上げられるのか。
しかし、ハタと気がつくのだ。
受けた。
気がつくこと。
見つけること。
実践してみること。
現代の世の中に利休が現れたら、いったいどんなお茶をされるだろうか?
書の中の一文がリアルに見える。
マラソンコースの先頭集団では利休が切腹し、織部も切腹し、さらに何人もの鋭
敏な茶人たちが、一瞬一瞬の先頭を切り合いながら走りつづけている。そのはる か後方を、Dグループ、Eグループといくつもの集団が、走ることを形式美とす る中をゆっくりと根がのびるようにつづきながら、枝が伸び、葉が繁り、鬱蒼と した森林となってどこまでも連なっているのが見えるのである。
さすが、われらの日本美術応援団だ。
山本祐二先生の笑う顔も見えてくる。
そして、もっともらしい顔をして、青山二郎が
珠光の恋愛を、紹鷗が芝居に書いて、利休が演じたともいへる。
といって粉引きの徳利に立山あたりの酒を入れ、
無地の唐津の猪口でからすみを肴にしている。
ここまでくれば、もはや、私の追いかける相手ではないことが明白。
そもそも、追いかけようと思ったことが間違いの始まり。
しかし、しかし。
至らぬ現代人の端くれとして、今、過去の前衛の影に酔いしれている感動があってもいいでしょう。
時代は、相変わらず愚かで、未熟だし、
人間もあんまり変わっちゃいないのかもしれない。
ただ、先人達の積み重ねは、文句の言いようもない絢爛としたものなのだ。
残された形骸を、大切にして、
それからまた考えてもいいのではないかとも思った。
そこから、また新しいものが生まれたら、
きっと利休も喜んでくれるに違いない。
今のお茶を嘆くのは簡単だ。
さぁ、新しいお茶、やりましょう。
権力も、名物も、権威も、位もなんにもない、ゆるやかな無邪気な
お茶があるに違いないと思うのだ。
誰に知られなくとも、普段のお茶が、一番幸せなことも。
創意工夫。
それさえあれば。
赤瀬川原平氏、よろず重たい利休やお茶の本が数ある中で、
この本が一番納得がいく、利休の話となった。
歴史や、茶碗、陶器などの茶器の専門書は、
資料として、大切ではあるけれど。
また、改めて、野上弥生子の「秀吉と利休」を読まなければ、と思ったのだった。(本はずっと本箱の主となっている。)
それと、気になる人物、山上宗二。
彼は、利休の愛弟子であったにもかかわらず、秀吉に耳鼻をそぎ落とされたという。何があったのか?それを知った利休は、秀吉にどう向かったのか?
調べていたら、本が出ていた。
やはり、気になる人物に違いはない。
ご参考までに。
赤瀬川原平 「千利休 無言の前衛」
利休のつきあいは、勅使河原宏監督が、野上弥生子の「秀吉と利休」を映画にする際、脚本を赤瀬川氏に指名したところから始まったのだそうだ。
勅使河原宏氏は、草月の先代の家元で、イサムノグチとの交流や、「砂の女」などの映画監督もしていたし、造形作家でもあるし、青山二郎とも対談しているし、
昭和のある時期、前衛の旗を振った人だ。
私にとっても相当興味をそそられる、濃い人間である。
きっと彼もまた、新しい利休を、お茶を伝えたかったのかもしれない。
その家元から、オファーが来たのだ。
そして、やむなく赤瀬川氏の利休を追いかける話が始まる。
利休や、お茶を語るときに、どうして、
トマソン物件・四谷階段
路上物件・壺庭
古新聞
などが取り上げられるのか。
しかし、ハタと気がつくのだ。
受けた。
気がつくこと。
見つけること。
実践してみること。
現代の世の中に利休が現れたら、いったいどんなお茶をされるだろうか?
書の中の一文がリアルに見える。
マラソンコースの先頭集団では利休が切腹し、織部も切腹し、さらに何人もの鋭
敏な茶人たちが、一瞬一瞬の先頭を切り合いながら走りつづけている。そのはる か後方を、Dグループ、Eグループといくつもの集団が、走ることを形式美とす る中をゆっくりと根がのびるようにつづきながら、枝が伸び、葉が繁り、鬱蒼と した森林となってどこまでも連なっているのが見えるのである。
さすが、われらの日本美術応援団だ。
山本祐二先生の笑う顔も見えてくる。
そして、もっともらしい顔をして、青山二郎が
珠光の恋愛を、紹鷗が芝居に書いて、利休が演じたともいへる。
といって粉引きの徳利に立山あたりの酒を入れ、
無地の唐津の猪口でからすみを肴にしている。
ここまでくれば、もはや、私の追いかける相手ではないことが明白。
そもそも、追いかけようと思ったことが間違いの始まり。
しかし、しかし。
至らぬ現代人の端くれとして、今、過去の前衛の影に酔いしれている感動があってもいいでしょう。
時代は、相変わらず愚かで、未熟だし、
人間もあんまり変わっちゃいないのかもしれない。
ただ、先人達の積み重ねは、文句の言いようもない絢爛としたものなのだ。
残された形骸を、大切にして、
それからまた考えてもいいのではないかとも思った。
そこから、また新しいものが生まれたら、
きっと利休も喜んでくれるに違いない。
今のお茶を嘆くのは簡単だ。
さぁ、新しいお茶、やりましょう。
権力も、名物も、権威も、位もなんにもない、ゆるやかな無邪気な
お茶があるに違いないと思うのだ。
誰に知られなくとも、普段のお茶が、一番幸せなことも。
創意工夫。
それさえあれば。
赤瀬川原平氏、よろず重たい利休やお茶の本が数ある中で、
この本が一番納得がいく、利休の話となった。
歴史や、茶碗、陶器などの茶器の専門書は、
資料として、大切ではあるけれど。
また、改めて、野上弥生子の「秀吉と利休」を読まなければ、と思ったのだった。(本はずっと本箱の主となっている。)
それと、気になる人物、山上宗二。
彼は、利休の愛弟子であったにもかかわらず、秀吉に耳鼻をそぎ落とされたという。何があったのか?それを知った利休は、秀吉にどう向かったのか?
調べていたら、本が出ていた。
やはり、気になる人物に違いはない。
ご参考までに。
秋の長雨で、村雨とはいかないようですね。(笑)
去年から、ずっと利休の壺にはまったまま、抜け出せていないのです。色んな人が、利休を語っていますし、この時代の騒ぎにも野次馬根性に油を注がれています。
赤瀬川氏は、気楽に読めますが、柳宗悦氏は、心して対面して下さいマシ。手強いです。
青山二郎の「利休ノート」もありますが、これがまたすスゴイ文章です。泣かせます。
お点前のお稽古、頑張って下さいね。
応援してます。
何しろお点前を覚えるだけで、手一杯で、
その背後にある精神まで学ぶところまでは行き着きません。
それでも、さっそく、本だけは購入しようと思います。
そうなんです。柳宗悦の「茶の本」私も読みました。
青山二郎が魯山人と柳は語りすぎ、と言ったことがなんかわかったような気がしたんです。
二人とも、ご自分に真面目すぎたのだと思います。
赤瀬川氏から、もっとラクチンに、きれいだなぁ、それで良いんだって教わったのでした。
なんだかとってもホッとしました。
茶人となって、が不幸の始まりのような方は、ご自分のお茶を狭くされてしまうのではないでしょうか?
友人のお茶会にお邪魔した時、不調法なお客なのに、先生は、着物を着ていったことを褒めて下さったり、所作を教えて下さったり、楽しいお茶会を経験させて頂きました。
雪月花さまのように、テーブル茶道の展開もまた、創意工夫の現代のお茶だと思います。
ただ一服のお茶に精神を考えるなんて、日本は罪深い文化の歴史があること、しみじみ感じるこのごろです。
TPOを考える楽しいゲームと思って、遊べるようになれたら、最高なんですけれど★
赤瀬川氏とご対面されたのですね。“前衛”らしい茶論を展開していますよね。ところが、最近、柳宗悦の『茶の本』を読んでいましたら、赤瀬川さんの論はすこしも新しいものではない‥と気づきました。柳も言っているのです。「知識や判断に先んじて直観が重要」と。「直感」でなく「直観(=じかに触れ、観る)」というところが柳らしいけれど、これはつまり「閃きに生きる」ことと同じですね。なぁんだ、赤瀬川氏は、わたしたちに青山や柳、そして白洲の論を平易な言葉であらためて説明してくれていただけなのでした。それなのに、茶人の方は「赤瀬川氏の利休論はかなり特殊だ」とおっしゃる。そこがちょっと悲しいです。
今日はテーブル茶道のお稽古に出ました。先生はおきものでしたけれど、助手の女性はノースリーブのワンピースにロングブーツといういでだち。こんなのも、現代の茶にはありなのかな(笑 まぁ、茶室の茶よりも親しみやすさを感じたことはたしかですけれども。