都内からだと、だいたい2時間あまりで栃木に着く。
朝、頑張って家事の色々を適当に片づけて、そわそわ支度して出発。
途中、栗原駅で、横浜組と合流。
友達って、逢った瞬間から、しゃべり出す。
ん~~おばさんってこれだ。
栃木に着くと、ちょっと肌寒い。都心より1,2度温度が低いかもしれない。
でも、とってもいいお天気に恵まれ、
ふらふら古い町並みをきょろきょろお散歩しながら、蔵の街美術館へ。
瀬戸物やさんの看板のロゴ、懐かしいにおい。
箒やさんが真新しい箒を沢山ぶら下げている。
なんだか、金物やさんが多いように思った。
こんな中にも、ファーストフード店や、ファミレスの看板がある。
似合わないけれど、まぁ、ご時世だな。
そうこうしていると、美術館への入り口。
重厚な蔵が3棟、「おたすけ蔵」といわれていた蔵を改築して、
平成15年3月に開館。
とちぎ縁の作家達を紹介する展覧会を重ねてきている。
そして今回、奄美の田中一村美術館から、40点もの作品が展覧され、
生まれ育ったとちぎに錦のお国入りとなったわけだ。
芸大美術館で見た、2作品はNHK日曜美術館30周年記念事業で、
全国行脚中だ。
その一部に登場している、ウィンクのフクロウちゃんのスケッチがあって、
嬉しかった。
画壇へ登場してから、時代を追って画風の変化が見られ、
技量のしっかりした人だということがよくわかった。
南画の先生であった、父上の影響や、
当時の画壇からの逆風や、自身の絵に対する純粋さとかが
ひしひしと伝わった後、
奄美で、ストイックに絵と対面し続けながらも、
ついには、描きたいものと対峙できた幸せを感じられ、
癒された。
田中一村といえば、奄美のアダンの木や、南国の花が一番の絵となることは
否めないが、
青木木米や、蕪村などの模写も手がけた若い頃。
千葉にいた頃の鬱蒼とした空気の力強いタッチの戦中戦後の頃。
花鳥図を描いていた、画壇への挑戦時期。
そして、弟や、母親との死別し、傷心の末の奄美にたどり着いた、
一村の開花を待つ時。
そういう流れを追ってみていくと、さまざまなことが開花するまでの下積みとなっていることが切なく伝わってきた。
南画が地下水に流れ、奄美の自然が癒し、一村を解放してくれたように
感じた。
沖縄の染色の仕事をしながらも、絵を描くためのお金を作るため、
生活をするためと踏ん切りをつける。
売るための作品を描くことは彼にとって、耐えられない恥のようだった。
自分の世界を自身が納得できる絵を描くことだけが
絵の道だったのだ。
そして、ここにも、軍鶏がいた。
若冲、芦雪、一村、軍鶏を描いてきた絵師たち。
眼力が静かにひたひたと迫るものが一村の軍鶏からあふれていた。
美術館をでた後、
家具屋さんでそこの社長さんやらとあれこれ長話。
ものすごく興味津々の家具が溢れていた。
版画も蔵の絵の良品が飾ってあった。
どこのお店でもおじさんたちはおしゃべりが大好き。
ひとなつっこい、ゆったりとした時間が流れているようだった。
駅に着けば、なぜか、お土産のお菓子やらで大荷物。
ちょっとした、小旅行という感じの栃木。
ここは本当に昭和の残り香ぷんぷん。
なかなか楽しい一日となった。
それで、おばさんたちは我が家に流れ、
延々とおしゃべりが続くのだった。
その模様は「あべまつ遊山」をクリックしてお出かけくださいマシ
朝、頑張って家事の色々を適当に片づけて、そわそわ支度して出発。
途中、栗原駅で、横浜組と合流。
友達って、逢った瞬間から、しゃべり出す。
ん~~おばさんってこれだ。
栃木に着くと、ちょっと肌寒い。都心より1,2度温度が低いかもしれない。
でも、とってもいいお天気に恵まれ、
ふらふら古い町並みをきょろきょろお散歩しながら、蔵の街美術館へ。
瀬戸物やさんの看板のロゴ、懐かしいにおい。
箒やさんが真新しい箒を沢山ぶら下げている。
なんだか、金物やさんが多いように思った。
こんな中にも、ファーストフード店や、ファミレスの看板がある。
似合わないけれど、まぁ、ご時世だな。
そうこうしていると、美術館への入り口。
重厚な蔵が3棟、「おたすけ蔵」といわれていた蔵を改築して、
平成15年3月に開館。
とちぎ縁の作家達を紹介する展覧会を重ねてきている。
そして今回、奄美の田中一村美術館から、40点もの作品が展覧され、
生まれ育ったとちぎに錦のお国入りとなったわけだ。
芸大美術館で見た、2作品はNHK日曜美術館30周年記念事業で、
全国行脚中だ。
その一部に登場している、ウィンクのフクロウちゃんのスケッチがあって、
嬉しかった。
画壇へ登場してから、時代を追って画風の変化が見られ、
技量のしっかりした人だということがよくわかった。
南画の先生であった、父上の影響や、
当時の画壇からの逆風や、自身の絵に対する純粋さとかが
ひしひしと伝わった後、
奄美で、ストイックに絵と対面し続けながらも、
ついには、描きたいものと対峙できた幸せを感じられ、
癒された。
田中一村といえば、奄美のアダンの木や、南国の花が一番の絵となることは
否めないが、
青木木米や、蕪村などの模写も手がけた若い頃。
千葉にいた頃の鬱蒼とした空気の力強いタッチの戦中戦後の頃。
花鳥図を描いていた、画壇への挑戦時期。
そして、弟や、母親との死別し、傷心の末の奄美にたどり着いた、
一村の開花を待つ時。
そういう流れを追ってみていくと、さまざまなことが開花するまでの下積みとなっていることが切なく伝わってきた。
南画が地下水に流れ、奄美の自然が癒し、一村を解放してくれたように
感じた。
沖縄の染色の仕事をしながらも、絵を描くためのお金を作るため、
生活をするためと踏ん切りをつける。
売るための作品を描くことは彼にとって、耐えられない恥のようだった。
自分の世界を自身が納得できる絵を描くことだけが
絵の道だったのだ。
そして、ここにも、軍鶏がいた。
若冲、芦雪、一村、軍鶏を描いてきた絵師たち。
眼力が静かにひたひたと迫るものが一村の軍鶏からあふれていた。
美術館をでた後、
家具屋さんでそこの社長さんやらとあれこれ長話。
ものすごく興味津々の家具が溢れていた。
版画も蔵の絵の良品が飾ってあった。
どこのお店でもおじさんたちはおしゃべりが大好き。
ひとなつっこい、ゆったりとした時間が流れているようだった。
駅に着けば、なぜか、お土産のお菓子やらで大荷物。
ちょっとした、小旅行という感じの栃木。
ここは本当に昭和の残り香ぷんぷん。
なかなか楽しい一日となった。
それで、おばさんたちは我が家に流れ、
延々とおしゃべりが続くのだった。
その模様は「あべまつ遊山」をクリックしてお出かけくださいマシ
TBありがとうございます。
行かれましたか!栃木~
2時間かけていくだけのことはありますよね。
ウインク・フクロウのスケッチ素敵でしたね。
はるばる行ってきましたよ~~♪
一村の色んな表情があって、とても楽しめました。
あと、写真も素敵でした。
Takさんのブログで、素敵な絵がアップされて、
あの絵で、刺激されたのです!!
感謝です!!