あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

イケムラレイコ展 ・ 国立近代美術館

2011-10-18 23:27:19 | 美術展
1 イントロダクション
会場に入ると白いマスクが横になっている。
寝ているようでもあり、
死んでしまっているようでもあり、
それはどうでもよくて微かに微笑んで夢を見ている。
「きつねヘッド」

それを迎い入れるように
「青に浮かぶ顔」が対峙している。

2 新作、山水画

新作の「山水画」シリーズ
山の景色に女性の顔やら体やら何か動物、とけ込んでいる。
柔らかな茶系のトーンにぼうっと溶けていく。


小さな部屋には遠目に十一面観音坂と思った
「ララ」 金銅仏像のようでもあり、
「Mスケープ」が飛鳥美人のように赤い世界に立つ。

4 横たわる人物像
視界が広がると壁面は真っ黒で赤い作品が2枚。
床には白い楕円形のテーブルが何枚かが手を広げるように置かれ、
その上で森で迷子になったような少女たちが横たわる。
目をおおい、顔を見せてくれない。
悲しんでいるんだろうか、何かを聞いているんだろうか。
物悲しいようで実はとてもしっかり存在している。


作家自身がとったぼうっとした女性の写真と
赤のインスタレーション。
活動範囲に軽さがあってすてきだ。

6 うみのけしき

深い青の海の作品群。
よる、あさ、、ひかり、みずうみ
遠くで何かがきらめいている、それだけの
静かなゆったりとした時間。

7 樹
樹の愛シリーズ。
色は赤系統のみ。
ずらりみているとアニメーションのように動き出しそうな
スケッチのような軽い作品群。

8 成長
細長い展示室の両端に一対の柱。
うさぎの柱が佇む。
阿吽のように片方はわずかに耳が開き向こうの方は
閉じている。

大きな壁面に文字の柱が並んでいた。
初めてきた時は、伊豆高原の両親たちと別れて、東京に戻って直にみた展覧で
両親たちの老いを現実にしてきたばかりだったのが
影響してか、この命への讃歌のような文の連なりに深く感動した。
2回目に行って、印刷物のない事と、メモしていい事を伺って
走り書きメモしてきた。
以下に記しておきます。
タイトル名はないそうです。


うつりゆく雲をみていると われもいつか くもになり。

  ことばをうしなってはじめて 存在の秘策を知るなりか。

 でも むかしの思いは つながれて命たえることなく。

 そんな太古、文化文明をやぶり太鼓ならして、どどんどん。

 無からうまれて海 うみうんで海、たえまなく、波のごとく。

 夜はあの世への旅。

 しんだ母にこの世の報告する。 おこられても。

 血の海がざわめき、体の中がとろとろ、

 そんなとき心臓に 耳がはえてくる。

 紫の穴からくるあなた、静かに笑っているけどきこえます。

 そのうち家という家が くるくるまわっておっかけてくる。

 大船が空からふってくる。

 ぶつぶつと死のつぶやき 聞きながら髪をとく。

 傷だらけの大地をはって 空をみるとかえるがいっぱい 飛んでいた、

 きれいな星のもとで。

 今日もあいましょう あしたもあさっても、

 次はもうわからないからね。

 ふとあいたすきまから 空を引掻き地をたたいて
 
  川の 水すすり。

   ちなみに われもバード。

 毎夜ゆめ喰いして 旅にでよ、

 魂をひろいにゆくため、色をつけるため、

  神をおこしにゆくため。

 そしてふと目をさますと 何もなく。 


この文章の流れに身を委ねてもう一度作品と対峙することの贅沢さを感じた。
その壁と反対側にはずらり10点の頭部の像。
どれもがどこか不完全でのっぺりしていたり、
傷があったり、穴があったりするのに、
どっしりとした存在感でそこにあった。

9 本
今まで刊行されてきたライブラリーコーナー

10 ブラックペインティング
黒のあたたかい色のなかで
そ少女たちの思い思いの思索の夢の時間。

11 出現
軽いスケッチ集のようなコーナー
作品になる前の生まれるところ、の現場。

12 アルプスのインディアン
そこで生活した事のある作家の作品郡。

 南方の光が連なる山をこえると
 心臓からほとばしる血のごとく
 とけた氷のせききって流れだす
 春が訪れたとき 山をおりた

13 1980年代の作品

ドローイングのような炭で描いたり、
ドライポイントだったり。
軽いタッチの作品。

14 イケムラレイコ参加の展覧会の映像。
初日にきた時に私は飽きる事なくココに座り
ずっと眺めていた。
魅力溢れる画像ばかりだったから。

15 新作 人物風景

色はなく黒の作品。今までの色から離れて
大きな画面に力強い筆致。

オブジェが愉快。
ヴーさんと、マーさんが呼応してニョロントしたもののうえに
腰掛けている。
ブロンズ色のテラコッタ。
どこかの森か星の妖精のよう。

ラストに最初の「きつねヘッド」の対のように
大人びた顔の少女が少し口を開いて安らかに眠っている。
口元のなんとまばゆいこと。


イケムラさんは描きたいもの、作りたいものが
とてもはっきりしているように思えた。
画像はぼうっとかすんでいても
景色の中には誰か、女性の顔か、体かが潜んでいるし、
造形には失われたものへの憧憬が強くて、
作品自体の体が愛しいものであればあるほど
失われた部位へ思いが深まる。

喪失感は暗がり、暗闇になるが、
それはあたたかな黒、という表現に救われ、
それからは堂々と欠けている事を誇らし気に。

儚い命は目の前に厳然と存在するけれど、
それは本当に存在しているのか妖しいものだ。

あるものを確かめるように
作家の見えているものが具象となって
見ている人を翻弄する。
それも生温かな血が流れるのを
知った痛みをともなって癒してくれるのであった。

とてもとても胸の奥深くがうずく展覧会だった。
少女の喪失と抗いと、戦いの末に欠けている事を
許す許容を堂々と。
また、展示場の構成も実に素晴らしく、感心した。

それにしてもイケムラレイコさんの言葉の力を強く感じた。
これから図録としばし夏休みが終わった太陽のような
枯れ草の香りのような時を共にしようと思う。

会期は最終。23日、日曜日までです。

充実のサイトもお見逃しなく。こちら

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« メタボリズムの未来都市展 ... | トップ | 春日の風景 ・根津美術館 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。