まとまりがつかないまま、時が流れそうなので、
とりあえずの事だけで
記事にすることにした。
これは、あまりに未知な世界で、
もっともっと知りたくなるお化けがいるようだ。
展覧会の2部に入る。
第2部 日本人のまなざし
5章 交流の形
朝鮮通信使の果たした役割
日本は朝鮮王朝との交流抜きにその歴史が語れない。
なかでも、朝鮮通信使は一時、秀吉の政治によって、
その糸が切れたことがあったが、
徳川幕府の時代となって、
お互いの利益のため朝鮮通信使が復活した。
その一行の画員の存在。
直接彼らと交流のあった、池大雅。
若冲のパトロン大典も通信使の仕事に関わった。
後に若冲にその関わりが役立ったことは明らかだろう。
日本も200双に及ぶ屏風を贈ったらしい。
サントリー美術館でビオンボ展の際に紹介された
現在唯一残された刈田雁秋草図屏風が
またここにも展示されていた。
日本からあちらに表敬訪問をしたのか知らないが、
日本の出島みたいな場所があったことを思うと、
そこでことが足りたのかもしれない。
朝鮮通信使の行列長旅道中は、
さぞお互いの好奇心をそそられた
海外版の大名行列のようだったのだろう。
英一蝶や、白隠、北斎などの行列の絵が楽しい。
6章 日本人画家のまなざし
日本絵画に与えた影響
この章は、室町の絵画から宗達、江戸の狩野画壇、
文人画浦上玉堂や蕪村、奇想の若冲、
谷文晁、酒井抱一まで、
様々な画家達の背景に朝鮮王朝の絵画の影響が
忍び込んでいることをまざまざと見せられた。
驚愕のシーンだった。
抱一の洋犬図絵馬の姿は、
今の松井冬子まで思い出してしまった。
さて、ここで、若冲の虎図のことをちょっと。
画像はプライスコレクションの虎図。
東博でその姿を見た人は多いと思う。
その本絵があったことも良く知られている。
若冲はこの絵を南宋時代の画院画家毛益に倣って摸すと
その画中に書いているのだが、
実は、北宋時代の文人画家、李公麟の作と知られていたそうだ。
しかし、実際は二人とも関わりがなく、
明時代の浙派(セッパ)に近いもので、
現在は、朝鮮時代中期の作品とみなされている。
・・・とのこと。
プライス氏が初めて若冲の絵を買ったとされている
葡萄図も、この展覧会で沢山の葡萄図を見たが、
やはり朝鮮王朝期のものに近いということが
私の眼にもわかった。
他にも、パトロン大典の影響なども考えると、
中国絵画の影響ももちろん大きいけれど、
そのなかに朝鮮王朝のものが相当あったということが
実感できた。
そういうことだったのか。
また、私の一番好きな絵師、宗達。
その宗達の描く巾の広さは、
不可思議としか言いようがないけれど、
もしかしたら、
彼は朝鮮から来た人ではないかと想像し、夢見た。
生涯が不明なことが多いとか、
養源院の獅子や、麒麟たちの表情。
たらしこみのワンコたち。
利休の茶碗を作った長次郎だって、朝鮮から来た人だ。
そういった技能がある人が日本に渡って、
活躍の道が開けたことがあったのかもしれない。
もちろん、その技量を見つける目がなければ、
花は開かない。
そんな夢想がより一層、この展覧を面白いものにした。
これから、室町、それ以前にもさかのぼって
朝鮮絵画の影響を改めて見つめなおすという作業が
いよいよ重要になってくる。
これから、の研究なのだろうけれど、
こんなことはずっと前から知られていることなのかと思いきや、
まだまだこれから、なのだそうだ。
だから、ワクワクしてくる。
新しい風が吹くのだ。
隣の国、遠くて近い朝鮮半島の歴史と文化を
もっと知りたいと思った、初めての体験、展覧で、
今もなおその余波に揺れている。
静岡、仙台、岡山を巡回する。
権力が認めた中国絵画が中枢にあるならば、
その間をくぐった朝鮮絵画が地方に所蔵されてきた運命を
この巡回で地元力を感じながら、鑑賞するのも、
素敵な体験となりそうだ。
しかし、朝鮮王朝の漢字と、読みは難しい。
三日月湖さんがなんと、この講義を聴いていらっしゃる。
貴重なすばらしい内容でした。
他にも沢山の方の記事から参考にさせていただきました。
とりあえずの事だけで
記事にすることにした。
これは、あまりに未知な世界で、
もっともっと知りたくなるお化けがいるようだ。
展覧会の2部に入る。
第2部 日本人のまなざし
5章 交流の形
朝鮮通信使の果たした役割
日本は朝鮮王朝との交流抜きにその歴史が語れない。
なかでも、朝鮮通信使は一時、秀吉の政治によって、
その糸が切れたことがあったが、
徳川幕府の時代となって、
お互いの利益のため朝鮮通信使が復活した。
その一行の画員の存在。
直接彼らと交流のあった、池大雅。
若冲のパトロン大典も通信使の仕事に関わった。
後に若冲にその関わりが役立ったことは明らかだろう。
日本も200双に及ぶ屏風を贈ったらしい。
サントリー美術館でビオンボ展の際に紹介された
現在唯一残された刈田雁秋草図屏風が
またここにも展示されていた。
日本からあちらに表敬訪問をしたのか知らないが、
日本の出島みたいな場所があったことを思うと、
そこでことが足りたのかもしれない。
朝鮮通信使の行列長旅道中は、
さぞお互いの好奇心をそそられた
海外版の大名行列のようだったのだろう。
英一蝶や、白隠、北斎などの行列の絵が楽しい。
6章 日本人画家のまなざし
日本絵画に与えた影響
この章は、室町の絵画から宗達、江戸の狩野画壇、
文人画浦上玉堂や蕪村、奇想の若冲、
谷文晁、酒井抱一まで、
様々な画家達の背景に朝鮮王朝の絵画の影響が
忍び込んでいることをまざまざと見せられた。
驚愕のシーンだった。
抱一の洋犬図絵馬の姿は、
今の松井冬子まで思い出してしまった。
さて、ここで、若冲の虎図のことをちょっと。
画像はプライスコレクションの虎図。
東博でその姿を見た人は多いと思う。
その本絵があったことも良く知られている。
若冲はこの絵を南宋時代の画院画家毛益に倣って摸すと
その画中に書いているのだが、
実は、北宋時代の文人画家、李公麟の作と知られていたそうだ。
しかし、実際は二人とも関わりがなく、
明時代の浙派(セッパ)に近いもので、
現在は、朝鮮時代中期の作品とみなされている。
・・・とのこと。
プライス氏が初めて若冲の絵を買ったとされている
葡萄図も、この展覧会で沢山の葡萄図を見たが、
やはり朝鮮王朝期のものに近いということが
私の眼にもわかった。
他にも、パトロン大典の影響なども考えると、
中国絵画の影響ももちろん大きいけれど、
そのなかに朝鮮王朝のものが相当あったということが
実感できた。
そういうことだったのか。
また、私の一番好きな絵師、宗達。
その宗達の描く巾の広さは、
不可思議としか言いようがないけれど、
もしかしたら、
彼は朝鮮から来た人ではないかと想像し、夢見た。
生涯が不明なことが多いとか、
養源院の獅子や、麒麟たちの表情。
たらしこみのワンコたち。
利休の茶碗を作った長次郎だって、朝鮮から来た人だ。
そういった技能がある人が日本に渡って、
活躍の道が開けたことがあったのかもしれない。
もちろん、その技量を見つける目がなければ、
花は開かない。
そんな夢想がより一層、この展覧を面白いものにした。
これから、室町、それ以前にもさかのぼって
朝鮮絵画の影響を改めて見つめなおすという作業が
いよいよ重要になってくる。
これから、の研究なのだろうけれど、
こんなことはずっと前から知られていることなのかと思いきや、
まだまだこれから、なのだそうだ。
だから、ワクワクしてくる。
新しい風が吹くのだ。
隣の国、遠くて近い朝鮮半島の歴史と文化を
もっと知りたいと思った、初めての体験、展覧で、
今もなおその余波に揺れている。
静岡、仙台、岡山を巡回する。
権力が認めた中国絵画が中枢にあるならば、
その間をくぐった朝鮮絵画が地方に所蔵されてきた運命を
この巡回で地元力を感じながら、鑑賞するのも、
素敵な体験となりそうだ。
しかし、朝鮮王朝の漢字と、読みは難しい。
三日月湖さんがなんと、この講義を聴いていらっしゃる。
貴重なすばらしい内容でした。
他にも沢山の方の記事から参考にさせていただきました。
私には遠すぎる場所ですが
あべまつさんの記事を興味深く拝見しました。
大掃除の疲れを癒していただきました^^
宗達が渡来人じゃないかというお説
なんだかすごく腑に落ちる感じです。
あのスケールの大きさは異質とさえいえそうですものね。
今年もいろいろ勉強させていただきました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
この展覧会に興味をお持ち頂いても、
これからの開催場所は、ちょっと、遠いですねぇ。
でも、とても奥深い視点の展覧でした。
宗達の無謀な夢想に反応して下さり、嬉しいです。
今年はご縁を頂き、コメント頂いたりチトさんのところにお邪魔したり楽しかったです。
お能は未開の世界なので、能舞台で間近に鑑賞したいと願っています。その時はまた色々教えて下さいマシね。
また来年もよろしくお願い致します。
陶器では、「朝鮮伝来」と明らかになっているものも多いのに、絵画ではうやむやになっているのは、片手落ち、というか、中国だけを向いてきた体質がずっと続いていたというのは、目から鱗でございました。
来年もよろしくお願いします。
三日月湖さんの記事はとても参考になりました!!
本当に中国のものの陰に朝鮮、李朝がしっかり存在していること、ガ~~ンと殴られたようです。
北京オリンピックで、中国の圧倒的大きさを開会式で思い知りました。日本が中国に憧れるのは致し方がなかったかなと思いました。
これからの研究に注目していきたいです。
こちらこそ、来年も宜しくお付き合いお願い致します。