あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

瀟湘八景図 ・畠山記念館

2009-11-30 23:22:57 | 日本美術
水墨画を見ていると、どうしてもこの瀟湘八景図に行き当たる。

今回の畠山記念館の畳のショーケースに
「煙寺晩鐘図」が朦朧と存在していた。
牧谿得意の俯瞰した悠々たる水墨の風景画。
静かにゴ~~ンと寺の鐘の音が響いてきそうだ。

そもそも瀟湘八景図とはなんのことなのか?

展示室にその瀟湘八景図の国宝「煙寺晩鐘図」について、
山上宗二、利休の弟子が言及する紙面が展示されていた。
字はあまり読めなかったけれど、
「煙寺晩鐘図」は当初は評価が低かったよう。
他の図のほうがよかったといいたかったのかもしれないが。
残念ながら力不足で詳細にはわからなかった。

高橋箒庵の「大正名器鑑」、お茶の大切な名器の解説書として
その名が轟いている。
その本物がケースの中に展示されていた。
宗二の紙面はその隣だった。

いったい朦朧体の元祖(私が勝手に命名)
牧谿はどのあたりから重用されるようになったのか?

「君台観左右帳記」という足利義満、義政のころのお茶道具一式の
ガイド本があって、(日曜日まで五島美術館に展示されていた)
これによって、棚飾り床飾りなどをどうすればよいのか
詳細に図式で解説しているもの。
サントリーの「かざり」展でもその姿を見た方は多いだろう。

茶の世界では必ず語られる基本の解説書なのだが、
「大正名器鑑」は大正期の茶道具解説本。
白黒ではあるが写真も掲載されるようになって、一段と
茶道具全般についてわかりやすく説明された大事な本なのだ。
昭和元年までに9編13冊刊行されたそうだ。
まったく細かな仕事をする人がいたものだし、
そういう人によって、茶の型が継承されて来たのだろう。
目利きでなければはこんな仕事をやろうとも思わないだろうし、
そういう人でなければ、できる仕事でもない。

先日の皇室の名宝展では天皇のお宝を御物(ギョブツ)と
発音するが、
鎌倉の足利義満のときは「北山御物」(キタヤマゴモツ)
義政のときは「東山御物」(ヒガシヤマゴモツ)と発音した。
お茶の世界から学ぶことはとても多い。

その義満が牧谿の瀟湘八景図をばらばらにしたのだそうだ。
そもそも八景図は4図1巻の2巻のものだったが、
義満が1図ずつ分断し、軸装に改変したというのだ。
同朋衆からは上々の評価だったとか。
考えてみれば、1図ごとになった軸装のほうが管理しやすく、
使い道も景色を色々に変えることができるわけだ。

その後、「煙寺晩鐘」は、
13代義輝を暗殺した松永久秀の手に渡り
信長→家康→加賀前田家→畠山家とたどり着く。

中でも面白い話は、8代将軍吉宗のときに150年ぶりの
邂逅があったということだ。

それからの変遷はばらばらで、
国宝になったのは
根津美術館の「漁村夕照」
畠山記念館の「煙寺晩鐘」
重文になった、
出光美術館の「平沙落雁」
などが有名。

この巻物は大軸と小軸の2種類があったようだ。
国宝になっているのは大軸のもの。

牧谿以前にすでにこの瀟湘八景図の流れができていたようで、
その後は玉澗などにもその作がある。
日本では大変もてはやされ、
以後様々な形を変えて水墨画として、浮世絵として、
名所旧跡として根付いていったようだ。

金沢、近江、博多、水戸、いろんな八景名所のルーツは
ここにあるということだった。

36歌仙のバラバラ事件は鈍翁の功績?だが、
これはもっともっと以前の義満のころとは!!

水墨画を学んだ人たちも盛んにこれを画題としていることも
記憶に留めたい。

何しろ鎌倉時代は中国、唐様式一辺倒の時代だったのだなぁ。

中国絵画はあまり好きじゃないけれど、
日本の美術の根幹に根付いているから、
どうしても見に行かなければ、
その流れが見えなくなるということか。

畠山記念館にはもっと色々あったけれど、
今回はこれに的を絞って、頭を整理。
ちとは理解できたかな。

追加分

現代仮名遣いになった「山の上掃除」でなはい!変換がすごい。
「山上宗二記」から

御絵の次第
・・・略
一 牧渓大幅、小幅、横絵、少し違い候て八景十六幅あり。
  大軸は千貫、小軸は五百貫なり。
  古人名物とてこれを用う。
  ただし当世はいかが。用いず。

・・・という一文を発見。
そして、中国の絵師、馬遠、玉澗、徽宗皇帝、などなどが
ずらずらと登場。
当時の唐絵がどれだけ茶席で重用されていたかが明白。
玉澗の瀟湘八景図の煙寺晩鐘のほうがずっと評価が高く、
 
 この一軸、八幅の内、頂上名物か。数寄道具なり。

と、宗二記にあった。
フムフム思うことあり、しばし辛いけれどお付き合いしてみようと思う。

こういうことから一段と茶道具がぐっと身近に
生々しく感じられ、
根津の青山が茶会をしたときに使われた道具も
一層実感としてみることができそう。

あともう一回は根津に行って、
茶会に使われた道具をしっかり見てこようと思った。
畠山記念館のほかの展示見ついては改めて書こうと思う。
実現するようがんばりますが。

参考
 石川県立美術館 美術館だより 237号
 村山尚子学芸員の一文がとても参考になった。
 山上宗二記 岩波文庫 熊倉功夫校注

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2 コメント

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Unknown (ogawama)
2009-12-02 22:55:18
瀟湘八景図の場合バラバラにして良かったなあと思いますが。
「朦朧体」、あまりに渋くて愛玩する境地には達せません。
まだまだ青い私です。
でも勉強になりました。
色々知るって、楽しいことですね~
返信する
ogawama さま (あべまつ)
2009-12-03 16:11:22
こんにちは。

牧谿猿というあのテナガザル、等伯が私淑した師匠ですから、墨の技術は破格だったのだと思います。
山水画はも枯れていすぎるから、付き合うのが大変です。
お茶人たちの愛玩物と付き合うのは色々と物語があって面白いし、大変でもありますね~
といいつつ、はまっている私。へへ
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