講演会場は、ちょうど300人ぐらい収容できる程の小劇場サイズ。
15分くらい前に着いたのに、もうビッチリ聴講者が入っているので驚いた。
なにしろ、無料なのに、太田記念美術館の招待券がオマケ。
いいでしょ~~
まもなく講義が始まり、太田美術館学芸員の奥田女史が現れた。
まだお若いぞ。
会の進行運営はNPOなんとかで、
年配の女性司会者がかなり慣れた感じでリードするのが心地よかった。
若いおねぇさんじゃこの空気は醸し出せない。
さて、本題だ。
1、ギメ美術館の歴史、
2、浮世絵の歴史とギメコレクション、
3、北斎の龍虎発見のエピソード、
を、スライドとレジュメを使いながら、伺うことになった。
これを聞いてしまったから、大変。
やっぱり北斎はすごいのだ。
それと、ギメと河鍋暁斎と、ジョサイア・コンドルの点が線につながって、
ジャポニズムのブーム、ギメも日本に来ていたことを知った。
そのことが以前に買っていた
「河鍋暁斎」ジョサイア・コンドル著 山口静一訳 岩波文庫
の巻末年譜にしっかり記載されている。
暁斎は、鈴木其一の娘きよが初婚だが、きよは、4年後に亡くなる。
狂斎とも号していた。北斎の影が強く見えてくる。
明治6年にウィーン万博に出展。42歳でノリノリの時期だろう。
明治9年に建築を学んでいた英国人コンドルが日本に留学する。
その年、パリからギメが暁斎宅をもう一人のフランス人と訪ねて、
今回のギメ美術館展で出展されている「釈迦如来図」が生まれるのだ。
後、明治14年にコンドルは暁斎に入門し、コンデル君と親しく呼ばれる。
狩野芳崖が亡くなった後の芸大教授依頼のため、
天心とフェノロサが暁斎宅来宅するが、すでに暁斎は病床であり、
その翌年、胃ガンで58歳で亡くなる。
暁斎より20歳若いコンドルは、
その後日本の建築史に名を残す名館を次々と建てていった。
(年譜よりあべまつ解釈)
北斎がなし得なかった、世界への窓口をコンドルや、ギメを通して持つことが出来、世界に日本絵師の力を発揮する機会を手にしたのだ。
時代のジャポニズムがギメを暁斎宅を訪問するチャンスを作り、
ギメは、目の当たりに日本の絵師達のすさまじい画力を見て、
日本文化、芸術に一目惚れしただろうと思う。
この人々のつながる底に北斎がいる。
やはり、ただ者ではないのだ。
NHKのハイビジョン番組の「天才画家の肖像」の北斎を見る。
半端じゃないおもしろさ、楽しさ。
(NHKはこういうことが凄すぎるので、受信料は惜しくない。)
いとうせいこう氏が言った。
絵は学問だけじゃダメなんですね、と。
あの、ワクワクは、凄いものを見たことをどうやっても描けることを、
人生を賭けてチャレンジし続けていたのだと、
ほとほと感心するばかりなのだった。
さて、講義は順調に進み、
両隣のおばさんは、適当に船をこぎ、
私は、あぁ、懐月堂組はお持ちじゃないんだぁとつぶやき、
太田美術館の収容人数を心配し、
来週のNHK新日曜美術館放映前に行かねば!
と、決意したのだった。
講義後、質問コーナーがあって、
いるんだな、マニアックなファンが。
そういう方の質問にも丁寧なお答え。
お着物を着て参加しているご夫妻も見え、
なんだか、不思議な感覚に襲われた。
まぁいいや、本当に正しい楽しいお勉強だったのだから。
そして、図書館が併設の建物だから、
美術コーナーで、
「日本絵画の遊び」 榊原 悟著 岩波新書
を見つけて、借りて読んでみる。
また、いるでしょ、北斎。暁斎。
サントリー美術館主席学芸員を経た美術史家だ。
ん~今春、サントリーがオープンするのだ。
楽しみ!!
こうして、長々と北斎のストーリーはどこへ行ってもひっかかって
私を離さないのだった。
15分くらい前に着いたのに、もうビッチリ聴講者が入っているので驚いた。
なにしろ、無料なのに、太田記念美術館の招待券がオマケ。
いいでしょ~~
まもなく講義が始まり、太田美術館学芸員の奥田女史が現れた。
まだお若いぞ。
会の進行運営はNPOなんとかで、
年配の女性司会者がかなり慣れた感じでリードするのが心地よかった。
若いおねぇさんじゃこの空気は醸し出せない。
さて、本題だ。
1、ギメ美術館の歴史、
2、浮世絵の歴史とギメコレクション、
3、北斎の龍虎発見のエピソード、
を、スライドとレジュメを使いながら、伺うことになった。
これを聞いてしまったから、大変。
やっぱり北斎はすごいのだ。
それと、ギメと河鍋暁斎と、ジョサイア・コンドルの点が線につながって、
ジャポニズムのブーム、ギメも日本に来ていたことを知った。
そのことが以前に買っていた
「河鍋暁斎」ジョサイア・コンドル著 山口静一訳 岩波文庫
の巻末年譜にしっかり記載されている。
暁斎は、鈴木其一の娘きよが初婚だが、きよは、4年後に亡くなる。
狂斎とも号していた。北斎の影が強く見えてくる。
明治6年にウィーン万博に出展。42歳でノリノリの時期だろう。
明治9年に建築を学んでいた英国人コンドルが日本に留学する。
その年、パリからギメが暁斎宅をもう一人のフランス人と訪ねて、
今回のギメ美術館展で出展されている「釈迦如来図」が生まれるのだ。
後、明治14年にコンドルは暁斎に入門し、コンデル君と親しく呼ばれる。
狩野芳崖が亡くなった後の芸大教授依頼のため、
天心とフェノロサが暁斎宅来宅するが、すでに暁斎は病床であり、
その翌年、胃ガンで58歳で亡くなる。
暁斎より20歳若いコンドルは、
その後日本の建築史に名を残す名館を次々と建てていった。
(年譜よりあべまつ解釈)
北斎がなし得なかった、世界への窓口をコンドルや、ギメを通して持つことが出来、世界に日本絵師の力を発揮する機会を手にしたのだ。
時代のジャポニズムがギメを暁斎宅を訪問するチャンスを作り、
ギメは、目の当たりに日本の絵師達のすさまじい画力を見て、
日本文化、芸術に一目惚れしただろうと思う。
この人々のつながる底に北斎がいる。
やはり、ただ者ではないのだ。
NHKのハイビジョン番組の「天才画家の肖像」の北斎を見る。
半端じゃないおもしろさ、楽しさ。
(NHKはこういうことが凄すぎるので、受信料は惜しくない。)
いとうせいこう氏が言った。
絵は学問だけじゃダメなんですね、と。
あの、ワクワクは、凄いものを見たことをどうやっても描けることを、
人生を賭けてチャレンジし続けていたのだと、
ほとほと感心するばかりなのだった。
さて、講義は順調に進み、
両隣のおばさんは、適当に船をこぎ、
私は、あぁ、懐月堂組はお持ちじゃないんだぁとつぶやき、
太田美術館の収容人数を心配し、
来週のNHK新日曜美術館放映前に行かねば!
と、決意したのだった。
講義後、質問コーナーがあって、
いるんだな、マニアックなファンが。
そういう方の質問にも丁寧なお答え。
お着物を着て参加しているご夫妻も見え、
なんだか、不思議な感覚に襲われた。
まぁいいや、本当に正しい楽しいお勉強だったのだから。
そして、図書館が併設の建物だから、
美術コーナーで、
「日本絵画の遊び」 榊原 悟著 岩波新書
を見つけて、借りて読んでみる。
また、いるでしょ、北斎。暁斎。
サントリー美術館主席学芸員を経た美術史家だ。
ん~今春、サントリーがオープンするのだ。
楽しみ!!
こうして、長々と北斎のストーリーはどこへ行ってもひっかかって
私を離さないのだった。
実は今日、河鍋暁斎記念美術館へ行って来ました。
宜しかったらこちらもどうぞ。
スーパーエッシャーも12月に行って来ました。
では、また遊びに来ます。
(トラックバック貼らせて頂きました。 )
暁斎って、北斎に並んで、変な人でしょう?
ゲイジツ出来る人は、みんな変な人だなぁって、
だからこそ、愛すべき人でもあったり。
TBコメントありがとうございます。
後で、お邪魔させて頂きますね。
さてあべまつさん、太田記念の招待券つきとはうれしいですね。
賢い方はこうやってお金を浮かせるという/笑。
けど本当に混んでいないみたいです、6-8日の連休に行かれた方も混んでいなかったといわれていますし。
メインの虎と龍の視線をあじわってくださいね!
あんなに状態が良いとは…
暁斎も北斎もそれに
勝るとも劣らず素晴らしかったです。
どちらも迫力満点でした。
感想楽しみにしています!
追伸:
メールでご連絡いただけますでしょうか?
お知らせしたいことがあります。
(メルアドは拙サイトの一番下にあります)
今日、行ってきました。太田に。
結構入ってましたよ、中年以降の人工密度高し!
でしたが。(私も完璧そのお仲間ですが)
いやぁ、色々発見できて、楽しかったです。
今のところ、頭飽和状態なので、クールダウンしてから、記事になると思います。
ワンワン熱気が溢れていました。
スリッパに履き替えなくてもよくなっていて、
ブーツでもOKなのでした。
今回は、写楽、歌麿がとってもよく思えて、
自分でも驚きでした。
空刷りってのが、とんでもなくいい味出していました。記事になるには、もうちっと落ち着いてからじゃないと、無理!あしからずです。
メールお送り致しました~