あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

親になること。

2006-06-05 14:52:18 | Weblog
職を転々、破産、「子ども嫌い」…秋田事件の畠山容疑者 (朝日新聞) - goo ニュース

人間は、この世に生まれた時には何も罪を背負っていないはずだ。
どうしてこんな人間に育ったのか?

悲しみの人生の裏には、妬み、ひがみ、疎外感、愛情の薄さが見えてくる。

親になることの重責について、あんまり考えもしないで、
子どもを育て上げるという覚悟も決めないで、
刹那的な愛情表現の結果、新しい命が生まれてくるという現実。
無償の愛情を注ぐことを教えてもらったのは、
自分の子どもからだ。

親になることで、また、人間として成長するものだと知ったのは、
私も一人息子の親となったからだ。

自分一人の為だけの人生ではないということを知ったのだ。

一人前の人間として生きていけるように育てると言うことの重責。

小さな命は、何故犠牲になったのだろう?

何をさておいても、子どもの命を一番に考えられる大人に、
何故、育たなかったのだろう??

抱きしめられて、包容されて、温もりを感じて、目を見て、笑って、
喜んで、楽しく、認められて、守られて、嬉しくて、愛しくて、
そんな家族との毎日が、何よりも豊かな生活なのだと、しみじみ思った。

あまりにも我が儘な利己主義な人間が、
普通の生活をしている人間を脅かしているのだ。

何かが足りていない。

貧しい心がぽっかりと空いた胸から、
ほんの少し上目遣いで羨ましげに空を見上げているようだ。

共犯の疑いも隠しきれない。人間の業の深さに滅入るばかりだ。
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